「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ』と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために」(箴言30:8-9)






・ベーシックインカムが「日本社会の救世主になる」論は本当か(日経BizGate 2018年9月5・12・20・26日)

雇用ジャーナリスト 海老原 嗣生

※国民に生活費を無料支給するベーシックインカムは現実的なのか?
 
ベーシックインカム(以下「BI」)というものをご存じだろうか?

政府が国民全員に、生活費を無料支給する制度のことをいう。現在の生活保護のように何かしらの問題があって労働に就けない人にのみを対象とするのではなく、老若男女問わず誰にでも一律に支給するのだ。

嫌な仕事はしなくてよく、社会も裕福になるのか

これにより、衣食住が一通り満たされる程度のお金を、働かなくとも人々は手に入れることができるようになる。結果、社会は大きく変わる。

人々はもう、やりたくもない仕事を続けなくても済む。自分の興味関心あることにのみ専念できるのだ。そんな働き方ならば、労働生産性も上がる。だから社会全体が裕福になるという。

ただし、そのためには元手となる財源が必要となる。現実的なコストを考えれば実現は無理!という反論も長らく唱えられてきた。また、働かなくとも生活費が支給されるなら、人々は怠惰になり、社会の生産性は下がるという批判も根強い。

それに対して、BI推進派がまた反論する。

衣食住について国民全員が事足りていれば、国や自治体は今までのような多様な行政サービスを行う必要がなくなる。年金も生活保護も失業対策も中小企業保護さえも、大幅にスリム化できる。そうした分をBIに回せば、財源面は問題がなくなる。また、働かない人が増えて生産性が下がるということに関しては、人々は苦役こそ避けるだろうが、好きな仕事はたとえ給与が低くても(生活費に困らないので)やるようになる。だから社会の総生産は増えると主張をする。

こんな感じでBI論が甲論乙駁状態となり、近年ネットを中心に盛り上がっているのだ。

果たしてBIとは意義があるのか。そして実現可能なのか、検証していくことにしたい。

アンドロイドが生産性をあげれば、すべてが解決するとの誤解

私がBIに興味を持ち始めたのは、人工知能の行く末について取材を重ねていたころだ。AIとロボティクスの発展により、人間同様のアンドロイドが闊歩する世の中が訪れ、そのころは、多くの仕事が彼らに代替されているようになる。知能・体力的にも人を凌駕するアンドロイドたちが働く未来社会は飛躍的に生産性を伸ばす。しかも彼らには給料は必要ないから、人件費などのコストも低減する。当然、企業の利益は増加していく。

その一方で人々は仕事を奪われ、日々の生活の糧にも窮するようになる。そこで、政府は大儲けをしている企業に重税をかけ、それを財源に、人々に生活保護として生計費を配るようになる。これが、未来型BIの絵図だ。この頃には、アンドロイドが人間以上に高い生産性で労働に従事しているのだから、BIの額も現在の給与水準を超えるだろう。たとえば、全国民に一律月額30万円、一家四人の標準世帯では120万円とかにもなるのだろう。それでいて、効率性生産性に富む社会だから、物価水準は今よりも下がる。たぶん人々は、本当に豊かなライフ&ライフを謳歌しているはずだ。

もし、この先、AIやロボティクスの進化が想定かそれ以上なら、そんな社会が来てもおかしくはない。だからBIも遠い将来には実施されていると私も思っている。

だが、現在すでにそれが実現可能、今すぐ実行すべし!という話には距離を置いている。

国が生計費を補填すると、労働者の賃金が下がった

現代社会には、人の代わりに働いてくれるアンドロイドはいない。こんな状態でBIを給付すれば、いくら不要な行政サービスをカットしても、財源不足は否めず、結果、猛烈な増税を強いなければならないからだ。

こうした「財源はどうするのだ?」を詳細に検証する前に、まずはBI(的なもの)の歴史について、ざっと振り返ることにしよう。その結果、なぜ近年、BIに関して推進論者が増えてきたのか、も理解できることになる。

生活を営むのに必要な額の基礎的な生計費を、国民全員に与えるという政策の歴史は長い。その源流は、17世紀にイギリスで成立したエリザベス救貧法に行きつく。同法は生活保護をより広くより簡便に支給することを目的とした。その後、同法の系譜の中でスピーナム・ランド法が生まれる。これは、標準的な報酬を得られない人に収入の欠損分を行政が補填するという制度で、後述する「負の所得税」に近い内容となっている。

ただし、資本家が圧倒的に強かった当時の社会情勢下では、国が労働者の生計費を補填すると、企業は彼らの賃金をどんどん下げるという悪循環が起きた。その結果、補填額は増え、国の財政は逼迫し、この制度は早晩、破綻していく。

「負の所得税」が魔法の杖になるとの議論

その後、19世紀になると、救貧・防貧ではなく、新しい社会構造を模索するという意味で、フランスのフーリエやオーエンに代表される空想社会主義者や、イギリスのジョン・スチアート・ミルのような功利主義学者が独自の制度を提唱するが、こちらも結実はしていない。

曲折をつづけていたBIに急展開をもたらしたのが、ミルトン・フリードマンだ。彼はBIに対して、「負の所得税」という新たな概念を持ち込んだ。所得税とはご存知の通り、人々の所得に応じて徴収する税金のことをいうが、現状ではその徴収額の最低が「0」である。それを、ある年収以下の人は税額がマイナスとなり、逆にお金がもらえるようにする、というのが「負の所得税」だ。

この説明を聞くと、一見、「ある収入以下の人にのみ、BIが支給される」ように聞こえてしまうので、もう少し説明することにしておこう。

フリードマン方式では、実は国民全員にBIが支給される、同時に、所得税も一円でも収入があれば課される。その結果、収入が上がってくるとBIの支給額を所得税額が上回るようになる。だから、見かけ上は、それ以上の年収の人が純粋に税負担をしていることになるのだ。

行政の簡略化につながり、よいことに見えるが

これは、所得税の考え方を変えるだけで、社会構造が大きく刷新されることを意味する。国中にはすでにくまなく税務署が配置されているから、新たに大きな徴税・支給などの仕組みを導入する必要はない。この徴税網を利用して、国民全員にBIを一律支給してしまい、同時に所得税も課すという方式をとる。支給・徴収は、BIと所得税額の差分で行う。こうすることで、実際の支給作業は「所得税額がBI額以下の低年収層」のみに限られ、業務量は少なくなる。

また、BI自体は一定額を全員に、という性質のため、生活保護のように個人資産の状況を把握して認定や減額を行う必要はないし、年金のように過去拠出額に応じた増減管理なども不要だ。



そして、この方式でBIをしっかり支給することで、今まで行政が苦労して積み上げてきた年金・生活保護・失業給付などの社会保障や産業振興、民生対応などが代替できる。

要は、政府は税務を徹底するだけの軽微な存在となり、各種行政コストが軽減されるというのだ。こうして行政コストを削減できるから、それを財源とすれば、BIの実現性はさらに高まる。

こんな魔法の杖が登場し、近年BI論議が盛んになってきたのだ。

次回は、この方式を日本の社会構造に照らし合わせた場合、どのようなものになるのか、を見ていくことにする。


ベーシックインカムが現実的でない2つの根拠

日本の政治は、東京一極集中を食い止められずにいる
 
国民全員に、衣食住に必要な生計費を支給する制度であるベーシックインカム(BI)は実現可能か。前回はざっと歴史を振り返り、なかなかうまくいかなかったものが、フリードマンの「負の所得税方式」なら、何となくうまくいきそうだ、というところまで解説した。

今回のこの仕組みを詳細に検証することにしていこう。

日本銀行政策委員会審議委員(注:2018年当時)の原田泰氏が2015年に上梓した「ベーシック・インカム~国家は貧困問題を解決できるのか~」(中公新書)では、フリードマン方式を用いて日本でBIを実施するためのスキームが事細かに示されている。



原田/泰
1950年(昭和25年)、東京都に生まれる。東京大学農学部卒業。博士(経済学)。経済企画庁国民生活調査課長、海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長、大和総研専務理事チーフエコノミストなどを経て、早稲田大学政治経済学術院特任教授、東京財団上席研究員。

その中身は以下の通りとなる。まず、支給額は月7万円(年84万円)とし、これを全成人に支給(20歳未満は月3万円)することとする。この金額水準は、老齢基礎年金(満額で月額6.6万円)を念頭に置いている。ここまでで、日本全体では、年間総額96兆円の規模となる。

さて、この財源をどう見繕うか。

まずは、所得税だが、こちらは「一律30%の税率」に一本化する。そのうえで、給与所得控除や配偶者控除、扶養者控除など様々な「控除」を廃止する。これで徴税作業は大幅に簡素化される。

そして、企業の人的経費に対して一律30%徴収する仕組みとする。現在、雇用者所得と自営業の混合所得の総計は257.7兆円ほどあるので、その3割だと、77兆円超の税収となる。この大胆な構造変革により、徴税の網羅性は高まり、しかも実際の税務作業はスリムダウンされる。

ちなみに、77兆円という税額は、現状の所得税(書中データ)13.9兆円よりも63兆円超もの税収増となる。これで、96兆円のBI総額の3分の2近くが捻出できてしまった。あとは33兆円ほどだ。原田氏はそれを以下のように工面できるという。

財源は確保できるように見えるが

まず、BIで直接的に代替できる行政サービス。

・基礎年金の国庫負担
・子ども手当
・雇用保険(失業給付)
・生活保護(医療費を除く)
 
この額が合計21.8兆円もあるので廃止によりBIに向ける。これで残りは11兆円強となる。

続いて、失業対策のために行っている公共事業なども削減できる。公共事業費は国と地方を合わせると(国民経済計算上の公的資本形成で)21兆円。この4分の1が失業対策的なものと想定して、BI導入時に廃止する。その額5兆円。

同様に、地方自治体の民生費は生活保護を除いても18.4兆円もある。この3分の1もBIで代替できるとして6兆円が浮く。

これで原田型BIの財源は賄えるのだが、さらに、固定資産税の減額・控除を廃止して、米国並み税率にする。これにより5兆円の予備財源が確保可能となる。

とここまでで、ゆうに財源的にはカバーが可能という。

経済官僚出身の同氏は、他の雰囲気論のBIとは異なり、かなり精緻に数字ととらえている。

たとえば、多くのBI論者は、「生活保護が肥大している」「こうした行政サービスが削減できる」と粗い論議をする。がこれは間違いだ。生活保護はあらゆる給付を含めても4兆円しかなく、しかもそのうち半分以上が医療費であり、生計費関連は1.6兆円程度と桁違いに小さい。96兆円規模のBI導入で代替できるのはたったこれだけなのだ。

対して原田氏は書中でBIで代替できる生活保護の規模を1.9兆円(これには、葬儀関連などの生計費以外が含まれているため若干数字は大きいが)と見積もり、ことさら大きくその意義を強調などしていない。

こんな感じで数字の裏付けをきっちりとっているところが、他のBI論者とは明らかに一線を画す。

労働忌避も避けられる?

一方で、「お金を配ることによって、働かない人が現れるのではないか」というBIへの根本的な批判に対しても、氏が主張する「所得税率30%」方式で対応が可能、と反論する。いわく、現行の生活保護方式であれば、所得の増加に対して生保の支給停止が起きる。いわば、労働所得に対して100%の徴税と同じ状況なのだが、原田方式なら3割しか徴税されなず、7割が所得として手元に残る。だから、この方式の方が現行よりもアクティベーション(労働誘導)に優れている、という。

そして、働かなくてもお金をもらえることによる「労働離れ」の危惧に対しては、税率と労働時間の弾性値から計算して、社会に大きなインパクトを与えるほどの労働時間減少は起きない、という試算も示している。

ここまで論理と数字で攻められると、原田=フリードマン型BIは完璧で隙が無いものに見えてしまうだろう。さて、それが本当に問題がないのか否かを考える前に、そもそも原田氏やフリードマンはなぜ、こんな形のBI制度を主張するのか、その背景に触れておきたい。

背景には、市場の機能を高めるべきとの考え方

原田氏もフリードマンも、経済学の世界では「シカゴ学派」と目される人たちだ。彼らシカゴ学派の考え方を単純化して示すならば、「経済活動は市場に任せるべき」というものになる。余計なことを政府がするから経済の活性化が削がれるのであり、政府は規制緩和を進め、市場の機能を高めることに専念すべし、という。

だから、新市場主義もしくは市場万能主義とも呼ばれる(ちなみに、シカゴ学派の考え方をライフスタイルにまで組み込んだ人たちを俗にリバタリアンという)。

当然、シカゴ学派は、細々としたミクロ経済政策を嫌う。そうした施策を張り巡らせることで、たとえば利権や無駄が発生し、それが市場機能を弱め、富の偏在を生む原因になる。だから政策とは、ミクロではなくマクロで行うべきだ、と考える。

書中で原田氏は大規模なバラマキこそマクロ政策の本意とし、「広く薄く配るのがバラマキ」を推奨している。対して、個別的に大金を投入する裁量行政を最悪視し、その例として農業振興を上げている。いわく、様々な農業振興策として2.3兆円を積み上げ、それでも国際価格と比して1.8兆円も高い農産物を国民は購入させられ、それでいて農業総生産は4.9兆円にしかなっていない。

つまり、国民負担4.1兆円に対して生産規模4.9兆円というとんでもない非効率な市場を作り上げている、というのだ。それならば、その国民負担をすべて農家に補助金として、生産額に応じて「バラマキ」すれば、今以上の効率的な農業ができ、同時の行政サービスも軽減できる。絶対その方が効率的だ、という。

東京一極集中を食い止められない現実

こうした政府の裁量的施策を嫌うリバタリアンの論調が分からないわけではない。たとえば、原田氏が排すべきとした「所得控除」は税の逆進性(富裕層の有利さ)や徴税手続きの複雑さ、など今でも問題を指摘する識者は多い。

また、失業対策や民生などのためにやっている中小企業対策や地域振興策には、首をかしげる類のものも多い。たとえば、UIターンや地域創生などは、第二次全国総合開発計画より40年以上も歴史があるが、それでいて世界的に類を見ない東京一極集中を招いている。

例を挙げておこう。年間10億ドル以上の収益がある大企業の本社数では、東京が613と他を圧倒し、2位のニューヨーク(217)の三倍近い数字。東京と比べて旗色の悪い大阪でさえ174でなんと世界第4位に入る。こうした大企業の収益合計額で見ても東京5231億ドルで2位のパリ(2785億円)の2倍にもなり、大阪もやはり8位にランクインする。いかに、地域創生やUIターンなど政府施策でうまくいかなかったか、が見て取れる。

地元サービスが機能しているか疑問も

一方で、地方の民生費からは、高齢者に「マッサージ補助券」を支給している例や、結婚相談、街バル(飲み歩き)補助などなど、本当に必要なのかと思われる事業がいくらでもあげられる。そしてその多くが、議員や首長の手柄話として人気取りに使われてもいる。さらに言えば、そんな「地元サービス」を百出させたがために、住民の公共への要望は高まり、日本の公務員はその数に比して大量なる業務をこなさねばならないという、世界一忙しいパブリック・サーバントと化している。

つまり細々とした政策は、利権と無駄に直結するから百害あって一利なし、という原田氏の主張もある面、納得できるところではある。

こんな感じでお偉い識者のありがたきご託宣により、BIは天下の正道とも思われがちな今日この頃ではあるのだが、現実的にはここまで合理的に見えた原田型のBIでさえ全く成り立ちはしない。

その理由について、「行政サービス」と「税負担」の二つの側面から、見ていくことにしたい。


ベーシックインカムでは「日本は幸せになれない」

筆者は、月額7万円の支給では生活が成立しないと考える
 
国民全員に、衣食住に必要な生計費を支給する制度であるベーシックインカム(BI)は実現可能か。原田泰氏は、フリードマン型「負の所得税方式」ならば、問題なく実行できると説く。

行政サービスが簡素化できるとのごまかし

前号書いたその概要は以下の通りだ。

■全成人に月7万円(未成年は3万円)支給。
■総予算は96兆円
■財源(1)所得税を廃止して、給与原資に一律30%の新所得税をかける。これで63兆円増収。
■財源(2)基礎年金・失業給付・生活保護などを縮小・廃止。21.8兆円の財源。
■財源(3)失業対策としての公共事業廃止。5兆円の財源。
■財源(4)民生予算の縮小。5兆円の財源。
■財源(5)固定資産税の米国並み課税。5兆円の財源。
 
この話はBIにサービスを集中して、余計な行政サービスを切り捨てるという文脈で語られているために、多くの読者がことの本質を見落としがちだ。財源(1)~(4)により、国民負担は68兆円も増える。現在の総税収の倍以上に増税されていることが、ごまかされているのだ。

68兆円増税したうえで、多種行政サービスを廃止し、その上で、サービスはBI一本にする、と書いたら、「それがいい」という人はかなり減るだろう。この点については次回に詳細を書く。

ただ、謳い文句通りに「余計な行政サービス」を削減できるならまだいい。現実的には、それさえも、ほとんど実行不可能なのだ。とすると、増税だけして行政サービスは軽減できないという、「とんでも話」になる。今回はこの「行政サービスが削減できない」点について書いていく。

健康保険制度も再構築が必要となる

まず、BIの支給額は月7万円であり、これは老齢基礎年金の満期支払い額(月6万6000円)水準に合わせたという。しかし、老齢基礎年金は最低水準の衣食住を満たす金額設定とはなっていない。

理由は以下の通りだ。

(1)サラリーマンが退職した場合、基礎年金(1階)に付加して厚生年金・共済金(2階)、厚生年金基金・共済年金職域加算(3階)が支払われる。モデルケースの場合で見れば、2・3階の合計は1階部分の2倍程度となる。
(2)サラリーマン以外の自営業者は定年がないため、高齢期でも事業を縮小しながら継続できるため、1階+αの収入が得られる。
(3)そもそも年金とは「ブースター機能」と考えられている。それは、年金と現役時代の蓄積と合わせて生活を設計する、という意味のものである。
 
常識で考えても7万円で、衣食住が足るわけなどないだろう。実際、現在の生活保護費の平均的な支給額は月額13万円となっている。とするとBIとの差額で6万円程度が補填されないと、現状の生活保護並みの生活は維持できない。この「追加給付作業」が発生すると、支給額は減るが、支給にかかわる申請→審査→支払い→管理などの業務は一切減らないことになる。

現実的にはもっと大きな問題がある。生活保護で生計費を支給されている人は、医療費なども補助される。その額が年間2兆円にもなるのだが、こうした医療費補助は現在ならば、生計費支給時に所得・資産状態を審査されているため、追加審査は不要となる。

ところがもし、BIで生計費関連が不支給となれば、医療費補助の方で新たな審査が必要となる。その行政コストは大きいし、「審査を受ける精神的苦痛をなくす」というBIの謳い文句も看板倒れに終わることとなる。

こんな批判を想定してか、原田氏は書中で、そもそも健康保険自体を新たなものに作り変え、負担を軽減すべき、と以下のような案を示す。

■下記のような軽減オプションを用意、保険料負担を軽くする。

(1)終末治療を受けない
(2)無駄な延命治療を受けない
(3)無駄な治療を受けない(たとえばアメリカの医学学会が疑問を呈しているようながん検診・がん治療などを受けない)
 
こうして保険料が軽くなったとしても、現生活保護者たちは、たった7万円のBIからこの保険料を支払うのだろうか。それはやはり無理なので、生活保護申請して、審査を受けねばならないだろう。結局やはり、行政コストも受給者の苦痛も軽減などできはしない。

失業給付に関しても全く同じだ。現在失業給付は月額24万7500円が支給上限となっている。7万円のBIではとてもとてもカバーなどできない。ちなみに、30歳勤続2年、月給25万円(残業代込み)で計算した場合でも失業給付は月額約16万円となる。「BIで行政サービスが代替」など正気の沙汰とは思えないだろう。

「月額7万円」という中途半端な額では機能せず

年金はどうか?

こちらなど、年金問題が騒がれる中で、一部ネット民からは、BIが救世主のように崇められているが、現実はあまりにも寒い。現在年金は、3階建て構造となっており、誰にも共通に支払われる1階部分(基礎年金)、給与所得者に支払られる2階部分(厚生年金・共済年金)、企業や一部公務員などが独自に加盟する3階部分(企業年金や職域加算)からなる。

このうち、BIで代替を想定するのは1階部分だけだ。拠出額でも積立準備額でも圧倒的に大きな2階や3階はそのまま作業が残存する。

結局「月額7万円」という中途半端な額では、現状の行政サービスを代替できず、二重負担が発生するだけなのだ。本当に行政サービスを撤廃できるレベルを考えるなら、前述した「生活保護費の平均的な支給額=月額13万円」を一つの目安にすべきだろう。

この額のBIを国民1億2,672万人に給付すると、年間197兆6,832億円かかることになる。これでようやく「生活保護費並みの生活」ができるが、原田氏流の「給与原資から一律天引き」する形の所得税でこれをかき集めるとすると、なんと80%近い税率となる。とてつもなく大きな国民負担だろう。

「いや、等価所得法を用いて世帯人数により支給額を調整すれば、ここまで費用はかからない」と、多少この領域に詳しい人からは反論が起こるかもしれないので、そのことにも触れておく。等価所得とは、世帯構成員が増えると、一人当たりの生計費は減っていくという経験則を元にした考え方だ。

等価所得法を用いるなら膨大な作業が発生

たとえば冷蔵庫や洗濯機などの家電を考えた場合、世帯構成員が増えても、必要数は変わらない場合が多い。食材もスケールメリットが高まるため4人世帯が単身世帯の4倍もかかりはしない。

こうしたことから、人数が増えても、必要となる生計費はそれほど増えないと考える。ちなみに、OECDをはじめ、日本の『所得再分配調査』で使われている「等価所得」の計算式は、「人数の平方根倍」となる。

たとえば、単身世帯の生計費を1とすると、二人世帯のそれは1.41倍(2の平方根)、3人世帯は1.73倍(3の平方根)、4人世帯は2倍(4の平方根)となる。この数式を使って、世帯構成によりBI支給額を調整すれば、その総額は130兆円まで抑えられる。これでようやく、一律50%の所得税となる。ただ、それでも額は十分大きな国民負担だ。

いやちょっと待ってほしい。この等価所得法を用いるならば、世帯構成員をしっかり把握しなければならない。それは、各家庭ごとに独立・出産・死亡・離別などがあり毎年変わる。こうしたものを、全世帯くまなく毎年チェックしてBI額を調整するというのは「とてつもない膨大な手間」となり行政のスリム化など程遠い。とすると、調整型のBIなどというものはそもそも本旨から外れているのでありえないということになる。そこまで手間がかかって、なおかつ、所得税率50%……。考えるだに、あほらしくなるだろう。

ここまでで、原田型BIの問題点を整理すると以下のようになる。

(1)7万円という中途半端な額では、生保・年金・失業給付などの行政サービスはほぼスリム化できない。
(2)行政サービスをスリム化できるほどのBI額(月額13万円)では、所得税率80%にもなるため、負担感が大きすぎる。
 
とどのつまり、中途半端なこけおどしでしかない。それがまず一つ目の結論となる。


ベーシックインカムによって「超増税」社会が来る?!

ベーシックインカムによって、誰が得をして、誰が損をするのか
 
すべての人に、衣食住に必要な生計費を国が支給するベーシックインカム(BI)は実現可能だと、原田泰氏は「ベーシック・インカム~国家は貧困問題を解決できるのか~」(中公新書)にて説いた。

支給額を月13万円に増やすと、行政サービスは縮小できない

結果、人々は貧困や苦役から解放され、また、不要な行政サービスは廃止でき、国家運営もスムーズになるという。

が、氏の示す月額7万円のBIでは、とてもとても生活保護・年金・失業給付などは代替できず、追加支給のために二重行政となることを示した。そうした行政サービスを代替するためには、月額13万円にBIは増額する必要があり、その場合の予算規模は約200兆円、所得税率は80%(等価調整後でも50%)にもなる。つまり、「行政サービス縮小」という謳い文句はまるで成り立たないという第一の破綻点を前回書いた。

誰が得をして、誰が損をするのか

今回は負担と利益のバランスについての問題を考えていこう。

いったい、原田型BIでは誰が得をし、誰が損をするのか、ということだ。

まず、月額7万円という中途半端なBI額について、原田氏は、著書の中でこう書いている。

「日本の生活保護は、審査が厳しすぎる。だから支給対象者が少ない。一方で、支給されている人の額は高い。もっと、審査は緩く、広く浅く支給すべきだ」。だから月7万円を国民全員に、という話になる。

そして貧困者の代表として非正規雇用者を上げ、彼らの生活底上げをすべしと以下のように言う。

「すでに日本では労働者の4割が非正規となっている。これが格差の原因である。彼らにしっかりサポートするためには、BI的な施策が必要だ」

この両方とも、現実からとは大きく異なる。

まず、生活保護の実態について世界を見渡してみよう。原田氏のいう通り、日本の公的扶助は支給者ベースでみると給付水準が高い。ただし支給者の数が少ない。ここまでは正しい。

ただ、もう一つ特徴がある。「日本は総額予算が少ない」のだ。対GDP比でみるとOECDの最下位群に位置している。この3つ目の特徴を「捨象」した結論が原田式BIだ。どういうことか説明しておこう。

他国でも日本同様に「労働困難な人」には高額な扶助が行われている。ただし、裾野が広く、「ある程度は労働が可能な人」にまで他国では扶助がなされる。結果、他国は扶助総額の予算が増え、また、扶助されている人一人当たりの支給額が下がる。

もし、他国に合わせるのであれば、日本も扶助予算を増やし、「より広く」支給することが必要なのだ。いうならば、現状で高額を支給されている「労働困難な人」の給付を維持しながら、BIを月7万支給するという方向を考えねばならない。つまり、BIで現行制度を代替するのではなく、BIは追加的な施策とすべきだ。

非正規の多くは主婦・高齢者・学生

続いて非正規の待遇底上げについてだ。こちらは、雇用データを子細に見る必要がある。

現状、雇用者の4割にまで迫る非正規だが、その内訳がどうなっているか?

まず、圧倒的に多いのが、主婦のパート、バイトとなる。これは2009年の労働力調査に既婚・未婚・性別の分類表があるので、その当時の数字を出しておく。

2009年当時、すでに1756万人も非正規はいたが、その半数以上となる900万人が主婦だった。続いて高齢者が多いが、その中には主婦が重複するので、年齢別既婚率から女性既婚者を差し引くと、おおよそ250万人が60歳以上の高齢者(主婦を除く)となる。次に多いのが学生でその数が120万人。ここまでで、1270万人で残りは500万人を切る。

要は、非正規といってもその多くは、主婦・高齢者・学生なのだ。彼らの多くは、配偶者や親権者の収入や年金など主たる世帯収入があり、また、その他支援策も受けている。

たとえば、多くの主婦は、世帯ベースで配偶者控除・配偶者特別控除を受けており、さらに本人には社会保険免除(3号保険)の特典もある。学生も扶養家族控除や年金免除・猶予、健康保険は世帯主負担となっている。果たして彼らにBIで「生活底上げ」が必要か?

一方、高齢者の非正規に関しては、BIが基礎年金と相殺されてしまう。だから原田型BIでは全く底上げとならない。

主婦・高齢者・学生以外の非正規500万人弱の中には、障害や母子家庭、生活保護など別の給付を受けている人も少なからずいる。そうした人たちの「現状の給付」をなくし、BIを支給することで本当に生活の底上げが可能か?

また、事務職の女子など両親と同居している非正規労働者も多いだろう。彼らにもBIが必要か?

本当に生活底上げが必要な人口は200万~300万人

彼らを除いて、本当に生活底上げが必要なのに今は支援がされていないのは200万~300万人程度は存在するだろう。何らかの事情で正社員になれず、生計維持が厳しい人たちだ。

彼らに的を絞るならば、支援策ももっと手厚くできる。こうした無駄がBIの根本的問題であり、そしてシカゴ学派やリバタリアンの欠陥的行動様式だと指摘しておきたい。

精査して本当に必要な人に絞れば、手厚い支援が行える。それを生半可な概観把握により適当にばらまけば、不要な人に超過サービスとなるだけなのだ。

中間所得者には増税

結局、原田型BIでは誰が得をするのだろうか?

現在、年収0の人は84万円ももらえるようになる。ただし、年収0のうち、何かしら問題を抱えて就労困難な人は現在でも生活保護や年金などが支給されている。その額とBIとではマイナスになる可能性が高い。

現在、社会的支援が薄い人たちは純粋にBI額がプラスとなる。たとえば主婦、引きこもり者などは得をするだろう。

一方、フルタイムで働く低所得者はどうだろうか? 原田型BIでは、各種控除が撤廃され、年額84万円のBIが支給される代わりに、労働報酬については一律3割の新所得税が徴収される。年収200万円の人は、BIと所得税の差分は24万円、年収250万円だと9万円しかない。

年収280万円の人は、BIと新所得税が相殺されて支給額は0となり、そこから増収すれば税金を徴収されるようになる。単身者で考えると、300万円を超えたあたりから、現状よりも増税となっていく。

年収500万円の単身者では年間で50万円程度の損となり、700万円では100万円を超える。

中間所得者にとっては大幅な増税であり、専業主婦は得をする。これでは「女性は家庭に入れ!」という流れが強化され、少子化社会での労働欠損が助長されるだろう。

さらに、高額所得者にはこの税制下では大幅な減税ともなる。

現在、年収4000万円超の限界税率は45%。年収1800万円超でも限界税率は40%だ。それ以上の収入でも原田型BIでは所得税は30%ですみ、彼らにも彼らの世帯構成員にも年額84万円ものBIが支給される。こんなおかしな制度を日本銀行政策委員会審議委員たる人が主張しているのは全く理解に苦しむばかりだ。

原田型BIは、労働報酬に網羅的に30%の所得税をかける、という言葉でまやかしをしているが、その正体は以下の通りだ。

■所得税の規模を13.9兆円から77兆円へと、63兆円も増税する。
■その税負担を中間所得層に強いる。
■一方で高所得者の負担は軽減する。
 
結局、日本の財政を成り立たせるには、大幅な増税をし、そのうえで、行政サービスをスリム化するしかない。ただ、増税は、高額所得者からいくら搾り取っても、その人数自体が少ないために、税額はあまり上がらない。一番効果的なのは、ボリュームゾーンである中間層の税率を上げることだ。ただ、彼らは人数が多いだけに、選挙の票数に直結する。だから、政治家が彼らに高負担を強いることは難しい。

狙いは超増税・サービス低減?

こんな中で、どの国も負担感が少ない消費税という形で時間をかけて少しずつ税率を上げてきたのだ。ただ、63兆円を増税ともなると、消費税換算で25%ものアップになる。そんなことはとてもできやしない。

ところがBIという目くらましを使うと、一挙に63兆円もの増税ができる。それも苦戦していた中間層の負担増が、あっけなく成し遂げられる。と同時に、行政サービスも再編しながら、民生や公共事業を大幅に減らし、その上、固定資産税の増税までも成し遂げられる。

それが原田方式の本意ではないか。超増税・サービス低減を知らないうちに実現するだけの話ではないか。

そして、その63兆円は必要もない人たちにばらまかれる。今実現可能といわれるBIとはその程度のものでしかない。


海老原 嗣生(えびはら・つぐお)

1964年、東京生まれ。大手メーカーを経て、リクルートエイブリック(現リクルートエージェント)入社。新規事業の企画・推進、人事制度設計等に携わる。 その後、リクルートワークス研究所にて雑誌Works編集長。2008年にHRコンサルティング会社ニッチモを立ち上げる。


※ブログ主コメント:今日の国民の貧困は、本来、企業=資本家が払うべき賃金を減らしたことが根本原因であり、BIは資本家が払うべき賃金を資本家が、国家に、最終的には国民自身に、肩代わりさせることにほかならず、それにより社会保障の民営化=利潤機会を得た資本家によるさらなる搾取にもつながり、不正であり、不道徳である。根本原因を見直し、資本家による搾取を禁止することこそが本筋である。



・ベーシックインカムと弱者ビジネス

Prof. Nemuro🏶

https://note.com/prof_nemuro/n/n3e97b88c689f

※ベーシックインカム(BI)が話題になっているのでポイントを整理する。


アフターコロナの新しい世界を議論する「ポストコロナ構想会議」の設置が急務だ= #竹中平蔵 | 週刊エコノミスト Online https://t.co/WfeRCu1utP

— 週刊エコノミスト編集部 (@EconomistWeekly) May 27, 2020
年金を今まで積み立てた人はどうなるのかという問題が残るが、後で考えればいい。
1人に毎月7万円では年間で約100兆円の財源が必要になるが、2017年度には社会保険料と公費(税)で約120兆円の収入があり、支出も約120兆円なので、年金の2階部分の30兆円強を除いてほぼ財政中立で移行できる。





現行の社会保障制度(年金を除く)は、

◆病気や怪我で治療が必要な人
◆介護が必要な人
◆生活苦に陥った人

などの助けを必要とする人に重点的に給付されている。しかし、BIは助けを必要としない人にも給付されるので、財政中立では助けを必要とする人への給付が減ることになる。

現行の公的保険と同等の給付を求めるなら、民間保険に加入する必要があるが、

◆公的保険は応能負担だが民間保険は応益負担になる
◆保険会社の運営コストと利益の分だけ割高になる

ことから、経済弱者ほど厳しくなる。

現行制度では社会支出の半分の約60兆円が現物給付だが、BIではこれが現金給付になるので、個々人が市場で財・サービスを購入することになる。弱者ビジネスの巨大な市場が出現するので民間企業にとっては大チャンスである。

BIが「小さな政府」を実現するためのショック・ドクトリンであることには要注意。「金は配るから後は自助で」がBIの本質である。

◆行政によるきめ細かい救済→大きな政府
◆行政は金を配るだけ(後は個々人の自由な選択に任せる)→小さな政府

自由な選択には「貧しくなる自由」も含まれる。

保険は宝くじのようなもので、各人が払い込んだ原資が「当籤した=保険事故に遭った」人に支払われる(経済的保障機能)。事故が重大になるほど当籤金も多額になる。原資は民間保険では応益負担だが、社会保険では応能負担になる。

集めた原資を当たり外れとは無関係に全員に等しく分配するのがBIで、自分は大当たりしないので払い損になると予想する人々の支持を得やすい。分配金の使途は個々人の自由な選択に任される。経済的保障を求める人は民間保険に加入することになる。

ある意味での「公平」のために社会保障制度を骨抜きにするのがBIということになる。


・月7万円で「生活保護廃止」 竹中平蔵氏が提唱するベーシックインカムは何が問題か?(YAHOO!ニュース 2020年9月25日)

今野晴貴 | NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

※東洋大学教授・パソナグループ取締役会長である竹中平蔵氏のベーシックインカム(以下、BI)をめぐる発言が波紋を呼んでいる。

注目を集めているのは9月23日に放送されたBS-TBSの「報道1930」での同氏による提案だ。竹中氏はこの番組の中で、「毎月7万円のベーシックインカム」を導入することで「生活保護が不要になり、年金もいらなくなる。それらを財源に」と大胆な提案を行った。これをきっかけに、BIをめぐる論争が再燃している。

あまり深く考えなければ、無条件に毎月7万円の給付が得られることは、喜ばしいことに感じられるかもしれない。しかし、この魅力のなかには、「BIの罠」とでも呼ぶべき誤解が潜んでいる。BIは、文脈によっては、より不安定で過酷な労働に人びとを駆り立てる可能性もあるのだ。

本記事で、BIについての基本的な解説をしたうえで、竹中氏が提案するBIが、働く人びとにとってどのような意味をもつのかを検討していこう。

ベーシックインカムの「メリット」
 
一定額の現金を給付するというBIは、原理的には「労働と所得を切り離す」ことを目的に提唱されてきた。給付に際しての条件をなくし、すべての人に無条件で(労働を条件としないで)一定額の現金を給付することで、これが実現する。

「労働と所得を切り離す」とどんな効果があるのだろうか?

現在の日本では、失業者は雇用保険が切れると派遣やアルバイトなど、低処遇の仕事でも働くしかない。日本の雇用保険の要件は厳しく、失業者の受給率は2割程度という極めて低水準である。そのため、常に失業者の8割の人が、厳しい就労圧力にさらされている。

同時に、この厳しい就労圧力は、とんでもない過酷労働を強いる「ブラック企業」で働くことや、過労死しそうでも辞めることができないという状況にもつながっている。

この状況に対し、BIによって労働者の基礎的な収入を確保されれば、労働者は嫌な仕事に従事する必要はなくなる。そのため、劣悪なブラック企業や非正規雇用が減少していくことが期待できるのだ。

また、現状では、生活保護を受けようとすれば、「甘えている」とバッシングされてしまう。しかし、BIの場合には、労働と切り離された審査不要の現金給付であるために、そのようなスティグマ(烙印)を発生させることもない。

さらに、労働を条件としない所得保障であるBIは、社会保障給付の手続きを簡素化し、給付対象を選別するなどの無駄な行政コストを削減することにもつながる。

これらの「メリット」があるからこそ、BIは生活保護に代わる政策として、注目を集めてきた。

罠(1) ベーシックサービスとの対立
 
では、「BIの罠」はどこにあるのか。第一の罠は、BIを実現しようとする際に、他の社会保障政策と予算の都合上対立してしまうという点だ。

人間には、医療や介護、教育、保育、住宅など、生きるために必要不可欠の、いわば「ベーシックニーズ」が存在する。それらのニーズを保障する政策は、現金給付であるBIに対し、「ベーシックサービス(BS)」と呼ばれる。

医療や学校を無償とするBSが実現すれば、生活にかかる経費は非常に少なくなり、過酷労働に無理矢理従事する人や、生活保護を受給する必要がある人は、かなり絞られてくるだろう。

また、ベーシックサービスを全員に保障すれば、必要な人が誰でも給付を受けることができるため、やはり選別などの行政コストは削減し得る(ただし、無償となる分給付が多くなる点や、効率的なサービス給付主体に関する課題も指摘されている)。そのため、スティグマを削減する点でBSはBIと同じような効果を持つ。

ここで問題なのは、先に述べたように、このBSとBIは「対立する関係にある」ということだ。現実の予算が限られている中でBIを実現しようとすれば、ほぼ必然的にBSを削減しようという話になるからだ。

少し詳しく考えていこう。現在、単身世帯の生活保護支給額の水準は月額12万円程度である(後述するように、竹中氏のいう「7万円」は生活保護水準よりもずっと低い)。財政学者の井手英策氏によれば、これを全国民に給付する場合、173 兆円の予算が必要になる。

これを純増税で賄うとすれば、消費税1%で2.8 兆円の税収のところ、税率を現在よりも62%上げなければならない。したがって、既存の社会保障を廃止し、これをBIとして給付することにならざるを得ない。

井手氏によれば、現在の社会保障給付費は121 兆円であるため、医療も含めて全廃するとしても、さらに23%の消牧税の引き上げが必要になるという。

参考:『ベーシックインカムを問い直す』所収「財政とベーシックインカム」

このように、現在の税制の下でBIを実現しようとすれば、既存の社会保障政策の縮減は不可避で実行されることになり、それは「個々人の生活ニーズ」を保障するBSの縮減を意味するのである。

なお、仮に消費税の大増税によってBIを実現しようとすれば、結局可処分所得が大幅に減少するため、12万円よりもさらにBIの額を増加させなければ生活水準を維持できなくなる。

罠(2) 生存が保障されない

BSとBIの対立は、さらなる「罠」をも引き起こす。「生存が保障されない」ということが、第二のベーシックインカムの罠である。

仮に、BSの削減に加え、何らかの税制措置によって、月額12万円の現金給付が実現したとしよう。そうした場合には、今度は「12万円では必ずしもBSをまかなえない」という問題に直面することになる。

医療や教育など、人々の生活上のニーズは異なっているため、12万円だけでは生活できない場合も多い。例えば、突然親が要介護になってしまえば、その負担は現役世代が負わなければならないし、必要な医療の程度は予測できるものではない。

BIの最大の問題は、実際には最低限の生活を保障しないと言うことなのだ。そして、将来の不安が大きければ、貯金のためにより多くを稼ぐ必要もでてくる。見通しが立たない分、その必要額は、際限なく膨らんでしまうだろう。

その結果、BIの効用だとされる「労働と賃金の切り離し」は実現することがない。

ベーシックニーズが十分に保障されない社会では、生活に必要なモノを確保するためには、やはり労働が必要とされるからだ。

このように、ベーシックニーズを満たすための社会保障制度が削減される前提で、BIが進んでしまう場合には、今よりも家計は圧迫され、かえって過酷な労働へと人びとを駆り立てる危険性をも孕んでいる。

竹中氏が提案するベーシックインカム
 
次に、竹中氏によるBIの提案を具体的に検証してみよう。番組で提案された議論は、同氏の著書『ポストコロナの「日本改造計画」』(PHP研究所)のなかでも展開されている。

同書でも、番組と同様、「1人に毎月7万円を給付する案は、年金や生活保護などの社会保障の廃止とバーターの話でもあります。国民全員に毎月7万円を給付するなら、高齢者への年金や、生活保護者への費用をなくすことができます」と述べている。

さらに、同書によると、本来は「労働と所得を切り離す」ことに目的があるはずのBIだが、竹中氏にとってはそうではないようだ。

「毎月20万円もらえるとなれば、働かない人も増えるでしょう。これが月に7万円なら、不足分を働いて補おうとなります。このようにして、極めて公平な社会保険制度を、新たに作り上げていくべきです。」(前掲書)

竹中氏にとっては、働かなくても十分な金額を保障することははじめから想定されていない。そもそも、労働と所得の切り離しを目的としない点に、竹中氏が提案するBIの核心があると見て良いだろう。

年功賃金に依存した日本の社会保障
 
では、竹中氏が提案するBIを導入すれば、日本社会はどうなるのか。

実は、日本では、BIと対の関係にあるベーシックニーズを満たすための社会保障政策(BS)が、そもそも貧弱である。この点を留意して考えていく必要がある。

戦後の日本社会は、現物給付による社会保障政策ではなく、年齢と共に上昇する年功賃金によって、生活ニーズを充足するように設計されてきた。 

そのため日本では、ベーシックニーズを保障するための社会保障は、他の先進国に比してきわめて脆弱である。住居や教育の費用の自己負担は大きく、多くの人が「ローン」によってそれらを賄っていることが象徴的だ。

老後の生活や育児、教育など多くのベーシックニーズは、年功賃金を前提していたり、企業福祉に依存しているのである。

したがって、年功賃金や企業福祉が適用されない非正規雇用労働者は低賃金であるばかりでなく、ベーシックニーズを満たすことができない「ワーキングプア」の状態に置かれ、まともに世帯形成もできず、社会的にも差別されている。

毎月7万円のBIが実現したとしても、住居や医療、介護などのベーシックニーズが満たされるわけではないので、非正規労働者の生活は不安定なままだ。

BIの導入が生活保護や年金の削減とセットで行われ、既存の社会保障制度まで削減・解体していくことになれば、非正規労働者たちは、ますます貧困状態に落とし込まれ、過酷な労働に駆り立てられてしまうことにもつながるだろう。

生存すら保障しない究極の自己責任社会
 
竹中氏は生活保護制度の廃止も主張しているが、これもはなはだしく危険な主張である。

生活保護制度は、収入が、国が定める最低生活費を下回り、処分可能な高額な資産などを持っていない場合に利用できる。また、生活費や家賃だけでなく、必要に応じて医療や介護、教育、出産、生業、葬祭などの費用が保障されている。

つまり、生存に不可欠の社会的サービスを、最終的に保障している制度こそが、「生活保護」なのである。

毎月7万円のBIと引き換えに、この最低限度の生存保障を廃止するのであれば、「7万円はあげる代わりに生存は保障しない」と言っているのに等しい。これでは生存権の否定である。

国家は毎月7万円配り、それ以上のことは「自己責任」で行なわれるということになれば、非正規雇用労働者の貧困や差別はよりいっそう強化され、あるいは、高額医療費のかかる病人や要介護者の「生存権」さえも否定されてしまうことになるのだ。

賃金引き下げにBIが利用される
 
さらに、日本ではBIの導入が賃下げにつながる可能性も高い。

欧米の場合、労働条件は、属性や企業規模にかかわりなく「仕事(ジョブ)」で賃金が決定される「同一労働同一賃金」の原則が確立している。

しかし日本では、企業を超える横断的な賃金規制はほとんど存在せず、評価基準も属人的であり、企業による恣意的な決定が可能となっている。

そのため、労働条件は、企業の都合によって「柔軟」に変更されるのである。近年の「ブラック企業」問題をみればこのことは明らかだ。

仮にBIで毎月7万円されたとしよう。月給20万円の労働者につき7万円の給付があったとしても、給与が13万円になってしまえば意味はない。

単純すぎる図式化であると思われるかもしれないが、これと実質的に変わらない方法は、固定残業代を典型として、諸手当や各種の法制度の適用を操作することで、周到に実施することが可能であるし、実際に広範に行なわれている。

(ブラック企業の実態については、拙著『ブラック企業 日本を食い潰す妖怪』、『ブラック企業2 「虐待型管理」の真相』を参照してほしい)。

したがって、BIの導入は、それを口実に、企業の人件費の節約につながる可能性が高いのである。実際に、現金給付は賃下げにつながることは、その最初の実験である19世紀イギリスの「スピーナムランド制」以来、つとに指摘されてきた。

竹中氏も前掲書のなかで、今回のパンデミックにより「生産性の低い人の給料は下がらざるを得ないかもしれません。その分をある程度、ベーシックインカムで保証するのです」と述べており、(社会保障削減とセットになった)BIと賃下げが同時に進むことを示唆している。

竹中氏の目指す日本社会像
 
竹中氏はBIを「国民のために」と言うが、その内容を見ると、本当に目指しているのは、いっそうの低福祉社会であり、生存ギリギリの状態で人びとが「どんな条件でも」働き続けるような、厳しい底辺労働市場の拡大のように思われる。

そして、それは「派遣労働市場」の拡大に直接結びついていることも指摘しておかなければならない。

非正規雇用は90年代中頃から2000年代にかけて急激に増大していった。竹中氏は、小泉政権のもとで経済財政政策担当大臣として、労働者派遣法の規制緩和をはじめ、非正規雇用を拡大する諸政策の旗振り役だった。

また同氏は、現在、内閣日本経済再生本部産業競争力会議(民間)議員や内閣府国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員も務めており、人材派遣のリーディング企業であるパソナグループの取締役会長という立場でもある。

竹中氏が、独自のBI論を主張し、非正規雇用の賃下げを自ら容認する姿勢を示している背後には、自分自身に「利益」があるのではないかと批判されても仕方のない構図だろう。

コロナ危機に乗じて、BIという甘言を用いながら、さらなる雇用の流動化と不安定化を推し進めていこうという意図があると考えざるを得ない。

本当のBIとは
 
BIと言っても、そのヴァリエーションはさまざまである。私たちが、本当の意味での自由を実現するためには、竹中氏が提唱するようなBIに飛びついてはいけない。

医療や介護、教育、住宅などのBSが社会保障制度によって保障されていることが、BIによって自由を実現するための前提条件になるのだ。

この論点については、筆者も寄稿している『ベーシックインカムを問いなおす』(法律文化社)や拙稿「ベーシックインカムを日本で導入しようというならば」(『世界』2020年9月号)で、より詳細に検討を行ってきたので、ぜひ参照していただきたい。

同様のことは、BIが議論される際にはつねに警鐘が鳴らされてきた。たとえば、気鋭の若手政治学者であるニック・スルニチェクは、BI推進派の立場から、BIは両義的な政策であるとした上で、既存のサービスを削減して実現する場合には新自由主義政策にしかならないことを指摘している。

また、日本でも著名な人類学者デイヴィッド・グレーバーは、『ブルシット・ジョブ』のなかで、公的社会サービスのさらなる充実こそがBIが機能する前提であると論じている(残念ながら、グレーバーはつい先日亡くなってしまった)。

BIは、すべての人に一定額の現金を給付するというそのシンプルさゆえに人びとを惹きつけるが、その「負の側面」にも目を向け、その有効性を議論していかなければならない。

おわりに
 
菅新首相は竹中氏と近い関係にあり、今後、竹中氏が新政権の政策をリードするとみられている。

2000年代に非正規雇用労働者の拡大を推し進めてきた竹中氏が再び表舞台に立ち、国家や企業の利益のために、私たちの生存権が脅かされようとしている。

竹中氏の主張するBIで、私たちの生活が劇的に改善することはない。むしろ本記事で検討してきたように、竹中氏が提唱するBI論は、生活の不安定化を促進し、人びとをよりいっそう労働に駆り立てていこうとするものである。

竹中氏が目指す社会像に対抗していくためには、NPOや労働組合などを通じて、生存する権利のために求め声をあげていくことが、何より重要であろう。一方的に「上から」働き方や生活を決められることに従うのでなく、生活可能な賃金や社会保障を自分たちで「下から」求めていくことが、この状況を変えていくために必要だと思う。

今野晴貴

NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
NPO法人「POSSE」代表。年間3000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。著書に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。2013年に「ブラック企業」で流行語大賞トップ10、大佛次郎論壇賞などを受賞。共同通信社・「現論」、東京新聞社・「新聞を読む」連載中。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。POSSEは若者の労働問題に加え、外国人やLGBT等の人権擁護に取り組んでいる。無料労働相談受付:soudan@npoposse.jp。


・ベーシックインカムの致命的欠陥 解決不能な「誰に支給するのか」問題(マネーポストWEB 2021年8月30日)

※世界で拡大する一方の経済格差を解決するための方策のひとつとして、「すべての国民に生活に必要な額を毎月給付する」ユニバーサル・ベーシックインカム(以下、UBI)の導入を提唱する人たちも増えている。自助・共助・公助のうち公助を拡充する考え方だが、はたしてUBIを導入することで、経済格差は解決されるのだろうか。話題の新刊『無理ゲー社会』で最新の経済理論をもとに「よりよい世界」を作る方法について検証している作家・橘玲氏が、UBIがはらむ大きな問題点について指摘する。

 * * *

UBIは収入や資産にかかわらず全員一律に毎月定額を支給する最低所得保障制度で、日本ではもともとリベラルのあいだで広まったが、橋下徹時代の「維新の会」が政策に掲げたことで注目を集め、近年では竹中平蔵のような“ネオリベ(新自由主義者)”や、オリックス元会長・宮内義彦のような経済人も積極的に提唱している。

UBIにはさまざまなメリットがある(だからこそ多くの賛同者がいる)が、その一方で、「財源をどうするのか」「労働意欲がなくなるのではないか」などの強い批判がある。だが不思議なことに、この制度の致命的な欠陥についてはほとんど議論の俎上にのぼることがない。それが、「誰に支給するのか」だ。

移民にもUBIを支給するのか
 
ジャーナリストのアニー・ローリーは、進歩的左翼の立場から、「賃金払いの条件は、あなたが、ただそこで生きていること」というUBIに希望を見出し、その実現可能性を探るために、政治家、経済学者、シリコンバレーの投資家、ファストフードで働くシングルマザーなどにインタビューし、欧米だけでなく実験的にUBIを導入したアフリカやインドにまで足を延ばして取材した(*)。

【*参考:アニー・ローリー『みんなにお金を配ったら ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?』みすず書房】

この旅でローリーは、UBIにはよりよい未来をつくる大きな可能性がある一方、さまざまな課題があることにも気づかされた。それでも、経済格差や人種差別、女性(シングルマザー)の貧困など、現代社会が抱える多くの難問をUBIが解決できるという楽観論は一貫している。

だがそんなローリーですら、「移民にもUBIを支給するのか」との問いにはひるまざるを得なかった。

経済学者のジョージ・ボージャスは、移民がより恵まれた給付制度のある国に集まってくる「福祉磁石(ウェルフェア・マグネット)」について論じ、保守派から多くの賛同を得た。だが夫婦でノーベル経済学賞を受賞した開発経済学者のアビジット・バナジーとエステル・デュフロによれば、実際には、移民は現地の失業率を上げることなく地域経済を活性化し、福祉の給付額より多くの税金を納めている(*)。

【*参考:アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』日本経済新聞出版】

これは心強い事実だが、しかし、気前のいいUBIを実施しても「福祉磁石」を避けられるかどうかは、当然のことながらどこもやったことがない以上、知りようがない。

アメリカはきわめて「多様性」に富む社会で、市民権をもつ「国民」のほかに、グリーンカードを所持する永住者、就業ビザで働く合法的な移民、ビザなしで就業する不法移民などが混在している。国籍は出生地主義なので、両親が不法移民でもアメリカ国内で出生した子どもは無条件に市民権が付与される。

こうした状況でUBIを実施したら、いったいどうなるだろう。「反移民感情が深まり、反移民的な制限や政策の施行に拍車をかけるのではないか」とローリーは懸念する。「また、二重労働市場の創出を促し、企業が自国生まれの市民よりもはるかに安く雇える人材として不法労働者を求めるようになるかもしれない。あるいは人的な流入のない国家になって、経済が硬直化し新鮮さを失っていくかもしれない。UBIが卑劣な人種差別の助長につながることがあるかもしれない」

この問題はどのように解決できるのか。これについてローリーは、一行、こう書くだけだ。答えは簡単には出ない。進歩主義者にとっては特に直視しづらい問いである。

「日本人」はいくらでも増やせる
 
ベーシックインカムをめぐる議論では、移民や外国籍の居住者(彼らも国内で働いていれば所得税・住民税、社会保障費などを納めている)の受給資格をどう考えるかですらほとんど論じられない。UBI推進論者がこの話を避けたがるのは、いったん問題提起すれば議論百出のやっかいな事態になるとわかっているからだろう。

だが現実には、UBI受給者を国民に限定したとしても大きな混乱が予想される。それは、「日本人」の家族をいくらでも増やせるからだ。

この話は前著『上級国民/下級国民』(小学館新書)でも書いたが、現在の日本の法律では、日本人の親から生まれた子どもは無条件に「日本人」と認められる。日本人の男/女が海外で婚姻した場合は、妻/夫は帰化の手続きをとらなければ「日本人」になれないが、子どもは出生届を現地の大使館・領事館に提出するだけで日本国籍が付与される。

世界銀行のレポートによれば、世界には1日1.9ドル(約200円)以下で暮らす貧困層が世界人口の9.4%、7億3000万人もいる(2020年)。年収に換算すれば、わずか8万円以下にしかならないひとたちだ。──以下の記述では簡便化のため、1ドル=100円で計算する。

UBIの支給金額にはさまざまな案があるが、ここでは欧米で広く使われている「1人毎月1000ドル(≒10万円)」としよう。夫婦と子ども2人の家族なら月額40万円、年収480万円だから、憲法で定められた「健康で文化的な生活」はじゅうぶん可能だ。

アフリカや中南米、東南アジア、南アジアなどには、貧困のため将来になんの希望もない若い女性がたくさんいる。そこで日本人男性が18歳以上の貧しい女性と結婚し、妻が30代半ばになるまでに10人の子どもを産んだとしよう。これで、(子どものUBIだけで)月額100万円、年1200万円の収入が働かずに自分のものになる。

こうした取引は非人間的に思えるかもしれないが、最貧困の女性にとってはけっして悪いものではない。先進国での快適な暮らしと、たくさんの子どもたちとの「家族のきずな」が手に入るのだから。

だが話はこれでは終わらない。妻が出産適齢期を過ぎたら(慰謝料を払って)離婚し、18歳の女性と再婚してまた10人の子どもをつくることができる。男の場合は60代まで生殖能力があるから、これを3回繰り返すことはじゅうぶん可能だし、精子を冷凍保存しておけば生きているあいだずっと(100歳でも)子どもを産ませることができる。

こうした極端なケースを除いて、生涯に30人の子ども(男女半々)ができたとして、息子が同じように30人の子どもをつくり、娘は10人の子どもを産むとしよう。すると孫の数は600人(息子の子ども450人+娘の子ども150人)になり、月6000万円、年7億2000万円のUBIが入ってくる。

しかし、これでも話は終わらない。この孫のうち、男女が半々として、やはり全員が同じように子どもをつくるとすると、ひ孫の数は1万2000人になる。これでUBIは月額12億円、年144億円だ。もしあなたが20代前半でこれを始めたとしたら、30代で億万長者、80代か90代でビリオネア(資産1000億円)になれるだろう。

バカバカしいと思うだろうが、これは1家族の実現可能なシミュレーションだ。同じことをやる日本人の男が何万人、何十万人と出てきたら、いったいどうなるのか?

これはけっして荒唐無稽な想定ではない。なんといっても、大金持ちになるためにやることはセックスだけなのだから。──「先進国の男たちの欲望によって世界から貧困層がいなくなる」という別の理想主義を唱えることは、原理的には可能かもしれないが。

こうした事態を避けようと思えば、誰が「日本人」で誰がそうでないかを厳密に区別するほかない。たとえば国家が「日本人遺伝子」を決めて、それを70%超保有している場合にしかベーシックインカムの支給対象にはしない、とか。これはまさに「優生学」そのもので、UBIの理想が実現すれば、わたしたちは人類史上もっともグロテスクな「排外主義国家」の誕生を目にすることになるはずだ。

【プロフィール】

橘玲(たちばな・あきら)/1959年生まれ。作家。国際金融小説『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』などのほか、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『幸福の「資本」論』など金融・人生設計に関する著作も多数。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。その他の著書に『上級国民/下級国民』『スピリチュアルズ「わたし」の謎』など。リベラル化する社会の光と影を描いた最新刊『無理ゲー社会』が話題に。

※橘玲・著『無理ゲー社会』(小学館新書)より抜粋して再構成


・BI、各政党が税負担併記で提示し国民選択提案(エコノミックニュース 2021年12月5日)

※政府の新しい資本主義の中核をなす「デジタル田園都市国家構想実現会議」のメンバーになっている竹中平蔵パソナグループ取締役会長は「ベーシックインカム(BI:政府が国民全員に最低限生活に必要な現金を支給すること)」について、東洋経済オンラインインタビューで具体的な額にあがる「月額7万円」について「日本銀行審議委員も務めた原田泰さんの試算で、今の年金や生活保護の予算を小さくできるので、月7万円程度であれば大きな財政負担にならずに実施できるという、1つの基準として出している額」と説明した。

竹中氏は「ほかの税金を上げ、歳入を増やせばもっと高額にできるし、そこまで必要ないということであればもっと少なくもできる。それは国民の政治的判断」としたうえで「私の政党

の支給額はこのぐらい、その代わり税金はこのぐらい、というチョイスを各政党が競って、国民に選んでもらえばいい」と提案した。

ベーシックインカムを導入した場合、生活保護の何を残し、何をなくすかについては「さまざまな考え方があるので、その議論を始めたらいい」と議論入りを促した。

竹中氏は「現在のような生活保護の制度はなくなる。でも、例えば疾病のある方の医療費を無料にするといったことはまた別の救済措置が必要で、そんなに単純な議論ではない」とした。

ベーシックインカムを巡っては全国一律同額であれば地方に移住して暮らす人も出てくるとして、地方活性化になる事をあげる人もいる。竹中氏は「これは究極の社会保障と税の一体改革でもあって、実現すれば国税庁と年金機構をデジタル歳入庁とでもいうべき機構に統一できる」として行政コストの削減にもなるとしている。

国民民主党は今回の総選挙公約に「マイナンバーと銀行口座をひもづけ、手当や給付金が申請なしで自動的に振り込まれるプッシュ型支援の実現『日本型ベーシックインカム』の創設」を公約にしていた。