菊池
@kikuchi_8

仏蘭西系フリーメイソンだったヴォルテールは「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉を残したが、皮肉な事に大東社系左翼・自称リベラルに最も欠けているものこそがこれであろう。彼らは異論者の言論の自由などない方がいいと思っていそうである。

ヤバいデンが「大統領」に就任したという事になって、「リベラル」と称する裏権力派閥が増々調子に乗って言論弾圧を強化するのではと危惧する。なんやかやと理由を付けて言論統制を正当化する自称リベラルの本質は近代主義的な全体主義者・統制主義者であって、決して「自由を重んじる人々」ではない。

言論の自由を軽視する統制主義者を「リベラル」と呼ぶのは、ネオリベ・グローバリスト・売国奴を「愛国者」と呼ぶのと同じである。中身と逆の名前を付けると、言葉で物を考える人間は「名前」の方に引きずられる傾向がある。この傾向性に付け込むのが「名付けの魔術」である。名より実を吟味すべき。

自称リベラルは、集団で圧力をかけて黙らせようとしたり、権力的手段を用いて言論の自由を抑圧したりといったやり方に抵抗がなく、むしろ好んでいるように見える。「ポリコレ」みたいなものを掲げた集団リンチもよくやる。「正義」に熱狂して歯止めが効かなくなる傾向あり。仏蘭西革命以来の“伝統”だ。

今や自称リベラル(特に欧米の)は「調子に乗っている」の一言であろう。ツイッターやグーグル(YouTubeを所有)という私企業が胸三寸で「言論の自由」を左右する状況も異様である。この傲り高ぶった連中が増々言論の自由を破壊する事を危惧する。絶対に「グレート・リセット」などさせてはならない!

自称リベラルなどの「主義者」に欠けているのは一言で言うと「寛容さ」であろう。寛容さは思想やイデオロギーに執着するほど無くなっていく傾向がある。フリーメイソンは「寛容」「自由」を謳ったりするが、他人を上から「啓蒙」しようとするような傲慢・驕慢な者は真に「寛容」になる事はできない。

自分が絶対的に賢く絶対的に正しいと思っているからこそ「寛容さ」が無くなる。自称リベラルは「ポリティカル・コレクト」などの「正義」に酔い、己こそが「知性主義」に立脚すると驕る。この態度こそ不寛容の元凶であろう。「自分は大した事はない」という自己反省と謙虚さのない所に「寛容」はない。

「反知性主義が不寛容の元凶」と言われる事は多いが、「知性主義」も「不寛容」の元凶になり得る。そもそも「知性」とは「物事を言葉で二つに分ける作用」。「反知性主義」もこの作用無くしてあり得ない。知性主義も反知性主義も実は「知性」の産物。正義でも知性でも反知性でも執着すると道を誤る。

悪の元凶を「反知性主義」のみに求めるのは、物事の一面しか見ていない薄っぺらい発想である。反知性主義と呼ばれる考えも「考え」である以上は「物事を二つに分ける」知性の作用に基づく。「反知性主義」も「知性主義」も「知性」の産物。知性そのものへの反省がない為に自らの知に傲り不寛容になる。

戦国時代に襲来したイエズス会は白人優越主義と表面上の融和政策を使い分けた。フランシスコ・カブラルは日本人を差別する白人優越主義者だったが、アレッサンドロ・ヴァリニャーノに批判されて解任された。そのヴァリニャーノは長崎の軍事要塞化を進めた。バイデンは後者のタイプというに過ぎない。

露骨に日本人に差別的な態度をとったフランシスコ・カブラルを批判したアレッサンドロ・ヴァリニャーノが「良心的」かと言うと大間違いである。イエズス会領となっていた長崎の軍事要塞化を計画し対日侵略の拠点の強化を図った。バイデンみたいな紳士面した「リベラルなエリート」はこのタイプである。

日本人を露骨に蔑視しヨーロッパ方式を押し付けようとしたフランシスコ・カブラルより、表面上の適応政策をとって学校設立や日本人司祭の養成などで日本人の思想改造を図ったアレッサンドロ・ヴァリニャーノの方がより巧妙だったと言えない事もない。国際秘密力には両方のタイプがいる事に注意すべき。

自称リベラルは後者の側について前者を批判しているに過ぎない。逆に、後者のタイプを批判する為に前者に肩入れして「名誉白人」になってしまう場合もある(B・フランクリンなど白人の思想家ばかり崇拝する某グノ一味などが典型)。いずれも視点が偏っているために両建に絡めとられてしまう例である。

特定の観点・視点に執着し過ぎると両建に絡めとられる危険が格段に増す。この事に自覚的だと両建の罠に落ちるリスクを減らす事が出来ると考える。イデオロギーやドグマに執着すると、このような複眼的視点を持つ事が難しくなる。メディアやネットなどで流される言説を鵜呑みにせず、冷静に思考すべき。

よーすけ
@yoshimichi0409

明治以降の西欧化では、前者の露骨な欧化主義路線よりも後者の方式が日本人の思想改造を図る上でより効果的だったと言えます。天皇主義による教育は、その典型でしょう。

菊池
@kikuchi_8

仰る通りです。私はそのやり方を「憑依型戦術」と呼んでいます。「適応主義」の典型は○猶同祖論ですね。日猶同祖論などの「○猶同祖論」は宣教師の布教戦術として考案されたものです。

よーすけ
@yoshimichi0409

反グローバリスト界隈でも日猶同祖論の影響を受けたと見られる言説が散見されます。八百万の神々を猶太基督教的一神教に強引に結びつけ日本人は神性を持つ民などと主張しており困ったものです。これでは何れ裏権力に絡め取られるでしょう。

菊池
@kikuchi_8

もし五輪中止が既に決定しているという情報が事実なら、森“失言”報道はRCEPのような重要案件のスピン以外だと、「森の“失言”のせい」という印象付けで「五輪中止もやむなし」という空気を醸成し、政府への風当たりを弱めつつ「五輪中止」へ向けて“ソフトランディング”する事が狙いではと推測している。

一部の「発言」を論い日本人全体を差別主義者の如く印象付けようとする欧米メディアの尻馬に乗って吹き上がるのが自称リベラルの習性である。欧米メディアにそのような非難をする資格は微塵もなかろう。男性しか入れないフリーメイソンのメンバーが社会の主要部を占める欧米社会はこれ如何に?となる。

欧米は男性中心の秘密結社(secret society)が力を持つ社会。「コロナ禍」宣伝の初期には欧米では日本人を含む亜細亜人への差別が横行し、欧米社会の根強い差別体質を浮き彫りにした。「欧米は進歩しているが、日本は遅れている」という欧米中心主義のお先棒を担ぐのは愚の骨頂。明治以来の欧化主義。

「時代遅れの日本社会」と一般化して非難する仏蘭西メディアの母国の素晴らしき「進歩した社会」の現実。

「中国人を襲え」SNSで拡散…アジア人の暴行事件や差別相次ぐ コロナ第2波のフランス:東京新聞Web

https://www.tokyo-np.co.jp/article/71431

こう言うと自称リベラルなどは「ヘイトがあるのは日本も同じじゃないか」とお決まりの文句を言うだろうが、アジア人を襲撃する大東社国家仏蘭西の現状を見るに、「進歩した社会から遅れた社会を一方的に上から目線で非難する」という構図は成り立たないと言っているに過ぎない。欧化主義こそ時代遅れ。

そもそも森は清和会一味。森政権以降に社会のネオリベ化が進行してきた。CSIS・ジャパンハンドラーズのような欧米の権力グループが彼らを走狗として使役してきた。彼らがいつまでも大きな顔をしていられるのは、そういった背後関係があるからこそだろう。自称リベラルが無視する真の日本の問題である。

清和会一味の如きネオリベ・グローバリスト勢力をいつまでものさばらせている事が日本の真の問題である。もし「時代遅れ」があるとしたら、まさにこれであろう。日本を貶める事が主目的の自称リベラルは勿論ここには触れない。そこから利益を吸い上げてきた裏権力傘下のメディアは尚更触れる訳がない。

清和会系元政治屋の発言を大きく取り上げて、欧米メディアと自称リベラルがそれを叩き、RCEPという重要案件から目を逸らすという両建マッチポンプだと見る。森を生贄にして「森のせい」という印象付けを行ない政府への風当たりを弱めつつ、機を見て「五輪中止」を正式発表する算段ではないかとも読む。

言葉は慎むべきであり、軽々しくすべきではないのは当然であるが、表向きの発言と実際の言動が一致するとは限らないのも事実である。著名なリベラル系作家が奥さんに対して暴力を振るっていたという話もある。正義を口にする者が立派な人間とは限らない。直感的に自称リベラルは胡散臭いと思っている。

EU系の大使館が「男女平等」を言うキャンペーンを行っているようだが、仏蘭西大東社は女性は正式加入できないようである。欧米の、特に「リベラルなエリート」は「我が身を省みる」という事が苦手なように思う。「苦手」というより元からそういう発想自体がないのだろう。故に物言いが一方的になる。

欧州系の左翼運動の源流と元締めは大東社だと見ている。故に、これの尻馬に乗る自称リベラルを「大東社系左翼」と呼ぶのである。その大東社は女性の加入を認めていない男性中心の組織である。ロッジによっては女性が加入できるようだが、大東社の総体としては女性の正規加入を認めていないようである。

大東社系左翼は、他者を責めるのは得意だが、己を省みる事は苦手どころかそういう発想自体が元から全くないのが特徴である。何故彼らの各種運動が「正義」や「平等」を掲げつつ世の顰蹙を買うのかと言えば、その独善的で一方的な態度による。仏大東社の歴史的悪癖の腐臭を人々が直感的に嗅ぎ取るのだ。

「仏大東社の歴史的悪癖の腐臭」とは仏蘭西革命時の数々の蛮行(リヨンの大虐殺など)に表れたような、“正義”に酔い痴れる者の狂気であり、独善性・排他性・暴力性である。自己反省を伴わずに正義に酔い痴れる事の恐ろしさがここにある。大東社系左翼が集団リンチを好むのは、この性癖によっている。

「左翼は文明人 右翼は野蛮人」という書き込みを見た事がある。「文明と野蛮」という二元論はネオコンの論理と全く同じである。要するに西洋近代主義者の論理。西洋列強は「文明が野蛮を征服する」という論理で世界侵略を正当化した。大東社系左翼も同じ論理を共有している事は明白である。侵略の駒。

欧州フリーメイソンらが「文明人たる我々が野蛮なる日本人を啓蒙してやろう・してやらねばならない」という態度で独善的で一方的な物言いをしてくるパターンである。大東社系左翼はその尻馬に乗っかって「そうだ!そうだ!」と言う。CSIS系の似非保守とは派閥が違うだけで走狗たる本質は同じである。

国内の裏権力派閥を「米国系VS欧州系」両建構造があると分析した事がある(米国や欧州が拠点という程の意味で米国や欧州諸国という「国」単位で見ているのではない事に注意)。CSIS系の似非保守勢は前者で、自称リベラル・大東社系左翼は後者である。派閥が違うだけで走狗である事に変わりない。両建。

特定の裏権力派閥がその時々の情勢次第で最も勢力を伸張させる事を「ターン」と呼んでいる。アベ“政権”時は似非保守勢のターンだったが、ヤバいデン自称“政権”で自称リベラル・大東社系左翼勢のターンになった又はなりつつあると見ている。時々の情勢で最も強い派閥を優先的に追及する事にしている。

「失言」が色々と言われているが、口の軽い粗忽者より「失言」はおそか一切の隙を見せない者の方が裏権力走狗としては恐ろしいと思う。例えば、「近代警察の父」ジョゼフ・フーシェは絶対に「失言」などせず、逆に密偵網を駆使して政敵の弱みを握った。大東社系左翼と公安警察は奇しくも源流が同じ。

イタチごっこを繰り広げる過激派と公安警察は実はどちらも仏蘭西革命に源流がある。大東社系左翼は権力を握るまでは反権力を掲げるが、一旦権力を握ると専制的独裁的になる。自称リベラル勢が言論の自由の制限や自粛の強行に抵抗が無く、むしろ積極的に賛同する所に彼らの本性が露呈していると言える。

よーすけ
@yoshimichi0409

森の失言を機に欧米メディアと一部の欧州諸国の政府が「日本人=差別主義者」とする印象操作を始めたのは、日本をより一層ネオリベ化してその文化や習俗を根絶やしにする狙いがそこに含まれていると見るべきでしょう。

菊池
@kikuchi_8

同感です。大東社全体としては女性の入会は認めていないようです。そういった男性中心の「結社」が力を持っているのが欧米社会であり、欧米裏権力メディアが自慢する女性の政治家は只のお飾りに過ぎないと言うべきでしょう。