イエスは馬小屋で生まれたか?
平塚 徹(京都産業大学)
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~hiratuka/essays/stable.html
※イエス・キリストは「馬小屋」で生まれたとよく言われます。
しかし、西洋のキリスト教文化においては、イエスが生まれたのは「馬小屋」だとは言えません。例えば、キリスト降誕を主題にした絵画を見ると、確かに、馬小屋らしいところが場面になっていることが多いのですが、そこにいるのは「馬」ではなく、「牛」と「ロバ」なのです。また、クリスマスにはキリスト降誕の場面の模型を飾る習慣がありますが、ここでも、「牛」と「ロバ」が定番になっています。つまり、イエスが生まれたの「馬」小屋ではなく、「家畜」小屋なのです。それでは、日本ではイエスが「馬小屋」で生まれたという話が流布しているのはなぜかということが問題になります。しかし、この問題を考える前に、イエスが「家畜小屋」で生まれたという伝承があることを確認しておきましょう。
実は聖書を見ても、この点については、はっきり書いてありません。家畜小屋で生まれたことを示唆するのは、「ルカ福音書」第2章第7節「初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」の記述です。しかし、これでも、はっきりと家畜小屋だと分かるわけではありません。
それでは、イエスが家畜小屋で生まれて、そこには牛とロバがいたという話は、どこから出てきたのでしょうか。実は、これは、「偽マタイ福音書」という書物に出てくる記述がもとになっています。この本によると、イエスは洞窟で生まれたことになっています。しかし、その後、マリア達は洞窟をあとにして、家畜小屋に入って、イエスを飼葉おけに寝かせると、牡牛とロバがイエスをあがめたとあります。この場面が、西洋のキリスト教絵画でよく描かれる場面のもとになったのです。そして、その後、この話が単純化して、イエスは家畜小屋で生まれたという伝承が成立したようです。
それでは、日本でイエスが「馬小屋」で生まれたという話が流布しているのはなぜでしょうか。イエスが生まれた「家畜小屋」を指す言葉ですが、例えば、フランス語では étable が使われます。この単語は、「家畜小屋」や「牛小屋」を意味しています。一方、英語では、stable という単語が使われますが、この単語が問題です。この単語は、フランス語の étable と同じ語源の単語で、やはり、「家畜小屋」一般を指すのにも使われた単語なのですが、現在では「馬小屋」の意味で使うようになっています。つまり、イエスが stable で生まれたと言うときには、本当は「家畜小屋」を指しているはずなのですが、何も知らずにこの言葉だけを見ると、「馬小屋」だと思ってしまうのです。恐らく、この「馬小屋」という解釈が日本では流布してしまったようです。日本では、イエスが生まれたときに牛とロバがいたという話もなかなか聞かないし、そのことを表す絵画もそれほど目にしないので、「馬小屋」でもおかしいとは思いにくいわけです。
なお、「ルカ福音書」第2章第7節に出てくる「飼葉おけ」ですが、日本聖書協会から出ている文語訳聖書では、「馬槽(うまぶね)」という単語が使われています。これは、馬にやる餌を入れる容器ですが、この訳は、イエスが馬小屋で生まれたという話に影響されたのでしょう。
イエスが生まれた「家畜小屋」を指す単語を集めてみました。日本では「ベツレヘムの馬屋(うまや)」などと言うのですが、英語以外を見ていると、必ずしも「馬小屋」というわけでもなさそうです。
英語 stable
フランス語 étable
スペイン語 establo, pesebre
イタリア語 stalla
ドイツ語 Stall
上で「stable誤訳説」を示唆しましたが、その後の研究により、馬小屋伝承の淵源はキリシタン時代に遡ると考えを改めました。
キリシタン書では、イエスの生まれた場所は、しばしば、「うまや」とされていた。この語は、語源的には馬小屋を意味するが、牛小屋を指すのにも転用されてきた。キリシタン書における「うまや」は、家畜小屋の意味で使われたと考えられる。禁教時代を経てキリスト教解禁以後、「うまや」という語が馬小屋の意味で理解されて、馬小屋伝承が流布し定着したと考えられる。
平塚 徹(京都産業大学)
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~hiratuka/essays/stable.html
※イエス・キリストは「馬小屋」で生まれたとよく言われます。
しかし、西洋のキリスト教文化においては、イエスが生まれたのは「馬小屋」だとは言えません。例えば、キリスト降誕を主題にした絵画を見ると、確かに、馬小屋らしいところが場面になっていることが多いのですが、そこにいるのは「馬」ではなく、「牛」と「ロバ」なのです。また、クリスマスにはキリスト降誕の場面の模型を飾る習慣がありますが、ここでも、「牛」と「ロバ」が定番になっています。つまり、イエスが生まれたの「馬」小屋ではなく、「家畜」小屋なのです。それでは、日本ではイエスが「馬小屋」で生まれたという話が流布しているのはなぜかということが問題になります。しかし、この問題を考える前に、イエスが「家畜小屋」で生まれたという伝承があることを確認しておきましょう。
実は聖書を見ても、この点については、はっきり書いてありません。家畜小屋で生まれたことを示唆するのは、「ルカ福音書」第2章第7節「初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」の記述です。しかし、これでも、はっきりと家畜小屋だと分かるわけではありません。
それでは、イエスが家畜小屋で生まれて、そこには牛とロバがいたという話は、どこから出てきたのでしょうか。実は、これは、「偽マタイ福音書」という書物に出てくる記述がもとになっています。この本によると、イエスは洞窟で生まれたことになっています。しかし、その後、マリア達は洞窟をあとにして、家畜小屋に入って、イエスを飼葉おけに寝かせると、牡牛とロバがイエスをあがめたとあります。この場面が、西洋のキリスト教絵画でよく描かれる場面のもとになったのです。そして、その後、この話が単純化して、イエスは家畜小屋で生まれたという伝承が成立したようです。
それでは、日本でイエスが「馬小屋」で生まれたという話が流布しているのはなぜでしょうか。イエスが生まれた「家畜小屋」を指す言葉ですが、例えば、フランス語では étable が使われます。この単語は、「家畜小屋」や「牛小屋」を意味しています。一方、英語では、stable という単語が使われますが、この単語が問題です。この単語は、フランス語の étable と同じ語源の単語で、やはり、「家畜小屋」一般を指すのにも使われた単語なのですが、現在では「馬小屋」の意味で使うようになっています。つまり、イエスが stable で生まれたと言うときには、本当は「家畜小屋」を指しているはずなのですが、何も知らずにこの言葉だけを見ると、「馬小屋」だと思ってしまうのです。恐らく、この「馬小屋」という解釈が日本では流布してしまったようです。日本では、イエスが生まれたときに牛とロバがいたという話もなかなか聞かないし、そのことを表す絵画もそれほど目にしないので、「馬小屋」でもおかしいとは思いにくいわけです。
なお、「ルカ福音書」第2章第7節に出てくる「飼葉おけ」ですが、日本聖書協会から出ている文語訳聖書では、「馬槽(うまぶね)」という単語が使われています。これは、馬にやる餌を入れる容器ですが、この訳は、イエスが馬小屋で生まれたという話に影響されたのでしょう。
イエスが生まれた「家畜小屋」を指す単語を集めてみました。日本では「ベツレヘムの馬屋(うまや)」などと言うのですが、英語以外を見ていると、必ずしも「馬小屋」というわけでもなさそうです。
英語 stable
フランス語 étable
スペイン語 establo, pesebre
イタリア語 stalla
ドイツ語 Stall
上で「stable誤訳説」を示唆しましたが、その後の研究により、馬小屋伝承の淵源はキリシタン時代に遡ると考えを改めました。
キリシタン書では、イエスの生まれた場所は、しばしば、「うまや」とされていた。この語は、語源的には馬小屋を意味するが、牛小屋を指すのにも転用されてきた。キリシタン書における「うまや」は、家畜小屋の意味で使われたと考えられる。禁教時代を経てキリスト教解禁以後、「うまや」という語が馬小屋の意味で理解されて、馬小屋伝承が流布し定着したと考えられる。