・「金融」に頼る国の悲劇的な末路とは? 国と国民を貧しくする「金融の呪い」の恐ろしすぎる真実(DIAMOND ONLINE 2021年12月28日)

ニコラス・シャクソン

※タックスヘイブンの実態を追及するイギリスのジャーナリスト、ニコラス・シャクソンが、社会、経済、政治を世界的に支配し、大多数の犠牲の下にごく少数の人々だけを富ませてきた「金融の呪い」について解き明かした『世界を貧困に導く ウォール街を超える悪魔』が遂に日本でも出版された。

世界的に広がっていく格差、不平等は、実は一部のエリート層によって意図的に仕組まれたものだという不都合な真実を丹念な取材を重ねて綴り、フィナンシャル・タイムズ ECONOMICS BOOK OF THE YEARの一冊にも選ばれた『世界を貧困に導く ウォール街を超える悪魔』から一部再構成して紹介します。


豊かさが国民を貧しくする矛盾

金融の呪いの概念には長い歴史がある。1990年代初頭から半ばにかけて、私がロイターの特派員として石油とダイヤモンドの豊富なアンゴラに駐在していた当時、国連はアンゴラが世界で最も過酷な戦争で喘いでいるとの報告を出していた。私が赴任中に出会った西洋人は全員、同じ質問を投げかけてきた―これほど天然資源に恵まれている国の国民が、なぜこれほどまで困窮の極みに達しているのか?

もちろん、汚職がその原因の1つではある。賄賂で動く国のリーダーがオイル・マネーを盗み、そのカネで、首都ルアンダのビーチでロブスターやシャンパンを楽しむ一方、砂埃の舞う地方では、栄養失調でボロを着た同胞同士の殺し合いが続いていたのだ。

しかし、これだけではない、何かが裏で動いていた。当時の私にはそれが何であるかは知る由もなかったのだが、学者たちがようやく新しい概念として認識し始め、提唱しつつあった「資源の呪い」と名づけた現象を最前線で見ていたのである。

学者たちは、アンゴラをはじめとする天然資源の豊富な国々が、資源の乏しい近隣諸国と比較して、その資源の豊富さゆえになぜか経済成長が遅れ、政治的腐敗や摩擦の増加、より独裁的な政治と極度の貧困に苦しんでいることを突き止めつつあった。

資源保有国にまつわる呪いについて唯一覚えておくべきことは、資源がありすぎるがゆえの悲劇なのだ。豊富な天然資源を有する国が、そこから得られる富を国民のために適切に使わないばかりか、権力の座にある詐欺師のような者が、他者より早く富をつかみ取って国外へ隠すというケースもある。

重要な点は、天然資源から得られた財産は、資源が発見されなかった場合と比較して、結果的にその国の国民をより貧困に陥らせてしまうことだ。それゆえ、資源の呪いは、豊富さゆえの貧困という背理の異名を持つ。

もちろん、国によって受ける影響は異なる。例えばノルウェーの場合、持っている天然資源によって潤っている。しかし、当時のアンゴラの人々には、資源の豊富さゆえ、それが戦争の資金源となり、結果として国を長期にわたり深刻な状況に追い込んでいる、とは想像すらできなかったのだ。

資源の呪いに苦しむアンゴラの現状をレポートした私の記事を、ジョン・クリステンセンが読んでいた。イギリスのタックスヘイブンであるジャージー島の公式財務アドバイザーを務めていた彼は、自分の見たジャージー島における現象と私の記事との間にあるいくつもの相似性に気づいた。

彼は当時を振り返り、「私は、記事の指摘する石油や天然ガスが過剰にあるがゆえに貧困に陥るという、直感とは相いれない概念に強く惹きつけられ、関心を持った」と言う。そして、読めば読むほど、「これはジャージーそのものではないか! 互いに不可思議と思えるほど相似形だ」との思いを強くした。

そして彼はもっと重大な点に気づいていた。それは、金融に依存しているジャージーだけがアンゴラ同様、資源の呪いに苦しんでいたのではなく、イギリスも同じように苦しんでいたということである(ジャージー島タックスヘイブンで目にした無節操な金銭欲の実態に驚愕したクリステンセンは、2003年に退職した後、タックスヘイブンの廃止に向けて闘うことを目指す組織、タックス・ジャスティス・ネットワークの設立に貢献・寄与した)。

イギリスとアンゴラの共通点は、どちらも大きな経済セクターが幅を利かせ、牛耳っているということだ。アンゴラの場合は石油であり、イギリスは金融である。その規模を把握するには、数字で比較するのがわかりやすい。

1970年以前の1世紀ほどを見ると、イギリスのGDPのおよそ半分を銀行の資産が占めていたが、その後金融化の到来とともにその率が急上昇し始める。

金融危機が世界を襲うことになる直前の2006年までには、イギリスの銀行の資産はGDPの500%に達し、それ以降ほとんど変動していない。これは欧州平均の倍であり、アメリカの4~5倍である。さらにこれを、銀行のみならず保険会社や他の金融関連機関の保有する金融資産にまで広げれば、GDPの10倍をはるかに超える額になる。

アンゴラをはじめ、石油資源に恵まれ、それに大きく依存するアフリカ西海岸諸国を取材していくうちに、石油産業分野によって国内経済の他の分野の活力が吸い上げられ枯渇していくのを目の当たりにした。高等教育を受けた優秀な人材が工業、農業、政府、公共団体、メディアからどんどん引き抜かれ、高給が保証された石油関連の仕事に吸い寄せられていった。

また、あえて政府機関に残った優秀な人材でさえ、石油産業によって国の発展の望みが絶たれたことに失望し、政治がオイル・マネーに擦り寄るための腐敗と権力闘争のゲームにすぎなくなった現状に落胆し、国の難題を解決する意欲を失っていく。

ロンドンのシティでも、イギリスの優秀な頭脳に関して、これに酷似した現象が現れていた。

イギリスの政治家連中も同様に、派手なプライベート・エクイティの大物たちや、銀行の経営者、会計士、財テク企業のCEOに取り込まれている。「金融業界は、天才的なロケット科学者を、宇宙衛星関連産業と競り合って吸い上げていってしまう」とは、金融の台頭と経済成長に関する研究発表をした有名な学術研究者たちの言葉である。

「結果として、違う時代に生まれたならば科学者としての道に進み、がんの撲滅や火星への有人飛行という夢に向かって人生を捧げたかもしれない若者が、今やヘッジファンド・マネジャーになることを夢見ているのだ」

政治の世界からも、金融の専門知識を持つ優秀な人材が高収入をうたう金融業界へと流れ、結果としてイギリスでは無能な首相が続いている。有能な首相候補の多くがヘッジファンドに流れ、カネにまみれて持てる才能を生かしきれていない現実がある。そのような政治における焦点の大きなぶれが、本来であればバランスのとれた国内の発展を阻害し、さらなる悪循環を招いている。

アンゴラでは、石油によってもたらされた滝のように流れ込む富が、住宅から散髪に至る現地の商品価格やサービスの値段を押し上げていった。この価格高騰が、やがて輸入品と対抗できないほどにまで、地場産業や農業に追加の破壊的打撃を与えた。

これと同様の現象がロンドンのシティでも起きていた。どんどんシティに流れ込むカネ(とシティの中で生み出されたカネ)は、住宅価格や商品価格を押し上げ、イギリスの輸出産業は外国企業との価格競争で不利な立場に追い込まれていった。

石油ブームや石油バブルの崩壊も、アンゴラに壊滅的な影響をもたらした。経済が好調なときには、首都ルアンダの空に林立していたクレーン群は、バブルの崩壊とともに未完成の巨大なコンクリートの残骸だけを残した。好景気時に行った巨額の借り入れは、不景気時には負債の山を築き、問題をさらに深刻化させた。

イギリスの場合、金融バブルとその崩壊はタイミングも異なり、さまざまな要因で引き起こされたが、石油バブルとその崩壊は、ラチェット効果を生む。好景気時には優勢な産業が他の経済部門にダメージを与えるが、バブル崩壊時にダメージを受けた部門が簡単に再興できるはずもない。また、晴れているときには傘を差し出し、雨が降れば傘を取り上げることでつとに有名な銀行家が、かえって問題を深刻にしている。好況時には信用供与の蛇口を最大限に開き、貸出を増やすことで効果を倍増させるが、物事が萎縮し始めると、速やかに回収を強行し、不景気をより悪化させてしまう。

フランスのような「普通」の経済構造の国の場合には、富は幅広い産業、例えば工場や建設現場、銀行、漁業、ケータリングなどさまざまな分野で働く人々によって生み出されている。一方、政府は、警察や道路、学校、法の支配、下水等を整備し、それらの財政的支援を行う役割を担っている。そのため、政府は、選挙民および産業界と話し合い、彼らから税金を徴収せねばならず、その話し合いを通じて検証可能で健全な説明義務、相互責任が育まれている。

しかし、アフリカ諸国のように政治家集団の上層部にオイル・マネーが勢いよく流れ落ちてくる場合、政府は市民と協議や交渉を行う必要すらなくなる。オイル・マネーは権力の抑制と均衡、さらに行政構造までも破壊し、政権の座に居座る者は、原始の政治のやり方に先祖返りする。すなわち、自分で富の分配を行い、また自分への忠誠と引き換えに取り巻き連中に富を手にする許可を与えるのだ。そして、もし市民が不満を口にしようものなら、オイル・マネーは民兵的な警察を使って取り締まりを行う(そのこともあってか、石油依存経済の国々は往々にして独裁的である)。

アンゴラのような石油中心の経済構造を持つ国を川にたとえて描くならば、石油のもたらした富(財宝)を満載した小型船団が滑るように川下に向かっている。途中には関所が設けられ、通過する船から通行料を徴収している。しかし、通行料の徴収の大部分は川上で行われ、川下に下るにつれて川の流れはより多くの細かな支流に分岐し、配分される富は極端に少なくなる。ほとんどの人々は川下の先の扇状地に住んでおり、配分可能な富はほとんど残っていない。

イギリスでもこれと同じようなことが起きている。イギリスはアンゴラと比べても、より多様な経済構造を有しているので、末端の現場でも十分な富が生み出されている。しかし、それと同時に川上にも、ほとばしるほどの富が流れ込んでいるのだ。その富は地中のパイプラインから吸い上げられるのではなく、その大部分が他の産業分野から吸い上げられるよう、金融セクターによって設計されたものなのである。

この金融セクターによる川上からの富の流入は、イギリスを独裁国家に変貌させるまでにはまだ至っていないが(しかし、経済規模の小さなタックスヘイブンでは、その経済の金融への依存度の高さゆえに独裁に近い状態になっているのも否定できない事実である)、現実に起きていることは、金融分野がしばしば他の経済分野と利害が衝突し、敵対した場合にはつねに金融分野が勝利していることだ。

前記の経済構造は、アンゴラおよびイギリスの非石油産業分野の経済に似たようなダメージを与えている。英産業の斜陽はアンゴラほど悲惨ではないものの、将来への警鐘として大きな示唆を与えてくれている。それは、支配的産業への過剰な富の集中は、他の産業分野の成長を抑制し、破壊しかねないというものだ。国に流れ込む過剰なカネの大河は、長期的には経済の発展を阻害し、国そのものを多方面から頽廃させる可能性が極めて高い。

1970年代から始まった英製造業の衰退が、他国を凌ぐ速さで起きたことと、英金融セクターの資産がGDPの10倍以上に膨らみ、比較可能な西側諸国の間でも、その経済規模に占める金融資産の割合が群を抜いて増加していたことは偶然ではない。

また、偶然の一致とは言えないもう1つの要素が、ロンドンのシティに毎週何兆ドルものカネが流入し、レストランや劇場に入り浸る華やかな実業家たちがいる一方、イギリス全体としてみると、他の同等諸国と比較しても何ら恵まれているとはいえず、見方によってはむしろ劣っているかもしれないという点だ。イギリスの一人当たりのGDPは、北欧の同等国よりも低く、貧富の差はより大きく、医療、福祉の総合的な満足度も劣っているのである。

通常ならば、巨大な金融セクターから市場の他の分野に対して投資を期待するところだが、現在までのところ、真逆の現象が生じている。1世紀ほど前までは、銀行融資の8割は実体経済を担う企業への融資であったが、今では主に銀行間貸借や住宅と商業不動産分野に流れ、イギリスの銀行貸し出しのうち、金融セクター以外のビジネスに回るのは1割強にすぎない。すなわち、イギリスにおける非金融分野への投資は、イタリアの水準すら下回り、G7各国の中でも最低水準だ。この傾向は長期的なもので、1997年以来、OECD諸国―それもメキシコ、チリ、トルコを含む上位34ヶ国のうち最下位で推移している。

多くのイギリス人は、「競争力」を有すると考えられている低税率、金融中心の経済に誇りを持っている。しかし、一人当たりの所得水準では、イギリスの経済規模は北欧のどの国のそれよりも小さく、さらには高税率のフランスと比較しても25%以上生産性が低い。ロンドン以外の場所では生産性はさらに低く、この状態はかなり長期にわたって続いている。

難しい政治課題への対処から逃避し、不景気の埋め合わせをするために、歴代政権は金融緩和策などを掲げ、結果として1960年代以降には、潜在的な経済規模の3倍の速度で銀行の資産が膨らむことを容認した。しかし、この資産のほとんどは金融セクター内で循環しているだけで、本来それを必要とする人々に、そして実体経済には回らず、完全に乖離した形で存在してしまった。金融化の時代の変化は、通常のビジネスや市井の人々とは無関係のところで起こったものなのだ。

ここで先ほどと同じ質問が頭をもたげてくる。より大きな疑問として、これらは「一体何のためなのか?」ということだ。

イギリスの著名な金融コメンテーター、ジョン・ケイは、この問題提起とともに彼自身の分析を次のように述べている。

「限られた数人が互いにカネを交換し合っても、常識で考えれば、このカネの総額は大して変わらないことは自明であろう。しかし、もしその中のごく限られた人が極端に多額の利益を上げるならば、その利益は同サークル内の他のメンバーの犠牲の上に得られたものでしかない」

しかし、金融の呪いの分析によれば、ケイの推論よりも結果はさらに酷いものになる。実は、この過剰な金融セクターの中を渦巻くように循環するカネは、私たちすべてを貧困化させているようなのだ。イギリスでは「シティは金の卵を産むガチョウ」といわれている。しかし、金融の呪いの観点からは、シティの違った側面が暴露される。それは、他の産業を締め出す、鳥にたとえるなら托卵することで知られるカッコウだというのだ。