・「罰金はわずか数百円」それでも中国人が信号を守るようになった怖い理由(PRESIDENT Online 2021年3月28日)
赤間 清広

(上)交差点の歩道側に設置された「交通違反者暴露台」
※中国には至る所に監視カメラがある。AIを駆使した最新のシステムで信号無視すら見逃さない。中国で特派員を務めた毎日新聞記者の赤間清広さんは「最先端の監視カメラで交通マナーは劇的に改善した。しかし、その解決法はあまりに過激だ。治安維持の名目で、人々のプライバシーが丸裸にされている」という――。
※本稿は、赤間清広『中国 異形のハイテク国家』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。
繁華街のモニターにさらされた友人の顔写真
中国国内で稼働している監視カメラは2億台を優に超える。
国内の治安維持に何よりも重きを置く中国当局にとって、秘密兵器とも言える存在だ。しかし、監視カメラでどのような情報が集められ、どう活用されているのかはなかなか見えてこない。
取材を続けていた2019年秋、面白い話を耳にした。情報をくれたのは上海の西約120キロに位置する江蘇省無錫に住む女子大学生(22)だ。
市内にある大学での授業を終え、家に帰る途中、たまたま通りかかった繁華街に設置されたモニターに見覚えのある顔が大きく映し出されているのを目にしたという。
「普段からよく遊んでいる友人の顔写真でした。モニターを見た瞬間、『えっ、うそでしょ』と叫んでしまって」
すぐにスマートフォンでモニターの写真を撮り、その友人に送信すると「確かに私のようだ」という答えが返ってきた。
「友人は『何で私が』と怯えていました。私も同じように顔をさらされる可能性がある。他人事じゃない」
無錫で何かが起きている。すぐに現地に向かった。
プライバシーは丸裸
高速鉄道の無錫東駅。まずは駅前で客待ちをしていたタクシーの運転手にモニターについて尋ねてみた。運転手歴10年という劉さんはこともなげにこう言った。
「ああ『交通違反者暴露台』のことだろ? 市内にたくさんあるよ」
劉さんに連れて行かれたのは無錫でも有数の繁華街。周囲にはデパートやおしゃれな飲食店が並び、大勢の市民でにぎわっている。
その中心地にある交差点の歩道側に、噂のモニターはあった。100インチはあるであろう巨大サイズだ。ただ、驚かされたのは大きさではない。そこに映し出されていた映像の異様さだ。
表示されていたのは、赤信号を無視して交差点に進入するバイクの姿と、そのバイクを運転する女性の顔をクローズアップした写真。恐らくモニター脇に設置された監視カメラが撮影したものだろう。
モザイクなどは一切、かかっていない。顔写真の脇にはその女性の名前と身分証番号の一部まで表示されている。プライバシーが丸裸にされ、街中で公開されている状況だ。
女子大学生が見たのも、これと同じような内容だったのだろう。モニターに映る友人の顔写真に思わず声をあげてしまったのも、うなずける。
「どこで警察に見られているかわからない」
地元メディアによると、モニターを設置したのは地元警察。信号無視などが横行し、事故が絶えなかった無錫の交通マナーを改善するため、17年8月にまず市内3カ所に設置。その後、主要な交差点に拡大していったという。
最新鋭の監視カメラが24時間体制で路上を監視し、AI(人工知能)を駆使した最新のシステムで交通違反をした歩行者や自転車、バイクなどを自動で検出。撮影した画像の顔写真と、当局が保有する市民の個人データを照らし合わせて本人を特定していく。
撮影から個人を特定し、モニターへ表示するまで、かかる時間は数分程度。特定作業の精度は95%以上だという。違反者には後日、警察から連絡が入り、罰金が命じられる仕組みだ。
罰金は信号無視程度であれば、日本円にして数百円ほど。しかし、罰金を払うことよりも、大勢の市民に「さらし者」にされた精神的ショックの方がはるかに大きいだろう。
「以前は車も歩行者も交通マナーが本当に悪かった。でも、このシステムのおかげで信号を無視して急に飛び出してくる自転車や歩行者が減り、安心して運転できるようになった」
案内してくれた劉さんはモニターの設置は「大賛成」だと言いつつ、こう付け加えた。
「どこで警察に見られているかわからないから、俺たちも荒っぽい運転はできなくなったけどな」
交通マナーはよくなったけど…
同様の仕組みは上海、南京、洛陽など他の大都市でも導入され、一定の成果をあげているという。
確かに中国の交通マナーは悪い。歩行者の信号無視は当たり前。対する自動車側もスピード違反や無理な割り込みは日常茶飯事だ。見た目はバイクと変わらない電動スクーターが歩道を我が物顔で走り回り、筆者も何度、ひかれそうになったかわからない。
交通マナーの向上は中国の社会的課題と言ってよく、その改善の必要性は理解できる。しかし、当局が選択した解決法はあまりに過激だ。
モニターに顔をさらされた女子大学生の友人は今でも不安が消えない。
「これまで警察に自分の顔写真のデータを提供した覚えはない。信号無視をしてしまったことは申し訳ないが、どうやって私の顔写真と個人情報をひもづけたのか。『自分はいつも当局に監視されている』と初めて恐怖を覚えました」
「治安維持」の名目で、個人情報が当局に筒抜け
高度化する中国の監視システム。その狙いは交通違反者を取り締まることだけにとどまらない。
気づかないうちに国民の様々な情報が当局にすい上げられ、そのビッグデータをもとに、さらに「監視の目」が強化されていく。「治安維持」の名目の下、国民の個人情報が当局に筒抜けになっている実態がある。
無錫で「交通違反者暴露台」の運用が始まった17年のニュース映像をチェックしていると、市内に設置された暴露台に「HIKVISION(ハイクビジョン)」という文字が刻まれていることに気がついた。
ハイクビジョン。中国語名は杭州海康威視数字技術。現在のような「監視社会」中国を形作るうえで、同社は欠かせない存在だ。
創業は2001年。当初は画像圧縮技術を生かした記録装置の販売を主力にしていたが、07年に監視カメラシステムの販売を始め、海外展開を本格化すると、わずか4年で世界トップシェアに躍り出る大躍進を遂げた。
08年の北京夏季五輪、10年の上海万博、16年の主要20カ国・地域(G20)首脳会議──中国当局の威信がかかった国際的なイベントには例外なく同社の監視システムが導入され、会場周辺の治安維持に目を光らせてきた。
15年には習近平国家主席が同社を視察に訪れている。中国首脳の視察先には必ず、当局の政策に深く関わる企業や地域が選ばれる。中国の歴代指導者の中で別格の存在を意味する「核心」と位置付けられ、絶大な権力を掌握する習氏であればなおさらだ。ハイクビジョンと当局との関係の深さがここからも読み取れる。
ハイクビジョンの厚い壁
中国企業の取材は総じて難しい。何度、取材依頼書を送っても大抵は無視されておしまいだ。
取材を通じて親しくなった、ある中国企業の幹部は「メディアの取材を受け、万が一、その報道内容が当局の気にさわれば、面倒なことになりかねない。自然と取材には慎重にならざるを得ない。海外メディアならなおのことだ」とその裏側を説明する。
ハイクビジョンのように当局と密接な関係にある企業の場合、取材の壁はさらに高くなる。
しかし、その壁を突破しなければ中国企業の実態は見えてこない。
様々なルートを使って同社への「潜入」を試みていると、耳寄りな情報が入ってきた。日本の財界訪中団の視察先にハイクビジョンが入っているというのだ。
訪中団を主催するのは日本経団連、日本商工会議所、日中経済協会の3団体。日本経済界の訪中プロジェクトとしては最大規模で、メンバーも日本を代表する主要企業の会長など財界首脳が勢ぞろいする。
それを迎える中国側も日本企業誘致などへの期待から、日程のアレンジに努力を尽くす。
主要な訪問先となる北京では訪中団と中国首脳が会談することが恒例になっているが、よほどの事情がない限り中国ナンバー2の李克強首相が対応し、200人を超える訪中団メンバーとの記念撮影の時間まで設けてくれる。習主席が経済関連の訪中団を相手にすることはまずないため、中国にとっては最大限の「おもてなし」といえる。
展示室で見えた監視カメラの実力
中央政府がこうなのだから訪中団の視察先に選ばれた地方政府は、「視察を受け入れてほしい」と地元の有名企業を必死に口説くことになる。浙江省や杭州市当局が説得を重ね、ハイクビジョンの重い扉が開いたのだろう。
これ幸いにと訪中団に同行し、杭州へ向かった。
ようやくたどり着いたハイクビジョン。本社に入る前から、他の企業とは違う雰囲気が漂っている。本社周辺の道路上には無数の監視カメラがずらり。実証試験用だと思われるが、一本の電信柱に10個近い監視カメラが並ぶ光景はやはり不気味だ。
訪中団が立ち入りを許されたのは、来訪者向けの展示室。主力商品や最新の監視技術が紹介されており、ここだけでも同社の「実力」をある程度、測ることができる。
街灯がほとんどない深夜の道路。普通の監視カメラであれば、人が歩いていてもほとんど識別できないだろう。しかし、同社の解析ソフトを使うと周辺の景色がまるで昼間のような明るさで映し出される。
監視カメラの前を車が通った。深夜にもかかわらず運転席に座る人物の表情まで鮮明にわかる。車が通るたび解析ソフトが車種やナンバーを次々と読み取っていく。情報はすべて記録され、他の監視カメラの情報とともにビッグデータとして蓄積される仕組みだ。
「システムに車両のナンバーを打ち込めば、全国に張り巡らされた監視カメラ網の情報の中から該当車両の通行記録を抜き出せる。いつ、どこにいたのかが瞬時にわかります」と同社の担当者。すでに中国全域でこのシステムが稼働しているという。
人間関係の濃淡すら吸い上げられる
歩行者も当然、監視対象だ。監視カメラがとらえた人物一人ひとりの性別や身長、服装などあらゆる情報が解析、記録されていく。こうして集められた膨大な情報が最終的に当局にすい上げられていくわけだ。
展示室の片隅に、不思議な映像が映し出されていた。
100人を超える男女の顔写真と名前が表示され、それぞれが赤や黄色、白の線で結ばれている。「これは何ですか」と担当者に尋ねると「ビッグデータを使った人間関係の分析実験です」という答えが返ってきた。
「赤い線で結ばれている人は親密な関係にあることを示しています。黄色、白と色が薄くなるほど、関係性も薄くなっていきます」
解析には監視カメラの映像に加え、買い物記録やスマホの通話履歴など個人を取り巻く様々な情報が使われる。
「一緒に街を歩いていた」「同じ店で買い物をしていた」など共通点をデータ化、分析することで人間関係を洗い出していくのだという。実用化されれば、プライバシーなど完全になくなってしまう。
「こんなシステムが実現されないことを祈ります」。筆者が嫌みまじりにささやくと、担当者はこう言って笑った。
「個人情報の問題があるので実用化こそしていませんが、現在の技術レベルで言えば、もう十分に実現は可能です」
---------- 赤間 清広(あかま・きよひろ) 毎日新聞経済部記者 1974年、仙台市生まれ。宮城県の地元紙記者を経て2004年に毎日新聞社に入社。気仙沼通信部、仙台支局を経て2006年から東京本社経済部。霞が関や日銀、民間企業などを担当後、2016年4月から中国総局(北京)で特派員を務めた。2020年秋に帰国し、経済部で税財政、国際経済などを担当している。著書に『中国 異形のハイテク国家』(毎日新聞出版)がある。 ----------
・14億の国民を1秒で特定「中国のコロナ監視」のすごい仕組み(PRESIDENT Online 2020年6月8日)
※中国は人口14億人でありながら、新型コロナウイルスの死者数は数千人にとどまっている。それはなぜか。中国のデジタル技術事情に詳しい倉澤治雄氏は「中国は『超監視社会』と呼ばれるシステムを作ってきた。コロナとの戦いでは、有無を言わさぬ統制に加えて、デジタル技術の存在が力を発揮している」という――。
※本稿は、倉澤治雄『中国、科学技術覇権への野望-宇宙・原発・ファーウェイ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■すでに1億7600万台の監視カメラを配備済み
中国政府は現在、全国民14億人を1秒で特定できる監視システムの構築を進めている。都市部を中心に配備されている「天網(てんもう)」と農村部で村民が共同運用する「雪亮(せつりょう)」だ。「天網」は英語で「スカイネット」と呼ばれ、2020年には完成予定だ。すでに1億7600万台の顔認証機能付き監視カメラが配備され、2020年までに6億2600万台に増強するという。
「天網」を構成するのは顔認証機能付きの監視カメラのほか、通信ネットワーク、それにスーパーコンピューターだ。ファーウェイ、ZTEをはじめ、中国の名だたるハイテク企業が参加する。
中国では身分証明書の携帯が義務付けられており、ベースとなるデータはすでに集約されている。今後5Gの普及が進み、4K8K映像の伝送が汎用化すれば、精度はさらに上がる。
ある専門家は「中国は圧倒的にデータ量が多く、ディープラーニングによる精度向上が容易だ」と語る。
■「信用スコア」が低いと航空券のチケットさえ買えない
「天網」の名は「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」に由来しており、悪事を見逃さないという中国公安当局の強い意志を表している。
一方の「雪亮」は農村部の小さなコミュニティーでの監視システムである。自宅にモニターが置かれ、村に見慣れぬ車や人物が入ると通報するシステムだ。日本にかつて存在していた「隣組」のデジタル版と言ってもよい。
「顔認証」と並んで人々の行動に変化をもたらしつつあるのが「信用スコア」だ。いわば人間の格付けシステムで、SNSでの発信履歴、友人関係、購買履歴、ルール違反や犯罪歴などをもとにポイントが決められる。ポイントが高いと融資やデポジットで優遇措置があり、低いと鉄道や航空機のチケットさえ買えない。
アリババ・グループが始めた「芝麻(ゴマ)信用」のシェアが大きく、学歴や職業などの「身分特質」、支払い能力の「履行能力」、クレジット履歴などの「信用歴史」、交友関係などの「人脈関係」、消費の嗜好を表す「行為偏好」を独自のアルゴリズムで350点から950点の範囲で点数化する。場合によっては男女の交際や結婚相手の判断にも使われるという。中国の友人に聞くと普及度や利用度はそれほど高くないが、海外メディアは頻繁に取り上げている。
■中国で電子決済が一気に普及した背景
もともと中国では「信用(誠信)」という概念が希薄だ。ネット通販の黎明期には、偽物や不良品を送り付けられるリスクが高かった。このためアリババの「支付宝(アリペイ)」では、買い手の代金を一時的に保管し、受け取った商品に問題がなければ売り手に代金を渡す「第三者決済サービス」を始めた。これによりネット通販の信用度が上がるとともに、銀行を通さない決済が一気に普及したのである。
クレジットカードの普及が一部の層にとどまったことも、「信用スコア」と電子決済が急速に普及した理由の一つと考えられている。中国でのクレジットカードの保有率は2016年の統計で13.8%である。
一方、中国政府は詐欺や脱税、虚偽報告、不正取引などが、社会全体の信用度と国家の競争力を妨げているとして、「社会信用システム」の構築に動き始めた。2013年1月、中国国務院は信用情報を活用するための「征信業管理条例」を発表、2014年には「社会信用体系建設計画綱要」を策定して、2020年までに信用システムを構築することを決定した。
「社会信用システム」の適用範囲は「政務誠信(行政の信頼)」「商務誠信(取引の信頼)」「社会誠信(社会の信頼)」「司法公信(司法の信頼)」を中心として、小売り、製造、交通、医療、観光、スポーツ、環境など、社会全体の活動に及ぶ。
■SNSの発信履歴から交友関係まで紐付けるシステム
中国人民銀行は2015年1月、「芝麻信用」を含む8社に、個人信用ビジネスへの準備を促進する通知を発表したが、狙いはこの8社から政府の「社会信用システム」を担う企業が出現することだった。しかし金融取引、税、犯罪などにかかわる企業や個人の情報が含まれることから、公平性を担保できないなどの理由で、これら8社に機能を担わせることを断念、8社と中国互聯網金融協会が出資する「百行征信(バイハンクレジット)」に対して信用情報業務の免許を発行した。
政府の「社会信用システム」には借金踏み倒しなどの情報だけでなく、食品や医薬品の安全性、環境汚染などの情報に加えて、地方政府が保有する行政罰、判決情報、納税・社会保険料情報、交通違反情報などが組み込まれる予定だ。「信用」を失墜すると企業は株の発行、税制優遇措置、融資などが受けられなくなるほか、個人は航空機や高速鉄道に乗れなくなるなどのペナルティーが発生、現実にブラックリストに載った500万人以上が搭乗を拒否されたという。
「社会信用システム」により、身分証や戸籍情報、宗教・民族、学歴・職歴、口座情報、納税・保険情報、顔認証を中心とした生体情報、位置・移動情報、SNSを通じた発信履歴や交友関係、購買履歴、通信履歴、閲覧履歴などが紐づくことになり、欧米メディア・研究者による「超監視社会の出現」という「ディストピア論」の根拠となっている。
■コロナ封じ込めに立ち上がったIT事業者たち
デジタル技術は2019年末に中国・武漢市で発生が確認された新型コロナウイルスとの闘いでも威力を発揮した。中国国内で事態の深刻さがはっきりと認識されたのは2020年1月20日のことである。この日武漢に派遣されていた感染症研究の第一人者鐘南山氏が、テレビで「ヒトからヒトへの感染が起きている可能性がある」と語った。鐘南山氏は2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)を抑え込んだ国民的英雄である。
中国政府は直ちに医療関係者の大量派遣や臨時病院の建設を決定する一方、アリババ、テンセントをはじめとする中国のITプラットフォーム事業者が感染封じ込めに立ち上がった。
医療系ベンチャー企業の「丁香園」は感染者数と地域分布をWeChatの公式アカウント上で可視化した。これに政府系メディア人民日報のデータが加わったことから、瞬く間にネット上で拡散し、利用者が急増した。「丁香園」はその後わずか数日で、医師による遠隔問診システムやデマ情報チェックサイトなどを立ち上げた。
■武漢を脱出した約500万人の足取りを特定
春節前々日の1月23日、1100万都市武漢の封鎖が決まると、人口の約半分が脱出した。脱出者追跡に威力を発揮したのは監視システムの「天網」と「雪亮」だ。2月12日付の南華早報電子版は、監視システムが武漢を離れた約500万人の足取りを特定したと伝えた。
2月11日、アリババの本拠地、浙江省杭州市では「支付宝健康コード(アリペイ健康コード)」がリリースされた。わずか1週間で全国100都市以上に広がり、3月半ばには200以上の都市に広がった。人民網によると「アリペイ健康コード」はいわば個人の健康状態を証明するデジタル証明書だ。
ユーザーがアプリで個人情報と健康状態、移動情報を申告すると、公的機関が持つデータと照合されて、感染のリスクが緑、黄色、赤のQRコードで表示される。緑の表示は通行可能、黄色は7日間の隔離、赤は14日間の隔離である。隔離が正常に終わると緑に変わる。都市間の移動や公共的な場所への出入り、高速道路での通行などで許可証として使われるほか、感染者が出るとたちどころに濃厚接触者が特定される仕組みだ。
■死者数をとどめた背景には、統制とデジタル技術があった
医療現場ではAIを使った画像診断システムが威力を発揮した。肺炎の診断に使われるCTは1回の撮影で数百枚の画像が生成され、医師の判定には数時間かかる。武漢の病院に持ち込まれたYITUのAI画像診断システムはこれを数秒に短縮した。
ほかにもドローンによるパトロール、無人配達車による自動配送、音声認識技術を使った問診ロボットなどが投入された。新型コロナウイルスによる感染を封じ込めるため、中央政府と地方政府は感染者情報、交通機関情報、医療リソース情報などを提供、アリババ、テンセント、百度(バイドゥ)、京東(ジンドン)、ファーウェイなどの先端企業がそれぞれのプラットフォームで情報を可視化して、二次感染、三次感染を防いだのである。
ほぼ全土に広がった都市の封鎖や交通規制によって、仕事はテレワーク、授業はオンライン、買い物はネットショップ、食事は出前、医療は遠隔診療となり、パトロールにはドローンが導入された。人口14億人の中国で死者が数千人にとどまった背景には、中国共産党による有無を言わせぬ統制とともにデジタル技術の存在があったのである。
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倉澤 治雄(くらさわ・はるお)
科学ジャーナリスト
1952年千葉県生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。フランス国立ボルドー大学第三課程博士号取得(物理化学専攻)。日本テレビ入社後、北京支局長、経済部長、政治部長、メディア戦略局次長、報道局解説主幹などを歴任。2012年科学技術振興機構中国総合研究センター・フェロー、2017年科学ジャーナリストとして独立。著作に『原発爆発』(高文研)『原発ゴミはどこへ行く?』(リベルタ出版)などがある。
※ブログ主コメント:別に意見に賛同しているわけではなく、中国の人民監視システムの脅威を理解するのに役立つので転載しただけである。
赤間 清広

(上)交差点の歩道側に設置された「交通違反者暴露台」
※中国には至る所に監視カメラがある。AIを駆使した最新のシステムで信号無視すら見逃さない。中国で特派員を務めた毎日新聞記者の赤間清広さんは「最先端の監視カメラで交通マナーは劇的に改善した。しかし、その解決法はあまりに過激だ。治安維持の名目で、人々のプライバシーが丸裸にされている」という――。
※本稿は、赤間清広『中国 異形のハイテク国家』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。
繁華街のモニターにさらされた友人の顔写真
中国国内で稼働している監視カメラは2億台を優に超える。
国内の治安維持に何よりも重きを置く中国当局にとって、秘密兵器とも言える存在だ。しかし、監視カメラでどのような情報が集められ、どう活用されているのかはなかなか見えてこない。
取材を続けていた2019年秋、面白い話を耳にした。情報をくれたのは上海の西約120キロに位置する江蘇省無錫に住む女子大学生(22)だ。
市内にある大学での授業を終え、家に帰る途中、たまたま通りかかった繁華街に設置されたモニターに見覚えのある顔が大きく映し出されているのを目にしたという。
「普段からよく遊んでいる友人の顔写真でした。モニターを見た瞬間、『えっ、うそでしょ』と叫んでしまって」
すぐにスマートフォンでモニターの写真を撮り、その友人に送信すると「確かに私のようだ」という答えが返ってきた。
「友人は『何で私が』と怯えていました。私も同じように顔をさらされる可能性がある。他人事じゃない」
無錫で何かが起きている。すぐに現地に向かった。
プライバシーは丸裸
高速鉄道の無錫東駅。まずは駅前で客待ちをしていたタクシーの運転手にモニターについて尋ねてみた。運転手歴10年という劉さんはこともなげにこう言った。
「ああ『交通違反者暴露台』のことだろ? 市内にたくさんあるよ」
劉さんに連れて行かれたのは無錫でも有数の繁華街。周囲にはデパートやおしゃれな飲食店が並び、大勢の市民でにぎわっている。
その中心地にある交差点の歩道側に、噂のモニターはあった。100インチはあるであろう巨大サイズだ。ただ、驚かされたのは大きさではない。そこに映し出されていた映像の異様さだ。
表示されていたのは、赤信号を無視して交差点に進入するバイクの姿と、そのバイクを運転する女性の顔をクローズアップした写真。恐らくモニター脇に設置された監視カメラが撮影したものだろう。
モザイクなどは一切、かかっていない。顔写真の脇にはその女性の名前と身分証番号の一部まで表示されている。プライバシーが丸裸にされ、街中で公開されている状況だ。
女子大学生が見たのも、これと同じような内容だったのだろう。モニターに映る友人の顔写真に思わず声をあげてしまったのも、うなずける。
「どこで警察に見られているかわからない」
地元メディアによると、モニターを設置したのは地元警察。信号無視などが横行し、事故が絶えなかった無錫の交通マナーを改善するため、17年8月にまず市内3カ所に設置。その後、主要な交差点に拡大していったという。
最新鋭の監視カメラが24時間体制で路上を監視し、AI(人工知能)を駆使した最新のシステムで交通違反をした歩行者や自転車、バイクなどを自動で検出。撮影した画像の顔写真と、当局が保有する市民の個人データを照らし合わせて本人を特定していく。
撮影から個人を特定し、モニターへ表示するまで、かかる時間は数分程度。特定作業の精度は95%以上だという。違反者には後日、警察から連絡が入り、罰金が命じられる仕組みだ。
罰金は信号無視程度であれば、日本円にして数百円ほど。しかし、罰金を払うことよりも、大勢の市民に「さらし者」にされた精神的ショックの方がはるかに大きいだろう。
「以前は車も歩行者も交通マナーが本当に悪かった。でも、このシステムのおかげで信号を無視して急に飛び出してくる自転車や歩行者が減り、安心して運転できるようになった」
案内してくれた劉さんはモニターの設置は「大賛成」だと言いつつ、こう付け加えた。
「どこで警察に見られているかわからないから、俺たちも荒っぽい運転はできなくなったけどな」
交通マナーはよくなったけど…
同様の仕組みは上海、南京、洛陽など他の大都市でも導入され、一定の成果をあげているという。
確かに中国の交通マナーは悪い。歩行者の信号無視は当たり前。対する自動車側もスピード違反や無理な割り込みは日常茶飯事だ。見た目はバイクと変わらない電動スクーターが歩道を我が物顔で走り回り、筆者も何度、ひかれそうになったかわからない。
交通マナーの向上は中国の社会的課題と言ってよく、その改善の必要性は理解できる。しかし、当局が選択した解決法はあまりに過激だ。
モニターに顔をさらされた女子大学生の友人は今でも不安が消えない。
「これまで警察に自分の顔写真のデータを提供した覚えはない。信号無視をしてしまったことは申し訳ないが、どうやって私の顔写真と個人情報をひもづけたのか。『自分はいつも当局に監視されている』と初めて恐怖を覚えました」
「治安維持」の名目で、個人情報が当局に筒抜け
高度化する中国の監視システム。その狙いは交通違反者を取り締まることだけにとどまらない。
気づかないうちに国民の様々な情報が当局にすい上げられ、そのビッグデータをもとに、さらに「監視の目」が強化されていく。「治安維持」の名目の下、国民の個人情報が当局に筒抜けになっている実態がある。
無錫で「交通違反者暴露台」の運用が始まった17年のニュース映像をチェックしていると、市内に設置された暴露台に「HIKVISION(ハイクビジョン)」という文字が刻まれていることに気がついた。
ハイクビジョン。中国語名は杭州海康威視数字技術。現在のような「監視社会」中国を形作るうえで、同社は欠かせない存在だ。
創業は2001年。当初は画像圧縮技術を生かした記録装置の販売を主力にしていたが、07年に監視カメラシステムの販売を始め、海外展開を本格化すると、わずか4年で世界トップシェアに躍り出る大躍進を遂げた。
08年の北京夏季五輪、10年の上海万博、16年の主要20カ国・地域(G20)首脳会議──中国当局の威信がかかった国際的なイベントには例外なく同社の監視システムが導入され、会場周辺の治安維持に目を光らせてきた。
15年には習近平国家主席が同社を視察に訪れている。中国首脳の視察先には必ず、当局の政策に深く関わる企業や地域が選ばれる。中国の歴代指導者の中で別格の存在を意味する「核心」と位置付けられ、絶大な権力を掌握する習氏であればなおさらだ。ハイクビジョンと当局との関係の深さがここからも読み取れる。
ハイクビジョンの厚い壁
中国企業の取材は総じて難しい。何度、取材依頼書を送っても大抵は無視されておしまいだ。
取材を通じて親しくなった、ある中国企業の幹部は「メディアの取材を受け、万が一、その報道内容が当局の気にさわれば、面倒なことになりかねない。自然と取材には慎重にならざるを得ない。海外メディアならなおのことだ」とその裏側を説明する。
ハイクビジョンのように当局と密接な関係にある企業の場合、取材の壁はさらに高くなる。
しかし、その壁を突破しなければ中国企業の実態は見えてこない。
様々なルートを使って同社への「潜入」を試みていると、耳寄りな情報が入ってきた。日本の財界訪中団の視察先にハイクビジョンが入っているというのだ。
訪中団を主催するのは日本経団連、日本商工会議所、日中経済協会の3団体。日本経済界の訪中プロジェクトとしては最大規模で、メンバーも日本を代表する主要企業の会長など財界首脳が勢ぞろいする。
それを迎える中国側も日本企業誘致などへの期待から、日程のアレンジに努力を尽くす。
主要な訪問先となる北京では訪中団と中国首脳が会談することが恒例になっているが、よほどの事情がない限り中国ナンバー2の李克強首相が対応し、200人を超える訪中団メンバーとの記念撮影の時間まで設けてくれる。習主席が経済関連の訪中団を相手にすることはまずないため、中国にとっては最大限の「おもてなし」といえる。
展示室で見えた監視カメラの実力
中央政府がこうなのだから訪中団の視察先に選ばれた地方政府は、「視察を受け入れてほしい」と地元の有名企業を必死に口説くことになる。浙江省や杭州市当局が説得を重ね、ハイクビジョンの重い扉が開いたのだろう。
これ幸いにと訪中団に同行し、杭州へ向かった。
ようやくたどり着いたハイクビジョン。本社に入る前から、他の企業とは違う雰囲気が漂っている。本社周辺の道路上には無数の監視カメラがずらり。実証試験用だと思われるが、一本の電信柱に10個近い監視カメラが並ぶ光景はやはり不気味だ。
訪中団が立ち入りを許されたのは、来訪者向けの展示室。主力商品や最新の監視技術が紹介されており、ここだけでも同社の「実力」をある程度、測ることができる。
街灯がほとんどない深夜の道路。普通の監視カメラであれば、人が歩いていてもほとんど識別できないだろう。しかし、同社の解析ソフトを使うと周辺の景色がまるで昼間のような明るさで映し出される。
監視カメラの前を車が通った。深夜にもかかわらず運転席に座る人物の表情まで鮮明にわかる。車が通るたび解析ソフトが車種やナンバーを次々と読み取っていく。情報はすべて記録され、他の監視カメラの情報とともにビッグデータとして蓄積される仕組みだ。
「システムに車両のナンバーを打ち込めば、全国に張り巡らされた監視カメラ網の情報の中から該当車両の通行記録を抜き出せる。いつ、どこにいたのかが瞬時にわかります」と同社の担当者。すでに中国全域でこのシステムが稼働しているという。
人間関係の濃淡すら吸い上げられる
歩行者も当然、監視対象だ。監視カメラがとらえた人物一人ひとりの性別や身長、服装などあらゆる情報が解析、記録されていく。こうして集められた膨大な情報が最終的に当局にすい上げられていくわけだ。
展示室の片隅に、不思議な映像が映し出されていた。
100人を超える男女の顔写真と名前が表示され、それぞれが赤や黄色、白の線で結ばれている。「これは何ですか」と担当者に尋ねると「ビッグデータを使った人間関係の分析実験です」という答えが返ってきた。
「赤い線で結ばれている人は親密な関係にあることを示しています。黄色、白と色が薄くなるほど、関係性も薄くなっていきます」
解析には監視カメラの映像に加え、買い物記録やスマホの通話履歴など個人を取り巻く様々な情報が使われる。
「一緒に街を歩いていた」「同じ店で買い物をしていた」など共通点をデータ化、分析することで人間関係を洗い出していくのだという。実用化されれば、プライバシーなど完全になくなってしまう。
「こんなシステムが実現されないことを祈ります」。筆者が嫌みまじりにささやくと、担当者はこう言って笑った。
「個人情報の問題があるので実用化こそしていませんが、現在の技術レベルで言えば、もう十分に実現は可能です」
---------- 赤間 清広(あかま・きよひろ) 毎日新聞経済部記者 1974年、仙台市生まれ。宮城県の地元紙記者を経て2004年に毎日新聞社に入社。気仙沼通信部、仙台支局を経て2006年から東京本社経済部。霞が関や日銀、民間企業などを担当後、2016年4月から中国総局(北京)で特派員を務めた。2020年秋に帰国し、経済部で税財政、国際経済などを担当している。著書に『中国 異形のハイテク国家』(毎日新聞出版)がある。 ----------
・14億の国民を1秒で特定「中国のコロナ監視」のすごい仕組み(PRESIDENT Online 2020年6月8日)
※中国は人口14億人でありながら、新型コロナウイルスの死者数は数千人にとどまっている。それはなぜか。中国のデジタル技術事情に詳しい倉澤治雄氏は「中国は『超監視社会』と呼ばれるシステムを作ってきた。コロナとの戦いでは、有無を言わさぬ統制に加えて、デジタル技術の存在が力を発揮している」という――。
※本稿は、倉澤治雄『中国、科学技術覇権への野望-宇宙・原発・ファーウェイ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■すでに1億7600万台の監視カメラを配備済み
中国政府は現在、全国民14億人を1秒で特定できる監視システムの構築を進めている。都市部を中心に配備されている「天網(てんもう)」と農村部で村民が共同運用する「雪亮(せつりょう)」だ。「天網」は英語で「スカイネット」と呼ばれ、2020年には完成予定だ。すでに1億7600万台の顔認証機能付き監視カメラが配備され、2020年までに6億2600万台に増強するという。
「天網」を構成するのは顔認証機能付きの監視カメラのほか、通信ネットワーク、それにスーパーコンピューターだ。ファーウェイ、ZTEをはじめ、中国の名だたるハイテク企業が参加する。
中国では身分証明書の携帯が義務付けられており、ベースとなるデータはすでに集約されている。今後5Gの普及が進み、4K8K映像の伝送が汎用化すれば、精度はさらに上がる。
ある専門家は「中国は圧倒的にデータ量が多く、ディープラーニングによる精度向上が容易だ」と語る。
■「信用スコア」が低いと航空券のチケットさえ買えない
「天網」の名は「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」に由来しており、悪事を見逃さないという中国公安当局の強い意志を表している。
一方の「雪亮」は農村部の小さなコミュニティーでの監視システムである。自宅にモニターが置かれ、村に見慣れぬ車や人物が入ると通報するシステムだ。日本にかつて存在していた「隣組」のデジタル版と言ってもよい。
「顔認証」と並んで人々の行動に変化をもたらしつつあるのが「信用スコア」だ。いわば人間の格付けシステムで、SNSでの発信履歴、友人関係、購買履歴、ルール違反や犯罪歴などをもとにポイントが決められる。ポイントが高いと融資やデポジットで優遇措置があり、低いと鉄道や航空機のチケットさえ買えない。
アリババ・グループが始めた「芝麻(ゴマ)信用」のシェアが大きく、学歴や職業などの「身分特質」、支払い能力の「履行能力」、クレジット履歴などの「信用歴史」、交友関係などの「人脈関係」、消費の嗜好を表す「行為偏好」を独自のアルゴリズムで350点から950点の範囲で点数化する。場合によっては男女の交際や結婚相手の判断にも使われるという。中国の友人に聞くと普及度や利用度はそれほど高くないが、海外メディアは頻繁に取り上げている。
■中国で電子決済が一気に普及した背景
もともと中国では「信用(誠信)」という概念が希薄だ。ネット通販の黎明期には、偽物や不良品を送り付けられるリスクが高かった。このためアリババの「支付宝(アリペイ)」では、買い手の代金を一時的に保管し、受け取った商品に問題がなければ売り手に代金を渡す「第三者決済サービス」を始めた。これによりネット通販の信用度が上がるとともに、銀行を通さない決済が一気に普及したのである。
クレジットカードの普及が一部の層にとどまったことも、「信用スコア」と電子決済が急速に普及した理由の一つと考えられている。中国でのクレジットカードの保有率は2016年の統計で13.8%である。
一方、中国政府は詐欺や脱税、虚偽報告、不正取引などが、社会全体の信用度と国家の競争力を妨げているとして、「社会信用システム」の構築に動き始めた。2013年1月、中国国務院は信用情報を活用するための「征信業管理条例」を発表、2014年には「社会信用体系建設計画綱要」を策定して、2020年までに信用システムを構築することを決定した。
「社会信用システム」の適用範囲は「政務誠信(行政の信頼)」「商務誠信(取引の信頼)」「社会誠信(社会の信頼)」「司法公信(司法の信頼)」を中心として、小売り、製造、交通、医療、観光、スポーツ、環境など、社会全体の活動に及ぶ。
■SNSの発信履歴から交友関係まで紐付けるシステム
中国人民銀行は2015年1月、「芝麻信用」を含む8社に、個人信用ビジネスへの準備を促進する通知を発表したが、狙いはこの8社から政府の「社会信用システム」を担う企業が出現することだった。しかし金融取引、税、犯罪などにかかわる企業や個人の情報が含まれることから、公平性を担保できないなどの理由で、これら8社に機能を担わせることを断念、8社と中国互聯網金融協会が出資する「百行征信(バイハンクレジット)」に対して信用情報業務の免許を発行した。
政府の「社会信用システム」には借金踏み倒しなどの情報だけでなく、食品や医薬品の安全性、環境汚染などの情報に加えて、地方政府が保有する行政罰、判決情報、納税・社会保険料情報、交通違反情報などが組み込まれる予定だ。「信用」を失墜すると企業は株の発行、税制優遇措置、融資などが受けられなくなるほか、個人は航空機や高速鉄道に乗れなくなるなどのペナルティーが発生、現実にブラックリストに載った500万人以上が搭乗を拒否されたという。
「社会信用システム」により、身分証や戸籍情報、宗教・民族、学歴・職歴、口座情報、納税・保険情報、顔認証を中心とした生体情報、位置・移動情報、SNSを通じた発信履歴や交友関係、購買履歴、通信履歴、閲覧履歴などが紐づくことになり、欧米メディア・研究者による「超監視社会の出現」という「ディストピア論」の根拠となっている。
■コロナ封じ込めに立ち上がったIT事業者たち
デジタル技術は2019年末に中国・武漢市で発生が確認された新型コロナウイルスとの闘いでも威力を発揮した。中国国内で事態の深刻さがはっきりと認識されたのは2020年1月20日のことである。この日武漢に派遣されていた感染症研究の第一人者鐘南山氏が、テレビで「ヒトからヒトへの感染が起きている可能性がある」と語った。鐘南山氏は2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)を抑え込んだ国民的英雄である。
中国政府は直ちに医療関係者の大量派遣や臨時病院の建設を決定する一方、アリババ、テンセントをはじめとする中国のITプラットフォーム事業者が感染封じ込めに立ち上がった。
医療系ベンチャー企業の「丁香園」は感染者数と地域分布をWeChatの公式アカウント上で可視化した。これに政府系メディア人民日報のデータが加わったことから、瞬く間にネット上で拡散し、利用者が急増した。「丁香園」はその後わずか数日で、医師による遠隔問診システムやデマ情報チェックサイトなどを立ち上げた。
■武漢を脱出した約500万人の足取りを特定
春節前々日の1月23日、1100万都市武漢の封鎖が決まると、人口の約半分が脱出した。脱出者追跡に威力を発揮したのは監視システムの「天網」と「雪亮」だ。2月12日付の南華早報電子版は、監視システムが武漢を離れた約500万人の足取りを特定したと伝えた。
2月11日、アリババの本拠地、浙江省杭州市では「支付宝健康コード(アリペイ健康コード)」がリリースされた。わずか1週間で全国100都市以上に広がり、3月半ばには200以上の都市に広がった。人民網によると「アリペイ健康コード」はいわば個人の健康状態を証明するデジタル証明書だ。
ユーザーがアプリで個人情報と健康状態、移動情報を申告すると、公的機関が持つデータと照合されて、感染のリスクが緑、黄色、赤のQRコードで表示される。緑の表示は通行可能、黄色は7日間の隔離、赤は14日間の隔離である。隔離が正常に終わると緑に変わる。都市間の移動や公共的な場所への出入り、高速道路での通行などで許可証として使われるほか、感染者が出るとたちどころに濃厚接触者が特定される仕組みだ。
■死者数をとどめた背景には、統制とデジタル技術があった
医療現場ではAIを使った画像診断システムが威力を発揮した。肺炎の診断に使われるCTは1回の撮影で数百枚の画像が生成され、医師の判定には数時間かかる。武漢の病院に持ち込まれたYITUのAI画像診断システムはこれを数秒に短縮した。
ほかにもドローンによるパトロール、無人配達車による自動配送、音声認識技術を使った問診ロボットなどが投入された。新型コロナウイルスによる感染を封じ込めるため、中央政府と地方政府は感染者情報、交通機関情報、医療リソース情報などを提供、アリババ、テンセント、百度(バイドゥ)、京東(ジンドン)、ファーウェイなどの先端企業がそれぞれのプラットフォームで情報を可視化して、二次感染、三次感染を防いだのである。
ほぼ全土に広がった都市の封鎖や交通規制によって、仕事はテレワーク、授業はオンライン、買い物はネットショップ、食事は出前、医療は遠隔診療となり、パトロールにはドローンが導入された。人口14億人の中国で死者が数千人にとどまった背景には、中国共産党による有無を言わせぬ統制とともにデジタル技術の存在があったのである。
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倉澤 治雄(くらさわ・はるお)
科学ジャーナリスト
1952年千葉県生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。フランス国立ボルドー大学第三課程博士号取得(物理化学専攻)。日本テレビ入社後、北京支局長、経済部長、政治部長、メディア戦略局次長、報道局解説主幹などを歴任。2012年科学技術振興機構中国総合研究センター・フェロー、2017年科学ジャーナリストとして独立。著作に『原発爆発』(高文研)『原発ゴミはどこへ行く?』(リベルタ出版)などがある。
※ブログ主コメント:別に意見に賛同しているわけではなく、中国の人民監視システムの脅威を理解するのに役立つので転載しただけである。