・世界で露見するエリートの偽善(JBpress 2020年12月21日)
 
(岩田太郎:在米ジャーナリスト)

※感染者数1660万人、死者数30万人と、状況の悪化が続く米国で、医療従事者など最優先の対象者に、新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった。

その一方で、民主党の首長が進めるロックダウン政策によって市民生活は破壊されている。なぜ民主党はロックダウン政策に固執するのか、そしてコスパの悪い封鎖政策が住民の信頼を失い、民主党の内部からも批判されている現状と、リベラルエリートの偽善と詭弁を明らかにする。

リベラルエリートの言行不一致

トランプ大統領率いる共和党政権のコロナ対策における失敗という敵失を、大統領選挙の勝利につなげた民主党。「われわれには計画がある」とコロナ退治に自信を示すが、現実は厳しい。

カリフォルニア州では、民主党のニューサム知事が12月4日に発令し、7日に発効した厳重なロックダウン命令にもかかわらず、依然として感染者と死者が増加の一途を辿るなど、「検査数の引き上げ、感染者の隔離、ロックダウン」という三位一体型の従来の政策の効果には限界があるからだ。

そのカリフォルニア州のニューサム知事夫妻が2020年11月末の感謝祭を前に、全米一予約が取りにくいことで有名なミシュラン三つ星レストラン「フレンチ・ローンドリー」でのパーティーに著名ロビイストなど十数人と出席して、猛批判を浴びた。当時のガイドラインでは、州民に対してそのような集まりを持たないよう勧告しており、知事自身も「感謝祭はスーパースプレッダーイベントになるから、家族に会うのを我慢して移動や旅行を控えてほしい」と自粛を呼びかけていたからである。

一方、大西洋をはさんだフランスでは、リベラル中道派のマクロン大統領が12月16日の夜間外出禁止令の最中、大統領府長官やカステックス首相など十数人が参加したディナーに参加していたことが明らかになり、些細なロックダウン違反でも厳罰を喰らう国民から不満の声が上がっている。これに対しカスタネール内相は、「大統領は職務上、例外だ」との見解を表明し、一般民衆のさらなる顰蹙(ひんしゅく)を買っている。

わが国においても、5人以上の会食の自粛を国民に求めていた自民党の「ガースー」こと菅首相が、12月14日夜に銀座の高級ステーキ店「ひらやま」で行われていた二階幹事長主催の「一人6万円忘年会」に、高齢コロナリスクグループに属する王貞治氏、杉良太郎氏、みのもんた氏など総勢8人で参加したことがバレてしまい、野党の政治的追及の恰好の餌食と化している。その結果、菅氏の支持率は急落中だ。

世界中で、エリートたち、特にソーシャルディスタンシングやロックダウンにこだわるリベラル派の言行不一致によるコロナ政策に対する不信が募っている。指導者たちが、ゴールポストを恣意的に動かしているように見えるからだ。効果的なコロナ対策が多人数の集会や会食を避けることであると、リベラル派の指導者たち自身が本気で信じているのであれば、そのようなリスキーな食事会には絶対に参加しないだろう。

しかも、西欧諸国や米国における厳しいロックダウンは、感染者・死者のさらなる増加という結果しかもたらしていない。であるならば、リベラルエリートたちの採用するロックダウン厳罰主義は、彼らが念仏のように唱える「国民のいのちを救うこと」「医療崩壊を防ぐこと」が目的ではなく、別の政治的な動機が隠されていると勘繰りたくもなる。

まだある民主党首長の言行不一致

民主党首長たちが中心となって強力に推進したロックダウン政策による経済封鎖で失業や労働時間削減を強いられ、日々の食事にも事欠く庶民の数が数百万単位に上る中、リベラルエリートたちは高価で美味な料理を前に食欲がそそられ、コロナ感染の大元である唾液を普段よりも大量に分泌し、飛沫を散らせる環境で会食を存分にエンジョイする。そのような倒錯は、ニューサム知事の会食だけではない。

感染爆発当初はコロナ対策の優等生と持ち上げられながら、夏場からの感染拡大が止められないカリフォルニア州では、首長の「不祥事」が特に多い。全米でいち早くロックダウン政策を実行したサンフランシスコのブリード市長(民主党)も11月に、ニューサム知事と同じ高級レストラン「フレンチ・ローンドリー」で8人が参加するパーティーに出席していた。サンノゼのリッカード市長(民主党)も感謝祭で、5家族が集う屋外会食をしていた。 

一方、西部コロラド州デンバーのハンコック市長(民主党)は、市民に感謝祭の旅行を控えるよう要請したその日に、自身が家族と南部ミシシッピ州に飛んでいた。南部テキサス州オースティンのアドラー市長(民主党)も、休暇先の隣国メキシコから市民に対して「ステイホーム」を呼びかけて非難を浴びた。中西部イリノイ州シカゴのライトフット市長(民主党)は、自ら命じたロックダウンで理髪店の営業を禁じておきながら、自らはヘアカットをしていた。

こうした中、厳格なロックダウン実行でリベラル派のヒーローに祭り上げられた東部ニューヨーク州のクオモ知事(民主党)は、感謝祭の祝いをしようとする州民に対し、「屋内において大人数で集まるとウイルスが拡散する危険性がある」と警告を発していたが、コロナの感染拡大中の感謝祭当日に86歳の母と2人の娘と食事をする予定をうっかり自身がラジオ出演でしゃべってしまい、強い批判を受けて撤回した。

最も汚く危険な仕事を低所得層や有色人種のエッセンシャルワーカーに押し付けて、自分たちは安全な場所に敵前逃亡するような偽善が、たとえばクオモ知事一人であれば、「それは個人的資質の問題だ」ということで片付く。だが、これだけ広範に、しかも一度に民主党首長たちが「いのちを救う」「医療崩壊を防ぐ」政策趣旨に反する行動を意図的に、一貫して選んだという事実は、リベラル派のロックダウン的な政策の正統性および有効性に、深い疑念を抱かせる結果となっている。

リベラルエリートの気分は、11月のバイデン氏の大統領選挙勝利で一挙に緩んだのだろうか。いや、こうした言行不一致や整合性のなさは、彼らの危機対応における「正常運転」に過ぎない。

恣意的ロックダウン政策の「敗戦」

そもそも、新型コロナウイルスは専門家の理解でさえ超える振る舞いをする。たとえば、クオモ知事はロックダウン実施中の5月6日の記者会見で、「コロナによる新規入院の60%は外出をしていない在宅者から発生しており、ショッキングだ」と述べている。「彼らが(メジャーな感染源である)公共交通機関を利用しているのではないかと疑って調べたが、この人たちはずーっと家にこもっていた」のである。

これは、ロックダウン政策のコスパの悪さを物語るデータだ。そして、その傾向は現在も変わっていないように見える。ロサンゼルスのガーセッティ市長(民主党)の9歳の娘のマヤちゃんがコロナに感染していることが12月17日に判明したが、PCR検査で陰性を示した市長夫妻によれば、マヤちゃんはソーシャルディスタンス確保をはじめとするすべてのロックダウン規則に従っていただけでなく、友人やその家族との交流もなかった。

こうしてロックダウン政策の効果に疑問が呈される中、1日当たりの新規感染が4万5000人、日ごとの死者数(黒人やヒスパニック系の死亡率は白人の3倍)も400人に迫る感染ホットスポットとなっているロサンゼルス郡においては、3月に閉鎖され、10月に再開したばかりの公営の屋外の遊び場が11月に再び閉鎖され、親たちから猛反発を受けた。

同郡では、「学校におけるクラスター発生の例は比較的少なく、対面授業を再開させても安全」との国内外の研究の結果にもかかわらず、民主党の政治力をバックにした教員組合が感染リスクゼロを主張してオンライン授業に固執しているため、子供たちは登校して友だちと遊べないばかりか、近所の公設の遊び場でも自由に走り回ったり、ジャングルジムや雲梯(うんてい)に登ったりできないという監獄並みの生活を強いられている。

しかも、子供だけを家に残して出勤すれば児童虐待として逮捕され、裁判にかけられて最悪の場合、監護権や親権まで失う。在宅を強いられた親たちの多くは収入や職を失い、そうした家庭(往々にして黒人やヒスパニック系)は家賃や住宅ローンが支払えずに強制立ち退きを迫られるケースも増えている。

子育て世代の庶民にとってさらに屈辱的であったのは、屋外の遊び場が高い感染リスクを理由に閉鎖されていた時期に、屋内のショッピングモール、タトゥースタジオ、ヘアサロンなどは収容人数を減らすことを条件に営業の継続を許可されていたことである。また、主に裕福層(多くは白人)が利用するゴルフコースやテニスコートなどの屋外施設も営業できた。州当局は、「屋外の遊び場で感染拡大したエビデンスがない」との強い世論に押されて公設の遊び場を再開させた(12月7日の新規のロックダウンで再閉鎖)。

一方、屋外飲食スペースでのレストラン営業を禁じた州知事命令を、州裁判所は「恣意的である」「屋外飲食で感染が大規模に拡大したというエビデンスがない」として退けている(12月7日の新規のロックダウンで再び営業禁止)。

この裁判で感染の科学的な証拠を示せなかった州当局は、「屋外飲食禁止令は、(当初主張した)屋外飲食が危険であるからではなく、(感染拡大につながる)人々の集まりや移動を断念させるためのものだ」と立場をコロリと転換させ、州民の不信をさらに深めた。

崩壊するエリートへの信頼

このようにリベラルエリートの多くは、自らがふり回すロックダウン論の基礎部分の根拠が薄弱であることを知っており、それがために彼らのルールの運用は不規則で恣意的になる。エビデンスが弱いことを知っているから、自らは外出制限を平気で破るが、自らが課したルールをほんの少しでも破る輩は、己の権威に挑戦する不届き者であるから決して容赦しないのである。

これが、「いのちを救う」「医療崩壊を防ぐ」という民主党の主張の本質である。コロナ対策を担当するリベラルエリートに対する民衆の信頼は、彼らの無策と偽善のために傷つき、失われつつある。
 
バイデン次期政権の副大統領に就任予定のハリス上院議員(カリフォルニア州選出)は12月16日のABCニュースのインタビューで、「新政権は懲罰的なコロナ対策を採用しない」と述べたが、第3波襲来で各首長が発出するロックダウン命令は、強制力を伴う懲罰的なものだ。

こうした中、12月18日に発表されたロサンゼルス郡の11月度雇用統計では、雇用の増大が10月の14万5600人から5万7100人へと大幅減速し、コロナの流行拡大が顕著となった2月以降の失業者数は62万7000人と高止まりしている。

営業禁止が繰り返された外食産業などでは、店じまいをするところも多く、人々の生活は民主党首長たちのロックダウン政策で破壊されている。11月に入ってからの感染者数の爆発が地域内外のヒトとヒトの接触だけではなく、気温や気候の変化などが総合的に作用した可能性などは考慮に入れない、ウイルス感染症に対する認知の硬直化の産物だ。

コロナウイルスは、従来型の感染症のようにロックダウンには素直に反応してくれない。それどころか、英国で急速に拡大する感染力70%アップの変異型のように、啓蒙主義をあざ笑うかの如く柔軟に「進化」していく。それにもかかわらず、西欧諸国や米国の過去9か月のロックダウンがなぜ理論通り劇的に効かないのか、という問題意識に立った調査や研究は少ない。愚か者の一つ覚えの如く、感染者が増えればロックダウン、ロックダウンである。最後の頼みはワクチンのみだ。

なぜなら、コロナに関する限り、「ロックダウンは効く」という言説は吟味されたエビデンスや理性に基づく科学ではなく、「こうであってほしい」という信仰なのであり、その信仰の崩壊はリベラルエリートの権威や権力の喪失につながるからだ。


・ロックダウンや外出自粛はコロナの感染抑制に逆効果(JBpress 2020年12月30日)

(岩田太郎:在米ジャーナリスト)
 

※元朝日新聞記者でジャーナリストの高橋浩祐氏は、「(日本は)人口100万人当たりの検査件数はいまだ世界220カ国中149位にとどまっている。とても先進国とは言えない水準だ」と指摘し、「(検査・追跡・隔離は)コロナ対策のイロハである」と強調した。

しかし、検査を受けたい人や受けるべき人が希望すればすぐに診断可能な検査能力を整え、助けられる命を救う体制を構築することは、即コロナの感染拡大そのものを抑え込むことにはつながらない。この2つは混同されてはならない。

検査先進国は、実は死者数後進国
 
たとえば、12月27日現在で総計2億4434万件のPCR検査を実施した米国は、人口100万人当たりの検査数が73万8200人と、名実ともにPCR検査先進国である。ちなみに日本は、同3万6700人と「後進国」だ。

しかし、その「先進」米国の感染者数は同日に1920万人、死者数は33万3000人と両カテゴリーで世界ワースト1、人口100万人当たりの死者は921人で世界ワースト第10位である。感染も死者も増加が止まらない同国においては、特効薬であるはずの「検査数の拡充と追跡・隔離の実施」が、感染抑制および死者数減につながっていない。市中感染が指数関数的に増加する米国において、追跡や隔離は有効に機能していない。

一方、わが「後進」日本の感染者数は22万1000人、死者数は3100人、人口100万人当たりの死者は20人と、決して優等生ではないものの、欧米の「検査先進国」と比較すれば桁違いに優れている。「検査・追跡・隔離がコロナ対策のイロハ」であるならば、なぜ先進米国が感染・死者数の抑制に見事に失敗し、後進日本が欠陥だらけではあるものの、最悪の事態を免れているのだろうか。

また、欧米諸国では支配層のリベラルエリートが過去9カ月にわたり、「ロックダウンでヒトとヒトとの接触を最小化すれば、感染拡大は収束する」と念仏のように唱え、感染者が増加すれば懲罰を伴う都市封鎖を民衆に課してきた。

ところが、「すでに感染が広がっている状況において、1人の感染者が次に平均で何人に移すか」を示す指標である実効再生産数(Rt)の米国における推移を見ると、各州でロックダウンが実施される以前からすでにRtが急降下を始めている。「ロックダウンをしたから、感染者数が減った」という因果関係あるいは相関関係はそれほど強くないのではないかとの疑念がわく。

感染増は国民の行動が問題?
 
一方、「リベラル派の女神」ことアンゲラ・メルケル首相率いるドイツでは現在、厳しいロックダウンをかけているにもかかわらず、1日当たりの新規感染者数が1~3万件の間を推移したまま、有意に減らない。同国の感染者総数は166万人、死者は3万300人、100万人当たりの死者数は283人と日本の14倍だ。

こうした現状に対してメルケル首相は、12月9日の連邦議会における演説で拳を振り上げながら感情を爆発させ、「科学的な知見に基づく政府の指示を軽視する市民への強い苛立ちと失望感」を表明した。

悪いのは、能書き通りの結果を出せない科学やリベラルエリートではなく、エリートの命令に従わない非科学的で反知性的な愚衆であるというわけだ。感染者の増加は乾燥した低温の冬季気候が主な原因で、国民の行動とは直接の因果関係がない可能性は考慮されていない。

破綻する検査・ロックダウン至上主義
 
そのメルケル首相は第1次ロックダウン開始時の3月18日に、「国家によって自由を制限されるということがどれほど不愉快なことであるか、旧東ドイツ出身である私自身が身にしみて理解している」と演説し、その「驚くべき共感能力」により、独テュービンゲン大学の修辞学者たちによって2020年の「今年のスピーチ」に選ばれた。

だが、ロックダウンで感染が抑制できるとする「科学的知見」にこだわり、国民統制に邁進するメルケル氏の姿を見れば、彼女の若かりし頃、東独でエリート独裁支配を行った社会主義統一党(SED)が全社会的な目標設定とその実現のための計画作成を行ない、これを全市民に周知させ、社会のあらゆる組織を使って執行・統制していった「均質性原理による統治」を、現在の統一ドイツにおいて再現しようとしているように映る。

それが実効性のあるもので、コロナ退治ができるのであれば国民は納得するだろうが、厳罰主義で統制すればするほど感染者や死者が増える。国民は、いつまで因果関係や相関関係の薄弱な「科学」に従わなければならないのだろうか。実際に人々の健康が維持されるか否かではなく、政府命令に従うか否かが目的化した懲罰的ロックダウンによって苦しみを味わう国民に対する、「驚くべき共感能力の欠如」である。

そのためドイツでは、ロックダウンに不満を持つ市民の抗議活動が絶えず、連邦議会での首相演説にもヤジが飛ぶ。これに対し、自身が科学者であるメルケル氏の回答は、「私は啓蒙の力を信じている」「今日の欧州が、まさにここに、このようにあるのは、啓蒙と科学的知見への信仰のおかげ」というもので、ロックダウンの効果の証拠やデータではなく、宗教のように「信じること」「信仰」を強調したものであった。

ここに、欧米知識層の権力の源泉である「科学」「啓蒙」や「知性」の機能不全と行き詰まりが象徴されているのだが、なぜかリベラル系のメディアではドイツが「コロナの抑制に成功した国」という設定で、賛美の対象となっている。「信ぜよ、さらば救われん」というリベラルエリートの科学観は、あやしい宗教と紙一重だ。

サディスティックな恐怖政治は逆効果
 
こうしたエリートと民衆の意識の乖離と、その危険性に気付いた一部の欧米専門家からは、反省に基づいて「国民を守る代わりに彼らを脅し、規則を守らなければ罰を与える従来のやり方を改めるべきだ」との声が上がるようになっている。

リベラル寄りの米ロサンゼルス・タイムズは12月7日付の分析記事で、「(ロックダウンを守らない)一般大衆が無責任なのではなく、恣意的な制限を課す医療政策担当者に対して、彼らが信頼を失っているのだ」と指摘する、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の感染症専門家であるモニカ・ガンディ博士の見解を紹介した。

同紙は、「(性行為による性病感染を抑える目的で、コンドームなどの防具を無償で配布する)性教育や、(注射針の使い回しによる感染症拡大を防ぐため、麻薬常用者に消毒済みの新しい注射針を供与する)注射針交換プログラムのように、『人々は止められても高感染リスクの行為を行う』という前提で、いかにリスクを最小化するかを追求する『ハーム・リダクション』を採用すべきだと考える専門家が増えている」と報じた。

オスター教授は、「あまりに厳格に人々の行動を統制すれば、彼らは当局者の言うことを聞かなくなる」と指摘する。まさに、「ロックダウン恐怖政治」が行われる欧米諸国で共通して見られる現象である。人が社会的な動物である事実を無視したサディスティックな政策は、逆効果であるというわけだ。

「理性」「知性」=西洋の狂気
 
コロナ禍でも地位や収入が安泰なエリートたちと民衆の意識の完全なる乖離は、さらに民心を離反させるだろう。

事実、民主党が強力に推進したロックダウンによる失業や収入減で低所得層や中間層の民衆が塗炭の苦しみに喘ぐ中、次期大統領に確定した民主党のジョー・バイデン氏のジル夫人は、自分に対する呼称が博士を意味する「ドクター・バイデン」ではないことはジェンダー差別だと、まるで天地がひっくり返ったように騒ぎ立てていた。博士号を持つ新大統領夫人であるリベラルエリート様のプライドが守られることは、民衆の飢えや貧困よりも大事なのである。

フランスの哲学者であるミシェル・フーコーは、西洋における「理性の時代」の到来とともに、狂気は「非理性」、つまり理性の反対として定義されるようになったと看破した。しかし、コロナ禍を巡るリベラルエリートの「理性」や「知性」は、感染症制御において確かなエビデンスも示せず、機能もしていない。それどころか、理性や知性が救済するはずの一般大衆が苦しみ喘いでいる。その意味において、「理性」は実のところ狂気である。

コロナ感染が拡大する日本においても、朝日新聞や傘下のリベラル系メディアを中心に「外出するな」「緊急事態宣言が必要」という恐怖を煽る論調が高まっている。だが、リベラルエリートによる不条理支配を強化するのに都合のよい「生命を守る」という名分の偽善や、欧米諸国における「科学」「理性」「啓蒙」「知性」の失敗に学び、逆に感染症指定の見直しや、コロナに対する考え方の転換を行う時ではないだろうか。

医療や科学に関する権威であるはずの世界保健機関(WHO)は、コロナに関して誤情報を発信し続けて信用を大きく落とした。そんなWHOではあるが、「(配布・接種が開始されたワクチンでコロナ禍が終息に向かったとしても)新型コロナは世界最後のパンデミックではない」と指摘していることは正しい。

そして、エリートの科学や知性・理性は、これまでの常識を超えた新しいパンデミックに効果的な初期対処ができない可能性が高い。なぜなら、感染症に対する考え方が硬直化し、守るべき民衆との意識も乖離しているからだ。コロナウイルスは、民衆に「リベラルエリートは信用できない」と教えることにより、将来的な社会改革の方向性を示す一助になったのではないだろうか。