・「アメリカ人はカルト空間に閉じ込められている」大統領選の「異常」な事態こそが”アメリカらしさ”【橘玲の日々刻々】(ダイヤモンドZAi ONLINE 2020年11月13日)
※アメリカには外向的で、なおかつ経験への開放性が高い移民が集まってきた
「アメリカ人がカルト空間に閉じ込められている」というのは、私の思い込みというわけではない。2016年に刊行され、大きな話題となった『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(東洋経済新報社)で、作家のカート・アンダーセンは、アメリカという国は「自分たちだけのユートピア」を求めて故郷を捨てたピルグリム・ファーザーズという「常軌を逸したカルト教団によって建設された」と述べている。
それ以来500年のあいだ、アメリカは「ファンタジー(魔術思考)」に支配され、ひとびとはしばしば「狂乱」に陥った。そうした歴史を顧みるならば、真実(トゥルース)を否定する大統領の登場はなんら驚くようなことではなく、むしろ必然だったとアンダーセンはいう。
17世紀、アメリカ=新世界はヨーロッパ人にとって「空想の場所」であり、「熱病が生み出す夢、神話、楽しい妄想、幻想の場所」だった。新世界を目指す者たちは「スリルと希望に満ちたフィクションを信じるあまり、この夢が叶えられなければ死ぬ覚悟で、友人、家族、仕事、分別、イングランド、既知の世界など、あらゆるものを捨てて旅に出た。そして大半が本当に死んだ」。
新世界に最初にやってきたイングランド人たちは、「魅力的な信念や、大胆な希望や夢、真実かどうかわからない幻想のために、慣れ親しんだあらゆるものを捨て、フィクションの世界に飛び込むほど向こう見ずな人たちだったに違いない」とアンダーセンは書く。
だとしたら、夢に駆り立てられて大西洋を渡ったヨーロッパ系アメリカ人の祖先は、母集団である平凡なヨーロッパ人と比べてなんらかの性格的なちがいがあるのだろうか。大多数のひとたちは、同じような困難な境遇にありながらも、故郷にとどまることを選んだのだから。
パーソナリティ心理学は、こうした性格傾向(特性)を「外向性/内向性」と「経験への開放性」で説明する。
「外向性/内向性」は近年では、性格的に明るい(陽気)か暗い(陰気)かではなく、刺激に対する感度(覚醒度)のちがいとされる。外部から五感に一定の刺激を受けた時、外向性パーソナリティでは脳が反応する閾値が高く(感度が鈍く)、内向性パーソナリティでは閾値が低い(感度が高い)。脳の覚醒度には心地よく感じる一定の範囲があり、そこから外れることを嫌って無意識に(自動的に)刺激を調整しようとする。
外向的なひとは最適な閾値に対して脳が低活動なことが多く、刺激が足りないと感じているから、見知らぬひとたちが集まるパーティ、大音響でアップテンポの曲が演奏されるライブハウス、危険なスポーツや不倫のようなあやうい恋愛に魅かれるだろう。
一方、内向的なひとは最適な閾値に対して脳が活動過多なことが多く、強い刺激を苦手にするから、パーティやクラブを避け、一人で読書をしたり、クラシック音楽を聴くのを好み、決まったパートナーと長く暮らすか、あるいは独身を貫くかもしれない(刺激に対して極端に感度が高いパーソナリティは、最近は「繊細さん」と呼ばれる)。
「経験への開放性」は新しもの好き(新奇性)のことだとされていたが、これもいまでは「意識の解像度のちがい」だと考えられている。開放性の高いひとは解像度が低く、さまざまな(余分な)情報が意識に流れ込んでくる。開放性の低いひとは解像度が高く、意識の焦点が合っている。
意識の解像度が低いと、大量の情報を処理できなくなって妄想的になるが、思いがけないものを結びつけて奇抜な比喩や斬新なアイデアを思いつくこともある。もっとも「経験への開放性」が高いのが詩人だが、芸術家だけでなく科学者やベンチャー起業家(スティーブ・ジョブズ)にもこのタイプは多い。それに対して意識の解像度が高い(「経験への開放性」が低い)と、安定しているものの型にはまった生活や考え方をしがちだ。
アンダーセンの『ファンタジーランド』をパーソナリティ心理学で説明するならば、外向的(強い刺激を求める)で、なおかつ経験への開放性が高い(妄想的な)移民が集まってきたことで、アメリカは「狂気と幻想の国」になったのだ。
「陽気で活動的で、つねに新しいことにチャレンジする」というアメリカ人のステレオタイプは、パーソナリティ心理学の「外向性」と「経験への開放性」にぴったり重なる。「経験への開放性」は芸術的な感性やイノベーションと結びついており、それがアメリカを、映画や音楽など魅力的なエンタテインメントを生み出したり、シリコンバレーから続々とベンチャー企業が誕生する「夢の国」にしたのかもしれない。だがその一方で「経験への開放性」は妄想的傾向の指標ともなり、その値が極端に高いと(意識の解像度が低すぎると)統合失調症と診断される。
行動遺伝学によると、性格的傾向のおよそ半分は遺伝で、残りの半分は環境で説明できる。アメリカで起きる常軌を逸した(ように見える)出来事の背後には、なんらかの「生得的」なものがあるらしい。
もちろん、ある社会現象を「遺伝的」あるいは「生得的」な要素に還元することは慎重でなければならない。それでもこの話を書こうと思ったのは、近年、ヒト集団のあいだでドーパミンの影響にちがいがあることがわかってきたからだ。――外向性や経験への開放性には、脳内神経伝達物質のドーパミンがかかわっている。
双極性障害の発揚気質(ハイパーサイミック)はアメリカ人の「自画像」そのもの
神経伝達物質は、いったん分泌されほかの脳細胞の受容体と結合したあと、相互作用を終わらせるために放出元の細胞に戻される。この回収作業を行なうのがニューロンのトランスポーターで、いわば「再取り込みポンプ」だ。抗うつ剤として広く使われているSSRIは、セロトニンの再取り込みを阻害する(受容体に蓋をする)ことで脳内のセロトニン濃度を高める作用がある。
ドーパミンの再取り込みを担うのがドーパミン・トランスポーターだが、コカインにはその再取り込みを阻害する効果がある。その結果、コカインを摂取すると脳内のドーパミン濃度が高まり、気分が高揚したり、集中力が高まったりする。この作用は「躁状態」によく似ている。
いまだ諸説あるものの、双極性障害(躁うつ病)にはセロトニンとドーパミンの両方がかかわっている。うつ状態では脳内のセロトニンが枯渇しているが、そこになんらかの要因でドーパミンが増えると躁状態がやってくる。この躁状態は、同じく脳内のドーパミンに強く影響される統合失調症とよく似ている(妄想や幻聴などが現われて区別がつかないこともある)。
この仮説が正しいとすると、双極性障害の発症率は、ヒト集団におけるドーパミン・トランスポーターの効率のちがいを表わしているかもしれない。世界全体では人口のおよそ2.4%が双極性障害を患っているが、アメリカ国民の双極性障害の有病率は世界最高の4.4%で、世界のほかの地域の2倍近くにのぼる。
さらに、アメリカでは双極性障害の患者のおよそ3分の2が20歳までに発症するが、ヨーロッパではその割合は4分の1にすぎない。
アメリカの精神医学者ダニエル・Z・リーバーマンは、これを、「アメリカの遺伝子プールでは(双極性障害の)高リスク遺伝子の密度がほかよりも高い」からだとする。
双極性障害はスペクトラム(連続体)で、重度から軽度に向けて大きく4つのタイプに分けられる。
1) 双極Ⅰ型 うつ状態と躁状態がはっきりとした精神疾患で、典型的な躁うつ病。躁状態では極度のハイパーテンションになり、まったく眠らずに過活動しても疲れを感じず、全財産をギャンブルに注ぎ込んだり、上司に辞表を叩きつけて事業を始めたり、ローンを組んで高額の買い物をしたりする。その病状は、脳内のドーパミン濃度を上げるアッパー系のドラッグによく似ている。
2) 双極Ⅱ型 うつ状態は重度だが、躁は軽躁状態と呼ばれる比較的軽いものになり、場合によっては単極性のうつ病と区別が難しい場合もある(そのため、単極性うつ病から双極性障害へと病態が連続しているとの説もある)。
3) 気分循環症(サイクロミア) 軽躁状態と軽いうつのサイクルで、社会生活には問題ないものの、周囲からは「気分が変わりやすい」と思われる。
4) 発揚気質(ハイパーサイミック) うつ状態のない軽躁状態が続くことで、「活動過多(ハイパー)な性格」とされる。
リーバーマンは発揚気質のパーソナリティを、「陽気で気力に溢れ、ひょうきんで過度に楽観的で、過剰な自信を持ち、自慢しがちで、エネルギーとアイデアに満ちている。多方面に広く関心を向け、なんにでも手を出し、おせっかいで、あけっぴろげでリスクを冒すのを厭わず、たいてはあまり眠らない。ダイエット、恋愛、ビジネスチャンス、さらには宗教といった人生の新たな要素に過剰に熱中するが、すぐに興味を失う。しばしば偉業を成し遂げるが、一緒に暮らすと苦労する相手でもある」と描写する。――これはアメリカ人の「自画像」そのものだ。
いま起きている「異常」な事態こそが“アメリカらしさ”
双極性障害がスペクトラムだとすれば、もっとも重度な双極Ⅰ型(躁うつ病)の有病率が高い社会では、より軽度な双極Ⅱ型だけでなく、サイクロミア(気分循環症)やハイパーサミック(発揚気質)の比率も高くなるはずだ。そして、これこそがアメリカ社会の特徴だとリーバーマンはいう。とりわけ「西部諸州を切り開いた冒険的な開拓者は、リスクを厭わず興奮を求める性格の持ち主で、遺伝的にドーパミン活性過剰である可能性が高い」とされる。
双極性スペクトラムのなかでもっとも裾野が広い(人数の多い)ハイパーサミックは、「異常な症状をいっさい体験することなく、モチベーションの高さ、創造性、リスクを冒して大胆な行動をとる傾向などの、平均以上のドーパミン活性レベルを反映した利点を享受している」。社会的・経済的な成功者を思い浮かべれば、その多くが「知能の高いハイパーサミック」だとわかるだろう。
脳内のドーパミン濃度が平均より高い「軽躁状態」のひとたちは自己効力感も高い。「人生における成功は、自分ではコントロールできない外部の力に左右されると思いますか?」という質問に「はい」と答えた割合は、ドイツ72%、フランス57%、イギリス41%に対しアメリカは3分の1をわずかに超える程度だという。「自助自立」というアメリカ建国の理念は、たんなるイデオロギーではなく、ハイパーサミックなアメリカ人の気質にぴったり合ったからこそ長く強固に受け継がれてきたのだ。
(アメリカ人である)リーバーマンはハイパーサミックのよいところしか書いていないが、それが躁うつ病への連続体だとするならば、強いストレスが加わると(より重度の)サイクロミアから双極Ⅱ型に移行するかもしれない。このことは近年、経済格差の拡大するアメリカでうつ病が急増していることの有力な説明になる。
さらに、過度なドーパミンが妄想(統合失調症)につながるという負の側面に目を向ければ、アンダーセンが『ファンタジーランド』で描いた「狂気と幻想」にとらわれたひとたちの姿になる。アンダーセンはアメリカ社会の特徴をこう述べている。
わが国が奉じる超個人主義は最初から、壮大な夢、あるいは壮大な幻想と結びついていた。アメリカ人はみな、自分たちにふさわしいユートピアを建設するべく神に選ばれた人間であり、それぞれが創造力と意志とで自由に自分を作り変えられるという幻想である。
こうしてアメリカ人は、「あらゆるタイプの魔術思考、何でもありの相対主義、非現実的な信念に身をゆだねていった」。Qアノンの陰謀論がその延長上にあるのなら、いま起きている「異常」な事態こそが“アメリカらしさ”なのだ。
ところで、ドーパミンから見た日本人のパーソナリティはどのようなものだろうか。リーバーマンによると、「移民のほとんどいない日本では、(移民の多いアメリカの4.4%に対して)双極性障害の有病率は0.7%ほどで、世界でもきわめて低い」とされる。そうなると、裾野を形成する双極Ⅱ型やサイクロミア、ハイパーサミックの割合も低くなるはずだ。
そう考えると、日本人の特徴は脳内のドーパミン濃度が低いことで、軽躁状態(ハイパーサミック)の恩恵を被れないかわりに、社会が「魔術思考」で混乱することも(あまり)ないのではないか。日本人が覚せい剤のようなアッパー系のドラッグを好むことも、この「低ドーパミン気質」から説明できるかもしれない。
もっとも、これは日本人が「理性的」だということではない。経験への開放性が低いと型にはまった考え方しかできなくなり、だからこそ画期的なイノベーションよりも既存の技術の改良を得意とするのかもしれない。また、戦前の日本を見ればわかるように、低ドーパミン気質でも強い圧力が加わるとたちまち妄想的になってしまう。
だからこれはあくまでも相対的なものにすぎないが、世界じゅうから夢に駆り立てられて集まったひとたちが「カルト空間に閉じ込められている」というのは、アメリカ社会の魅力と混乱をかなりうまく説明しているのではないだろうか。
・映画『マッドマックス2』の世界観を持つ「サバイバリスト」は、ディープステイト(闇の政府)が世界を支配し、明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じている【橘玲の日々刻々】(ダイヤモンドZAi ONLINE 2020年12月31日)
※タラ・ウェストーバーの『エデュケーション』(早川書房)は、ビル・ゲイツやミシェル&バラク・オバマが絶賛したことで、全米で400万部のベストセラーとなった。
中西部アイオワ州の片田舎に生まれた少女は、きわめて特異な環境で育つことになる。両親は厳格なモルモン教徒で、とりわけ父親は「サバイバリスト」と呼ばれる極端な原理主義者だった。
●サバイバリストは明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じている
サバイバリストの特徴は、政府は陰謀組織(ディープステイト)によって支配されている信じ、いっさいの公共的なものを拒否することだ。これは教育だけでなく、医療や社会保障のような公共サービスも含まれる。
その結果、タラは小学校から高校まで、いちども学校に通ったことがなかった。こうした子どもは「ホームスクーリング」によって自宅学習していることになっているが、親から習ったのはモールス信号だけだった。
アメリカではホームスクーリングの権利が広く認められているが、これは教育の多様化というよりも、保守的な宗教原理主義者(聖書に反する進化論などを子どもに教えたくない親たち)への配慮で、すくなくともタラの場合は、家庭でどのような教育が行なわれているのか、公的機関による確認はいっさい行なわれていない。
もうひとつのサバイバリストの特徴は、明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じていることだ。彼らの世界観は映画『マッドマックス2』(あるいはマンガ『北斗の拳』)そのもので、子どもにモールス信号を教えるのは、世界の終わりがきて電話やインターネットなどがすべて使えなくなったあとでも、自分たちだけは交信できるようにするためなのだ。
タラは7人きょうだい(男の子5人、女の子2人)の末っ子で、一家は廃品処理と建築業で生計を立てていた。母親は自然分娩の助産婦の助手をしたり、自家製のハーブ薬をつくったりしていた。タラの家庭については、次のように書かれている。
父は政府に頼ることが何より嫌いだった。いつか、私たちは政府の枠組みから完全に外れるのだと言っていた。お金を集めたらすぐにパイプラインを建設して山から水を引き、そのあとの農地全体にソーラーパネルを設置するのが父の計画だった。そうすれば、私たち以外の世の中の全員が水たまりから泥水をすすり、暗闇のなかで生活するようになったとしても、水と電気を「世界の終わり」まで確保することができる。母はハーブに詳しかったから、私たちの健康管理をすることができるし、もし助産婦の仕事を学んだら、孫が生まれるときには、出産を手伝うことだってできる。
両親は医療を信用していなかったので、タラは学校だけでなく病院に行ったこともなかった。あらゆる病気はホメオパシー(症状を引き起こす成分を繰り返し希釈した水薬「レメディ」)とハーブによって治療できると信じていたのだ。
タラの家には電話がなく、父親は運転免許の更新をせず、車検は受けず自動車保険にも加入していなかった。政府が発行する貨幣も信用せず、くしゃくしゃに握りしめた20ドル札をタラに見せて、「こんな偽物は金じゃない。“忌まわしい日”が来たら、こんなもの、役にたちはしない。人びとは100ドル札をトイレットペーパーがわりにするような日が来るんだ」といった。
ある日、父親は納屋の隣に掘削機で穴を掘り、そこに1000ガロン(3785リットル)も入るタンクを埋めてシャベルで土を覆いかぶせ、周囲に注意深くイラクサを植えた。かぶせたばかりの土にアザミの種を蒔いて、成長させてタンクを隠すようにした。そして帽子のつばを上げ、きらきらと光るような笑顔を見せ、「世界の終わりが来たら、燃料を持っているのは俺たちだけだ。誰もが靴の裏を焦がしているときに、俺たちは車で移動することになる」と娘に教えた。
1999年12月31日、世界じゅうのコンピュータが誤作動する「Y2K問題」をきっかけに「世界の終わり」が来るとされた。その日、タラの一家はずっと、(終末を見学するために購入したばかりの)テレビを息を詰めて観ていたが、なにも起きなった。1月1日がありきたりに過ぎると父の魂は壊れてしまい、絶望にうちひしがれ、何時間もテレビの前に座って過ごすようになった。
高校までいちども学校教育を受けたことがないにもかかわらず、タラはACT(日本でいう大検)に合格してモルモン教徒のためのブリガム・ヤング大学に進学するが、そこで父親の言動が双極性障害(躁うつ病)に驚くほど当てはまることを知る。
アメリカ国民の双極性障害の有病率は世界最高の4.4%で、世界のほかの地域の2倍近くに達する。タラの父親がこの「25人に1人」の精神疾患で、それによって家族が「カルト空間」に閉じ込められてしまった可能性は高いだろう。
タラは優秀な学業成績を認められ、ケンブリッジ大学に留学して哲学の修士号を、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得する。そのサクセスストーリーと、奇妙な(そして痛々しい)家族の物語は本を読んでいただくとして、ここではタラの父親にとりついた「終末論」について考えてみたい。
●ひとはなぜ終末論にこころを奪われるのか
イギリスのジャーナリスト、ダミアン・トンプソンは『終末思想に夢中な人たち』(翔泳社)で、(一部の)ひとはなぜこれほどまでに終末論にこころを奪われるのかを論じている。この本では、キリスト教カルトのブランチ・デヴィディアンによるウェーコ事件とともに、オウム真理教による地下鉄サリン事件が大きく取り上げられている。
1993年2月にテキサス州ウェーコで起きた事件では、大量の銃器を違法に所有しているとして司法当局がブランチ・デヴィディアンの教団本部に強制捜査を行ない、銃撃戦ののち建物から出火、信者たちは火に包まれた。教祖のデビッド・コレシュを含む81人が死亡、うち子ども25名という惨劇は、陰謀集団に支配された政府が自分たちを弾圧していると信じる宗教原理主義者に大きな衝撃を与えた。
「世界に終末が訪れる」という観念は、人類が「死」を意識するのとほぼ同時に生まれたようだ。すべてのひとはいずれは死ぬ、すなわち「自分も死ぬ運命にある」という認識が、世界はいずれ終わるという感覚と重ね合わされるのはごく自然なことだ。
トンプソンによると、世界が周期的に破壊され、再創造されるという考えは古代メソポタミアにまで遡る。バビロニアでは、7つの惑星が蟹座に集まる冬至には大洪水が起き、山羊座で出会う夏至には全宇宙が火で焼き尽くされると考えられた。戦争や洪水、全宇宙の破壊など、大災害は永遠に繰り返される歴史の周期のなかに自らの位置を見出すための指標とされたのだ。
シュメール人は、1カ月を28日にして、それを聖数4で割って1週間を7日にした。それがユダヤ人を通じてキリスト教に伝わり、現代の暦がつくられた。
同様に、メソポタミアでは歴史を4つの時代に区分しており、それがインド、ペルシア、ギリシア、ヘブライなど中近東・地中海文明に広がったらしい。よく知られているのはギリシアの「黄金・銀・青銅・鉄」の時代区分で、紀元前8世紀のヘーシオドスは詩『仕事と農民』で、「今は鉄の時代だ」として、「神々は過酷な重荷を与えるが、よいことも一緒に与えるだろう。ゼウスはこの死を免れない種族である人間を滅ぼすだろう」と嘆いた。
ヒンドゥーでは、クリタユガ(黄金時代)、トゥレタユガ(薄明時代)、ドゥワパラユガ(薄暗時代)、カリユガ(暗黒時代)のやはり4つの時代区分があり、われわれは徳よりも罪のほうがずっと大きいカリユガの時代を生きているとされた。
これらに共通するのは、「時代はどんどん悪い方に向かっている」という感覚で、これは「自分はどんどん老いて死に向かっている」という感覚の反映だろう。その理由が、人間が神の法を順守できず道徳的に堕落してしまったからというのも共通で、神の怒りによって世界は「火による破壊」で最期を迎えるのだ。
道徳的堕落については、エデンの園のような「最初の楽園」神話も、紀元前4000年頃にシュメール人が書き記した文書に登場する。そこでは交易相手のディルムンという不思議な国について、「そこは純潔で清潔である。ディルムンでは、鴉(カラス)は不吉な声で鳴かない。鳶(トビ)は鳶らしい鋭い声をあげない。獅子は肉を八つ裂きにしない。狼は子羊を襲わない……なにも鳩を飛び去らせない」と描かれたが、「いずれもはるか昔に、「不安も恐怖もなく」そして「人間に仲間がいなかった」頃だ」という。
「祖先の方が道徳的にすぐれていた」として現在を「堕落」ととらえる思想は、保守派・リベラルにかかわらず日本の知識人にも頻繁に見られるが、この考え方にはすくなくとも6000年の歴史があり、「むかしはよかった」には(おそらく)人間の本性が影響しているのだろう。
●「時の終わり」を信じるキリスト教徒は、2000年以上もせっせと謎解きを続けている
黙示(アポカリプス)はギリシア語で「覆いを取る」の意味で、選ばれた預言者に神が与えた「秘密」を暴くものとされる。ユダヤ教にとっての黙示録が、旧約聖書の『ダニエル書』だ。
『ダニエル書』はバビロン虜囚時代(紀元前597~538年)に書かれた体裁になっているが、実際にはそれから400年もあとの紀元前168年頃に成立したとされる。当時、エルサレムはギリシア(セレウコス朝)の王アンティコス4世エピファネスの支配下にあった。エピファネスはユダヤ人の神殿崇拝に過酷な弾圧を加え、神殿の黄金をはがし、そこにバール神の像をすえた。この弾圧が、バビロン虜囚という民族の悲劇と重ね合わされたのだろう。
トンプソンは、『ダニエル書』はユダヤ人に対してギリシアの圧政への抵抗を呼びかけるプロパガンダだという。圧倒的なちからをもつ権力者に立ち向かうには、未来への希望が必要だ。だからこそ、バビロン虜囚時代にペルシア王ネブカドネザルの悪夢を次々と読み解いた預言者ダニエルの物語を創造し、ハルマゲドンの戦いの末に死者が復活するという「革命的な概念」が提示された。抵抗運動で生命を失ったとしても、正しい教えを守っていれば最後には復活できるというのは、殉教への強力な誘因になっただろう。
だが歴史学者ノーマン・コーンによると、「危機と審判の時期のあとに正しい人間だけが生き残る新しい世界が到来する」という黙示録信仰はユダヤ人が生み出したものではなく、ペルシア人(ゾロアスター教)からの借り物だという。紀元前1400年頃、開祖ゾロアスターは、「すばらしい創造」という世界の変容が訪れ、そのときすべての死者が復活すると説いた。そして大集会が開かれ、すべての人間に審判が下る。悪人は滅ぼされるが、正義のひとは不死になる。新しい世界では、若者は永久に15歳であり、成人は40歳のままだという。
古代中近東の「循環的」な時の概念に対して、「直線的」な時の概念はユダヤ教とキリスト教が神から授けられたとの解釈がある。だがこれもゾロアスター教に起源があり、「時の終わり」は元の楽園への逆戻りではなく、「その完全さには過去の何ものも及ばない」として「存在の全面的変容と世界の全面的な完成」を約束した。
黙示録(終末論)とは本来、未来への希望を語る思想であり、圧政によって方向性を見失い、アイデンティティが脅かされているひとたちにもっとも訴えかけるものだった。「時の終わり」が、周囲の帝国に翻弄されつづけたユダヤ人に大きな影響を与えたのも当然だった。
黙示録で終末が切迫しているのは、士気を高めるためだ。ギリシア支配の崩壊がすぐそばまで近づいているとの預言があってはじめて、死をも恐れぬ抵抗運動ははげしく燃え上がるのだ。
『ダニエル書』では、「エルサレムを復活再建しに行けという命令」から永遠の正義の時までの期間は70週とされている。これは490日で1年半たらずだが、当然、ダニエルが預言したような善と悪との最終戦争(ハルマゲドン)は起きなかった。だとすれば、「黙示録の秘密は暗号化されている」と考えるほかはない。
『エレミア書』では「70日」が70年を意味していたから、70週は490年になる。そのうえダニエルが、「このような奇跡の終わり」までどのくらいかかるのか神に訊ねると、「一時期、二時期、そして半時期」という暗号めいた答えが返ってくるので、話はさらにややこしくなる。
こうして「時の終わり」を信じるキリスト教徒は、2000年以上もせっせと謎解きを続けることになった。
●『ヨハネの黙示録』が描く善と悪の戦いは、ゾロアスター教の善悪二元論そのもの
キリスト教がローマ帝国で広く信仰されるようになり、信者も増えてきた紀元1世紀頃、重大な問題がもちあがった。磔刑に処せられたイエスは死者のなかから復活することになっているが、いつまでたってもその気配はない。教会は、「イエスはいつ再臨するのか? 」という信者の素朴な疑問にこたえなくてはならなくなった。こうしてヨハネという名の人物がパトモス島で『黙示録』を書くことになったのだとトンプソンはいう。
『ヨハネの黙示録』は西欧の歴史に大きな影響を与えたばかりか、「666という数の獣」「反キリスト」「七つの封印が解かれたときに現われる四騎士」などは繰り返し現代のサブカルチャーに登場し、陰謀論の定番のガジェットになっている。
だが、『ヨハネの黙示録』であまりにも有名になった「千年王国」も、「時の神スルバーンが天地創造前の1000年間を統治していた」というゾロアスター教に原型を見ることができる。ゾロアスター教の物語が古代世界で広く流通していたことを考えれば、ヨハネがこの話を知っていた可能性は高い。
『ヨハネの黙示録』が描く壮大な善と悪の戦いは、ゾロアスター教の善悪二元論そのものだ。ヨハネは旧約聖書やゾロアスター教などのさまざまな物語を素材に、懐疑的な信者を説得するために『黙示録』の預言をつくりあげたのだろう。
紀元1世紀頃に成立した『ヨハネの黙示録』では、終末が訪れるとき世界は炎によって焼き尽くされるという。これは紀元79年のポンペイ(ヴェスヴィオ山)の噴火が影響しているのではないか。教会は信者たちに、ポンペイの悲劇は世界が焼き尽くされる前触れであり、正しい信仰だけが運命から逃れられる方途だと説いたのだ。
キリスト教の終末論にオリジナリティがあるとすれば、「終末が始まるときに、キリスト教を信じる者はみな空中に浮かんで天国に運ばれる」という“ラプチャー”で、聖パウロの『テサロニケの信徒への手紙』に出てくる。アメリカには「UFOに誘拐(アブダクション)された」と信じるひとがものすごくたくさんいるが、日本人には理解しづらいこの現象はここから説明できるかもしれない。
「千年王国信仰」は中世を通じて西欧社会に浸透し、十字軍にも影響を与えたが、「革命運動」としてのその性格がより明確になるのは宗教改革以後だ。カトリック教会の権威が否定されただけでなく、印刷技術と識字率向上によって、自ら聖書を読み、その意味を解釈する自由がすべてのひとに与えられたのだ。
民衆革命としての最初の千年王国運動は1525年のドイツ農民戦争で、ついでイギリスに広がった。カトリックの守護者を任じたスペインと対立していたイギリスは、『黙示録』の「獣」とは教皇のことであり、カトリック教会こそが「悪魔」だとして国民の戦意を煽った。
その後、清教徒革命(1642年)、護国卿クロムウェルの統治(1648~1658年)、王政復古(1660年)に至る動乱の時代に、「世界の終わり」を告げる預言者が次々と現われた。だが「陽気な君主」と呼ばれたチャールズ2世が王位について世情が安定すると、黙示録信仰は廃れていく。
その理由のひとつは、王政復古によって千年王国の到来が無期限に延期されたことだ。これがベーコンの科学的楽観主義と結びついて、進歩の理論を形成した。もうひとつは原理主義的なピューリタン(清教徒)がイギリス国教を認めず、『黙示録』の論理を転用して、国王を「悪魔」と批判するようになったことだ。
こうしてイギリスの主流派は、終末思想から距離を置くようになった。いまだに「世界の終わり」を信じているのは、カルト的な少数集団や下層階級だけだとされるようになったのだ。
イギリスで居場所を失った『黙示録』は、ピューリタンとともに大西洋を渡って新大陸(アメリカ)に移植されることになった。
●「終末の日」は「いますぐ」起きることは間違いないから準備が必要
アメリカへの初期の入植者は、『黙示録』の世界観を当然のごとく信じていた。アメリカ独立戦争によってその思いはさらに強くなり、「建国の父」たちはこの新しい国が黙示録的運命を背負っていると確信していた。このことは、1ドル紙幣の「三角形の中の目」のようなフリーメーソンのシンボルにも反映されている(当時、聖書から霊感を得ることと、啓蒙思想に目を向けることに明確な境界線はなかった)。
アメリカ社会が大きく2つに分かれるきっかけになったのが南北戦争だ。奴隷制をめぐる争いには、「前千年王国派」と「後千年王国派」の黙示録をめぐる解釈のちがいが関わっている。
『ヨハネの黙示録』はキリストの再臨と千年王国を予言するが、じつはその前後関係が明確に定められているわけではない。そこで、「聖人たちの1000年の治世が終わってキリストが再臨する」という「後千年王国派」と、「反キリストによってハルマゲドンが引き起こされ、キリストが再臨して千年王国が始まる」という「前千年王国派」が対立するようになった。
後千年王国派の考え方では、キリストの再臨にためには1000年の平和な治世が前提となる。これが19世紀前半の社会改革運動家の強力な動機となり、奴隷制反対運動につながった。聖書の教えに反する奴隷制のままでは千年王国は実現せず、キリストはアメリカの地に降臨できないのだ。北部の白人たちが自らの血を流してまで黒人の「人権」のために戦った背景には、千年王国の熱狂があったというトンプソンの指摘は重要だ。
それに対して前千年王国説では、世界はまずサタンによって支配され、その混乱と破壊の果てに救世主としてのキリストが現われる。救済のためには災厄が起きなければならないという「自虐的」な思想だが、こちらは黒人奴隷を使って広大なプランテーションを経営する南部の保守的なプロテスタントにとって都合がよかった。自分たちが時代から取り残されているというアイデンティティの動揺も、終末思想に引きつけられる誘因になっただろう。
後千年王国説に立ち奴隷制度に反対したプロテスタントは、その後、終末論を離れて、日々の現実に根差した社会的福音に向かった。この進歩思想は、王政復古によって終末論を捨てたイギリスの主流派と同じだ。キリストの再臨まで1000年もかかるのなら、それを待ちつづけるより、自分たちの暮らしや社会をよりよいものにするよう努力した方がずっといい。この考え方が、アメリカの進歩主義的なリベラリズムになっていった(ここからわかるように、進歩主義は信仰と両立できる)。
一方、前千年王国説に立つ保守派は、「神の「予言時計」は福音書時代の始まりとともに止まっており、再び動き出すのは、終わりの日々のドラマが始まってからだ」と考えるようになった。「終わりの日々」は今にも始まるかもしれず、いったん始まったら、『黙示録』の血みどろの預言が次々と実現されることになる。だが、霊的に生まれ変わったキリスト教徒には恐れることはなにもないのだ。
じつはアメリカでは、1844年に終末の到来が予言され、大きな話題になったことがある。それが外れて笑いものにされてから、カルト教団ですら日付を特定しなくなった。その代わり彼らは、「終末はいつやってきてもおかしくない」と切迫感を煽るようになった。
前千年王国説では、現在は「悪魔が支配する末世」でなくてはならない。これが、「ダークステイト(闇の政府)によって世界は支配されている」という陰謀論を生み出すのだろう。そのうえ「終末の日」がいつかは知ることができず、Y2K(2000年1月1日)や2001年の同時多発テロがきっかけになるかもしれない。それがたとえハルマゲドンに結びつかなくても、「いますぐ」起きることは間違いないのだから、そのために準備しておかなくてはならないのだ。
黙示録をこのように理解すれば、『エデュケーション』で描かれたサバイバリストの父親の発言や行動とぴったり重なる。アメリカではいま、「ダークステイトと戦うトランプ」を熱烈に支持するQアノンというSNSの陰謀ネットワークが急速に広がっているが、そのための肥沃な土壌はずっと以前から整っていたのだろう。
・建国以来、アメリカ人はイルミナティなど「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた【橘玲の日々刻々】(ダイヤモンドZAi ONLINE 2021年2月11日)
※トランプ前大統領の「選挙は盗まれた」「議事堂に行って、勇敢な議員を励まそう」との演説に扇動された熱狂的な支持者たちによるアメリカ連邦議会議事堂占拠は、今後、現代史の画期をなす出来事として繰り返し語られ分析されることになるだろう。
この事件の不可解さは、トランプ支持者がQアノンなる陰謀論を信じていることにある。この陰謀論では、「アメリカはディープステイト(闇の政府)に支配されており、トランプはそれと闘っている」とされる。彼らにいわせれば、「選挙を盗んだ」のもディープステイトの策略ということになる。
ディープステイトとはいったい何なのか? 諸説あるものの、この用語が広く知られるようになったきっかけは、NSA(国家安全保障局)、CIA(中央情報局)の元局員で、政府がアメリカ国民に対して組織的な監視活動を行なっていることを告発したエドワード・スノーデンのようだ。スノーデンは、行政権力が法や倫理を無視して歯止めなく監視・統制を強めていく実態を「ディープステイト」と呼んだ。
だがQアノンの陰謀論は、このような(真っ当な)権力システム批判ではなく、明らかに政府内に巣くう特定の陰謀集団を想定している。この発想は目新しいものではなく、建国以来、アメリカ人は「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた。
こうした秘密結社のなかでもっともよく登場するのがイルミナティ(Illuminati)だ。といっても、この名高い(悪名高い)結社は日本人にはほとんど馴染みがなく、私もダン・ブラウンの歴史ミステリーを原作にした映画『天使と悪魔』(ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演。2009年)くらいしか知らなかった。ローマ教皇が死んだばかりのバチカンで4人の枢機卿が拉致され、イルミナティから脅迫テープが届く……というのが物語の導入だ。
キリスト教圏の歴史や文化(サブカルチャー)に大きな影響を与え、いまもアメリカの「怒れるひとびと」を動員するちからをもつ秘密結社とはいったい何なのだろうか?
●イルミナティとはどんな団体なのか?
イルミナティは「陰謀」にまみれているので、主流派の歴史家は敬遠し扱おうとしなかった。その数少ない例外がイギリスの歴史家ニーアル・ファーガソンで、『スクエア・アンド・タワー ネットワークが創り変えた世界』(東洋経済新報社)の冒頭に「イルミナティの謎」の章を置いている。ファーガソンはこの本で、人類の歴史を「スクエア(広場)」と「塔(タワー)」の拮抗と交代として読み解こうとしている。これを私の用語でいうと、「バザール」と「伽藍」になる。
タワー(伽藍)が強固な階層性組織だとするならば、広場(バザール)は階層性を侵食するネットワークだ。強大な権力もいずれはネットワークに侵食されて崩壊するが、中心のない「スクエア=ネットワーク」だけでは社会を統治することができず、混沌のなかからふたたび「タワー=階層性」が現われる。――この魅力的な歴史観についてはいずれ別の機会に論じてみたい。
そのファーガソンはイルミナティを、18世紀のドイツ、バイエルン地方で誕生した秘密結社的なネットワークだとする。それが「神話化」することで、現代に至る壮大な「陰謀論のネットワーク」へと成長したのだ。
アダム・ヴァイスハウプトは1748年に南ドイツの法学教授の家に生まれ、父親が若くして死んだために、大学改革を命ぜられた男爵の後援で父親の跡を継ぎ、若干24歳でバイエルン中部にあるインゴルシュタット大学の教会法の教授に、翌年には法学部の学部長に任命された。
この若い法学者は、幼少期にイエズス会のきびしい教育を受けた反動でフランス啓蒙運動の過激な哲学者に傾倒しており、それを保守的な南ドイツ移植したいと考えていた。だが彼が奉じたのは禁忌とされた無神論だったので、仲間を集めるにしても、その目的を秘匿しなければならなかった。こうして1776年、ヴァイスハウプト28歳のときに秘密結社「イルミナーテンオルデン(イルミナティ教団)」が創設された。
この結社のある会員の回想によると、ヴァイスハウプトはイルミナティの目指すところを次のように語ったという。
この上なく巧妙かつ安全な手段を講じ、美徳と叡智をもってして愚昧と悪意に勝利せしめることを目指す団体。科学のあらゆる分野で最も重要な発見をなし、会員を教導して偉大たらしめる団体。現世において全き者となるという確実な褒賞を会員に保証する団体。迫害と弾圧から会員を守る団体。あらゆる形態の専制を封じる団体。
イルミナティは「啓明」という名のとおり、その目的は「迷信と偏見の雲を追い散らす、理性の太陽によって啓蒙し、知性を導く」ことであり、「私の目的は理性を優位に立たせることだ」とヴァイスハウプトは宣言した。そのための方法は「陰謀」ではなく「教育」で、結社の総則(1781年)には「この同盟の唯一の意図は、空虚な手段に訴えることなく、美徳を助長し、それに報いることによる教育である」と記された。
●イルミナティはフリーメイソンの内部に埋め込まれることで成長した
イルミナティは啓蒙主義を掲げる秘密結社として創設されたが、その性格に決定的な影響を与えたのは、ヴァイスハウプトがイエズス会しか「組織」を知らなかったことだ。その結果、矛盾するようだが、「イエズス会のような階層性をもつ反イエズス会(反カトリック)の秘密結社」が生まれることになった。
イルミナティの会員は、多くが古代ギリシアや古代ローマに由来する暗号名をもち(創設者であるヴァイスハウプトの暗号名は「スパルタクス」)、会員は下から「修練者」「ミネルヴァル(ギリシア神話の知恵の神アテナに相当するローマ神話の女神ミネルヴァからとった名称)」「啓蒙されたミネルヴァル」の3階級に分けられ、低い階級の者には結社の目的や活動内容は漠然としか知らされなかった。
入会にあたっては秘密厳守の宣誓をしなければならず、この誓いを破ると「この上なく陰惨な死」をもって罰せられることになっていた。新加入者は孤立した「細胞」に組み込まれ、上位の会員の監督下に置かれるが、その人物の正体は知らされなかった。
とはいえ、創設時の会員は学生が大半で、2年経っても会員総数はわずか25人だった。1779年12月(創設3年目)でも60人にしかならなかったが、それからわずか数年のうちに会員数は1300人を超えるまでに急増し、バイエルンだけでなくドイツ各地に支部をもつようになった。
なぜこのような「躍進」が可能になったのか。それは、イルミナティがフリーメイソンに食い込んだからだ。
フリーメイソンもまた陰謀論の定番で、その神話化された来歴については諸説が入り乱れているが、中世の石工(王宮や教会などの建築家)組合を前身とし、「理性の時代」の潮流のなかで、17世紀中期にスコットランドのロッジ(地方支部)が「思索的メイソン」を受け入れ、そこからイングランド、フランス、ドイツ、北米へと広がっていったとされる。
フリーメイソン自体も啓蒙主義(理神論)の秘密結社だが、1770年代になると、ドイツでは名士の社交クラブのような存在になっていたらしい。そうなると、「テンプル騎士団を起源とする伝承がないがしろにされている」と不満をもつ会員が現われ、「厳格な典礼の遵守」を求めるようになった。
そんな「原理主義者」が新興の弱小秘密結社に目をつけ、それを利用して“堕落したメイソン”を立て直そうとした。イルミナティは「寄生植物」のように、フリーメイソンの内部に埋め込まれることで成長したのだ。
フリーメイソンの原理主義者たちは、イルミナティの組織に自分たちの儀式を次々と加えた。修練者の階級は「ミネルヴァル」と「小啓明者」に分かれ、その上に「大啓明者(スコットランド修練者)」と「教導啓明者(スコットランド騎士)」が置かれた。上位の「啓蒙されたミネルヴァル」階級も「小密儀(司祭)」「大密儀(魔術師)」「王」へと階層化された。「王」の会員のなかから国家監査官、管区長、長官、首席司祭といった結社の役員が選ばれ、多数の地方「教会」は「県」「地方」「査察」の傘下に入った。
「秘密結社のなかの秘密結社」として組織が整備されるにつれて、イルミナティはドイツの名士たちに強烈な魅力をもつようになった。それはいわば招待制のサロンのようなもので、イルミナティであることが新たなステイタスシンボルになったのだ。こうして、ドイツの錚々たる諸侯や貴族、知識人だけでなく聖職者までもが結社に加わった(モーツァルトのオペラ『魔笛』(1791年)にイルミナティの影響が見られることはよく知られている)。
だが上流階級への急速な浸透がバイエルン政府の警戒を招き、「宗教に背き、敵対する」として、創設から8年後の1784年には活動を事実上禁止する3つの布告のうちの最初のものが発せられた。調査委員会によってイルミナティの会員が大学や官界から追放され、職を失い、投獄されたり国外に追放される者が出ると、結社はあっけなく崩壊した。ファーガソンは、「イルミナティは、1787年の末までには実質的に機能しなくなっていた」と述べる。
それにもかかわらず、なぜこの秘密結社は「神話化」していったのか。それは同じ頃、ヨーロッパで大事件が起きたからだ。それが1789年のフランス革命だ。
●アメリカは秘密結社によって誕生したが、その直後から秘密結社を恐れるようになった
人間にとっての根源的な恐怖は、何が起きているのかわからないことだ。このときわたしたち(脳=無意識)は、納得できる説明を必死になって探し求める。それまで世界でもっとも裕福で強大な権力をもつと信じられていたフランスの絶対王政が革命によってあっけなく倒されただけでなく、国王と王妃がギロチンにかけられて斬首されるという驚天動地の出来事は、まさに「説明」が必要とされていた。
フランス革命を牽引した活動家のなかにフリーメイソンのメンバーがいたことは事実だが、革命運動が「秘密」裏に工作しなければならないことを考えれば当然の話でもあった。活動家たちは、メイソンに入会することで秘密結社のネットワークを自在に使うことができるようになった。
だが先に述べたように、18世紀末のヨーロッパではフリーメイソンは名士の社交クラブになっていたのだから、イギリスやドイツの上流階級は自身がメイソンだったり、周囲にメイソンのメンバーがいることは珍しくなかっただろう。そんな彼らにとって、フリーメイソンが革命の主体というのは容易に信じがたかった。
そこで早くも1797年、高名なスコットランドの物理学者ジョン・ロビンソンが、フリーメイソン、イルミナティ、リーディングソサエティ(啓蒙的な読書クラブ)が「ヨーロッパの既成宗教をすべて根絶し、既存の政府を1つ残さず転覆させる」という陰謀を画策しているとの著書を刊行した。
同年、フランスのイエズス会士、オーギュスタン・ドゥ・バリュエルも「フランス革命の間に見られた最も忌まわしい行為に至るまで、何もかも予知され、決められ、また、組み合わされ、あらかじめ計画されており……考え抜かれた非道の所産だった」として、ジャコバン派そのものがイルミナティの後継者だと主張した。
こうしてフランス革命直後から「イルミナティ陰謀説」がヨーロッパを席捲し、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は「イルミナティは依然としてドイツ全土で危険なまでに破壊的な勢力だ」と警告された。
「イルミナティ神話」は、大西洋を渡って独立したばかりのアメリカにも伝わった。アメリカのひとびとも、なぜフランスで革命などという「荒唐無稽」なことが起きたのかの説明を求めていたが、それより切実なのは、独立直後の国家がまだ脆弱で、イギリスやスペインなどのヨーロッパの大国、あるいはカトリック(バチカン)が新政府を転覆させるための陰謀を画策しているのではないかという不安が広まっていたことだった。
当時のアメリカの政治や社会は混沌としており、さまざまな陰謀が現われては消えていっただろう。「何者かが自分たちに陰謀をはたらいている」との不安はたんなる妄想ではなく、根拠があった。この不安が、ヨーロッパの得体の知れない秘密結社(イルミナティ)と結びついても不思議はなかった。
だがファーガソンも指摘するように、ここには歴史の皮肉がある。アメリカの独立革命に大きな役割を果たしたのがフリーメイソンだったからだ。ボストン茶会事件のとき、主要な独立運動組織5つのうちの1つがフリーメイソンのセント・アンドルーズ・ロッジで、「反(植民地)政府的な扇動行為の温床と化していた」。
ベンジャミン・フランクリンはフィラデルフィアの所属ロッジのグランドマスターになったばかりか、『フリーメイソン憲章』のアメリカにおける最初の版の発行者でもあった。ジョージ・ワシントンも20歳のときにヴァージニアのロッジに加入し、1783年には新たに設立されたロッジのマスターになっている。
ワシントンは1789年4月30日の大統領就任式でフリーメイソンのセント・ジョンズ・ロッジ第一の聖書にかけて就任宣誓をし、1794年の連邦議会議事堂定礎式ではフリーメイソンの式服一式を身にまとって肖像画を描かせた。有名な1ドル紙幣の「(未完のピラミッドの上に載った万物を見通す)プロヴィデンスの目」も、多くの歴史家がフリーメイソンとのつながりに疑問を呈しているが、ファーガソンはその関係は明らかだとしている。
フリーメイソンが革命や独立運動で主導的な役割を果たしたのは、「秘密」の活動に向いていたからだけではない。当時はまだ貴族(上流階級)と平民(中流階級)が対等の立場で交流することはできなかったが、「身分にかかわらずすべての会員が平等」という秘密結社が地下活動の拠点となったことで、より大きなネットワークを可能にしたのだとファーガソンは指摘している。
アメリカは秘密結社(フリーメイソン)によって誕生したが、その直後から秘密結社(イルミナティ)を恐れるようになったのだ。
●ジョン・トッドが説いた「イルミナティの陰謀」
1730年代にアメリカのニューイングランドを中心に興った宗教復興運動が第一次大覚醒で、次いで独立後の1800年代から1830年代にかけて第二次大覚醒と呼ばれる福音主義運動が始まる。この「キリスト教原理主義」の高揚のなかで、宗教活動を軽視・否定するフリーメイソンへの反発が広がり、独立運動への貢献は歴史から消されていく。こうしてアメリカ現代史のなかで、フリーメイソンの建国の役割は無視されるようになっていった。
それを華々しく復活させたのがジョン・トッドという若者で、1970年代半ばからアメリカ各地で「イルミナティの陰謀」を説き、一時はテレビに出演するまでの注目を集めた。――以下の記述はジェシー・ウォーカー『パラノイア合衆国 陰謀論で読み解く《アメリカ史》』(河出書房新社)に拠る。
トッドは自分のことを、アメリカに魔法をもたらしたコリンズ家に生まれ、13歳で魔術師の司祭職について学びはじめ、14歳でオハイオ州コロンバスの魔女団で秘伝を授けられたが、それはフリーメイソンの秘伝とまったく同じだと語った。
18歳で高位の聖職者になったトッドは徴兵されてドイツの軍事基地に駐屯しているとき、酒に酔ってドイツ人将校を射殺して刑務所に送られたが、ある日、「1人の上院議員、1人の下院議員、将官が2人」が迎えに来た。すると軍法会議の記録が抹消され、名誉除隊でアメリカへの帰国を許され、自宅に戻ると2000ドルとニューヨーク行きのファーストクラスの封筒が置かれていた。こうしてトッドは、「イルミナティと呼ばれる強力な政治組織」の存在を知ることになる。
イルミナティを組織していたのはロスチャイルド家で、その下には「十三人委員会」、ロスチャイルド家専属の聖職者、世界でもっとも強力なフリーメイソンから成る「三十三人委員会」、ロックフェラー家、ケネディ家、デュポン家など超富裕層から成る「五百人委員会」の階層があった。イルミナティはスタンダード石油、シェル石油、チェース・マンハッタン銀行、バンク・オブ・アメリカ、シアーズ、セイフウェイなどの大企業を支配し、全米キリスト教会協議会、全米大魔王同盟、連邦準備制度、アメリカ自由人権協会、アメリカ青年商工会議所、(右派の政治団体である)ジョン・バーチ協会、共産党を牛耳っているとされた。イルミナティは、アメリカでは「外交問題評議会(国際問題を討議する場として1921年に設立され、雑誌『フォーリン・アフェアーズ』を発行。国際連合世界政府を構想したことで右派から「影の世界政府」と批判された)」を自称していたという。
トッドは最高位の十三人委員会に迎え入れられ、13州の管理を命じられ、世界全体を支配しようとするイルミナティの8年計画について知らされた。その計画は1980年12月に完了予定となっていた。この大陰謀を知って、トッドは1972年にイルミナティを脱会し(キリスト教福音主義と出会って回心を体験したという)、ひとびとに危険を知らせるために全米を回っている――という話をして教会の信徒から寄付を募っていた。
「イルミナティの大陰謀」はトッドが考えついたものではない。20世紀初頭のイギリス作家ネスタ・ウェブスターは、イルミナティとその関連組織がフランス革命ばかりか、その後のヨーロッパで起きたあらゆる革命の背後にあったと論じた。彼女の語るイルミナティは、「共産主義であるとともに資本主義でもあり、銀行、ボルシェビキ、フリーメイソン、神秘主義、ドイツ人、ユダヤ人すべてをひっくるめたものだった」。
ここには明らかに反ユダヤ主義の影があるが、この議論に影響を受けたのがウィンストン・チャーチルで、1920年、「ユダヤ人による運動というものは新しいものではない。スパルタクス・ヴァイスハウプト集団(イルミナティ)の時代から、カール・マルクス、そしてトロツキー(ロシア)、クン・ベーラ(ハンガリー)、ローザ・ルクセンブルク(ドイツ)、エマ・ゴールドマン(アメリカ)まで、阻害された発展、嫉妬心にもとづく悪意、不可能な平等がもたらす文明破壊と社会再構成は着々と進められてきた」と記した。
トッドの物語(あるいは妄想)は、「イルミナティとその背後にいるユダヤ人」という構図で作り出された膨大な陰謀論の沃野から生まれたのだ。
●「トランプがディープステイト(闇の政府)という秘密結社と闘っている」
1969年8月、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8カ月だった女優のシャロン・テートと友人ら3人が自宅で斬殺される事件が起きた。この猟奇殺人はカルト的コミューンの指導者チャールズ・マンソンに命じられたメンバーによる犯行だった。
ジョン・トッドの陰謀論で興味深いのは、自分がマンソンの「古い友人」であり、マンソンがアメリカの刑務所に「イルミナティ軍団」を形成し、1~2年後に出所することになっていると述べたことだ。トッドによれば、マンソンの軍団はイルミナティから武器の供与を約束されており、議会が銃規制を強化して一般市民の銃器を押収すると、「(マンソンらは)支持者たちと全米を掃討して何百万人という人を殺し、政府が戒厳令を敷くように仕向ける」のだという。
このように、1970年代のイルミナティ復興の背景にはアメリカ社会を大きく揺さぶったヒッピー・ムーヴメントがある。作家カート・アンダーセンはベストセラーとなった『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(東洋経済新報社)で、60年代のアメリカを「狂気と幻想のビッグバン」と名づけた。
この時代の雰囲気を象徴するものとしてアンダーセンが挙げるのが、ゲシュタルト療法を創始したドイツ人の心理療法士フレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」だ。
私は私の好きなことを、あなたはあなたの好きなことをする。私はあなたの期待に応えるためにこの世界にいるのではなく、あなたは私の期待に応えるためにこの世界にいるのではない。あなたはあなた、私は私であり、この二人がたまたまどこかで出会うのであれば、それはすばらしいことだ。出会わないのであれば、それはそれで仕方のないことだ。
若者たちはこれを、理性や合理主義は自由を拘束する「システム」を生むだけで、自分だけの真実をつくりあげることこそがシステムへの抵抗であり、そのためには「自分らしく生きる」ことが必要だと解釈した。このようにして科学は「文化的構築物」となり、真実は相対的なもので、夢想=スピリチュアリズムに大きな価値が置かれることになった(そこには当然、ドラッグの影響もあった)。
60年代はまたハレー・クリシュナ・マントラ(クリシュナを崇めるヒンドゥーの新興宗教)などのニューエイジが広まったが、それよりも大きな影響力をもったのが急進化したキリスト教だ。
1960年代後半、カリフォルニアのヒッピーたちのなかに、福音主義的キリスト教を信奉する「ジーザス・ピープル」「キャンパス・クルセード・フォー・クライスト」「キリスト教世界解放戦線」などの組織が次々と誕生した。若者たちはLSDで恍惚とするなかで、「福音主義的できわめて熱狂的な根本主義的キリスト教」に出会った。アンダーセンは、これが南部など保守的な地方に移植され、第四次大覚醒(福音主義運動)を引き起こしたのだという。
ヒッピーとキリスト教原理主義は対極にあるように見えるが、「理性を捨て、好きなことを信じる無制限の自由」を謳歌するのは同じだ。福音主義も「ポスト理性のアメリカという荒海から生まれた一つの反体制文化だった」のだ。
1970年に福音主義者ハル・リンゼイの『今は亡き大いなる地球』(徳間書店)がベストセラーになったが、この本では「サタンや反キリストや偽預言者、あるいはその手下が地位も名声もある人々を装い、この世を支配しているという陰謀」が詳細に語られた。福音主義者は1948年のイスラエル建国を「聖書の預言が成就する紛れもない証拠」とし、核戦争によるハルマゲドンとともにキリストが降臨し「千年王国」が始まるとの終末論を夢想した。
1991年には福音主義者パット・ロバートソンによる『新世界秩序(The New World Order)』 がベストセラーになった。この本では、秘密結社が世界政府を創設すると同時に、「キリスト教とアメリカの自由を攻撃し、歴史の終焉をもたらす善と悪の権力間の最終闘争を加速する」とされた(マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論 黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』三交社)。この秘密結社はイルミナリティのことで、「フランス革命への道筋を準備し、そのあと世界共産主義の源となり、やがてロシア革命を生み出した(イルミナティ創設者の)ヴァイスハウプトの指令」に従っているとされ、その背後にはロスチャイルド家、クーン=ロブエ家、ジェイコブ・シッフ社、ヴァールブルク家などの国際ユダヤ資本があるとする。――この記述が反ユダヤ主義だと批判され、著者たちはユダヤ人社会に謝罪することになった。
「新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)」というのは、もともとは独立直後のアメリカで、国際的な秘密結社(影の政府)が自分たちの自由と主権を奪うために企んでいる陰謀の総称として使われたようだ。その伝統を60年代のヒッピーカルチャーと福音主義が蘇らせ、それをさらにSNSの陰謀論者たちが利用して「トランプがディープステイト(闇の政府)という秘密結社と闘っている」という物語に仕立て直した。
Qアノンの「秘密結社」はアメリカの歴史に根づいた「神話」を巧妙に利用しており、だからこそ「陰謀」の被害者にされていると疑心暗鬼になったひとびとのこころを強烈にとらえ、燎原の火のように広がることになったのだろう。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『女と男 なぜわかりあえないのか』(文春新書)。
※ブログ主コメント-反陰謀論ではあるが流れをつかむにはよい。
※アメリカには外向的で、なおかつ経験への開放性が高い移民が集まってきた
「アメリカ人がカルト空間に閉じ込められている」というのは、私の思い込みというわけではない。2016年に刊行され、大きな話題となった『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(東洋経済新報社)で、作家のカート・アンダーセンは、アメリカという国は「自分たちだけのユートピア」を求めて故郷を捨てたピルグリム・ファーザーズという「常軌を逸したカルト教団によって建設された」と述べている。
それ以来500年のあいだ、アメリカは「ファンタジー(魔術思考)」に支配され、ひとびとはしばしば「狂乱」に陥った。そうした歴史を顧みるならば、真実(トゥルース)を否定する大統領の登場はなんら驚くようなことではなく、むしろ必然だったとアンダーセンはいう。
17世紀、アメリカ=新世界はヨーロッパ人にとって「空想の場所」であり、「熱病が生み出す夢、神話、楽しい妄想、幻想の場所」だった。新世界を目指す者たちは「スリルと希望に満ちたフィクションを信じるあまり、この夢が叶えられなければ死ぬ覚悟で、友人、家族、仕事、分別、イングランド、既知の世界など、あらゆるものを捨てて旅に出た。そして大半が本当に死んだ」。
新世界に最初にやってきたイングランド人たちは、「魅力的な信念や、大胆な希望や夢、真実かどうかわからない幻想のために、慣れ親しんだあらゆるものを捨て、フィクションの世界に飛び込むほど向こう見ずな人たちだったに違いない」とアンダーセンは書く。
だとしたら、夢に駆り立てられて大西洋を渡ったヨーロッパ系アメリカ人の祖先は、母集団である平凡なヨーロッパ人と比べてなんらかの性格的なちがいがあるのだろうか。大多数のひとたちは、同じような困難な境遇にありながらも、故郷にとどまることを選んだのだから。
パーソナリティ心理学は、こうした性格傾向(特性)を「外向性/内向性」と「経験への開放性」で説明する。
「外向性/内向性」は近年では、性格的に明るい(陽気)か暗い(陰気)かではなく、刺激に対する感度(覚醒度)のちがいとされる。外部から五感に一定の刺激を受けた時、外向性パーソナリティでは脳が反応する閾値が高く(感度が鈍く)、内向性パーソナリティでは閾値が低い(感度が高い)。脳の覚醒度には心地よく感じる一定の範囲があり、そこから外れることを嫌って無意識に(自動的に)刺激を調整しようとする。
外向的なひとは最適な閾値に対して脳が低活動なことが多く、刺激が足りないと感じているから、見知らぬひとたちが集まるパーティ、大音響でアップテンポの曲が演奏されるライブハウス、危険なスポーツや不倫のようなあやうい恋愛に魅かれるだろう。
一方、内向的なひとは最適な閾値に対して脳が活動過多なことが多く、強い刺激を苦手にするから、パーティやクラブを避け、一人で読書をしたり、クラシック音楽を聴くのを好み、決まったパートナーと長く暮らすか、あるいは独身を貫くかもしれない(刺激に対して極端に感度が高いパーソナリティは、最近は「繊細さん」と呼ばれる)。
「経験への開放性」は新しもの好き(新奇性)のことだとされていたが、これもいまでは「意識の解像度のちがい」だと考えられている。開放性の高いひとは解像度が低く、さまざまな(余分な)情報が意識に流れ込んでくる。開放性の低いひとは解像度が高く、意識の焦点が合っている。
意識の解像度が低いと、大量の情報を処理できなくなって妄想的になるが、思いがけないものを結びつけて奇抜な比喩や斬新なアイデアを思いつくこともある。もっとも「経験への開放性」が高いのが詩人だが、芸術家だけでなく科学者やベンチャー起業家(スティーブ・ジョブズ)にもこのタイプは多い。それに対して意識の解像度が高い(「経験への開放性」が低い)と、安定しているものの型にはまった生活や考え方をしがちだ。
アンダーセンの『ファンタジーランド』をパーソナリティ心理学で説明するならば、外向的(強い刺激を求める)で、なおかつ経験への開放性が高い(妄想的な)移民が集まってきたことで、アメリカは「狂気と幻想の国」になったのだ。
「陽気で活動的で、つねに新しいことにチャレンジする」というアメリカ人のステレオタイプは、パーソナリティ心理学の「外向性」と「経験への開放性」にぴったり重なる。「経験への開放性」は芸術的な感性やイノベーションと結びついており、それがアメリカを、映画や音楽など魅力的なエンタテインメントを生み出したり、シリコンバレーから続々とベンチャー企業が誕生する「夢の国」にしたのかもしれない。だがその一方で「経験への開放性」は妄想的傾向の指標ともなり、その値が極端に高いと(意識の解像度が低すぎると)統合失調症と診断される。
行動遺伝学によると、性格的傾向のおよそ半分は遺伝で、残りの半分は環境で説明できる。アメリカで起きる常軌を逸した(ように見える)出来事の背後には、なんらかの「生得的」なものがあるらしい。
もちろん、ある社会現象を「遺伝的」あるいは「生得的」な要素に還元することは慎重でなければならない。それでもこの話を書こうと思ったのは、近年、ヒト集団のあいだでドーパミンの影響にちがいがあることがわかってきたからだ。――外向性や経験への開放性には、脳内神経伝達物質のドーパミンがかかわっている。
双極性障害の発揚気質(ハイパーサイミック)はアメリカ人の「自画像」そのもの
神経伝達物質は、いったん分泌されほかの脳細胞の受容体と結合したあと、相互作用を終わらせるために放出元の細胞に戻される。この回収作業を行なうのがニューロンのトランスポーターで、いわば「再取り込みポンプ」だ。抗うつ剤として広く使われているSSRIは、セロトニンの再取り込みを阻害する(受容体に蓋をする)ことで脳内のセロトニン濃度を高める作用がある。
ドーパミンの再取り込みを担うのがドーパミン・トランスポーターだが、コカインにはその再取り込みを阻害する効果がある。その結果、コカインを摂取すると脳内のドーパミン濃度が高まり、気分が高揚したり、集中力が高まったりする。この作用は「躁状態」によく似ている。
いまだ諸説あるものの、双極性障害(躁うつ病)にはセロトニンとドーパミンの両方がかかわっている。うつ状態では脳内のセロトニンが枯渇しているが、そこになんらかの要因でドーパミンが増えると躁状態がやってくる。この躁状態は、同じく脳内のドーパミンに強く影響される統合失調症とよく似ている(妄想や幻聴などが現われて区別がつかないこともある)。
この仮説が正しいとすると、双極性障害の発症率は、ヒト集団におけるドーパミン・トランスポーターの効率のちがいを表わしているかもしれない。世界全体では人口のおよそ2.4%が双極性障害を患っているが、アメリカ国民の双極性障害の有病率は世界最高の4.4%で、世界のほかの地域の2倍近くにのぼる。
さらに、アメリカでは双極性障害の患者のおよそ3分の2が20歳までに発症するが、ヨーロッパではその割合は4分の1にすぎない。
アメリカの精神医学者ダニエル・Z・リーバーマンは、これを、「アメリカの遺伝子プールでは(双極性障害の)高リスク遺伝子の密度がほかよりも高い」からだとする。
双極性障害はスペクトラム(連続体)で、重度から軽度に向けて大きく4つのタイプに分けられる。
1) 双極Ⅰ型 うつ状態と躁状態がはっきりとした精神疾患で、典型的な躁うつ病。躁状態では極度のハイパーテンションになり、まったく眠らずに過活動しても疲れを感じず、全財産をギャンブルに注ぎ込んだり、上司に辞表を叩きつけて事業を始めたり、ローンを組んで高額の買い物をしたりする。その病状は、脳内のドーパミン濃度を上げるアッパー系のドラッグによく似ている。
2) 双極Ⅱ型 うつ状態は重度だが、躁は軽躁状態と呼ばれる比較的軽いものになり、場合によっては単極性のうつ病と区別が難しい場合もある(そのため、単極性うつ病から双極性障害へと病態が連続しているとの説もある)。
3) 気分循環症(サイクロミア) 軽躁状態と軽いうつのサイクルで、社会生活には問題ないものの、周囲からは「気分が変わりやすい」と思われる。
4) 発揚気質(ハイパーサイミック) うつ状態のない軽躁状態が続くことで、「活動過多(ハイパー)な性格」とされる。
リーバーマンは発揚気質のパーソナリティを、「陽気で気力に溢れ、ひょうきんで過度に楽観的で、過剰な自信を持ち、自慢しがちで、エネルギーとアイデアに満ちている。多方面に広く関心を向け、なんにでも手を出し、おせっかいで、あけっぴろげでリスクを冒すのを厭わず、たいてはあまり眠らない。ダイエット、恋愛、ビジネスチャンス、さらには宗教といった人生の新たな要素に過剰に熱中するが、すぐに興味を失う。しばしば偉業を成し遂げるが、一緒に暮らすと苦労する相手でもある」と描写する。――これはアメリカ人の「自画像」そのものだ。
いま起きている「異常」な事態こそが“アメリカらしさ”
双極性障害がスペクトラムだとすれば、もっとも重度な双極Ⅰ型(躁うつ病)の有病率が高い社会では、より軽度な双極Ⅱ型だけでなく、サイクロミア(気分循環症)やハイパーサミック(発揚気質)の比率も高くなるはずだ。そして、これこそがアメリカ社会の特徴だとリーバーマンはいう。とりわけ「西部諸州を切り開いた冒険的な開拓者は、リスクを厭わず興奮を求める性格の持ち主で、遺伝的にドーパミン活性過剰である可能性が高い」とされる。
双極性スペクトラムのなかでもっとも裾野が広い(人数の多い)ハイパーサミックは、「異常な症状をいっさい体験することなく、モチベーションの高さ、創造性、リスクを冒して大胆な行動をとる傾向などの、平均以上のドーパミン活性レベルを反映した利点を享受している」。社会的・経済的な成功者を思い浮かべれば、その多くが「知能の高いハイパーサミック」だとわかるだろう。
脳内のドーパミン濃度が平均より高い「軽躁状態」のひとたちは自己効力感も高い。「人生における成功は、自分ではコントロールできない外部の力に左右されると思いますか?」という質問に「はい」と答えた割合は、ドイツ72%、フランス57%、イギリス41%に対しアメリカは3分の1をわずかに超える程度だという。「自助自立」というアメリカ建国の理念は、たんなるイデオロギーではなく、ハイパーサミックなアメリカ人の気質にぴったり合ったからこそ長く強固に受け継がれてきたのだ。
(アメリカ人である)リーバーマンはハイパーサミックのよいところしか書いていないが、それが躁うつ病への連続体だとするならば、強いストレスが加わると(より重度の)サイクロミアから双極Ⅱ型に移行するかもしれない。このことは近年、経済格差の拡大するアメリカでうつ病が急増していることの有力な説明になる。
さらに、過度なドーパミンが妄想(統合失調症)につながるという負の側面に目を向ければ、アンダーセンが『ファンタジーランド』で描いた「狂気と幻想」にとらわれたひとたちの姿になる。アンダーセンはアメリカ社会の特徴をこう述べている。
わが国が奉じる超個人主義は最初から、壮大な夢、あるいは壮大な幻想と結びついていた。アメリカ人はみな、自分たちにふさわしいユートピアを建設するべく神に選ばれた人間であり、それぞれが創造力と意志とで自由に自分を作り変えられるという幻想である。
こうしてアメリカ人は、「あらゆるタイプの魔術思考、何でもありの相対主義、非現実的な信念に身をゆだねていった」。Qアノンの陰謀論がその延長上にあるのなら、いま起きている「異常」な事態こそが“アメリカらしさ”なのだ。
ところで、ドーパミンから見た日本人のパーソナリティはどのようなものだろうか。リーバーマンによると、「移民のほとんどいない日本では、(移民の多いアメリカの4.4%に対して)双極性障害の有病率は0.7%ほどで、世界でもきわめて低い」とされる。そうなると、裾野を形成する双極Ⅱ型やサイクロミア、ハイパーサミックの割合も低くなるはずだ。
そう考えると、日本人の特徴は脳内のドーパミン濃度が低いことで、軽躁状態(ハイパーサミック)の恩恵を被れないかわりに、社会が「魔術思考」で混乱することも(あまり)ないのではないか。日本人が覚せい剤のようなアッパー系のドラッグを好むことも、この「低ドーパミン気質」から説明できるかもしれない。
もっとも、これは日本人が「理性的」だということではない。経験への開放性が低いと型にはまった考え方しかできなくなり、だからこそ画期的なイノベーションよりも既存の技術の改良を得意とするのかもしれない。また、戦前の日本を見ればわかるように、低ドーパミン気質でも強い圧力が加わるとたちまち妄想的になってしまう。
だからこれはあくまでも相対的なものにすぎないが、世界じゅうから夢に駆り立てられて集まったひとたちが「カルト空間に閉じ込められている」というのは、アメリカ社会の魅力と混乱をかなりうまく説明しているのではないだろうか。
・映画『マッドマックス2』の世界観を持つ「サバイバリスト」は、ディープステイト(闇の政府)が世界を支配し、明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じている【橘玲の日々刻々】(ダイヤモンドZAi ONLINE 2020年12月31日)
※タラ・ウェストーバーの『エデュケーション』(早川書房)は、ビル・ゲイツやミシェル&バラク・オバマが絶賛したことで、全米で400万部のベストセラーとなった。
中西部アイオワ州の片田舎に生まれた少女は、きわめて特異な環境で育つことになる。両親は厳格なモルモン教徒で、とりわけ父親は「サバイバリスト」と呼ばれる極端な原理主義者だった。
●サバイバリストは明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じている
サバイバリストの特徴は、政府は陰謀組織(ディープステイト)によって支配されている信じ、いっさいの公共的なものを拒否することだ。これは教育だけでなく、医療や社会保障のような公共サービスも含まれる。
その結果、タラは小学校から高校まで、いちども学校に通ったことがなかった。こうした子どもは「ホームスクーリング」によって自宅学習していることになっているが、親から習ったのはモールス信号だけだった。
アメリカではホームスクーリングの権利が広く認められているが、これは教育の多様化というよりも、保守的な宗教原理主義者(聖書に反する進化論などを子どもに教えたくない親たち)への配慮で、すくなくともタラの場合は、家庭でどのような教育が行なわれているのか、公的機関による確認はいっさい行なわれていない。
もうひとつのサバイバリストの特徴は、明日にも「終末」が訪れてキリストが再臨すると信じていることだ。彼らの世界観は映画『マッドマックス2』(あるいはマンガ『北斗の拳』)そのもので、子どもにモールス信号を教えるのは、世界の終わりがきて電話やインターネットなどがすべて使えなくなったあとでも、自分たちだけは交信できるようにするためなのだ。
タラは7人きょうだい(男の子5人、女の子2人)の末っ子で、一家は廃品処理と建築業で生計を立てていた。母親は自然分娩の助産婦の助手をしたり、自家製のハーブ薬をつくったりしていた。タラの家庭については、次のように書かれている。
父は政府に頼ることが何より嫌いだった。いつか、私たちは政府の枠組みから完全に外れるのだと言っていた。お金を集めたらすぐにパイプラインを建設して山から水を引き、そのあとの農地全体にソーラーパネルを設置するのが父の計画だった。そうすれば、私たち以外の世の中の全員が水たまりから泥水をすすり、暗闇のなかで生活するようになったとしても、水と電気を「世界の終わり」まで確保することができる。母はハーブに詳しかったから、私たちの健康管理をすることができるし、もし助産婦の仕事を学んだら、孫が生まれるときには、出産を手伝うことだってできる。
両親は医療を信用していなかったので、タラは学校だけでなく病院に行ったこともなかった。あらゆる病気はホメオパシー(症状を引き起こす成分を繰り返し希釈した水薬「レメディ」)とハーブによって治療できると信じていたのだ。
タラの家には電話がなく、父親は運転免許の更新をせず、車検は受けず自動車保険にも加入していなかった。政府が発行する貨幣も信用せず、くしゃくしゃに握りしめた20ドル札をタラに見せて、「こんな偽物は金じゃない。“忌まわしい日”が来たら、こんなもの、役にたちはしない。人びとは100ドル札をトイレットペーパーがわりにするような日が来るんだ」といった。
ある日、父親は納屋の隣に掘削機で穴を掘り、そこに1000ガロン(3785リットル)も入るタンクを埋めてシャベルで土を覆いかぶせ、周囲に注意深くイラクサを植えた。かぶせたばかりの土にアザミの種を蒔いて、成長させてタンクを隠すようにした。そして帽子のつばを上げ、きらきらと光るような笑顔を見せ、「世界の終わりが来たら、燃料を持っているのは俺たちだけだ。誰もが靴の裏を焦がしているときに、俺たちは車で移動することになる」と娘に教えた。
1999年12月31日、世界じゅうのコンピュータが誤作動する「Y2K問題」をきっかけに「世界の終わり」が来るとされた。その日、タラの一家はずっと、(終末を見学するために購入したばかりの)テレビを息を詰めて観ていたが、なにも起きなった。1月1日がありきたりに過ぎると父の魂は壊れてしまい、絶望にうちひしがれ、何時間もテレビの前に座って過ごすようになった。
高校までいちども学校教育を受けたことがないにもかかわらず、タラはACT(日本でいう大検)に合格してモルモン教徒のためのブリガム・ヤング大学に進学するが、そこで父親の言動が双極性障害(躁うつ病)に驚くほど当てはまることを知る。
アメリカ国民の双極性障害の有病率は世界最高の4.4%で、世界のほかの地域の2倍近くに達する。タラの父親がこの「25人に1人」の精神疾患で、それによって家族が「カルト空間」に閉じ込められてしまった可能性は高いだろう。
タラは優秀な学業成績を認められ、ケンブリッジ大学に留学して哲学の修士号を、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得する。そのサクセスストーリーと、奇妙な(そして痛々しい)家族の物語は本を読んでいただくとして、ここではタラの父親にとりついた「終末論」について考えてみたい。
●ひとはなぜ終末論にこころを奪われるのか
イギリスのジャーナリスト、ダミアン・トンプソンは『終末思想に夢中な人たち』(翔泳社)で、(一部の)ひとはなぜこれほどまでに終末論にこころを奪われるのかを論じている。この本では、キリスト教カルトのブランチ・デヴィディアンによるウェーコ事件とともに、オウム真理教による地下鉄サリン事件が大きく取り上げられている。
1993年2月にテキサス州ウェーコで起きた事件では、大量の銃器を違法に所有しているとして司法当局がブランチ・デヴィディアンの教団本部に強制捜査を行ない、銃撃戦ののち建物から出火、信者たちは火に包まれた。教祖のデビッド・コレシュを含む81人が死亡、うち子ども25名という惨劇は、陰謀集団に支配された政府が自分たちを弾圧していると信じる宗教原理主義者に大きな衝撃を与えた。
「世界に終末が訪れる」という観念は、人類が「死」を意識するのとほぼ同時に生まれたようだ。すべてのひとはいずれは死ぬ、すなわち「自分も死ぬ運命にある」という認識が、世界はいずれ終わるという感覚と重ね合わされるのはごく自然なことだ。
トンプソンによると、世界が周期的に破壊され、再創造されるという考えは古代メソポタミアにまで遡る。バビロニアでは、7つの惑星が蟹座に集まる冬至には大洪水が起き、山羊座で出会う夏至には全宇宙が火で焼き尽くされると考えられた。戦争や洪水、全宇宙の破壊など、大災害は永遠に繰り返される歴史の周期のなかに自らの位置を見出すための指標とされたのだ。
シュメール人は、1カ月を28日にして、それを聖数4で割って1週間を7日にした。それがユダヤ人を通じてキリスト教に伝わり、現代の暦がつくられた。
同様に、メソポタミアでは歴史を4つの時代に区分しており、それがインド、ペルシア、ギリシア、ヘブライなど中近東・地中海文明に広がったらしい。よく知られているのはギリシアの「黄金・銀・青銅・鉄」の時代区分で、紀元前8世紀のヘーシオドスは詩『仕事と農民』で、「今は鉄の時代だ」として、「神々は過酷な重荷を与えるが、よいことも一緒に与えるだろう。ゼウスはこの死を免れない種族である人間を滅ぼすだろう」と嘆いた。
ヒンドゥーでは、クリタユガ(黄金時代)、トゥレタユガ(薄明時代)、ドゥワパラユガ(薄暗時代)、カリユガ(暗黒時代)のやはり4つの時代区分があり、われわれは徳よりも罪のほうがずっと大きいカリユガの時代を生きているとされた。
これらに共通するのは、「時代はどんどん悪い方に向かっている」という感覚で、これは「自分はどんどん老いて死に向かっている」という感覚の反映だろう。その理由が、人間が神の法を順守できず道徳的に堕落してしまったからというのも共通で、神の怒りによって世界は「火による破壊」で最期を迎えるのだ。
道徳的堕落については、エデンの園のような「最初の楽園」神話も、紀元前4000年頃にシュメール人が書き記した文書に登場する。そこでは交易相手のディルムンという不思議な国について、「そこは純潔で清潔である。ディルムンでは、鴉(カラス)は不吉な声で鳴かない。鳶(トビ)は鳶らしい鋭い声をあげない。獅子は肉を八つ裂きにしない。狼は子羊を襲わない……なにも鳩を飛び去らせない」と描かれたが、「いずれもはるか昔に、「不安も恐怖もなく」そして「人間に仲間がいなかった」頃だ」という。
「祖先の方が道徳的にすぐれていた」として現在を「堕落」ととらえる思想は、保守派・リベラルにかかわらず日本の知識人にも頻繁に見られるが、この考え方にはすくなくとも6000年の歴史があり、「むかしはよかった」には(おそらく)人間の本性が影響しているのだろう。
●「時の終わり」を信じるキリスト教徒は、2000年以上もせっせと謎解きを続けている
黙示(アポカリプス)はギリシア語で「覆いを取る」の意味で、選ばれた預言者に神が与えた「秘密」を暴くものとされる。ユダヤ教にとっての黙示録が、旧約聖書の『ダニエル書』だ。
『ダニエル書』はバビロン虜囚時代(紀元前597~538年)に書かれた体裁になっているが、実際にはそれから400年もあとの紀元前168年頃に成立したとされる。当時、エルサレムはギリシア(セレウコス朝)の王アンティコス4世エピファネスの支配下にあった。エピファネスはユダヤ人の神殿崇拝に過酷な弾圧を加え、神殿の黄金をはがし、そこにバール神の像をすえた。この弾圧が、バビロン虜囚という民族の悲劇と重ね合わされたのだろう。
トンプソンは、『ダニエル書』はユダヤ人に対してギリシアの圧政への抵抗を呼びかけるプロパガンダだという。圧倒的なちからをもつ権力者に立ち向かうには、未来への希望が必要だ。だからこそ、バビロン虜囚時代にペルシア王ネブカドネザルの悪夢を次々と読み解いた預言者ダニエルの物語を創造し、ハルマゲドンの戦いの末に死者が復活するという「革命的な概念」が提示された。抵抗運動で生命を失ったとしても、正しい教えを守っていれば最後には復活できるというのは、殉教への強力な誘因になっただろう。
だが歴史学者ノーマン・コーンによると、「危機と審判の時期のあとに正しい人間だけが生き残る新しい世界が到来する」という黙示録信仰はユダヤ人が生み出したものではなく、ペルシア人(ゾロアスター教)からの借り物だという。紀元前1400年頃、開祖ゾロアスターは、「すばらしい創造」という世界の変容が訪れ、そのときすべての死者が復活すると説いた。そして大集会が開かれ、すべての人間に審判が下る。悪人は滅ぼされるが、正義のひとは不死になる。新しい世界では、若者は永久に15歳であり、成人は40歳のままだという。
古代中近東の「循環的」な時の概念に対して、「直線的」な時の概念はユダヤ教とキリスト教が神から授けられたとの解釈がある。だがこれもゾロアスター教に起源があり、「時の終わり」は元の楽園への逆戻りではなく、「その完全さには過去の何ものも及ばない」として「存在の全面的変容と世界の全面的な完成」を約束した。
黙示録(終末論)とは本来、未来への希望を語る思想であり、圧政によって方向性を見失い、アイデンティティが脅かされているひとたちにもっとも訴えかけるものだった。「時の終わり」が、周囲の帝国に翻弄されつづけたユダヤ人に大きな影響を与えたのも当然だった。
黙示録で終末が切迫しているのは、士気を高めるためだ。ギリシア支配の崩壊がすぐそばまで近づいているとの預言があってはじめて、死をも恐れぬ抵抗運動ははげしく燃え上がるのだ。
『ダニエル書』では、「エルサレムを復活再建しに行けという命令」から永遠の正義の時までの期間は70週とされている。これは490日で1年半たらずだが、当然、ダニエルが預言したような善と悪との最終戦争(ハルマゲドン)は起きなかった。だとすれば、「黙示録の秘密は暗号化されている」と考えるほかはない。
『エレミア書』では「70日」が70年を意味していたから、70週は490年になる。そのうえダニエルが、「このような奇跡の終わり」までどのくらいかかるのか神に訊ねると、「一時期、二時期、そして半時期」という暗号めいた答えが返ってくるので、話はさらにややこしくなる。
こうして「時の終わり」を信じるキリスト教徒は、2000年以上もせっせと謎解きを続けることになった。
●『ヨハネの黙示録』が描く善と悪の戦いは、ゾロアスター教の善悪二元論そのもの
キリスト教がローマ帝国で広く信仰されるようになり、信者も増えてきた紀元1世紀頃、重大な問題がもちあがった。磔刑に処せられたイエスは死者のなかから復活することになっているが、いつまでたってもその気配はない。教会は、「イエスはいつ再臨するのか? 」という信者の素朴な疑問にこたえなくてはならなくなった。こうしてヨハネという名の人物がパトモス島で『黙示録』を書くことになったのだとトンプソンはいう。
『ヨハネの黙示録』は西欧の歴史に大きな影響を与えたばかりか、「666という数の獣」「反キリスト」「七つの封印が解かれたときに現われる四騎士」などは繰り返し現代のサブカルチャーに登場し、陰謀論の定番のガジェットになっている。
だが、『ヨハネの黙示録』であまりにも有名になった「千年王国」も、「時の神スルバーンが天地創造前の1000年間を統治していた」というゾロアスター教に原型を見ることができる。ゾロアスター教の物語が古代世界で広く流通していたことを考えれば、ヨハネがこの話を知っていた可能性は高い。
『ヨハネの黙示録』が描く壮大な善と悪の戦いは、ゾロアスター教の善悪二元論そのものだ。ヨハネは旧約聖書やゾロアスター教などのさまざまな物語を素材に、懐疑的な信者を説得するために『黙示録』の預言をつくりあげたのだろう。
紀元1世紀頃に成立した『ヨハネの黙示録』では、終末が訪れるとき世界は炎によって焼き尽くされるという。これは紀元79年のポンペイ(ヴェスヴィオ山)の噴火が影響しているのではないか。教会は信者たちに、ポンペイの悲劇は世界が焼き尽くされる前触れであり、正しい信仰だけが運命から逃れられる方途だと説いたのだ。
キリスト教の終末論にオリジナリティがあるとすれば、「終末が始まるときに、キリスト教を信じる者はみな空中に浮かんで天国に運ばれる」という“ラプチャー”で、聖パウロの『テサロニケの信徒への手紙』に出てくる。アメリカには「UFOに誘拐(アブダクション)された」と信じるひとがものすごくたくさんいるが、日本人には理解しづらいこの現象はここから説明できるかもしれない。
「千年王国信仰」は中世を通じて西欧社会に浸透し、十字軍にも影響を与えたが、「革命運動」としてのその性格がより明確になるのは宗教改革以後だ。カトリック教会の権威が否定されただけでなく、印刷技術と識字率向上によって、自ら聖書を読み、その意味を解釈する自由がすべてのひとに与えられたのだ。
民衆革命としての最初の千年王国運動は1525年のドイツ農民戦争で、ついでイギリスに広がった。カトリックの守護者を任じたスペインと対立していたイギリスは、『黙示録』の「獣」とは教皇のことであり、カトリック教会こそが「悪魔」だとして国民の戦意を煽った。
その後、清教徒革命(1642年)、護国卿クロムウェルの統治(1648~1658年)、王政復古(1660年)に至る動乱の時代に、「世界の終わり」を告げる預言者が次々と現われた。だが「陽気な君主」と呼ばれたチャールズ2世が王位について世情が安定すると、黙示録信仰は廃れていく。
その理由のひとつは、王政復古によって千年王国の到来が無期限に延期されたことだ。これがベーコンの科学的楽観主義と結びついて、進歩の理論を形成した。もうひとつは原理主義的なピューリタン(清教徒)がイギリス国教を認めず、『黙示録』の論理を転用して、国王を「悪魔」と批判するようになったことだ。
こうしてイギリスの主流派は、終末思想から距離を置くようになった。いまだに「世界の終わり」を信じているのは、カルト的な少数集団や下層階級だけだとされるようになったのだ。
イギリスで居場所を失った『黙示録』は、ピューリタンとともに大西洋を渡って新大陸(アメリカ)に移植されることになった。
●「終末の日」は「いますぐ」起きることは間違いないから準備が必要
アメリカへの初期の入植者は、『黙示録』の世界観を当然のごとく信じていた。アメリカ独立戦争によってその思いはさらに強くなり、「建国の父」たちはこの新しい国が黙示録的運命を背負っていると確信していた。このことは、1ドル紙幣の「三角形の中の目」のようなフリーメーソンのシンボルにも反映されている(当時、聖書から霊感を得ることと、啓蒙思想に目を向けることに明確な境界線はなかった)。
アメリカ社会が大きく2つに分かれるきっかけになったのが南北戦争だ。奴隷制をめぐる争いには、「前千年王国派」と「後千年王国派」の黙示録をめぐる解釈のちがいが関わっている。
『ヨハネの黙示録』はキリストの再臨と千年王国を予言するが、じつはその前後関係が明確に定められているわけではない。そこで、「聖人たちの1000年の治世が終わってキリストが再臨する」という「後千年王国派」と、「反キリストによってハルマゲドンが引き起こされ、キリストが再臨して千年王国が始まる」という「前千年王国派」が対立するようになった。
後千年王国派の考え方では、キリストの再臨にためには1000年の平和な治世が前提となる。これが19世紀前半の社会改革運動家の強力な動機となり、奴隷制反対運動につながった。聖書の教えに反する奴隷制のままでは千年王国は実現せず、キリストはアメリカの地に降臨できないのだ。北部の白人たちが自らの血を流してまで黒人の「人権」のために戦った背景には、千年王国の熱狂があったというトンプソンの指摘は重要だ。
それに対して前千年王国説では、世界はまずサタンによって支配され、その混乱と破壊の果てに救世主としてのキリストが現われる。救済のためには災厄が起きなければならないという「自虐的」な思想だが、こちらは黒人奴隷を使って広大なプランテーションを経営する南部の保守的なプロテスタントにとって都合がよかった。自分たちが時代から取り残されているというアイデンティティの動揺も、終末思想に引きつけられる誘因になっただろう。
後千年王国説に立ち奴隷制度に反対したプロテスタントは、その後、終末論を離れて、日々の現実に根差した社会的福音に向かった。この進歩思想は、王政復古によって終末論を捨てたイギリスの主流派と同じだ。キリストの再臨まで1000年もかかるのなら、それを待ちつづけるより、自分たちの暮らしや社会をよりよいものにするよう努力した方がずっといい。この考え方が、アメリカの進歩主義的なリベラリズムになっていった(ここからわかるように、進歩主義は信仰と両立できる)。
一方、前千年王国説に立つ保守派は、「神の「予言時計」は福音書時代の始まりとともに止まっており、再び動き出すのは、終わりの日々のドラマが始まってからだ」と考えるようになった。「終わりの日々」は今にも始まるかもしれず、いったん始まったら、『黙示録』の血みどろの預言が次々と実現されることになる。だが、霊的に生まれ変わったキリスト教徒には恐れることはなにもないのだ。
じつはアメリカでは、1844年に終末の到来が予言され、大きな話題になったことがある。それが外れて笑いものにされてから、カルト教団ですら日付を特定しなくなった。その代わり彼らは、「終末はいつやってきてもおかしくない」と切迫感を煽るようになった。
前千年王国説では、現在は「悪魔が支配する末世」でなくてはならない。これが、「ダークステイト(闇の政府)によって世界は支配されている」という陰謀論を生み出すのだろう。そのうえ「終末の日」がいつかは知ることができず、Y2K(2000年1月1日)や2001年の同時多発テロがきっかけになるかもしれない。それがたとえハルマゲドンに結びつかなくても、「いますぐ」起きることは間違いないのだから、そのために準備しておかなくてはならないのだ。
黙示録をこのように理解すれば、『エデュケーション』で描かれたサバイバリストの父親の発言や行動とぴったり重なる。アメリカではいま、「ダークステイトと戦うトランプ」を熱烈に支持するQアノンというSNSの陰謀ネットワークが急速に広がっているが、そのための肥沃な土壌はずっと以前から整っていたのだろう。
・建国以来、アメリカ人はイルミナティなど「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた【橘玲の日々刻々】(ダイヤモンドZAi ONLINE 2021年2月11日)
※トランプ前大統領の「選挙は盗まれた」「議事堂に行って、勇敢な議員を励まそう」との演説に扇動された熱狂的な支持者たちによるアメリカ連邦議会議事堂占拠は、今後、現代史の画期をなす出来事として繰り返し語られ分析されることになるだろう。
この事件の不可解さは、トランプ支持者がQアノンなる陰謀論を信じていることにある。この陰謀論では、「アメリカはディープステイト(闇の政府)に支配されており、トランプはそれと闘っている」とされる。彼らにいわせれば、「選挙を盗んだ」のもディープステイトの策略ということになる。
ディープステイトとはいったい何なのか? 諸説あるものの、この用語が広く知られるようになったきっかけは、NSA(国家安全保障局)、CIA(中央情報局)の元局員で、政府がアメリカ国民に対して組織的な監視活動を行なっていることを告発したエドワード・スノーデンのようだ。スノーデンは、行政権力が法や倫理を無視して歯止めなく監視・統制を強めていく実態を「ディープステイト」と呼んだ。
だがQアノンの陰謀論は、このような(真っ当な)権力システム批判ではなく、明らかに政府内に巣くう特定の陰謀集団を想定している。この発想は目新しいものではなく、建国以来、アメリカ人は「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた。
こうした秘密結社のなかでもっともよく登場するのがイルミナティ(Illuminati)だ。といっても、この名高い(悪名高い)結社は日本人にはほとんど馴染みがなく、私もダン・ブラウンの歴史ミステリーを原作にした映画『天使と悪魔』(ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演。2009年)くらいしか知らなかった。ローマ教皇が死んだばかりのバチカンで4人の枢機卿が拉致され、イルミナティから脅迫テープが届く……というのが物語の導入だ。
キリスト教圏の歴史や文化(サブカルチャー)に大きな影響を与え、いまもアメリカの「怒れるひとびと」を動員するちからをもつ秘密結社とはいったい何なのだろうか?
●イルミナティとはどんな団体なのか?
イルミナティは「陰謀」にまみれているので、主流派の歴史家は敬遠し扱おうとしなかった。その数少ない例外がイギリスの歴史家ニーアル・ファーガソンで、『スクエア・アンド・タワー ネットワークが創り変えた世界』(東洋経済新報社)の冒頭に「イルミナティの謎」の章を置いている。ファーガソンはこの本で、人類の歴史を「スクエア(広場)」と「塔(タワー)」の拮抗と交代として読み解こうとしている。これを私の用語でいうと、「バザール」と「伽藍」になる。
タワー(伽藍)が強固な階層性組織だとするならば、広場(バザール)は階層性を侵食するネットワークだ。強大な権力もいずれはネットワークに侵食されて崩壊するが、中心のない「スクエア=ネットワーク」だけでは社会を統治することができず、混沌のなかからふたたび「タワー=階層性」が現われる。――この魅力的な歴史観についてはいずれ別の機会に論じてみたい。
そのファーガソンはイルミナティを、18世紀のドイツ、バイエルン地方で誕生した秘密結社的なネットワークだとする。それが「神話化」することで、現代に至る壮大な「陰謀論のネットワーク」へと成長したのだ。
アダム・ヴァイスハウプトは1748年に南ドイツの法学教授の家に生まれ、父親が若くして死んだために、大学改革を命ぜられた男爵の後援で父親の跡を継ぎ、若干24歳でバイエルン中部にあるインゴルシュタット大学の教会法の教授に、翌年には法学部の学部長に任命された。
この若い法学者は、幼少期にイエズス会のきびしい教育を受けた反動でフランス啓蒙運動の過激な哲学者に傾倒しており、それを保守的な南ドイツ移植したいと考えていた。だが彼が奉じたのは禁忌とされた無神論だったので、仲間を集めるにしても、その目的を秘匿しなければならなかった。こうして1776年、ヴァイスハウプト28歳のときに秘密結社「イルミナーテンオルデン(イルミナティ教団)」が創設された。
この結社のある会員の回想によると、ヴァイスハウプトはイルミナティの目指すところを次のように語ったという。
この上なく巧妙かつ安全な手段を講じ、美徳と叡智をもってして愚昧と悪意に勝利せしめることを目指す団体。科学のあらゆる分野で最も重要な発見をなし、会員を教導して偉大たらしめる団体。現世において全き者となるという確実な褒賞を会員に保証する団体。迫害と弾圧から会員を守る団体。あらゆる形態の専制を封じる団体。
イルミナティは「啓明」という名のとおり、その目的は「迷信と偏見の雲を追い散らす、理性の太陽によって啓蒙し、知性を導く」ことであり、「私の目的は理性を優位に立たせることだ」とヴァイスハウプトは宣言した。そのための方法は「陰謀」ではなく「教育」で、結社の総則(1781年)には「この同盟の唯一の意図は、空虚な手段に訴えることなく、美徳を助長し、それに報いることによる教育である」と記された。
●イルミナティはフリーメイソンの内部に埋め込まれることで成長した
イルミナティは啓蒙主義を掲げる秘密結社として創設されたが、その性格に決定的な影響を与えたのは、ヴァイスハウプトがイエズス会しか「組織」を知らなかったことだ。その結果、矛盾するようだが、「イエズス会のような階層性をもつ反イエズス会(反カトリック)の秘密結社」が生まれることになった。
イルミナティの会員は、多くが古代ギリシアや古代ローマに由来する暗号名をもち(創設者であるヴァイスハウプトの暗号名は「スパルタクス」)、会員は下から「修練者」「ミネルヴァル(ギリシア神話の知恵の神アテナに相当するローマ神話の女神ミネルヴァからとった名称)」「啓蒙されたミネルヴァル」の3階級に分けられ、低い階級の者には結社の目的や活動内容は漠然としか知らされなかった。
入会にあたっては秘密厳守の宣誓をしなければならず、この誓いを破ると「この上なく陰惨な死」をもって罰せられることになっていた。新加入者は孤立した「細胞」に組み込まれ、上位の会員の監督下に置かれるが、その人物の正体は知らされなかった。
とはいえ、創設時の会員は学生が大半で、2年経っても会員総数はわずか25人だった。1779年12月(創設3年目)でも60人にしかならなかったが、それからわずか数年のうちに会員数は1300人を超えるまでに急増し、バイエルンだけでなくドイツ各地に支部をもつようになった。
なぜこのような「躍進」が可能になったのか。それは、イルミナティがフリーメイソンに食い込んだからだ。
フリーメイソンもまた陰謀論の定番で、その神話化された来歴については諸説が入り乱れているが、中世の石工(王宮や教会などの建築家)組合を前身とし、「理性の時代」の潮流のなかで、17世紀中期にスコットランドのロッジ(地方支部)が「思索的メイソン」を受け入れ、そこからイングランド、フランス、ドイツ、北米へと広がっていったとされる。
フリーメイソン自体も啓蒙主義(理神論)の秘密結社だが、1770年代になると、ドイツでは名士の社交クラブのような存在になっていたらしい。そうなると、「テンプル騎士団を起源とする伝承がないがしろにされている」と不満をもつ会員が現われ、「厳格な典礼の遵守」を求めるようになった。
そんな「原理主義者」が新興の弱小秘密結社に目をつけ、それを利用して“堕落したメイソン”を立て直そうとした。イルミナティは「寄生植物」のように、フリーメイソンの内部に埋め込まれることで成長したのだ。
フリーメイソンの原理主義者たちは、イルミナティの組織に自分たちの儀式を次々と加えた。修練者の階級は「ミネルヴァル」と「小啓明者」に分かれ、その上に「大啓明者(スコットランド修練者)」と「教導啓明者(スコットランド騎士)」が置かれた。上位の「啓蒙されたミネルヴァル」階級も「小密儀(司祭)」「大密儀(魔術師)」「王」へと階層化された。「王」の会員のなかから国家監査官、管区長、長官、首席司祭といった結社の役員が選ばれ、多数の地方「教会」は「県」「地方」「査察」の傘下に入った。
「秘密結社のなかの秘密結社」として組織が整備されるにつれて、イルミナティはドイツの名士たちに強烈な魅力をもつようになった。それはいわば招待制のサロンのようなもので、イルミナティであることが新たなステイタスシンボルになったのだ。こうして、ドイツの錚々たる諸侯や貴族、知識人だけでなく聖職者までもが結社に加わった(モーツァルトのオペラ『魔笛』(1791年)にイルミナティの影響が見られることはよく知られている)。
だが上流階級への急速な浸透がバイエルン政府の警戒を招き、「宗教に背き、敵対する」として、創設から8年後の1784年には活動を事実上禁止する3つの布告のうちの最初のものが発せられた。調査委員会によってイルミナティの会員が大学や官界から追放され、職を失い、投獄されたり国外に追放される者が出ると、結社はあっけなく崩壊した。ファーガソンは、「イルミナティは、1787年の末までには実質的に機能しなくなっていた」と述べる。
それにもかかわらず、なぜこの秘密結社は「神話化」していったのか。それは同じ頃、ヨーロッパで大事件が起きたからだ。それが1789年のフランス革命だ。
●アメリカは秘密結社によって誕生したが、その直後から秘密結社を恐れるようになった
人間にとっての根源的な恐怖は、何が起きているのかわからないことだ。このときわたしたち(脳=無意識)は、納得できる説明を必死になって探し求める。それまで世界でもっとも裕福で強大な権力をもつと信じられていたフランスの絶対王政が革命によってあっけなく倒されただけでなく、国王と王妃がギロチンにかけられて斬首されるという驚天動地の出来事は、まさに「説明」が必要とされていた。
フランス革命を牽引した活動家のなかにフリーメイソンのメンバーがいたことは事実だが、革命運動が「秘密」裏に工作しなければならないことを考えれば当然の話でもあった。活動家たちは、メイソンに入会することで秘密結社のネットワークを自在に使うことができるようになった。
だが先に述べたように、18世紀末のヨーロッパではフリーメイソンは名士の社交クラブになっていたのだから、イギリスやドイツの上流階級は自身がメイソンだったり、周囲にメイソンのメンバーがいることは珍しくなかっただろう。そんな彼らにとって、フリーメイソンが革命の主体というのは容易に信じがたかった。
そこで早くも1797年、高名なスコットランドの物理学者ジョン・ロビンソンが、フリーメイソン、イルミナティ、リーディングソサエティ(啓蒙的な読書クラブ)が「ヨーロッパの既成宗教をすべて根絶し、既存の政府を1つ残さず転覆させる」という陰謀を画策しているとの著書を刊行した。
同年、フランスのイエズス会士、オーギュスタン・ドゥ・バリュエルも「フランス革命の間に見られた最も忌まわしい行為に至るまで、何もかも予知され、決められ、また、組み合わされ、あらかじめ計画されており……考え抜かれた非道の所産だった」として、ジャコバン派そのものがイルミナティの後継者だと主張した。
こうしてフランス革命直後から「イルミナティ陰謀説」がヨーロッパを席捲し、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は「イルミナティは依然としてドイツ全土で危険なまでに破壊的な勢力だ」と警告された。
「イルミナティ神話」は、大西洋を渡って独立したばかりのアメリカにも伝わった。アメリカのひとびとも、なぜフランスで革命などという「荒唐無稽」なことが起きたのかの説明を求めていたが、それより切実なのは、独立直後の国家がまだ脆弱で、イギリスやスペインなどのヨーロッパの大国、あるいはカトリック(バチカン)が新政府を転覆させるための陰謀を画策しているのではないかという不安が広まっていたことだった。
当時のアメリカの政治や社会は混沌としており、さまざまな陰謀が現われては消えていっただろう。「何者かが自分たちに陰謀をはたらいている」との不安はたんなる妄想ではなく、根拠があった。この不安が、ヨーロッパの得体の知れない秘密結社(イルミナティ)と結びついても不思議はなかった。
だがファーガソンも指摘するように、ここには歴史の皮肉がある。アメリカの独立革命に大きな役割を果たしたのがフリーメイソンだったからだ。ボストン茶会事件のとき、主要な独立運動組織5つのうちの1つがフリーメイソンのセント・アンドルーズ・ロッジで、「反(植民地)政府的な扇動行為の温床と化していた」。
ベンジャミン・フランクリンはフィラデルフィアの所属ロッジのグランドマスターになったばかりか、『フリーメイソン憲章』のアメリカにおける最初の版の発行者でもあった。ジョージ・ワシントンも20歳のときにヴァージニアのロッジに加入し、1783年には新たに設立されたロッジのマスターになっている。
ワシントンは1789年4月30日の大統領就任式でフリーメイソンのセント・ジョンズ・ロッジ第一の聖書にかけて就任宣誓をし、1794年の連邦議会議事堂定礎式ではフリーメイソンの式服一式を身にまとって肖像画を描かせた。有名な1ドル紙幣の「(未完のピラミッドの上に載った万物を見通す)プロヴィデンスの目」も、多くの歴史家がフリーメイソンとのつながりに疑問を呈しているが、ファーガソンはその関係は明らかだとしている。
フリーメイソンが革命や独立運動で主導的な役割を果たしたのは、「秘密」の活動に向いていたからだけではない。当時はまだ貴族(上流階級)と平民(中流階級)が対等の立場で交流することはできなかったが、「身分にかかわらずすべての会員が平等」という秘密結社が地下活動の拠点となったことで、より大きなネットワークを可能にしたのだとファーガソンは指摘している。
アメリカは秘密結社(フリーメイソン)によって誕生したが、その直後から秘密結社(イルミナティ)を恐れるようになったのだ。
●ジョン・トッドが説いた「イルミナティの陰謀」
1730年代にアメリカのニューイングランドを中心に興った宗教復興運動が第一次大覚醒で、次いで独立後の1800年代から1830年代にかけて第二次大覚醒と呼ばれる福音主義運動が始まる。この「キリスト教原理主義」の高揚のなかで、宗教活動を軽視・否定するフリーメイソンへの反発が広がり、独立運動への貢献は歴史から消されていく。こうしてアメリカ現代史のなかで、フリーメイソンの建国の役割は無視されるようになっていった。
それを華々しく復活させたのがジョン・トッドという若者で、1970年代半ばからアメリカ各地で「イルミナティの陰謀」を説き、一時はテレビに出演するまでの注目を集めた。――以下の記述はジェシー・ウォーカー『パラノイア合衆国 陰謀論で読み解く《アメリカ史》』(河出書房新社)に拠る。
トッドは自分のことを、アメリカに魔法をもたらしたコリンズ家に生まれ、13歳で魔術師の司祭職について学びはじめ、14歳でオハイオ州コロンバスの魔女団で秘伝を授けられたが、それはフリーメイソンの秘伝とまったく同じだと語った。
18歳で高位の聖職者になったトッドは徴兵されてドイツの軍事基地に駐屯しているとき、酒に酔ってドイツ人将校を射殺して刑務所に送られたが、ある日、「1人の上院議員、1人の下院議員、将官が2人」が迎えに来た。すると軍法会議の記録が抹消され、名誉除隊でアメリカへの帰国を許され、自宅に戻ると2000ドルとニューヨーク行きのファーストクラスの封筒が置かれていた。こうしてトッドは、「イルミナティと呼ばれる強力な政治組織」の存在を知ることになる。
イルミナティを組織していたのはロスチャイルド家で、その下には「十三人委員会」、ロスチャイルド家専属の聖職者、世界でもっとも強力なフリーメイソンから成る「三十三人委員会」、ロックフェラー家、ケネディ家、デュポン家など超富裕層から成る「五百人委員会」の階層があった。イルミナティはスタンダード石油、シェル石油、チェース・マンハッタン銀行、バンク・オブ・アメリカ、シアーズ、セイフウェイなどの大企業を支配し、全米キリスト教会協議会、全米大魔王同盟、連邦準備制度、アメリカ自由人権協会、アメリカ青年商工会議所、(右派の政治団体である)ジョン・バーチ協会、共産党を牛耳っているとされた。イルミナティは、アメリカでは「外交問題評議会(国際問題を討議する場として1921年に設立され、雑誌『フォーリン・アフェアーズ』を発行。国際連合世界政府を構想したことで右派から「影の世界政府」と批判された)」を自称していたという。
トッドは最高位の十三人委員会に迎え入れられ、13州の管理を命じられ、世界全体を支配しようとするイルミナティの8年計画について知らされた。その計画は1980年12月に完了予定となっていた。この大陰謀を知って、トッドは1972年にイルミナティを脱会し(キリスト教福音主義と出会って回心を体験したという)、ひとびとに危険を知らせるために全米を回っている――という話をして教会の信徒から寄付を募っていた。
「イルミナティの大陰謀」はトッドが考えついたものではない。20世紀初頭のイギリス作家ネスタ・ウェブスターは、イルミナティとその関連組織がフランス革命ばかりか、その後のヨーロッパで起きたあらゆる革命の背後にあったと論じた。彼女の語るイルミナティは、「共産主義であるとともに資本主義でもあり、銀行、ボルシェビキ、フリーメイソン、神秘主義、ドイツ人、ユダヤ人すべてをひっくるめたものだった」。
ここには明らかに反ユダヤ主義の影があるが、この議論に影響を受けたのがウィンストン・チャーチルで、1920年、「ユダヤ人による運動というものは新しいものではない。スパルタクス・ヴァイスハウプト集団(イルミナティ)の時代から、カール・マルクス、そしてトロツキー(ロシア)、クン・ベーラ(ハンガリー)、ローザ・ルクセンブルク(ドイツ)、エマ・ゴールドマン(アメリカ)まで、阻害された発展、嫉妬心にもとづく悪意、不可能な平等がもたらす文明破壊と社会再構成は着々と進められてきた」と記した。
トッドの物語(あるいは妄想)は、「イルミナティとその背後にいるユダヤ人」という構図で作り出された膨大な陰謀論の沃野から生まれたのだ。
●「トランプがディープステイト(闇の政府)という秘密結社と闘っている」
1969年8月、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8カ月だった女優のシャロン・テートと友人ら3人が自宅で斬殺される事件が起きた。この猟奇殺人はカルト的コミューンの指導者チャールズ・マンソンに命じられたメンバーによる犯行だった。
ジョン・トッドの陰謀論で興味深いのは、自分がマンソンの「古い友人」であり、マンソンがアメリカの刑務所に「イルミナティ軍団」を形成し、1~2年後に出所することになっていると述べたことだ。トッドによれば、マンソンの軍団はイルミナティから武器の供与を約束されており、議会が銃規制を強化して一般市民の銃器を押収すると、「(マンソンらは)支持者たちと全米を掃討して何百万人という人を殺し、政府が戒厳令を敷くように仕向ける」のだという。
このように、1970年代のイルミナティ復興の背景にはアメリカ社会を大きく揺さぶったヒッピー・ムーヴメントがある。作家カート・アンダーセンはベストセラーとなった『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(東洋経済新報社)で、60年代のアメリカを「狂気と幻想のビッグバン」と名づけた。
この時代の雰囲気を象徴するものとしてアンダーセンが挙げるのが、ゲシュタルト療法を創始したドイツ人の心理療法士フレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」だ。
私は私の好きなことを、あなたはあなたの好きなことをする。私はあなたの期待に応えるためにこの世界にいるのではなく、あなたは私の期待に応えるためにこの世界にいるのではない。あなたはあなた、私は私であり、この二人がたまたまどこかで出会うのであれば、それはすばらしいことだ。出会わないのであれば、それはそれで仕方のないことだ。
若者たちはこれを、理性や合理主義は自由を拘束する「システム」を生むだけで、自分だけの真実をつくりあげることこそがシステムへの抵抗であり、そのためには「自分らしく生きる」ことが必要だと解釈した。このようにして科学は「文化的構築物」となり、真実は相対的なもので、夢想=スピリチュアリズムに大きな価値が置かれることになった(そこには当然、ドラッグの影響もあった)。
60年代はまたハレー・クリシュナ・マントラ(クリシュナを崇めるヒンドゥーの新興宗教)などのニューエイジが広まったが、それよりも大きな影響力をもったのが急進化したキリスト教だ。
1960年代後半、カリフォルニアのヒッピーたちのなかに、福音主義的キリスト教を信奉する「ジーザス・ピープル」「キャンパス・クルセード・フォー・クライスト」「キリスト教世界解放戦線」などの組織が次々と誕生した。若者たちはLSDで恍惚とするなかで、「福音主義的できわめて熱狂的な根本主義的キリスト教」に出会った。アンダーセンは、これが南部など保守的な地方に移植され、第四次大覚醒(福音主義運動)を引き起こしたのだという。
ヒッピーとキリスト教原理主義は対極にあるように見えるが、「理性を捨て、好きなことを信じる無制限の自由」を謳歌するのは同じだ。福音主義も「ポスト理性のアメリカという荒海から生まれた一つの反体制文化だった」のだ。
1970年に福音主義者ハル・リンゼイの『今は亡き大いなる地球』(徳間書店)がベストセラーになったが、この本では「サタンや反キリストや偽預言者、あるいはその手下が地位も名声もある人々を装い、この世を支配しているという陰謀」が詳細に語られた。福音主義者は1948年のイスラエル建国を「聖書の預言が成就する紛れもない証拠」とし、核戦争によるハルマゲドンとともにキリストが降臨し「千年王国」が始まるとの終末論を夢想した。
1991年には福音主義者パット・ロバートソンによる『新世界秩序(The New World Order)』 がベストセラーになった。この本では、秘密結社が世界政府を創設すると同時に、「キリスト教とアメリカの自由を攻撃し、歴史の終焉をもたらす善と悪の権力間の最終闘争を加速する」とされた(マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論 黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』三交社)。この秘密結社はイルミナリティのことで、「フランス革命への道筋を準備し、そのあと世界共産主義の源となり、やがてロシア革命を生み出した(イルミナティ創設者の)ヴァイスハウプトの指令」に従っているとされ、その背後にはロスチャイルド家、クーン=ロブエ家、ジェイコブ・シッフ社、ヴァールブルク家などの国際ユダヤ資本があるとする。――この記述が反ユダヤ主義だと批判され、著者たちはユダヤ人社会に謝罪することになった。
「新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー)」というのは、もともとは独立直後のアメリカで、国際的な秘密結社(影の政府)が自分たちの自由と主権を奪うために企んでいる陰謀の総称として使われたようだ。その伝統を60年代のヒッピーカルチャーと福音主義が蘇らせ、それをさらにSNSの陰謀論者たちが利用して「トランプがディープステイト(闇の政府)という秘密結社と闘っている」という物語に仕立て直した。
Qアノンの「秘密結社」はアメリカの歴史に根づいた「神話」を巧妙に利用しており、だからこそ「陰謀」の被害者にされていると疑心暗鬼になったひとびとのこころを強烈にとらえ、燎原の火のように広がることになったのだろう。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『女と男 なぜわかりあえないのか』(文春新書)。
※ブログ主コメント-反陰謀論ではあるが流れをつかむにはよい。