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菊池
@kikuchi_8
俗に言う「KK」の問題は、明治以来の国際秘密力の対日工作の大本命の一つ「皇室基督教化」の中で生じた事象と分析する。それは周辺状況を見れば明らかだと思う。
内親王と「KK」が出会ったのがICU(ロックフェラー系の基督教系大学。ロック4世も留学)、
「KK」が通う「フォーダム大学」はイエズス会系、
「KK」の後援者と噂される華僑系弁護士はロヨラ大学出身(イエズス会創設者イグナチウス・デ・ロヨラの名を冠する大学)、
秋篠宮家と三菱(≒ロックフェラー)の関係→「KK」は三菱UFJ銀行出身、
「誹謗中傷」という言葉でメディアの論調を一変させた宮内庁の初代長官はクェーカー教徒・田島道治など。
あの奇怪な親子は単独ではないと見ている。諸々の「お膳立て」が出来過ぎている。400万の借金を返せないのに「フォーダム大学」に通う資金はどこから出たのか?素朴な疑問である。秋篠宮家・それ以外など諸説あるようだが、基督教人脈や三菱→ロックフェラーの関係を考えると、あまり差はないと思う。
明治以後の欧化主義的史観では「孝明天皇」と言えば「頑迷固陋な攘夷論者」扱いをされるのが常だが、今の皇室及びその周辺の有様を見れば、孝明天皇の攘夷論に理があったのは明らかだと思われる。だから排除されたのであろう。明治天皇以後の歴代天皇は英国のガーター騎士団員である。国史は壊された。
「KK」が通うイエズス会系フォーダム大学から名誉博士号を授与されたのが、カトリック教徒の田中耕太郎である。田中はカトリック系の家庭からの入内に関わった。また、マッカーサーは時の皇太子の家庭教師にクェーカー教徒のヴァイニング夫人を付けた。同じく東宮御教育係の小泉信三は英国聖公会信者。
東宮侍従の濱尾実は熱心なカトリック信者でバチカンの枢機卿だった濱尾文郎の兄。同じく侍従の入江相政もカトリック信者だったと記憶する。皇室周辺の基督教濃度は普通の日本国民の比ではない。明らかに意図的な配置としか思えない。国際秘密力が最も重視する対日工作の一つなのは明らかと言えよう。
宮内庁が「誹謗中傷」の語を使っただけでメディアが「礼賛」論調一色になったのが気持ちが悪い。「讒謗律」のみならず「不敬罪」も容易に復活可能だと示している。明治以前には不敬罪など存在しなかった。愚管抄や日本外史など史書には天皇批判があるし、諸々のスキャンダルめいた史話も伝わっている。
「諸々のスキャンダルめいた史話」とは、例えば、崇徳天皇が父とされる鳥羽上皇の実の子ではなく白河上皇の子であり、鳥羽上皇が崇徳天皇を「叔父子」と呼んでいた話などである。上記の逸話は「古事談」という書物に載っている。こういった話は「誹謗中傷」として焚書される事もなく今に伝わっている。
「天皇教」とも呼ばれる天皇を絶対神化して一切の批判を許さないという教義と体制は伊藤博文らが基督教を模倣して作った。急速に西洋化を図るに際し西洋社会の根底にある基督教をモデルとする宗教を作ろうとした。この「天皇教」と平田派国学を元にした「国家神道」が明治政府のイデオロギーとなった。
俗に言う「KK」問題には、英国のガーター騎士団・四囲を取り巻く基督教人脈(カトリック・クェーカー・聖公会)・英国王室との親密さ・英国貴族仕込みの英語やライフスタイル・ICU入学等々一般の日本国民と比較にならない程の皇室及びその周辺の西洋化が背景にあると見る。これが深層と本質であろう。
裏権力派閥で言うと、英国系フリーメイソンとバチカンによる共同の工作と見られる。その目的とは「天皇を囲い込み傀儡とする事」。基督教化はその為の手段の一つである。英国系フリーメイソンの対日戦略の根本がここにあると分析する。宣教師がキリシタン大名を傀儡化した手口と基本的に同じである。
戦国時代にイエズス会は大名をキリシタン化したが、時の正親町天皇は「でうす払い」の綸旨を出し宣教師を京都から追放した。秀吉の伴天連追放令が出る20年以上前の事である。この時は天皇のキリシタン化に失敗した訳である。結局、追放令や禁教令によってキリシタン大名も消え、野望は潰えるに至った。
国際秘密力はこの時の失敗を「反省」し日本への復讐を果たす為に徹底的に「玉」に照準を合わせる戦略を採用したのだと推測する。実際、明治以後は皇室周辺や上流階級ほどカトリック教徒が多い。天皇さえ押さえたら日本人全体のキリシタン化も可能と踏んだのだろう。その為の道具が「天皇教」だと見る。
戦略的順序としては「➀天皇を傀儡化する→②天皇絶対の天皇教を作る→➂天皇教という道具によって日本人全体を支配する」となると思う。全てが有機的に連関している。イエズス会は一部の大名をキリシタン化させる事で国土の一部を占拠した。これを日本全体でやるには天皇を押さえるのが不可欠となる。
一方、反天皇の立場を取る裏権力派閥は仏蘭西系フリーメイソン=大東社系、在野のプロテスタント系諸派(カトリックとの両建)、格は下がるが朝鮮半島系新興宗教などである。大東社系左翼はコミュニスト系とアナキスト系に分かれるが、反天皇という点では一致する。プロテ系は一部が皇室に接近した。
大東社系はソビエトのコミンテルンが1932年に出した「32年テーゼ」にて当時の日本の体制を「絶対主義」と規定し、これを河上肇が「天皇制」という語で訳した。つまり伊藤博文らが作った「天皇教」を「天皇制」という語で初めて概念規定した訳である。ここに「天皇教」と対の「反天皇教」が成立する。
ちなみに河上肇は長州藩の支藩とみなされる岩国藩出身である。奇しくも「天皇教」を作った伊藤博文と「天皇制」という訳語を作った河上肇が同じ長州系。このように「天皇教」と「反天皇教」は英国系フリーメイソンと仏蘭西系フリーメイソンの両建を反映しており左右両建構造の深層構造でもあると見る。
ちなみに昭和天皇を狙撃した難波大助や226事件の指導者・磯部浅一も長州系である。「天皇教」と「反天皇教」は右手と左手。これは英国系石屋と仏蘭西系石屋の戦略方針の反映だと分析する。つまり、天皇を傀儡とするメーソン的な王政国家とするか、メーソン的な大棟梁(大統領)制国家とするかの違い。
今の左右両建構造はここに根本がある。政治的意識に目覚めた大半の日本人はいずれかの陣営に囲い込まれる。英国系フリーメイソンの系統か仏蘭西系フリーメイソンの系統か。細かく分けると様々な思想派閥があるが、大抵はこの両陣営に収まる。例えば日本だとカトリック系は前者とプロテ系は後者と近い。
カトリック系が親天皇なのに対しプロテスタント系は基本的に反天皇だが、一部は親天皇である。例えば、マッカーサーが設立に関わったICUは誰もが知るように皇族との関係が深い。英国聖公会はカトリックから分かれたものだが、教義や儀式はプロテスタントよりカトリックに近い要素を残すとも言われる。
実際に英国聖公会はカトリックと同様に皇室に近い。小泉信三は英国聖公会信者だった。ちなみに景教渡来説と日猶同祖論で有名な佐伯好郎は聖公会信者でビクトリア女王の侍女だったゴルドン夫人に賛同していた。これは日英同盟下での思想活動である事を考えると、英国系石屋の戦略に沿うものとみられる。
日英同盟を推進したのは英国系フリーメイソンの林董だった。明治天皇がガーター騎士団に入ったのは日英同盟締結後である。この辺は全て英国系フリーメイソンの仕掛けという事が推察される。そして、こうした状況下で流布され出したのが日猶同祖論であり景教渡来説であったのである。全て連関している。
「天皇制」という言葉の元になったコミンテルンの「32年テーゼ」は、「日本は絶対君主制なのでプロレタリア革命ではなく、まずはブルジョワ民主主義革命を起こせ」と二段階革命を指示する日本共産党への指令書である。まさに大東社系戦略の典型を示しているが、中国とは違って主流とはならなかった。
近代以降の日本と中国の両建構造がここにある。英国系フリーメイソンの影響下にある日本と仏蘭西系フリーメイソンの影響下にある中国の両建構造である。ソ連は英国系石屋の縄張りの日本では赤化革命を起こせないと見て、日本共産党から中国共産党に重点を移したようだ。これが今の日中両建に繋がる。
そういえば、日本共産党の宮本顕治や野坂参三も長州系である。やはり「天皇教」と「反天皇教」は長州系の人脈によって作られたようだ。近代日本で主流になったのは前者だったが、野党的勢力として後者も影響力は持っている。これが与野党両建構造に通じると見る。両陣営共に世界連邦運動に関りが深い。
伊藤博文らが大日本帝国憲法と並行して基督教をモデルに作った「天皇教」と、ソ連コミンテルンの「テーゼ」に基く「天皇制」という概念の創出。これで近代日本の左右両建構造の思想的な対立軸が決定された。近代以前の日本人が知らなかったものである。奇しくも両方に長州系人脈が関与したという事実。
「長州系人脈」とはあくまで明治から続く近代日本の権力者の人脈の事であって、一般の山口県民の事ではない。そこをはき違えると、日本国内で日本人間の地域差別と分断を生む可能性があるので一言をしておきたい。天皇の失政批判も出る講孟箚記を見るに吉田松陰と弟子共にも乖離があるように感じる。
山県有朋の山城屋和助事件など長州閥は異常に金に汚いのが特徴である。木戸孝允が欧米視察から帰国後に真っ先にやったのは長州閥の汚職のもみ消しであった。吉田松陰の著書を見ると真面目一筋の人格が感じられるが、弟子との乖離を感じざるを得ない。長州閥の真の「師匠」は英国系裏権力派閥だろう。
「長州閥の真の「師匠」は英国系裏権力派閥」というのは比喩でも誇張でもない。伊藤俊輔や井上聞多ら5人の長州藩士がトーマス・グラバーの斡旋で英国に秘密留学した。彼らは「長州ファイブ」と呼ばれる。近代日本はプロシャの制度を模倣したが、根本的に英国系フリーメイソンの影響下に取り込まれた。
明治体制を礼賛する似非保守系政治屋が、金に汚いのは、長州閥の体質を受け継いでいると言える。アベは「吉田松陰先生」と常に言っているが、松陰はおそらく平気で嘘をついたり金銭に不潔な連中を潔癖なまでに毛嫌いするタイプだと思う。不肖の弟子共の末路を見ずに済んだのは幸いだったと言うべきか。
話は変わる。ゴルドン夫人は1921年に"the meeting between the Japanese and British crown princes signified the long-awaited reunion of Judah and Israel"(日英の皇太子の会談は待望されていたユダとイスラエルの再開を意味する)と述べた由。要するに日猶同祖論である。
ゴルドン夫人が「ユダとイスラエルの再開」と言ったのは昭和天皇が皇太子時代に英国訪問し英国の皇太子と会談した事を指すと思われる。この発言は日猶同祖論と英猶同祖論が前提。日猶同祖論の前に英猶同祖論があった。これで日猶同祖論が如何なる背景で唱えられたかが分かる。英国の対日取り込み策。
この文面ではいずれが「ユダ部族」で「イスラエル部族」の設定なのかが明らかでないが、とにかくゴルドンは英国王室と日本皇室は共に「古代猶太の末裔」であり、両国皇太子の会談を「待望の再会」としているのは確かである。聖公会信者の佐伯好郎が日猶同祖論を唱えた背景もこれで透けて見えるだろう。
エリザベス・ゴルドンは景教渡来説や仏基一元論を唱えた事で有名だが、日猶同祖論者でもあった事が先述の発言で分かる。ビクトリア女王の侍女だった人物なので、只の物好きの好事家ではないだろう。親英派の代表的政治家で早稲田大学の創設者でもある大隈重信と親しく、講演等を行っていたようである。
田布施の大室近祐なる人物の発言を元に「天皇すり替え」説を提唱した鹿島昇も日猶同祖論者で皇室と猶太の関係について論じている。鹿島の後継者の松重何某という郷土史家は元共産党員・日韓親善協会の幹部で日韓トンネル構想を主張。統一協会系の鮮猶同祖論もある。同祖論繋がりは芋ずる式な所がある。
「すり替え説」は事実と捉えて論じている陰謀追及者は少なくないが、これを主唱した面子には韓国系の影がどうしてもちらつく。「日本と韓国をトンネルで繋げよう」という主張は、どう見ても統一系の主張と被る。論と人は別とは言え、背後関係の胡散臭さを見ると仮説の一つと受け取った方が無難と思う。
前述の郷土史家の著書のプロフィールには「ライオンズクラブ会員」ともある。ライオンズクラブはロータリークラブと並びフリーメイソンの系列組織だと言われている。日猶同祖論は英国系フリーメイソン人脈が広めたのは明白。同祖論や「偽史」人脈を辿ると結局はそこに行きついてしまう。佐伯好郎然り。
太田龍の「天皇破壊史」では主に鹿島説を元に論じているが、何故か大本教関係の資料も引用している。太田氏は「大本教の宣伝色が強い」としつつ内容はほぼ肯定している。孝明天皇は弑逆された可能性が高いと見るが、様々な勢力の思惑が絡み色々な「説」が唱えられるという魑魅魍魎の有様となっている。
オカルト業界や偽史界隈は「魑魅魍魎」や「妖怪」が蠢く「百鬼夜行」の観がある。様々な思惑から様々な「説」が唱えられる。それぞれが怪しい魅力を放っており、魅了される者も多い。元締めを辿ると全て英国系石屋に行き着くと見る。分析力や耐性が無い者が下手に関わると正気を失う危険な世界である。
日猶同祖論を実際に広めたのは大本教関係者だと思われる。「維新の志士が全員集合している」とされた「フルベッキ写真」の流布にも大本人脈が関与したようだ。英国系石屋が元締めで、大本系人脈が日本国内での流布元の可能性が高いと見ている。そこに韓国の旧統一協会系人脈が関わるという奇怪な構図。
当スレッドで正確性を期する為に若干修正や補足を要する箇所があるので、書いておく事にする。初代宮内庁長官の田島道治は「クェーカー教徒」と書いたが、クェーカー教徒の新渡戸稲造と無教会主義の内村鑑三の弟子である。田島がクェーカー教徒と書く資料もあるが、無教会主義の基督教徒とも言われる。
田島道治自身がクェーカー教徒なのか無教会主義基督教徒なのか今一つ判然としないが、いずれにしろ基督教徒である事は確かで新渡戸門下である以上はクェーカー人脈に位置付ける事が可能だと考える。新渡戸門下の田島の同門にはクェーカー教徒の前田多門やIPR(太平洋問題調査会)の鶴見祐輔らがいる。
もう一点。「『天皇制』は河上肇の訳語」という事について。これは正確には、コミンテルンが日本共産党に与えた「32年テーゼ」の河上肇による邦訳を元にして村田陽一というコミュニスト系の翻訳家が「絶対君主制」を「天皇制」と改めたという経緯のようである。よって「河上・村田訳」が正確である。
「天皇制」という言葉が史上初めて公に使われたのは、コミンテルン極東局のゲオルギー・サファロフらが作成した「31年政治テーゼ草案」とされる。これを日本語訳したのが河上や村田なのかは分からない。だが、少なくとも「天皇制」という言葉を作ったのがコミンテルンと共産党人脈なのは確かなようだ。
クェーカー人脈とコミンテルン人脈は接点がある。それがIPR太平洋問題調査会である。今だとCSISなどに相当する。IPRは基本的に日米の基督教人脈が運営しており、ロックフェラー系の機関と思われる。戦前にはIPRにはソ連系の赤化主義者も参加し、日中闘争や米国の対日感情悪化を策していたと言われる。
戦後宮中に浸透し宮内庁を押さえたクェーカー人脈と「天皇制打倒」を掲げるコミンテルン人脈が共にIPRに関係していた事にも両建が表れている。大陸で反日工作に従事した米国の宣教師も多かった。日中を衝突させて共倒れに導き、大陸の共産化と日本の軍事占領までがIPR人脈が描いた軍略だったと見る。
大日本帝国憲法で言う「万世一系」という近代日本の造語を有史以来に遡らせる事とソ連の造語である「天皇制」という用語を明治以前の歴史にまで遡及させる事は丁度コインの裏表だと言える。近代主義によって日本の歴史を断ずる事。左右両建の思想的な基本枠組はこれである。この枠組から微動もしない。
先述の32年テーゼの骨子は「日本の体制は絶対君主制+地主制+独占資本によって構成されている。日本で共産主義革命を起こすのは時期尚早である。まずはブルジョワ民主主義革命を起こせ。」というものである。これは「日本資本主義発達史講座」の認識とも一致し、後に「講座派」と呼ばれるようになる。
講座派は日本共産党と密接な関係があり、そのイデオロギーの根本が「32年テーゼ」である。これが日本(特に戦後)の大東社系左翼の思想に決定的な影響を与えた。講座派は1950年代まで歴史学会で圧倒的な影響力を持っていたとされる。実際には現在の大東社系左翼の思想・教義もこの枠内にあると言える。
講座派と対立するのが労農派である。講座派が先述の二段階革命論に立脚するのに対し、労農派は一気にプロレタリア革命を起こすという一段階革命論である。現今の大東社系左翼陣営の中で「天皇制打倒」に比重を置くタイプは講座派的で、「資本主義打倒」に比重を置くタイプは労農派的と言う事が出来る。
陰謀追及界では左翼の歴史(思想史・理論史を含む)はあまり言及されない傾向がある。似非保守界の安手の「コミンテルン史観」(コミンテルンの背後から目を逸らす)への抵抗が強いせいでもあろう。だが、大東社系勢力は裏権力派閥の重要な一角なので、ここを分析せねば「最後のピース」が埋まらない。
日本共産党が掲げる「民主連合政府」という構想は32年テーゼの基本的な発想を継承していると言える。一気に共産革命を起こすのではなく、まずは民主的と称する連合政権を樹立するという。明治政府を礼賛する日本会議系勢力も、そんな明治の「絶対君主制→天皇制」打倒を掲げた共産党も世界連邦の一角。