なかだち@madaraiguana

フェニキアというのは紀元前15世紀頃(※注:ウガリト含む)から地中海全域を支配した都市国家なの。そういう一つの国があるわけではなくて、現在のレバノン海岸周辺にビュブロス・シドン・ティルスなど、同じ民族・同じ言語・同じ宗教の都市国家群が連携して地中海貿易を支配していたの。

ギリシャ、イタリア、北アフリカ、スペインはもちろん、海峡越えて西アフリカまで植民市持ってたの。古代地中海は都市国家フェニキアの「艦隊」と「商船」の支配する海だったの。
 
これもユダヤに似てるんだけど、彼らは自分達の歴史をほとんど書かなかったの。だから謎の民族と言われているの。

資料もすごく少ないの。

実は彼らは言語もユダヤと同じヘブライ語を使ってたわけだね。それで、なんだか知らないけどこの人たちはものすごく嫌われてたの。

『海軍と貿易と海賊は三位一体だ。これが分らない奴は航海の素人』
 ゲーテ「ファウスト五幕」より メフィストフェレスの言葉

ティルスというのは、フェニキア諸市の盟主にあたる都市国家で、港の沖合いに島があって、そこに全部の都市機能があったから、昔から「難攻不落」を誇った要塞都市だったんですね。現に アッシュルバニパル や ネブカドネザル もここを攻めて敗退してます。べネチアも多分、ここをモデルに作った町だったんでしょう。

でもアレクサンダー大王は、港から島まで海に堤防を築くほどの異様な執念で強引に攻め入って来て、フェニキア人8000人を皆殺しにしたよね?残った2000人は島の城壁の周囲に磔にした。もの凄い光景だよね。元々アレクサンダー大王は人格者で、占領地の文化を尊重してギリシアと中東の融合に努めたヘレニズム文化の生みの親だよね。現地女性と結婚し、部下もそれを真似た。降伏した敵にも寛容で、ましてや、一般人の大量殺害なんて絶対しなかった人じゃないの?

あのひとたちは人さらいですよ。ホメロスやヘロドトスでは、彼らは人さらいの代名詞ですよ。買い物をするためにフェニキア商船に乗った王女と侍女がそのまま連れ去られた記述がヘロドトスの「歴史」にあります。カンビュセスのエジプト遠征に協力した時も、フェニキアの艦隊は陸から人をさらっています。艦隊っていうからこれは国家ぐるみです。
 
一方、ローマ人の間では彼らは「裏切り」の代名詞です。

あのひとたちは奴隷商人ですよ。古代地中海における奴隷貿易はフェニキアが独占支配してたんです。これはちゃんとした論文にも書いてますが、世界最初のオークションはフェニキア人による『奴隷のオークション』だったそうです。
 
最初は自分たちで人間をさらってたんですが、時代を下るにつれ、『下請』に人さらいをさせて、自分達は『元請』として獲物を買い取り、地中海の交易網を利用して、それを全然別の地域で捌くようになりました。北アフリカの例ではガラマンテス族に、トログロデュタイという蕃族を奴隷狩りさせてるんです。これはトカゲを食べてる様な未開の人たちです。

それが、ガレー船の中で船こぎ奴隷として一生を送ることになるわけです。フェニキアの繁栄を支えたのは、実は奴隷貿易だったんです。

あのひとたちは、海賊ですよ。マラトンの戦いの時も、ギリシアの神殿から像を略奪しています。彼らは「貿易」と「海賊」を兼業しそれはもはや国家ぐるみというより、フェニキア全市が完全に連携していて、王や神官も公認の下、地中海最強の艦隊がバックアップしてます。誰も止めれられない。それと、彼らが世界から忌み嫌われるには、別の理由もあります。有名なコドモの人身御供です。これは伝説でもなんでもなく、現実にカルタゴからは子供の頭蓋骨が大量に発掘されています。

紀元2世紀頃の文芸作品に「フェニキア海賊」の話は多く出てきます。クセノフォンの「エフェソス物語」、ロンゴスの「ダフニスとクロエ」タティウスの「レウキッペーとクレイトフォン」なんかにはフェニキア人海賊に捕まって切り刻まれて食べられた話が満載です。

繁栄したテュロス・カルタゴの裏に潜む恐ろしさには身の毛もよだつものがあり、ギリシア人は彼らを天道にも人道にも反する民族として心の底から畏怖していた事だろう。アレクサンドロスが海賊帝国テュロスの覆滅に異様な執念を見せたのも戦略上、経済上の理由によるものばかりではなさそうだ。

あのひとたちは基本的に人の物と自分の物の区別がつかない人なんです。一般にフェニキア人は薄利多売を行なって、現地の産業を潰して市場を独占する貿易戦略をとっていました。現にティルスでは派手な製品が量産されて、それが現地の素朴な商品を駆逐しています。これは日本とよく似てますが、日本人の場合は資本主義のルールに従って活動していくうちに公共性をはみ出すといった感じですよね。でもフェニキア人は、もともとが、人食い人種に近い海賊だから彼らにとって貿易は、最初から「略奪行為を偽装して行なう手段」に過ぎなかったのかもしれない。

ギリシアやローマなど、同時代の人間から見たフェニキア人の印象は『常に何を考えてるんだかわからない』存在です。彼らの証言には色々矛盾があります。『裏切り』『嘘つき』『ずる賢い』『陰謀』『信心深い』『敬虔』『質素』『残忍』などなど。

つまり、彼らは他民族を「同じ人間」とは見ていないのかもしれない。豚や牛を屠殺する人も、個人的に信心深くもありうるし善良でもありうる。ただ、それが結果的に他民族の怒りを買い、やがてはナチスドイツによるユダヤ人大虐殺にまでつながってくるわけです。

フェニキア人はある意味で今のユダヤ人の『原初の姿』なんです。フェニキアを知らずに、ユダヤにおける「ゴイム」という言葉を正確に理解する事はおそらくできないと思いますよ。

あのひとたちは民主主義の生みの親ですよ。民主主義のデモクラシーという言葉には、かなしい響きがあります。

この言葉のもとになったギリシア語の『デーモス』という言葉には、元来『別れ』という意味があったんです。一般に、古代ギリシアで人類最初の民主主義が誕生したのは紀元前5世紀頃とされています。ところがその誕生の経緯自体があまりハッキリしない。

実は古代ギリシアには暗黒の500年(※注:ギリシア暗黒時代。紀元前1200年から紀元前700年頃までの間)といって歴史に大きな断絶の時期があるんです。それより前の時代の史料は多く残ってる。それより後の時代の史料も多く残ってる。なのに、その間だけはなぜか異常に史料が乏しい。そして、古代ギリシアが王制から民主制に移行したのは、実はこの謎の時期なんです。

人類初の民主制がどういう経緯で誕生したのかは、歴史の闇に包まれてるんです。

史料がなぜか『消失』しているこの暗黒時代を過ぎると、それ以前にギリシアを支配していたミケーネ王国という「領域国家」はどこかへ姿を消してしまって、どこからともなく現われた数百の「都市国家」が例えばギリシアは最初ミケーネ文字を使用してたんですが、この暗黒時代以後にはいつの間にかフェニキア文字(アルファベット)を使用しています。ギリシアの古代文学にもフェニキアがギリシアを支配していた事を仄めかしている作品がいくつかあります。考古学的にも、ギリシアからはフェニキア製遺物が多く出土しています。
 
また、ギリシアがフェニキアの支配から解放された紀元前8世紀頃というのは、フェニキア本土がアッシリアの支配下におかれた時期にちょうど重なってるんです。そしてこの時期(※注:紀元前5世紀前後)、ギリシアは『民主主義ポリス群』として世界史に華々しく登場します。この頃はフェニキア自身がもう植民地どころではない状態だったんでしょうね。

あのひとたちは海の向こうからやってきた異邦人ですよ。外からやって来たまったくのよそ者が、同じ血の繋がった民族同士としての家族的な紐帯をもつ「王家と民衆」を切り離すためにはどうすればいいでしょう?、

王という民族全体の総本家の代表による行政上の統治を、「加害行為になぞらえて」「大衆を煽動」するレトリックは、たぶんこのときから始まりました。現在でも、民主主義の正当性を讃える場合は、いまだにこうしたやり方が行なわれてますね。

おそらく徹底した教育を行って、民衆に必死で叫ばせるわけです。そこは日頃、人間を動物のように調教していた奴隷商人ならではのウデマエです。ギリシアはフェニキアの支配を脱した紀元前8世紀以後になっても、なお民主制を正しいものだと「信じ続け」、後々までずっとこの制度を保ち続けるんです。

それともう一点、フェニキアの様な「都市国家」が、ミケーネの様な「領域国家」を植民統治しようとすると、これはどうしてもバラバラに分割する必然性が生じてきます。そこでやはり民衆の口から「都市国家こそが国家の理想」なのだと叫ばせるわけです。

これはおそらくユダヤの分割統治の最初の例であり、そしてこの「分割統治最初の例」は同様に彼らの常套手段である「民主的統治の最初の例」と併用されていたわけです。民主主義とは、奴隷商人の商品管理技術に過ぎなかったのかもしれない。

じつはそのローマも、町の起源はエトルリアという中東系異民族に支配されていた歴史に遡るんです。そしてこのエトルリアはフェニキアと連携していました。フェニキアはサルディニア島やコルシカ島を直接支配しており、ローマへもエトルリアを通じて影響力をおよぼしていた事がもう分ってます。

古今東西の民主制誕生の陰には必ずあのひとたちがいるんです。ユダヤ陰謀論の一つの特徴は「革命を煽動する」という事ですよね?ナチス陰謀論や軍事独裁国家の陰謀説には、そういうのはあんまりない。この点が、左派を理想化する戦後教育が行なわれてきた今の日本において、ユダヤ陰謀論に対抗意識まるだしで臨んでくる人があとを絶たない理由です。

でも、ロシア革命やフランス革命など、現実にブルジョワ資本が資金提供を行なっていた事例は数多いです。また、革命煽動的なジャーナリズムがメディアの大勢をほぼ独占してきた現状も、日常テレビや新聞に接している国民だったら、普通に知っています。

これに対するメディア側のひとたちの反論としては、民主制というものは「民衆の自然な欲求」であって「世の中の自然の流れ」であり仮に資金提供やメディア操作が行なわれていた実態があったにしても、そのことが革命の主因ではなく、メディアのそういう報道も、メディアに雇用された人間一人一人がそういう民衆の動向に触発され反応したためであるというものです。そして、その決定的証拠として、西欧における民主主義の伝統が、西欧の歴史にユダヤが登場するはるか以前の古代ギリシア時代から連綿と続いている事実が例にあげられる。

ところが、三千年に渡ってユダヤに寄生されてきた欧州周辺地域以外で西欧的意味での民主制が独立に誕生した地域は、世界にほとんどありません。この圏外で民主制が誕生するのは、「西欧による植民地化」以後の話です。

さらに、もしもその「原初のギリシア民主制」からしてが、民衆本来の意思によらない、外部からの暴力的強制をともなう洗脳工作であったのだとしたら、 これは・・・・・」

http://7thsu.blog.fc2.com/blog-entry-76.html


※ブログ主追記:フェニキア人≒ユダヤ人

上記はあくまで仮説です。原文の年代がすこしおかしかったので修正しました。

本ブログ内転載記事「旧約聖書アラビア起源説」も併読されると理解が深まります。

https://ameblo.jp/damedamewanko2/entry-12445887094.html