・コロナ禍「フランス」は1週間で様変わりした マクロン大統領の演説から生活が一変(東洋経済オンライン 2020年3月24日)
ドラ・トーザン : 国際ジャーナリスト、エッセイスト

17日からフランスでは正当な理由がなければ外出できなくなった。パリの街もひっそり(筆者撮影)
※ご存じのとおり、私はフランスと日本を行き来しています。今回は自由から囚われの身へ、恐れ知らずから強い猜疑心へといったように、たった1週間の間に大きく状況が変わりました。
パリに戻ったのは3月10日のことでした。私は不安とともにシャルル・ド・ゴール空港に降り立ちました。どこから来たのか、発熱があるかなど確実に尋ねられるだろうと思いました。私は新型コロナウイルスの発生源であり、感染が進む「危険な」アジアからやって来たのですから。
カフェで平気でくしゃみをしていた
実際は何も尋ねられませんでした。ウイルスをうつしてしまう危険性については何も、です。私以外にマスクをつけている人はいなかったし、恐怖や不安も見受けられませんでした。手を消毒するアルコール液もなければ、質問も勧告もありませんでした……。
パリに到着後、市中心部の自宅近くにあるカフェに飲みに出かけたのですが、そのとき隣のテーブルとの近さや、大声で話したり、平気でくしゃみをしたりする人たちの様子に心が落ち着きませんでした。
ここでもとくに変化はなく、日常生活を送るパリジャンたちの姿がありました。コロナウイルスの影響によるストレスや不安、特別な行動は見られませんでした。高まる不安を感じずにはいられなかった日本からやって来た者として、パリジャンたちはとてもあっさりとしていて、やや無責任なように感じました。
フランスに戻る前、東京ではほぼずっとマスクをつけることに慣れていました。ただ、ほかの人たちと同様、学校を2週間休校にするほか、博物館や図書館、とくに濃厚接触が起こる集まりを禁止するといった安倍首相の突然の発表には、他の人と同じく驚きました。2月26日に書店での「サイン会」を予定していたのです。
出版社から予定どおりに実施するかどうかの確認がありました。私は握手なし、マスク着用でやりましょうと答えました。実際にはそのわずか数時間後に翌日からの集会が一切自粛となりました。それでもお店や飲食店は営業を続けました。中国人観光客が消え、家から出る日本人もわずかしかいない銀座はひっそりと静まり返っていました。
一方、フランスでは5000名以上の集まりが禁止され、その後制限は1000名以上、100名以上へと変更された後、一切の集まりが禁じられました。
パリに着いた翌日、チャンピオンリーグの一大試合であるパリ・サンジェルマン(PSG)対ドルトムント戦が行われました。ただし無観客での試合となりました。とても奇異に感じられたものの、これは賢明な判断でした。
無観客試合の外ではお祭り騒ぎ
その頃パリの名所であるパーク・デ・プランスの外には約4000名の熱狂的なファンが集結し、ようやくパリ・サンジェルマンが次のラウンドに進む資格を得たことに狂喜乱舞していました。なんというパラドックスでしょうか。屋内では禁止されているからと言って、何の制限もない屋外でウイルス感染の危険性を高めるとは……。
12日、フランス国民はその夜に行われるエマニュエル・マクロン大統領の演説を心待ちにしていました(フランスはこの時点でイタリアに続き、ヨーロッパで感染者数が2番目に多い国になっていたのです)。
マクロン大統領は演説の中で主にすべての学校、育児施設、大学の休校に言及したほか、できる限り大多数の人たちが在宅勤務をするよう要請しました。ほかには高齢者(70歳以上)は外出しないこと、エッフェル塔、ルーヴル美術館、ヴェルサイユ宮殿、ポンピドゥセンターなどが閉鎖されることが発表されました。
ところが、驚くことに3月15日の地方選挙の第1次投票は計画どおりとされました(第2次投票は3月22日に予定されていましたが、もちろんそれは延期となりました)。フランス国民は外出を控えるよう言われたものの、大きな圧力はありませんでした。
14日のこと、おいが暮らす家で彼の誕生日を祝っていたところ、突然スマホにニュースが舞い込んできました。大統領が飲食店やバー、クラブなどに対し、発表から4時間後の午前零時以降の営業を全面的に停止するよう命じたのです。
多くの飲食店経営者やシェフのショックがわかるでしょうか。食材やスタッフについて算段をつける時間もなく、いつ営業を再開できるのかもわからない……。フランス国民はそのとき、国内でのコロナウイルス感染拡大の実態、とくにその急速なスピードに気づいたようです。真の問題は医療機関に対する過剰な負担です。
その時点でのフランス国内での感染者数は2900人、死者数は61人でした。
フランス人の困ったところは、誤解を恐れずに言えば、躾(しつけ)がなっていない点です。むしろ逆らうことが大好きで、彼らには規律を守る精神がありません。自由を愛し、つねにやや反抗的なパリジャンはなおさらです。
「私たちは戦争状態にある」と繰り返した
15日の朝、全国民が前日の発表にショックを受けながら朝を迎えました。それでも多くの人々はいつもとは違った制約の中(周囲の人から1メートル離れること、ペンを持参すること、アルコール液で手を洗うことなど)、投票に行きました。
この日は快晴で、屋内やレストランでの集まりを避けるよう命じられたパリジャンたちは公園やセーヌ河のほとりに集まり、リラックスしたり、友人や家族との時間を楽しんだりしました。驚くべきことに営業を続けていた屋外市場にも多くのパリジャンが訪れ、普段どおりに買い物に興じていました(周りの人たちと距離を保つことなく)。
それが問題だったのです。ほとんどのパリジャンと、フランス国民はパンデミックの危機、そしてウイルスに感染したりほかの人たちにうつしてしまうという可能性に、この時点でも気づいていませんでした。
そして暗黒の16日がやって来ました。マクロン大統領は演説の中で確か8回、「nous sommes en guerre(私たちは戦争状態にある)」という表現を繰り返しました。
フランス国民は突然、自分たちが隣国イタリアと同じ道をたどっていることを認識し始めました。信じられません! わずか数日前まではこの恐ろしい疫病に対して特段の恐怖も心配も抱いていなかったというのに。
マクロン大統領は「隔離」という明確な言葉を使うことなく、フランス国民は少なくとも15日間は自宅にいなければならないと言いました。言い訳の余地はなく、5つのケース(「テレワーク」ができない場合の職務上の理由、食料品の買い出し、健康上の理由、高齢者や子どもの世話といった家庭の事情、個人での運動や犬の散歩といった短時間の外出)を除いて外出は許されません。
外出時には外出理由を書いた許可証を携帯しなければなりません。これに違反した場合は、135ユーロの罰金が科されます。実際、17日の正午以降、街のいたるところで警察官が車や歩行者の検問にあたっています。

現在、外出時はこの許可証を携帯しなければならない(筆者撮影)
想像してみてください。これまで散々自由を謳歌してきた人間が、突如として外出先とその理由を告げなければならなくなったのです。医師や医学の専門家によると、コロナウイルスを封じ込める唯一の方法は他者との接触を断つことです。
これだって、キスがあいさつ代わりで、握手をしたり至近距離で話をしたりするのが大好きなフランス人にとってはとても難しいことです(最近では、日本式のお辞儀が最高のあいさつになりつつある……)。
フランスでも医療用マスクが足りない
突然、物理的な距離を保つことがウイルスという敵と戦う唯一の手段になったのです。距離を保つというのは国家間にも及びます。フランスは国境封鎖を決め、ヨーロッパも非EU圏外から入国させないことを決定しました。世論としては、フランス政府がなぜより早期に国境の封鎖を決定しなかったのか、多くの国民が疑問を抱いています。
そして今や、フランスは外国人の入国を禁止しているだけでなく、フランス自身がコロナウイルスに関して最も「危険性」のある国となりました。フランス国民の入国を禁止する国は100以上です。
3月23日時点でフランス国内における感染者数は1万6018人、死者数は674人に上っています。そして私たちの耳に聞こえてくるのは何でしょうか? 国内で医師や医療スタッフを守る十分なマスクが不足しているという声です。理由は誰にもわかりませんが、これは事実です。マスク、アルコール除菌ジェル、ウイルスの検査キットが多くの国民の手に届かないのです。
自宅にこもるフランス国民のすべては、自分たちがこの恐ろしい、見えない敵との戦いに一役買うことができると理解しています。みんながこれまでとは違った暮らしに適応しようと頑張っているところです。
「Nous sommes en guerre(私たちは戦争状態にある)」、そしてこの戦いにおける最良の戦法が外出しないことなのです。これからもフランスの様子を伝えていきたいと思います。
・フランス人が日本に戻って心底感じた「自由」 同じコロナ禍でもフランスとは様子が違う(東洋経済オンライン 2020年12月20日)
ドラ・トーザン
日本の永住権を持っているフランス人の筆者が8カ月ぶりに日本に帰ってきて感じたこととは
※かつて日本がこんなに「自由」だと感じたことがあったでしょうか――。
やっと日本に"帰って"来ることができました。日本は、25年以上前、初めて来てから私が自然と受け入れることができた国(それとも私を受け入れてくれた国と言ったほうがいいでしょうか)です。それなのに、今年3月にフランスに発ってからというもの、ここ何カ月も日本に戻って来たくても、なかなかそれがかないませんでした。なぜなら日本は永住権を持っている、私のような外国人にさえ門戸を閉ざしてしまっていたからです。
11月にさまざまな手続きを経て、ようやく日本に戻ってくることができました。そして、とても奇妙なことに、ここ日本でこれまでにないほどの自由を感じているのです。
どうやって入国したか
その前に、どうやって日本に入国できたのかをお話ししましょう。まずはフランスを発つ前にパリでPCR検査を受け(出発の72時間前以内)、関西国際空港についてからも医療スタッフによる検査を再度受診(今度は唾液検査)。その結果が出るまで45分待ち、陰性の場合は入国手続きを行います。このとき、さらに厳重に検査結果を調べるほか、パスポートや搭乗券も通常時より厳しくチェック。
やっと終わったと思って前に進もうとすると、入国審査官から「ダブルチェック!」と呼び止められました。この時、人生で初めて入国できるか不安に。でも辛抱強く待っていると、ようやく最終的なOKが出ました。
パリから関西国際空港の機内には40人(400席のうち)ほどしか乗っていませんでしたが、この日がボジョレーヌーヴォーの正式な解禁日ということもあり、飛行機はワインでいっぱいでした。搭乗前に預けていた荷物を受け取ろうと、コンベアを見ると私のスーツケースがぽつん、と置いてあるだけでした。もちろん私は公共交通機関を利用することが許されなかったので、大阪に住む知人が空港まで迎えに来てくれました。
それから、私は友人の自宅で2週間の自己隔離を行いました。入国するのにあれだけ厳しかったので、入国管理局などからこの間、連絡があるのではないか、と思っていましたが、一旦入国してからはとくに追跡調査はありませんでした。
ただし、隔離されているとはいえ、やっと息ができるような気がしました。道行く人たち、お店やレストランが開いている様子、友人たちの多くがいつものように忙しく仕事をしているのを見るだけで生きている心地がしました。社会的、経済的活動がほぼストップしているフランスとは正反対です。
フランス政府の新型コロナウイルスへの対応は、あらゆるレベルで最初から悲劇的なものだったと私は思っています。エマニュエル・マクロン大統領は、連日ように、まるで王様ように国民に話しかけます。私たちが小さな子どもであるかのように。彼は非常に厳しいアナウンスをし、それから首相や関係大臣を登場させ、これから起こることを詳しく説明させます。何がもう「許されない」のか、何が閉鎖されるのか、何が中止されるのか……。
今やフランスはひどい官僚主義と中央集権、そして国民の政府への信頼性の欠如により、恐怖に基づいたシステムができてしまいました。国民を守る代わりに、国民を脅し、「規則」を守らなければ罰を与えられる。何とも気が滅入ってしまう話です。
書店すら規制の「標的」に
3月10日にフランスに到着したとき、街でマスクをしているのは私だけでした。そのとき、多くの人は私のことを病気か、危ない人か、という目で見ていました。当時、政府は、私たちはマスクをする必要はないとアナウンスしていました(が、数カ月後、これは覆されました)。
二度にわたるロックダウン(都市封鎖)期間中は、外出するためには、戦時中のように外出理由を記載した「証明書」が必要となりました。これを持っていないと、罰金を科せられます。仕事はすべてテレワーク、レストランやバーも(論理的な説明もなく)現時点で2月まで閉鎖されることになっています。
確かにフランスでは、人口が日本の半分なのにもかかわらず、コロナによる死亡者がすでに5万5000人に達しています。(もしここ数年の間、政府が病院の予算をこれほど削減していなければ、こうした問題は起きなかったかもしれません)。とはいえ、社会的、経済的、心理的影響を政府はあまり考えているようには見えません。
実際、フランス政府の政策には首を傾げたくなるものが少なくありません。例えば、ロックダウン時の書店をめぐる規制です。夏の間、多くの書店は人数制限を行ったり、顧客間の距離を保つなど感染予防対策を取りながら、店を開けていました。実際、家にいる時間が長い今、本は心の健康を保つ重要な役割を果たしていました。ところが、二度目のロックダウンの際、政府は、書籍は生活必要な必需品に当たらないとして、書店の閉鎖を決めました。
これに対して書店の経営者が、スーパーや大型店では本の販売ができるのになぜ個店を対象にするのか、と抗議すると、政府は大型店などでの本の販売を禁止しました。次に「問題」になったのがアマゾンですが、なんとフランス政府はどうしたらフランス人がアマゾンで書籍を購入できないようになるか、を考えたのです。こんな馬鹿げたことがあるでしょうか。
外出規制についても同じです。二度目のロックダウンが始まったとき、フランス政府は「散歩は1時間以内なら可能、ただし1キロ以内」という決定をしました。これには何の根拠もありません。これに対してフランス人が抗議を行った結果、1日に外出できる時間は3時間に、移動できる距離は20キロにまで増えました。ただし、なぜこの数字になったのかはいまだにわかりません。
日本とフランスの違いは?
日本で最も重要なのは、他人の目にどう映るか、人が自分たちをどう見るか、世間や社会が自分たちをどう見るかということです。これは罰金よりはるかに強力です。
私から見ると、日本人のこうした態度はコロナと「共に(with)」(あるいはコロナ「後に(post)」)生きるというもので、コロナに「対抗する」というものではありません。ヨーロッパでは、ウイルスと「闘う(fight)」や「戦争(war)」という言葉が使われています。これは神道や仏教の影響かもしれません。人間は自然の一部であり、欧米人のように自然は戦う相手ではないのです。
私はいつも何よりも自由に重きを置いています。そして、フランス人にとって最も重要な原則は「liberté」(自由)だと思ってきました。それなのに今のフランスには自由がなく、人々は罰を恐れるようになってしまいました。今回日本に到着したときに感じたこの信じられないほどの開放感と安堵感を私はこれから先も忘れることはないでしょう。自己隔離中でさえ、フランスに比べれば天国だったのですから……。
※ブログ主コメント:コロナウイルスが危険だという間違った認識(2020年3月時点ではまだ仕方がないが)を除けば、フランスの様子がわかる良記事。
ドラ・トーザン : 国際ジャーナリスト、エッセイスト

17日からフランスでは正当な理由がなければ外出できなくなった。パリの街もひっそり(筆者撮影)
※ご存じのとおり、私はフランスと日本を行き来しています。今回は自由から囚われの身へ、恐れ知らずから強い猜疑心へといったように、たった1週間の間に大きく状況が変わりました。
パリに戻ったのは3月10日のことでした。私は不安とともにシャルル・ド・ゴール空港に降り立ちました。どこから来たのか、発熱があるかなど確実に尋ねられるだろうと思いました。私は新型コロナウイルスの発生源であり、感染が進む「危険な」アジアからやって来たのですから。
カフェで平気でくしゃみをしていた
実際は何も尋ねられませんでした。ウイルスをうつしてしまう危険性については何も、です。私以外にマスクをつけている人はいなかったし、恐怖や不安も見受けられませんでした。手を消毒するアルコール液もなければ、質問も勧告もありませんでした……。
パリに到着後、市中心部の自宅近くにあるカフェに飲みに出かけたのですが、そのとき隣のテーブルとの近さや、大声で話したり、平気でくしゃみをしたりする人たちの様子に心が落ち着きませんでした。
ここでもとくに変化はなく、日常生活を送るパリジャンたちの姿がありました。コロナウイルスの影響によるストレスや不安、特別な行動は見られませんでした。高まる不安を感じずにはいられなかった日本からやって来た者として、パリジャンたちはとてもあっさりとしていて、やや無責任なように感じました。
フランスに戻る前、東京ではほぼずっとマスクをつけることに慣れていました。ただ、ほかの人たちと同様、学校を2週間休校にするほか、博物館や図書館、とくに濃厚接触が起こる集まりを禁止するといった安倍首相の突然の発表には、他の人と同じく驚きました。2月26日に書店での「サイン会」を予定していたのです。
出版社から予定どおりに実施するかどうかの確認がありました。私は握手なし、マスク着用でやりましょうと答えました。実際にはそのわずか数時間後に翌日からの集会が一切自粛となりました。それでもお店や飲食店は営業を続けました。中国人観光客が消え、家から出る日本人もわずかしかいない銀座はひっそりと静まり返っていました。
一方、フランスでは5000名以上の集まりが禁止され、その後制限は1000名以上、100名以上へと変更された後、一切の集まりが禁じられました。
パリに着いた翌日、チャンピオンリーグの一大試合であるパリ・サンジェルマン(PSG)対ドルトムント戦が行われました。ただし無観客での試合となりました。とても奇異に感じられたものの、これは賢明な判断でした。
無観客試合の外ではお祭り騒ぎ
その頃パリの名所であるパーク・デ・プランスの外には約4000名の熱狂的なファンが集結し、ようやくパリ・サンジェルマンが次のラウンドに進む資格を得たことに狂喜乱舞していました。なんというパラドックスでしょうか。屋内では禁止されているからと言って、何の制限もない屋外でウイルス感染の危険性を高めるとは……。
12日、フランス国民はその夜に行われるエマニュエル・マクロン大統領の演説を心待ちにしていました(フランスはこの時点でイタリアに続き、ヨーロッパで感染者数が2番目に多い国になっていたのです)。
マクロン大統領は演説の中で主にすべての学校、育児施設、大学の休校に言及したほか、できる限り大多数の人たちが在宅勤務をするよう要請しました。ほかには高齢者(70歳以上)は外出しないこと、エッフェル塔、ルーヴル美術館、ヴェルサイユ宮殿、ポンピドゥセンターなどが閉鎖されることが発表されました。
ところが、驚くことに3月15日の地方選挙の第1次投票は計画どおりとされました(第2次投票は3月22日に予定されていましたが、もちろんそれは延期となりました)。フランス国民は外出を控えるよう言われたものの、大きな圧力はありませんでした。
14日のこと、おいが暮らす家で彼の誕生日を祝っていたところ、突然スマホにニュースが舞い込んできました。大統領が飲食店やバー、クラブなどに対し、発表から4時間後の午前零時以降の営業を全面的に停止するよう命じたのです。
多くの飲食店経営者やシェフのショックがわかるでしょうか。食材やスタッフについて算段をつける時間もなく、いつ営業を再開できるのかもわからない……。フランス国民はそのとき、国内でのコロナウイルス感染拡大の実態、とくにその急速なスピードに気づいたようです。真の問題は医療機関に対する過剰な負担です。
その時点でのフランス国内での感染者数は2900人、死者数は61人でした。
フランス人の困ったところは、誤解を恐れずに言えば、躾(しつけ)がなっていない点です。むしろ逆らうことが大好きで、彼らには規律を守る精神がありません。自由を愛し、つねにやや反抗的なパリジャンはなおさらです。
「私たちは戦争状態にある」と繰り返した
15日の朝、全国民が前日の発表にショックを受けながら朝を迎えました。それでも多くの人々はいつもとは違った制約の中(周囲の人から1メートル離れること、ペンを持参すること、アルコール液で手を洗うことなど)、投票に行きました。
この日は快晴で、屋内やレストランでの集まりを避けるよう命じられたパリジャンたちは公園やセーヌ河のほとりに集まり、リラックスしたり、友人や家族との時間を楽しんだりしました。驚くべきことに営業を続けていた屋外市場にも多くのパリジャンが訪れ、普段どおりに買い物に興じていました(周りの人たちと距離を保つことなく)。
それが問題だったのです。ほとんどのパリジャンと、フランス国民はパンデミックの危機、そしてウイルスに感染したりほかの人たちにうつしてしまうという可能性に、この時点でも気づいていませんでした。
そして暗黒の16日がやって来ました。マクロン大統領は演説の中で確か8回、「nous sommes en guerre(私たちは戦争状態にある)」という表現を繰り返しました。
フランス国民は突然、自分たちが隣国イタリアと同じ道をたどっていることを認識し始めました。信じられません! わずか数日前まではこの恐ろしい疫病に対して特段の恐怖も心配も抱いていなかったというのに。
マクロン大統領は「隔離」という明確な言葉を使うことなく、フランス国民は少なくとも15日間は自宅にいなければならないと言いました。言い訳の余地はなく、5つのケース(「テレワーク」ができない場合の職務上の理由、食料品の買い出し、健康上の理由、高齢者や子どもの世話といった家庭の事情、個人での運動や犬の散歩といった短時間の外出)を除いて外出は許されません。
外出時には外出理由を書いた許可証を携帯しなければなりません。これに違反した場合は、135ユーロの罰金が科されます。実際、17日の正午以降、街のいたるところで警察官が車や歩行者の検問にあたっています。

現在、外出時はこの許可証を携帯しなければならない(筆者撮影)
想像してみてください。これまで散々自由を謳歌してきた人間が、突如として外出先とその理由を告げなければならなくなったのです。医師や医学の専門家によると、コロナウイルスを封じ込める唯一の方法は他者との接触を断つことです。
これだって、キスがあいさつ代わりで、握手をしたり至近距離で話をしたりするのが大好きなフランス人にとってはとても難しいことです(最近では、日本式のお辞儀が最高のあいさつになりつつある……)。
フランスでも医療用マスクが足りない
突然、物理的な距離を保つことがウイルスという敵と戦う唯一の手段になったのです。距離を保つというのは国家間にも及びます。フランスは国境封鎖を決め、ヨーロッパも非EU圏外から入国させないことを決定しました。世論としては、フランス政府がなぜより早期に国境の封鎖を決定しなかったのか、多くの国民が疑問を抱いています。
そして今や、フランスは外国人の入国を禁止しているだけでなく、フランス自身がコロナウイルスに関して最も「危険性」のある国となりました。フランス国民の入国を禁止する国は100以上です。
3月23日時点でフランス国内における感染者数は1万6018人、死者数は674人に上っています。そして私たちの耳に聞こえてくるのは何でしょうか? 国内で医師や医療スタッフを守る十分なマスクが不足しているという声です。理由は誰にもわかりませんが、これは事実です。マスク、アルコール除菌ジェル、ウイルスの検査キットが多くの国民の手に届かないのです。
自宅にこもるフランス国民のすべては、自分たちがこの恐ろしい、見えない敵との戦いに一役買うことができると理解しています。みんながこれまでとは違った暮らしに適応しようと頑張っているところです。
「Nous sommes en guerre(私たちは戦争状態にある)」、そしてこの戦いにおける最良の戦法が外出しないことなのです。これからもフランスの様子を伝えていきたいと思います。
・フランス人が日本に戻って心底感じた「自由」 同じコロナ禍でもフランスとは様子が違う(東洋経済オンライン 2020年12月20日)
ドラ・トーザン
日本の永住権を持っているフランス人の筆者が8カ月ぶりに日本に帰ってきて感じたこととは
※かつて日本がこんなに「自由」だと感じたことがあったでしょうか――。
やっと日本に"帰って"来ることができました。日本は、25年以上前、初めて来てから私が自然と受け入れることができた国(それとも私を受け入れてくれた国と言ったほうがいいでしょうか)です。それなのに、今年3月にフランスに発ってからというもの、ここ何カ月も日本に戻って来たくても、なかなかそれがかないませんでした。なぜなら日本は永住権を持っている、私のような外国人にさえ門戸を閉ざしてしまっていたからです。
11月にさまざまな手続きを経て、ようやく日本に戻ってくることができました。そして、とても奇妙なことに、ここ日本でこれまでにないほどの自由を感じているのです。
どうやって入国したか
その前に、どうやって日本に入国できたのかをお話ししましょう。まずはフランスを発つ前にパリでPCR検査を受け(出発の72時間前以内)、関西国際空港についてからも医療スタッフによる検査を再度受診(今度は唾液検査)。その結果が出るまで45分待ち、陰性の場合は入国手続きを行います。このとき、さらに厳重に検査結果を調べるほか、パスポートや搭乗券も通常時より厳しくチェック。
やっと終わったと思って前に進もうとすると、入国審査官から「ダブルチェック!」と呼び止められました。この時、人生で初めて入国できるか不安に。でも辛抱強く待っていると、ようやく最終的なOKが出ました。
パリから関西国際空港の機内には40人(400席のうち)ほどしか乗っていませんでしたが、この日がボジョレーヌーヴォーの正式な解禁日ということもあり、飛行機はワインでいっぱいでした。搭乗前に預けていた荷物を受け取ろうと、コンベアを見ると私のスーツケースがぽつん、と置いてあるだけでした。もちろん私は公共交通機関を利用することが許されなかったので、大阪に住む知人が空港まで迎えに来てくれました。
それから、私は友人の自宅で2週間の自己隔離を行いました。入国するのにあれだけ厳しかったので、入国管理局などからこの間、連絡があるのではないか、と思っていましたが、一旦入国してからはとくに追跡調査はありませんでした。
ただし、隔離されているとはいえ、やっと息ができるような気がしました。道行く人たち、お店やレストランが開いている様子、友人たちの多くがいつものように忙しく仕事をしているのを見るだけで生きている心地がしました。社会的、経済的活動がほぼストップしているフランスとは正反対です。
フランス政府の新型コロナウイルスへの対応は、あらゆるレベルで最初から悲劇的なものだったと私は思っています。エマニュエル・マクロン大統領は、連日ように、まるで王様ように国民に話しかけます。私たちが小さな子どもであるかのように。彼は非常に厳しいアナウンスをし、それから首相や関係大臣を登場させ、これから起こることを詳しく説明させます。何がもう「許されない」のか、何が閉鎖されるのか、何が中止されるのか……。
今やフランスはひどい官僚主義と中央集権、そして国民の政府への信頼性の欠如により、恐怖に基づいたシステムができてしまいました。国民を守る代わりに、国民を脅し、「規則」を守らなければ罰を与えられる。何とも気が滅入ってしまう話です。
書店すら規制の「標的」に
3月10日にフランスに到着したとき、街でマスクをしているのは私だけでした。そのとき、多くの人は私のことを病気か、危ない人か、という目で見ていました。当時、政府は、私たちはマスクをする必要はないとアナウンスしていました(が、数カ月後、これは覆されました)。
二度にわたるロックダウン(都市封鎖)期間中は、外出するためには、戦時中のように外出理由を記載した「証明書」が必要となりました。これを持っていないと、罰金を科せられます。仕事はすべてテレワーク、レストランやバーも(論理的な説明もなく)現時点で2月まで閉鎖されることになっています。
確かにフランスでは、人口が日本の半分なのにもかかわらず、コロナによる死亡者がすでに5万5000人に達しています。(もしここ数年の間、政府が病院の予算をこれほど削減していなければ、こうした問題は起きなかったかもしれません)。とはいえ、社会的、経済的、心理的影響を政府はあまり考えているようには見えません。
実際、フランス政府の政策には首を傾げたくなるものが少なくありません。例えば、ロックダウン時の書店をめぐる規制です。夏の間、多くの書店は人数制限を行ったり、顧客間の距離を保つなど感染予防対策を取りながら、店を開けていました。実際、家にいる時間が長い今、本は心の健康を保つ重要な役割を果たしていました。ところが、二度目のロックダウンの際、政府は、書籍は生活必要な必需品に当たらないとして、書店の閉鎖を決めました。
これに対して書店の経営者が、スーパーや大型店では本の販売ができるのになぜ個店を対象にするのか、と抗議すると、政府は大型店などでの本の販売を禁止しました。次に「問題」になったのがアマゾンですが、なんとフランス政府はどうしたらフランス人がアマゾンで書籍を購入できないようになるか、を考えたのです。こんな馬鹿げたことがあるでしょうか。
外出規制についても同じです。二度目のロックダウンが始まったとき、フランス政府は「散歩は1時間以内なら可能、ただし1キロ以内」という決定をしました。これには何の根拠もありません。これに対してフランス人が抗議を行った結果、1日に外出できる時間は3時間に、移動できる距離は20キロにまで増えました。ただし、なぜこの数字になったのかはいまだにわかりません。
日本とフランスの違いは?
日本で最も重要なのは、他人の目にどう映るか、人が自分たちをどう見るか、世間や社会が自分たちをどう見るかということです。これは罰金よりはるかに強力です。
私から見ると、日本人のこうした態度はコロナと「共に(with)」(あるいはコロナ「後に(post)」)生きるというもので、コロナに「対抗する」というものではありません。ヨーロッパでは、ウイルスと「闘う(fight)」や「戦争(war)」という言葉が使われています。これは神道や仏教の影響かもしれません。人間は自然の一部であり、欧米人のように自然は戦う相手ではないのです。
私はいつも何よりも自由に重きを置いています。そして、フランス人にとって最も重要な原則は「liberté」(自由)だと思ってきました。それなのに今のフランスには自由がなく、人々は罰を恐れるようになってしまいました。今回日本に到着したときに感じたこの信じられないほどの開放感と安堵感を私はこれから先も忘れることはないでしょう。自己隔離中でさえ、フランスに比べれば天国だったのですから……。
※ブログ主コメント:コロナウイルスが危険だという間違った認識(2020年3月時点ではまだ仕方がないが)を除けば、フランスの様子がわかる良記事。