・なぜロマノフ王朝はそんなに憎まれた?
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/03/164403
共産党にロシアを乗っ取られたロマノフ王朝のニコライ二世は、1917年3月に皇帝を退位する。しかし、共産党はニコライ二世が生きることを許さなかった。結局、翌年の1918年7月、ニコライ二世とその家族をエカテリンブルグの地下室で銃殺する。
ロマノフ家に対する恨みは、民衆の王族に対する恨みではなく、ロスチャイルドのロマノフ家に対する積年の恨みだったと考える方がどうやら合理的なようだ。
20世紀のロシア革命の原因を探るには、1815年のウィーン会議にまで遡らなければならない。ナポレオンがフリーメイソンに加入したという公式記録はないが、ナポレオンの兄弟はフランスのフリーメイソンの高位職であるから、彼がフリーメイソンとまったく無関係であるとは考えにくい。
そのナポレオンがヨーロッパで大暴れしたことによって最も力を得た人物は誰か。それがロンドンにいたネイサン・メイアー・ロスチャイルド(Nathan Mayer Rothschild, 1777-1836)である。彼は、マイヤー・アムシェル・ロートシルトの三男である。
第一次世界大戦の後、パリ講和会議において主導権を握ったのが政治家ではなく「金貸し」のモルガンであったのと同じく、その百年前のウィーン会議においても、各国政府は戦費をまかなったロスチャイルドに頭があがらなかった。単なる「金貸し」がヨーロッパの実質的な王になったのである。そのため、ウィーン会議の主導権はロスチャイルドが握った。
ネイサン・ロスチャイルドは、戦争で弱りきった状態の各国政府の中央銀行に入り込むことを狙っていた。実際、その後イングランド銀行、フランス銀行はロスチャイルドが入り込む。1870年にはドイツ銀行ができる。日本ではフランスのロスチャイルドから教育を受けた渋沢栄一が尽力し、1873年に日銀の前身の第一国立銀行ができる。
渋沢はポール・フリュリ=エラール(1836-1913)から近代資本主義、銀行業、金融業を学んだ。このエラールのボスがアルフォンス・ド・ロチルドである。つまり、渋沢が学んだ中央銀行のシステムは、ロスチャイルド方式なのである。それゆえ、渋沢を創設者とする現在の三井住友銀行は今でもロスチャイルド系であり、日本で二番目の規模の銀行である。なお、日本で第一位の規模の三菱銀行は、ロックフェラー系である。
ところで、ロマノフ朝のロシア皇帝であるアレクサンドル一世は、自国財政のロスチャイルド化を拒んだ。そのアレクサンドル一世は1825年に不審死する。死ぬ寸前まで健康で、普段と変わらない様子だと目撃されていたのに、いきなり離宮において、熱病で倒れて死んでしまうのだ。アレクサンドル一世の後継は弟のニコライ一世であるが、彼も自国財政のロスチャイルド化は拒む。
1860年、ロシア国立銀行が皇帝アレクサンドル二世(ニコライ一世の息子)によって設立されるが、国立銀行なので通貨発行権は国にあった。アレクサンドル二世は、アメリカ南北戦争において、エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln 1809-1865)を支援している。リンカーンはロスチャイルドの融資を拒み、金融資本家と対立していたので、アレクサンドル二世と考えが共通したのだ。その後、リンカーンとアレクサンドル二世は、両者とも拳銃で撃たれて殺されている。
このように、帝政ロシアは決して自らの通貨発行権を手離さず、ロスチャイルドに通貨発行権を与えなかった。おもしろいのは、シベリア鉄道の敷設において、ニコライ二世はロスチャイルドに融資をお願いしていることである。ロスチャイルドは帝政ロシアに融資をして、帝政ロシアがシベリア鉄道を完成することに尽力している。
ロシアのロマノフ王朝は、日露戦争敗北の後、第一次世界大戦の1917年、ロシア革命で滅亡する。ロマノフ王朝のロシアにある金銀財宝はロスチャイルドから資金貸与をされたロシア共産党に没収される。共産党は没収した財産をもとにして、ロスチャイルドからの借金に利子をつけて返したので、結果的にロスチャイルドにロマノフ王朝の財産が渡ったわけである。また、ヨーロッパの銀行に預けてあったロマノフの銀行預金はロスチャイルドにかなり奪われる。
こうして、ロマノフ家の財産はロスチャイルドのものとなり、その後設立されるソビエト中央銀行もロスチャイルドと通じたものとなるので、ロスチャイルドはロシアの通貨発行権を手に入れたと言える。
これより少し前、1913年の12月にアメリカでFRB(連邦準備制度)が設立される。ポール・ウォーバーグ、モルガン、ロックフェラージュニアが中心となり、ウッドロウ・ウィルソン大統領が署名して成立する。こうして、20世紀の初頭に、アメリカとロシアという世界の二大巨頭の通貨発行権が、国家ではなく民間人が握るという凄いことが起きた。
・アメリカの大統領が暗殺されるパターン
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/04/171155
第一次世界大戦がはじまる前年の1913年、FRB(Federal Reserve System 連邦準備制度)ができる。なぜアメリカ中央銀行が「連邦準備制度」というわけのわからない名前になったかと言うと、ポール・ウォーバーグがわざとそういう意味不明な名前の銀行にしたそうである。
アメリカ国内にはアメリカの通貨発行権を銀行に渡すことに反発する人々が歴史上根強くいて、アメリカ中央銀行という名称は、とてもじゃないが使えなかったそうである。考えてみれば、確かにそうである。通貨はアメリカ政府、つまり財務省が発行すればいいわけで、実際、FRBができるまでは、そうしてきた。アメリカ政府は、1913年まで、その牙城を守ってきたのである。
しかし、ロスチャイルドなどの資本家勢力の長年の努力のかいがあって、1913年、ポール・ウォーバーグが中心となってFRBができた。この時、ウッドロウ・ウィルソン大統領が署名を拒否していたら、彼は確実に殺されていただろう。
なぜなら、ウィルソン大統領政権の副大統領はトーマス・ライリー・マーシャル(Thomas Riley Marshall, 1854年3月14日 - 1925年6月1日)であり、彼はフリーメイソンだからだ。もし、ウィルソンがFRB設立を拒否していたら、ウィルソンは殺処分され、フリーメイソンのマーシャルが大統領に昇格というお決まりのパターンだったと思う。
御存知の通り、アメリカの場合、御本尊のジョージ・ワシントン(1732-1799)自体がフリーメイソンである。アメリカ歴代大統領45人のうち、フリーメイソンの大統領は19人である。また、マーシャルのような副大統領も入れれば、フリーメイソンの人数は膨大なものとなる。第二次世界大戦を始めたフランクリン・ルーズベルト、日本に原爆を落として第二次世界大戦を終わらせたハリー・トルーマンもフリーメイソンである。
ウッドロウ・ウィルソンはフリーメイソンではなかったが、側近の言うことに逆らわない人物だったから、殺されなかったようだ。実際、彼はまわりにいる連中の助言にまったく逆らわず、FRBを設立し、第一次世界大戦にアメリカを参戦させ、終戦後は国際連盟を提唱している。これらは全部、まわりの連中の言いなりになってやったことだと思っていいだろう。
言いなりにならなかった人物で、かつフリーメイソンでもなかった大統領が、リンカーンとケネディである。この二人は無謀にも、ロスチャイルドなどの金融資本家に歯向かった。アメリカ史上、在任中に殺された大統領は、リンカーンとケネディである。この二人は両方ともフリーメイソンではない。かつ、通貨発行権の民営化に反対した。そうなると、ニコライ二世と同じく、邪魔者として処理されることになるだろう。
ジョンソンという名前の大統領は、アメリカの歴史において二人いる。一人が第17代大統領であるアンドリュー・ジョンソン(1808-1875)であり、もう一人が第36代大統領であるリンドン・ジョンソン(1908-1973)である。両方とも副大統領となり、大統領が暗殺され、ナンバー2からナンバー1に昇格している。アンドリューはリンカーン政権の副大統領であり、リンドンはケネディ政権の副大統領であり、ジョンソンは両方ともフリーメイソンであった。
リンカーンは南北戦争の資金として、ロスチャイルドから金利36パーセントの高利の資金提供の申し出を受けたが、これを断った。政府がグリーンバックという紙幣を発行し、これを戦費とすることで、金融勢力と手を切ったのである。バック(buck)とはドル(dollar)のことであり、現在のアメリカでも、ドルはバックと言われることが多いようだ。グリーン(Green)なのは、紙幣の裏側が緑色で印刷されたからである。従来のドル紙幣が黒で印刷され、戦時に新たに印刷された紙幣は裏側が緑色で印刷されたわけである。黒で印刷されようが、緑で印刷されようが、両方とも同じ価値のドル紙幣なので、市場では両方とも同じものとして使われた。
ロスチャイルドは当然これに怒った。戦争という巨大な金食い虫の資金を提供することがロスチャイルドの仕事なのだから、仕事を奪われたロスチャイルドからすれば、金貸しに頼らないリンカーンは許せない。リンカーンはその怒りに油を注ぐように、南北戦争の終了後もこれを永続的な通貨システムとすると発表した。その発表の一か月後、彼は暗殺された。
ケネディはFRBの通貨発行権を政府に取り戻すという大統領令11110号に署名した後に暗殺された。結局、両者ともに通貨発行権を政府のものにすると発表した直後に殺されているのだが、公式には狂信的な男による単独犯ということになっている。
なので、フリーメイソンでないウィルソンが大統領になった時に、フリーメイソンであるトーマス・マーシャルが副大統領になっているという事実は、偶然とは考えにくい。逆らう大統領は始末して、フリーメイソンの副大統領を大統領に昇格するというのがおきまりのパターンなのだろうと思う。
この点、ウィルソンはFRB設立の際はポール・ウォーバーグの言いなりとなり、第一次大戦後のパリ講和会議ではモルガン商会のモルガンやラモントの言いなりとなった。おそらく、それゆえに彼は殺されずに済んだのだろう。
・グローバル金融帝国の完成
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/05/143624
民営化という言葉は、一般にはネガティブなイメージのものではない。しかし、実際のところ、民営化というものは恐ろしいものである。国営なら経営母体は国であるが、民営化されれば株式は市場に公開され、資金繰りは銀行を頼るようになる。つまり、国際的な金融システムに組み込まれるのである。商法の規定では、株式の過半数を取れば取締役会を自由に操作して、社長を交代することもできる。つまり、国営の組織も民営化されれば、外国の金融資本が乗っ取ることが可能となのだ。このことは一般大衆にはほとんど知らされないから、民営化という言葉にネガティブなイメージを抱く国民はいつの時代もあまりいない。
国鉄の民営化、電話の民営化、郵政民営化、そして今後の日本で起こると考えられている水道の民営化。そうなると、日本のインフラのほとんどは民営化されることとなる。その資金を三菱(ロックフェラー系)と三井(ロスチャイルド系)が握れば、日本の国家としての独立というものはほぼない(そうでなくても、もともと日本に国家としての独立はあるのかと言われれば、「ない」としか言いようがないが)。東京電力も、大株主は日本トラスティ・サービス信託銀行と日本マスタートラスト信託銀行である。つまり、FRBの運営者と繋がっている。
さて、ロシアの共産主義革命は、貴族政に対する労働者の革命と言われているが、実際にはロシアの民営化と言ってもよい。ロマノフ朝のロシアは国営であったが、これを共産化して民営化することが革命の目的であったと言える。明治維新もそうであるが、優秀な若者を国際金融帝国が資金援助して育て、国家を転覆させて民営化するというのがパターンのようだ。
レーニン(本名ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ 1870-1924)の父は高名な物理学者であり、母親はドイツ、スウェーデン、ユダヤの家系であったそうだ。レーニンは幼少から恐ろしく勉強ができ、神童と呼ばれたそうである。つまり、貧しい労働者の団結を訴えた彼は、貧困層とは正反対の金持ちの息子であり、かつ、学業優秀な子どもであった。
レフ・トロツキー(1879-1940)はウクライナのユダヤ系富農の息子であり、彼も幼いころから優秀であった。第一次大戦中、レーニンは亡命先のスイスにいて、トロツキーはニューヨークにいた。この二人に資金を提供した人物が、クーン・ローヴ商会のジェイコブ・シフ(Jacob Schiff 1847年1月10日 - 1920年9月25日)である。英語ではジェイコブ、ドイツ語ではヤーコプ、ヘブライ語ではヤコブである。
Schiffというドイツ語は、英語ではShipであり、舟であり、ユダヤ系ではよくある名前である。シフ家は、フランクフルトのマイヤー・アムシェル・ロートシルトの時代に、「グリューネシルト(緑の盾)」(Haus zum Grünen Schild)と呼ばれる建物にロスチャイルド家とともに住んでいた家柄であり、クーン・ローヴ商会はロスチャイルドと関係の深い金融業、後にこれがリーマン・ブラザーズとなる。モルガンとともに、アメリカでロスチャイルド系の金融業をやっていたのがシフ家だったわけだ。
ジェイコブ・シフは、まず、大日本帝国に資金を融通する。日露戦争の資金調達のために欧米をまわり、誰も貸し手がいなくて困っていた高橋是清(1854-1936)にロンドンで会って、日本の戦時国債の購入を提案したのだ。これで日本政府は当時の額で2億ドルを手に入れ、ロシアと戦争することができた。後にシフは、この功績により、勲一等旭日大綬章を明治天皇より贈られている。シフは、高橋の長女がアメリカ留学した際にも、ニューヨークで彼女の生活の面倒をみたそうだ。
第二次大戦後、宮沢喜一が大蔵官僚だった頃、池田勇人のお付としてアメリカに行き、アメリカの政治家や官僚、財界の人たちの集まりに出たそうである。その時、宮沢は、日露戦争前に大日本帝国がクーン・ローヴ商会から借りた金は、あまりにも昔のことであるから、全額返済というのは今さらどうだろうかと言ったそうである。その時、いきなり宮沢を数人の男が囲い込み、宮沢はそれ以上その話ができなくなったそうである。結局、日本政府が日露戦争時の国債を完済し、クーン・ローヴ商会からの借金がなくなるのは、1986年(昭和61年)である。
日本の近代化は、ロスチャイルド等の国際金融資本を抜きにしては語ることができない。歴史の教科書にそんなことは書いてないが、欧米の金融資本家を抜きにして日本の近代史を語っても、骨組みの抜けた歴史叙述にしかならない。マセソン商会の手引きで長州ファイブ(井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、井上勝)をイギリスに留学させ、その中の一人であった伊藤博文を総理大臣として、大日本帝国政府がつくられる。その後、フランス・ロスチャイルド系の教育を受けた渋沢栄一が、教えの通りに日銀の前身である第一国立銀行をつくる。そして、帝国政府はクーン・ローヴ商会から莫大な金を借りて日露戦争を行い、その後は第一次世界大戦に参加して、戦勝国となる。
ロスチャイルドは日露戦争によってロマノフ朝をたたき、アメリカでFRBをたててから、ロシア革命を起こして、莫大なロマノフの金銀財宝を手に入れる。第一次世界大戦終了後は、ロマノフやハプスブルクといった巨大王朝はなくなり、欧米国家はロスチャイルドを中心とした国際金融グループのもとで民営化された。民営化された中央銀行が通貨発行権を持つ、現在のような国家の仕組ができ、政府の意向と関係なくロスチャイルドなどの国際資本家が国家経済、つまりは世界経済を牛耳ることができるようになったのである。
・国際的リサイクルシステム
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/06/165532
ヴァールブルク家はロスチャイルドと関係の深いユダヤ系ドイツ人の家柄である。その家の出身であるマックス・ヴァールブルク(英語読みはマックス・ウォーバーグ Max Warburg、1867年6月5日 - 1946年12月26日)は、金融資本家であり、ナチスを早い段階から資金援助し、育てた。ヒトラー、ゲッペルス、ルドルフ・ヘスといった優秀な20代、30代の若者を資金援助して育てるというパターンは、明治維新やロシア革命と似たようなパターンである。つまり、ユダヤ人を迫害するナチスを、ユダヤ人であるロスチャイルド系の資本が援助していたのである。
なお、マックス・ヴァールブルグの弟は、アメリカでFRB創設のためにウィルソン大統領に署名させたポール・ウォーバーグ(1868-1932)である。つまり、兄はドイツでナチスを育て、弟はアメリカでFRBをつくったのである。
ヴァールブルグ家はシフ家とも関係が深い。ポール・ウォーバーグは、クーン・ローヴ商会設立者のソロモン・ローヴの娘と結婚している。フェリックス・ウォーバーグの妻は、ジェイコブ・シフの娘である。つまり、彼らは親戚関係にあり、ドイツ語、英語、ヘブライ語などの多言語を操り、ヨーロッパとアメリカを行き来する国際人である。
ナチスドイツとアメリカは後に戦争をするが、その裏にはウォーバーグ兄弟というロスチャイルド系のグローバル金融資本がいたのであるから、第二次世界大戦もロスチャイルド抜きには語れないものである。
ウォーバーグの登場以前に、ヨーロッパで活躍したロスチャイルド系の宮廷ユダヤ人が、ゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー(1822-1893)である。彼はドイツで鉄血宰相ビスマルクの財務顧問をしていたが、同時にアメリカのアルバート・パイクにも資金援助をしていた。
アルバート・パイクが手紙を書いた相手は、イタリア近代化の運動をしていたマッツィーニである。パイク、マッツィーニ、ビスマルクは、関係があるようには見えない。パイクはアメリカ人、マッツィーニはイタリア人、ビスマルクはドイツ人で、それぞれが各国の軍人兼政治家として歴史の教科書に登場する。しかし、各人物は、同じ資金源から資金提供を受け別の場所で戦争をしていたとも言えるのである。この時代の主な戦争は次のとおりである。
イタリア統一運動、紛争(イタリア:1858年から1861年)
南北戦争(アメリカ:1861年から1865年)
普墺戦争(プロイセン、オーストリア:1866年)
普仏戦争(プロイセン、フランス:1870年から1871年)
西南戦争(薩摩、日本:1877年)
イタリアの明治維新とも言えるようなイタリア近代化の中心人物がマッツィーニであり、アメリカで南北戦争を行ったのがパイクであり、普墺戦争と普仏戦争を行ったのがビスマルクである。彼らは若い頃から優秀であり、共通の源から資金提供を受け、それぞれの活動を行った。つまり、国際金融資本のリサイクルシステムの中で、それぞれの役割を果たしたとも言えるのである。
例えば、南北戦争が終わって、不要な武器や弾丸や大砲が大量に出る。それを今度はヨーロッパに持っていって、普墺戦争で使うのである。つまり、「お下がり」である。西郷隆盛が中心となってやった西南戦争も、その「お下がり」がまわってきて起きた戦争である。南北戦争でアメリカ人を殺した銃が、船で運ばれ、ヨーロッパで使われた後、九州で使われる。
儲かるのは武器商人や金融業者である。これはいつの時代も変わらない。ジャーナリストのヴィクター・ソーン(Victor Thorn 1962-2016)が世界四大金儲けは、戦争、麻薬、エネルギー、金融だと言ったが、当時も今も変わらないのだろう。
戦争したい国に金を貸して利子を得て儲け、さらに武器をリサイクルして儲ける。現地の人が戦争の仕方を知らない場合は、戦争が終わって暇になった軍人を派遣して、戦争の仕方を教える。人材派遣業もやるのである。例えば、西南戦争の際に、薩摩軍と政府軍の両方に武器の使い方や戦争の仕方を教えたのは、南北戦争が終わって暇になったアメリカの軍人のようである。
坂本龍馬は、フリーメイソンとされるトーマス・グラバー(Thomas Glover 1838-1911)から近代世界のことをいろいろと習った。それゆえ、戦争抜きで日本が統一国家になるように、西郷隆盛らを説得して、薩長と江戸幕府をうまくまとめてしまった。これは奇跡的なことだった。しかし、グラバーからすると、坂本龍馬などの幕末日本の優秀な若者を育て、資金提供したのは、日本で派手な内戦をしてもらうためである。戦争をしてもらわなければマセソン商会はちっとも儲からない。
平和に日本のサムライたちが近代国家を打ち建てたら、困るのは国際資本家たちである。戦争をするには莫大な金がいるし、武器もいる。そのために国債を発行し、その国債を国際金融資本が買い、日本人はその金で国際金融資本から武器を買うという構図でないと、青い目をした人達からすると困るのだ。有色人種が白人の銀行家から金を借り、その借りた金で同じ白人から武器を買って、内輪揉めの戦争をする。戦争が終わったら、白人がその武器を無料で回収し、また別の場所で別のターゲットに金を貸して、そいつに武器を買わせる。そういうリサイクルシステムなのである。
現在の世界銀行というのは、そのためにある銀行とも言えよう。なので、IMFの幹部だった人物が、転任して世界銀行の幹部になり、その後ゴールドマン・サックスの取締役をやり、FRBの理事になったり、イスラエル銀行の幹部になったり、マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授になったりする。東大を出て東京電力に就職した人物が、その後経産省の官僚になり、さらにその後、東大の原子力工学の教授になることと同じである。人材のリサイクルシステムである。
例えば、イラクのサダム・フセインは、若い頃にアメリカから莫大な資金援助を受けて、育てられた。彼は政権を取った後、アメリカからの軍事援助をもとに独裁政権を強め、イラン・イラク戦争(1980-1988)を行った。しかし、力をつけたフセインは、石油利権をアメリカに渡さず、中央銀行の民営化を行わなかった。その後、彼はアメリカ軍によって処分され、イラクの石油利権はアメリカ企業を中心とするグローバル企業に握られ、中央銀行も民営化されている。
アフガニスタンも同じである。アメリカに占領された後のアフガニスタンは天然資源を全てアメリカに押さえられ、中央銀行も民営化されている。アフガニスタンでは、アメリカ占領後に麻薬の生産量が激増したそうである。
やはり、この世界の支配者の目的は、エネルギーと中央銀行、そして麻薬の奪取であり、それを武器のリサイクルで行うことである。エネルギー、金融、麻薬、戦争が、やはり人類の四大産業なのであり、そのリサイクルシステムの中でくるくるまわりながら出世する人物が、世の中の勝ち組になっていくのかもしれない。
・大衆を思考停止にするシステム
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/07/163718
マッツィーニは近代イタリア建国の父、パイクはアメリカ南北戦争の将軍、ビスマルクはドイツの鉄血宰相・・・歴史の教科書では各人物がバラバラに出てくる。しかし、肝心なことを伝えない。
彼らに金を渡していたのは誰かということだ。金の出所が同じなら、彼らは一つの戦略のもとに存するメンバーであり、それぞれが別の支店で働いていたのだということになる。同じ事業計画の下で、マッツィーニはイタリア支店、パイクはアメリカ支店、ビスマルクはドイツ支店で働いたのではなかろうか。
義務教育で子どもを学校に行かせ、無内容な勉強を、競争システムの中でさせる。マスコミはどうでもいい情報を24時間国民に向かって垂れ流し続け、スポーツやエンターテインメントで国民の精神を骨抜きにする。
こうして畜産された大衆を国家の主権者と祭り上げ、彼らの投票によって政治家が選ばれ、その政治家が国家を運営する。しかし、その金融システムは資本家に握られており、政治家はそうした資本家から資金援助を受けなければ選挙で勝てない。選挙で勝った政治家は、当然、恩返しとして、資本家を優遇する政策を実行する。それゆえ、民主主義とは見えざる資本家勢力が国家を支配するための最高のシステムである。
そもそも、近代化の波の中で、なぜ世界の様々な国家が次々と民主化されていったのか、教科書は教えてくれない。国民はそれを漠然と、民主主義、つまり大衆が勝ったのだと思っている。
しかし、フランス革命は貧乏な一般大衆が団結して成し遂げたものではない。革命の主体は優秀なフリーメイソンであり、彼らが大衆を扇動したのである。マリー・アントワネットは、まだ王妃だった頃に、友人に宛てた手紙で、「フリーメイソンは恐ろしい」と書いている。ロスチャイルド家は、一族であるモーゼス・モカッタ銀行を通してフランス革命のために資金を提供している。
そもそも、貧乏な一般大衆には資金源がなく、革命をするための知的な蓄積やノウハウもない。革命であろうが戦争であろうが、莫大な金が必要である。つまり、革命には潤沢な資金と優秀な頭脳の二本立てが必要なのであり、大衆の不満や熱意だけでは、単なる一過性の農民一揆で終わってしまう。貧乏な農民たちが金持ち貴族に対して怒ってフランス革命が起こり、フランスに民主主義が生まれたというストーリーは、おとぎ話にしか過ぎない。妄想は金がなくてもできるが、革命は金がないとできないのだ。
フランス革命の後、ナポレオンがヨーロッパを一大戦場にしてくれたおかげで、貴族政治をしく各国政府は戦費の膨張で資金繰りが苦しくなる。そこにロスチャイルドを中心とした金融資本勢力が戦費をまかなう。フランス革命戦士達とナポレオンというフリーメイソンの活躍により、フランスの王家は滅び、フランスは民営化され、ロスチャイルドの思惑通りに、民営化された中央銀行ができる。
同時に、イングランド銀行の支配権を得たロスチャイルドは、イギリス王室と一体となる。その後、ビスマルクと組んでドイツを民営化し、ハプスブルク家をつぶし、その後はロマノフ家をつぶし、ロシアを共産化(民営化)する。それと同時に、アメリカにFRBを設立し、アメリカ政府を民営化する。
こうして王朝は次々と倒れ、政府は次々と民営化される。今ではほとんどの国家が民営化されている。この民営化を民主主義の勝利、一般大衆の勝利だと考えるなら、あまりにも楽観的過ぎる。民営化されるということは、株式が公開されるということであり、強大な資金力を持った者が支配できるということである。つまり、国家が貧富の格差を是正するために政策を施すことが難しくなる。
しかし、そんなことを言っても、大衆の頭の中は、スポーツ、芸能人、学校や会社のどうでもいい人間関係、家族の問題、報道機関の伝えるどうでもいいニュースといったことでいっぱいである。世の中は、頭が悪くなる装置で成り立っている。
水には毒物が混入され、空気中にも毒物が混ぜられ、食べ物も毒入りである。ワクチンや健康診断も、思考停止で受けているだけなら、非常に危険なものである。健康診断は、まるで大衆が健康になるためのシステムに聞こえるし、ワクチンというネーミングもまるで大衆を病気から救うような名前である。
民営化、民主化というものは、一見、いいものであるような印象を与えるが、非常に危険なものなのだ。この魅力的なネーミングによって、大衆は騙される。民主主義というと、まるで一般大衆が勝利者であるかのように錯覚させる。民営化というと、まるで国家権力から大衆が運営の権利を勝ち取ったようである。
2005年、当時の首相である小泉純一郎が「俺が自民党をぶっ壊す!」「これは郵政民営化選挙だ!」というふうに、わけのわからない内容で叫んだら、なぜか選挙で圧勝してしまった。当時のマスコミは、民営化される郵貯の裏にいるゴールドマン・サックスやモルガンについては、ほとんど報じなかった。もちろん、巨大利益を得るアフラックのことは「ア」の字も出さない。アフラックはロックフェラー系の保険会社である。
会社であろうが国家であろうが、株式を公開して市場に出さなければ、閉じたシステムとして外部の介入を遮断できる。鎖国時代の江戸幕府がそうである。しかし、株式を公開して、市場に流通させるということは、それを大量に買った金持ちがその組織を牛耳ることとなる。この商法と株式市場と支配のシステムを最初に思いついた天才は誰だったのだろうか。
フランス革命は貧困層の人々が力を結集して成し遂げた革命ではなかった。その担い手は資金援助を受けた知識層であり、その目的は国家の民営化、つまり国庫の民営化であった。身分制社会が倒されて平等社会が実現されたのではなく、国が守っていた通貨発行権を資本家が強奪することが実現されたのだ。こうして正に「資本主義」がはじまった。
資本家は、国家の通貨を握ったと同時に、教育とマスコミという情報も握った。それにより、学校でもメディアでも、決して肝心なことが伝えられない社会制度が確立された。
学校で教わることや、テレビや新聞などの大手メディアでの情報だけでは、それぞれの政治活動の資金源がどこにあるのか知ることができない。大衆は事の真相を知らされず、表面的な情報だけをもとにして議論をせざるを得なくなり、中にはそういう表面的な議論を議論そのものだと勘違いする人々も出てくる始末である。
他方、資本家たちは英語、ドイツ語、フランス語、ヘブライ語を自由に操り、金融や世界情勢に対する圧倒的な知識を持ち、学習能力が高く、なにより世界の構造の裏側をよく知っている。こうした高度な悪知恵を持った資本家たちと、国家システムによって生産される思考停止の大衆という二極化社会が到来することとなった。
私は民主主義が「悪」の制度だと言いたいのではない。民主主義は、一般大衆にとって夢のような素晴らしい制度ではないと言いたいのだ。それは放っておけば、国際金融資本家が好き放題に利用するという危険性を孕んだシステムである。この危険性について国民が思考停止であるなら、得をするのは国際金融資本家である。
確かに民主主義体制下では、貴族が大衆から搾取することはできない。それは民主主義という制度の成果である。しかし、このシステムにおいては、国際金融資本家は大衆から堂々と、合法的に搾取できる。
なるほど、憲法は貴族の特権を禁じ、身分制度を否定している。しかし、金持ちがメディアのスポンサーになって大衆を洗脳することについては、憲法は禁じていない。うかうかしていると、国民の財産が次から次へと民営化され、国際金融資本家に乗っ取られる。1%の金持ちが99%の大衆を支配するという社会ができあがり、戦争にしても、彼らが自由に世論を操作して実行可能な世界となる。
大衆が気づかないうちに家畜となる社会ができあがる。郵便局に貯金をしたら、その金はゴールドマン・サックスやモルガンが儲かるような仕組みがつくられ、貯金した金がいつのまにかアメリカ国債に化けている。郵便局員のすすめで保険に入ったらアフラック、つまりロックフェラーが儲かるという仕組みができあがる。日本人のお金を預かる郵便局が、国際金融資本家勢力を太らせるメカニズムになるのだ。
これは安全保障の面でも同じである。愛国心に基づいて国防費の増額に賛同し、軍事力の強化に賛同しても、その実はアメリカの武器会社などの資本家を太らせるために軍事力の増強をしているということになる。アメリカの軍需産業が日本のおかげで相当に儲かったわけである。金を払ったのは日本国民であり、それは日本人が毎日汗水流して働いている成果から天引きされている税金である。
この流れに流されるままでいたら、気づいた時には日本人の自衛隊の若者が、アメリカ企業(グローバル企業)を儲けさせるために、中東の地で命を懸けて戦うということになりかねない。
かつて、白人を儲けさせるために、日本人同士が殺し合いをした時代があった。西郷隆盛率いる軍勢が西南戦争で幕府軍と戦い、儲かったのは誰か。日露戦争でロマノフ朝ロシア軍と日本人が殺し合い、大儲けしたのは誰か。日本は日露戦争に勝って、果たしてどれくらい利益を得たのか。日本政府が日露戦争の時に借りた金を、元金プラス利子の満額でユダヤ人に返し終えたのは、1986年である。
民主主義という体制の下では、国民の愛国心はメディアを通して資本家に操作され、彼らの利益のために利用される可能性がある。この危険性について国民が自覚的でない限り、民主主義という制度は一般大衆にとって夢の制度とは程遠い危険な制度である。国民が無知無関心のままなら、この制度の利用方法を隅々まで知っている彼らのいいように操られるかもしれない。
・「民主主義という名の演劇が持つ生来の特徴は、舞台を眺めているだけでは観客にも歴史家にもドラマの原動力はわからないことだ。民主主義は世論に頼るため、資金源や本当の戦略など重要な中味は決して世論の目に触れないようにする。
フランス革命のような民主主義革命を進める真の原動力は思想結社である。1770年頃の思想結社としては哲学者グループやフリーメイソン、革命系民衆グループなどが挙げられる。こうしたグループのメンバーが社会に潜入し世論を形成、煽動していく。
民主主義においては民衆の意見をコントロールする者が民衆に替わって全権を得ることができる。
純粋な民主主義、民衆の全権を求める者は自ずと世論を煽動する力を持つ思想ネットワークによる支配を支持することになる。
民衆の全権、すなわち思想ネットワークによる支配が原則として認められさえすれば、圧制の実現は合法で自然なものとなる。それがフランス革命が抱える謎の矛盾を解く鍵だ。
つまりフランス革命を個人の革命家が集まった偉業として説明している限り真相は理解できない。彼らは民衆の全権という名の下で思想結社が構築し作動させた巨大な機械装置の歯車に過ぎないからだ。」(オーギュスタン・コシャン『思想社会と民主主義』)
・イギリスは20世紀初頭からドイツとロシア/ソ連を戦わせ、共倒れを狙ってきた
2023.06.29
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202306290000/
※1917年2月にペトログラード(現在のサンクトペテルブルグで起こったストライキから始まる内乱は、第1次世界大戦の最中に引き起こされた。ヨーロッパでは1914年7月28日にオーストリア-ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して大戦が勃発していたのだ。
その当時、帝政ロシアではドイツとの戦争に積極的な産業資本家と消極的な大地主が対立している。産業資本家側には有力貴族のフェリックス・ユスポフが、また大地主側には修道士のグレゴリー・ラスプーチンがついていた。
帝政ロシアの有力貴族で、ドイツとの戦争を推進し、グレゴリー・ラスプーチン暗殺に関わったフェリックス・ユスポフは、オックスフォード大学の学生結社「ブリングドン・クラブ」のメンバーだった。メンバーの多くはイートン校の出身、つまり富豪の子どもたちで、素行が悪いことで知られている。
ラスプーチンの背後には皇帝アレキサンドロビッチ・ニコライ2世と皇后アレクサンドラがついていた。ドイツとロシアを戦わせようとしていたイギリスにとってラスプーチンは邪魔な存在だ。
戦争を望んでいなかった皇后は7月13日にラスプーチンへ電報を打って相談、ラスプーチンは戦争が国の崩壊を招くと警告しているが、その内容を盗み見た治安当局は議会などにリーク、ラスプーチンは腹部を女性に刺されて入院することになった。入院中にロシアは総動員を命令、ドイツは動員を解除するよう要求。それをロシアが断ったため、ドイツは8月1日に宣戦布告している。ラスプーチンが退院したのは8月17日のことだ。
すでにドイツと戦争を始めていたロシアだが、ラスプーチンが復帰したことでいつ戦争から離脱するかわからない状況。それを懸念したイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を責任者とする情報機関のチームをペトログラードへ派遣。チームにはスティーブン・アリーとオズワルド・レイナーが含まれていた。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)
アリーの父親はユスポフ家に雇われた家庭教師のひとりで、アリー自身はユスポフの宮殿で生まれている。またレイナーはオックスフォード大学の学生だった時代からユスポフの親友で、流暢なロシア語を話した。(前掲書)
ペトログラードにおけるイギリスのお抱え運転手だったウィリアム・コンプトンの日記によると、彼はレイナーをユスポフの宮殿へ1916年の10月後半から11月半ばにかけて6度運んだという。ユスポフは1916年12月19日にレイナーと会ったと書き残している。(前掲書)
ラスプーチンは1916年12月30日に暗殺された。殺したのはユスポフだと言われているが、暗殺に使用された455ウェブリー弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたもので、殺害現場にいた人の中でその銃弾を発射できる銃をもっていたのはレイナーだけだったという。
ユスポフは上流社会の堕落に憤り、犯行に至ったとされているが、世界の上流社会は堕落している。そのようなことで憤る人物が上流社会で生きることはできない。このハリウッド映画風の説明に説得力はないのだ。事実を直視すれば、ドイツとロシアの戦争をイギリスが継続させたかったのだという結論に達する。ドイツとロシアの共倒れを狙っていたということだろう。
二月革命で成立した臨時革命政府は戦争を継続する。そこでドイツは即時停戦を主張していたボルシェビキに目をつけたが、ボルシェビキの指導者は国外に亡命しているか刑務所に入れられていた。
そこでドイツはボルシェビキの幹部32名を「封印列車」でロシアへ運ぶ。ウラジミル・レーニンは1917年4月に帰国、7月にボルシェビキは武装デモを行うものの、鎮圧されてしまう。レーニンはフィンランドへの亡命を余儀なくされた。この時、臨時革命政府軍の最高総司令官になったのがラーブル・コルニーロフ将軍。労働者や兵士を味方につける必要性を感じたのか、臨時政府は7月にエス・エルのアレキサンドル・ケレンスキーを首相に就任させた。
ところが、コルニーロフが8月にクーデターを企てる。この武装蜂起にケレンスキー政府は対応できず、ボルシェビキに頼ることになった。そして十月革命につながり、革命政権はドイツの思惑通りに即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止も打ち出した。
レーニンの命令でボルシェビキ政権はドイツとの戦争を停止するものの、アメリカが参戦、兵員を送り込んだほか、イギリスやフランスに物資を供給してたこともあり、ドイツは戦争に負けた。
しかし、そうした経緯があるため、大戦後、ドイツとソ連の関係は良好だった。両国の関係が悪化するのはドイツでナチスが実権を握ってからだ。ナチスはイギリスやアメリカの金融資本から資金的な支援を受けていたことがわかっている。
帝政ロシアの崩壊はラスプーチン暗殺が山場であり、その背後にはイギリス政府が存在していたと言えるだろう。その手先がユスポフだ。
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/03/164403
共産党にロシアを乗っ取られたロマノフ王朝のニコライ二世は、1917年3月に皇帝を退位する。しかし、共産党はニコライ二世が生きることを許さなかった。結局、翌年の1918年7月、ニコライ二世とその家族をエカテリンブルグの地下室で銃殺する。
ロマノフ家に対する恨みは、民衆の王族に対する恨みではなく、ロスチャイルドのロマノフ家に対する積年の恨みだったと考える方がどうやら合理的なようだ。
20世紀のロシア革命の原因を探るには、1815年のウィーン会議にまで遡らなければならない。ナポレオンがフリーメイソンに加入したという公式記録はないが、ナポレオンの兄弟はフランスのフリーメイソンの高位職であるから、彼がフリーメイソンとまったく無関係であるとは考えにくい。
そのナポレオンがヨーロッパで大暴れしたことによって最も力を得た人物は誰か。それがロンドンにいたネイサン・メイアー・ロスチャイルド(Nathan Mayer Rothschild, 1777-1836)である。彼は、マイヤー・アムシェル・ロートシルトの三男である。
第一次世界大戦の後、パリ講和会議において主導権を握ったのが政治家ではなく「金貸し」のモルガンであったのと同じく、その百年前のウィーン会議においても、各国政府は戦費をまかなったロスチャイルドに頭があがらなかった。単なる「金貸し」がヨーロッパの実質的な王になったのである。そのため、ウィーン会議の主導権はロスチャイルドが握った。
ネイサン・ロスチャイルドは、戦争で弱りきった状態の各国政府の中央銀行に入り込むことを狙っていた。実際、その後イングランド銀行、フランス銀行はロスチャイルドが入り込む。1870年にはドイツ銀行ができる。日本ではフランスのロスチャイルドから教育を受けた渋沢栄一が尽力し、1873年に日銀の前身の第一国立銀行ができる。
渋沢はポール・フリュリ=エラール(1836-1913)から近代資本主義、銀行業、金融業を学んだ。このエラールのボスがアルフォンス・ド・ロチルドである。つまり、渋沢が学んだ中央銀行のシステムは、ロスチャイルド方式なのである。それゆえ、渋沢を創設者とする現在の三井住友銀行は今でもロスチャイルド系であり、日本で二番目の規模の銀行である。なお、日本で第一位の規模の三菱銀行は、ロックフェラー系である。
ところで、ロマノフ朝のロシア皇帝であるアレクサンドル一世は、自国財政のロスチャイルド化を拒んだ。そのアレクサンドル一世は1825年に不審死する。死ぬ寸前まで健康で、普段と変わらない様子だと目撃されていたのに、いきなり離宮において、熱病で倒れて死んでしまうのだ。アレクサンドル一世の後継は弟のニコライ一世であるが、彼も自国財政のロスチャイルド化は拒む。
1860年、ロシア国立銀行が皇帝アレクサンドル二世(ニコライ一世の息子)によって設立されるが、国立銀行なので通貨発行権は国にあった。アレクサンドル二世は、アメリカ南北戦争において、エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln 1809-1865)を支援している。リンカーンはロスチャイルドの融資を拒み、金融資本家と対立していたので、アレクサンドル二世と考えが共通したのだ。その後、リンカーンとアレクサンドル二世は、両者とも拳銃で撃たれて殺されている。
このように、帝政ロシアは決して自らの通貨発行権を手離さず、ロスチャイルドに通貨発行権を与えなかった。おもしろいのは、シベリア鉄道の敷設において、ニコライ二世はロスチャイルドに融資をお願いしていることである。ロスチャイルドは帝政ロシアに融資をして、帝政ロシアがシベリア鉄道を完成することに尽力している。
ロシアのロマノフ王朝は、日露戦争敗北の後、第一次世界大戦の1917年、ロシア革命で滅亡する。ロマノフ王朝のロシアにある金銀財宝はロスチャイルドから資金貸与をされたロシア共産党に没収される。共産党は没収した財産をもとにして、ロスチャイルドからの借金に利子をつけて返したので、結果的にロスチャイルドにロマノフ王朝の財産が渡ったわけである。また、ヨーロッパの銀行に預けてあったロマノフの銀行預金はロスチャイルドにかなり奪われる。
こうして、ロマノフ家の財産はロスチャイルドのものとなり、その後設立されるソビエト中央銀行もロスチャイルドと通じたものとなるので、ロスチャイルドはロシアの通貨発行権を手に入れたと言える。
これより少し前、1913年の12月にアメリカでFRB(連邦準備制度)が設立される。ポール・ウォーバーグ、モルガン、ロックフェラージュニアが中心となり、ウッドロウ・ウィルソン大統領が署名して成立する。こうして、20世紀の初頭に、アメリカとロシアという世界の二大巨頭の通貨発行権が、国家ではなく民間人が握るという凄いことが起きた。
・アメリカの大統領が暗殺されるパターン
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/04/171155
第一次世界大戦がはじまる前年の1913年、FRB(Federal Reserve System 連邦準備制度)ができる。なぜアメリカ中央銀行が「連邦準備制度」というわけのわからない名前になったかと言うと、ポール・ウォーバーグがわざとそういう意味不明な名前の銀行にしたそうである。
アメリカ国内にはアメリカの通貨発行権を銀行に渡すことに反発する人々が歴史上根強くいて、アメリカ中央銀行という名称は、とてもじゃないが使えなかったそうである。考えてみれば、確かにそうである。通貨はアメリカ政府、つまり財務省が発行すればいいわけで、実際、FRBができるまでは、そうしてきた。アメリカ政府は、1913年まで、その牙城を守ってきたのである。
しかし、ロスチャイルドなどの資本家勢力の長年の努力のかいがあって、1913年、ポール・ウォーバーグが中心となってFRBができた。この時、ウッドロウ・ウィルソン大統領が署名を拒否していたら、彼は確実に殺されていただろう。
なぜなら、ウィルソン大統領政権の副大統領はトーマス・ライリー・マーシャル(Thomas Riley Marshall, 1854年3月14日 - 1925年6月1日)であり、彼はフリーメイソンだからだ。もし、ウィルソンがFRB設立を拒否していたら、ウィルソンは殺処分され、フリーメイソンのマーシャルが大統領に昇格というお決まりのパターンだったと思う。
御存知の通り、アメリカの場合、御本尊のジョージ・ワシントン(1732-1799)自体がフリーメイソンである。アメリカ歴代大統領45人のうち、フリーメイソンの大統領は19人である。また、マーシャルのような副大統領も入れれば、フリーメイソンの人数は膨大なものとなる。第二次世界大戦を始めたフランクリン・ルーズベルト、日本に原爆を落として第二次世界大戦を終わらせたハリー・トルーマンもフリーメイソンである。
ウッドロウ・ウィルソンはフリーメイソンではなかったが、側近の言うことに逆らわない人物だったから、殺されなかったようだ。実際、彼はまわりにいる連中の助言にまったく逆らわず、FRBを設立し、第一次世界大戦にアメリカを参戦させ、終戦後は国際連盟を提唱している。これらは全部、まわりの連中の言いなりになってやったことだと思っていいだろう。
言いなりにならなかった人物で、かつフリーメイソンでもなかった大統領が、リンカーンとケネディである。この二人は無謀にも、ロスチャイルドなどの金融資本家に歯向かった。アメリカ史上、在任中に殺された大統領は、リンカーンとケネディである。この二人は両方ともフリーメイソンではない。かつ、通貨発行権の民営化に反対した。そうなると、ニコライ二世と同じく、邪魔者として処理されることになるだろう。
ジョンソンという名前の大統領は、アメリカの歴史において二人いる。一人が第17代大統領であるアンドリュー・ジョンソン(1808-1875)であり、もう一人が第36代大統領であるリンドン・ジョンソン(1908-1973)である。両方とも副大統領となり、大統領が暗殺され、ナンバー2からナンバー1に昇格している。アンドリューはリンカーン政権の副大統領であり、リンドンはケネディ政権の副大統領であり、ジョンソンは両方ともフリーメイソンであった。
リンカーンは南北戦争の資金として、ロスチャイルドから金利36パーセントの高利の資金提供の申し出を受けたが、これを断った。政府がグリーンバックという紙幣を発行し、これを戦費とすることで、金融勢力と手を切ったのである。バック(buck)とはドル(dollar)のことであり、現在のアメリカでも、ドルはバックと言われることが多いようだ。グリーン(Green)なのは、紙幣の裏側が緑色で印刷されたからである。従来のドル紙幣が黒で印刷され、戦時に新たに印刷された紙幣は裏側が緑色で印刷されたわけである。黒で印刷されようが、緑で印刷されようが、両方とも同じ価値のドル紙幣なので、市場では両方とも同じものとして使われた。
ロスチャイルドは当然これに怒った。戦争という巨大な金食い虫の資金を提供することがロスチャイルドの仕事なのだから、仕事を奪われたロスチャイルドからすれば、金貸しに頼らないリンカーンは許せない。リンカーンはその怒りに油を注ぐように、南北戦争の終了後もこれを永続的な通貨システムとすると発表した。その発表の一か月後、彼は暗殺された。
ケネディはFRBの通貨発行権を政府に取り戻すという大統領令11110号に署名した後に暗殺された。結局、両者ともに通貨発行権を政府のものにすると発表した直後に殺されているのだが、公式には狂信的な男による単独犯ということになっている。
なので、フリーメイソンでないウィルソンが大統領になった時に、フリーメイソンであるトーマス・マーシャルが副大統領になっているという事実は、偶然とは考えにくい。逆らう大統領は始末して、フリーメイソンの副大統領を大統領に昇格するというのがおきまりのパターンなのだろうと思う。
この点、ウィルソンはFRB設立の際はポール・ウォーバーグの言いなりとなり、第一次大戦後のパリ講和会議ではモルガン商会のモルガンやラモントの言いなりとなった。おそらく、それゆえに彼は殺されずに済んだのだろう。
・グローバル金融帝国の完成
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/05/143624
民営化という言葉は、一般にはネガティブなイメージのものではない。しかし、実際のところ、民営化というものは恐ろしいものである。国営なら経営母体は国であるが、民営化されれば株式は市場に公開され、資金繰りは銀行を頼るようになる。つまり、国際的な金融システムに組み込まれるのである。商法の規定では、株式の過半数を取れば取締役会を自由に操作して、社長を交代することもできる。つまり、国営の組織も民営化されれば、外国の金融資本が乗っ取ることが可能となのだ。このことは一般大衆にはほとんど知らされないから、民営化という言葉にネガティブなイメージを抱く国民はいつの時代もあまりいない。
国鉄の民営化、電話の民営化、郵政民営化、そして今後の日本で起こると考えられている水道の民営化。そうなると、日本のインフラのほとんどは民営化されることとなる。その資金を三菱(ロックフェラー系)と三井(ロスチャイルド系)が握れば、日本の国家としての独立というものはほぼない(そうでなくても、もともと日本に国家としての独立はあるのかと言われれば、「ない」としか言いようがないが)。東京電力も、大株主は日本トラスティ・サービス信託銀行と日本マスタートラスト信託銀行である。つまり、FRBの運営者と繋がっている。
さて、ロシアの共産主義革命は、貴族政に対する労働者の革命と言われているが、実際にはロシアの民営化と言ってもよい。ロマノフ朝のロシアは国営であったが、これを共産化して民営化することが革命の目的であったと言える。明治維新もそうであるが、優秀な若者を国際金融帝国が資金援助して育て、国家を転覆させて民営化するというのがパターンのようだ。
レーニン(本名ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ 1870-1924)の父は高名な物理学者であり、母親はドイツ、スウェーデン、ユダヤの家系であったそうだ。レーニンは幼少から恐ろしく勉強ができ、神童と呼ばれたそうである。つまり、貧しい労働者の団結を訴えた彼は、貧困層とは正反対の金持ちの息子であり、かつ、学業優秀な子どもであった。
レフ・トロツキー(1879-1940)はウクライナのユダヤ系富農の息子であり、彼も幼いころから優秀であった。第一次大戦中、レーニンは亡命先のスイスにいて、トロツキーはニューヨークにいた。この二人に資金を提供した人物が、クーン・ローヴ商会のジェイコブ・シフ(Jacob Schiff 1847年1月10日 - 1920年9月25日)である。英語ではジェイコブ、ドイツ語ではヤーコプ、ヘブライ語ではヤコブである。
Schiffというドイツ語は、英語ではShipであり、舟であり、ユダヤ系ではよくある名前である。シフ家は、フランクフルトのマイヤー・アムシェル・ロートシルトの時代に、「グリューネシルト(緑の盾)」(Haus zum Grünen Schild)と呼ばれる建物にロスチャイルド家とともに住んでいた家柄であり、クーン・ローヴ商会はロスチャイルドと関係の深い金融業、後にこれがリーマン・ブラザーズとなる。モルガンとともに、アメリカでロスチャイルド系の金融業をやっていたのがシフ家だったわけだ。
ジェイコブ・シフは、まず、大日本帝国に資金を融通する。日露戦争の資金調達のために欧米をまわり、誰も貸し手がいなくて困っていた高橋是清(1854-1936)にロンドンで会って、日本の戦時国債の購入を提案したのだ。これで日本政府は当時の額で2億ドルを手に入れ、ロシアと戦争することができた。後にシフは、この功績により、勲一等旭日大綬章を明治天皇より贈られている。シフは、高橋の長女がアメリカ留学した際にも、ニューヨークで彼女の生活の面倒をみたそうだ。
第二次大戦後、宮沢喜一が大蔵官僚だった頃、池田勇人のお付としてアメリカに行き、アメリカの政治家や官僚、財界の人たちの集まりに出たそうである。その時、宮沢は、日露戦争前に大日本帝国がクーン・ローヴ商会から借りた金は、あまりにも昔のことであるから、全額返済というのは今さらどうだろうかと言ったそうである。その時、いきなり宮沢を数人の男が囲い込み、宮沢はそれ以上その話ができなくなったそうである。結局、日本政府が日露戦争時の国債を完済し、クーン・ローヴ商会からの借金がなくなるのは、1986年(昭和61年)である。
日本の近代化は、ロスチャイルド等の国際金融資本を抜きにしては語ることができない。歴史の教科書にそんなことは書いてないが、欧米の金融資本家を抜きにして日本の近代史を語っても、骨組みの抜けた歴史叙述にしかならない。マセソン商会の手引きで長州ファイブ(井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、井上勝)をイギリスに留学させ、その中の一人であった伊藤博文を総理大臣として、大日本帝国政府がつくられる。その後、フランス・ロスチャイルド系の教育を受けた渋沢栄一が、教えの通りに日銀の前身である第一国立銀行をつくる。そして、帝国政府はクーン・ローヴ商会から莫大な金を借りて日露戦争を行い、その後は第一次世界大戦に参加して、戦勝国となる。
ロスチャイルドは日露戦争によってロマノフ朝をたたき、アメリカでFRBをたててから、ロシア革命を起こして、莫大なロマノフの金銀財宝を手に入れる。第一次世界大戦終了後は、ロマノフやハプスブルクといった巨大王朝はなくなり、欧米国家はロスチャイルドを中心とした国際金融グループのもとで民営化された。民営化された中央銀行が通貨発行権を持つ、現在のような国家の仕組ができ、政府の意向と関係なくロスチャイルドなどの国際資本家が国家経済、つまりは世界経済を牛耳ることができるようになったのである。
・国際的リサイクルシステム
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/06/165532
ヴァールブルク家はロスチャイルドと関係の深いユダヤ系ドイツ人の家柄である。その家の出身であるマックス・ヴァールブルク(英語読みはマックス・ウォーバーグ Max Warburg、1867年6月5日 - 1946年12月26日)は、金融資本家であり、ナチスを早い段階から資金援助し、育てた。ヒトラー、ゲッペルス、ルドルフ・ヘスといった優秀な20代、30代の若者を資金援助して育てるというパターンは、明治維新やロシア革命と似たようなパターンである。つまり、ユダヤ人を迫害するナチスを、ユダヤ人であるロスチャイルド系の資本が援助していたのである。
なお、マックス・ヴァールブルグの弟は、アメリカでFRB創設のためにウィルソン大統領に署名させたポール・ウォーバーグ(1868-1932)である。つまり、兄はドイツでナチスを育て、弟はアメリカでFRBをつくったのである。
ヴァールブルグ家はシフ家とも関係が深い。ポール・ウォーバーグは、クーン・ローヴ商会設立者のソロモン・ローヴの娘と結婚している。フェリックス・ウォーバーグの妻は、ジェイコブ・シフの娘である。つまり、彼らは親戚関係にあり、ドイツ語、英語、ヘブライ語などの多言語を操り、ヨーロッパとアメリカを行き来する国際人である。
ナチスドイツとアメリカは後に戦争をするが、その裏にはウォーバーグ兄弟というロスチャイルド系のグローバル金融資本がいたのであるから、第二次世界大戦もロスチャイルド抜きには語れないものである。
ウォーバーグの登場以前に、ヨーロッパで活躍したロスチャイルド系の宮廷ユダヤ人が、ゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー(1822-1893)である。彼はドイツで鉄血宰相ビスマルクの財務顧問をしていたが、同時にアメリカのアルバート・パイクにも資金援助をしていた。
アルバート・パイクが手紙を書いた相手は、イタリア近代化の運動をしていたマッツィーニである。パイク、マッツィーニ、ビスマルクは、関係があるようには見えない。パイクはアメリカ人、マッツィーニはイタリア人、ビスマルクはドイツ人で、それぞれが各国の軍人兼政治家として歴史の教科書に登場する。しかし、各人物は、同じ資金源から資金提供を受け別の場所で戦争をしていたとも言えるのである。この時代の主な戦争は次のとおりである。
イタリア統一運動、紛争(イタリア:1858年から1861年)
南北戦争(アメリカ:1861年から1865年)
普墺戦争(プロイセン、オーストリア:1866年)
普仏戦争(プロイセン、フランス:1870年から1871年)
西南戦争(薩摩、日本:1877年)
イタリアの明治維新とも言えるようなイタリア近代化の中心人物がマッツィーニであり、アメリカで南北戦争を行ったのがパイクであり、普墺戦争と普仏戦争を行ったのがビスマルクである。彼らは若い頃から優秀であり、共通の源から資金提供を受け、それぞれの活動を行った。つまり、国際金融資本のリサイクルシステムの中で、それぞれの役割を果たしたとも言えるのである。
例えば、南北戦争が終わって、不要な武器や弾丸や大砲が大量に出る。それを今度はヨーロッパに持っていって、普墺戦争で使うのである。つまり、「お下がり」である。西郷隆盛が中心となってやった西南戦争も、その「お下がり」がまわってきて起きた戦争である。南北戦争でアメリカ人を殺した銃が、船で運ばれ、ヨーロッパで使われた後、九州で使われる。
儲かるのは武器商人や金融業者である。これはいつの時代も変わらない。ジャーナリストのヴィクター・ソーン(Victor Thorn 1962-2016)が世界四大金儲けは、戦争、麻薬、エネルギー、金融だと言ったが、当時も今も変わらないのだろう。
戦争したい国に金を貸して利子を得て儲け、さらに武器をリサイクルして儲ける。現地の人が戦争の仕方を知らない場合は、戦争が終わって暇になった軍人を派遣して、戦争の仕方を教える。人材派遣業もやるのである。例えば、西南戦争の際に、薩摩軍と政府軍の両方に武器の使い方や戦争の仕方を教えたのは、南北戦争が終わって暇になったアメリカの軍人のようである。
坂本龍馬は、フリーメイソンとされるトーマス・グラバー(Thomas Glover 1838-1911)から近代世界のことをいろいろと習った。それゆえ、戦争抜きで日本が統一国家になるように、西郷隆盛らを説得して、薩長と江戸幕府をうまくまとめてしまった。これは奇跡的なことだった。しかし、グラバーからすると、坂本龍馬などの幕末日本の優秀な若者を育て、資金提供したのは、日本で派手な内戦をしてもらうためである。戦争をしてもらわなければマセソン商会はちっとも儲からない。
平和に日本のサムライたちが近代国家を打ち建てたら、困るのは国際資本家たちである。戦争をするには莫大な金がいるし、武器もいる。そのために国債を発行し、その国債を国際金融資本が買い、日本人はその金で国際金融資本から武器を買うという構図でないと、青い目をした人達からすると困るのだ。有色人種が白人の銀行家から金を借り、その借りた金で同じ白人から武器を買って、内輪揉めの戦争をする。戦争が終わったら、白人がその武器を無料で回収し、また別の場所で別のターゲットに金を貸して、そいつに武器を買わせる。そういうリサイクルシステムなのである。
現在の世界銀行というのは、そのためにある銀行とも言えよう。なので、IMFの幹部だった人物が、転任して世界銀行の幹部になり、その後ゴールドマン・サックスの取締役をやり、FRBの理事になったり、イスラエル銀行の幹部になったり、マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授になったりする。東大を出て東京電力に就職した人物が、その後経産省の官僚になり、さらにその後、東大の原子力工学の教授になることと同じである。人材のリサイクルシステムである。
例えば、イラクのサダム・フセインは、若い頃にアメリカから莫大な資金援助を受けて、育てられた。彼は政権を取った後、アメリカからの軍事援助をもとに独裁政権を強め、イラン・イラク戦争(1980-1988)を行った。しかし、力をつけたフセインは、石油利権をアメリカに渡さず、中央銀行の民営化を行わなかった。その後、彼はアメリカ軍によって処分され、イラクの石油利権はアメリカ企業を中心とするグローバル企業に握られ、中央銀行も民営化されている。
アフガニスタンも同じである。アメリカに占領された後のアフガニスタンは天然資源を全てアメリカに押さえられ、中央銀行も民営化されている。アフガニスタンでは、アメリカ占領後に麻薬の生産量が激増したそうである。
やはり、この世界の支配者の目的は、エネルギーと中央銀行、そして麻薬の奪取であり、それを武器のリサイクルで行うことである。エネルギー、金融、麻薬、戦争が、やはり人類の四大産業なのであり、そのリサイクルシステムの中でくるくるまわりながら出世する人物が、世の中の勝ち組になっていくのかもしれない。
・大衆を思考停止にするシステム
https://isoladoman.hatenablog.com/entry/2019/06/07/163718
マッツィーニは近代イタリア建国の父、パイクはアメリカ南北戦争の将軍、ビスマルクはドイツの鉄血宰相・・・歴史の教科書では各人物がバラバラに出てくる。しかし、肝心なことを伝えない。
彼らに金を渡していたのは誰かということだ。金の出所が同じなら、彼らは一つの戦略のもとに存するメンバーであり、それぞれが別の支店で働いていたのだということになる。同じ事業計画の下で、マッツィーニはイタリア支店、パイクはアメリカ支店、ビスマルクはドイツ支店で働いたのではなかろうか。
義務教育で子どもを学校に行かせ、無内容な勉強を、競争システムの中でさせる。マスコミはどうでもいい情報を24時間国民に向かって垂れ流し続け、スポーツやエンターテインメントで国民の精神を骨抜きにする。
こうして畜産された大衆を国家の主権者と祭り上げ、彼らの投票によって政治家が選ばれ、その政治家が国家を運営する。しかし、その金融システムは資本家に握られており、政治家はそうした資本家から資金援助を受けなければ選挙で勝てない。選挙で勝った政治家は、当然、恩返しとして、資本家を優遇する政策を実行する。それゆえ、民主主義とは見えざる資本家勢力が国家を支配するための最高のシステムである。
そもそも、近代化の波の中で、なぜ世界の様々な国家が次々と民主化されていったのか、教科書は教えてくれない。国民はそれを漠然と、民主主義、つまり大衆が勝ったのだと思っている。
しかし、フランス革命は貧乏な一般大衆が団結して成し遂げたものではない。革命の主体は優秀なフリーメイソンであり、彼らが大衆を扇動したのである。マリー・アントワネットは、まだ王妃だった頃に、友人に宛てた手紙で、「フリーメイソンは恐ろしい」と書いている。ロスチャイルド家は、一族であるモーゼス・モカッタ銀行を通してフランス革命のために資金を提供している。
そもそも、貧乏な一般大衆には資金源がなく、革命をするための知的な蓄積やノウハウもない。革命であろうが戦争であろうが、莫大な金が必要である。つまり、革命には潤沢な資金と優秀な頭脳の二本立てが必要なのであり、大衆の不満や熱意だけでは、単なる一過性の農民一揆で終わってしまう。貧乏な農民たちが金持ち貴族に対して怒ってフランス革命が起こり、フランスに民主主義が生まれたというストーリーは、おとぎ話にしか過ぎない。妄想は金がなくてもできるが、革命は金がないとできないのだ。
フランス革命の後、ナポレオンがヨーロッパを一大戦場にしてくれたおかげで、貴族政治をしく各国政府は戦費の膨張で資金繰りが苦しくなる。そこにロスチャイルドを中心とした金融資本勢力が戦費をまかなう。フランス革命戦士達とナポレオンというフリーメイソンの活躍により、フランスの王家は滅び、フランスは民営化され、ロスチャイルドの思惑通りに、民営化された中央銀行ができる。
同時に、イングランド銀行の支配権を得たロスチャイルドは、イギリス王室と一体となる。その後、ビスマルクと組んでドイツを民営化し、ハプスブルク家をつぶし、その後はロマノフ家をつぶし、ロシアを共産化(民営化)する。それと同時に、アメリカにFRBを設立し、アメリカ政府を民営化する。
こうして王朝は次々と倒れ、政府は次々と民営化される。今ではほとんどの国家が民営化されている。この民営化を民主主義の勝利、一般大衆の勝利だと考えるなら、あまりにも楽観的過ぎる。民営化されるということは、株式が公開されるということであり、強大な資金力を持った者が支配できるということである。つまり、国家が貧富の格差を是正するために政策を施すことが難しくなる。
しかし、そんなことを言っても、大衆の頭の中は、スポーツ、芸能人、学校や会社のどうでもいい人間関係、家族の問題、報道機関の伝えるどうでもいいニュースといったことでいっぱいである。世の中は、頭が悪くなる装置で成り立っている。
水には毒物が混入され、空気中にも毒物が混ぜられ、食べ物も毒入りである。ワクチンや健康診断も、思考停止で受けているだけなら、非常に危険なものである。健康診断は、まるで大衆が健康になるためのシステムに聞こえるし、ワクチンというネーミングもまるで大衆を病気から救うような名前である。
民営化、民主化というものは、一見、いいものであるような印象を与えるが、非常に危険なものなのだ。この魅力的なネーミングによって、大衆は騙される。民主主義というと、まるで一般大衆が勝利者であるかのように錯覚させる。民営化というと、まるで国家権力から大衆が運営の権利を勝ち取ったようである。
2005年、当時の首相である小泉純一郎が「俺が自民党をぶっ壊す!」「これは郵政民営化選挙だ!」というふうに、わけのわからない内容で叫んだら、なぜか選挙で圧勝してしまった。当時のマスコミは、民営化される郵貯の裏にいるゴールドマン・サックスやモルガンについては、ほとんど報じなかった。もちろん、巨大利益を得るアフラックのことは「ア」の字も出さない。アフラックはロックフェラー系の保険会社である。
会社であろうが国家であろうが、株式を公開して市場に出さなければ、閉じたシステムとして外部の介入を遮断できる。鎖国時代の江戸幕府がそうである。しかし、株式を公開して、市場に流通させるということは、それを大量に買った金持ちがその組織を牛耳ることとなる。この商法と株式市場と支配のシステムを最初に思いついた天才は誰だったのだろうか。
フランス革命は貧困層の人々が力を結集して成し遂げた革命ではなかった。その担い手は資金援助を受けた知識層であり、その目的は国家の民営化、つまり国庫の民営化であった。身分制社会が倒されて平等社会が実現されたのではなく、国が守っていた通貨発行権を資本家が強奪することが実現されたのだ。こうして正に「資本主義」がはじまった。
資本家は、国家の通貨を握ったと同時に、教育とマスコミという情報も握った。それにより、学校でもメディアでも、決して肝心なことが伝えられない社会制度が確立された。
学校で教わることや、テレビや新聞などの大手メディアでの情報だけでは、それぞれの政治活動の資金源がどこにあるのか知ることができない。大衆は事の真相を知らされず、表面的な情報だけをもとにして議論をせざるを得なくなり、中にはそういう表面的な議論を議論そのものだと勘違いする人々も出てくる始末である。
他方、資本家たちは英語、ドイツ語、フランス語、ヘブライ語を自由に操り、金融や世界情勢に対する圧倒的な知識を持ち、学習能力が高く、なにより世界の構造の裏側をよく知っている。こうした高度な悪知恵を持った資本家たちと、国家システムによって生産される思考停止の大衆という二極化社会が到来することとなった。
私は民主主義が「悪」の制度だと言いたいのではない。民主主義は、一般大衆にとって夢のような素晴らしい制度ではないと言いたいのだ。それは放っておけば、国際金融資本家が好き放題に利用するという危険性を孕んだシステムである。この危険性について国民が思考停止であるなら、得をするのは国際金融資本家である。
確かに民主主義体制下では、貴族が大衆から搾取することはできない。それは民主主義という制度の成果である。しかし、このシステムにおいては、国際金融資本家は大衆から堂々と、合法的に搾取できる。
なるほど、憲法は貴族の特権を禁じ、身分制度を否定している。しかし、金持ちがメディアのスポンサーになって大衆を洗脳することについては、憲法は禁じていない。うかうかしていると、国民の財産が次から次へと民営化され、国際金融資本家に乗っ取られる。1%の金持ちが99%の大衆を支配するという社会ができあがり、戦争にしても、彼らが自由に世論を操作して実行可能な世界となる。
大衆が気づかないうちに家畜となる社会ができあがる。郵便局に貯金をしたら、その金はゴールドマン・サックスやモルガンが儲かるような仕組みがつくられ、貯金した金がいつのまにかアメリカ国債に化けている。郵便局員のすすめで保険に入ったらアフラック、つまりロックフェラーが儲かるという仕組みができあがる。日本人のお金を預かる郵便局が、国際金融資本家勢力を太らせるメカニズムになるのだ。
これは安全保障の面でも同じである。愛国心に基づいて国防費の増額に賛同し、軍事力の強化に賛同しても、その実はアメリカの武器会社などの資本家を太らせるために軍事力の増強をしているということになる。アメリカの軍需産業が日本のおかげで相当に儲かったわけである。金を払ったのは日本国民であり、それは日本人が毎日汗水流して働いている成果から天引きされている税金である。
この流れに流されるままでいたら、気づいた時には日本人の自衛隊の若者が、アメリカ企業(グローバル企業)を儲けさせるために、中東の地で命を懸けて戦うということになりかねない。
かつて、白人を儲けさせるために、日本人同士が殺し合いをした時代があった。西郷隆盛率いる軍勢が西南戦争で幕府軍と戦い、儲かったのは誰か。日露戦争でロマノフ朝ロシア軍と日本人が殺し合い、大儲けしたのは誰か。日本は日露戦争に勝って、果たしてどれくらい利益を得たのか。日本政府が日露戦争の時に借りた金を、元金プラス利子の満額でユダヤ人に返し終えたのは、1986年である。
民主主義という体制の下では、国民の愛国心はメディアを通して資本家に操作され、彼らの利益のために利用される可能性がある。この危険性について国民が自覚的でない限り、民主主義という制度は一般大衆にとって夢の制度とは程遠い危険な制度である。国民が無知無関心のままなら、この制度の利用方法を隅々まで知っている彼らのいいように操られるかもしれない。
・「民主主義という名の演劇が持つ生来の特徴は、舞台を眺めているだけでは観客にも歴史家にもドラマの原動力はわからないことだ。民主主義は世論に頼るため、資金源や本当の戦略など重要な中味は決して世論の目に触れないようにする。
フランス革命のような民主主義革命を進める真の原動力は思想結社である。1770年頃の思想結社としては哲学者グループやフリーメイソン、革命系民衆グループなどが挙げられる。こうしたグループのメンバーが社会に潜入し世論を形成、煽動していく。
民主主義においては民衆の意見をコントロールする者が民衆に替わって全権を得ることができる。
純粋な民主主義、民衆の全権を求める者は自ずと世論を煽動する力を持つ思想ネットワークによる支配を支持することになる。
民衆の全権、すなわち思想ネットワークによる支配が原則として認められさえすれば、圧制の実現は合法で自然なものとなる。それがフランス革命が抱える謎の矛盾を解く鍵だ。
つまりフランス革命を個人の革命家が集まった偉業として説明している限り真相は理解できない。彼らは民衆の全権という名の下で思想結社が構築し作動させた巨大な機械装置の歯車に過ぎないからだ。」(オーギュスタン・コシャン『思想社会と民主主義』)
・イギリスは20世紀初頭からドイツとロシア/ソ連を戦わせ、共倒れを狙ってきた
2023.06.29
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※1917年2月にペトログラード(現在のサンクトペテルブルグで起こったストライキから始まる内乱は、第1次世界大戦の最中に引き起こされた。ヨーロッパでは1914年7月28日にオーストリア-ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して大戦が勃発していたのだ。
その当時、帝政ロシアではドイツとの戦争に積極的な産業資本家と消極的な大地主が対立している。産業資本家側には有力貴族のフェリックス・ユスポフが、また大地主側には修道士のグレゴリー・ラスプーチンがついていた。
帝政ロシアの有力貴族で、ドイツとの戦争を推進し、グレゴリー・ラスプーチン暗殺に関わったフェリックス・ユスポフは、オックスフォード大学の学生結社「ブリングドン・クラブ」のメンバーだった。メンバーの多くはイートン校の出身、つまり富豪の子どもたちで、素行が悪いことで知られている。
ラスプーチンの背後には皇帝アレキサンドロビッチ・ニコライ2世と皇后アレクサンドラがついていた。ドイツとロシアを戦わせようとしていたイギリスにとってラスプーチンは邪魔な存在だ。
戦争を望んでいなかった皇后は7月13日にラスプーチンへ電報を打って相談、ラスプーチンは戦争が国の崩壊を招くと警告しているが、その内容を盗み見た治安当局は議会などにリーク、ラスプーチンは腹部を女性に刺されて入院することになった。入院中にロシアは総動員を命令、ドイツは動員を解除するよう要求。それをロシアが断ったため、ドイツは8月1日に宣戦布告している。ラスプーチンが退院したのは8月17日のことだ。
すでにドイツと戦争を始めていたロシアだが、ラスプーチンが復帰したことでいつ戦争から離脱するかわからない状況。それを懸念したイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を責任者とする情報機関のチームをペトログラードへ派遣。チームにはスティーブン・アリーとオズワルド・レイナーが含まれていた。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)
アリーの父親はユスポフ家に雇われた家庭教師のひとりで、アリー自身はユスポフの宮殿で生まれている。またレイナーはオックスフォード大学の学生だった時代からユスポフの親友で、流暢なロシア語を話した。(前掲書)
ペトログラードにおけるイギリスのお抱え運転手だったウィリアム・コンプトンの日記によると、彼はレイナーをユスポフの宮殿へ1916年の10月後半から11月半ばにかけて6度運んだという。ユスポフは1916年12月19日にレイナーと会ったと書き残している。(前掲書)
ラスプーチンは1916年12月30日に暗殺された。殺したのはユスポフだと言われているが、暗殺に使用された455ウェブリー弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたもので、殺害現場にいた人の中でその銃弾を発射できる銃をもっていたのはレイナーだけだったという。
ユスポフは上流社会の堕落に憤り、犯行に至ったとされているが、世界の上流社会は堕落している。そのようなことで憤る人物が上流社会で生きることはできない。このハリウッド映画風の説明に説得力はないのだ。事実を直視すれば、ドイツとロシアの戦争をイギリスが継続させたかったのだという結論に達する。ドイツとロシアの共倒れを狙っていたということだろう。
二月革命で成立した臨時革命政府は戦争を継続する。そこでドイツは即時停戦を主張していたボルシェビキに目をつけたが、ボルシェビキの指導者は国外に亡命しているか刑務所に入れられていた。
そこでドイツはボルシェビキの幹部32名を「封印列車」でロシアへ運ぶ。ウラジミル・レーニンは1917年4月に帰国、7月にボルシェビキは武装デモを行うものの、鎮圧されてしまう。レーニンはフィンランドへの亡命を余儀なくされた。この時、臨時革命政府軍の最高総司令官になったのがラーブル・コルニーロフ将軍。労働者や兵士を味方につける必要性を感じたのか、臨時政府は7月にエス・エルのアレキサンドル・ケレンスキーを首相に就任させた。
ところが、コルニーロフが8月にクーデターを企てる。この武装蜂起にケレンスキー政府は対応できず、ボルシェビキに頼ることになった。そして十月革命につながり、革命政権はドイツの思惑通りに即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止も打ち出した。
レーニンの命令でボルシェビキ政権はドイツとの戦争を停止するものの、アメリカが参戦、兵員を送り込んだほか、イギリスやフランスに物資を供給してたこともあり、ドイツは戦争に負けた。
しかし、そうした経緯があるため、大戦後、ドイツとソ連の関係は良好だった。両国の関係が悪化するのはドイツでナチスが実権を握ってからだ。ナチスはイギリスやアメリカの金融資本から資金的な支援を受けていたことがわかっている。
帝政ロシアの崩壊はラスプーチン暗殺が山場であり、その背後にはイギリス政府が存在していたと言えるだろう。その手先がユスポフだ。