以下「さいはてメモ帳」様より転載
https://satehate.exblog.jp/13630509/
https://satehate.exblog.jp/13640207/
https://satehate.exblog.jp/13647292/
・生物兵器戦争の一方法としてのワクチン接種の歴史
David Rothscum
2009年9月19日
※アメリカの生物兵器プログラムと、ワクチンの製造との間には関連を見いだすことができる。
世界中の政府機関が、ウイルスや他の病原体が人類を殺戮する潜在力を有することを見いだし始めるにつれて、彼らはその病原体を拡散する方法を必要とした。そして、注射は人間の体の自然な防衛ラインのほとんどをバイパスするのでワクチンが理想的な方法を提供した。なぜなら、彼らが彼ら自身発見したように、鼻を通して投与されたときほとんど無害なウイルスが注入された時は致命的であり得るからである。
この記事は、がんウイルスの開発から始まり、世界第二次大戦中のインフルエンザワクチンの創製にこだわり続け、最終的にその後開発された様々なワクチンに移行するこの歴史のより詳細な説明資料を提供することを意図している。
彼らが奨励され、そして多くの場合自ら実施したその大量殺人に対して関与したさまざまな人々が持っていた理由を説明するための一つの試みもなされるだろう。
初期の生物兵器のほとんどは、ロックフェラー家によって設立された様々な研究所にまで遡る。
私がロックフェラー年代記で言及したように、ジョン・デイヴィソン・ロックフェラーは1901年にロックフェラー医学研究所を設立した。8年後、フランシス・ペイトン・ラウスと言う名の若い科学者がロックフェラー研究所に参加した。1911年、フランシス・ペイトン・ラウスは、鳥にがんを引き起こすことができるろ過性の病源体を探していた。
最終的に、その男は小さな腫瘍を引き起こすことができる鶏中のウイルスをなんとか分離することができた。1911年の文書の中で、彼はこのウイルスを分離し、その潜在力を増し、それを他の品種のニワトリに拡げ、そして最終的に哺乳類に癌を引き起こすためにそのウイルスを使う失敗した試みについて述べている。
このウイルスは後に、それを発見した男にちなんで名付けられ、ラウス肉腫ウイルスとして知られるようになるだろう。
1937年、ロックフェラー研究所は、その最初のワクチン、17D黄熱病ワクチンを市場にもたらした。 ロックフェラー年代記で文書化したように、このワクチンはその導入の瞬間からラウス肉腫ウイルスで「汚染されて」いた。そして、後に試験されたとき、そのウイルスはサルに腫瘍を引き起こすことが見出された。
この報告はワクチンに焦点を当てるだろうけれども、読者は、ロックフェラー財団がナチ・ドイツの優生学者たちへの資金提供に関わっていたこと、そしてロックフェラー研究所のために働いていた科学者コーネリアス・ロードが、プエルトリコ人たちに癌を注入したことを認めていることが発見されたことを思い出してもらうことは重要である。
この死のパターンは、これらのグループが関与しているすべてのプロジェクトで見られる。
ロックフェラー研究所はまた、最初のインフルエンザワクチンの創作に関与した。インフルエンザワクチンは、トーマス・フランシス・ジュニアという名前の男によって開発された。 トーマス・フランシス・ジュニアは、1928年にロックフェラー研究所に参加し、そしてロックフェラー家によって設立されコントロールされた様々な研究所で働いた。1934年、彼はインフルエンザウイルスを分離した最初のアメリカ人となった。
1940年、フランシスは、彼がインフルエンザウイルスに関して行った一つの研究を発表した。
フランシスは、それに曝されたものたちの脳を特に標的とするインフルエンザウイルスを作り出そうと努めた。その報告自身が言及しているように、その研究はロックフェラー財団の国際保健部門からの助成金を受けて実施された。
その報告は、フランシスが、それに暴露されたものの脳に固執するだろうウイルスを作り出す彼自身の努力は失敗に終わったことを説明することから始まる:
当研究室での、流行性インフルエンザのウイルスをマウスの脳に適応させようと言う繰り返し行った取り組みは、完全に失敗してきた。そのウイルスは通常、脳内接種後に、1あるいは2日間以上脳の中で生き残ることに失敗した。
しかしながら、フランシスは、ニワトリの脳に感染した一つの異なった菌株の存在を知り、そして彼自身で、この株をその神経細胞を攻撃することによってマウスを殺す能力のあるウイルスを見つける彼の新たな試みに用い始めた:
その結果、ニワトリ(ヒヨコ)胎児脳とタイロード液もしくは生理食塩水いずれかを含む組織培養系中でのインフルエンザウイルスの培養による同様の適応化を試みることを決定した。我々の以前の失敗した試行はすべてのPR8株で行われていた他方、報告された肯定的な結果はすべてWS株で得られていたため、WS株を用いた。
この株が他の系統のインフルエンザ株よりもヒトの脳を標的とすることにおいてより潜在力があることを証明する実験を用いた後、フランシスは、いかに彼がこのインフルエンザ株に曝したマウスが痙攣して死んだかを説明している:
11代目の継代で、一定の神経学的徴候が、11代の感覚過敏と震えの形をとって観察され、そして一匹のマウスが痙攣で死亡した。すべての12代目の継代マウスは、3日目と4日目に際立った兆候を示し、犠牲に(解剖)された。13代目のマウスのうち2匹が3日目に速やかに病状を呈したとき殺された。他の2匹は6日目に死んで発見された。 その時点から、そのウイルスは脳内投与法によれば一様に病原性となっていて、一貫した臨床像と、そして5%の脳懸濁液接種後4から5日後の致命的感染を生み出した(実験1、表II)。この株(WS - 7)は67回の連続的継代が成し遂げられてきた。
その病気の通常の経過は簡潔に言えば以下のごとくである:約3日目に、マウスは体を丸く縮こませるように見える、彼らの毛は逆立ってひだができ、そして彼らは外部からの刺激に対して過敏である。全身性の震えが存在する。4日から6日目に、その動物は破傷風様けいれんを起こして死亡する。
彼自身の報告が立証し始めるように、この実験は単に培養脳細胞でよく育つだろうあるウイルスを作り出すことだけを意味しなかった。
フランシスは、そのウイルスが肺から回収されてきた場合に、それがまだ脳に固執性があるかどうかを調べ始めた。
今回の実験は、組織培養系で生育したウイルス株を用いてのみ行われたため、マウスの鼻腔内感染によって維持されたウイルスのWS株がまた神経向的属性を保有しているかどうかを知ることは興味深い。
それ故に、通常の組織培養培地から移動して後、9から15回鼻腔内継代されたWS株ウイルスについてテストした。
懸濁液は、感染した肺から作製し、そしてそれを用いて、マウスたちは大脳内接種された。
9代と13代目の肺から調製されたウイルスは、連続的な大脳内接種による継代を生き延びることに失敗した-最初の例ではおそらく継代が7日間の間隔で行われたからであろう。
14代と15代目の鼻腔内継代ウイルスで、しかしながら、6代と3代それぞれの大脳内接種継代後に致命的な神経系の感染が得られた(実験4、5、6、7、表II)。
前述の調査に基づくと、ヒヨコ胎児脳中での事前適応化の期間は、インフルエンザウイルスWS株の神経向性特性をもたらすためには必要とされないことは明白なように思われる。
フランシスは、驚くべき何ものかを報告し始める。マウスがウイルスを注射されたときそのウイルスは脳に感染するだろうが、しかしマウスが彼らの鼻を介して暴露されたときには、それは脳には感染せず、その代わりにそのウイルスは単に彼らの肺に固執することを:
その神経指向活性は、肺指向活性を犠牲にして発現するのではない。(脳に)存在する場合には、他(肺)でも同等の濃度で発見される。
出現する効果は、しかしながら、接種ルートによって厳密に規定される。
肺向性と神経向性ウイルスの両者とも、大脳内接種後の脳からあるいは鼻腔内接種後の肺から検出される一方で、神経向性効果は鼻腔内接種によっては生じないし、肺向性効果は大脳内接種後に観察されない。
1941年、この研究を出版の1年後、彼はアメリカ軍によって、インフルエンザに対するワクチンの開発のために採用された。
私の以前の報告で 、私は一つの生物兵器病原体として使用するのに適したこのインフルエンザウイルスの開発を、ジョージ・W・メルクがメルク製薬会社とアメリカの生物兵器プログラム両者の指揮をしていた事実と結びつけた。
しかしながら、その関係は、私が当初仮定していたよりはるかに深い。 軍のためにインフルエンザワクチンの作製の任務を与えられた企業は、シャープ&ドームという名前だった。
1935年以降、シャープ&ドームは、ジョン・S ・ジンサーという名の男に率いられていた。(訳注:フレデリック・ジンサーの子、ハンス・ジンサーの甥、そしてジョン・J・マクロイの義理の兄です) 彼がこの会社の取締役会の代表となる以前、彼はアメリカ軍の化学兵器プログラムのために仕事をし、そして彼は、この時代に遡れば、すでにジョージ・W・メルクによって率いられていたメルク社のために働いていた。
このことが帰着するものは、ジョージ・W・メルクは効果的にインフルエンザワクチン接種プログラムが、彼自身の弟分、ジョン・S ・ジンサーによって実行されるようにさせたということである。
十分興味深いことに、これらの男たちによって率いられていたその会社は1953年に合併した。メルクは、従って、化学戦争のベテラン、ジョン・S ・ジンサーに率いられた会社と、生物戦争のベテラン、ジョージ・W・メルクに率いられた会社の子孫であるということになる。
インフルエンザワクチンの話は、アメリカ合衆国に限られてはいない。
トーマス・フランシス・ジュニアが語った、インフルエンザのWS株はまた、ヴィクトリアの優生学協会のメンバーであるフランク・マクファーレン・バーネットという名の一人のオーストラリア人男性にも知られていた。
1953年のマクファーレン・バーネットの一つの報告で、我々はいかに彼が、トーマス・フランシスが、彼がそれを試験したラットの脳を破壊することに非常に効果的であると報告したそのWS株を、さらに破壊的でさえあるインフルエンザの新しい株を作り出すために使ったかを発見する。
彼の報告は言及している:
インフルエンザウイルスの不安定性は、その対象についてのすべての研究者に知られている。 この不安定性の一例として、それについて我々が研究してきた古典的なWSウイルスの2つの亜株の起源を追跡することは興味深いだろう。WSウイルスは1933年1月、その当時英国で流行していたかなり危険な疫病の典型であると想定されていた症例の個体から単離された。 そのウイルスは単離された時点で、ヒトとフェレットに対して病原性があった;それはマウスに対しては病原性がなかった。
後の研究に照らしてみて、我々は、以下を合理的に確信可能である。それが鶏胚尿膜腔で生育しなかっただろうし、それが確かに漿尿膜に病変を生じなかっただろうし、そしてそれがたぶんヒト赤血球を凝集させたが、ニワトリ赤血球は凝集させなかっただろうと。
フェレットでの何代かの継代後、それはマウスに鼻腔内感染させられた。そこでは、何度かの継代後、それはかなり突然致命的な肺硬変を生じさせる能力を発現した。
マウスに適応させた型のそのウイルスは、1936年ハムステッドからメルボルンへと送られた。そこで、それは12日目のニワトリ胚漿尿膜へ感染させられた。
最初は、疑う余地のない病変はなにも生じなかったが、10回の継代後、明らかな増殖病巣が観察された。これらはさらなる継代によってより明瞭に発生するようになった。そして20回目と30回目の継代の間で、胚が影響を受け始めた。
40回目の継代までには、胚は、脳と筋肉における全体的な出血性病巣を伴って、必ず60時間以内に死んだ。 この株、その後不定期の尿膜腔継代とドライアイス中で保存したものがWSE株である(Burnet & Lush 21)。
もう一つの彼が作り出したウイルス株ははNWS株と呼ばれた:
その後、スチュアート-ハリスが、同様の材料(原株)から出発して、WSEの型の変異株を漿尿膜継代によって得ることができることを確認した。そして、その後感染物質を胚の脳からマウスの脳に移すことに成功した。
単にそこで11回の継代を生き延びるだけで、そのウイルスは徐々により悪性となった。そして、ついにマウスを高力価で急性脳炎の症状とともに死亡させるに至った。
このような100回のマウスの脳での継代の後、その株はメルボルンに送られ、尿膜腔に移されたものが、我々の株NWS(Stuart-Harris's " Neuro-flu "566)に相当する。 これらの株の間でのいくつかの主な違いを表Ⅰに示した。そのプロセスの詳しい分析なしでは、独断することはできないが、しかし、病原性の主要な変化のそれぞれは、いくつかの突然変異の結果であるとの所感は非常に強い。
なぜバーネットが、致死的なウイルスを作り出すことにそれほど取り付かれていたのかを文書化しておくことは重要である。
バーネットは、彼が第三世界の国々での人口過剰とみなしていたものについて心配して(気をもんで)いた。英国の新聞The Ageは、バーネットが東南アジアの「人口過剰な」国々に対して使う生物兵器を開発することをオーストラリア政府に要請したことを報告している:
世界的に有名な微生物学者サー・マクファーレン・バーネット、オーストラリアの最も偉大な医学研究科学者として崇拝されるノーベル賞受賞者は、ひそかに、その政府にインドネシアと他の東南アジアの「人口過剰な」国々に対して使用するための生物兵器の開発を促していた。
その実態は、オーストラリア国立公文書館によって外務貿易省からの抵抗にもかかわらず機密解除された最高機密ファイルの中に含まれていた。
サー・マクファーレンの1947年のある秘密報告書では、食用作物を標的とし、伝染病を拡げる生物化学兵器を開発する必要があると推奨している。
「オーストラリアの状況に対し具体的には、人口過剰のアジアの国々によって脅かされている侵略に対する最も効果的な軍事反撃は、生物的・化学的手段による熱帯作物の破壊と熱帯の条件下では拡がることが可能であるがオーストラリアの条件下では拡がらない感染病の散布へと方向付けられるだろう。」と、サー・マクファーレンは述べた。
サー・マクファーレンはまた、生物兵器戦争に特別な関連を有するような生物科学の分野を研究することを大学に奨励するよう促した。
1950年に英国を訪問して、英国の化学兵器や生物兵器の研究活動を調査した後、サー・マクファーレンは、その委員会で述べた。「敵集団の間での疫病の開始は通常戦争をしかける手段としては棄てられる。なぜならそれはその使用者にも跳ね返ってくるからである。」
「低衛生のある国では、例えば水の汚染によるある外来の腸内病原菌の導入は、広範な散布を開始させる可能性がある。」、と彼は述べた。
「適切な蚊の運搬体によって、ある国への黄熱病の導入は、制御手段が確立される前に、一つの無力化する疫病を築き上げるかもしれない。」
その小委員会は推奨した。「生物兵器を用いた東南アジアとインドネシアの食糧供給への攻撃の可能性を小規模研究グループによって検討すべきである。」と。
残念ながら、生物兵器戦争はここで終わらない。 一つの直接の繋がりは、ロックフェラーの科学者トーマス・フランシス・ジュニア[Thomas Francis Jr, 1900-1969]による仕事から、最初にポリオワクチンを作り出した男、ジョナス・ソーク[Jonas Salk, 1914-1995]の仕事へと関連づけることが出来る。
ジョナス・ソークは、インフルエンザワクチンの開発によってトーマス・フランシスを支援した:
ジョナス・ソークは20世紀の最も尊敬される医療科学者の一人である。
彼の最初の言葉は、「汚れ、汚れ(汚い、汚い)」であったと報告されているが、彼の初期の考えはバイ菌の研究をすることにではなく、法曹界に入ることにあった。
しかし、彼は、生物学と化学に興味を持つようになった、そして研究に入ることを決心した。彼は訓練を受けるためにニューヨーク大学医学部に行った。
そこで1938年、彼はインフルエンザワクチンを予期していた微生物学者トーマス・フランシス・ジュニアとともに働き始めた。
彼らは、第二次世界大戦中に軍部で使用されたそれを開発した。
SV40基金が説明しているように、SV40とその他のウイルスが、ソークによって開発されたワクチンを「汚染していた」。そしてその結果、これらのウイルスは人々の間に拡散した。
SV40は今日見られる多くの様々な形態の癌に対して責任がある。
アメリカの生物兵器プログラムが終了したようには決して思われない。
ボイド・グレイヴスの優れた研究が示すように、実験的なB型肝炎ワクチンが、米国で同性愛者のコミュニティを通じて、HIVウイルスを拡散するために用いられた。そして、天然痘ワクチンがそのウイルス(HIV)をサハラ以南のアフリカに拡散するために使用された。
信じられないように思われるかもしれないが、証拠はこの疫病は人工物であることを強く示唆している。 公に入手できる世界保健機関とその他の組織の内部メモは、免疫系を標的とするウイルスを開発することへのある強い関心が存在したことを示している。
このことは既に他の人達によってよく記録されているので、私は、どなたであれこの主題に関心を持つかたは、以下の人々によって成された研究を見ることをお勧めする。ボイド・グレイヴス、レン・ホロウィッツ博士、トム・ケスケ、アラン・キャントウェル。
元記事は
The history of vaccination as a method of biological warfare David Rothscum Saturday, September 19, 2009
http://davidrothscum.blogspot.com/2009/09/history-of-vaccination-as-method-of.html

(上)1963年に開催された学術諮問委員会:左から、Thomas Francis Jr.氏、定地憲爾ABCC通訳、Darling所長、中泉正徳ABCC準所長。Darling所長の向かいに座っているのは中村敬三予研所長。永井勇長崎予研支所長がテーブルの端に座っている。
※ABCC=Atomic Bomb Casualty Commission 原爆傷害調査委員会
以下「さいはてメモ帳」様より転載
http://glassbead.blog.shinobi.jp/medical%20tyranny/bought%20medical%20education
・ユースタス・マリンズ:ロックフェラーはいかにして医学教育を買ったか
Eustace Mullins
2021年5月19日

これが、医師や看護師の大半は
裏切り者かそれ以上である理由である。
現代の医療には限界がある。
※フレデリック・テイラー・ゲイツ[Frederick Taylor Gates](1853-1929)がロックフェラーの下で働くようになってから、財団による「アメリカの医科大学」の買収はほとんどすぐに始まりました。

それは素早く、シンプルなものでした。それは3つのステップで行われました。

最初は、1910年にロックフェラーとカーネギーに雇われたアブラハム・フレクスナー[Abraham Flexner](1856~1959年)が書いた有名な『フレクスナー報告書』に、ロックフェラーとカーネギーが共同出資したときです。
フレクスナーは全米を回り、アメリカの医学教育のレベルがいかに低いかを非常に学術的に分析しましたが、彼の分析は正しかったのです。 彼はそれを歪曲したわけではない。 私の知る限り、彼は(何一つ)歪曲していない。その必要もなかった。ディプロマ・ミルはありました。良い学校もいくつかありました。 しかし、平凡な学校もたくさんあったし、悪い学校もたくさんありました。
フレクスナーは、これらの情報をまとめて『フレクスナー報告書』を作成しました。 財団が公益事業として発行したもので、誰もが非常に心配していました。 何かをしなければならない。 基金の資金で問題が解決されたのです。
次に、問題を解決することになりました。 ロックフェラーとカーネギーは、問題を解決するための資金を提供しました。非課税の助成金を提供したのです。ロックフェラーとカーネギーの提言に協力的な医学部には、何百万ドル、何千万ドルもの莫大な資金が投入されたのです。
お金の影響を受けようとしないところには何も与えられず、道を踏み外してしまったのです。賛成したところは、このお金を得て、資格のある教師を集めるために大きな建物を建てることができました。 ロックフェラーやカーネギーのお金で、必要な設備を整え、現在のアメリカの大規模な医学部になったのです。
昔から、「笛吹きに支払う者が曲を決める」という言葉があります。 まさにその通りです。 ゲイツとフレクスナー、そして彼らが任命した人たちが、これらの学校の理事会メンバーやコンサルタントになったのです。 皆さん、もしあなたが学校の評議員会のメンバーで、お金に困っていて、誰かがやってきて、ここに1千万ドルあります、と言ったときに、しかし、あるいは、ところで、私たちは次に学長を探すときには、スミス氏を検討することをお勧めします、彼は立派で評判の良い人です。
彼らがその提案をしたとき、あなたは注意深く耳を傾け、そして、スミス氏が次の学長になるでしょう。
スミス氏は、ゲイツ氏、ロックフェラー氏、カーネギー氏が、「さて、スミス氏、教育スタッフにはこのような資格を持った人が必要ですが、ジョーンズ医師やラドクリフ医師などに注目することをお勧めします」と言ったときには、注意深く耳を傾けます。彼らは皆、耳を傾ける。お金には独特の音がある。それは、数千ドルが波打つ音である。今、そこには堕落はない。
私たちが学校を管理すると言っても、それは必要ではありません。私たちの言うとおりにしてほしいのですが、それはとても紳士的で、優しく行われます。しかし、それにもかかわらず、それは行われます。だから、喜んで協力してくれる学校が、お金を手にしたことは間違いありません。記録を見れば、それが事実であることがよくわかります。
フレクスナーは、ジョン・D・ロックフェラーの「便衣兵」として、当時ロックフェラー財団の子会社であったカーネギー財団による医学部業界全体の買収を仕組んだのです・・・「カーネギー財団」というと、実体のないものを指しているようです。完全にロックフェラーの支配下にあちます。
彼(アブラハム・フレクスナー)は『フレクスナー報告書』を作成し、アメリカの医学部をホメオパシーや自然療法から、薬の大量使用や過激な手術、長期入院に依存するドイツの医学派であるアロパシー医学に変えました。これが現在のアロパシー医学です。」
以下「さいはてメモ帳」様より転載
http://glassbead.blog.shinobi.jp/vaccine/polio-like
・新しいポリオに似た「小児多系統炎症性症候群」(MIS-C)は、Covidスパイクタンパク・ワクチンを子供に注射して、手足を麻痺させることで生まれる可能性がある(ナチュラルニュース 2021年9月1日)
S.D. Wells
※2020年10月、ちょうど1年弱前に、FDAは、covidスパイクタンパク注射によって生じる、死に至る病や衰弱した障害を含む20以上の重篤な有害事象や副作用の長いリストについて説明を受けました。覚えておいてほしいのは、最初のcovidワクチンが投与されたのは2020年12月、ニューヨークでのことで、それはファイザーのmRNAジャブだったということです。これは誰かが汚いCovidの注射をされる2ヶ月前のことで、FDAはCovidの注射が5種類の血栓症、死亡(なぜか死亡は「副作用」と考えられている)、流産、脳卒中、痙攣、発作、不可逆的な自己免疫疾患、ギラン・バレー症候群、関節炎、そして特に幼い子供に影響を与える麻痺性の副作用を伴う新しいポリオのような症候群のリスクを高めることを十分に認識していました。
西洋医学は科学的根拠に基づく医学ではなく、恐怖に基づく医学であることが歴史的に明らかになっている
後悔先に立たずと言いますが、振り返ってみると、ワクチンは病気を予防するために作られたのではなく、病気を予防するという名目で注射するために作られたことがよくわかります。実は、ポリオ・ワクチンを発明したとされる医師は、精神病患者を対象とした違法な医学実験を行っており、感染症の研究を全くしていなかったことが判明しています。ジョナス・ソーク博士はポリオ・ワクチンを発明していません。彼は、発明したように見せかけるために採用されたのです。ほとんどの人が知らないことですが、ポリオ・ワクチンはワクチンを受けた人に麻痺性ポリオを誘発することが知られています。世界は、ワクチンは病気や健康被害を引き起こすのではなく、予防に関与すると騙されてしまったのです、そしてそれはすべて、カルト薬理学の神、ジョナス・ソーク博士から始まったのです。

今から68年前、そして今、陰湿なワクチン産業は、恐怖に基づいてパンデミックを管理するふりをしながら、スパイクタンパクを使って人間を麻痺させています。これは、「不治の病」であるポリオと、プロパガンダとして使われた車椅子の子供の写真から始まったのと同じです。ポスターに書かれていたプロパガンダを覚えていますか?



新しいポリオのような「小児多系統炎症症候群」は、covidワクチンによって作られ、スパイクタンパクが心臓、脳、肝臓、腎臓、膵臓など、体のあらゆる重要な器官を圧倒します。あまりにも多くの場所で炎症が起こるので、ワクチン産業、メディケア、メディケイドは、FDAに対して、スパイクタンパクの生物兵器を国民に接種することを進めれば、このような大量殺戮的な健康被害の波が来ることを事前に警告しなければなりませんでした。
アメリカ政府がアメリカ人の医療権を十分に侵害することができるようになれば、すべての子供たちに強制的にワクチンを接種することで、ポリオのような新しい不自由な「炎症性症候群」が引き起こされ、それはすべてcovidとその変異株のせいにされるでしょう。
ポリオのプロパガンダを思い出させる恐怖に基づいたcovid注射
陰湿なワクチン産業が最も嫌うのは、ワクチンの危険性を警告する「内部」からの内部告発者である。アメリカの親たちが、子供がポリオにかかったら一生不自由な生活を送ることになると、死ぬほど怖がっていたのはそれほど昔のことではありません。
結局のところ、Covid-19とその変異株によって引き起こされるポリオのような稀な障害は、子供の血管系に500億個のスパイクタンパクを注射した後では、それほど稀ではなく、FDAはそのことをすべて知っているのです。実際には、毒性のある血栓溶解注射を使って子供を麻痺させるために特別に作られた一般的な症候群かもしれません。
ブライアン・アーディス[Bryan Ardis]医師は、Covid血栓溶解注射をはじめ、現在も米国の病院で使用されている恐ろしい治療法を告発しています。
https://satehate.exblog.jp/13630509/
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・生物兵器戦争の一方法としてのワクチン接種の歴史
David Rothscum
2009年9月19日
※アメリカの生物兵器プログラムと、ワクチンの製造との間には関連を見いだすことができる。
世界中の政府機関が、ウイルスや他の病原体が人類を殺戮する潜在力を有することを見いだし始めるにつれて、彼らはその病原体を拡散する方法を必要とした。そして、注射は人間の体の自然な防衛ラインのほとんどをバイパスするのでワクチンが理想的な方法を提供した。なぜなら、彼らが彼ら自身発見したように、鼻を通して投与されたときほとんど無害なウイルスが注入された時は致命的であり得るからである。
この記事は、がんウイルスの開発から始まり、世界第二次大戦中のインフルエンザワクチンの創製にこだわり続け、最終的にその後開発された様々なワクチンに移行するこの歴史のより詳細な説明資料を提供することを意図している。
彼らが奨励され、そして多くの場合自ら実施したその大量殺人に対して関与したさまざまな人々が持っていた理由を説明するための一つの試みもなされるだろう。
初期の生物兵器のほとんどは、ロックフェラー家によって設立された様々な研究所にまで遡る。
私がロックフェラー年代記で言及したように、ジョン・デイヴィソン・ロックフェラーは1901年にロックフェラー医学研究所を設立した。8年後、フランシス・ペイトン・ラウスと言う名の若い科学者がロックフェラー研究所に参加した。1911年、フランシス・ペイトン・ラウスは、鳥にがんを引き起こすことができるろ過性の病源体を探していた。
最終的に、その男は小さな腫瘍を引き起こすことができる鶏中のウイルスをなんとか分離することができた。1911年の文書の中で、彼はこのウイルスを分離し、その潜在力を増し、それを他の品種のニワトリに拡げ、そして最終的に哺乳類に癌を引き起こすためにそのウイルスを使う失敗した試みについて述べている。
このウイルスは後に、それを発見した男にちなんで名付けられ、ラウス肉腫ウイルスとして知られるようになるだろう。
1937年、ロックフェラー研究所は、その最初のワクチン、17D黄熱病ワクチンを市場にもたらした。 ロックフェラー年代記で文書化したように、このワクチンはその導入の瞬間からラウス肉腫ウイルスで「汚染されて」いた。そして、後に試験されたとき、そのウイルスはサルに腫瘍を引き起こすことが見出された。
この報告はワクチンに焦点を当てるだろうけれども、読者は、ロックフェラー財団がナチ・ドイツの優生学者たちへの資金提供に関わっていたこと、そしてロックフェラー研究所のために働いていた科学者コーネリアス・ロードが、プエルトリコ人たちに癌を注入したことを認めていることが発見されたことを思い出してもらうことは重要である。
この死のパターンは、これらのグループが関与しているすべてのプロジェクトで見られる。
ロックフェラー研究所はまた、最初のインフルエンザワクチンの創作に関与した。インフルエンザワクチンは、トーマス・フランシス・ジュニアという名前の男によって開発された。 トーマス・フランシス・ジュニアは、1928年にロックフェラー研究所に参加し、そしてロックフェラー家によって設立されコントロールされた様々な研究所で働いた。1934年、彼はインフルエンザウイルスを分離した最初のアメリカ人となった。
1940年、フランシスは、彼がインフルエンザウイルスに関して行った一つの研究を発表した。
フランシスは、それに曝されたものたちの脳を特に標的とするインフルエンザウイルスを作り出そうと努めた。その報告自身が言及しているように、その研究はロックフェラー財団の国際保健部門からの助成金を受けて実施された。
その報告は、フランシスが、それに暴露されたものの脳に固執するだろうウイルスを作り出す彼自身の努力は失敗に終わったことを説明することから始まる:
当研究室での、流行性インフルエンザのウイルスをマウスの脳に適応させようと言う繰り返し行った取り組みは、完全に失敗してきた。そのウイルスは通常、脳内接種後に、1あるいは2日間以上脳の中で生き残ることに失敗した。
しかしながら、フランシスは、ニワトリの脳に感染した一つの異なった菌株の存在を知り、そして彼自身で、この株をその神経細胞を攻撃することによってマウスを殺す能力のあるウイルスを見つける彼の新たな試みに用い始めた:
その結果、ニワトリ(ヒヨコ)胎児脳とタイロード液もしくは生理食塩水いずれかを含む組織培養系中でのインフルエンザウイルスの培養による同様の適応化を試みることを決定した。我々の以前の失敗した試行はすべてのPR8株で行われていた他方、報告された肯定的な結果はすべてWS株で得られていたため、WS株を用いた。
この株が他の系統のインフルエンザ株よりもヒトの脳を標的とすることにおいてより潜在力があることを証明する実験を用いた後、フランシスは、いかに彼がこのインフルエンザ株に曝したマウスが痙攣して死んだかを説明している:
11代目の継代で、一定の神経学的徴候が、11代の感覚過敏と震えの形をとって観察され、そして一匹のマウスが痙攣で死亡した。すべての12代目の継代マウスは、3日目と4日目に際立った兆候を示し、犠牲に(解剖)された。13代目のマウスのうち2匹が3日目に速やかに病状を呈したとき殺された。他の2匹は6日目に死んで発見された。 その時点から、そのウイルスは脳内投与法によれば一様に病原性となっていて、一貫した臨床像と、そして5%の脳懸濁液接種後4から5日後の致命的感染を生み出した(実験1、表II)。この株(WS - 7)は67回の連続的継代が成し遂げられてきた。
その病気の通常の経過は簡潔に言えば以下のごとくである:約3日目に、マウスは体を丸く縮こませるように見える、彼らの毛は逆立ってひだができ、そして彼らは外部からの刺激に対して過敏である。全身性の震えが存在する。4日から6日目に、その動物は破傷風様けいれんを起こして死亡する。
彼自身の報告が立証し始めるように、この実験は単に培養脳細胞でよく育つだろうあるウイルスを作り出すことだけを意味しなかった。
フランシスは、そのウイルスが肺から回収されてきた場合に、それがまだ脳に固執性があるかどうかを調べ始めた。
今回の実験は、組織培養系で生育したウイルス株を用いてのみ行われたため、マウスの鼻腔内感染によって維持されたウイルスのWS株がまた神経向的属性を保有しているかどうかを知ることは興味深い。
それ故に、通常の組織培養培地から移動して後、9から15回鼻腔内継代されたWS株ウイルスについてテストした。
懸濁液は、感染した肺から作製し、そしてそれを用いて、マウスたちは大脳内接種された。
9代と13代目の肺から調製されたウイルスは、連続的な大脳内接種による継代を生き延びることに失敗した-最初の例ではおそらく継代が7日間の間隔で行われたからであろう。
14代と15代目の鼻腔内継代ウイルスで、しかしながら、6代と3代それぞれの大脳内接種継代後に致命的な神経系の感染が得られた(実験4、5、6、7、表II)。
前述の調査に基づくと、ヒヨコ胎児脳中での事前適応化の期間は、インフルエンザウイルスWS株の神経向性特性をもたらすためには必要とされないことは明白なように思われる。
フランシスは、驚くべき何ものかを報告し始める。マウスがウイルスを注射されたときそのウイルスは脳に感染するだろうが、しかしマウスが彼らの鼻を介して暴露されたときには、それは脳には感染せず、その代わりにそのウイルスは単に彼らの肺に固執することを:
その神経指向活性は、肺指向活性を犠牲にして発現するのではない。(脳に)存在する場合には、他(肺)でも同等の濃度で発見される。
出現する効果は、しかしながら、接種ルートによって厳密に規定される。
肺向性と神経向性ウイルスの両者とも、大脳内接種後の脳からあるいは鼻腔内接種後の肺から検出される一方で、神経向性効果は鼻腔内接種によっては生じないし、肺向性効果は大脳内接種後に観察されない。
1941年、この研究を出版の1年後、彼はアメリカ軍によって、インフルエンザに対するワクチンの開発のために採用された。
私の以前の報告で 、私は一つの生物兵器病原体として使用するのに適したこのインフルエンザウイルスの開発を、ジョージ・W・メルクがメルク製薬会社とアメリカの生物兵器プログラム両者の指揮をしていた事実と結びつけた。
しかしながら、その関係は、私が当初仮定していたよりはるかに深い。 軍のためにインフルエンザワクチンの作製の任務を与えられた企業は、シャープ&ドームという名前だった。
1935年以降、シャープ&ドームは、ジョン・S ・ジンサーという名の男に率いられていた。(訳注:フレデリック・ジンサーの子、ハンス・ジンサーの甥、そしてジョン・J・マクロイの義理の兄です) 彼がこの会社の取締役会の代表となる以前、彼はアメリカ軍の化学兵器プログラムのために仕事をし、そして彼は、この時代に遡れば、すでにジョージ・W・メルクによって率いられていたメルク社のために働いていた。
このことが帰着するものは、ジョージ・W・メルクは効果的にインフルエンザワクチン接種プログラムが、彼自身の弟分、ジョン・S ・ジンサーによって実行されるようにさせたということである。
十分興味深いことに、これらの男たちによって率いられていたその会社は1953年に合併した。メルクは、従って、化学戦争のベテラン、ジョン・S ・ジンサーに率いられた会社と、生物戦争のベテラン、ジョージ・W・メルクに率いられた会社の子孫であるということになる。
インフルエンザワクチンの話は、アメリカ合衆国に限られてはいない。
トーマス・フランシス・ジュニアが語った、インフルエンザのWS株はまた、ヴィクトリアの優生学協会のメンバーであるフランク・マクファーレン・バーネットという名の一人のオーストラリア人男性にも知られていた。
1953年のマクファーレン・バーネットの一つの報告で、我々はいかに彼が、トーマス・フランシスが、彼がそれを試験したラットの脳を破壊することに非常に効果的であると報告したそのWS株を、さらに破壊的でさえあるインフルエンザの新しい株を作り出すために使ったかを発見する。
彼の報告は言及している:
インフルエンザウイルスの不安定性は、その対象についてのすべての研究者に知られている。 この不安定性の一例として、それについて我々が研究してきた古典的なWSウイルスの2つの亜株の起源を追跡することは興味深いだろう。WSウイルスは1933年1月、その当時英国で流行していたかなり危険な疫病の典型であると想定されていた症例の個体から単離された。 そのウイルスは単離された時点で、ヒトとフェレットに対して病原性があった;それはマウスに対しては病原性がなかった。
後の研究に照らしてみて、我々は、以下を合理的に確信可能である。それが鶏胚尿膜腔で生育しなかっただろうし、それが確かに漿尿膜に病変を生じなかっただろうし、そしてそれがたぶんヒト赤血球を凝集させたが、ニワトリ赤血球は凝集させなかっただろうと。
フェレットでの何代かの継代後、それはマウスに鼻腔内感染させられた。そこでは、何度かの継代後、それはかなり突然致命的な肺硬変を生じさせる能力を発現した。
マウスに適応させた型のそのウイルスは、1936年ハムステッドからメルボルンへと送られた。そこで、それは12日目のニワトリ胚漿尿膜へ感染させられた。
最初は、疑う余地のない病変はなにも生じなかったが、10回の継代後、明らかな増殖病巣が観察された。これらはさらなる継代によってより明瞭に発生するようになった。そして20回目と30回目の継代の間で、胚が影響を受け始めた。
40回目の継代までには、胚は、脳と筋肉における全体的な出血性病巣を伴って、必ず60時間以内に死んだ。 この株、その後不定期の尿膜腔継代とドライアイス中で保存したものがWSE株である(Burnet & Lush 21)。
もう一つの彼が作り出したウイルス株ははNWS株と呼ばれた:
その後、スチュアート-ハリスが、同様の材料(原株)から出発して、WSEの型の変異株を漿尿膜継代によって得ることができることを確認した。そして、その後感染物質を胚の脳からマウスの脳に移すことに成功した。
単にそこで11回の継代を生き延びるだけで、そのウイルスは徐々により悪性となった。そして、ついにマウスを高力価で急性脳炎の症状とともに死亡させるに至った。
このような100回のマウスの脳での継代の後、その株はメルボルンに送られ、尿膜腔に移されたものが、我々の株NWS(Stuart-Harris's " Neuro-flu "566)に相当する。 これらの株の間でのいくつかの主な違いを表Ⅰに示した。そのプロセスの詳しい分析なしでは、独断することはできないが、しかし、病原性の主要な変化のそれぞれは、いくつかの突然変異の結果であるとの所感は非常に強い。
なぜバーネットが、致死的なウイルスを作り出すことにそれほど取り付かれていたのかを文書化しておくことは重要である。
バーネットは、彼が第三世界の国々での人口過剰とみなしていたものについて心配して(気をもんで)いた。英国の新聞The Ageは、バーネットが東南アジアの「人口過剰な」国々に対して使う生物兵器を開発することをオーストラリア政府に要請したことを報告している:
世界的に有名な微生物学者サー・マクファーレン・バーネット、オーストラリアの最も偉大な医学研究科学者として崇拝されるノーベル賞受賞者は、ひそかに、その政府にインドネシアと他の東南アジアの「人口過剰な」国々に対して使用するための生物兵器の開発を促していた。
その実態は、オーストラリア国立公文書館によって外務貿易省からの抵抗にもかかわらず機密解除された最高機密ファイルの中に含まれていた。
サー・マクファーレンの1947年のある秘密報告書では、食用作物を標的とし、伝染病を拡げる生物化学兵器を開発する必要があると推奨している。
「オーストラリアの状況に対し具体的には、人口過剰のアジアの国々によって脅かされている侵略に対する最も効果的な軍事反撃は、生物的・化学的手段による熱帯作物の破壊と熱帯の条件下では拡がることが可能であるがオーストラリアの条件下では拡がらない感染病の散布へと方向付けられるだろう。」と、サー・マクファーレンは述べた。
サー・マクファーレンはまた、生物兵器戦争に特別な関連を有するような生物科学の分野を研究することを大学に奨励するよう促した。
1950年に英国を訪問して、英国の化学兵器や生物兵器の研究活動を調査した後、サー・マクファーレンは、その委員会で述べた。「敵集団の間での疫病の開始は通常戦争をしかける手段としては棄てられる。なぜならそれはその使用者にも跳ね返ってくるからである。」
「低衛生のある国では、例えば水の汚染によるある外来の腸内病原菌の導入は、広範な散布を開始させる可能性がある。」、と彼は述べた。
「適切な蚊の運搬体によって、ある国への黄熱病の導入は、制御手段が確立される前に、一つの無力化する疫病を築き上げるかもしれない。」
その小委員会は推奨した。「生物兵器を用いた東南アジアとインドネシアの食糧供給への攻撃の可能性を小規模研究グループによって検討すべきである。」と。
残念ながら、生物兵器戦争はここで終わらない。 一つの直接の繋がりは、ロックフェラーの科学者トーマス・フランシス・ジュニア[Thomas Francis Jr, 1900-1969]による仕事から、最初にポリオワクチンを作り出した男、ジョナス・ソーク[Jonas Salk, 1914-1995]の仕事へと関連づけることが出来る。
ジョナス・ソークは、インフルエンザワクチンの開発によってトーマス・フランシスを支援した:
ジョナス・ソークは20世紀の最も尊敬される医療科学者の一人である。
彼の最初の言葉は、「汚れ、汚れ(汚い、汚い)」であったと報告されているが、彼の初期の考えはバイ菌の研究をすることにではなく、法曹界に入ることにあった。
しかし、彼は、生物学と化学に興味を持つようになった、そして研究に入ることを決心した。彼は訓練を受けるためにニューヨーク大学医学部に行った。
そこで1938年、彼はインフルエンザワクチンを予期していた微生物学者トーマス・フランシス・ジュニアとともに働き始めた。
彼らは、第二次世界大戦中に軍部で使用されたそれを開発した。
SV40基金が説明しているように、SV40とその他のウイルスが、ソークによって開発されたワクチンを「汚染していた」。そしてその結果、これらのウイルスは人々の間に拡散した。
SV40は今日見られる多くの様々な形態の癌に対して責任がある。
アメリカの生物兵器プログラムが終了したようには決して思われない。
ボイド・グレイヴスの優れた研究が示すように、実験的なB型肝炎ワクチンが、米国で同性愛者のコミュニティを通じて、HIVウイルスを拡散するために用いられた。そして、天然痘ワクチンがそのウイルス(HIV)をサハラ以南のアフリカに拡散するために使用された。
信じられないように思われるかもしれないが、証拠はこの疫病は人工物であることを強く示唆している。 公に入手できる世界保健機関とその他の組織の内部メモは、免疫系を標的とするウイルスを開発することへのある強い関心が存在したことを示している。
このことは既に他の人達によってよく記録されているので、私は、どなたであれこの主題に関心を持つかたは、以下の人々によって成された研究を見ることをお勧めする。ボイド・グレイヴス、レン・ホロウィッツ博士、トム・ケスケ、アラン・キャントウェル。
元記事は
The history of vaccination as a method of biological warfare David Rothscum Saturday, September 19, 2009
http://davidrothscum.blogspot.com/2009/09/history-of-vaccination-as-method-of.html

(上)1963年に開催された学術諮問委員会:左から、Thomas Francis Jr.氏、定地憲爾ABCC通訳、Darling所長、中泉正徳ABCC準所長。Darling所長の向かいに座っているのは中村敬三予研所長。永井勇長崎予研支所長がテーブルの端に座っている。
※ABCC=Atomic Bomb Casualty Commission 原爆傷害調査委員会
以下「さいはてメモ帳」様より転載
http://glassbead.blog.shinobi.jp/medical%20tyranny/bought%20medical%20education
・ユースタス・マリンズ:ロックフェラーはいかにして医学教育を買ったか
Eustace Mullins
2021年5月19日

これが、医師や看護師の大半は
裏切り者かそれ以上である理由である。
現代の医療には限界がある。
※フレデリック・テイラー・ゲイツ[Frederick Taylor Gates](1853-1929)がロックフェラーの下で働くようになってから、財団による「アメリカの医科大学」の買収はほとんどすぐに始まりました。

それは素早く、シンプルなものでした。それは3つのステップで行われました。

最初は、1910年にロックフェラーとカーネギーに雇われたアブラハム・フレクスナー[Abraham Flexner](1856~1959年)が書いた有名な『フレクスナー報告書』に、ロックフェラーとカーネギーが共同出資したときです。
フレクスナーは全米を回り、アメリカの医学教育のレベルがいかに低いかを非常に学術的に分析しましたが、彼の分析は正しかったのです。 彼はそれを歪曲したわけではない。 私の知る限り、彼は(何一つ)歪曲していない。その必要もなかった。ディプロマ・ミルはありました。良い学校もいくつかありました。 しかし、平凡な学校もたくさんあったし、悪い学校もたくさんありました。
フレクスナーは、これらの情報をまとめて『フレクスナー報告書』を作成しました。 財団が公益事業として発行したもので、誰もが非常に心配していました。 何かをしなければならない。 基金の資金で問題が解決されたのです。
次に、問題を解決することになりました。 ロックフェラーとカーネギーは、問題を解決するための資金を提供しました。非課税の助成金を提供したのです。ロックフェラーとカーネギーの提言に協力的な医学部には、何百万ドル、何千万ドルもの莫大な資金が投入されたのです。
お金の影響を受けようとしないところには何も与えられず、道を踏み外してしまったのです。賛成したところは、このお金を得て、資格のある教師を集めるために大きな建物を建てることができました。 ロックフェラーやカーネギーのお金で、必要な設備を整え、現在のアメリカの大規模な医学部になったのです。
昔から、「笛吹きに支払う者が曲を決める」という言葉があります。 まさにその通りです。 ゲイツとフレクスナー、そして彼らが任命した人たちが、これらの学校の理事会メンバーやコンサルタントになったのです。 皆さん、もしあなたが学校の評議員会のメンバーで、お金に困っていて、誰かがやってきて、ここに1千万ドルあります、と言ったときに、しかし、あるいは、ところで、私たちは次に学長を探すときには、スミス氏を検討することをお勧めします、彼は立派で評判の良い人です。
彼らがその提案をしたとき、あなたは注意深く耳を傾け、そして、スミス氏が次の学長になるでしょう。
スミス氏は、ゲイツ氏、ロックフェラー氏、カーネギー氏が、「さて、スミス氏、教育スタッフにはこのような資格を持った人が必要ですが、ジョーンズ医師やラドクリフ医師などに注目することをお勧めします」と言ったときには、注意深く耳を傾けます。彼らは皆、耳を傾ける。お金には独特の音がある。それは、数千ドルが波打つ音である。今、そこには堕落はない。
私たちが学校を管理すると言っても、それは必要ではありません。私たちの言うとおりにしてほしいのですが、それはとても紳士的で、優しく行われます。しかし、それにもかかわらず、それは行われます。だから、喜んで協力してくれる学校が、お金を手にしたことは間違いありません。記録を見れば、それが事実であることがよくわかります。
フレクスナーは、ジョン・D・ロックフェラーの「便衣兵」として、当時ロックフェラー財団の子会社であったカーネギー財団による医学部業界全体の買収を仕組んだのです・・・「カーネギー財団」というと、実体のないものを指しているようです。完全にロックフェラーの支配下にあちます。
彼(アブラハム・フレクスナー)は『フレクスナー報告書』を作成し、アメリカの医学部をホメオパシーや自然療法から、薬の大量使用や過激な手術、長期入院に依存するドイツの医学派であるアロパシー医学に変えました。これが現在のアロパシー医学です。」
以下「さいはてメモ帳」様より転載
http://glassbead.blog.shinobi.jp/vaccine/polio-like
・新しいポリオに似た「小児多系統炎症性症候群」(MIS-C)は、Covidスパイクタンパク・ワクチンを子供に注射して、手足を麻痺させることで生まれる可能性がある(ナチュラルニュース 2021年9月1日)
S.D. Wells
※2020年10月、ちょうど1年弱前に、FDAは、covidスパイクタンパク注射によって生じる、死に至る病や衰弱した障害を含む20以上の重篤な有害事象や副作用の長いリストについて説明を受けました。覚えておいてほしいのは、最初のcovidワクチンが投与されたのは2020年12月、ニューヨークでのことで、それはファイザーのmRNAジャブだったということです。これは誰かが汚いCovidの注射をされる2ヶ月前のことで、FDAはCovidの注射が5種類の血栓症、死亡(なぜか死亡は「副作用」と考えられている)、流産、脳卒中、痙攣、発作、不可逆的な自己免疫疾患、ギラン・バレー症候群、関節炎、そして特に幼い子供に影響を与える麻痺性の副作用を伴う新しいポリオのような症候群のリスクを高めることを十分に認識していました。
西洋医学は科学的根拠に基づく医学ではなく、恐怖に基づく医学であることが歴史的に明らかになっている
後悔先に立たずと言いますが、振り返ってみると、ワクチンは病気を予防するために作られたのではなく、病気を予防するという名目で注射するために作られたことがよくわかります。実は、ポリオ・ワクチンを発明したとされる医師は、精神病患者を対象とした違法な医学実験を行っており、感染症の研究を全くしていなかったことが判明しています。ジョナス・ソーク博士はポリオ・ワクチンを発明していません。彼は、発明したように見せかけるために採用されたのです。ほとんどの人が知らないことですが、ポリオ・ワクチンはワクチンを受けた人に麻痺性ポリオを誘発することが知られています。世界は、ワクチンは病気や健康被害を引き起こすのではなく、予防に関与すると騙されてしまったのです、そしてそれはすべて、カルト薬理学の神、ジョナス・ソーク博士から始まったのです。

今から68年前、そして今、陰湿なワクチン産業は、恐怖に基づいてパンデミックを管理するふりをしながら、スパイクタンパクを使って人間を麻痺させています。これは、「不治の病」であるポリオと、プロパガンダとして使われた車椅子の子供の写真から始まったのと同じです。ポスターに書かれていたプロパガンダを覚えていますか?



新しいポリオのような「小児多系統炎症症候群」は、covidワクチンによって作られ、スパイクタンパクが心臓、脳、肝臓、腎臓、膵臓など、体のあらゆる重要な器官を圧倒します。あまりにも多くの場所で炎症が起こるので、ワクチン産業、メディケア、メディケイドは、FDAに対して、スパイクタンパクの生物兵器を国民に接種することを進めれば、このような大量殺戮的な健康被害の波が来ることを事前に警告しなければなりませんでした。
アメリカ政府がアメリカ人の医療権を十分に侵害することができるようになれば、すべての子供たちに強制的にワクチンを接種することで、ポリオのような新しい不自由な「炎症性症候群」が引き起こされ、それはすべてcovidとその変異株のせいにされるでしょう。
ポリオのプロパガンダを思い出させる恐怖に基づいたcovid注射
陰湿なワクチン産業が最も嫌うのは、ワクチンの危険性を警告する「内部」からの内部告発者である。アメリカの親たちが、子供がポリオにかかったら一生不自由な生活を送ることになると、死ぬほど怖がっていたのはそれほど昔のことではありません。
結局のところ、Covid-19とその変異株によって引き起こされるポリオのような稀な障害は、子供の血管系に500億個のスパイクタンパクを注射した後では、それほど稀ではなく、FDAはそのことをすべて知っているのです。実際には、毒性のある血栓溶解注射を使って子供を麻痺させるために特別に作られた一般的な症候群かもしれません。
ブライアン・アーディス[Bryan Ardis]医師は、Covid血栓溶解注射をはじめ、現在も米国の病院で使用されている恐ろしい治療法を告発しています。