・「どうするんですかね?」眞子さま“駆け落ち婚”で秋篠宮家の教育に疑問の声《悠仁さま15歳でも帝王教育が始まらない》(文藝春秋 2021年9月6日)
※宮内庁では“駆け落ち婚”に投げやりな声も
「秋篠宮家の長女・眞子さまの“駆け落ち婚”が報じられ、宮内庁職員の間では『どうするんですかね?』といった、やや投げやりな感想も聞こえます。そんな中、弟君の悠仁さまが9月6日で15歳になられました。
江戸時代までなら成人式に当たる元服を終えられていてもおかしくはないご年齢です。来年4月には高校生になられます。にもかかわらず、将来の天皇としての『帝王教育』がまだ本格化していないことを、危惧する声が宮内庁OBの間などから上がり始めているようです」
宮内庁関係者はこう語る。
当初、悠仁さまの「帝王学」は先例にならって中学ご進学を契機に始められるものと一部ではみられていた。2019年4月にはお茶の水女子大学附属中学校に進学されたが、秋篠宮さまは特別な教育係は置かない方針とみられ、ご夫妻で悠仁さまのご教育を担われているのが現状だ。
「大正天皇の教育係は、2004年に逝去された高松宮妃喜久子さまの祖父・有栖川宮威仁(たけひと)親王が担いました。威仁親王は皇族として初めて帝国海軍の軍人となった人物で明治天皇の信頼も厚く、伊藤博文の推薦で1898(明治31)年に東宮賓友、翌年には東宮輔導となり、病弱だった大正天皇の健康回復と帝王教育に当たりました。また、1914(大正3)年には学習院初等学科を卒業した昭和天皇のために、東京・高輪に東宮御学問所が設けられました。
御学問所は明治天皇の勅命で学習院の院長を務めた陸軍大将・乃木希典の建言をもとに『帝王学』の専門機関として作られたものです。ここで昭和天皇の帝王教育が本格化したことは、よく知られています。御学問所では歴史、地理、数学、国漢文、仏語などの担当に当代一流の学者が選ばれ、歴代天皇の事蹟と並んで最も重要な倫理の担当には学徳兼備の教育者・杉浦重剛が選任されています」(同前)
ただし、上皇陛下には帝王学の専門機関は設けられなかった。その背景には、やはり敗戦の影響があった。
超国家主義的な思想教育を危惧したマッカーサー
「実は上皇陛下にも当初、東宮御学問所が1942(昭和17)年に開設される計画がありました。しかし、戦争が激化したことから延期となり、宮内省(現・宮内庁)は上皇陛下が学習院中等科に進学される1946年度に御学問所を設けて帝王教育を開始するとともに、中等科で一般授業も受けられるという方針を決め、中等科の教授ら授業の担当者を皇后宮職御用掛とする人事を発令しました。
終戦直前の1945年8月10日に東宮職が設置されると、野村行一学習院高等科長が御学問所教育主任への就任含みで東宮職御用掛に任命され、授業の担当者も皆、東宮職御用掛に転任しました。その計画が終戦で全て中止となったのは、超国家主義的な思想教育が行われることを危惧した連合国最高司令官のダグラス・マッカーサーの強い意向があったからだったとされています」(同前)
慶應義塾の塾長・小泉信三が説いた「帝王学」
これ以降、将来の天皇の帝王教育は専門機関ではなく、学習院に通いながら外部から学識経験者を招いて行われるようになったという経緯がある。
「学習院中等科に進学された上皇陛下には、慶應義塾の塾長・小泉信三が1946年に東宮御学問参与(後に東宮御教育常時参与)となり、『ジョージ五世伝』や『帝室論』などを講義して帝王学を説きました。天皇陛下の場合も学習院で一般的な教育を受けられながら、著名な学者らから歴代天皇の事蹟などについて学ばれました。学習院中等科進学を控えた時期には、漢学の権威だった宇野哲人東京大学名誉教授から論語を学ばれています。
秋篠宮さまは「私自身はその立場ではありません」
また、中学3年の時には王朝和歌の権威だった国文学者の橋本不美男氏から『徒然草』の写本の講義を受けられました。天皇陛下は2010年2月の誕生日会見で『歴代天皇のご事蹟を学ぶ中で、第95代の花園天皇が、当時の皇太子、後の光厳(こうごん)天皇にあてて書き残した書に、まず徳を積むことの重要性を説き、そのためには学問をしなければいけないと説いておられることに感銘を受けた』と述べられています。まさに、帝王学の重要性を痛感されておられたからこそのご発言と言えるでしょう」(同前)
当時皇太子だった天皇陛下は2010年、50歳の誕生日に際しての会見で、「『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら。世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております」と発言されていた (宮内庁提供)
当時皇太子だった天皇陛下は2010年、50歳の誕生日に際しての会見で、「『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら。世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております」と発言されていた (宮内庁提供)
悠仁さまの帝王教育が進んでいない事実の背景には、悠仁さまが明治以降では初めて天皇・皇太子の長男ではなく宮家の長男であることがあると言えよう。皇位継承順位は皇嗣になられた秋篠宮さまに次ぐ第2位ではあるものの、あくまでも宮家の皇族という特殊事情が障壁となっている可能性があるのだ。
「秋篠宮ご夫妻は在位中の上皇陛下のご静養先で悠仁さまとともに合流し、悠仁さまに天皇のあり方を身近で学ばせようと努力されてきました。一方で秋篠宮さまは2014年11月の誕生日会見で『天皇のあり方について悠仁さまにどのように伝えていくか』と質問されると『私自身はその立場ではありません』と述べられています。
2014年の誕生日会見で秋篠宮は「天皇のあり方についてと、悠仁さまにどのように伝えていくか」という記者からの質問に、「天皇の在り方についてというのは、私が余り軽々しく言えるものではありません。もし私が言えるとするのであれば、これは今の天皇陛下が即位20年のときの会見で話されているのでしょうか。象徴としての天皇の在り方を常に考えながら今まで過ごしてきたという趣旨のことを話されていますけれど、恐らくそれは陛下も天皇に即位して、そういうことをずっと常に考えてこられたのだと思います。私がもし天皇の在り方についてということに答えるのであれば、やはり、象徴としての天皇というのは、いかなるものがふさわしいのかということを考える、そういうことにあるのではないかと思いますし、長男にどのように伝えるかということについては、やはり私自身はその立場ではありませんので、陛下が言われたことを長男に、そしてまた長女、次女にも伝えるということになります」と答えられていた (宮内庁提供)
2014年の誕生日会見で秋篠宮は「天皇のあり方についてと、悠仁さまにどのように伝えていくか」という記者からの質問に、「天皇の在り方についてというのは、私が余り軽々しく言えるものではありません。もし私が言えるとするのであれば、これは今の天皇陛下が即位20年のときの会見で話されているのでしょうか。象徴としての天皇の在り方を常に考えながら今まで過ごしてきたという趣旨のことを話されていますけれど、恐らくそれは陛下も天皇に即位して、そういうことをずっと常に考えてこられたのだと思います。私がもし天皇の在り方についてということに答えるのであれば、やはり、象徴としての天皇というのは、いかなるものがふさわしいのかということを考える、そういうことにあるのではないかと思いますし、長男にどのように伝えるかということについては、やはり私自身はその立場ではありませんので、陛下が言われたことを長男に、そしてまた長女、次女にも伝えるということになります」と答えられていた (宮内庁提供)
「やはり特別な教育係を置いた帝王教育を」
これは、帝王教育をご夫妻だけで担うことには限界があることを示唆されたとも受け取れるものです。やはり特別な教育係を置いて腰を据えた帝王教育を、一刻も早く始めるべきなのではないでしょうか」(同前)
明治期以降、天皇は学習院で学ぶ一方、学識経験者らを教育係に据え、帝王教育を行ってきた。しかし、秋篠宮ご夫妻は悠仁さまを学習院には進ませず、大学の学長経験者など専門の教育係も置かれてはいない。
年内結婚を抱える長女の眞子さま、公より私を優先させているとの批判の声もある次女の佳子さまに起因して、秋篠宮家のご教育方針には疑問の声もある中、悠仁さまの帝王学については軌道修正が必要な時期が来ているのではないだろうか。
・来年高校進学の悠仁さま 学習院は消え、農大一高、筑附が有力か(NEWSポストセブン 2021年8月28日)
※9月11日に55才のお誕生日を迎えられる秋篠宮妃紀子さま。紀子さまにとって眞子さまの結婚問題が大きな悩みであろうことは誰の目にも明らかだが、もうひとつの悠仁さまの進学問題も重要だ。9月6日に15才の誕生日を迎える悠仁さまは現在、お茶の水女子大学附属中学校の3年生で、高校は女子校となるため、来年の進学先に注目が集まる。
悠仁さまは、どんな学び舎を選ばれるのか。「将来の天皇」としての素地を作るため、「高校から学習院に進学するのでは」(皇室関係者)という声も根強いが、ある学習院関係者はそれを否定する。
「学習院と秋篠宮ご一家との関係は良好とはいえません。実は、秋篠宮ご夫妻は10年も前からOBの集まりに参加されていません。招待状を出してもなしのつぶてなので、最近はご案内を差し上げることもなくなったと聞きます」
そこで浮上した候補が、東京農業大学第一高校、通称「農大一高」だ。
「秋篠宮さまは10年以上、東京農大の客員教授を務められています。過去に秋篠宮さまと文化祭に行かれたこともあり、生物に興味を持たれる悠仁さまにとってはまさにうってつけ。悠仁さまはご自身の考えをはっきり主張される性格ですから、悠仁さま自身が決断される可能性は充分にあります」(皇室ジャーナリスト)
だが、「紀子さまの本命」は東大へも多くの合格者を出す名門の国立「筑波大学附属高校」だとする声もある。筑波大学は2017年4月にお茶の水大学との間に、両校附属校の生徒の若干名が進学のタイミングで“交換入学”できる「提携校進学制度」を設置した。設置時期は、悠仁さまが中学校選びを本格化された時期と重なる。
「当時、“悠仁さまが筑附中に入るため、紀子さまが主導して設置された制度ではないか”との声が上がりました。眞子さまのご結婚問題で秋篠宮家への視線が厳しくなり、結果的に筑附中への進学はなくなりましたが、紀子さまが高校進学のタイミングで筑附への進学を検討されていてもおかしくはありません」(前出・皇室ジャーナリスト)
ご一家への向かい風が強まるいま、学習院以外ならばどの学校を選んでも、“立場を利用した”などと「炎上」するかもしれない。そんな悠仁さまの進学先に紀子さまはどう向き合われているのか。
※女性セブン2021年9月9日号
・眞子さまはなぜ学習院大に進学されなかったのか? 秋篠宮さま時代からの“因縁”という声(デイリー新潮 2021年6月8日掲載)
※愛子さまお一方
様々な状況についてシミュレートを続ける宮内庁周辺からは、その苦労ゆえか「そもそも眞子さまはなぜ学習院大に進学されなかったのか?」という愚痴とも嘆きともとれるような疑問の声まで聞こえてきた。
すでに廃止されたが、皇族就学令というものが1926(大正15)年に発令されている。どうしても隔世の感は否めないが、その第2条には、「皇族男女ハ(中略)学習院又ハ女子学習院ニ於テ就学セシム」と明文化されている。上皇さまは初等科から大学まで、天皇陛下、秋篠宮さまは幼稚園から大学まで通われた学習院は名実ともに皇族の学校だった。
皇族の減少という現状はあるにせよ、差し当たって学習院にご在学の皇族方は、天皇皇后両陛下の長女、愛子さまお一方となっている。
秋篠宮家では、眞子さまが幼稚園から女子高等科を卒業して学習院大には進まずICUへ、佳子さまも同じく幼稚園から女子高等科を経て学習院大に入学したが退学してICUへ。そして悠仁さまは少なくとも高校までは学習院で学ばれたお二方と違って、お茶の水女子大付属幼稚園に入園され、現在は同付属中の3年生だ。
他の宮家を見てみると、高円宮妃久子さまの長女、承子(つぐこ)さまは学習院女子大を中退し、早稲田大を卒業された。三女の絢子(あやこ)さまも城西国際大、同大学院を修了された。
すれ違い
秋篠宮家のお三方の“選択”について、宮内庁担当記者によると、
「眞子さまが学習院に進まれなかったのは、最初から専門分野を絞りたくないというお気持ちがあったというのは聞いたことがあります。当時、学習院には学部が4つしかなく(2016年4月、52年ぶりに国際社会科学部が新設された)、ニーズに応えられなかったとの評価もあるようです」
佳子さまの場合は、
「眞子さまと似たような印象ですが、“特に広く教養科目や英語を学びたい”という動機でICUを選ばれたようです。佳子さまは学習院女子高時代に別の大学を受験されており、その時点で学習院大への関心は薄れていたと見てよいでしょう。学習院はというと、在籍されていた文学部教育学科をご入学と同時に作ったんですが、これもニーズに応えられずという風に捉えられていますね」
そして、悠仁さまの場合は、
「秋篠宮ご夫妻が3年保育を希望されたというのは大きいようです。学習院幼稚園では3年保育は行っていません。ちなみに、黒田清子(さやこ)さんは学習院幼稚園入園前の1年間を、柿の木坂幼稚園で過ごしており、悠仁さまが例外というわけではありません」
その一方で、別の担当記者に聞くと、また違った相貌が見えてくる。
「宮内庁の人と“眞子さまはどうして学習院大に進まれなかったのか?”という話になったことがあります。“眞子さまがICUに行かなければ小室さんと出会わなかったとは言わないけれど、その確率は相当下がっていただろう”とも言っていました。それはともかく、取材をしてみたところ、秋篠宮家さまの学習院への思いというのか、すれ違いというのが見えてきました」
他の大学を希望され
具体的には、
「学習院にいる人間が“(秋篠宮さまには)一度も同窓会にいらしてもらえない”と話していたことがあるようです。逆に秋篠宮さまご自身も、学習院でご苦労をされたという思いがあり、良い印象を持たれていないと聞きました。そもそも大学については、学習院ではなく他の大学を希望されていました。しかし、父上である上皇さまの反対でその道を諦められ、学習院に進学されたということです」
学習院との距離はその後も埋まらず、眞子さま、佳子さま、悠仁さまの進路を見るにつけ、今に受け継がれているようにも映る。
・佳子さま「とても残念」発言の波紋…皇室にも“ジェンダー平等”必要?(女性自身 2021年10月21日)
※秋篠宮家の長女・眞子さまは10月26日、小室圭さんと結婚される。婚約内定から4年あまりでようやくゴールインとなるが、その直前に次女・佳子さまの発言にも注目が集まることとなった。
「今後、ジェンダー平等が達成され、誰もがより幅広い人生の選択肢を持てるようになることを、自らの可能性を最大限生かす道を選べるようになることを、それがあたりまえの社会になることを切に願います」
10月10日、佳子さまは日本のガールスカウト活動100周年を記念する「国際ガールズメッセ」の式典にビデオメッセージを寄せられ、このように発言されたのだ。さらに今年3月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数」で日本が世界156カ国のうち120位だったことに「この現状はとても残念です」とも述べられた。
Twitter上ではジェンダー平等を訴えた佳子さまの発言に《素晴らしいとおもう》《佳子さまを支持します》といった称賛の声が上がった。
一方で《天皇制そのものがそうなっていないわけだから、これはかなり踏み込んだ発言》《皇室に対しても仰っているのか?》《男系が、そもそもジェンダー平等じゃないもんな》と、皇室の現状を踏まえた発言ではないかと推測するツイートもみられた。
現在の皇室典範では、天皇に即位できるのは男系男子のみ。ただ、共同通信社の世論調査(’20年4月)では、女性天皇容認への「賛成」「どちらかといえば賛成」は会わせて85%。女系天皇も79%が賛成の意向だった。
「まずは『男系男子』の規定をせめて『男系子女』、さらには『天皇の子女』に修正することから始めるべきでしょう。皇室のジェンダー平等という問題に触れずして日本のジェンダー平等をいくら訴えても、掛け声だけで先に進まないのではないでしょうか」
そう語るのは、静岡福祉大学名誉教授で近現代の皇室に詳しい小田部雄次さん。
「女子の天皇が実現するだけで、日本のジェンダー平等はかなり加速すると思います。言い方を変えれば、それを恐れている人たちが、女性天皇の実現を阻んでいるともいえます」(小田部さん)
■ヨーロッパ王室の多くは男女平等に
だが、佳子さまの発言にTwitter上では《皇室の崩壊を望んでおられるようにもみえる》といった反発の声もあり、皇室典範の改正へのハードルは高い。
女性王族への王位継承が認められるようになった欧州王室はどのように変わっていったのか。欧州の王室に詳しい関東学院大学教授の君塚直隆さんに聞いた。
「デンマーク王室でも以前は女子には継承権が認められていませんでした。フレデリック9世には娘しかいなかったため、その弟のクヌーズが継承することになっていたのですが、クヌーズ王弟妃の母親が戦時中にナチスに迎合した経緯などから国民の強い反発があり、王位継承の変更を求める国民の声が高まりました。ついには憲法改正の流れにまで発展し、1953年には女性にも継承権を認められ、今のマルグレーテ2世女王陛下が 1972 年から即位しています。
スウェーデンでも男子にのみ継承権が認められていましたが、1979年に憲法と王位継承法が改正され、男女を問わない絶対的長子相続制の流れを作りました。現在ヨーロッパの主要な君主制をとっている8カ国のうち、スペインだけがまだ男子優先ですが、ほかは長子優先の王位継承となっています」
デンマークの場合は、王族個人への評価が王位継承のルール変更につながったというのだ。
「日本の場合と比べて、欧州の王室は国民との距離が近いことから、国民が王室のあり方に真剣に向き合う傾向が強いです。王位の継承についても、国民の支持や厳しい目が大きく影響するのですが、男女平等という世界的な流れがあることもあり、いわゆる保守派から目立った大きな反発はありませんでした。
日本で女性の継承や長子優先に変える場合は憲法改正の必要はないため、必ずしも国民投票が必要というわけではありません。皇室典範の改正ですむからです。しかし、皇統の問題を先延ばしし続けている現状を動かすためには、国民投票を行うなど、思い切ったことをやる必要があるのかもしれません」(君塚さん)
眞子さまの結婚で皇室への注目度が高まっているなか実施される衆院選の結果も、皇室の未来を左右することになるかもしれない。
・スウェーデン「王位継承者の同性結婚可能と王立裁判所元帥」
https://kon-51.hatenablog.com/entry/2021/10/26/070000
※10月20日の新聞アフトンブラデットによれば、スウェーデンの王位継承者が同性との結婚も自由であると報じています。
スウェーデン王立裁判所の元帥であるフレドリック・ヴェルセル氏は、
継承命令は、王子もしくは王女が王位継承を維持する際に、結婚に対して政府の同意を得なければならないと規定しています。この部分の継承順序は古いものですが、現在では同性の人々の間で結婚することができます。
と語っています。
このヴェルセル氏の言葉の裏には、王位継承者が同性と結婚をすることが、王位継承を妨げるとは考えられないという意味があるようです。
そのため現在スウェーデンの王位継承順位2番目である9歳のエステル王女は、王位を失うことなく、性別を問わず好きな人と結婚することができるとあります。
オランダ:王位継承者の同性結婚可能
この王位継承者における同性結婚の議論はオランダで始まりました
オランダ国の法律では王族の同性結婚について除外していると指摘された本が出版されたことから始まります。
そのためスウェーデンの王位継承者の同性結婚の話となる1週間前、オランダの首相が次期王位継承者である17歳のカタリナ・アマリア王女の王位継承者の同性結婚に関する説明をしました。
オランダの首相は、
政府は、王位継承者でさえ同性の人と結婚できると考えています。したがって王位継承者または摂政が、同性の人と結婚したい場合に王位を退位する必要はありません。
と述べています。
スウェーデン裁判所の専門家であるサラ・エリクソン氏は、
今後さらに多くの国が続いていくだろう
とも語っています。
他のヨーロッパ諸国の状況
しかし他のヨーロッパでは状況が違うようです。
イギリスでは、2014年から同性結婚が合法となっていますが、同性カップルはイングランド国教会で結婚することは許可されていません。またイギリスの摂政はイングランド国教会の主教となるため、同性結婚についは長い議論となるとのことです。
ベルギーやスペインはカトリック国であるため同性結婚は禁止されており、君主が同性パートナーを選べるかどうかは議論大きな議論となると報じられています。
ただスウェーデンのエステル王女も9歳、オランダのカタリナ・アマリア王女も17歳であり、本人が同性結婚をしたいと発言したわけではありません。
近年ジェンダー平等などの話題が多くなる中、メディアが王位継承者の同性結婚を取り上げることで、ジェンダー問題の話を必要以上に大きくしているようにも感じてしまいます。
・眞子さまがICUではなく学習院大に通われていたなら…日本人の皇室観の揺らぎと密接に関係する問題(デイリー新潮 2021年10月25日)
※秋篠宮家の長女・眞子さま(30)と小室圭さん(30)は10月26日に入籍し、会見に臨む。
***
10月2日、地方紙と共同通信のニュースサイト「47NEWS」は「眞子さま結婚へ 皇族減少の対策急務だ」の記事を配信した。
内容は社説だ。眞子さまの降嫁により、更に皇族は1人減少してしまう。この状況を危機的なものと捉え、対策は急務だと訴えた内容になっている。
《眞子さまが皇籍を離れると未婚の女性皇族は5人に減り、公務の担い手不足は深刻さを増す》
《眞子さまの結婚で皇室は平成以降最少の17人となる。現行のままなら近い将来、秋篠宮家の長男悠仁さまと同年代の皇族が1人もいなくなる可能性がある》
担当記者が言う。
「皇族の減少が大問題なのは社説の通りです。多くの国民も危機感を共有しています。更に、今回の結婚を巡って識者は、皇室に対する崇敬の念が薄れる可能性を憂慮しています。皇族は少なくなる、国民の支持も低下するとなっては看過できません。お二人の結婚から、今後の皇室のあり方について様々な問題提起が行われました」
議論される「皇室の教育」
その1つに「眞子さまが学習院大学ではなく、国際基督教大学(ICU)に進学されたこと」がある。
この件については、皇族の教育に関わる問題ということもあり、全国紙やテレビなどの報道は慎重な姿勢を示している。
他方、雑誌や夕刊紙といったメディアの報道は活発だ。小室家の金銭トラブルを追及した実績も、大きく影響を与えているだろう。その中から一部のタイトルをご紹介する。
▽《眞子さまはICUで小室圭さんに出会い、悠仁さまも…》秋篠宮家「学習院嫌い」の教育は正しかったのか? (文春オンライン:3月13日 ※朝霞保人氏の署名記事)
▽眞子さまはなぜICUを選ばれたのか 宮内庁の後悔先に立たず(日刊ゲンダイDIGITAL:5月23日)
▽特権を享受しながら自由を主張 学習院OGが秋篠宮家に抱いた印象(デイリー新潮:9月23日 ※註1)
原点から違う両大学
眞子さまと小室さんは、ICUの同級生だった。もし眞子さまが学習院に進んでいれば、2人が出遭わなかった可能性は高い。
だが、メディアが問題提起しているのは、単純な“歴史のイフ”ではない。
「論点は眞子さまを巡る“公と私”の問題です。ICUは私立大学における最難関校の1つで、徹底した欧米流のリベラルアーツ教育で知られています。東京都三鷹市に広大なキャンパスを持ち、留学生や帰国子女も多いことから、『まるでアメリカの名門大学が日本に引っ越してきたようだ』とよく言われます」(同・記者)
ICUが非常に評価の高い大学であることは言うまでもない。だが、皇族が高等教育を受ける場となると、異論も出てくる。
「学習院の前身は1847(弘化4)年、京都御所に設立された学習所です。第12代将軍・徳川家慶(1793~1853)の治世でした。1884(明治17)年には宮内庁所轄の官立学校となり、敗戦まで皇族と華族の教育機関として機能してきました。ICUとは設立のきっかけも、その歴史も、大学としての社会的役割も、全く違います」(同・記者)
「個」の重視
ICUは戦後の1949年、日本とアメリカのキリスト教関係者が主導して誕生した。学生がキリスト教信者である必要はないとはいえ、欧米の宗教的な思想や文化がバックボーンになっているのは間違いない。
今回の結婚で眞子さまは、反対する国民の声に配慮されるより、「30歳までに結婚する」というご自身の考えを重視したと受け止められている。
そうした問題意識を持ってICUの公式サイトを閲覧してみると、欧米流の「個」を重視した記述に気づく。
《多彩な教育観がカリキュラムに反映され、構成員の各人が、文化的差異を超え、独立した人間としての人格的出会いを経験します》
《ICUでは人間の個としての発達、および社会における個人の権利という問題が献学以来重視されてきました》
「1946年、私立大学として再スタートした学習院大学の学長には、上皇さま(87)の教育係を務めたこともある旧制一高の元校長で哲学者の安倍能成(1883~1966)が就任しました。その際、大学の特色として『国際的知識の養成、外国語の練熟と共に世界と国内との生きた現実の理解、さらに進んでは文化国家としての日本の遠大な理想たる東西文化の融合』を掲げました。国際性を重視している点はICUと同じですが、立ち位置はあくまで《日本》であり、目標は《東西の融合》なのです」(同・記者)
今も残る伝統
各界で活躍しているICUの卒業生を見ると、やはり英語が流暢な“国際人”の印象が強い。
例えば、ソニーのシニアアドバイザーで前会長の平井一夫氏(60)とフリーキャスターのジョン・カビラ氏(62)は、共にICUのOBだ。
2人はアメリカンスクール・イン・ジャパンからの同級生でもあり、ICUを卒業後、共に新卒でCBS・ソニーに入社した。率直に言って、学習院大学のOBには少ないタイプだろう。
眞子さまの「公より私を優先する姿勢」は、ひょっとするとICUの自由闊達で欧米流の個人主義が横溢するキャンパスで育まれてしまったのではないか──これが各記事に共通する問題意識だ。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、2006年から15年まで学習院女子大学の非常勤講師を務めた。
「改めて申し上げますと、今の学習院は皇族や華族の教育機関ではありません。出願して入試に合格すれば、誰でも入学できます。ただ、私が勤務をスタートさせた時、関係者から『1868年の東京遷都から150年以上が経過しましたが、依然として京都には天皇家がお住まいになっておられた雰囲気が残っていると思います』と言われました。学習院は戦後、一般に開かれたとはいえ、かつての伝統はそう簡単には消えないというわけです」
お茶の水附属中学の不祥事
それから神田氏は「学習院の伝統」を様々な場面で感じ取ったというが、特に印象に残っているのは警備面だという。
「学習院大学も学習院女子大学も、キャンパスを歩くと『あそこなら私服の警察官が隠れやすいだろうな』という場所がいくつもありました。実際、不審者の情報共有などは徹底していました。皇族が通われたことで対応策が構築され、そのノウハウの積み重ねが、一般の学生を守るために活用されていました」
学習院大学は危機管理の意識が高い。この一言に尽きるだろう。前出の記者も指摘する。
「警察関係者に取材したことがあるのですが、学習院大学のキャンパスはSPの導線が確保されているなど、警備に配慮した設計になっているそうです。一方、19年5月、悠仁さま(15)が通われるお茶の水女子大附属中学校に男が侵入し、悠仁さまの机に刃物を置くという事件が発生しました。発生当初から『学習院なら起きない不祥事』と言われていました」
学校側が所轄の大塚警察署に通報したのは、事件発生から6時間以上が経過してからだった。この1点だけでも、危機意識の差はよく分かる。
絶妙な“さじ加減”
「今の学習院大学に皇族の方は通われておりません。しかし、上皇さまや天皇陛下が学ばれた記憶を持つ職員は健在ですし、そのことについては教授も学生に、ことあるごとに言及しています。伝統は簡単に消えないだけでなく、学習院の中で伝統を残していこうという意識も高いのです」(同・神田氏)
神田氏は記者として、学習院の初等科を取材した経験も持つ。その際、在学中の皇族への対応が強く印象に残ったという。
「皇族の方が登校されると、さりげない雰囲気ではあるのですが、校長や教頭がお出迎えに出るのです。普通の児童には、そのような“特別待遇”は行われませんでした。これ見よがしのVIP待遇ではないものの、全ての児童を平等に扱うわけでもないことが垣間見えました。そのさじ加減というのが絶妙で、『なるほどこれが伝統の力か』と感心したことがあります」
前出の記者も「生徒側の意識も違うと聞きました」と明かす。
「学習院は小学校から大学まで整備されています。皇族だけでなく、旧華族といった関係の深い家の子弟は、学習院で一貫教育を受けました。こうした伝統により、普通の生徒にもいわば“耐性”のようなものがあるというのです。具体的には、『変に意識せず放っておく』、『相手が浮かないよう自然体で接する』よう同級生が振る舞うそうです」
教育熱心が裏目!?
だが、秋篠宮家が学習院に対して否定的な見解を持っているとは、これまでに何度も報道されてきた。
佳子さま(26)に至っては、学習院大学を中退された。13年に学習院女子高等科から学習院大学文学部教育学科へ進学したにもかかわらず、翌年に中退。ICUに再入学した。
デイリー新潮の記事(※註2)でも、宮内庁の担当記者が背景を解説している。
《「学習院にいる人間が“(秋篠宮さまには)一度も同窓会にいらしてもらえない”と話していたことがあるようです。逆に秋篠宮さまご自身も、学習院でご苦労をされたという思いがあり、良い印象を持たれていないと聞きました。そもそも大学については、学習院ではなく他の大学を希望されていました。しかし、父上である上皇さまの反対でその道を諦められ、学習院に進学されたということです」》
神田氏も「結果論とはいえ、秋篠宮さまと紀子さまが非常に教育熱心だったことが裏目に出た。そう思っている国民も少なくないでしょう」と指摘する。
問われる“皇室観”
「大日本帝国憲法下で天皇陛下は、司法権、立法権、行政権という統治権を総攬(そうらん)すると位置づけられていました。当時の日本人は確固たる皇室観を持ち、“新しい皇室のあり方”が議論されたことなど一度もありません。皇族と華族は学習院に通うのが当たり前だったのです。ところが戦後、日本国憲法で新しい皇室がスタートしました。今では世論の多様化に伴い、“求められる皇室像”も国民によって大きく変わるようになりました」(同・神田氏)
眞子さまは学習院大学に進学せず、ICUを選んだ。どちらも優秀な大学であるのは間違いない。単純な選択の問題だと考える向きもあるだろう。だが神田氏によると、そこには“皇室観の揺らぎ”が垣間見えるという。
「戦後の皇室を巡る法整備は、混乱期ということもありスピードを重視したのは否定できません。敗戦から70年以上が経過し、皇室典範などが制度疲労を起こしているのは明白です。『眞子さまはICUではなく学習院大学に通うべきではなかったのか』という疑問は、『令和の時代にどんな皇室がふさわしいのか』、『皇室の方々の“自由”をどこまで認めるか』、『皇族の“公と私”の問題をどう折り合いをつけていただくか』という大テーマと、実は密接に関わっているのです」
註1:ライブドアニュースにおけるタイトル。デイリー新潮のタイトルは「『私とお姉ちゃんは生まれた時から皇室しか知らない』 佳子さまが紀子さまとの口論で漏らした不満」
註2:「眞子さまはなぜ学習院大に進学されなかったのか? 秋篠宮さま時代からの“因縁”という声」(2021年6月8日)
デイリー新潮取材班
2021年10月25日 掲載
・美智子さまは「今もキリスト教徒」 御所の地下に「秘密の礼拝所」
2021.03.02
https://imperatoria.info/archives/2901
※美智子さまはクリスチャン家庭に育ち、大学のキリスト教系の大学を卒業された。もちろん美智子さまも皇室に入られる前まではキリスト教徒であった。皇太子妃、皇后となられてから後に、どのような信仰をお持ちであったのか、度々議論になる。だが間近で見てきた者として、美智子さまは今も筋金入りのクリスチャンにしか見えないのである。その逸話を紹介したい。
美智子さまと信仰
美智子さまは昔も今もクリスチャンだ。それがこの記事で言いたい結論だ。結婚したというだけでそうそうに心まで改宗できるものでもない。今でもカラオケで歌うのはキリスト教の「聖歌」である。
買われるCDも、クラシックの宗教音楽が多い。お気に入りは、アヴェ・マリアであり、1年に5,6枚は買わているように記憶している。公務で能や雅楽を鑑賞される機会が多いが、それらのCDを購入されたことは私の知る限り一度もない。もちろん頼まずとも演奏家から能や雅楽のCDが送られてくるのだが、それらは開封されることなく地下倉庫行きとなる。
女官たちと合唱団を結成し、内内のパーティで讃美歌を披露されたこともある(1998年夏のこと、曲名は失念してしまった…)。皇室に入られてから、昭和天皇がご存命の間は、信仰を発露する術が限られていたので、女帝となってからその本領が発露されたように思う。思えば昭和の時代に「美智子さまのキリスト教信仰に昭和天皇が苦言を呈された」という報道が流れることがあり、その火消しに宮内庁は必死になったが、この必死さが逆に情報の真実性を力強く裏付けてしまったというのは皮肉でしかない。
ところで香淳皇后が亡くなられたとき、美智子さまはモーツァルトの「レクイエム」ディエス・イラ(怒りの日)を繰り返し掛けられていた。いろいろな想いがあったのであろう。(余談だが、美智子さまのお気に入りはカール・ベーム1971年録音版だ)
皇居は教会?
こんな逸話に欠かない美智子さまとキリスト教の関係。住まわれていた御所は、キリスト教の教会がイメージされていると噂されたが、「さもありない」というところだ。この御所の設計に美智子さまはあれこれ口を挟まれていた。
また、御所の中に礼拝室があったのではないかと噂が流れているが、実際そのような部屋がある。御所の西側は私室となっているが、そのなかでも北側の地下部分は完全プライベート区域となっており、年に一度女官が入れるかどうかというレベルだ。
だが、御代替わりに伴い御所(現、仙洞御所)から引っ越す必要が生じ、荷物の目録をつくるためにこのプライベート区域にも職員が入る必要が生じた。しかし、美智子さまはこれを執拗に拒んだ。その理由は簡単だ、ある一室の隅にキリスト教関連の書籍や十字架などが地下室に山と積み上げられ、さならがカテドラル(聖堂)のようになっていたのだ。
美智子さま曰く「独身時代に荷物をここに置いてままで、散らかってるの」だそうであるが果たして――。少なくとも私には秘密の礼拝室にしか見えなかった。
本地垂迹を熱心に勉強されていた美智子さま
私が美智子さまが未だキリスト教の信仰を捨てていないと確信する理由は、皇后となられてから「本地垂迹」(ほんじすいしゃく)の理論を大変熱心に勉強しており、ビックリするような発言をされていたからだ。
本地垂迹とは、「日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え」(Wikipediaより引用)のことである。
つまり「天照大御神=大日如来」なとど解釈することによって、神道と仏教が矛盾なく共存できるようにした理論だ。外来宗教である仏教が布教先の現地宗教と混淆するにあたって、7世紀ごろの宗教家たちが考え出したものとして知られる。このような考え方が広く浸透したので、日本では長らく神道と仏教が併存できたのである。
美智子さまはこの「本地垂迹」を、とある「ご進講」で知られるや、これに大変な興味を持たれたようだ。「ご進講」に呼ばれた講師は、その後、お茶会に招かれるのが通例である。そのお茶会の場で、美智子さまはその講師に「本地垂迹は現代でもあるのでしょうか? たとえば神道とキリスト教との融和はどのようになっていますか?」と聞かれた。その講師(有名な歴史学者)は「そのような試みもございます。宗教多元主義的な考えでございまして、宗教は様々に存在するがそれぞれの宗教が持つ意味は同じであるというような理解がございます」と。美智子さまはさらに「その場合、キリストと天皇の関係はどうなるのでしょうか?」と問われ、講師は「天皇はキリストであるという考え方もございます」と回答すると、美智子さまは大変満足げに「では、キリストに祈るということは、実は天皇に祈ることと同じなのですね」と総括された。この総括に歴史学者は「そのような考え方もございます」とだけ答えた。
キリストに祈ることは、天皇に祈ることだからOK理論
私はこのお茶会の会話を傍らで聞いていて冷や汗が出た。というのも、美智子さまのキリスト教好きを知っていたからだ。
その数か月後、美智子さまは御所内での内輪のパーティで聖歌を披露されると「讃美歌を捧げることは、日本の神々や天皇に祈ることと同じなのよ」と仰った。
それからというのもの美智子さまは堂々と人前で讃美歌を披露されるようになった。そのような美智子さまの姿を拝して、私は言い知れぬ不安がこみ上げ来たのを覚えている。
そして、私の危惧は現実のものとなった。
美智子さまは地下室にカテドラル(聖堂)をつくっておいでだったのだ。 美智子さまのキリスト教信仰は今もない続いていると確信している。
・美智子さま「ロザリオ事件」 宮内庁は受け取りを拒否するも…
https://imperialism.site/archives/24203
2021.03.07
※ある時、聖心女子大学の卒業生同窓会が、聖心女子関連の公務かなにかの折に来た美智子さまに、記念のロザリオを贈ったことがあった。だが皇室は神道を宗とするものであり、宮内庁から受け取りを丁重に断ったが…。
日本の歴を振り返ると、神道と仏教は(廃仏毀釈などを除けば)仲良く千年以上共存してきたが、キリスト教と神道・仏教が共存するようになったのは明治以降のことだ。それでも戦前の国家神道が強化された時代は、神道はキリスト教を友好的ではなかった。唯一神を想定するキリスト教は、天皇を頂点とする国家体制と合致しないためだ。
では、戦後になればキリスト教は、神道や仏教という日本の伝統宗教と同じ地位を獲得したのかと言えば、そうではない。
現天皇陛下が皇太子時代にお相手を探していたとき、そのお相手(皇太子妃)の宗教は「神道か仏教」という条件があった。クリスチャンの家系の場合、幼児洗礼は本人の意思とは別に受けさせられるので問題ないが、成人洗礼を受けていたり大人になってからも信仰心が強ければダメということになった。仏教の場合には「信仰心の強さ」など問題にされなかったが、キリスト教の場合はそれが問題になるとは変な話だ。
私は皇太子殿下のお相手探しが進んでいた時、同僚の一人からこの「お相手の宗教問題」を聞いた時、「美智子さまはクリスチャンだったというのに、どうしてキリスト教の妃を迎え入れることに消極的なのか?」と疑問にも思ったものだ。この疑問が解けたるまでに10年ほどの時間を要した。その答えは簡単だ、美智子さまは結婚した後もクリスチャンであり続けたため、宮内庁が様々な懸念をしていたのだ。
美智子さまのキリスト教信仰
別の記事において美智子さまが結婚後もキリスト教信仰を持ち続けていたことを述べた。日本では信仰の自由が認められているとはいえ、皇室は神道の中心核であり、かかる意味で、日本は「神道宗教国家」なのだ。仏教は多神教であるために、仏教徒が天皇という存在に敬意を払うことに抵抗感を覚えることは稀であるが、キリスト教の場合には一神教であるためイエス・キリストへの信仰と天皇への尊崇とを両立させることは難しいのである。
美智子さまもこの両立に苦労されたであろう。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、生来の信仰を結婚を契機に捨て去ることなど容易にできることではない。
事あるごとに聖歌を口にされ、自室に聖書を置き、地下に礼拝室をつくってしまわれたことは、美智子さまは結婚後も強いキリスト教信仰をお持ちであったことの証左であると私は考えている。このような美智子さまの影響の下、眞子さまと佳子さまはICU(国際基督教大学)に進学されたのではないだろうか?
秋篠宮家の資質を問う声が多く上がっているが、やや「キリスト教かぶれ」と思われる進学先選択は非常に問題的であると思う。
ロザリオ事件
美智子さまとキリスト教の結びつきは、時折、週刊誌などを賑わせているのでご存じの方も多いだろう。ここで「ロザリオ事件」という良く知られていない事件を紹介したい。
美智子さまが皇后となられたこともあり、聖心女子大学(カトリック系の大学)では同窓会活動が大変活発である。創立は1916年であり、歴史も古い。今では創立70周年80周年90周年100周年と節あるごとに大規模な同窓会が開かれ、美智子さまも当然誘われて出席される。
実はこの同窓会が開かれるキリスト教にちなんだ記念品が贈呈される。ある記念の折に同窓会事務局から美智子さまに「ロザリオ」が送られてきた。受け取った宮内庁は困惑してしまった。「ただでさえもクリスチャンと噂される美智子さまがロザリオを受け取ってよいものだろうか?」と。関係各位で協議した結果、「このロザリオは受け取れない」として同窓会に返却することになった。
これで終わればよいのだが、ここで終わらないのが美智子さまだ。
その数日後、美智子さまの友人が御所を訪れ、お茶会となった。何とその時、その友人が「これ…」と言って、受け取り拒否したはずのロザリオを美智子さまに渡していたのだ。ロザリオは緑の布で何重にもくるまれていたが、美智子さまはそれをそっと広げて中身を確認し「ありがとう」と笑顔で述べられて懐にしまわれた。
天皇家においては物品の授受は、基本的にすべて宮内庁を通さなければならないが、さすがにお茶会での個人間のやりとりまですべて監視しているわけではない。そのロザリオは、美智子さまが同窓会に返却したと信じたいが…。美智子さまの私室にあった、大量のキリスト教関連品は、このような形で持ち込まれたのかもしれない。
・眞子さん結婚会見で戦慄タネ明かし 文書公表&米留学を主導…ネットで「怖い」の声(東スポWeb 2021年10月26日)
※26日に小室圭さん(30)と結婚した秋篠宮家の長女・眞子さん(30)が同日午後、都内ホテルで記者会見を行った。2人がそろって公の場に姿を見せたのは、2017年9月の婚約内定会見以来。
2人は晴れやかな表情で着席。眞子さんは「圭さんはかけがえのない存在。結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きて行くために必要でした」と強調。圭さんも「眞子さんを愛しています。眞子さんと人生を歩みたいという思いを持ち続けられたのは支えてくれた人のおかげです」と永遠の愛を誓った。
しかし穏やかだったのはここまで。中盤からは、結婚に至るまでの報道に対する率直な心境を吐露した。
なかでも際立ったのは、圭さんへのバッシングに言及した際の言葉。眞子さんは「本日まで私が公に発言する機会は限られてきました。そのために生まれてしまった誤解もあったと思います。一部の方はご存じのように、婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした」と言い切った。
続けて「例えば、圭さんのお母さまの元婚約者の方への対応は私がお願いした方向で進めていただきました」と断言。
これは何かというと、今年4月に圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルに関して公表された通称「小室文書」は、眞子さんの意向が100%反映されたものであると認めたことを意味する。
これには皇室ライターも「文書公表後、宮内庁が眞子さんの“関与”を匂わせてはいましたが、それを本人がはっきりと認めるとは思いませんでした」と驚く。
さらに、眞子さんは圭さんの米フォーダム大留学についても「圭さんが将来計画していた留学を前倒しして海外に拠点を作って欲しいと私がお願いしました。留学に際して私は一切の援助はできませんでしたが、圭さんが厳しい状況の中、努力してくれたことをありがたく思っています」と告白。
その上で「圭さんのすることが独断で行われていると批判され『私の気持ちを考えていない』と一方的な憶測が流れるたびに、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、いわれのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚え、辛く悲しい思いをいたしました」と苦言を呈した。
ようは小室さんのこれまでの行動は眞子さんの進言によるもの。ネット上では祝福と同時に、表情ひとつ変えず“タネ明かし”する眞子さんに「怖い」「ホラー」といった声も寄せられている。
前出皇室ライターは「好きで好きでたまらない圭さんが集中砲火を食らう現在の状況に我慢ならなかったのだと思いますね」と指摘する。
記者会見は複雑性PTSDと診断された眞子さんの体調を考慮し、予定された記者との質疑応答は行われず、12分間足らずで終了した。
・「眞子内親王殿下のご結婚」 法的な位置づけは? 今後の身分や呼称どうなる?(YAHOO!ニュース 2021年10月23日)
山下晋司 皇室ジャーナリスト
※延期されていた眞子内親王殿下と小室圭氏の結婚が、10月26日の婚姻届の提出によって成就する。
2017年9月に婚約が内定し、11月には「翌年11月に結婚」と宮内庁の発表があったが、その後、小室家の金銭トラブルを週刊誌が報じたことから、18年2月に「結婚の延期」が発表された。
婚約内定から今日までの4年あまりの間、週刊誌やネットの世界では小室家への批判の嵐が吹き荒れ、眞子内親王殿下は複雑性PTSDと診断されるまでに至った。いまだ批判の声も上がる中での結婚となったが、改めて皇族女子の結婚の法的位置づけ等について述べておきたい。
■皇族女子の結婚には特別な規定がない
皇室に関しての法律は皇室典範が中心になるが、皇族男子の結婚については同法10条に「皇室会議の議を経ることを要する」との規定がある。皇室会議は三権の長や皇族代表など10名で構成され、皇室の重要事項を決定する機関である。一方、皇族女子の結婚については「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは皇族の身分を離れる」(同法12条)と規定されているだけで、皇室会議の議は必要ない。
法律に特別な規定がない場合は、天皇や皇族も一般国民と同じ法令が適用される。よって、眞子内親王殿下の結婚に関しては、秋篠宮殿下が昨年の記者会見で仰ったとおり、一般国民と同様に「婚姻は両性の合意のみに基いて成立」(憲法24条)が適用される。市区町村の役場に婚姻届を提出し、受理されれば、その段階で眞子内親王殿下は皇室を離れることになる。
■敬称について、皇室典範24条では
「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は陛下、それ以外の皇族の敬称は殿下」と規定されているため、皇族ではなくなる今後は、殿下ではなく、「さん」や「さま」といった一般的な敬称になる。併せて、内親王という皇族としてのお立場を表す称号も使えなくなる。
■結婚に伴う儀式
皇室の様々な儀式は明治以降、前例を参考にしながら整備されてきた。しかし、それらを規定した皇室令(天皇の命令)は、 1947年5月3日の新憲法施行に合わせて廃止された。それにより、皇族の身分や儀式等に関してはほとんどが法的根拠を失った。
ただ、当時の宮内府は、新憲法下で新たに決めたことは別として、法令に違反しない範囲でそれまで行われてきたことを踏襲するようにした。皇族女子の結婚に伴う儀式もそのひとつだ。具体的には以下のとおりである。
A)納采の儀(結納にあたる)
A)告期の儀(結婚の期日を告げる)
B)賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(天照大神などが祀られている宮中三殿で拝礼される)
B)朝見の儀(天皇皇后両陛下に謝恩の辞を申し上げる)
A)入第の儀(結婚式当日のお迎え)
ここで注意すべきことは、儀式は二つに分類されるということである。ひとつは「結婚に伴う儀式」(A)、もうひとつは「結婚による皇籍離脱に伴う儀式」(B)である。(A)はその家の当主が決め、(B)は天皇が決める。ただ、これらの儀式をすべて行わなくとも法的には問題ない。
今回、国民感情を踏まえて、これらの儀式をすべて行わないことになった。ただし、賢所、皇霊殿、神殿には儀式としてではなかったが拝礼された。また、「朝見の儀」という儀式ではないが、天皇皇后両陛下に私的に挨拶もされた。
■裁可も必須条件ではない
天皇の承認を意味する「裁可」という言葉を婚約内定時にはよく聞かれたが、この行為も結婚するための必須条件ではない。現に高円宮家の典子女王、絢子女王の結婚については天皇の裁可はなかった。旧皇室典範では皇族の結婚には天皇の勅許が必要となっていたが、現皇室典範ではこの規定もなくなった。ただ、皇室内部の私的な決め事として、天皇の直系の場合は天皇の裁可という手続きを踏むことにしたのである。よって、平成時代に天皇の直系ではなかった典子女王、絢子女王の時は裁可がなく、平成時代に婚約が内定した眞子内親王殿下は当時、天皇の直系の孫だったため、天皇の裁可を経た。
現時点で佳子内親王殿下は今上陛下の姪であり、直系ではないので、前例どおりだと結婚の際の裁可はない。ただ、皇太子と同等の皇嗣家の内親王なので、天皇の裁可を経る可能性もあるが、これは天皇家内部でお決めになればいいことで、何が正しいといえるものではない。
■一時金の算出について
今回、一時金にも注目が集まった。一時金とは「皇族であった者としての品位保持の資に充てるために、皇族が皇室典範の定めるところによりその身分を離れる際に支出」(皇室経済法6条)されるもので、非課税(所得税法9条1項)である。離脱する皇族の身位によってそれぞれ上限額が規定されており、支給額は皇室経済会議で決める。現在、内親王の上限額は1億5250万円、女王の場合はその7割の1億675万円である。
一時金は皇籍離脱に伴い支給されるもので、結婚以外の理由による離脱であっても支給される。結婚の祝い金ではない。戦後の現制度になって以降、一時金が支給されなかった例が一度だけある。1947年10月に51人の皇族が皇籍を離脱したが、その際に開かれた皇室経済会議で、軍籍にあった皇族には一時金を支給しないと決定した。これ以降、結婚以外の理由で皇籍を離脱した皇族はなく、一時金が支給されなかった例もない。
1947年5月3日以降で、結婚によって皇籍を離脱した皇族女子は8人いる。
昭和天皇の子ども(内親王)が3例
上皇陛下の子ども(内親王)が1例
大正天皇の孫(内親王)が2例
大正天皇のひ孫(女王)が2例
天皇の子どもも孫も内親王ではあるが、天皇との関係では一親等と二親等という違いがある。このことから、大正天皇の孫にあたる内親王の一時金を決める皇室経済会議で、1割ご遠慮いただくことにした。この前例によって、天皇の孫にあたる眞子内親王殿下の場合は1億5250万円の9割にあたる1億3725万円になるだろうと予想されていた。
ただし、眞子内親王殿下が一時金の受け取りを辞退されたことで、内閣総理大臣や衆議院議長など、立法府、行政府の代表8名で構成されている皇室経済会議を開催せずに一時金を支給しないことを宮内庁が決定した。この決定に至るまでの法解釈が正しいのかどうかは今後、国会で議論されるだろう。
■今後の渡米に向けて
眞子内親王殿下と小室圭氏は10月26日に婚姻届を提出し、その日の午後にお二人で記者会見に臨まれる予定だ。婚姻届をどこの市区町村に提出するのかはわからないが、前例どおり、皇嗣職職員が代理で提出すると思われる。
婚姻が成立すれば、宮内庁は天皇と皇族の戸籍にあたる皇統譜から眞子内親王殿下を除籍する。一方、役場では新しい戸籍を編製する。この二つは同時並行的に行われる。
新しい戸籍が編製されれば、小室眞子さんは戸籍謄本を交付してもらい、パスポート交付の申請をする。パスポートができると、米国大使館にビザの申請をする。米国のビザの種類は複雑だが、何らかのビザを取得された後、米国に渡る。順調に手続きが進めば11月の中旬には渡米できるだろう。
■法令と国民感情
以上、説明したことは法令や前例に基づいたものであり、国民感情はまた別の話である。
憲法で象徴天皇制度を定めているが、この制度が名実ともに成立するためには国民の支持が重要であり、天皇や皇族と国民との相互の信頼関係、敬愛関係は不可欠である。皇族は象徴ではないが天皇の一族である。国民との精神的な結びつきは天皇と一体で捉えるべきだろう。
眞子内親王殿下の結婚は私的なことであり、今回のような形であっても前述のとおり法的には問題はない。しかし、納得していない国民も一定数いることを皇室、宮内庁はどう捉えるのか。
また、結婚に限らず、天皇や皇族の公と私のバランスはどうあるべきなのか。我々国民もこの問題に真摯に向き合っていく必要がある。
・眞子さまは一般国民と同じではなく「準公人」 結婚後も品格保持に努めて(AERA dot. 2021年10月27日)
※小室圭さんと結婚して、皇籍を離脱する眞子さま。京都産業大学の名誉教授、所功さんは、結婚後も「品格保持に努めてほしい」と願っているという。
* * *
眞子さまと小室圭さんがご結婚されることはおめでたい、というほかありません。
ただ、心からお祝いを申し上げることには少し躊躇します。とはいえ、このご結婚が注目されることは、意味があると考えています。この機会に、眞子さまだけでなく、今後の皇室のあり方への本質的な見直しもできるからです。
眞子さまは宮家に生まれて育たれた、皇族身分の「純公人」として「品格保持」に努めてこられました。とくに大学卒業のころから多様な公務に尽くされてきたことには、感謝を申し上げたいと思います。
しかし、このたびのご結婚は、「朝見の儀」など古来の儀式を執り行われないとお聞きします。長い皇室の歴史のなかで続けられてきた儀式は、単に形式を表すだけでなく、その時々の節目を大切にして行われてきたのです。そこには形にこめた「こころ」があり、それを受け継ぐことが伝統だと思います。
かつて古代から中世まで伊勢の斎宮に「斎王」という聖女が朝廷から派遣されていました。斎王とは、皇室の祖神と伝えられる天照大神に仕え、国の平安を祈りながら日々を慎む未婚の皇族女子です。この斎王は、天皇が即位されると、占いで選ばれ、身を清めてから伊勢へ旅立ちました。
その際、皇居で最も重要な御殿の行われる「斎王発遣の儀」において、天皇が斎王の額髪に「別れの小櫛」を挿し、「京の方に赴きたまふな」と言い渡されたのです。
これは、斎王が伊勢へ赴任したら再び都へ戻らないで大神に奉仕する覚悟を固める「こころ」の儀式だとみられます。皇室から離れるには、それほどの心構えが必要なのです。
朝見の儀は、ご結婚を宮中三殿の神々に奉告して、天皇、皇后両陛下から祝福のお言葉を承る儀式であり、それによって結婚のもつ重い意義を心に刻むことになると思われます。
このたび眞子さまが一時金を辞退して結婚に突き進まれても、「公人」の皇族から一般の国民と同じ「私人」になるわけではありません。前皇族は皇籍から出ても「準公人」として「品位保持」に努められるように、一時金を出すことが「皇室経済法」に定められています。今回いろいろな配慮から、それを辞退されました。
しかし今後も「準公人」であることを自覚して品位の保持に努め、他の前皇族と同様に皇室とのお付き合いもできるようになられることを、一国民として切に願っております。
(本誌・鮎川哲也)
※26日より前に取材しました。敬称などは取材時のままです。
※週刊朝日 2021年11月5日号

・小室圭さん「まるで別人」とプロも絶賛!“自信満々”会見導いたアメリカ留学経験(女性自身 2021年10月27日)
※「私は眞子さんを愛しております」――。10月26日、小室さん夫妻の結婚報告会見で圭さんが最初に発したこの言葉。ストレートな告白が、大きな話題を呼んだ。
【写真あり】原稿を持つ左手薬指には指輪が
「婚約内定会見のときには、一生懸命話しているものの“自分本来の言葉ではない感”は否めない印象でした。それが今回の会見ではまるで別人かのような堂々とした話しぶりで、思わず感心してしまいましたね」
そう語るのは『話し方で損する人 得する人』や『超雑談力』などをはじめとして、話し方に関する著作を多く持つ、作家・心理カウンセラーの五百田達成氏。
帰国前には記者の直撃に一切応じなかったり、会見直前には質疑応答のとりやめが発表されたりしたがために、世間の会見への期待度はすこぶる低かった。ところがいざ蓋を開けてみると、“話し方”の専門家が太鼓判を押すほどの内容に。2人の話し方の特徴や、婚約内定会見時と比べて変化した点について、五百田氏に解説してもらった。
■主張が伝わる“I話法”
「眞子さん・圭さんともに、総じてとても素晴らしかったと思います。芸能人の結婚報告にしても、政治家の会見にしても、今回の2人をお手本にすべきなんじゃないかというほど非の打ち所がありませんでした。
完成度の鍵を握っていたのは、『I(=私)話法』だと考えています。たとえば眞子さんの『私にとって圭さんはかけがえのない存在です』の言葉もI話法。つまり主語を自らに置き、明確な主観として物事を語る話し方ですね。立場上からの配慮もあるかもしれませんが、2人ともこの話法を頻用していたのがとてもよかった。
『圭さんのすることが、独断で行われていると批判され、私の気持ちを考えていないといった一方的な憶測が流れるたびに、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、いわれのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えるとともに、辛く、悲しい思いをいたしました』。
眞子さんのこちらの発言も、『マスコミが誤った報道を流し、それを世間が鵜呑みにした』とだけ言ってしまうこともできるわけです。しかし、そうした言い方をしてしまうと、誰かを糾弾する印象になりかねません。さらに、偉そうで身勝手なイメージに繋がってしまうことすらあります。反対に、今回の眞子さんのようにあくまで自分ごととして話すことによって、表明したい事柄をしっかりと主張しつつも、相手や第三者に不快感を与えづらくなるんです。
同様に圭さんも、『この数年間、誤った情報があたかも事実であるように扱われ、誹謗中傷が続いたことにより、眞子さんが心身に不調をきたしたことを、とても悲しく思います』と、I話法を活用。非常に好感を持てました」
■小室圭さんの海外的な情熱
婚約内定会見との比較では、特に圭さんの成長ぶりに驚いたという氏だが、理由についてこう分析する。
「なにより、自信がみなぎっていることが窺えましたよね。4年前はまだまだ若者といった風情で、頼りがいを感じられなかったのですが……。やはり、論文で受けた評価や、アメリカの法律事務所への就職など、結果を出したことによって、得られた自信が大きいのでしょう。
同時に、渡米したこと自体による影響も計り知れないと思います。会見でも、『このたびはみなさまにご心配をおかけし~』などと前口上から始めるのではなく、『愛しております』と切り出せてしまえる。結論から述べる話し方はビジネス的にも好印象ですが、海外的な“情熱”をも感じさせました。
日本人的感覚からすれば歯の浮くようなセリフですが、きっぱり『私のいちばん言いたいことはこれだ』といった強い思いが伝わる、とても効果的な出だしです。アメリカでいい刺激を受けてきましたね。
くわえて、ガラリと変貌した“見た目”によって生み出される説得力もありました。言葉の意味内容そのもの以上に、ぱっと見によって受ける心象が大きくなってしまうのが人間の性。
4年前はスーツに着られてしまっていましたが、社会人らしい着慣れた感じが出ていましたし、おろしていた前髪も上げていました。顔立ちもどことなく精悍になり、大人の男性らしさを私は感じましたよ。
そのようなきちんと身だしなみを整えようとする姿勢も、眞子さんへの思いの強さをアピールするのに一役買ったと思われます」
質疑応答が中止となり、終始あらかじめ用意された原稿を読み上げるのみとなった今回の会見。そのスタイルのなかでも、評価できるポイントがあったという。
「ライブ感が失われるデメリットはあるでしょうが、それでもちゃんと要所要所、大切なポイントではきっちりと目線をカメラに2人とも向けていました。単純なことのようですが、それすらできない政治家が多い残念な実情もあります。
また、答えたくない・答える必要のないことはすべてシャットアウトするという明確な姿勢も、かえって意思がはっきり伝わってくるようでした。
婚約時と変わらなかったのは、2人の相思相愛ぶりくらいかと思うほど、見ちがえていましたね。もっとも肝要な愛し合う心はそのままに、改善すべきところは進化させて、4年越しの発表は大成功に終わったでしょう」
あまたの困難を乗り越えてようやく結ばれた眞子さんと小室さん。しかし「結婚はゴールではなくスタート」。今後2人の暮らしがどのようなものになっていくのか、世間の注目はこれからも続くことだろう。
【PROFILE】
五百田達成(いおたたつなり)
米国CCE, Inc.認定 GCDFキャリアカウンセラー。東京大学卒業後、角川書店、博報堂・博報堂生活総合研究所を経て「コミュニケーション心理」「社会変化と男女関係」「SNSと人づきあい」「ことばと伝え方」をテーマに執筆・講演。11月9日に『超話し方図鑑』を上梓する。
※宮内庁では“駆け落ち婚”に投げやりな声も
「秋篠宮家の長女・眞子さまの“駆け落ち婚”が報じられ、宮内庁職員の間では『どうするんですかね?』といった、やや投げやりな感想も聞こえます。そんな中、弟君の悠仁さまが9月6日で15歳になられました。
江戸時代までなら成人式に当たる元服を終えられていてもおかしくはないご年齢です。来年4月には高校生になられます。にもかかわらず、将来の天皇としての『帝王教育』がまだ本格化していないことを、危惧する声が宮内庁OBの間などから上がり始めているようです」
宮内庁関係者はこう語る。
当初、悠仁さまの「帝王学」は先例にならって中学ご進学を契機に始められるものと一部ではみられていた。2019年4月にはお茶の水女子大学附属中学校に進学されたが、秋篠宮さまは特別な教育係は置かない方針とみられ、ご夫妻で悠仁さまのご教育を担われているのが現状だ。
「大正天皇の教育係は、2004年に逝去された高松宮妃喜久子さまの祖父・有栖川宮威仁(たけひと)親王が担いました。威仁親王は皇族として初めて帝国海軍の軍人となった人物で明治天皇の信頼も厚く、伊藤博文の推薦で1898(明治31)年に東宮賓友、翌年には東宮輔導となり、病弱だった大正天皇の健康回復と帝王教育に当たりました。また、1914(大正3)年には学習院初等学科を卒業した昭和天皇のために、東京・高輪に東宮御学問所が設けられました。
御学問所は明治天皇の勅命で学習院の院長を務めた陸軍大将・乃木希典の建言をもとに『帝王学』の専門機関として作られたものです。ここで昭和天皇の帝王教育が本格化したことは、よく知られています。御学問所では歴史、地理、数学、国漢文、仏語などの担当に当代一流の学者が選ばれ、歴代天皇の事蹟と並んで最も重要な倫理の担当には学徳兼備の教育者・杉浦重剛が選任されています」(同前)
ただし、上皇陛下には帝王学の専門機関は設けられなかった。その背景には、やはり敗戦の影響があった。
超国家主義的な思想教育を危惧したマッカーサー
「実は上皇陛下にも当初、東宮御学問所が1942(昭和17)年に開設される計画がありました。しかし、戦争が激化したことから延期となり、宮内省(現・宮内庁)は上皇陛下が学習院中等科に進学される1946年度に御学問所を設けて帝王教育を開始するとともに、中等科で一般授業も受けられるという方針を決め、中等科の教授ら授業の担当者を皇后宮職御用掛とする人事を発令しました。
終戦直前の1945年8月10日に東宮職が設置されると、野村行一学習院高等科長が御学問所教育主任への就任含みで東宮職御用掛に任命され、授業の担当者も皆、東宮職御用掛に転任しました。その計画が終戦で全て中止となったのは、超国家主義的な思想教育が行われることを危惧した連合国最高司令官のダグラス・マッカーサーの強い意向があったからだったとされています」(同前)
慶應義塾の塾長・小泉信三が説いた「帝王学」
これ以降、将来の天皇の帝王教育は専門機関ではなく、学習院に通いながら外部から学識経験者を招いて行われるようになったという経緯がある。
「学習院中等科に進学された上皇陛下には、慶應義塾の塾長・小泉信三が1946年に東宮御学問参与(後に東宮御教育常時参与)となり、『ジョージ五世伝』や『帝室論』などを講義して帝王学を説きました。天皇陛下の場合も学習院で一般的な教育を受けられながら、著名な学者らから歴代天皇の事蹟などについて学ばれました。学習院中等科進学を控えた時期には、漢学の権威だった宇野哲人東京大学名誉教授から論語を学ばれています。
秋篠宮さまは「私自身はその立場ではありません」
また、中学3年の時には王朝和歌の権威だった国文学者の橋本不美男氏から『徒然草』の写本の講義を受けられました。天皇陛下は2010年2月の誕生日会見で『歴代天皇のご事蹟を学ぶ中で、第95代の花園天皇が、当時の皇太子、後の光厳(こうごん)天皇にあてて書き残した書に、まず徳を積むことの重要性を説き、そのためには学問をしなければいけないと説いておられることに感銘を受けた』と述べられています。まさに、帝王学の重要性を痛感されておられたからこそのご発言と言えるでしょう」(同前)
当時皇太子だった天皇陛下は2010年、50歳の誕生日に際しての会見で、「『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら。世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております」と発言されていた (宮内庁提供)
当時皇太子だった天皇陛下は2010年、50歳の誕生日に際しての会見で、「『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら。世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております」と発言されていた (宮内庁提供)
悠仁さまの帝王教育が進んでいない事実の背景には、悠仁さまが明治以降では初めて天皇・皇太子の長男ではなく宮家の長男であることがあると言えよう。皇位継承順位は皇嗣になられた秋篠宮さまに次ぐ第2位ではあるものの、あくまでも宮家の皇族という特殊事情が障壁となっている可能性があるのだ。
「秋篠宮ご夫妻は在位中の上皇陛下のご静養先で悠仁さまとともに合流し、悠仁さまに天皇のあり方を身近で学ばせようと努力されてきました。一方で秋篠宮さまは2014年11月の誕生日会見で『天皇のあり方について悠仁さまにどのように伝えていくか』と質問されると『私自身はその立場ではありません』と述べられています。
2014年の誕生日会見で秋篠宮は「天皇のあり方についてと、悠仁さまにどのように伝えていくか」という記者からの質問に、「天皇の在り方についてというのは、私が余り軽々しく言えるものではありません。もし私が言えるとするのであれば、これは今の天皇陛下が即位20年のときの会見で話されているのでしょうか。象徴としての天皇の在り方を常に考えながら今まで過ごしてきたという趣旨のことを話されていますけれど、恐らくそれは陛下も天皇に即位して、そういうことをずっと常に考えてこられたのだと思います。私がもし天皇の在り方についてということに答えるのであれば、やはり、象徴としての天皇というのは、いかなるものがふさわしいのかということを考える、そういうことにあるのではないかと思いますし、長男にどのように伝えるかということについては、やはり私自身はその立場ではありませんので、陛下が言われたことを長男に、そしてまた長女、次女にも伝えるということになります」と答えられていた (宮内庁提供)
2014年の誕生日会見で秋篠宮は「天皇のあり方についてと、悠仁さまにどのように伝えていくか」という記者からの質問に、「天皇の在り方についてというのは、私が余り軽々しく言えるものではありません。もし私が言えるとするのであれば、これは今の天皇陛下が即位20年のときの会見で話されているのでしょうか。象徴としての天皇の在り方を常に考えながら今まで過ごしてきたという趣旨のことを話されていますけれど、恐らくそれは陛下も天皇に即位して、そういうことをずっと常に考えてこられたのだと思います。私がもし天皇の在り方についてということに答えるのであれば、やはり、象徴としての天皇というのは、いかなるものがふさわしいのかということを考える、そういうことにあるのではないかと思いますし、長男にどのように伝えるかということについては、やはり私自身はその立場ではありませんので、陛下が言われたことを長男に、そしてまた長女、次女にも伝えるということになります」と答えられていた (宮内庁提供)
「やはり特別な教育係を置いた帝王教育を」
これは、帝王教育をご夫妻だけで担うことには限界があることを示唆されたとも受け取れるものです。やはり特別な教育係を置いて腰を据えた帝王教育を、一刻も早く始めるべきなのではないでしょうか」(同前)
明治期以降、天皇は学習院で学ぶ一方、学識経験者らを教育係に据え、帝王教育を行ってきた。しかし、秋篠宮ご夫妻は悠仁さまを学習院には進ませず、大学の学長経験者など専門の教育係も置かれてはいない。
年内結婚を抱える長女の眞子さま、公より私を優先させているとの批判の声もある次女の佳子さまに起因して、秋篠宮家のご教育方針には疑問の声もある中、悠仁さまの帝王学については軌道修正が必要な時期が来ているのではないだろうか。
・来年高校進学の悠仁さま 学習院は消え、農大一高、筑附が有力か(NEWSポストセブン 2021年8月28日)
※9月11日に55才のお誕生日を迎えられる秋篠宮妃紀子さま。紀子さまにとって眞子さまの結婚問題が大きな悩みであろうことは誰の目にも明らかだが、もうひとつの悠仁さまの進学問題も重要だ。9月6日に15才の誕生日を迎える悠仁さまは現在、お茶の水女子大学附属中学校の3年生で、高校は女子校となるため、来年の進学先に注目が集まる。
悠仁さまは、どんな学び舎を選ばれるのか。「将来の天皇」としての素地を作るため、「高校から学習院に進学するのでは」(皇室関係者)という声も根強いが、ある学習院関係者はそれを否定する。
「学習院と秋篠宮ご一家との関係は良好とはいえません。実は、秋篠宮ご夫妻は10年も前からOBの集まりに参加されていません。招待状を出してもなしのつぶてなので、最近はご案内を差し上げることもなくなったと聞きます」
そこで浮上した候補が、東京農業大学第一高校、通称「農大一高」だ。
「秋篠宮さまは10年以上、東京農大の客員教授を務められています。過去に秋篠宮さまと文化祭に行かれたこともあり、生物に興味を持たれる悠仁さまにとってはまさにうってつけ。悠仁さまはご自身の考えをはっきり主張される性格ですから、悠仁さま自身が決断される可能性は充分にあります」(皇室ジャーナリスト)
だが、「紀子さまの本命」は東大へも多くの合格者を出す名門の国立「筑波大学附属高校」だとする声もある。筑波大学は2017年4月にお茶の水大学との間に、両校附属校の生徒の若干名が進学のタイミングで“交換入学”できる「提携校進学制度」を設置した。設置時期は、悠仁さまが中学校選びを本格化された時期と重なる。
「当時、“悠仁さまが筑附中に入るため、紀子さまが主導して設置された制度ではないか”との声が上がりました。眞子さまのご結婚問題で秋篠宮家への視線が厳しくなり、結果的に筑附中への進学はなくなりましたが、紀子さまが高校進学のタイミングで筑附への進学を検討されていてもおかしくはありません」(前出・皇室ジャーナリスト)
ご一家への向かい風が強まるいま、学習院以外ならばどの学校を選んでも、“立場を利用した”などと「炎上」するかもしれない。そんな悠仁さまの進学先に紀子さまはどう向き合われているのか。
※女性セブン2021年9月9日号
・眞子さまはなぜ学習院大に進学されなかったのか? 秋篠宮さま時代からの“因縁”という声(デイリー新潮 2021年6月8日掲載)
※愛子さまお一方
様々な状況についてシミュレートを続ける宮内庁周辺からは、その苦労ゆえか「そもそも眞子さまはなぜ学習院大に進学されなかったのか?」という愚痴とも嘆きともとれるような疑問の声まで聞こえてきた。
すでに廃止されたが、皇族就学令というものが1926(大正15)年に発令されている。どうしても隔世の感は否めないが、その第2条には、「皇族男女ハ(中略)学習院又ハ女子学習院ニ於テ就学セシム」と明文化されている。上皇さまは初等科から大学まで、天皇陛下、秋篠宮さまは幼稚園から大学まで通われた学習院は名実ともに皇族の学校だった。
皇族の減少という現状はあるにせよ、差し当たって学習院にご在学の皇族方は、天皇皇后両陛下の長女、愛子さまお一方となっている。
秋篠宮家では、眞子さまが幼稚園から女子高等科を卒業して学習院大には進まずICUへ、佳子さまも同じく幼稚園から女子高等科を経て学習院大に入学したが退学してICUへ。そして悠仁さまは少なくとも高校までは学習院で学ばれたお二方と違って、お茶の水女子大付属幼稚園に入園され、現在は同付属中の3年生だ。
他の宮家を見てみると、高円宮妃久子さまの長女、承子(つぐこ)さまは学習院女子大を中退し、早稲田大を卒業された。三女の絢子(あやこ)さまも城西国際大、同大学院を修了された。
すれ違い
秋篠宮家のお三方の“選択”について、宮内庁担当記者によると、
「眞子さまが学習院に進まれなかったのは、最初から専門分野を絞りたくないというお気持ちがあったというのは聞いたことがあります。当時、学習院には学部が4つしかなく(2016年4月、52年ぶりに国際社会科学部が新設された)、ニーズに応えられなかったとの評価もあるようです」
佳子さまの場合は、
「眞子さまと似たような印象ですが、“特に広く教養科目や英語を学びたい”という動機でICUを選ばれたようです。佳子さまは学習院女子高時代に別の大学を受験されており、その時点で学習院大への関心は薄れていたと見てよいでしょう。学習院はというと、在籍されていた文学部教育学科をご入学と同時に作ったんですが、これもニーズに応えられずという風に捉えられていますね」
そして、悠仁さまの場合は、
「秋篠宮ご夫妻が3年保育を希望されたというのは大きいようです。学習院幼稚園では3年保育は行っていません。ちなみに、黒田清子(さやこ)さんは学習院幼稚園入園前の1年間を、柿の木坂幼稚園で過ごしており、悠仁さまが例外というわけではありません」
その一方で、別の担当記者に聞くと、また違った相貌が見えてくる。
「宮内庁の人と“眞子さまはどうして学習院大に進まれなかったのか?”という話になったことがあります。“眞子さまがICUに行かなければ小室さんと出会わなかったとは言わないけれど、その確率は相当下がっていただろう”とも言っていました。それはともかく、取材をしてみたところ、秋篠宮家さまの学習院への思いというのか、すれ違いというのが見えてきました」
他の大学を希望され
具体的には、
「学習院にいる人間が“(秋篠宮さまには)一度も同窓会にいらしてもらえない”と話していたことがあるようです。逆に秋篠宮さまご自身も、学習院でご苦労をされたという思いがあり、良い印象を持たれていないと聞きました。そもそも大学については、学習院ではなく他の大学を希望されていました。しかし、父上である上皇さまの反対でその道を諦められ、学習院に進学されたということです」
学習院との距離はその後も埋まらず、眞子さま、佳子さま、悠仁さまの進路を見るにつけ、今に受け継がれているようにも映る。
・佳子さま「とても残念」発言の波紋…皇室にも“ジェンダー平等”必要?(女性自身 2021年10月21日)
※秋篠宮家の長女・眞子さまは10月26日、小室圭さんと結婚される。婚約内定から4年あまりでようやくゴールインとなるが、その直前に次女・佳子さまの発言にも注目が集まることとなった。
「今後、ジェンダー平等が達成され、誰もがより幅広い人生の選択肢を持てるようになることを、自らの可能性を最大限生かす道を選べるようになることを、それがあたりまえの社会になることを切に願います」
10月10日、佳子さまは日本のガールスカウト活動100周年を記念する「国際ガールズメッセ」の式典にビデオメッセージを寄せられ、このように発言されたのだ。さらに今年3月に世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数」で日本が世界156カ国のうち120位だったことに「この現状はとても残念です」とも述べられた。
Twitter上ではジェンダー平等を訴えた佳子さまの発言に《素晴らしいとおもう》《佳子さまを支持します》といった称賛の声が上がった。
一方で《天皇制そのものがそうなっていないわけだから、これはかなり踏み込んだ発言》《皇室に対しても仰っているのか?》《男系が、そもそもジェンダー平等じゃないもんな》と、皇室の現状を踏まえた発言ではないかと推測するツイートもみられた。
現在の皇室典範では、天皇に即位できるのは男系男子のみ。ただ、共同通信社の世論調査(’20年4月)では、女性天皇容認への「賛成」「どちらかといえば賛成」は会わせて85%。女系天皇も79%が賛成の意向だった。
「まずは『男系男子』の規定をせめて『男系子女』、さらには『天皇の子女』に修正することから始めるべきでしょう。皇室のジェンダー平等という問題に触れずして日本のジェンダー平等をいくら訴えても、掛け声だけで先に進まないのではないでしょうか」
そう語るのは、静岡福祉大学名誉教授で近現代の皇室に詳しい小田部雄次さん。
「女子の天皇が実現するだけで、日本のジェンダー平等はかなり加速すると思います。言い方を変えれば、それを恐れている人たちが、女性天皇の実現を阻んでいるともいえます」(小田部さん)
■ヨーロッパ王室の多くは男女平等に
だが、佳子さまの発言にTwitter上では《皇室の崩壊を望んでおられるようにもみえる》といった反発の声もあり、皇室典範の改正へのハードルは高い。
女性王族への王位継承が認められるようになった欧州王室はどのように変わっていったのか。欧州の王室に詳しい関東学院大学教授の君塚直隆さんに聞いた。
「デンマーク王室でも以前は女子には継承権が認められていませんでした。フレデリック9世には娘しかいなかったため、その弟のクヌーズが継承することになっていたのですが、クヌーズ王弟妃の母親が戦時中にナチスに迎合した経緯などから国民の強い反発があり、王位継承の変更を求める国民の声が高まりました。ついには憲法改正の流れにまで発展し、1953年には女性にも継承権を認められ、今のマルグレーテ2世女王陛下が 1972 年から即位しています。
スウェーデンでも男子にのみ継承権が認められていましたが、1979年に憲法と王位継承法が改正され、男女を問わない絶対的長子相続制の流れを作りました。現在ヨーロッパの主要な君主制をとっている8カ国のうち、スペインだけがまだ男子優先ですが、ほかは長子優先の王位継承となっています」
デンマークの場合は、王族個人への評価が王位継承のルール変更につながったというのだ。
「日本の場合と比べて、欧州の王室は国民との距離が近いことから、国民が王室のあり方に真剣に向き合う傾向が強いです。王位の継承についても、国民の支持や厳しい目が大きく影響するのですが、男女平等という世界的な流れがあることもあり、いわゆる保守派から目立った大きな反発はありませんでした。
日本で女性の継承や長子優先に変える場合は憲法改正の必要はないため、必ずしも国民投票が必要というわけではありません。皇室典範の改正ですむからです。しかし、皇統の問題を先延ばしし続けている現状を動かすためには、国民投票を行うなど、思い切ったことをやる必要があるのかもしれません」(君塚さん)
眞子さまの結婚で皇室への注目度が高まっているなか実施される衆院選の結果も、皇室の未来を左右することになるかもしれない。
・スウェーデン「王位継承者の同性結婚可能と王立裁判所元帥」
https://kon-51.hatenablog.com/entry/2021/10/26/070000
※10月20日の新聞アフトンブラデットによれば、スウェーデンの王位継承者が同性との結婚も自由であると報じています。
スウェーデン王立裁判所の元帥であるフレドリック・ヴェルセル氏は、
継承命令は、王子もしくは王女が王位継承を維持する際に、結婚に対して政府の同意を得なければならないと規定しています。この部分の継承順序は古いものですが、現在では同性の人々の間で結婚することができます。
と語っています。
このヴェルセル氏の言葉の裏には、王位継承者が同性と結婚をすることが、王位継承を妨げるとは考えられないという意味があるようです。
そのため現在スウェーデンの王位継承順位2番目である9歳のエステル王女は、王位を失うことなく、性別を問わず好きな人と結婚することができるとあります。
オランダ:王位継承者の同性結婚可能
この王位継承者における同性結婚の議論はオランダで始まりました
オランダ国の法律では王族の同性結婚について除外していると指摘された本が出版されたことから始まります。
そのためスウェーデンの王位継承者の同性結婚の話となる1週間前、オランダの首相が次期王位継承者である17歳のカタリナ・アマリア王女の王位継承者の同性結婚に関する説明をしました。
オランダの首相は、
政府は、王位継承者でさえ同性の人と結婚できると考えています。したがって王位継承者または摂政が、同性の人と結婚したい場合に王位を退位する必要はありません。
と述べています。
スウェーデン裁判所の専門家であるサラ・エリクソン氏は、
今後さらに多くの国が続いていくだろう
とも語っています。
他のヨーロッパ諸国の状況
しかし他のヨーロッパでは状況が違うようです。
イギリスでは、2014年から同性結婚が合法となっていますが、同性カップルはイングランド国教会で結婚することは許可されていません。またイギリスの摂政はイングランド国教会の主教となるため、同性結婚についは長い議論となるとのことです。
ベルギーやスペインはカトリック国であるため同性結婚は禁止されており、君主が同性パートナーを選べるかどうかは議論大きな議論となると報じられています。
ただスウェーデンのエステル王女も9歳、オランダのカタリナ・アマリア王女も17歳であり、本人が同性結婚をしたいと発言したわけではありません。
近年ジェンダー平等などの話題が多くなる中、メディアが王位継承者の同性結婚を取り上げることで、ジェンダー問題の話を必要以上に大きくしているようにも感じてしまいます。
・眞子さまがICUではなく学習院大に通われていたなら…日本人の皇室観の揺らぎと密接に関係する問題(デイリー新潮 2021年10月25日)
※秋篠宮家の長女・眞子さま(30)と小室圭さん(30)は10月26日に入籍し、会見に臨む。
***
10月2日、地方紙と共同通信のニュースサイト「47NEWS」は「眞子さま結婚へ 皇族減少の対策急務だ」の記事を配信した。
内容は社説だ。眞子さまの降嫁により、更に皇族は1人減少してしまう。この状況を危機的なものと捉え、対策は急務だと訴えた内容になっている。
《眞子さまが皇籍を離れると未婚の女性皇族は5人に減り、公務の担い手不足は深刻さを増す》
《眞子さまの結婚で皇室は平成以降最少の17人となる。現行のままなら近い将来、秋篠宮家の長男悠仁さまと同年代の皇族が1人もいなくなる可能性がある》
担当記者が言う。
「皇族の減少が大問題なのは社説の通りです。多くの国民も危機感を共有しています。更に、今回の結婚を巡って識者は、皇室に対する崇敬の念が薄れる可能性を憂慮しています。皇族は少なくなる、国民の支持も低下するとなっては看過できません。お二人の結婚から、今後の皇室のあり方について様々な問題提起が行われました」
議論される「皇室の教育」
その1つに「眞子さまが学習院大学ではなく、国際基督教大学(ICU)に進学されたこと」がある。
この件については、皇族の教育に関わる問題ということもあり、全国紙やテレビなどの報道は慎重な姿勢を示している。
他方、雑誌や夕刊紙といったメディアの報道は活発だ。小室家の金銭トラブルを追及した実績も、大きく影響を与えているだろう。その中から一部のタイトルをご紹介する。
▽《眞子さまはICUで小室圭さんに出会い、悠仁さまも…》秋篠宮家「学習院嫌い」の教育は正しかったのか? (文春オンライン:3月13日 ※朝霞保人氏の署名記事)
▽眞子さまはなぜICUを選ばれたのか 宮内庁の後悔先に立たず(日刊ゲンダイDIGITAL:5月23日)
▽特権を享受しながら自由を主張 学習院OGが秋篠宮家に抱いた印象(デイリー新潮:9月23日 ※註1)
原点から違う両大学
眞子さまと小室さんは、ICUの同級生だった。もし眞子さまが学習院に進んでいれば、2人が出遭わなかった可能性は高い。
だが、メディアが問題提起しているのは、単純な“歴史のイフ”ではない。
「論点は眞子さまを巡る“公と私”の問題です。ICUは私立大学における最難関校の1つで、徹底した欧米流のリベラルアーツ教育で知られています。東京都三鷹市に広大なキャンパスを持ち、留学生や帰国子女も多いことから、『まるでアメリカの名門大学が日本に引っ越してきたようだ』とよく言われます」(同・記者)
ICUが非常に評価の高い大学であることは言うまでもない。だが、皇族が高等教育を受ける場となると、異論も出てくる。
「学習院の前身は1847(弘化4)年、京都御所に設立された学習所です。第12代将軍・徳川家慶(1793~1853)の治世でした。1884(明治17)年には宮内庁所轄の官立学校となり、敗戦まで皇族と華族の教育機関として機能してきました。ICUとは設立のきっかけも、その歴史も、大学としての社会的役割も、全く違います」(同・記者)
「個」の重視
ICUは戦後の1949年、日本とアメリカのキリスト教関係者が主導して誕生した。学生がキリスト教信者である必要はないとはいえ、欧米の宗教的な思想や文化がバックボーンになっているのは間違いない。
今回の結婚で眞子さまは、反対する国民の声に配慮されるより、「30歳までに結婚する」というご自身の考えを重視したと受け止められている。
そうした問題意識を持ってICUの公式サイトを閲覧してみると、欧米流の「個」を重視した記述に気づく。
《多彩な教育観がカリキュラムに反映され、構成員の各人が、文化的差異を超え、独立した人間としての人格的出会いを経験します》
《ICUでは人間の個としての発達、および社会における個人の権利という問題が献学以来重視されてきました》
「1946年、私立大学として再スタートした学習院大学の学長には、上皇さま(87)の教育係を務めたこともある旧制一高の元校長で哲学者の安倍能成(1883~1966)が就任しました。その際、大学の特色として『国際的知識の養成、外国語の練熟と共に世界と国内との生きた現実の理解、さらに進んでは文化国家としての日本の遠大な理想たる東西文化の融合』を掲げました。国際性を重視している点はICUと同じですが、立ち位置はあくまで《日本》であり、目標は《東西の融合》なのです」(同・記者)
今も残る伝統
各界で活躍しているICUの卒業生を見ると、やはり英語が流暢な“国際人”の印象が強い。
例えば、ソニーのシニアアドバイザーで前会長の平井一夫氏(60)とフリーキャスターのジョン・カビラ氏(62)は、共にICUのOBだ。
2人はアメリカンスクール・イン・ジャパンからの同級生でもあり、ICUを卒業後、共に新卒でCBS・ソニーに入社した。率直に言って、学習院大学のOBには少ないタイプだろう。
眞子さまの「公より私を優先する姿勢」は、ひょっとするとICUの自由闊達で欧米流の個人主義が横溢するキャンパスで育まれてしまったのではないか──これが各記事に共通する問題意識だ。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、2006年から15年まで学習院女子大学の非常勤講師を務めた。
「改めて申し上げますと、今の学習院は皇族や華族の教育機関ではありません。出願して入試に合格すれば、誰でも入学できます。ただ、私が勤務をスタートさせた時、関係者から『1868年の東京遷都から150年以上が経過しましたが、依然として京都には天皇家がお住まいになっておられた雰囲気が残っていると思います』と言われました。学習院は戦後、一般に開かれたとはいえ、かつての伝統はそう簡単には消えないというわけです」
お茶の水附属中学の不祥事
それから神田氏は「学習院の伝統」を様々な場面で感じ取ったというが、特に印象に残っているのは警備面だという。
「学習院大学も学習院女子大学も、キャンパスを歩くと『あそこなら私服の警察官が隠れやすいだろうな』という場所がいくつもありました。実際、不審者の情報共有などは徹底していました。皇族が通われたことで対応策が構築され、そのノウハウの積み重ねが、一般の学生を守るために活用されていました」
学習院大学は危機管理の意識が高い。この一言に尽きるだろう。前出の記者も指摘する。
「警察関係者に取材したことがあるのですが、学習院大学のキャンパスはSPの導線が確保されているなど、警備に配慮した設計になっているそうです。一方、19年5月、悠仁さま(15)が通われるお茶の水女子大附属中学校に男が侵入し、悠仁さまの机に刃物を置くという事件が発生しました。発生当初から『学習院なら起きない不祥事』と言われていました」
学校側が所轄の大塚警察署に通報したのは、事件発生から6時間以上が経過してからだった。この1点だけでも、危機意識の差はよく分かる。
絶妙な“さじ加減”
「今の学習院大学に皇族の方は通われておりません。しかし、上皇さまや天皇陛下が学ばれた記憶を持つ職員は健在ですし、そのことについては教授も学生に、ことあるごとに言及しています。伝統は簡単に消えないだけでなく、学習院の中で伝統を残していこうという意識も高いのです」(同・神田氏)
神田氏は記者として、学習院の初等科を取材した経験も持つ。その際、在学中の皇族への対応が強く印象に残ったという。
「皇族の方が登校されると、さりげない雰囲気ではあるのですが、校長や教頭がお出迎えに出るのです。普通の児童には、そのような“特別待遇”は行われませんでした。これ見よがしのVIP待遇ではないものの、全ての児童を平等に扱うわけでもないことが垣間見えました。そのさじ加減というのが絶妙で、『なるほどこれが伝統の力か』と感心したことがあります」
前出の記者も「生徒側の意識も違うと聞きました」と明かす。
「学習院は小学校から大学まで整備されています。皇族だけでなく、旧華族といった関係の深い家の子弟は、学習院で一貫教育を受けました。こうした伝統により、普通の生徒にもいわば“耐性”のようなものがあるというのです。具体的には、『変に意識せず放っておく』、『相手が浮かないよう自然体で接する』よう同級生が振る舞うそうです」
教育熱心が裏目!?
だが、秋篠宮家が学習院に対して否定的な見解を持っているとは、これまでに何度も報道されてきた。
佳子さま(26)に至っては、学習院大学を中退された。13年に学習院女子高等科から学習院大学文学部教育学科へ進学したにもかかわらず、翌年に中退。ICUに再入学した。
デイリー新潮の記事(※註2)でも、宮内庁の担当記者が背景を解説している。
《「学習院にいる人間が“(秋篠宮さまには)一度も同窓会にいらしてもらえない”と話していたことがあるようです。逆に秋篠宮さまご自身も、学習院でご苦労をされたという思いがあり、良い印象を持たれていないと聞きました。そもそも大学については、学習院ではなく他の大学を希望されていました。しかし、父上である上皇さまの反対でその道を諦められ、学習院に進学されたということです」》
神田氏も「結果論とはいえ、秋篠宮さまと紀子さまが非常に教育熱心だったことが裏目に出た。そう思っている国民も少なくないでしょう」と指摘する。
問われる“皇室観”
「大日本帝国憲法下で天皇陛下は、司法権、立法権、行政権という統治権を総攬(そうらん)すると位置づけられていました。当時の日本人は確固たる皇室観を持ち、“新しい皇室のあり方”が議論されたことなど一度もありません。皇族と華族は学習院に通うのが当たり前だったのです。ところが戦後、日本国憲法で新しい皇室がスタートしました。今では世論の多様化に伴い、“求められる皇室像”も国民によって大きく変わるようになりました」(同・神田氏)
眞子さまは学習院大学に進学せず、ICUを選んだ。どちらも優秀な大学であるのは間違いない。単純な選択の問題だと考える向きもあるだろう。だが神田氏によると、そこには“皇室観の揺らぎ”が垣間見えるという。
「戦後の皇室を巡る法整備は、混乱期ということもありスピードを重視したのは否定できません。敗戦から70年以上が経過し、皇室典範などが制度疲労を起こしているのは明白です。『眞子さまはICUではなく学習院大学に通うべきではなかったのか』という疑問は、『令和の時代にどんな皇室がふさわしいのか』、『皇室の方々の“自由”をどこまで認めるか』、『皇族の“公と私”の問題をどう折り合いをつけていただくか』という大テーマと、実は密接に関わっているのです」
註1:ライブドアニュースにおけるタイトル。デイリー新潮のタイトルは「『私とお姉ちゃんは生まれた時から皇室しか知らない』 佳子さまが紀子さまとの口論で漏らした不満」
註2:「眞子さまはなぜ学習院大に進学されなかったのか? 秋篠宮さま時代からの“因縁”という声」(2021年6月8日)
デイリー新潮取材班
2021年10月25日 掲載
・美智子さまは「今もキリスト教徒」 御所の地下に「秘密の礼拝所」
2021.03.02
https://imperatoria.info/archives/2901
※美智子さまはクリスチャン家庭に育ち、大学のキリスト教系の大学を卒業された。もちろん美智子さまも皇室に入られる前まではキリスト教徒であった。皇太子妃、皇后となられてから後に、どのような信仰をお持ちであったのか、度々議論になる。だが間近で見てきた者として、美智子さまは今も筋金入りのクリスチャンにしか見えないのである。その逸話を紹介したい。
美智子さまと信仰
美智子さまは昔も今もクリスチャンだ。それがこの記事で言いたい結論だ。結婚したというだけでそうそうに心まで改宗できるものでもない。今でもカラオケで歌うのはキリスト教の「聖歌」である。
買われるCDも、クラシックの宗教音楽が多い。お気に入りは、アヴェ・マリアであり、1年に5,6枚は買わているように記憶している。公務で能や雅楽を鑑賞される機会が多いが、それらのCDを購入されたことは私の知る限り一度もない。もちろん頼まずとも演奏家から能や雅楽のCDが送られてくるのだが、それらは開封されることなく地下倉庫行きとなる。
女官たちと合唱団を結成し、内内のパーティで讃美歌を披露されたこともある(1998年夏のこと、曲名は失念してしまった…)。皇室に入られてから、昭和天皇がご存命の間は、信仰を発露する術が限られていたので、女帝となってからその本領が発露されたように思う。思えば昭和の時代に「美智子さまのキリスト教信仰に昭和天皇が苦言を呈された」という報道が流れることがあり、その火消しに宮内庁は必死になったが、この必死さが逆に情報の真実性を力強く裏付けてしまったというのは皮肉でしかない。
ところで香淳皇后が亡くなられたとき、美智子さまはモーツァルトの「レクイエム」ディエス・イラ(怒りの日)を繰り返し掛けられていた。いろいろな想いがあったのであろう。(余談だが、美智子さまのお気に入りはカール・ベーム1971年録音版だ)
皇居は教会?
こんな逸話に欠かない美智子さまとキリスト教の関係。住まわれていた御所は、キリスト教の教会がイメージされていると噂されたが、「さもありない」というところだ。この御所の設計に美智子さまはあれこれ口を挟まれていた。
また、御所の中に礼拝室があったのではないかと噂が流れているが、実際そのような部屋がある。御所の西側は私室となっているが、そのなかでも北側の地下部分は完全プライベート区域となっており、年に一度女官が入れるかどうかというレベルだ。
だが、御代替わりに伴い御所(現、仙洞御所)から引っ越す必要が生じ、荷物の目録をつくるためにこのプライベート区域にも職員が入る必要が生じた。しかし、美智子さまはこれを執拗に拒んだ。その理由は簡単だ、ある一室の隅にキリスト教関連の書籍や十字架などが地下室に山と積み上げられ、さならがカテドラル(聖堂)のようになっていたのだ。
美智子さま曰く「独身時代に荷物をここに置いてままで、散らかってるの」だそうであるが果たして――。少なくとも私には秘密の礼拝室にしか見えなかった。
本地垂迹を熱心に勉強されていた美智子さま
私が美智子さまが未だキリスト教の信仰を捨てていないと確信する理由は、皇后となられてから「本地垂迹」(ほんじすいしゃく)の理論を大変熱心に勉強しており、ビックリするような発言をされていたからだ。
本地垂迹とは、「日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え」(Wikipediaより引用)のことである。
つまり「天照大御神=大日如来」なとど解釈することによって、神道と仏教が矛盾なく共存できるようにした理論だ。外来宗教である仏教が布教先の現地宗教と混淆するにあたって、7世紀ごろの宗教家たちが考え出したものとして知られる。このような考え方が広く浸透したので、日本では長らく神道と仏教が併存できたのである。
美智子さまはこの「本地垂迹」を、とある「ご進講」で知られるや、これに大変な興味を持たれたようだ。「ご進講」に呼ばれた講師は、その後、お茶会に招かれるのが通例である。そのお茶会の場で、美智子さまはその講師に「本地垂迹は現代でもあるのでしょうか? たとえば神道とキリスト教との融和はどのようになっていますか?」と聞かれた。その講師(有名な歴史学者)は「そのような試みもございます。宗教多元主義的な考えでございまして、宗教は様々に存在するがそれぞれの宗教が持つ意味は同じであるというような理解がございます」と。美智子さまはさらに「その場合、キリストと天皇の関係はどうなるのでしょうか?」と問われ、講師は「天皇はキリストであるという考え方もございます」と回答すると、美智子さまは大変満足げに「では、キリストに祈るということは、実は天皇に祈ることと同じなのですね」と総括された。この総括に歴史学者は「そのような考え方もございます」とだけ答えた。
キリストに祈ることは、天皇に祈ることだからOK理論
私はこのお茶会の会話を傍らで聞いていて冷や汗が出た。というのも、美智子さまのキリスト教好きを知っていたからだ。
その数か月後、美智子さまは御所内での内輪のパーティで聖歌を披露されると「讃美歌を捧げることは、日本の神々や天皇に祈ることと同じなのよ」と仰った。
それからというのもの美智子さまは堂々と人前で讃美歌を披露されるようになった。そのような美智子さまの姿を拝して、私は言い知れぬ不安がこみ上げ来たのを覚えている。
そして、私の危惧は現実のものとなった。
美智子さまは地下室にカテドラル(聖堂)をつくっておいでだったのだ。 美智子さまのキリスト教信仰は今もない続いていると確信している。
・美智子さま「ロザリオ事件」 宮内庁は受け取りを拒否するも…
https://imperialism.site/archives/24203
2021.03.07
※ある時、聖心女子大学の卒業生同窓会が、聖心女子関連の公務かなにかの折に来た美智子さまに、記念のロザリオを贈ったことがあった。だが皇室は神道を宗とするものであり、宮内庁から受け取りを丁重に断ったが…。
日本の歴を振り返ると、神道と仏教は(廃仏毀釈などを除けば)仲良く千年以上共存してきたが、キリスト教と神道・仏教が共存するようになったのは明治以降のことだ。それでも戦前の国家神道が強化された時代は、神道はキリスト教を友好的ではなかった。唯一神を想定するキリスト教は、天皇を頂点とする国家体制と合致しないためだ。
では、戦後になればキリスト教は、神道や仏教という日本の伝統宗教と同じ地位を獲得したのかと言えば、そうではない。
現天皇陛下が皇太子時代にお相手を探していたとき、そのお相手(皇太子妃)の宗教は「神道か仏教」という条件があった。クリスチャンの家系の場合、幼児洗礼は本人の意思とは別に受けさせられるので問題ないが、成人洗礼を受けていたり大人になってからも信仰心が強ければダメということになった。仏教の場合には「信仰心の強さ」など問題にされなかったが、キリスト教の場合はそれが問題になるとは変な話だ。
私は皇太子殿下のお相手探しが進んでいた時、同僚の一人からこの「お相手の宗教問題」を聞いた時、「美智子さまはクリスチャンだったというのに、どうしてキリスト教の妃を迎え入れることに消極的なのか?」と疑問にも思ったものだ。この疑問が解けたるまでに10年ほどの時間を要した。その答えは簡単だ、美智子さまは結婚した後もクリスチャンであり続けたため、宮内庁が様々な懸念をしていたのだ。
美智子さまのキリスト教信仰
別の記事において美智子さまが結婚後もキリスト教信仰を持ち続けていたことを述べた。日本では信仰の自由が認められているとはいえ、皇室は神道の中心核であり、かかる意味で、日本は「神道宗教国家」なのだ。仏教は多神教であるために、仏教徒が天皇という存在に敬意を払うことに抵抗感を覚えることは稀であるが、キリスト教の場合には一神教であるためイエス・キリストへの信仰と天皇への尊崇とを両立させることは難しいのである。
美智子さまもこの両立に苦労されたであろう。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、生来の信仰を結婚を契機に捨て去ることなど容易にできることではない。
事あるごとに聖歌を口にされ、自室に聖書を置き、地下に礼拝室をつくってしまわれたことは、美智子さまは結婚後も強いキリスト教信仰をお持ちであったことの証左であると私は考えている。このような美智子さまの影響の下、眞子さまと佳子さまはICU(国際基督教大学)に進学されたのではないだろうか?
秋篠宮家の資質を問う声が多く上がっているが、やや「キリスト教かぶれ」と思われる進学先選択は非常に問題的であると思う。
ロザリオ事件
美智子さまとキリスト教の結びつきは、時折、週刊誌などを賑わせているのでご存じの方も多いだろう。ここで「ロザリオ事件」という良く知られていない事件を紹介したい。
美智子さまが皇后となられたこともあり、聖心女子大学(カトリック系の大学)では同窓会活動が大変活発である。創立は1916年であり、歴史も古い。今では創立70周年80周年90周年100周年と節あるごとに大規模な同窓会が開かれ、美智子さまも当然誘われて出席される。
実はこの同窓会が開かれるキリスト教にちなんだ記念品が贈呈される。ある記念の折に同窓会事務局から美智子さまに「ロザリオ」が送られてきた。受け取った宮内庁は困惑してしまった。「ただでさえもクリスチャンと噂される美智子さまがロザリオを受け取ってよいものだろうか?」と。関係各位で協議した結果、「このロザリオは受け取れない」として同窓会に返却することになった。
これで終わればよいのだが、ここで終わらないのが美智子さまだ。
その数日後、美智子さまの友人が御所を訪れ、お茶会となった。何とその時、その友人が「これ…」と言って、受け取り拒否したはずのロザリオを美智子さまに渡していたのだ。ロザリオは緑の布で何重にもくるまれていたが、美智子さまはそれをそっと広げて中身を確認し「ありがとう」と笑顔で述べられて懐にしまわれた。
天皇家においては物品の授受は、基本的にすべて宮内庁を通さなければならないが、さすがにお茶会での個人間のやりとりまですべて監視しているわけではない。そのロザリオは、美智子さまが同窓会に返却したと信じたいが…。美智子さまの私室にあった、大量のキリスト教関連品は、このような形で持ち込まれたのかもしれない。
・眞子さん結婚会見で戦慄タネ明かし 文書公表&米留学を主導…ネットで「怖い」の声(東スポWeb 2021年10月26日)
※26日に小室圭さん(30)と結婚した秋篠宮家の長女・眞子さん(30)が同日午後、都内ホテルで記者会見を行った。2人がそろって公の場に姿を見せたのは、2017年9月の婚約内定会見以来。
2人は晴れやかな表情で着席。眞子さんは「圭さんはかけがえのない存在。結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きて行くために必要でした」と強調。圭さんも「眞子さんを愛しています。眞子さんと人生を歩みたいという思いを持ち続けられたのは支えてくれた人のおかげです」と永遠の愛を誓った。
しかし穏やかだったのはここまで。中盤からは、結婚に至るまでの報道に対する率直な心境を吐露した。
なかでも際立ったのは、圭さんへのバッシングに言及した際の言葉。眞子さんは「本日まで私が公に発言する機会は限られてきました。そのために生まれてしまった誤解もあったと思います。一部の方はご存じのように、婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした」と言い切った。
続けて「例えば、圭さんのお母さまの元婚約者の方への対応は私がお願いした方向で進めていただきました」と断言。
これは何かというと、今年4月に圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルに関して公表された通称「小室文書」は、眞子さんの意向が100%反映されたものであると認めたことを意味する。
これには皇室ライターも「文書公表後、宮内庁が眞子さんの“関与”を匂わせてはいましたが、それを本人がはっきりと認めるとは思いませんでした」と驚く。
さらに、眞子さんは圭さんの米フォーダム大留学についても「圭さんが将来計画していた留学を前倒しして海外に拠点を作って欲しいと私がお願いしました。留学に際して私は一切の援助はできませんでしたが、圭さんが厳しい状況の中、努力してくれたことをありがたく思っています」と告白。
その上で「圭さんのすることが独断で行われていると批判され『私の気持ちを考えていない』と一方的な憶測が流れるたびに、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、いわれのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚え、辛く悲しい思いをいたしました」と苦言を呈した。
ようは小室さんのこれまでの行動は眞子さんの進言によるもの。ネット上では祝福と同時に、表情ひとつ変えず“タネ明かし”する眞子さんに「怖い」「ホラー」といった声も寄せられている。
前出皇室ライターは「好きで好きでたまらない圭さんが集中砲火を食らう現在の状況に我慢ならなかったのだと思いますね」と指摘する。
記者会見は複雑性PTSDと診断された眞子さんの体調を考慮し、予定された記者との質疑応答は行われず、12分間足らずで終了した。
・「眞子内親王殿下のご結婚」 法的な位置づけは? 今後の身分や呼称どうなる?(YAHOO!ニュース 2021年10月23日)
山下晋司 皇室ジャーナリスト
※延期されていた眞子内親王殿下と小室圭氏の結婚が、10月26日の婚姻届の提出によって成就する。
2017年9月に婚約が内定し、11月には「翌年11月に結婚」と宮内庁の発表があったが、その後、小室家の金銭トラブルを週刊誌が報じたことから、18年2月に「結婚の延期」が発表された。
婚約内定から今日までの4年あまりの間、週刊誌やネットの世界では小室家への批判の嵐が吹き荒れ、眞子内親王殿下は複雑性PTSDと診断されるまでに至った。いまだ批判の声も上がる中での結婚となったが、改めて皇族女子の結婚の法的位置づけ等について述べておきたい。
■皇族女子の結婚には特別な規定がない
皇室に関しての法律は皇室典範が中心になるが、皇族男子の結婚については同法10条に「皇室会議の議を経ることを要する」との規定がある。皇室会議は三権の長や皇族代表など10名で構成され、皇室の重要事項を決定する機関である。一方、皇族女子の結婚については「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは皇族の身分を離れる」(同法12条)と規定されているだけで、皇室会議の議は必要ない。
法律に特別な規定がない場合は、天皇や皇族も一般国民と同じ法令が適用される。よって、眞子内親王殿下の結婚に関しては、秋篠宮殿下が昨年の記者会見で仰ったとおり、一般国民と同様に「婚姻は両性の合意のみに基いて成立」(憲法24条)が適用される。市区町村の役場に婚姻届を提出し、受理されれば、その段階で眞子内親王殿下は皇室を離れることになる。
■敬称について、皇室典範24条では
「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は陛下、それ以外の皇族の敬称は殿下」と規定されているため、皇族ではなくなる今後は、殿下ではなく、「さん」や「さま」といった一般的な敬称になる。併せて、内親王という皇族としてのお立場を表す称号も使えなくなる。
■結婚に伴う儀式
皇室の様々な儀式は明治以降、前例を参考にしながら整備されてきた。しかし、それらを規定した皇室令(天皇の命令)は、 1947年5月3日の新憲法施行に合わせて廃止された。それにより、皇族の身分や儀式等に関してはほとんどが法的根拠を失った。
ただ、当時の宮内府は、新憲法下で新たに決めたことは別として、法令に違反しない範囲でそれまで行われてきたことを踏襲するようにした。皇族女子の結婚に伴う儀式もそのひとつだ。具体的には以下のとおりである。
A)納采の儀(結納にあたる)
A)告期の儀(結婚の期日を告げる)
B)賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(天照大神などが祀られている宮中三殿で拝礼される)
B)朝見の儀(天皇皇后両陛下に謝恩の辞を申し上げる)
A)入第の儀(結婚式当日のお迎え)
ここで注意すべきことは、儀式は二つに分類されるということである。ひとつは「結婚に伴う儀式」(A)、もうひとつは「結婚による皇籍離脱に伴う儀式」(B)である。(A)はその家の当主が決め、(B)は天皇が決める。ただ、これらの儀式をすべて行わなくとも法的には問題ない。
今回、国民感情を踏まえて、これらの儀式をすべて行わないことになった。ただし、賢所、皇霊殿、神殿には儀式としてではなかったが拝礼された。また、「朝見の儀」という儀式ではないが、天皇皇后両陛下に私的に挨拶もされた。
■裁可も必須条件ではない
天皇の承認を意味する「裁可」という言葉を婚約内定時にはよく聞かれたが、この行為も結婚するための必須条件ではない。現に高円宮家の典子女王、絢子女王の結婚については天皇の裁可はなかった。旧皇室典範では皇族の結婚には天皇の勅許が必要となっていたが、現皇室典範ではこの規定もなくなった。ただ、皇室内部の私的な決め事として、天皇の直系の場合は天皇の裁可という手続きを踏むことにしたのである。よって、平成時代に天皇の直系ではなかった典子女王、絢子女王の時は裁可がなく、平成時代に婚約が内定した眞子内親王殿下は当時、天皇の直系の孫だったため、天皇の裁可を経た。
現時点で佳子内親王殿下は今上陛下の姪であり、直系ではないので、前例どおりだと結婚の際の裁可はない。ただ、皇太子と同等の皇嗣家の内親王なので、天皇の裁可を経る可能性もあるが、これは天皇家内部でお決めになればいいことで、何が正しいといえるものではない。
■一時金の算出について
今回、一時金にも注目が集まった。一時金とは「皇族であった者としての品位保持の資に充てるために、皇族が皇室典範の定めるところによりその身分を離れる際に支出」(皇室経済法6条)されるもので、非課税(所得税法9条1項)である。離脱する皇族の身位によってそれぞれ上限額が規定されており、支給額は皇室経済会議で決める。現在、内親王の上限額は1億5250万円、女王の場合はその7割の1億675万円である。
一時金は皇籍離脱に伴い支給されるもので、結婚以外の理由による離脱であっても支給される。結婚の祝い金ではない。戦後の現制度になって以降、一時金が支給されなかった例が一度だけある。1947年10月に51人の皇族が皇籍を離脱したが、その際に開かれた皇室経済会議で、軍籍にあった皇族には一時金を支給しないと決定した。これ以降、結婚以外の理由で皇籍を離脱した皇族はなく、一時金が支給されなかった例もない。
1947年5月3日以降で、結婚によって皇籍を離脱した皇族女子は8人いる。
昭和天皇の子ども(内親王)が3例
上皇陛下の子ども(内親王)が1例
大正天皇の孫(内親王)が2例
大正天皇のひ孫(女王)が2例
天皇の子どもも孫も内親王ではあるが、天皇との関係では一親等と二親等という違いがある。このことから、大正天皇の孫にあたる内親王の一時金を決める皇室経済会議で、1割ご遠慮いただくことにした。この前例によって、天皇の孫にあたる眞子内親王殿下の場合は1億5250万円の9割にあたる1億3725万円になるだろうと予想されていた。
ただし、眞子内親王殿下が一時金の受け取りを辞退されたことで、内閣総理大臣や衆議院議長など、立法府、行政府の代表8名で構成されている皇室経済会議を開催せずに一時金を支給しないことを宮内庁が決定した。この決定に至るまでの法解釈が正しいのかどうかは今後、国会で議論されるだろう。
■今後の渡米に向けて
眞子内親王殿下と小室圭氏は10月26日に婚姻届を提出し、その日の午後にお二人で記者会見に臨まれる予定だ。婚姻届をどこの市区町村に提出するのかはわからないが、前例どおり、皇嗣職職員が代理で提出すると思われる。
婚姻が成立すれば、宮内庁は天皇と皇族の戸籍にあたる皇統譜から眞子内親王殿下を除籍する。一方、役場では新しい戸籍を編製する。この二つは同時並行的に行われる。
新しい戸籍が編製されれば、小室眞子さんは戸籍謄本を交付してもらい、パスポート交付の申請をする。パスポートができると、米国大使館にビザの申請をする。米国のビザの種類は複雑だが、何らかのビザを取得された後、米国に渡る。順調に手続きが進めば11月の中旬には渡米できるだろう。
■法令と国民感情
以上、説明したことは法令や前例に基づいたものであり、国民感情はまた別の話である。
憲法で象徴天皇制度を定めているが、この制度が名実ともに成立するためには国民の支持が重要であり、天皇や皇族と国民との相互の信頼関係、敬愛関係は不可欠である。皇族は象徴ではないが天皇の一族である。国民との精神的な結びつきは天皇と一体で捉えるべきだろう。
眞子内親王殿下の結婚は私的なことであり、今回のような形であっても前述のとおり法的には問題はない。しかし、納得していない国民も一定数いることを皇室、宮内庁はどう捉えるのか。
また、結婚に限らず、天皇や皇族の公と私のバランスはどうあるべきなのか。我々国民もこの問題に真摯に向き合っていく必要がある。
・眞子さまは一般国民と同じではなく「準公人」 結婚後も品格保持に努めて(AERA dot. 2021年10月27日)
※小室圭さんと結婚して、皇籍を離脱する眞子さま。京都産業大学の名誉教授、所功さんは、結婚後も「品格保持に努めてほしい」と願っているという。
* * *
眞子さまと小室圭さんがご結婚されることはおめでたい、というほかありません。
ただ、心からお祝いを申し上げることには少し躊躇します。とはいえ、このご結婚が注目されることは、意味があると考えています。この機会に、眞子さまだけでなく、今後の皇室のあり方への本質的な見直しもできるからです。
眞子さまは宮家に生まれて育たれた、皇族身分の「純公人」として「品格保持」に努めてこられました。とくに大学卒業のころから多様な公務に尽くされてきたことには、感謝を申し上げたいと思います。
しかし、このたびのご結婚は、「朝見の儀」など古来の儀式を執り行われないとお聞きします。長い皇室の歴史のなかで続けられてきた儀式は、単に形式を表すだけでなく、その時々の節目を大切にして行われてきたのです。そこには形にこめた「こころ」があり、それを受け継ぐことが伝統だと思います。
かつて古代から中世まで伊勢の斎宮に「斎王」という聖女が朝廷から派遣されていました。斎王とは、皇室の祖神と伝えられる天照大神に仕え、国の平安を祈りながら日々を慎む未婚の皇族女子です。この斎王は、天皇が即位されると、占いで選ばれ、身を清めてから伊勢へ旅立ちました。
その際、皇居で最も重要な御殿の行われる「斎王発遣の儀」において、天皇が斎王の額髪に「別れの小櫛」を挿し、「京の方に赴きたまふな」と言い渡されたのです。
これは、斎王が伊勢へ赴任したら再び都へ戻らないで大神に奉仕する覚悟を固める「こころ」の儀式だとみられます。皇室から離れるには、それほどの心構えが必要なのです。
朝見の儀は、ご結婚を宮中三殿の神々に奉告して、天皇、皇后両陛下から祝福のお言葉を承る儀式であり、それによって結婚のもつ重い意義を心に刻むことになると思われます。
このたび眞子さまが一時金を辞退して結婚に突き進まれても、「公人」の皇族から一般の国民と同じ「私人」になるわけではありません。前皇族は皇籍から出ても「準公人」として「品位保持」に努められるように、一時金を出すことが「皇室経済法」に定められています。今回いろいろな配慮から、それを辞退されました。
しかし今後も「準公人」であることを自覚して品位の保持に努め、他の前皇族と同様に皇室とのお付き合いもできるようになられることを、一国民として切に願っております。
(本誌・鮎川哲也)
※26日より前に取材しました。敬称などは取材時のままです。
※週刊朝日 2021年11月5日号

・小室圭さん「まるで別人」とプロも絶賛!“自信満々”会見導いたアメリカ留学経験(女性自身 2021年10月27日)
※「私は眞子さんを愛しております」――。10月26日、小室さん夫妻の結婚報告会見で圭さんが最初に発したこの言葉。ストレートな告白が、大きな話題を呼んだ。
【写真あり】原稿を持つ左手薬指には指輪が
「婚約内定会見のときには、一生懸命話しているものの“自分本来の言葉ではない感”は否めない印象でした。それが今回の会見ではまるで別人かのような堂々とした話しぶりで、思わず感心してしまいましたね」
そう語るのは『話し方で損する人 得する人』や『超雑談力』などをはじめとして、話し方に関する著作を多く持つ、作家・心理カウンセラーの五百田達成氏。
帰国前には記者の直撃に一切応じなかったり、会見直前には質疑応答のとりやめが発表されたりしたがために、世間の会見への期待度はすこぶる低かった。ところがいざ蓋を開けてみると、“話し方”の専門家が太鼓判を押すほどの内容に。2人の話し方の特徴や、婚約内定会見時と比べて変化した点について、五百田氏に解説してもらった。
■主張が伝わる“I話法”
「眞子さん・圭さんともに、総じてとても素晴らしかったと思います。芸能人の結婚報告にしても、政治家の会見にしても、今回の2人をお手本にすべきなんじゃないかというほど非の打ち所がありませんでした。
完成度の鍵を握っていたのは、『I(=私)話法』だと考えています。たとえば眞子さんの『私にとって圭さんはかけがえのない存在です』の言葉もI話法。つまり主語を自らに置き、明確な主観として物事を語る話し方ですね。立場上からの配慮もあるかもしれませんが、2人ともこの話法を頻用していたのがとてもよかった。
『圭さんのすることが、独断で行われていると批判され、私の気持ちを考えていないといった一方的な憶測が流れるたびに、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、いわれのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えるとともに、辛く、悲しい思いをいたしました』。
眞子さんのこちらの発言も、『マスコミが誤った報道を流し、それを世間が鵜呑みにした』とだけ言ってしまうこともできるわけです。しかし、そうした言い方をしてしまうと、誰かを糾弾する印象になりかねません。さらに、偉そうで身勝手なイメージに繋がってしまうことすらあります。反対に、今回の眞子さんのようにあくまで自分ごととして話すことによって、表明したい事柄をしっかりと主張しつつも、相手や第三者に不快感を与えづらくなるんです。
同様に圭さんも、『この数年間、誤った情報があたかも事実であるように扱われ、誹謗中傷が続いたことにより、眞子さんが心身に不調をきたしたことを、とても悲しく思います』と、I話法を活用。非常に好感を持てました」
■小室圭さんの海外的な情熱
婚約内定会見との比較では、特に圭さんの成長ぶりに驚いたという氏だが、理由についてこう分析する。
「なにより、自信がみなぎっていることが窺えましたよね。4年前はまだまだ若者といった風情で、頼りがいを感じられなかったのですが……。やはり、論文で受けた評価や、アメリカの法律事務所への就職など、結果を出したことによって、得られた自信が大きいのでしょう。
同時に、渡米したこと自体による影響も計り知れないと思います。会見でも、『このたびはみなさまにご心配をおかけし~』などと前口上から始めるのではなく、『愛しております』と切り出せてしまえる。結論から述べる話し方はビジネス的にも好印象ですが、海外的な“情熱”をも感じさせました。
日本人的感覚からすれば歯の浮くようなセリフですが、きっぱり『私のいちばん言いたいことはこれだ』といった強い思いが伝わる、とても効果的な出だしです。アメリカでいい刺激を受けてきましたね。
くわえて、ガラリと変貌した“見た目”によって生み出される説得力もありました。言葉の意味内容そのもの以上に、ぱっと見によって受ける心象が大きくなってしまうのが人間の性。
4年前はスーツに着られてしまっていましたが、社会人らしい着慣れた感じが出ていましたし、おろしていた前髪も上げていました。顔立ちもどことなく精悍になり、大人の男性らしさを私は感じましたよ。
そのようなきちんと身だしなみを整えようとする姿勢も、眞子さんへの思いの強さをアピールするのに一役買ったと思われます」
質疑応答が中止となり、終始あらかじめ用意された原稿を読み上げるのみとなった今回の会見。そのスタイルのなかでも、評価できるポイントがあったという。
「ライブ感が失われるデメリットはあるでしょうが、それでもちゃんと要所要所、大切なポイントではきっちりと目線をカメラに2人とも向けていました。単純なことのようですが、それすらできない政治家が多い残念な実情もあります。
また、答えたくない・答える必要のないことはすべてシャットアウトするという明確な姿勢も、かえって意思がはっきり伝わってくるようでした。
婚約時と変わらなかったのは、2人の相思相愛ぶりくらいかと思うほど、見ちがえていましたね。もっとも肝要な愛し合う心はそのままに、改善すべきところは進化させて、4年越しの発表は大成功に終わったでしょう」
あまたの困難を乗り越えてようやく結ばれた眞子さんと小室さん。しかし「結婚はゴールではなくスタート」。今後2人の暮らしがどのようなものになっていくのか、世間の注目はこれからも続くことだろう。
【PROFILE】
五百田達成(いおたたつなり)
米国CCE, Inc.認定 GCDFキャリアカウンセラー。東京大学卒業後、角川書店、博報堂・博報堂生活総合研究所を経て「コミュニケーション心理」「社会変化と男女関係」「SNSと人づきあい」「ことばと伝え方」をテーマに執筆・講演。11月9日に『超話し方図鑑』を上梓する。