・迷走の菅首相 言い間違え、質問に答えず…西村、尾身両氏がフォロー(朝日新聞DIGITAL 2021年1月13日)

※(前略)13日夕の政府対策本部。NHKの中継が入るなか、首相は「大阪府、京都府、兵庫県、愛知県、岐阜県、静岡県、栃木県の7府県について、特措法に基づく緊急事態宣言の対象といたします」と述べた。県名に「岡」が共通する福岡と静岡を言い間違えたようだった。慌てた記者団に、会議を終えた西村経済再生相は「福岡県です」と言い残して首相官邸を去った。

その後の記者会見。感染者が保健所による行動歴などの調査を拒否した場合の罰則導入や、事例の公表などについて問われると、首相は「どのぐらい協力のいただけないケースがあったのか、実例について申し上げる必要があると思っている」と述べ、罰則導入については語らずじまい。尾身会長が「協力してもらえるような支援の仕組みというのをした方がいいという意見と、最低限の罰則も場合によってはやむを得ないという意見がある」と解説を加えた。

飲食店への営業時間の短縮要請の効果や、休業要請に踏み込む可能性について質問が飛ぶと、首相は「今回、さらに対策をお願いするので、必ず効果が出てくる」としたうえで、「専門的な視点から、先生、よろしいですか」と発言。尾身会長が「最悪のことも想定しなくてはいけない。最悪の場合は休業要請は選択肢としてあり得るし、そうではないベスト系のシナリオもある」と語った。

■国民皆保険、見直し?

医療体制を強化するための法整備をめぐっては、首相は「国民皆保険、そして多くのみなさんがその診察を受けられる今の仕組みを続けていくなかで、コロナがあって、そうしたことも含めてもう一度検証していく必要があると思っている。必要であれば、そこは改正をするというのは当然のことだと思う」と述べた。発言の真意は不明だが、国民皆保険を見直す考えを示したとも受け取れる発言だった。














・官房長官「国民皆保険は守る」 首相の「検証」発言受け(朝日新聞DIGITAL 2021年1月14日)

※菅義偉首相が新型コロナウイルス対応に関して「国民皆保険」に言及しながら「そうしたことも検証」と語ったことをめぐり、加藤勝信官房長官は14日の記者会見で「国民皆保険制度という根幹はしっかり守っていく」と述べた。首相の発言がSNS上で「見直しに言及した」と話題になるなか、打ち消したかたちだ。

首相は13日の会見で、医療体制強化をめぐり「医療法について今のままで結果的によいのかどうか」と指摘。「国民皆保険、そして多くのみなさんが診察を受けられる今の仕組みを続けていくなかで、コロナがあって、そうしたことも含めてもう一度検証していく必要があると思っている。必要であれば、そこは改正をするのは当然だと思う」と述べていた。

加藤氏は首相の発言について「国民皆保険制度という根幹はしっかり守っていく中で、(医療制度を)どう考えていくのか。よく検証しながら検討していきたいと言ったと思う」と説明。国民皆保険制度を維持する方針は「一貫している」とした上で、「特段、何かそれに加えたことを話したわけではなく、今回の感染症にどう対応していくのかに言及されたものと思う」との考えを示した。

※ブログ主コメント:おまえら。TPPの時も国民のTPP参加反対の意見を無視してそんなこと言ってたよな。そして結局TPPに参加して日本の国益も守らず・・・全く信用できませんな。この嘘つきどもが!

形式上守ったふりをして、利用できる病院が限定されるとか、保障額や保障対象が限られるとか・・・アメリカ流の新自由主義にして、実質骨抜きにするつもりだろう。


・「国民皆保険」が崩壊すると何が起こるのか アゼルバイジャンにみる「医療階層化」の教訓(東洋経済ONLINE 2021年1月29日)

※世界から「奇跡の制度」と称賛される日本の医療皆保険。もし皆保険がなくなると何が起こるのか。厚労省年金局長やアゼルバイジャン大使など要職を歴任した香取照幸氏の近著『民主主義のための社会保障』から一部を抜粋し、医療皆保険のメリットと必要性を考える。

ただより高いものはない?
 
私がアゼルバイジャン大使として赴任中、2018年の年末に某民放放送局で、アゼルバイジャンを紹介する紀行番組が放送されたそうです。その中で「アゼルバイジャンは産油国、金満国家で医療も義務教育も無料、なんとすばらしい」という話があったと聞きました。

大使としてアゼルバイジャンで3年間を過ごした経験から申し上げると、それは半分事実ですが、半分は事実ではありません。この話、「社会保障としての医療サービス」を考えるうえでとてもよい教材になるので、わが任国の経験について紹介したいと思います。

確かに、医療サービスは無料で提供されています。それは、金満国家だからではなく、旧ソビエト連邦時代からそうなっているからです。

各国の医療保障制度には、大きく分けてイギリスや北欧諸国、旧社会主義国などに見られる税財源によるものと、フランスやドイツ、日本などの保険財源によるものがあります。アゼルバイジャンは旧ソ連の構成国だったので、独立前から採用されていた税財源による無償の医療保障システムをそのまま継続しているのです。

財源はすべて税で賄われますから、保険料はありません。一部負担もなく無料です。それだけを聞くと「おお、すばらしい」と思われるかもしれませんが、世の中そううまくはいきません。よく言うでしょう、ただより高いものはない、と。

社会主義経済は計画経済ですから、医療サービスも計画的に提供されます。旧ソ連時代、政府は計画的に各地域に基幹病院を設置し、そのブランチとして医療センター(診療所)を全国に配置しました。病院・診療所はすべて国営か公営で、医師も看護師も医療関係者はみんな公務員。そこで、すべての人民に平等に医療サービスが「配給」されていました。

この方式のすばらしいところは、言うまでもなく「無料」であることと「平等」であることです。所得や地域による格差は生じません。なんたって計画経済、都会にも中山間地域にも、所得の多寡にも関係なく「平等」に医療資源を配給するのですから。

他方、すべて税財源ですから、中央政府が決定した計画(予算)で総サービス量が決まります。決められたサービス量を公平・平等に分配する。戦争中の日本の食糧配給のようなシステムです。

無尽蔵に予算があれば別ですが、財源には限りがあります。医療資源も有限ですから(インフラ整備も人材養成も予算で計画的に統制されます)、予算で定められた範囲での医療サービスです。日進月歩の医療サービスが迅速に導入されるというわけにはいきません。「標準的」な医療が「公平・平等」に提供されるだけですし、予算が尽きればそこで終わりです。

旧社会主義国のみならず、税方式の医療サービスの場合、アクセス制限(「優先順位」をつける、ニーズ判定をする)、長い「待機者リスト」ができる、新薬や新しい医療技術がなかなか導入されない、といったことが日常的に起こります。イギリスのNHS(国民保健サービス)の透析患者の年齢制限、スウェーデンの医療待機者問題など、実例はいくらでもあります。

さて、そんな「配給型」「計画経済型」の医療システムがあった国で、社会主義体制の崩壊に伴い、ありとあらゆる「公共サービス」の分野に「市場経済」の波が一気に押し寄せました。

多くの旧社会主義国では、配給型の医療サービスは維持できなくなりましたが、幸いこの国は「石油」という財源があったので、一律配給型の医療システムでも一定水準のサービスを維持することがかろうじてできています。

しかしながら、というか当然ながら、というか、「医療の公共独占」は崩れました。言ってみれば「規制緩和、官制市場解体、混合診療全面解禁」の壮大な社会実験をしたようなものです。一律平等配給型の公的医療サービスの外側に「資本主義的」というか「市場主導型」の自由診療医療サービスが生まれました。

医療サービスは「階層消費化」
 その結果、どうなったか。医療サービスはものの見事に「階層消費化」しました。

まず、優秀な医師たちはみんな国外に出て行きました。多くはトルコ・イスラエル・ウクライナ・ロシアなどの近隣諸国です。外国に行ったほうが自分のやりたい医療ができますし、しかもはるかに高給で処遇されます。

結果、深刻な医療人材の不足が発生しました。医療人材は専門人材ですからそう簡単には増えません。圧倒的な「供給不足・需要過多」の中で、国内に残った医師たちは「副業」を始めます。

公立病院の医師たちは、午前中は「無料」の「配給医療」に従事しますが、午後になると自分のクリニックを開いて「自由診療」の医療を始めました。なかには病院の中の自分のオフィスで開業する人もいました。自由診療ですから当然「自由価格」です。公立病院も病院として「自由診療」を始めました。

「ここまでは無料です。もしこれ以上の検査を受けたかったり薬を出してほしければ追加で診療代を払ってください」「順番待ちを飛ばして受診したい人は追加料金を払ってください。優先で診療しますよ」

医療の沙汰も金次第。一般庶民は長い待機列に耐えながら「無料の標準医療」を受け、金のある人は順番を飛ばしてもらったり、水準の高い医療を受けることができる。もっとお金があればプライベートクリニックで公立病院の専門医の治療を受けることができる。すごい金持ちや政府要人たちはそもそも国内の医者にはかからない。先進国に出かけて最先端の医療を受ける。

医師は医師で、公立病院で働いても給与はたかが知れていますし(旧社会主義国では、医師や教師といった人たちの給与はその専門性に比して非常に低いのが通例です)、頑張ったからといって収入が増えるわけではない。午前中はそこそこ働いて、副業のほうに精を出す。病院も(「自由診療」で頑張って稼いでも)民間並みの給与は払えないし、辞められても困るので黙認する。そのうちどっちが本業だかわからなくなります。

富裕層向けの「民間病院」も生まれます。「資本主義経済化・市場経済化」した旧社会主義国では、経済発展に伴って貧富の格差が広がります。つまり、昔はいなかったような「富裕層」が社会に生まれます。そういった人たちを相手にしたビジネス(高級レストラン・ブランドショップ・高級リゾートなど)がどんどん生まれます。医療の世界も例外ではありません。

市場経済の持つ「資金吸引力」「資源吸引力」は実にすごいです。民間病院はどんどん近代化し、医療機器も整備されて最先端の医療が受けられる。医師も看護師も、どんどん民間部門に流出する。ただし、有料(というかかなり高額。もともと医療サービスは安くありません)。 もちろん値決めは病院がします。なんたって「自由価格」ですから。

人もモノも金も、民間部門に集中していきます。それに対抗できる、というかついていける公的サービスはまずありません。医療サービスの供給、価格決定権は完全に民間サイドに握られます。金のある人はいい医療が受けられて一般市民は旧態依然としたみすぼらしい配給医療。いい医療・いい医者にかかろうと思えばそれなりの(というか、かなりの)お金がかかる。

国民の不満はどんどん高まっていきます。それでもこの国は「石油」という財源がありますから、公的病院にもお金をかけて医療水準を上げようと頑張っていますが、普通の国はそんなことはできません。公的サービスは医師の確保もままならない、設備投資もできない。ますます金が回らなくなって、貧相なサービスになる。でも長い待機列はなくならない。

教育の世界でも「階層化」
 
教育の世界でも同じことが起きました。かつてのこの国の教育は、一律平等無料の義務教育を提供していました。地区ごとに小学校中学校があり、各学校は通し番号「第〇〇小学校」がつけられていました。どこに行っても同じカリキュラム。同じ教科書でした。

今や、金持ちは私立学校に行き、もっと金持ちは海外の学校に行かせます。私立学校・金持ち学校は(小学校から)ロシア語や英語で教育します。優秀な教員は高給で私立学校に引き抜かれていきます。

他方で、公立学校に残った教員は、午後から学校で「補習」と称する私塾を開いて生徒から補習代を取って、自分の生活費の足しにする。政府も教員の給与を十分引き上げることができないので事実上それを黙認せざるをえない。そして、補習を受けないと事実上、上の学校には進学できない。

ひるがえって、日本の公的医療保険制度はどうでしょうか。「国民皆保険」ですべての国民が公的医療保障を受けられる。「公的サービス」でほぼすべての医療がカバーされ、最先端の医療も保険で受けられる。新薬も承認されればほぼすべて保険収載されるし新医療技術も保険点数がつく。

「フリーアクセス」が保障され、医療機関を自分で選ぶことができて費用は公定価格(診療報酬で医療の価格は統制されている)。すなわち、


・「医療の進歩に見合った高い水準の医療サービス」が

・「公的費用」で賄われて(=保険のきかない医療が〈ほとんど〉なくて)

・「所得の多寡に関係なく」「ニーズに応じた平等な医療」が

・「自分が選択した医療機関」で受けられる

日本の医療は「奇跡の制度」
 
しかも、世界一の高齢国なのに国民医療費の水準はアメリカの半分、西欧諸国並みかそれ以下。こんな国はありません。日本の公的医療保険制度は、まさに奇跡みたいなものです。

もちろん日本の医療制度にもいろんな問題がありますし、大きな困難に直面していることも事実です。改革すべきことはたくさんあります。

壊すのはたぶん簡単です。でも、壊したらもう二度とこんな制度はつくれません。つまり、このシステムをこれからも守っていくにはどうすればいいか。物事は、そういうふうに考えなければいけない、と私は思います。


・ベーシックインカムの「影」の面

Prof. Nemuro🏶

https://note.com/prof_nemuro/n/n175baabea152?magazine_key=md8e74a01f073

※この番組で長妻議員が注意喚起していたBIの「影」の面は重要なので改めて取り上げる。


『「国民1人に月7万円」…“ベーシックインカム”は社会保障の“救世主”か“亡国の政策”か』
▽首相の政策ブレーン竹中平蔵氏の構想の「自助・共助・公助」▼年金は消滅?健康保険、失業保険、児童手当はゼロに?◎ゲスト #長妻昭 #小林慶一郎 #森永卓郎


一つ目が、賃金に関する社会規範を根本的に変えてしまう可能性である。

ロナルド・ドーアは、アメリカでの所得の「中位の人が下の人とのギャップを大きくしたというより、上の方の人が中位とのギャップを大きくした現象」の主因がcodeの変化にあると指摘していたが、codeの変化は下には逆方向に作用する。

働くということ - グローバル化と労働の新しい意味 (中公新書)

重要なのは、社長たちの巨額の報酬が一例である貧富の差は、どこまで開いていいのか、同一社会内に莫大な富と悲惨な貧困の共存は、どの手度まで許容されるかについての一般的な規範の変化です。ここで「規範」と訳されているガルブレイスのもとの言葉は「code」です。儒教的な訳語でいえば、経営者の「経営道」に当たるでしょう。

これまでは、正規雇用者については本人(とその家族)が生活できる水準=生活給が下限になることが暗黙の規範だったが、BIはその下限を代替してくれるので、経営者の「合法的に許される貪欲」に対する抑制が外れてしまい、生活給からBIを引いた水準まで賃金を下げられるというcodeが広まる可能性が高い。


二つ目が、国民の賛成多数で実現してしまう可能性である。

現行の社会保障制度は、国民が社会保険料や税で払い込んだ原資が「当籤した=保険事故に遭った」人に支払われる宝くじのような仕組みなので、金銭収支だけを見ればトータルでマイナスになる人の方が多くなる(実際には定額負担ではないのでそう単純ではないが)。

公的年金は「払い損」になる若い世代に不満が多いが、BIはさらに幅広い世代に「払い損になる現行制度の解体」の正当性を訴えやすい。

社会保障制度の恩恵を受けるのは主に高齢期だが、人間には遠い将来のリスクを過小評価する傾向があるので、目先の現金収支を強調されると賛成する朝三暮四の猿が少なからず出てくる可能性は否定できない。

番組ではスペインなど諸外国の試験的導入例を肯定的に紹介していたが、注意しなければならないのは、これらは

◆一部地域で
◆他の社会保障制度は残したまま

行われたため、賃下げ圧力増大や社会保障制度の縮小の弊害などの「影」は生じず、生活にゆとりができたという「光」の面だけが見えたことである。全国で社会保障制度の縮小と引き換えに導入された場合は、全く異なる結果になることも想定する必要がある。

長妻議員が言うところの「左派的BI」では「働かない自由」を満喫できる額が給付されるので、絶対的貧困は克服され、ブラック企業も淘汰されるが、その代わりに労働意欲と生産性上昇率の低下が生じ、旧共産圏のような慢性的な経済停滞に陥る可能性が高い。人間社会はそんなに甘くはないだろう。

補足

日本のBI推進論者の多くは、医療や介護の公的保険は残したままで、他の社会保障をBIに一本化すると主張しているようだが、これも要警戒である。社会保障が「基礎的な生活費の保障」になると、公的保険にも「基礎的な医療だけをカバー」といったcodeが浸透する可能性が高いためである。

実際、2004年第32回経済財政諮問会議において、規制改革・民間開放推進会議の宮内義彦議長(当時)はこのように発言している。公的保険縮小の目的が民間保険会社のビジネス拡大であることは明らかと言える。


まず、混合診療を解禁した場合でも、国民皆保険の維持ということを私どもは大前提であると考えております。このスタンスは当初から変わっておりません。当会議が主張しておりますのは、国民に必要な基礎的な医療は、これまでと同様、大前提であると考えております。このスタンスは当初から変わっておりません。当会議が主張しておりますのは、国民に必要な基礎的な医療は、これまでと同様、皆保険制度で対応する。こういう前提にいたしまして、先進医療など現在の公的保険でカバーしていない医療を付加的に行う。患者がそれを選択することを認める。そういう意味での混合診療の解禁を訴えているわけでございます。


今のところ、プロフェッションを自認する医師は公的保険縮小に対する強力な抵抗勢力ではあるが、金銭的には規制改革・民間開放推進派と利害が一致する。医療は供給者(医師)が需要者(患者)に対して圧倒的に強い立場なので、政府が規制しなければ価格の釣り上げが容易である。

ドーアは前掲書に

「合法的に許される貪欲」に対する抑制がはずれると、ごく当たり前の正直さも失われていく

と書いていたが、医師の貪欲に対する抑制が外れると非常に危険である。今後、BI推進派が金に目がくらんだ医師の切り崩しを図る可能性にも要注意である。