以下「In Deep」様より転載

https://indeep.jp/inventor-of-mrna-technology-suggests-this-vaccine-is-dangerous/

・mRNAワクチン技術の発明者 : 「このワクチンは脂質ナノ粒子を卵巣に高濃度で蓄積させる」(Children's Health Defense 2021年6月17日)

※6月10日、mRNAワクチン技術の発明者であるロバート・マローン (Robert Malone)博士が、進化生物学者のブレット・ワインスタイン博士と共に、ポッドキャストで 3時間の談話を行い、ファイザー社とモデルナ社のワクチンに関連する複数の安全上の懸念について話し合った。

会話では、マローン博士とワインスタイン博士、および技術起業家のスティーブ・キルシュ氏 が、現在、物議を醸している日本の当局によるファイザー社ワクチンの生体内分布研究の意味についても触れている。この日本の研究は、ウイルス免疫学者のバイラム・ブライドル博士(mRNAワクチンの研究をカナダ政府から委託されていた科学者のうちのひとり)によって今月初めに公表された。

彼らはまた、これらの新しい mRNAワクチンでの適切な動物実験の欠如、および、ウイルス学者ゲールト・ファンデン・ボッシェ (Geert Vanden Bossche)博士によって提示された主張である「 mRNAワクチンの大量接種がこれまで以上に伝染性が高く、潜在的に致命的な変異体を生み出す可能性がある」という理論についても論じている。

ブライドル博士は、ファイザー社の生体内分布データについて、日本政府への情報開示の要求の結果として、一般に公開されていなかった日本の生体内分布研究のデータを受け取った。この生体内分布研究研究の結果は、世界中の規制当局が、一般の人々に提示しなければならなかった内容でもある。

この生体内分布の研究によって、もともと研究者たちは、「注射部位に留まる」と考えていたワクチンからの脂質ナノ粒子(ファイザー社ならポリエチレングリコール)の分布について、科学者たちの予測に反し、注射された脂質ナノ粒子は、身体全体に循環し、脾臓を含む臓器や組織で高濃度に蓄積されることがわかった。骨髄、肝臓、副腎なども高く、そして「卵巣」にも高濃度で蓄積される。

mRNA(メッセンジャーRNA)は、スパイクタンパク質を製造するように体に指示するものだ。マローン博士によれば、ワクチンに含まれる脂質ナノ粒子は、mRNAが出荷される「ケース」のようなものだという。

「臓器や組織に脂質ナノ粒子が見つかった場合、薬物がその場所に到達したことを示しています」とマローン博士は説明する。

日本の研究データによると、脂質ナノ粒子は 4時間以内に全身を循環する全血で発見され、卵巣、骨髄、脾臓、肝臓、副腎、リンパ節に高濃度で定着した。

マローン氏は、骨髄とリンパ節に脂質ナノ粒子が集中しているため、白血病とリンパ腫のワクチン接種者を監視する必要があるという。しかし、これらの疾患の信号は、6か月から 3年、あるいは 9年など経ってから示されることが多いものであることを博士は述べている。

通常、このようなシグナルは動物実験や長期臨床試験で取り上げられるが、ファイザー社やモデルナ社の mRNAワクチンでは、このような動物実験や長期臨床試験など(の通常の試験の課程)がなかったとマローン博士は述べている。

マローン博士は、アメリカ食品医薬品局(FDA)には、明らかになりつつある 2つの有害事象シグナルがあると述べた。

その 1つは血小板減少症だ。これは、骨髄で製造される十分な血小板を持たないもので、もう 1つは、潜伏したウイルスの再活性化だという。

マローン博士は、日本のデータで、脂質ナノ粒子が、精巣には蓄積されていないにも関わらず、卵巣に多く蓄積されていることに当惑していると述べる。

博士によると、元々のファイザー社から配布されたワクチンのデータセットにはこの生体内分布情報は含まれていなかった。「このデータは、世界中の規制当局に保護された非公開の範囲内で長い間存在してきました」と彼は言う。

博士によれば、COVID スパイクタンパク質が生物学的に活性であり、注射部位から移動して有害事象を引き起こす可能性があること、およびスパイクタンパク質が生物学的に活性である場合、非常に危険であることをアメリカ食品医薬品局は知っていたという。

実際、マローン博士は、遊離したスパイクタンパク質の危険性について、アメリカ食品医薬品局に警告した多くの科学者の 1人だ。

博士は、自己免疫の問題は、体内を自由循環するスパイクタンパク質に関連している可能性があることを示唆した。

自己免疫の問題を確認するためには、臨床試験の フェーズ3においての治験者を、少なくとも 2年から 3年の追跡の期間を設けて、ワクチンによる潜在的な自己免疫の影響を監視する必要があるが、そのような監視はファイザー社ワクチンとモデルナ社ワクチンでは行われなかった。

ワインスタイン博士は、ファイザー社とモデルナ社は共に適切な動物実験を実施しなかったと語った。

ワインスタイン博士は以下のように述べた。

「私たちは非常に憂慮すべき問題を短い時間で探らなければなりません。これらの脂質ナノ粒子が体内のどこに存在するのか、スパイクタンパク質はどこに存在するのかに基づく知見を得ることが急務となっています。私たち科学者は、このようなこと(日本の生体内分布研究の結果)は想定していなかったため、非常に懸念されるものです」

「また、有害事象報告システムで報告されている副作用被害と死亡事例、または深刻な事象に関して警戒すべきシグナルが出ており、(米CDCの)システムへの被害の申告は劇的に過少であると考える理由があるのです」

また、ワインスタイン博士は、ワクチンの大規模接種がもたらす、懸念されるべき潜在的な理由のひとつに、ゲイツ財団の元ワクチン開発局長であったゲールト・ファンデン・ボッシェ博士の主張する「ワクチンがより多くの変異体の作成を誘発する」ことについても発言した。

今年の初め、ボッシェ博士は、12ページの文書と共に、世界保健機関 WHO に警告を発した。その内容は、世界的な集団予防接種キャンペーンが解き放つ可能性のある「制御不能なモンスターウイルス」について説明したものだった。

ボッシェ博士は、ロックダウンと、強力な世界的な集団予防接種プログラムによって引き起こされたウイルスに対する極端な選択圧の組み合わせにより、短期的には症例数、入院数、死亡数が減少する可能性があるが、最終的にはより多くの変異体の作成を誘発すると述べた。

博士が、これを「免疫回避」と呼んでいたのは気がかりだ。つまり、ワクチン接種後であっても、人間の免疫系がそれらのウイルスを回避できないということだ。

免疫回避は、ワクチン製造企業がワクチンをさらに改良するきっかけとなり、それは、選択圧を低下させるのではなく、さらに感染性が高く、致命的となる可能性のある亜種を生み出す。

淘汰圧は、ウイルスが人体に侵入するために使用する経路である気道の粘膜表面を突破する原因となるウイルスの重要なスパイクタンパク質に影響を与える突然変異のより大きな収束を引き起こす。

このウイルスは、循環している変異体に応じて、使用および調整されている非常に特異的な抗原ベースのワクチンを効果的に凌駕する。これらすべてが、深刻で致命的となる可能性のある事例が直線的な増加につながる可能性と結びついており、事実上、制御不能なパンデミックにつながる可能性が出てくる。

このボッシェ博士の「制御不能なモンスターウイルスが生まれること」についてマローン博士は以下のように述べた。

「ボッシェ氏の懸念は、単なる理論ではありません。それは本物であり、データがあるのです」


ここまでです。

いつの世でも起こる「基本原則」が今もまた

山本七平さんが、自らの戦争体験とそれと関しての思索を書かれた『私の中の日本軍』(1975年)と『ある異常体験者の偏見』(1974年)に書かれてある

「戦時中(そして戦後)の扇動」

についてと同じことが今も起きていることがわかります。

今のは全世界規模ですが。

以下は、『ある異常体験者の偏見』に書かれてある「集団ヒステリーの原則」についてです。


原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーが、ある対象に向かうように誘導するのである。これがいわば基本的な原則である。


そして、「いつの世でも」事態は次のようになっていきます。


そして、それが世の常識となる。するともうどうにもならない。動かすことも、ゆるがすこともできなくなる。

すると人びとはその不動の常識によりかかっていた方が楽だから、そこで思考を停止し、他に規定された判断をそのまま自分の判断とし、そしてその常識なるものに反対するものは自分の方から排除してしまう。ひどい時には村八分にしてしまう。

従って事実を知っている者はみな沈黙する。

いったんそうなると、もういいも悪いもない。その常識という虚構の上に順次に虚構が積み重ねられていき、しまいにはどんな誇大妄想狂も口にしないようなことを言っても、人びとは何の抵抗もなく受け入れてしまう。


そのようになってしまった状況での山本七平さんの当時の感想は以下のものでした。


『私の中の日本軍』より

いつもながら同じことがくりかえされる……専門家のデータは無視され、何やらわけのわからぬ全く無根拠の一方的強弁にすべての人が唱和していくという……。

なぜそうなるのであろう。不思議である。