・偽にせアイヌ文化の流布

http://m-ac.jp/ainu/_tourism/inheritance/work/fake/index_j.phtml

繰り返すが,アイヌは,百年以上もむかしの存在である。

いまのアイヌ系統者は,アイヌ文化と無縁なことでは,一般者と同じである。

例として,「アイヌ文化研修/講座/教室」で題材になる「アイヌ料理」を,取り上げてみる。

これは,「アイヌ系統の者がつくる料理はアイヌ料理だ」のロジックで無理矢理「アイヌ料理」にしているというのが,実態である。

そしてその中身は,「アイヌっぽい食材をつかっていればアイヌ料理だ」である。

この「アイヌ料理」は,アイヌ系統者の家庭で出てくるものではなく,アイヌ観光地の料理店で出てくるものである。

実際,アイヌ料理は,いまの時代にはつくれない。
いまの時代につくれば,みな「まがいもの」になる。

アイヌ料理・アイヌの食事とは,どんな系か?
それは,つぎのような記述が示すところのものである:

Siebold, Heinrich 1854-1908
『小シーボルト蝦夷見聞記』, 原田信男他 訳注、平凡社〈東洋文庫597〉、1996

p.85
アイヌは、一種のスープを主食としており、鹿や熊やほかの野獣の干した肉か、もしくは、その新鮮な肉をいろいろな野菜や根菜といっしょに茹でて、スープを作るのである。
このスープは、一日二回、すなわち朝と晩に食べる。
川か海の岸に住んでいるアイヌは、干した魚も新鮮な魚も喜んで食べるし、それに必ずたくさんの酒も飲む。
和人を通じて入手する米は、アイヌの食べ物の中では、きわめて副次的な役割しか演じない。
彼らは稗のほうが好きであり、いくつかの種類を自分で作っている。
貝やカニからも料理を作るが、調理法のせいで、食欲をそそるものではない。


Bird, Isabella 1831-1904
Unbeaten Tracks in Japan, 1880.
金坂清則 訳注『完訳 日本奥地紀行3 (北海道・アイヌの世界)』, 平凡社, 2012

p.118
主な食物は「いろいろな忌まわしいもの」の汁 [ルル] である。
食物には塩魚、鮮魚や干し魚、海草、ウミウシや、集落の回りの荒れ放題の畑で背の高い雑草に混じって生えている種々の野菜や、各種根菜類、野苺や山葡萄、そして鹿や熊の生肉や乾肉がある。
祭には〈酒〉を飲み、熊の生肉、海藻や種々の茸きのこのほか、毒にならないものなら手に入る限りのものを汁 [ルル] の具として食べる。
それをかき混ぜるのには杓子[ ルルカスプ] を用い、箸[イベパスイ] で食べる。
決まった食事は日に二回だが、腹いっぱい食べる。

p.140
私は昨日[平取の] アイヌのもとを辞した。 着たきりで眠り、身体も洗えなかったためにとても疲れたのは事実だが、ほんとうに名残り惜しかった。
ベンリ[ベンリウク] の二人の妻は、稗ひえ[アマム] を搗ついて肌理きめの粗い粉にする骨の折れる仕事を早朝にすませ、私が出発する前に、その粉を捏こねて薄汚れた指で形よく団子[シト] にまるめ、それを、「いろいろな忌まわしいもの」の汁[ルル] を作る鍋[ルルス]を洗いもせず、その中に入れて茄ゆでた。
そしてできた団子を漆の盆[イタ]に載せ、食べてくださいといって差し出した。
彼らの風習に従ったのである。


Batchelor, John, 1854-1944
The Ainu and Their Folk-Lore. 1901
安田一郎訳, 『アイヌの伝承と民俗』, 青土社, 1995.

p.182
アイヌの食べ物は、どんな場合にもヨーロッパ人が好むものでないが、ちゃんと調理されれば、危急(ピンチ)の場合には歓迎されなくはない。
たとえば新鮮なサケ、タラ、シカの肉、クマの肉、豆、アワ、ジャガイモ、エンドウ豆は、正しい仕方で料理されると、それ自体はすべておいしい。
しかしアイヌは料理の仕方を知らない。
彼らは、よく乾燥してない魚で強い味つけをしたシチューが大好きだ。
ほとんどあらゆる種類の食べ物はシチュー鍋に投げ込まれ、少なくともわれわれの味覚によると、そこで完全に台なしにされる。
しかし彼らの食べ物は必ずしもこのような仕方で料理されるのではない。 というのは、魚はときどき火のまえであぶられ、ジャガイモは炉の灰のなかで焼かれるからである。
空腹な人には、このような物は、おいしく楽しい食事になり得る。

p.184
食べ物を皿に盛ることはない。
主婦はシチュー鍋が火の上にぶらさがっているときに、鍋から食べ物をすくい、目指す人にそれを渡す。

p.185
アイヌは食べ物の扱いが清潔だとほめることはできない。
彼らは深い鍋か平たい鍋をめったに洗わない。
まして自分の食器を洗わない。