以下「In Deep」様より転載

https://indeep.jp/about-30-years-since-invention-of-coronavirus-genetically-modified-s-protein/

・1990年のファイザー社の特許「コロナウイルス遺伝子組み換えスパイクタンパク質の発明」から30年間の努力の歴史

※今回は、やや興味深いものとして、

「ファイザー社による 1990年の組み換えコロナウイルスのスパイクタンパク質についての特許」

の存在を知りまして、それなどをご紹介したいと思います。

現行のワクチンのメカニズムの歴史は、予想している以上に長いもののようです。


21世紀に注ぎ込まれた遺伝子への情熱

最初は、ふとしたことで、2016年にアメリカの特許庁に申請された以下の特許を見出したことでした。

融合前コロナウイルススパイクタンパク質とその使用 (特許番号 WO2018081318A1)
Prefusion coronavirus spike proteins and their use

この特許の最初の部分を読んでいたとき、

「ああ、あの改変は 2016年にはできていたのか」

と知りました。

この特許の最初の部分をご紹介します。

出てくる用語が全然わからないのですが、大ざっぱに調べたものを書きますと以下のような感じです。

・ヘプタッドリピート → 7つのアミノ酸の繰り返しパターンで構成されるタンパク質(ここではスパイクタンパク質)の領域

・細胞外ドメイン → タンパク質(ここではスパイクタンパク質)のうち細胞外に露出した部分

・ヘリックス → タンパク質(ここではスパイクタンパク質)の二次構造の共通モチーフ

・プロトマー → オリゴマータンパク質の構造単位

以下です。

ヘプタッドリピート1(HR1)と、融合前のコンフォメーションで細胞外ドメイン トリマーを安定化する中央ヘリックスとの間の接合部またはその近くに 1つまたは 2つのプロリン置換を含むプロトマーを含む組換えコロナウイルス細胞外ドメイン トリマー。

前記1つまたは2つのプロリン置換が、2つの連続するプロリン置換を含む、請求項1に記載の免疫原。 (WO2018081318A1)

なんだか面倒くさいことが書かれてあるのですが、要するに、ここには、

「プロリンを置換する」

とあり、現在のファイザー社のコロナワクチン遺伝子におこなわれているのと同様の改変は、この際の特許の内容であり、この時期におこなわれていたのだなあと知ったのです。

プロリンなどというものを知ったのは、つい最近で、以下の記事のマサチューセッツ工科大学のステファニー・セネフ博士の話で知ったことです。

以下の部分です。


ステファニー・セネフ博士のインタビューでの談話より

最も気がかりなのは、彼らが実際に「 mRNA の遺伝子コードを変更」していることです。遺伝子コードを改変し、スパイクタンパク質の正常なバージョンを生成しないようにしているのです。

ワクチンでは、通常のスパイクタンパク質は生成されず、スパイクタンパク質の重要な場所にプロリン(一度破壊されたコラーゲンを修復する力をもつアミノ酸)が 2本並んだバージョンが生成されるのです。

ワクチンで作られるスパイクタンパク質には 2つのプロリンがあるので、非常に硬くなっており、形を変えられないようになっています。通常なら、このタンパク質は ACE2 受容体に結合すると、形を変えて膜に突き刺さります。ところが、ワクチンのスパイクタンパク質は、再設計により、それができなくなっており、ACE2 受容体の上に居座ることになります。それにより、ACE2 受容体は露出した状態となります。


プロリンというのは、「一度破壊されたコラーゲンを修復する力をもつアミノ酸」だそうで、つまり、この遺伝子の改変は、「スパイクタンパク質を丈夫にするためのもの」です。

そして、このセネフ博士の言う、

> スパイクタンパク質の重要な場所にプロリンが 2本並んだバージョンが生成

という改変と、先ほどの特許にある、

> 2つの連続するプロリン置換を含む免疫原

は、おそらく同じ部分の改変についてのことなのだろうなと。

この「免疫原」とは、抗原となるもののことで、ここでは、スパイクタンパク質のことです。

つまり、この 2016年の特許は、

「2つの連続するプロリン置換によって強化されたスパイクタンパク質」

に関するものだといえそうです。

この発明が、2020年に開発した(とされる) mRNA ワクチンの mRNA 変更の際に役立てられたと。

「スパイクタンパク質自体を強化する」という考え方は、わりと以前からあったのだなあと知ります。


その後、アメリカの経済的利益に関連するイノベーションを監視する企業 M-CAM社のデビッド・マーティン(David Martin)博士という方が、ドイツの国際コロナ調査委員会に提出した書類の存在を知りました。

これはとても参考になるものだとは思うのですが、何とPDF で 200ページもあるもので、この書類で、

「 2010年までだけで、コロナウイルスに関しての特許は、391件に達していた」

ことなどを知りました。

アメリカは、自然のウイルスでの特許申請はできません。

そして、「組換えコロナウイルスの生産方法」の特許が出願されたのは、2002年の以下のものです。

組換えコロナウイルスの生産方法(特許番号 US7279327B2)
Methods for Producing Recombinant Coronavirus

さらに、何と、今から 30年以上前となる 1990年にはすでに、

「コロナウイルスのスパイクタンパク質遺伝子治療に関する特許」

が、ファイザー社により提出されていたことを知りました。

この特許は 2010年4月に失効となり、現在は、パブリックドメインになっていますが、内容については以下にあります。

犬コロナウイルスS遺伝子とその用途
Canine coronavirus S gene and uses therefor

これらが記されているドイツ国際コロナ調査委員会に提出された 200ページの書類は、最初の少しだけしかまだ読んでいないですが、以下が、そのデビッド・マーティン博士が提出した書類です。

ファウチ / COVID-19 調査資料
The Fauci/COVID-19 Dossier

文書の表紙には、「この文書は、人類のために準備された」と書かれてあります。


それにしても、コロナウイルスのスパイクタンパク質を軸にしての治療薬 / ワクチンの開発は、1990年から実際にヒトに使用される 2020年までの実に 30年間続けられてきたということになり、「コロナワクチンは研究開発期間が短すぎる」と言われることなどもありましたが、30年なら十分ですね。

月並みな生物兵器でも、そんなに時間をかけて作られるものは少ないと思います。

「だから完璧なのかあ……」

と、感慨にふけっていました。

「何でも地道な努力だな」と改めて思います。



以下「In Deep」様より転載

https://indeep.jp/mrna-h5n1-vaccine-for-human/

※最近、権威のある医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル (BMJ)に掲載された論文で、

「アメリカ政府は、1985年から mRNA ワクチン開発に投資をしていた」

ことが論文で示されていたことを米エポックタイムズが報じていました。

その前半部分を紹介して締めさせていたただきます。


・米国はパンデミック前の数十年間、mRNAワクチンに投資していた

Epoch Times 2023/03/08

※mRNA ワクチンへの公的投資を体系的に調べる最初の研究で、研究者たちは、米国政府がパンデミックの数十年前に mRNA ワクチンにかなりの投資をしていたことを発見した。

3月3日にブリティッシュ・メディカル・ジャーナルに掲載されたこの研究では、政府が 1985年から 2022年の間に mRNA ワクチンと、その技術に 319億ドル (約 4兆4000億円)を投資し、そのうち少なくとも 3億3,700 万ドル(約 460億円)がパンデミック前に投資されたことがわかった。

政府はまた、パンデミックの間、すべてのアメリカ人のためのワクチンの研究、生産、ワクチン、および世界的な寄付のために 316億ドル (約 4兆3000億円)を支払った。

莫大な資金プールにより、モデルナとファイザーは、発売以来の COVID-19 ワクチンの販売から 1,000億ドル (約 13兆7000億円)を超える収益を獲得した。これは、2020年から 2021年の世界保健機関 (WHO) の総予算の 20倍に相当する。

全体として、研究者たちは、mRNA コロナワクチンに直接関連する 34のアメリカ国立衛生研究所 (NIH) の助成金を特定した。

彼らはまた、生物医学先端研究開発局 (BARDA) と国防総省によって発行された契約を特定した。

ハーバード大学医学大学院のフェローであり、この研究の筆頭著者であるフセイン・ララニ氏は、「これは、アメリカのこれまでの病気に対する最大の公共投資です」と述べた。


・米国の国防総省が免疫を不全にする生物兵器の開発を始めたのは1960年代

2023.02.04
 
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202302040001/

※情報公開法で入手した文書を分析した結果、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」による深刻な副作用は、バラク・オバマ政権の時代(2009年1月から17年1月)にアメリカの国防総省が始めた作戦の結果だと指摘されている。

文書を入手したチームの中心人物は医薬品業界において25年にわたって研究開発に携わってきたサーシャ・ラティポワ。一緒に仕事した企業にはファイザー、ジョンソン&ジョンソン、アストラゼネカも含まれているのだという。

ロシア軍は昨年2月24日から始めた軍事作戦の過程でウクライナ側の重要文書の回収、その中には生物化学兵器の研究開発に関する2万以上の文書が含まれている。それらを分析し、目撃者や研究参加者へインタビューしているという。

アメリカの生物兵器に関する調査を指揮しているイゴール・キリロフ中将の発表によると、ウクライナの研究施設ではロシアやウクライナを含む地域を移動する鳥を利用して病原体を広める研究をしていたほか、2019年からウクライナ兵を被験者としてHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染実験が行われ、覚醒剤やモルヒネなどの薬物も使われていたようだ。

こうした文書が回収される前からロシア政府はアメリカ国防総省がウクライナで生物兵器の研究を進めていると批判していた。2013年には同省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれている。

実際にこの施設は建設され、このほかドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも同種の施設がある。これはウクライナのアメリカ大使館も認めていた。その研究員は外交特権で守られていたともいう。昨年2月の攻撃でロシア軍はこうした施設を破壊、文書を回収したわけだ。

第2次世界大戦が終わった直後、アメリカ軍はドイツや日本から生物化学兵器に関する機密情報を入手、その研究員を雇い入れている。

日本ではそうした兵器を開発するため、中国大陸で生体実験を行っていた。そのために「関東軍防疫部(731部隊)」や「関東軍軍馬防疫廠(100部隊)」のほか、「南方軍9420部隊」、「北支那方面軍1855部隊」、「南支那派遣軍8604部隊」が編成されている。こうした部隊を動かしていたのが軍医学校で、東京帝国大学医学部や京都帝国大学医学部と協力関係にあった。

中でも有名な「731部隊」は当初、加茂部隊や東郷部隊とも呼ばれていた。この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めたのは石井四郎中将、1942年から45年2月までは北野政次少将である。

日本の敗北が不可避になると石井たちは日本へ逃げ帰り、1946年にはアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けていることになるが、これは厳しいものではなかった。その過程で石井はGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と親しくなる。

日本側の資料や研究員はアメリカにおける生物化学兵器の研究開発で中心的な存在であるキャンプ・デトリック(55年からフォート・デトリックに格上げされた)へ運ばれた。日本とアメリカは生物化学兵器の研究開発で手を組んだわけだ。

1950年に朝鮮戦争が始まるとアメリカ軍は輸血体制を増強しなければならなくなり、「日本ブラッドバンク」が設立された。この会社の顧問に元731部隊長の北野が就任している。後に社名は「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになった。

また、第731部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は戦後、「伝染病対策」の中枢を形成することになる。その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設され、97年には国立感染症研究所(感染研)に改名された。日本の「COVID-19対策」で中心的な役割を果たしている。

アメリカでは2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、その衝撃を利用して国内が収容所化され、国外では侵略戦争を本格化させた。

その出来事が引き起こされる3カ月前、天然痘を生物兵器とする攻撃をアメリカは受けたという想定で軍事訓練「ダーク・ウィンター」がアメリカのアンドリュース米空軍基地で実施されたが、その訓練にジョンズ・ホプキンズ健康安全保障センターが参加している。そのほか、CSIS(戦略国際問題研究所)、国土安全保障ANSER研究所、MIPT(国立テロリズム防止オクラホマシティ記念研究所)が重要な役割を果たした。

2005年9月になると、CIAは中国や東南アジアのような地域でパンデミックが起こるという想定に基づく報告書を作成、2010年5月にはロックフェラー財団とGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)が「​技術の未来と国際的発展のためのシナリオ​」を発表する。

アメリカの国防総省やCIAはジョージ・W・ブッシュ政権に時代に生物兵器の攻撃を想定した軍事訓練を始めているが、免疫を不全にする研究は遅くとも1969年に始めている可能性が高い。

1969年9月、国防総省国防研究技術局の副局長だったドナルド・マッカーサーはアメリカ下院の歳出委員会でこの問題に触れている。「著名な生物学者」の話として、人工的に作られた生物学的な因子、自然には存在せず、自然免疫を獲得できない因子を生産することが5年から10年以内に生産できる可能性があると証言している。免疫力や治療で対応できない病原体を作り出せると見通しているようだ。実際、その証言から約10年後にエイズが出現した。

1970年代に入ると、世界では伝染病で死亡する人が少なくなっていた。医薬品業界にとって好ましくない状況であり、監督官庁、例えばアメリカのNIH(国立衛生研究所)、その下部機関であるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)、CDC(疾病予防管理センター)は存在意義が問われるような状態になる。そうした中、エイズが登場してきた。昨年12月までアメリカにおける伝染病対策を指揮したアンソニー・ファウチがNIAIDの所長に就任したのは1984年11月のことである。