・コロナ「医療逼迫」に「国民が我慢せよ」は筋違い 森田洋之医師が語る「医療の不都合な真実」(東洋経済ONLINE 2021年4月22日)

※病床数が世界一の国でなぜ医療が逼迫するのか。なぜ都道府県単位で悩むのか

現在、「医療逼迫」を理由に、新型コロナの感染拡大防止として、まん延防止等重点措置が宮城県、大阪府、兵庫県、東京都、京都府、沖縄県、埼玉県、千葉県、神奈川県、愛知県の10都道府県で実施されている。さらに、大阪、兵庫、東京は緊急事態宣言が発出される見通した。

北海道夕張市立診療所長としての体験などから日本の医療制度や実態を調査し、『日本の医療の不都合な真実』の著書もある森田洋之医師に話を聞いた。森田医師は「医療逼迫」「医療崩壊」の原因は日本の医療制度にあり、まん延防止等重点措置や緊急事態宣言によって国民の活動を制限するのは筋違いであると指摘する。

日本の医療では「市場の失敗」が起きている

――今年に入って、「医療逼迫」を理由に緊急事態宣言を発出し、それを2度にわたって延長、さらに飲食店を規制対象とする「まん延防止等重点措置」の導入と、国民の活動を制限する措置が継続的にとられています。問題は日本の医療制度のほうにあるとのことですね。詳しくお話しください。

まず、日本の感染者数は現在も、人口比で欧米のほとんどの国々よりも1桁少ない。一方で、1人当たりで見た病床数は世界で最も多く、医師の数も欧州主要国よりはやや少ないけれども、アメリカとは変わらない。

それでなぜ医療逼迫が起きるのか。日本の医療システムは、医療提供を国で管理するのではなく各病院の自由に任せているため、経済学で言う「市場の失敗」が起きているのです。患者数という需要側にもまして、医療の提供という供給側に問題があるのです。



今、大阪府で感染が増えて医療逼迫の状態にある、このままでは医療崩壊が起きると吉村洋文知事は訴えています。たしかに大阪だけを見ればそうなのかもしれませんが、一歩下がって全体を俯瞰すると別の景色が見えてきます。

厚生労働省が発表している全国の重症者数や病床数を見てみましょう。4月14日時点の発表で、大阪府の重症者は302人で重症者向けに確保した病床数は464ですから65%と確かにかなり埋まっています。兵庫県も116の病床数のうち77で66%まで来ています。ところが、となりの鳥取県では47病床のうち重症者ゼロ、島根県も25床あって重症者ゼロ、岡山は43病床のうち4人重症者がいますが、広島は48あってゼロ、山口県は重症者向けの確保病床数が124と兵庫よりも多いのですが、重症患者はゼロです。



厚生労働省が発表している確保病床の新型コロナによる占有率、4月14日0時時点

こういう状況ならヘリコプターで患者を隣県に運んでもいいし、逆に応援として、医師や機材が他県から来てもいい。ところが、そんな話にはまったくならない。日頃から病院同士は競争関係にあるので、協力関係になれないからです。都道府県の間はおろか、隣の病院とも協力関係にはなれません。まったく融通が利かない状態です。

病床も機材も新型コロナには数%しか使われていない

――そもそも新型コロナ患者を受け入れる病院が少ないですよね。今年に入って、国は新型コロナの重症患者1人受け入れに1500万円の支援金を出し、自治体からの支援金も上乗せされています。ですが、いっこうに受け入れは増えませんでした。

全国の日本の病床数は150万もあります。そのうち、新型コロナ患者を受け入れている病床数は6万で4%しかない。これでも実は増えてきたほうで、1年前の感染第1波で緊急事態宣言を行ったときには、0.7%しか使っていませんでした。

日本の病院の経営上の理由から常時満床を目指しています。そこには、本人の望む人生かどうかを別にして慢性疾患や終末期の高齢者を病院に収容しているという大問題があります。だから、病院の多くは新型コロナのために病床を空けたがらない。感染症は波があるので、患者数が急激に増えて、また、急激に減る。それに対応していたら、経営が成り立たないからです。

重症患者に使われる人工呼吸器の数は全国推計で4万5000台ですが、学会の公表データによると、そのうち4月18日時点で新型コロナでの利用は414台、1%弱しか使われていません。今回の新型コロナではECMO(エクモ)と呼ばれる人工肺のようなものが知られていますが、これは全国2200台のうち、新型コロナに対しては44台が稼働中で、大阪府で11台使っています。新型コロナ患者への使用率は2%です。

これだけ日本中で大騒ぎしている新型コロナですが、人工呼吸器やECMOを使うような重症者でさえも日本の医療提供能力の数%しか使っていないということです。欧米は日本の何十倍も感染者・死亡者がいたのですから、医療負荷はもっともっとかかっていたでしょう。それでもなんとか持ちこたえていました。なぜ、これで日本は医療崩壊と騒がれるのでしょうか。しかも、持っている機材の数が推計値なのは、病院が独自に機材の調達を行っているからで、正確な数を国として把握していないのです。

政治が医療を管理できず、国民に責任を転嫁

海外の先進国ではどうか。欧州では病院といえばほとんどが国立・公立で、国が全体を管理しているので、病床の融通ができるんです。EU(欧州連合)ですから、国をまたいだ患者搬送もあった。欧米の場合、新型コロナによる病床の使用率は状況に応じて大きく増えたり減ったりしている。減らすことも大事なんです。緊急事態で空けさせるわけなので、急がない手術などを延期していますから。

つまり、多くの先進主要国では病院を警察や消防と同じ国の安全保障として位置づけているのに、日本では病院の自由に任せている。競争原理によって医療提供をコントロールしようとしているのです。だから、第1に協力関係ができない、第2に緊急事態に迅速に対応できないという「市場の失敗」が起きてしまう。

都道府県単位で悩んでいること自体おかしいでしょう。感染症の拡大は国としての安全保障と考えるべきです。それなのに、九州によその国から敵が攻めてきたら、本州は知らんぷりしてるみたいな、そんな馬鹿な話になっているんです。日本全国で機動的に対応すれば医療逼迫でも何でもない。医療崩壊ではなくて医療資源も医療システムも管理できていないだけの話です。

最前線の現場で歯を食いしばって懸命に働いていらっしゃる医師・看護師の方々の尽力に報いるためにも、人員や物資などの医療資源を適切に配備する後方支援システムを早急に立て直すべきなのです。ですが、医療業界が各病院の自由を原則にした市場原理を基本に構築されているため、国も地方自治体もまったく動きが取れないというのが現状なのです。

宇沢弘文(1928~2014)という経済学者は、医療を市場原理に任せてはならず、「社会的共通資本」として公的に管理すべきだと指摘していました。こうした考え方に立てば、医療の提供を市場に任せてきたのが間違いです。

「まん防」や「緊急事態宣言」の発令は社会全体に大きな影響を与える。感染症の専門家の意見は参考にはなるが、政治が社会全体を見て判断していくべき

医療業界はリソースのほとんどを新型コロナに割いていない。一方で、政府は外出するなとか外食するなとか3密を避けろとか、国民にばかり我慢を強いて活動制限を行っている。責任の所在が国民にあるかのようにすり替えているんです。

自分の専門領域のみの視点で語る医者の意見、専門家の意見に政治家が頼っていることが大きな問題です。最前線の医療現場で対応している専門家の方々の頑張りは本当に貴重でその意見は尊重すべきですが、かといって最前線の兵士が全体の戦況を把握し、国全体の未来を見通した戦略をたてられるか、というとそれは別の話です。国として全体の武器弾薬に相当する医療設備や医療機器や薬を把握し、さまざまな知見を総合して指揮を執る指揮官がいないといけない。

テレビや新聞はコロナ対応の病院だけを報道

――宇沢弘文は診療報酬制度を批判していましたね。医師は自由に開業する一方で、診療報酬制度で守られています。公立ではなくても公的インフラの位置づけにあるわけで、積極的に協力するべきじゃないでしょうか。公立病院がブラック勤務といわれる一方で、開業医の多くは「熱のある方は電話でご相談ください」と張り紙して保健所に回してしまっています。

本当に、おかしなことです。皆、全体像をちゃんとみていません。テレビや新聞は新型コロナに対応しているごく一部の病院、対応に追われている病院の医師や看護師さんの苦境だけを報道しているので、国民の多くが誤解してしまう。最前線の現場で頑張っていらっしゃる医療従事者の方々には本当に頭が下がりますが、それが医療業界全体のイメージとして報道されていることにはたいへん違和感があります。

――新型コロナという感染症について、最近は再び患者数が増えているので、テレビ、新聞は盛んに危機だとあおっています。森田さんはどう見ていますか。

超過死亡という統計があります。感染症の流行や大きな気候変動などによって、平年の死亡者よりも増えたかどうかを見るものです。2020年の年間死者数は138.4万人で前年よりも9300人減りました。高齢化で死亡者数は年々増加していたのに、11年ぶりの減少です。特に、死因別に見ると肺炎は毎年10万人死ぬんですが11月までの数字でむしろ前年の同じ期間より1万5000人減っています。一方で、欧米では死者数が例年よりも大きく増えました。



日々の報道に一喜一憂せず俯瞰的な視野で捉えて

人口比で見た感染者数も死者数も欧米に比べると圧倒的に小さくて、それらから見れば日本の第1波も第2波も第3波もさざ波に見えます。 いま、ワクチンでイスラエルやイギリスがものすごく被害が減ったと大喜びして、パブなど再開していますね。でも、まだ日本よりも死者は多いんです。ちなみに、死者数で見ると、日本、中国、韓国、台湾、これがすべて欧米より数十分の1~数百分の1の数字ですが、これが4回出るって天文学的な確率です。これは交差免疫など何らかの免疫学的機序が関与している可能性が高いと思います。



そしてこれは、変異株でも基本的に変わらないとみています。もちろん、今後の推移には注意していかなければいけませんが、毎日の「感染者〇〇人」「〇〇以降最高」といった情報にもまして、こうした俯瞰的視野で物事を捉えながら推移を見てほしいと思います。

――そういう中では、新型コロナのリスクばかり見て社会活動全体を制限することのリスクを見ていないのは異常ですね。すでに「コロナ鬱」による自殺も増えています。「命か経済か」という短絡的なフレーズがありますが、経済苦による貧困も病気や死につながります。スポーツや芸術などの文化的なイベントを「不要不急」と決めつけるのも危険なことだと思います。

本当にバランスが悪いですよね。昨年、東京都知事の小池百合子氏が「今年は花見を我慢してください」と言いました。「さくらは来年も咲きます」といった高名な医学者もいました。しかし、「もう桜を見られるのは今年が最後」というお年寄りもいたんです。そして、コロナ禍2度目の春の今年も花見は我慢と言っています。人間らしい生活というものが私たちからどんどん奪われています。

人は独りで引きこもって生きていけません。人と人とのつながりで生きています。人間の社会が壊されて行っています。新型コロナだけをみている医療従事者の言うことを聞いて、社会のほかの大切なことを全部犠牲にしている。

先ほどもお話ししましたが、政治家が医者に頼って物事を決めているのが問題です。専門家は専門性という狭い領域の中で結果を出すことを求められています。人と人とのつながりを断ったことで中高生の自殺が過去最高になったとか、経済を止めたことで飲食業界・旅行業界が壊滅的な打撃を受けたり、出生数までもが激減してしまったとか、そういうことにはあまり目を向けられないのです。政治家が社会全体にとって何が大事かを判断しなければならない。この当たり前のことが日本で通用していない。

「医療全体主義」が日本を支配してしまっている

――ところが、与党以上にゼロコロナ志向のテレビや新聞、さらに野党が、新型コロナの被害や専門家の活動制限を主張する言葉ばかりを並べ立てる。国民を脅して、与党を国民に活動制限を強いる方向へ駆り立てているのが実態です。

コロナ禍の前から、医療偏重という問題がありました。過剰診療や生活の質を無視した苦しい延命治療など、医療に人間の生活や人生までもが支配されてしまうという問題です。今まではそれが病院の中にとどまっていました。

しかし、今回の新型コロナをきっかけに医療偏重が社会全体に広がった。医療界が「命を守る」「○○しないと死ぬ」と脅して、そうした恐怖で人々や世界を動かせることが証明されてしまった。まさに「医療全体主義」が日本を支配しているのです。


・「ゼロコロナ」志向こそが人と社会を壊していく 森田洋之医師に聞く。「ワクチン過信にも注意」(東洋経済ONLINE 2021年4月27日)

※新型コロナ流行の一方、インフルエンザは流行せず。2020年の日本の死者数は前年比減少。いつまで脅し続けるのか。

「医療逼迫」を理由に、大阪府、兵庫県、京都府、東京都では緊急事態宣言がまたも発令され、飲食、レジャー関連など対面サービス業は壊滅的な打撃を受けている。日本の医療制度をよく知る森田洋之医師は、「医療逼迫」の原因は日本の医療制度の側にあると解説している(『コロナ「医療逼迫」に「国民が我慢せよ」は筋違い』)。さらに森田医師は「ゼロコロナ」志向には大きな危険があると指摘する。コロナ感染の実態と今の対策への疑問、変異株やワクチンについてどう考えるか、話を聞いた。

飲食店などの規制は犠牲が大きく効果は乏しい

――森田さんは「医療逼迫」は医療提供側に原因があると指摘されました。ところが、テレビ・新聞は「緊急事態宣言の発令を」の大合唱でした。政府・自治体の対策で特にターゲットにされているのは飲食店、居酒屋などです。

飲食店が感染を広げているという証拠はありません。大阪府では、クラスター発生場所のうち飲食店が占める割合はたった2%でした。クラスター発生場所の大部分は病院や介護施設です。そういう意味でも、飲食店などへの過剰な規制はやりすぎというか、犠牲が大きいのに比して効果が乏しいのではないかと思います。

――新型コロナによる死者数は今年の4月22日で累計9761名との報告です。しかし、厚生労働省の昨年6月18日付け事務連絡で、速やかな把握のために、PCR検査陽性者が亡くなった場合には、新型コロナによる死と扱い、厳密な死因を問わないことになりました。そのため、過剰計上が指摘されています。

結局、PCR検査をすると検査陽性者という母数も膨らんでしまいますし、分子の死者も過剰計上とみられます。だから、実態がわかりにくくなっています。いままでインフルエンザなどではPCR検査はほとんど行ってこなかったので、それらとの比較も困難です。新型コロナがどれだけ被害を与えたかを見るには超過死亡がいちばん信頼できる統計です。超過死亡は感染症の流行によって、平年よりも死者が増えたかどうかを見るものです。

新型コロナの流行によって世界のほとんどの国では超過死亡が発生したのですが、日本は超過死亡が出なかった非常に稀な国です。2020年の日本の総死者数は138.4万人で、前年よりもむしろ約9300人減ったのです。高齢化が続く中で増え続けていたのに、11年ぶりの減少です。国立感染症研究所も日本では超過死亡は発生しなかったと分析、報告しています。



――「2020年はパンデミック流行の年で、死者が例年よりも減った」なんていう記録を後生の人が見たらワケがわからないでしょうね。

欧米は明確に超過死亡が増えていますから、パンデミック被害があった。今回の新型コロナでは世界的に感度の高いPCR検査というものが積極的に使われました。しかし、PCRの存在しない時代だったら、「欧米ではなんか酷い病気が流行ってたくさん人が死んでいるけど、東アジアではほとんど被害がなかったね」で終わっていた可能性もあります。

ちなみに、日本、中国、韓国、台湾、これが欧米の数十分の1~数百分の1の死者数です。4カ国すべてこんなに低いということが起こる確率は天文学的なものです。偶然はありえない。しかもこれらの国々では欧米のロックダウンのような強制的措置はほとんど行われず、日本の自粛要請のような比較的緩い対策が主体でした。そういう意味ではもしかしたら、感染症対策はしたほうがいいかもしれないけど、しなくても変わらなかったかもしれない。

免疫の違いは大きかったのに、欧米に引きずられた

新型コロナを例えて言うなら、「山火事が起こりました。火元は中国でした。しかし、そこではまもなく鎮火して、近隣もくすぶり程度でしたが、遠くで燃え上がりました」というわけです。なぜそんなに、違うのかといえば、燃えやすさが違うに決まっています。つまり免疫の違いです。

免疫学の世界では地域、民族によって免疫の強さが異なるというのは当たり前の話です。16世紀のインカ帝国は、実はスペイン人たちの武力によってではなく、持ち込まれた天然痘で滅ぼされたのです。欧州では当時すでに多くの人が天然痘の免疫を持っていたわけです。

昨年の春節の時期、2020年1月~2月に中国から日本には101万人の旅行者が来ていました。同時期にアメリカに行った人は35万人です。そのときに、コロナも上陸していたのかもしれません。感染対策はまだしていませんでしたが、日本では感染がそれほど広がらず、欧米では大爆発した。

――ジョンズホプキンス大学の調査では、4月23日時点で世界の新型コロナによる累計死者数は306万人です。ただ、感染症では毎年アフリカを中心に多くの死者が出ているのに、普段はあまり報道されない。新型コロナは欧米で爆発したから報道も過熱したのではないでしょうか。

そのとおりです。三大感染症(エイズ、結核、マラリア)では毎年250万人、毎日7000人がなくなっています。新型コロナについてはいろいろな面で欧米に引きずられたと感じています。

――日本で流行する感染症はインフルエンザです。今年インフルエンザはなぜ流行しなかったのでしょうか。

2つ説があって、マスクなどコロナ対策がインフルエンザに効いたというのが1つ。もうひとつがウイルス干渉。現時点では正確にはわかりませんが、状況から判断するに僕は後者が有力だと思います。なぜなら通常インフルエンザの流行は1月中頃の最も寒い時期にピークを迎えるのですが、2019年に関しては、コロナが流行する直前の11~12月にインフルエンザの流行が突然収束してしまったのです。その頃から新型コロナウイルスが広がり、インフルエンザウイルスに取って代わった可能性もあります。

(注)ウイルス干渉:複数のウイルスのうち、一方のウイルスが世間で流行すると、他方のウイルスが流行しないという現象。

インフルエンザでもPCR検査をして全例入院と言い出したら、それこそ医療崩壊になります。国立感染症研究所の分析などでインフルエンザでは毎年1000万人の感染者と1万人ぐらいの死者が出ているとされています。それでもこれまでの社会はインフルエンザの流行をある程度許容しながら通常の日常生活を送ってきました。結果論ですが、欧米のようなロックダウンをしなかったにもかかわらず超過死亡を出さなかった日本などの東アジア地域では、新型コロナもインフルエンザと同じような扱いでもよかったのかもしれません。

ウイルスの排除でなく、免疫機能を高めることが大事

――新型コロナは無症状でもうつるのが怖い、とされました。

インフルエンザでもその可能性はあると思います。ランセット誌(Lancet)の論文で、血液検査の結果インフルエンザに感染した人の75%は無症状だったと報告されています。ウイルスはどこにでもいるし、どこから入ってくるかわからない。しかし、体内に入ったからといってその人が発症するとは限らない。ウイルスを完全に排除するのは無理なのです。

――ところが、立憲民主党などはいまさら「ゼロコロナ」と言い出しました。昨年からそれを主張するテレビや新聞、経済学者がいて「大量検査で隔離」などとジョージ・オーウェルの『1984年』のようです。

僕もマトリックスの世界に迷い込んだかのように感じることがあります。人間をずっと閉じ込めておくのですか。医師でもコロナをいったんゼロにせよ、と主張している人もいます。それ自体非現実的ですが、大量検査で仮にゼロになったとして、グローバルに広がったウイルスに対して、日本はこの先ずっと鎖国を続けるのですか、と問いたい。人間が駆逐に成功したウイルスは天然痘のみで、それほど困難なのです。

ウイルスを完全に排除しようというのは困難なだけでなく、実は、人間の体、人類の将来にとっても危険なことなんです。私たちは事実として細菌やウイルスと共存しながら日常生活を送っています。それによって、免疫を身につけてきたのです。例えば、肺炎の原因の第1位は肺炎球菌ですが、子どもの鼻や喉の中に常在菌として存在し、それが免疫機能の低下したお年寄りにうつると亡くなることもあります。つまり感染症とは病原体と免疫力のせめぎあいなのです。

菌やウイルスが体内に入って暴れ出したときに、体内の免疫機構で制御できるようにすることが、大事です。ゼロコロナを目指すより、被害を押さえながら共存して免疫機能を強くしていくほうがいい。しばしば誤解が見られますが、インフルエンザ薬のタミフルやリレンザも増殖を抑えるだけでウイルスを殺すわけではありません。ウイルスを殺してくれるのは自分の免疫だけです。

――では、何年も過剰な対策をしながら暮らすと、人間が弱くなる?

すでに免疫のある大人はそれでもいいかもしれませんが、今年生まれた子どもが何年もそうした状態に置かれたら怖いと思います。無菌室で育ったら、と想像してみてください。

後遺症も変異株も「コロナが特別」ではない

――昨年の夏頃から若年層向けには後遺症が怖い、後遺症を恐れよ、というのがキャンペーン的に流されました。

どんな病気でも後遺症は発生しうる。当然、風邪でもインフルエンザでもあります。人の体は複雑ですから、医学の世界では「一例報告」にこだわることはしません。全体像がつかめなくなるからです。ところが、テレビの報道はそういうのが大好きですね。後遺症のあるという患者さんにインタビューして大きく報道する。その人もその後は治っているかもしれませんが、その時には報道しません。

――変異株についても、さまざまな報道があります。

変異株についていえば、ウイルスはどんどん変異していきます。ウイルスというものの性質として自分が生き残る、広まるためには宿主が必要ですから、大きな傾向としては弱くなっていくという性質があります。もちろん、その過程ではどのようなウイルスになるのか、注意して見ていく必要がありますが、一つひとつの報道に振り回されるのではなく、本当の死亡率はどうなのかなど、統計全体を見て冷静に判断していくのが望ましいと思います。

そういう視点で見ていくと、今回の変異株についても、前回1月ころの変異株についても、超過死亡が大幅に増加するとか欧米のように死亡率が激増する、というような傾向は見られません。



――新型コロナでは子どもや若者は基本的に死なないので、教育や遊び、スポーツ、芸術などを犠牲にしている現状は間違いだと思います。ただ、そういうと、「お年寄りは死んでもいいのか」という反論が来る。

新型コロナで大騒ぎしていますが、日本では肺炎で年間10万人、月に1万人、毎日数百人死んでいるのです。今まで、その人たち全員に人工呼吸器を付けろという話にはならなかった。これは、お年寄りだから付けないという話ではないし、そんな議論をしてはいけません。もちろん、回復の可能性があれば人工呼吸器やECMOも使うでしょう。

新型コロナの統計を見ていると、おそらく、亡くなった方には認知症が進んで5年間寝たきり、老衰の過程をたどっていたという方も多い。新型コロナ死亡者の4割がもともと寝たきりの高齢者だったという報告もあります。(『コロナ死亡患者の4割が「元々寝たきり」の波紋』)。そのような場合に必要なのは、人工呼吸器ではありません。まず、患者さんがどうしたいのか、医師は腹を割って話し合って、その人の人生観に沿った対応をすべきなのです。過剰な医療で苦しむことなく静かに人生を閉じることを希望されているかもしれないのですから。

医療の目的は「身体的・精神的・社会的な健康」

今、ゼロコロナを目指す結果、高齢者は家族と面会できない状況です。しかし、終末期のおじいちゃんおばあちゃんにとって今、新型コロナにかかるかどうかはもうあまり関係がないかもしれない。それよりも、家族に会い、残された日々を少しでも笑顔で過ごしたいかもしれない。そういう希望があるならそれを実現するのが本当の医療です。ところが、現実は患者のための医療ではなくて医療側のための医療になっている。

私は大病院に勤務したあと、市財政の破綻で病院がなくなった夕張市で高齢者医療に携わりました。きちんと対話すると、札幌の大病院に入院するよりも、在宅医療を選んだ人が多く、そのほうが最後まで生き生きと暮らすことができたのです。高齢者医療の実体験を本に書いていますので、ぜひ読んでいただければと思います(『日本の医療の不都合な真実』、『うらやましい孤独死』)。

医療の目的は医師法第1条に書いてあります。「国民の健康な生活を確保する」と。では「健康な生活」とは何か。WHOの定義では、「身体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」です。しかし、今の医療は身体面しか見ていない。延命だけが目的になり、精神的・社会的な健康に興味のない医者が多い。だから管を抜かないように患者を拘束するような医療が当たり前になってしまっている。



――ワクチンこそ、「自身のリスク判断」に委ねられるべきだと思いますが、テレビや新聞は打つべきとの大宣伝です。新型コロナで脅しすぎて収拾がつかなくなったので、ワクチンで救われるというストーリーを喧伝しているのではないか、そんな気さえしています。森田さんは、ワクチンをどうみていますか。

基本的にはあまり期待していません。かなりの情報が出ていますが、それでも今の時点で効果が大きいとか安全だとかいうのは時期尚早だと思います。例えば、イギリスは5割近く、イスラエルは6割の人がワクチンを打ち、感染者が急減したと喜んでいますが、統計をよくみると、昨年の第1波でも感染が減るときは急減しています。つまり、ワクチンによるものなのか、単に新型コロナのエピカーブがそうなのか、判然としません。また、チリでは4割の人がワクチンを打ちましたが、感染者数は過去最高です。ワクチンが中国製だからという人がいますが、それが原因かはわからない。

それでも、アメリカやイスラエルやイギリスは感染状況と死亡率からいって賭けに出る価値があるでしょう。しかしコロナにかかる確率や死亡率が極端に低いに日本では賭けに出る必要がないと僕は考えています。遺伝子ワクチンのような新しい薬では何があるかはわからないです。理論的に安全だと専門家は言いますが、これほどあてにならないことはありません。医学的に安全と認められた薬があとで副反応が大きくて承認取り消しになったという事例はたくさんあります。

アナフィラキシーショック(アレルギーショック)などの目先の副反応ばかりが注目されていますが、怖いのは副反応がすぐに出るとは限らないことです。ワクチンではありませんが、サリドマイドの例などひどいものです。医学的に安全だということで薬事承認が通って多くの人が使って、4年後に奇形児が生まれるとわかった。因果関係はすぐにわからず、関連がわかるまでに4年かかり、その原因が理論的に解明されたのは30年後です。

「医療の過信」「ゼロコロナ幻想」は危険

専門家をそんなに信じてはいけないんです。医者も国民も医療を確かなもののように思いすぎていることがよくないと思います。医学って数学や物理学のように、確かな学問じゃない。人間の体は複雑でまだほんのわずかのことしかわかっていません。人の体に新しい薬を入れたらどういう反応が出るのかはわからない、というのが本当に正しい良心的な答えです。経済学の理論も現実の社会に落とし込んでみると、理論どおりにいかないことが多いですが、似たところがあります。

先程からお話ししているように、コロナだけをゼロにすべきという幻想が広まってしまったことに危機感を覚えます。私自身、医師として多くの死に向き合ってきました。残念ながら救えない命はあります。そして人は必ず死にます。一方で、リスクを恐れるあまり多くの高齢者を「かごの中の鳥」にすることで、かえって動けなくなったり、認知症が進んだりということが起きています。

コロナ禍をきっかけに、一般の国民の活動制限が始まりました。中国や韓国のようなスマホの位置情報で個人を監視するような動きを推奨している人々さえいます。私たちはかごの中へ追い込まれていいのでしょうか。


森田洋之(もりた・ひろゆき)/1971年横浜生まれ。医師、南日本ヘルスリサーチラボ代表、ひらやまのクリニック院長。鹿児島医療介護塾まちづくり部長、日本内科学会認定内科医、プライマリーケア指導医、元鹿児島県参与(地方創生担当)。一橋大学経済学部、宮崎医科大学医学部卒。財政破綻後の北海道夕張市で市立診療所長として地域医療の再建に尽くす。専門は在宅医療、地域医療、医療政策など。