・インドの監視管理システム強化は侮れない 日本との関係は......(Newsweek日本版 2020年8月3日)
※──インドの動向は少なからず、日本に影響を与えることになる.....
■ デジタル権威主義三つの柱
インドと聞いて何を思い浮かべるだろうか? 神秘の国? デジタル先進国? 人口の多い国? 現在、インドはデジタル権威主義国と呼ばれている。その実態をご紹介したい。
デジタル権威主義とは権威主義体制がデジタル技術を利用して監視強化などを行うことを指す。デジタル権威主義大国の代表格である中国、ロシアにはそれを支える三つの仕組みがある。
1.監視 監視カメラ、SNS監視などさまざまなデジタル技術を用いて、国民の行動を監視する
2.世論操作 ネット世論操作、メディア操作を通じて世論を操作する
3.国民管理システム IDに生体認証情報(指紋や顔など)、資産、住所、職業、家族構成、購買行動、移動など網羅的に把握、管理する
「1.監視」と「3.国民管理システム」については、IT関連のレビューを行っているcomparitech社が67カ国を対象に国民監視システムの利用状況についての調査を行ってレポートを公開している(2019年10月19日)。これによればインドは1位の中国、2位のロシアにつぐ3位である。
また、「2.世論操作」に関しては、世界各国で行われているネット世論操作を研究しているオクスフォード大学のComputational Propagandaプロジェクトの年刊の事例研究で盛んにネット世論操作が行われていることが取り上げられている。こうしたことから考えて、インドが世界有数のデジタル権威主義国であることは間違いないと言えるだろう。
多くの日本人にとってインドはあまりなじみがない国だが、実は日本の将来を左右する深い関係がふたつある。
1.一帯一路に対抗するインド太平洋構想のパートナー
インド太平洋構想を日本政府は掲げている。アメリカ、オーストラリア、インド、ASEANなどがこの構想にかかわっている。ただし、その内容は各国それぞれ異なっている。日本の場合は、対中関係、特に一帯一路への対抗、共存を意識したものとなっており、日本の未来に重要な意味を持つ。
2.日本のNECがインドのデジタル権威主義のインフラを提供
日本のNECはアメリカのアービング警察、ロンドン警視庁、オーストリア連邦警察、デルタ航空、など70カ国以上、1000を超える認証システムを販売している監視ソリューションの世界大手である(2019年2月18日)。カーネギー国際平和財団のレポート(2019年9月17日)でも世界的なAI監視システム提供事業者として中国企業やアメリカ企業とともにNECが掲載されている。
2019年6月29日に行われた内閣府主催の「スーパーシティ スマートシティフォーラム 2019」でもインドのシステムが紹介されており、これが日本政府の目指すスーパーシティの具体的な姿のひとつであることがわかる。海の向こうのあまりよく知らない国で起きていることではなく、日本の近未来の姿ととらえた方がよいだろう。
ちなみに一時期、スーパーシティの代表例として取り上げられることが多かったカナダのトロントの計画は中止になった。このプロジェクトはグーグルのサイドウォークラボが主導していたが、wiredの記事(2020年5月9日)によれば市の再開発当局はそもそも同ラボによるデータ収集が合法であるか怪しいと訝しんでいたという。
中国のファーウェイは世界各国にスマートシティのインフラを提供しており、生活圏を網羅するデータ連携はデジタル権威主義の基盤となっている。個人の全てのデータが共有され、管理されるスマートシティやスーパーシティはデジタル権威主義のインフラとなっている。そうでないとしても個人の人権を侵害する可能性を孕んでいる。日本がどのように個人の人権を守ってゆくかは大きな課題である。
■ インドの国民管理システム、Aadhaar
Aadhaar(アダハー)はインドの国民IDシステムである。日本のマイナンバーみたいなものと考えていただいてよいだろう。ただし、さまざまなデータがそこに紐付けられている。
2009年に始まったこのシステムは12億人以上の生体データを持つ世界最大の生体認証システムだ。しかもこの生体認証は、顔、両目の虹彩、両手全指の指紋を登録した高精度マルチモーダル認証となっている。これを提供しているのが日本のNECである(2019年9月)。
前掲のcomparitech社の評価項目の「IDと生体認証」でインドが中国についで世界ワースト2となっているのもうなずける。ちなみにこの指標は1から5までになっており、1が最低である。全ての国の中で中国とインドのみが2未満となっている。
FOREIGNE AFFAIRSの記事(2020年2月19日)によれば、Aadhaarは納税や福祉給付金の受け取りに必須になっており、銀行取引や携帯電話番号なども含めようとしたものの最高裁によって阻まれた。
運用において特定の州の有権者の投票権を取り上げたり、個人を特定して権利を剥奪することもデータベースを操作するだけで可能となっている。Aadhaarデータベースを民間企業が利用することが許可されていることも深刻な問題だ。インド政府はAadhaarを利用した監視強化を進めようとしており、国民の権利を脅かしているとしている。
さらに2020年3月17日のHUFFPOSTは、より緻密でリアルタイムで更新される監視システムの導入が検討されていることを暴露した。同記事によれば、移動、転職、不動産購入、家族の増減、結婚などの情報がリアルタイムで更新され、最終的に宗教、カースト、収入、財産、教育、婚姻、雇用、障害、家系図データなど全てを統合したシステムにしようとしていた。さらに各戸にジオタグをつけ、インド宇宙研究機関(ISRO)のシステムと統合することも考えている。
最終形のAadhaarが実現すれば全国民の個人情報はリアルタイムで政府および民間企業の手にわたることになる。そして担当者がクリックするだけで、ステータスを変更し、権利を取り上げ、市民として活動できなくすることも可能だ。そしてネット世論操作が当たり前に行われている国である以上、与党あるいは為政者がその立場を堅牢なものにするための悪用を行う可能性は低くない。さらにベネズエラのように政府を支持する言動をSNSで行ったものに報奨金を支払う制度まで備えれば、より強固なものとなる。
■ インドで進む監視強化
インドでは監視カメラや顔認証システムを用いた監視が進みつつある。インド北部のウッタルプラデーシュ州で暴動が発生した際、1,100人以上が逮捕されたが、その特定には25台のコンピュータによる顔認証システムの力があった(The Atlantic Council、2020年2月10日)。インドでの抗議活動では顔認証を避けるため顔を隠すようになっているという。
とはいえインドの監視カメラの設置台数は100人に対して0.9台(ニューデリー)とまだ低い水準である。中国上海の11.3台/100人に比べると、大きな開きがある。しかし、急速に拡充している。インドの認証システムの市場は2018年の段階で7億ドルだったが、2024年には40億ドルに達すると予測されている(ロイター、2020年2月17日)。
インド国内の企業も力をつけてきている。インドのスタートアップ企業 Innefu Lab社の開発したAI Visionは、顔認証に留まらず、歩き方や動作も認証できる。警官に意思を投げている人物のみをピックアップして特定できる。AI Visionはインドの10の州に導入されている。同じくスタートアップのStaqu社は、前述のウッタルプラデーシュ州を含む8つの州にPolice Artificial Intelligence Systemを提供している。
2019年後半、インド内務省のNational Crime Records Bureau (NCRB)は世界最大級の大規模な監視システムの導入を発表した(Deutsche Welle、2019年7月11日)。インドでは国民10万人あたりの警官の数が144人と世界最低水準であり、犯罪捜査に支障をきたしている。このシステムによって警官不足に対応する。データは全土で共有する予定となっていた。このデータベースは監視カメラの映像に留まらず、SNSの投稿や新聞記事など一般公開されている画像、パスポート、犯罪記録などとも連携する。
このシステムは16,000の警察署、7,000の庁舎、およびモバイルアプリで使用されると伝えられました。合計で約80,000人のユーザーが想定されており、最大2,500の同時リクエストを処理できなければならないとされている(BiometricUpdate.com、2010年7月14日)。決定は数回延期され、2020年7月の段階ではまだ決定していない。日本のNECも入札に参加し、残っている。
こうした動きとは別に個別に監視強化を進める動きもある。2020年3月16日のロイター記事によれば、インドは100の都市の中心部のスマート化を進めており、その一環として地方自治体で労働者の勤務状況をGPSで管理しはじめている。
労働者は勤務時間中、GPS機能のついたバンドを装着し、居場所によって勤務開始時間、終了時間を測定される他、休憩している時間まで把握されてしまう。ただ、当然ながらかなりの誤差を伴うことがある。にもかかわらず、測定数値によって自動的に勤務状況が把握され、給与カットなどが行われるようになった。そのため労働者たちは抗議の声をあげている。
インド政府は2020年4月9日に、接触追跡アプリAarogya Setuをリリースした。コロナ対策の一環であるが、それだけではなくマイクなどの組み込みセンサーをオンにできることが発見されている他、スマートフォン内部のデータや連絡先にアクセスする可能性も指摘されている(THE DIPLOMAT、2020年4月14日)。コロナを口実にした監視強化を疑われている。
最終的にこれらがAadhaarとどのように統合される(あるいはされない?)かは不明であるが、着々と監視網を拡充していることは間違いない。インドには諜報機関が最低でも16存在しており、それぞれ異なる組織となっており、全体像が把握しにくい。代表的なものだけでも、
The National Investigation Agency(NIA)、
National Technical Research Organization(NITRO)、
Research and Analysis Wing(RAW)、
Intelligence Bureau(IB)、
Central Bureau of Investigation(CBI)、
Defense Intelligence Agency、Military Intelligence Directorate
などがある。
■ 世界最大の民主主義イベント、インド総選挙の主役はネット世論操作
インドのネット世論操作については、前掲のオックスフォード大学のComputational Propagandaプロジェクトの年刊の事例研究と拙稿(2019年5月30日)にくわしいが、要点をかいつまんでご紹介したい。
最初にお話しておきたいのは、ネット世論操作はインドの選挙におけるもっとも重要な武器であること、そして世界の多くの国でもそうなりつつあるということである。
有権者9億人以上、政党の数2,293、候補の数8千人以上、投票所の数100万以上という未曾有の規模で行われた昨年のインド総選挙は「世界最大の民主主義イベント」と称された。勝利したのはモディ首相が率いる与党であるインド人民党(BJP)だった。
インドはネット世論操作が盛んに行われていることでも知られている。多くの国ではネット世論操作は産業として根付いており、ネット世論操作大国であるインドでも産業ができている(The Atlantic、2019年4月1日)。選挙の際には、フェイクニュースを流布させるための多数のトロール(人手によるフェイクニュース投稿やRTなどを行う)やボット(プログラムによって投稿やRTなどを行う)を用意され、投稿のテンプレートがグーグルドキュメントによって作られて提供されていたという(Aljazeera、2018年12月11日)。
インドの政党は「IT cell」と呼ばれるネット世論操作部隊を有している他、外部の民間企業にネット世論操作を委託している。前回のアメリカ大統領選挙で話題となったケンブリッジ・アナリティカを利用していたことがわっている他、デリーのマーケティング企業OMLogic Consultingがインド人民党(BJP)と野党インド国民会議(INC)の両方にYouTubeとインスタグラムの利用についてコンサルティングしていたこともわかっている。
また、インド人民党(BJP)はNaMoというネット世論操作専用のアプリを開発しており、少なくとも2つの州ではプリインストールされた安価なアンドロイド端末が配布されている。記事によれば1000万人以上がインストールしているという。
「IT cell」の存在は広く確認されており、2019年4月1日、フェイスブック社は組織的かつ不審な活動を行っていたこれらのアカウントやページを削除した(2019年4月1日)。具体的な内容としては、野党インド国民会議(INC)の「IT Cell」に関係する687のフェイスブックページとアカウントを削除、インドのIT企業Silver Touch Technologiesに関係している15のフェイスブックページとグループとアカウントを削除、321のフェイスブックページとアカウントを規約違反で削除した。Silver Touch Technologiesは与党インド人民党(BJP)との関係が疑われている企業である。Silver Touch Technologiesがビジネスとして与党からネット世論操作を請け負っていた可能性が指摘されている(同社は否定している)。
インドではフェイスブックとWhatsAppがよく利用されており、WhatsAppには2億人を超える利用者がいる(2003年200万人だった利用者が2016年には1.6億人に急増し、2017年時点ではWhatsApp世界最大のマーケットとなった)。当然、総選挙の際のネット世論操作にも利用されている。2018年に行われたカルナータカ州の選挙ではインド人民党(BJP)とインド国民会議(INC)が5万を超えるWhatsAppグループを作り、インド人民党(BJP)が最初の「WhatsApp選挙」であると言ったほどである。
オックスフォード大学Computational Propagandaプロジェクトのレポート(2019年5月13日)によると、インドではSNSが政治ニュースや情報の主な情報源になっている。総選挙期間中、インド人民党からシェアされたコンテンツの25%以上、インド国民会議(INC)からのシェアの20%がジャンクニュースだった。それ以外の政党発信の情報のジャンクニュースの比率はごくわずかだった。陰謀論や過激な論調で対立を激化するようものが多く、フェイクニュースや極論にあふれており、ネット世論操作の状況は過去最悪だったとしている(2016年のアメリカ大統領選を除く)。
■ ジャーナリストや人権活動家に対して行われたマルウエアキャンペーン
インドでは政権を批判する言動を行うジャーナリストや人権活動家に対してサイバー攻撃が行われている。2020年6月15日、トロント大学のシチズンラボとアムネスティはインドの9人の人権活動家、ジャーナリストらがサイバー攻撃のターゲットになっていたことを報告した。
2019年1月から10月にかけてメールからマルウエアNetWireに感染させられていた。ターゲットになった9人のうち3人は以前、Pegasus(イスラエルのサイバー軍需企業NSO Groupが提供しているマルウエア)のターゲットにもなっていた。
サイバー攻撃を行った主体は判明していないが、インドにおいて言論を抑圧する勢力が存在することは確かである。
今回のサイバー攻撃で用いられるマルウエアは「商品」として販売されているものだ。一部のマルウエアは一般に目の触れないアンダーグラウンドあるいはダークウェブではなく、堂々と販売されている。中には顧客を政府や法執行機関に限定している企業もある。表向きはテロ抑止など治安や捜査目的用途を謳っているが、権威主義国で言論抑止に用いられることも少なくない。NetWireとPegasusも企業が提供するマルウエアである。特にPegasusを提供しているNSO Groupはサイバー軍需企業としてよく知られている。どちらの企業も誰でもアクセスできるウェブサイトを持っている。
■ 統一ビジョンの見えないインド太平洋構想
ここまで見てきたようにインドはデジタル権威主義国として、その基盤を固めつつある。そしてその動向は少なからず、日本に影響を与える。
日本は中国の一帯一路に対抗するためにインド太平洋構想を進めている。そこでは民主主義的価値観を標榜している(特に日本版では)。
一帯一路が「超限戦」であるように、インド太平洋構想もまた一種の「超限戦」であり、「戦い」である以上、人の心に響く大義が必要となる。ひらたく言うと中国の大義は、「旧来の宗主国とは違う新しい選択肢の提示と成長の約束」であり、インド太平洋構想(日本版)の大義は「民主主義的価値観と成長」という違いがある。
しかし、大きな問題がある。デジタル権威主義は権威主義の進化形であり、前述の三つの仕組み(監視、世論操作、国民管理システム)は国家を超え、一帯一路参加国全てを網羅する監視網、国民管理網を構築できるようになっている。実際、中国は監視システムを輸出し、社会信用システムを広げようとしている。新しい形のシステムができあがりつつある。
これに対してインド太平洋構想陣営にはネットが社会インフラとなった時代の新しい「民主主義」を構築できている国はない(その気がないのかもしれない)。イメージすら持てていない国がほとんどだ。そのため、「民主主義的価値観」を掲げているのにやっていることは権威主義国と変わらない矛盾を抱えることになる。特に今回ご紹介したインドは前掲のいくつかの記事で「中国式監視国家」と指摘されている。
旧来の価値観やシステムがうまく機能しない以上、それに代わるものが必要となる。それなしに徒党を組んでも方向性が定まらず、足並みは揃わない。掲げている大義とやっていることに矛盾があれば、ネット世論操作などの攻撃のよい標的になる。ましてや新しい「民主主義的価値観」なしにスーパーシティを実現すればインドのAadhaarのようなデジタル権威主義のインフラになる可能性が高い。デジタル権威主義国インドは、近未来日本の可能性のひとつと言えるだろう。
※──インドの動向は少なからず、日本に影響を与えることになる.....
■ デジタル権威主義三つの柱
インドと聞いて何を思い浮かべるだろうか? 神秘の国? デジタル先進国? 人口の多い国? 現在、インドはデジタル権威主義国と呼ばれている。その実態をご紹介したい。
デジタル権威主義とは権威主義体制がデジタル技術を利用して監視強化などを行うことを指す。デジタル権威主義大国の代表格である中国、ロシアにはそれを支える三つの仕組みがある。
1.監視 監視カメラ、SNS監視などさまざまなデジタル技術を用いて、国民の行動を監視する
2.世論操作 ネット世論操作、メディア操作を通じて世論を操作する
3.国民管理システム IDに生体認証情報(指紋や顔など)、資産、住所、職業、家族構成、購買行動、移動など網羅的に把握、管理する
「1.監視」と「3.国民管理システム」については、IT関連のレビューを行っているcomparitech社が67カ国を対象に国民監視システムの利用状況についての調査を行ってレポートを公開している(2019年10月19日)。これによればインドは1位の中国、2位のロシアにつぐ3位である。
また、「2.世論操作」に関しては、世界各国で行われているネット世論操作を研究しているオクスフォード大学のComputational Propagandaプロジェクトの年刊の事例研究で盛んにネット世論操作が行われていることが取り上げられている。こうしたことから考えて、インドが世界有数のデジタル権威主義国であることは間違いないと言えるだろう。
多くの日本人にとってインドはあまりなじみがない国だが、実は日本の将来を左右する深い関係がふたつある。
1.一帯一路に対抗するインド太平洋構想のパートナー
インド太平洋構想を日本政府は掲げている。アメリカ、オーストラリア、インド、ASEANなどがこの構想にかかわっている。ただし、その内容は各国それぞれ異なっている。日本の場合は、対中関係、特に一帯一路への対抗、共存を意識したものとなっており、日本の未来に重要な意味を持つ。
2.日本のNECがインドのデジタル権威主義のインフラを提供
日本のNECはアメリカのアービング警察、ロンドン警視庁、オーストリア連邦警察、デルタ航空、など70カ国以上、1000を超える認証システムを販売している監視ソリューションの世界大手である(2019年2月18日)。カーネギー国際平和財団のレポート(2019年9月17日)でも世界的なAI監視システム提供事業者として中国企業やアメリカ企業とともにNECが掲載されている。
2019年6月29日に行われた内閣府主催の「スーパーシティ スマートシティフォーラム 2019」でもインドのシステムが紹介されており、これが日本政府の目指すスーパーシティの具体的な姿のひとつであることがわかる。海の向こうのあまりよく知らない国で起きていることではなく、日本の近未来の姿ととらえた方がよいだろう。
ちなみに一時期、スーパーシティの代表例として取り上げられることが多かったカナダのトロントの計画は中止になった。このプロジェクトはグーグルのサイドウォークラボが主導していたが、wiredの記事(2020年5月9日)によれば市の再開発当局はそもそも同ラボによるデータ収集が合法であるか怪しいと訝しんでいたという。
中国のファーウェイは世界各国にスマートシティのインフラを提供しており、生活圏を網羅するデータ連携はデジタル権威主義の基盤となっている。個人の全てのデータが共有され、管理されるスマートシティやスーパーシティはデジタル権威主義のインフラとなっている。そうでないとしても個人の人権を侵害する可能性を孕んでいる。日本がどのように個人の人権を守ってゆくかは大きな課題である。
■ インドの国民管理システム、Aadhaar
Aadhaar(アダハー)はインドの国民IDシステムである。日本のマイナンバーみたいなものと考えていただいてよいだろう。ただし、さまざまなデータがそこに紐付けられている。
2009年に始まったこのシステムは12億人以上の生体データを持つ世界最大の生体認証システムだ。しかもこの生体認証は、顔、両目の虹彩、両手全指の指紋を登録した高精度マルチモーダル認証となっている。これを提供しているのが日本のNECである(2019年9月)。
前掲のcomparitech社の評価項目の「IDと生体認証」でインドが中国についで世界ワースト2となっているのもうなずける。ちなみにこの指標は1から5までになっており、1が最低である。全ての国の中で中国とインドのみが2未満となっている。
FOREIGNE AFFAIRSの記事(2020年2月19日)によれば、Aadhaarは納税や福祉給付金の受け取りに必須になっており、銀行取引や携帯電話番号なども含めようとしたものの最高裁によって阻まれた。
運用において特定の州の有権者の投票権を取り上げたり、個人を特定して権利を剥奪することもデータベースを操作するだけで可能となっている。Aadhaarデータベースを民間企業が利用することが許可されていることも深刻な問題だ。インド政府はAadhaarを利用した監視強化を進めようとしており、国民の権利を脅かしているとしている。
さらに2020年3月17日のHUFFPOSTは、より緻密でリアルタイムで更新される監視システムの導入が検討されていることを暴露した。同記事によれば、移動、転職、不動産購入、家族の増減、結婚などの情報がリアルタイムで更新され、最終的に宗教、カースト、収入、財産、教育、婚姻、雇用、障害、家系図データなど全てを統合したシステムにしようとしていた。さらに各戸にジオタグをつけ、インド宇宙研究機関(ISRO)のシステムと統合することも考えている。
最終形のAadhaarが実現すれば全国民の個人情報はリアルタイムで政府および民間企業の手にわたることになる。そして担当者がクリックするだけで、ステータスを変更し、権利を取り上げ、市民として活動できなくすることも可能だ。そしてネット世論操作が当たり前に行われている国である以上、与党あるいは為政者がその立場を堅牢なものにするための悪用を行う可能性は低くない。さらにベネズエラのように政府を支持する言動をSNSで行ったものに報奨金を支払う制度まで備えれば、より強固なものとなる。
■ インドで進む監視強化
インドでは監視カメラや顔認証システムを用いた監視が進みつつある。インド北部のウッタルプラデーシュ州で暴動が発生した際、1,100人以上が逮捕されたが、その特定には25台のコンピュータによる顔認証システムの力があった(The Atlantic Council、2020年2月10日)。インドでの抗議活動では顔認証を避けるため顔を隠すようになっているという。
とはいえインドの監視カメラの設置台数は100人に対して0.9台(ニューデリー)とまだ低い水準である。中国上海の11.3台/100人に比べると、大きな開きがある。しかし、急速に拡充している。インドの認証システムの市場は2018年の段階で7億ドルだったが、2024年には40億ドルに達すると予測されている(ロイター、2020年2月17日)。
インド国内の企業も力をつけてきている。インドのスタートアップ企業 Innefu Lab社の開発したAI Visionは、顔認証に留まらず、歩き方や動作も認証できる。警官に意思を投げている人物のみをピックアップして特定できる。AI Visionはインドの10の州に導入されている。同じくスタートアップのStaqu社は、前述のウッタルプラデーシュ州を含む8つの州にPolice Artificial Intelligence Systemを提供している。
2019年後半、インド内務省のNational Crime Records Bureau (NCRB)は世界最大級の大規模な監視システムの導入を発表した(Deutsche Welle、2019年7月11日)。インドでは国民10万人あたりの警官の数が144人と世界最低水準であり、犯罪捜査に支障をきたしている。このシステムによって警官不足に対応する。データは全土で共有する予定となっていた。このデータベースは監視カメラの映像に留まらず、SNSの投稿や新聞記事など一般公開されている画像、パスポート、犯罪記録などとも連携する。
このシステムは16,000の警察署、7,000の庁舎、およびモバイルアプリで使用されると伝えられました。合計で約80,000人のユーザーが想定されており、最大2,500の同時リクエストを処理できなければならないとされている(BiometricUpdate.com、2010年7月14日)。決定は数回延期され、2020年7月の段階ではまだ決定していない。日本のNECも入札に参加し、残っている。
こうした動きとは別に個別に監視強化を進める動きもある。2020年3月16日のロイター記事によれば、インドは100の都市の中心部のスマート化を進めており、その一環として地方自治体で労働者の勤務状況をGPSで管理しはじめている。
労働者は勤務時間中、GPS機能のついたバンドを装着し、居場所によって勤務開始時間、終了時間を測定される他、休憩している時間まで把握されてしまう。ただ、当然ながらかなりの誤差を伴うことがある。にもかかわらず、測定数値によって自動的に勤務状況が把握され、給与カットなどが行われるようになった。そのため労働者たちは抗議の声をあげている。
インド政府は2020年4月9日に、接触追跡アプリAarogya Setuをリリースした。コロナ対策の一環であるが、それだけではなくマイクなどの組み込みセンサーをオンにできることが発見されている他、スマートフォン内部のデータや連絡先にアクセスする可能性も指摘されている(THE DIPLOMAT、2020年4月14日)。コロナを口実にした監視強化を疑われている。
最終的にこれらがAadhaarとどのように統合される(あるいはされない?)かは不明であるが、着々と監視網を拡充していることは間違いない。インドには諜報機関が最低でも16存在しており、それぞれ異なる組織となっており、全体像が把握しにくい。代表的なものだけでも、
The National Investigation Agency(NIA)、
National Technical Research Organization(NITRO)、
Research and Analysis Wing(RAW)、
Intelligence Bureau(IB)、
Central Bureau of Investigation(CBI)、
Defense Intelligence Agency、Military Intelligence Directorate
などがある。
■ 世界最大の民主主義イベント、インド総選挙の主役はネット世論操作
インドのネット世論操作については、前掲のオックスフォード大学のComputational Propagandaプロジェクトの年刊の事例研究と拙稿(2019年5月30日)にくわしいが、要点をかいつまんでご紹介したい。
最初にお話しておきたいのは、ネット世論操作はインドの選挙におけるもっとも重要な武器であること、そして世界の多くの国でもそうなりつつあるということである。
有権者9億人以上、政党の数2,293、候補の数8千人以上、投票所の数100万以上という未曾有の規模で行われた昨年のインド総選挙は「世界最大の民主主義イベント」と称された。勝利したのはモディ首相が率いる与党であるインド人民党(BJP)だった。
インドはネット世論操作が盛んに行われていることでも知られている。多くの国ではネット世論操作は産業として根付いており、ネット世論操作大国であるインドでも産業ができている(The Atlantic、2019年4月1日)。選挙の際には、フェイクニュースを流布させるための多数のトロール(人手によるフェイクニュース投稿やRTなどを行う)やボット(プログラムによって投稿やRTなどを行う)を用意され、投稿のテンプレートがグーグルドキュメントによって作られて提供されていたという(Aljazeera、2018年12月11日)。
インドの政党は「IT cell」と呼ばれるネット世論操作部隊を有している他、外部の民間企業にネット世論操作を委託している。前回のアメリカ大統領選挙で話題となったケンブリッジ・アナリティカを利用していたことがわっている他、デリーのマーケティング企業OMLogic Consultingがインド人民党(BJP)と野党インド国民会議(INC)の両方にYouTubeとインスタグラムの利用についてコンサルティングしていたこともわかっている。
また、インド人民党(BJP)はNaMoというネット世論操作専用のアプリを開発しており、少なくとも2つの州ではプリインストールされた安価なアンドロイド端末が配布されている。記事によれば1000万人以上がインストールしているという。
「IT cell」の存在は広く確認されており、2019年4月1日、フェイスブック社は組織的かつ不審な活動を行っていたこれらのアカウントやページを削除した(2019年4月1日)。具体的な内容としては、野党インド国民会議(INC)の「IT Cell」に関係する687のフェイスブックページとアカウントを削除、インドのIT企業Silver Touch Technologiesに関係している15のフェイスブックページとグループとアカウントを削除、321のフェイスブックページとアカウントを規約違反で削除した。Silver Touch Technologiesは与党インド人民党(BJP)との関係が疑われている企業である。Silver Touch Technologiesがビジネスとして与党からネット世論操作を請け負っていた可能性が指摘されている(同社は否定している)。
インドではフェイスブックとWhatsAppがよく利用されており、WhatsAppには2億人を超える利用者がいる(2003年200万人だった利用者が2016年には1.6億人に急増し、2017年時点ではWhatsApp世界最大のマーケットとなった)。当然、総選挙の際のネット世論操作にも利用されている。2018年に行われたカルナータカ州の選挙ではインド人民党(BJP)とインド国民会議(INC)が5万を超えるWhatsAppグループを作り、インド人民党(BJP)が最初の「WhatsApp選挙」であると言ったほどである。
オックスフォード大学Computational Propagandaプロジェクトのレポート(2019年5月13日)によると、インドではSNSが政治ニュースや情報の主な情報源になっている。総選挙期間中、インド人民党からシェアされたコンテンツの25%以上、インド国民会議(INC)からのシェアの20%がジャンクニュースだった。それ以外の政党発信の情報のジャンクニュースの比率はごくわずかだった。陰謀論や過激な論調で対立を激化するようものが多く、フェイクニュースや極論にあふれており、ネット世論操作の状況は過去最悪だったとしている(2016年のアメリカ大統領選を除く)。
■ ジャーナリストや人権活動家に対して行われたマルウエアキャンペーン
インドでは政権を批判する言動を行うジャーナリストや人権活動家に対してサイバー攻撃が行われている。2020年6月15日、トロント大学のシチズンラボとアムネスティはインドの9人の人権活動家、ジャーナリストらがサイバー攻撃のターゲットになっていたことを報告した。
2019年1月から10月にかけてメールからマルウエアNetWireに感染させられていた。ターゲットになった9人のうち3人は以前、Pegasus(イスラエルのサイバー軍需企業NSO Groupが提供しているマルウエア)のターゲットにもなっていた。
サイバー攻撃を行った主体は判明していないが、インドにおいて言論を抑圧する勢力が存在することは確かである。
今回のサイバー攻撃で用いられるマルウエアは「商品」として販売されているものだ。一部のマルウエアは一般に目の触れないアンダーグラウンドあるいはダークウェブではなく、堂々と販売されている。中には顧客を政府や法執行機関に限定している企業もある。表向きはテロ抑止など治安や捜査目的用途を謳っているが、権威主義国で言論抑止に用いられることも少なくない。NetWireとPegasusも企業が提供するマルウエアである。特にPegasusを提供しているNSO Groupはサイバー軍需企業としてよく知られている。どちらの企業も誰でもアクセスできるウェブサイトを持っている。
■ 統一ビジョンの見えないインド太平洋構想
ここまで見てきたようにインドはデジタル権威主義国として、その基盤を固めつつある。そしてその動向は少なからず、日本に影響を与える。
日本は中国の一帯一路に対抗するためにインド太平洋構想を進めている。そこでは民主主義的価値観を標榜している(特に日本版では)。
一帯一路が「超限戦」であるように、インド太平洋構想もまた一種の「超限戦」であり、「戦い」である以上、人の心に響く大義が必要となる。ひらたく言うと中国の大義は、「旧来の宗主国とは違う新しい選択肢の提示と成長の約束」であり、インド太平洋構想(日本版)の大義は「民主主義的価値観と成長」という違いがある。
しかし、大きな問題がある。デジタル権威主義は権威主義の進化形であり、前述の三つの仕組み(監視、世論操作、国民管理システム)は国家を超え、一帯一路参加国全てを網羅する監視網、国民管理網を構築できるようになっている。実際、中国は監視システムを輸出し、社会信用システムを広げようとしている。新しい形のシステムができあがりつつある。
これに対してインド太平洋構想陣営にはネットが社会インフラとなった時代の新しい「民主主義」を構築できている国はない(その気がないのかもしれない)。イメージすら持てていない国がほとんどだ。そのため、「民主主義的価値観」を掲げているのにやっていることは権威主義国と変わらない矛盾を抱えることになる。特に今回ご紹介したインドは前掲のいくつかの記事で「中国式監視国家」と指摘されている。
旧来の価値観やシステムがうまく機能しない以上、それに代わるものが必要となる。それなしに徒党を組んでも方向性が定まらず、足並みは揃わない。掲げている大義とやっていることに矛盾があれば、ネット世論操作などの攻撃のよい標的になる。ましてや新しい「民主主義的価値観」なしにスーパーシティを実現すればインドのAadhaarのようなデジタル権威主義のインフラになる可能性が高い。デジタル権威主義国インドは、近未来日本の可能性のひとつと言えるだろう。