・都市閉鎖の愚策にはめられた人類

2020年5月16日   

田中 宇

http://tanakanews.com/200516lockdown.htm

※人類のコロナ危機が始まって4か月経ち、新型コロナウイルスに関する世界規模の指標情報がいろいろ出てきた。感染者数、死者数、抗体保有者数などだ。コロナ危機は全体的に、政治的に強いバイアス・価値観の歪曲がかけられているので、これらの数字を使った歪曲報道もいろいろ出ている。報道や権威筋による御託宣に騙されないよう、公開されている指標を使って自分なりに考察する必要がある。私が今回考えたのは、コロナの致死率についてだ。

コロナは世界的に90%程度の人が感染の自覚がない無発症か軽症で終わっている。これらの無自覚者は政府の感染者統計にほとんど含まれない。ランダム調査や、発症者の濃厚接触者の調査では、無自覚者の感染がわかるが、それらは無自覚感染者全体のごく一部だ。感染者のうち何人が死んだかという致死率は、政府統計の感染者を分母にしてはならない。それを分母にすると、コロナの致死率は6.6%(死者31万人/感染者460万人)というとんでもない数字になる。季節性インフルエンザの致死率が0.1%と言われるので、その66倍となり「ワクチンができるまで全人類の外出を禁止せねばならない」という話がまかり通る。

さすがにこの数字は多すぎるということになっているようだが、今の危機に対するマスコミなどの歪曲はコロナの危険性を誇張する傾向なので、この種の手口は危機発生以来日常的に繰り返され、人々はすっかり軽信させられている。コロナの恐怖戦略は大成功している。「恐怖戦略」という言葉を使った私は「コロナの恐ろしさに気づかない妄想屋」とレッテルされる。私のような者が馬鹿扱いされるほど恐怖戦略は大成功していることになる。


・新型コロナはふつうの風邪の一種?

2020年6月17日

田中 宇

http://tanakanews.com/200617corona.htm

まとめ

・新型コロナに対する人類の抗体保有率が異常に低い。
・抗体保有率が低いのは、まだ感染していないからではなく、自然免疫や、既存の風邪ウイルスや(新型ではない)コロナウイルスに対する抗体で、事足りており、新たに抗体を作る必要すらないから。
・故に既に(新型コロナに対する抗体に拠らない)集団免疫は獲得されている。
・新型コロナは伝播力は高いが感染力は非常に低い。ほとんどの人は感染(=細胞内にウイルスが侵入)すらしない。
・故にロックダウンや自粛やソーシャルディスタンス(社会的距離)やマスクやワクチンは一切必要ない。

※日本での新型コロナウイルスの抗体保有率は東京都で0.10%、大阪府で0.16%、宮城県で0.03%だと日本政府が6月16日に発表した。最近、ソフトバンクが調べた社員らの抗体保有率も0.43%と低かった。その前に東京都が調査した結果も0.6%だった。コロナに関する世の中の見識や私の見立ては従来「感染力が非常に強いので、ワクチンが完成しない限り、人類の6割以上が感染して抗体を保有する集団免疫の状態になるまで感染が拡大する」というものだった。5月の段階でニューヨークやストックホルムの都市部が20%ぐらいの免疫保有率で、集団免疫に近づいている感じだった。しかし今回の日本の抗体保有率は異様に低い。従来の見立て通りに考えると、日本は集団免疫まで何年もかかることになる。どういうことか??。

実は最近、コロナに対する従来の見立てを崩す研究が相次いで出てきている。米国やスイスでの研究だ。それらを総合すると以下のようになる。「人類の多く(40-70%もしくはもっと)は、新型コロナのウイルスが体内に入っても感染しない。既存の他のコロナウイルス(風邪)に感染して得られた免疫が、新型コロナに対する免疫力にもなっているようだ」「その関係なのか、新型コロナに感染した人も、ある程度以上の強い症状に陥らない限り、治癒していく際に体内に新たな抗体が作られない。重症患者だけが、新型コロナの抗体保有者になる」。新型コロナは重症化しない限り、ウイルスが体内に入っても人々が持つ既存の免疫力で退治され、抗体すら作られずに終わる。多くの人は、体内の既存の免疫力でコロナを撃退し、感染すらしないで終わる。感染しないので抗体も作られない。抗体検査しても、抗体保有者が意外に少ない結果になる。新型コロナが既存のふつうの風邪に対する免疫力で退治されるなら、新型コロナはふつうの風邪と同じくらいの脅威でしかなく、ふつうの風邪の一種だといえる。

米国の抗体保有率はニューヨークが高いが、全米でみると3-5%ぐらいだ。中国の武漢は3%で、スペインは5.2%だった。日本では全国民に対する結核ワクチンのBCG接種をしており、BCGは長期的な広範な免疫力の上昇をもたらす。BCGの意外な副作用として人々の広範な免疫力が上がり、新型コロナのウイルスが体内に入っても感染に至らず撃退され、新たな抗体も作られずに終わっている可能性がある。日本の抗体保有率に異様な低さはBCGのおかげかもしれない(中国など、BCG接種を義務づけている日本以外の諸国の抗体保有率はそれほど低くないが)。

感染しても抗体が作られないというと「抗体がないので再感染のおそれがある。新型コロナは人々を何度も感染させて死滅させる恐ろしい病気だ」という恐怖扇動報道になりがちだ。しかし、マスコミや政府が演出する「闇夜の枯れすすき」の誇張を剥いで考えると話が逆になり「新型コロナは、人々の既存の免疫で退治できる程度の低い脅威の病気だ。ふつうの風邪の一種だ」と考えるのが自然だ。

新型コロナに感染しても重症化しないと抗体が作られないことが多いというスイスでの研究結果をふまえて考えると、感染者統計と抗体保有率との間のつじつまも合う。日本では多くの場合、入院が必要なほどの重い症状にならないとPCR検査の対象にならず、感染者統計に載らない。統計上の感染者の多くが、ある程度以上の発症者だ。そして、感染後に新型コロナの抗体を保有するのも、ある程度以上の発症者だ。東京都の統計上のこれまでの感染者数は5600人で、東京都の人口(970万人)の0.06%にあたる。東京都民の抗体保有率は0.10%であり、両者は大体同じ水準だ。そこそこの症状で発症しても肺炎になっていないとPCR検査してもらえないので、発症したのに感染者として扱ってもらえないまま治癒して抗体保有した人が都民の0.04%いたという仮説が考えられる。スペインでは抗体保有率が5.2%と発表された。スペインの統計上の感染者数は30万人で、人口(4700万人)の0.63%だ。抗体保有率が正確なら、中程度以上に発症した人が統計の8倍以上いたことになる。もしくは抗体保有率を精査するともっと低い数字になる。

これまで、新型コロナとの関係について人々を区分すると以下の4つだった。

(A)まだウイルスが体内に入ったことがない人。
(C)ウイルスが体内に入り感染したが無症状のままの人、その後治癒した人。
(D)ウイルスに感染し発症したが軽度な人と、その後治癒した人。
(E)感染発症し重症化した人、その後治癒した人、死亡した人。

そこに、今回の米国とスイスの研究をふまえると、新たに

(B)ウイルスが体内に入ったが既存の免疫で撃退し感染しなかった人、

が加わる。

(B)の人はかなり多い。人類の半分もしくはもっといる。抗体保有率の異様な低さや、BCGの効果などを考えると、日本などいくつかの国々では、人々の90-99%がこの区分に入るかもしれない。

(B)の区分の人々は、抗体検査やPCR検査で見分けられない。既存の区分において(B)は、これから感染する(A)だと思われていた人だ。だが実際には、(A)の人々はこれから感染しうるが、(B)の人はもう感染しない。次にウイルスが体内に入ってきても、既存の免疫力で再び簡単に撃退できる。新型コロナ専用の抗体がなくても再感染しない。人々の大半が(B)であるなら、(A)の人々の大半も、これからウイルスが体内に入ってきた時に簡単に撃退し、(B)に仲間入りする。雑駁な推測になるが、日本など多くの国は現時点で、総人口のうち、(A)が10-20%、(B)が50-70%、(C)が10-20%、(D)が5%以下、(E)が1%未満でないか。(B)から(E)の合計が60-80%になると集団免疫なので、日本など多くの国は、すでに集団免疫になっている。

ワクチンの必要性も大幅に低下する。ワクチンが必要なのは(A)の人々のうち、将来(E)に入るかもしれない人だが、そのような人はとても少ない。そもそも(E)の死亡者のほとんどは主な死因が新型コロナでなく別の既存の持病であり、コロナ危機が起きなくても近々死ぬ人だった。

ヒトや動物の免疫の仕組みはまだよくわかっていない部分が多い。人が生来持っている自然免疫や、既存の風邪で獲得された免疫、BCGなど既存の予防接種による免疫強化が、人々の体内での新型コロナの撃退に役立っているという話は、コロナ危機の進展とともにぽつぽつと出てきた。それらの仕組みを確定的に検証することは、免疫自体のシステムの全容が完全に解明されない限り困難だ。今のところ(A)の人と(B)の人を見分ける検査も存在していない。PCR検査も抗体検査も、 完全に見分けられるのは(E)の人だけで、(C)(D)の人は陽性になったり陰性になったりする。(A)(B)の人は陰性になり、(A)と(B)を見分けられない。

新型コロナの実体を解明する作業は、ふつうの風邪の実体を解明することに似ている。ウイルスの伝播力は強いが発症性が弱く、多くの人は数日内で治癒するので、感染したかどうか、発症したかどうかの判別が困難だ。その意味でも、新型コロナは風邪の一種だ。「人々の多くが無発症で感染する。感染したら無発症でも他人を感染させるので全員の外出自粛が必要だ。マスクをしていない奴はけしからん」という従来の見立ては間違えだったことになる。実際は「人々の多くはウイルスを体内に取り込んでも感染しなかった。感染していないので他人にうつすこともない。外出の自粛やマスク必須は病理学的な理由からでなく、政治的・儀礼的な理由によるものだ」である。コロナ危機は史上最大の馬鹿な噴飯ものの話だ。

ウイルスを取り込んでも感染しなかった(B)の人が誰なのか、何人いるのか確定できない以上、(B)の存在を反映してコロナ対策を作り直すことが難しい。コロナ対策はもともと非常に政治的で、トランプの米国が日欧などに都市閉鎖を強要した不正っぽい経緯がある。これから各国が急に(B)を意識した政策転換をするとは考えにくい。史上最大の愚策である各国の都市閉鎖・外出自粛・社会距離・マスク義務は、(B)の存在が見えてきたことでさらに愚策になりながら延々と今後も続く。

米国とスイスの研究は、以下の通りだ。米国カリフォルニア州のラホヤ免疫学研究所の研究者たちが、新型コロナ発祥前に集めた、既存の別のコロナウイルス(ふつうの風邪)に感染した11人の血液サンプルを調べたところ、その半分(40-60%)から、今年の新型コロナのウイルスを防ぐ免疫作用を持つ「T細胞(免疫システムの中心的な存在)」が検出された。ふつうの風邪の感染で形成される抗体が、新型コロナに対する免疫力を兼ね備えているらしいことがわかった。ふつうの風邪にかかったことがある人の多くは、新型コロナウイルスが体内に入っても感染(ウイルスを定着、増殖)させないか、感染しても限定的なかたちに制限できる。この既存の免疫作用が、新型コロナが蔓延しているのに感染や発症をしない人が多い世界の現状につながっている。

また、スイス・チューリッヒの大学病院の研究者たちが、病院で新型コロナ感染者(と後でわかった患者)に濃厚接触してしまった医療従事者109人を調べたところ、新型コロナの症状があった92人のうち、11人しか抗体(IgG)が作られていなかった。コロナに感染しても、ほとんどの人には抗体が作られないまま治癒する。109人のうち、(1)無症状でPCR検査も陰性だった人が17人で、この全員にIgG抗体が作られなかった。(2)症状が出たがPCRが陰性の人が71人で、この中の3人(4%)にだけIgG抗体が作られた。(3)症状が出てPCRも陽性の人が21人で、このうちの8人(38%)にIgG抗体が作られた。感染時にまず作られるIgA抗体も、(1)の2人、(2)の4人、(3)の8人にしか作られなかった。発症しても本格的にならないと抗体が作られないことがわかった。

チューリッヒの研究所はまた同じ病院の56人のコロナ発症者も調査し、56人のうち23人(41%)しかIgG抗体が作られていなかった。56人のうち、(1)軽症者が19人で、この中の5人(26%)だけIgG抗体が作られた。(2)重症者が37人で、この中の18人(49%)にIgG抗体が作られた。重症化しても長期的なIgG抗体が作られるのは半数にすぎない。医療従事者と患者を合計すると、165人中34人(21%)にしかIgG抗体が作られなかった。カリフォルニアの研究と合わせて考えると、軽症者や無症状を中心とする残りの人々(79%)は、もともと体内に持っていた既存の風邪の免疫で新型コロナを撃退したことになる。

米国やスイスの研究は対象数が多くなく、広範に検証されたものでもない。コロナ危機の政治歪曲性もあるので「そういう説もあるが真偽は不明で、政策の根拠に使える代物でない」と一蹴されて終わるだろう。しかしその一方で、日本などでの抗体保有率の異様な低さとあわせて考えると「重症化しないと抗体が作られない」というのは一蹴しにくい事実だ。そして、自然の道理から考えて、重症化しないと抗体が作られない理由は、人体が、新型コロナをそれほどの脅威でないと認識しているからだろう。ヒトにとって重大な脅威なのに、感染時に人体が新型コロナの抗体を作らないことはあり得ない。

「新型コロナはただの風邪だ」と言うことは従来「暴言」「他の人を感染させる危険な妄想」とされてきたが、実はそうでなく事実に近いのだと言えるようになってきた。大きな問題はウイルスでなく、多くの人々が歪曲話を軽信して洗脳されてしまったことである。そもそも今回の話を見つけたのは、米マスコミが「フェイクニュース」と非難中傷するオルトメディアのサイト「オフガーディアン」が、この件についての分析記事を出してくれたからだ。実のところ、政治経済の話も含めて、今やマスコミこそが「フェイクニュース」である。

最近「第2波の感染拡大が起きる」と世界的に喧伝されている。だが米国では、検査数を増やしたので感染者が再拡大しているだけだという指摘が出ている。新型コロナの統計はこれまでも各国でいろいろ歪曲されてきた。「第2波」は新手の歪曲と疑われる。


・新型コロナ「第2波」の誇張

2020年7月17日   

田中 宇

http://tanakanews.com/200717corona.htm

※世界的に新型コロナのウイルス感染拡大の「第2波」が来ていると、各国の権威筋やマスコミが騒いでいる。2020年7月に入り、日本を含む世界各国で、それまで減少もしくは横ばい傾向だった新型コロナの感染者数が再び増えている。日本の場合、毎日の全国合計の感染者数の増加幅が、6月中旬に1日50人前後だったものが、6月末に1日80-100人前後になり、7月上旬になると連日200人前後に増え、7月中旬にはこれが300-400人前後まで増えた。特に東京都の増加が大きい。これを見ると、確かに「第2波」が来た感じがする。日本政府は第2波の到来を否定したが、マスコミや評論家などの権威筋や、一般市民のふりをした軽信扇動派らは「これは第2波だ。政府は非常事態を再宣言し、外出自粛や店舗の閉鎖などを再度進めるべきだ」と言って、経済を優先している政府を批判している。権威筋は以前から第2波を「予測」しており、彼らは「だから言ったじゃないか」としたり顔だ。

しかし、厚生労働省が発表している日々のコロナの統計を詳細に見ていくと、感染者数が増えたのはPCRの検査数を増やした影響が大きいことがわかる。日々の変動をならして趨勢的に見ると、6月中旬には毎日4000人前後を検査して50人が陽性だったのが、6月末になると5000人前後を検査して80-100人が陽性になり、7月上旬には毎日6000-7000人を検査して200人前後が陽性になっている。そして7月中旬には、検査対象が1万人を超える日もあった一方、陽性者が300-400人に増えた。検査数が増加し、それに伴って陽性者も増えているが、入院者の比率は上がっていないし、重症者も増えていない。後述するように、ウイルスの重篤性が下がり、陽性だが無発症や非感染(ウイルスが気道上に付着しているだけ)の人が増えている。

検査数の増加以外にも、PCR陽性者を増やすための政策的な仕掛けが巧妙に作られている。巧妙な政策の日本での代表例は、感染者数の増加がとくに激しい東京都新宿区で、PCR検査を受けて陽性になった区民に対して今年8月から10万円を支給することを6月末に決めた政策だ。この政策の大きな対象は歌舞伎町などの歓楽街で働く人々で、彼らにPCR検査の受診を奨励し、陽性になって休業せざるを得なくなったら休業補償として10万円の一時金を出すという意味の策だ。これにより、東京都が目の敵にしている都庁のおひざもとである新宿の歓楽街の営業を自粛させる効果もある。

コロナの重篤性は日に日に下がっているし、歓楽街の従業員らの多くは若いので、ウイルスを吸い込んで陽性になってもほとんど発症しない。低リスクで10万円を得られる。みんな検査を受けて陽性になりたがる。新宿区ではPCR検査の受診者のうち20-40%が陽性という異常な高さだが、これは10万円の効果が大きい。新宿区だけで7月前半、1日平均40人の陽性者が増えている。日本の増加分の15%を新宿区が出している。日本政府は、米国など国際筋から、統計上の感染者を増やして第2波が来たかのような状況を作れと圧力をかけられている。新宿区の10万円支給は、政府の第2波演出のための策である。

日本人はもともとBCGなどが理由で新型コロナに対する自然免疫が強く、ウイルスが喉の奥の気道の表面に付着しても気道の細胞の中に侵入できず、感染に至らないまま終わる人が多い。こうした人々はPCR検査で陽性になるものの感染していない。いわゆる「無発症の感染者」の多くはこの手の人で、実は感染すらしていない。「陽性者」の多くは感染していない。感染とは、ウイルスが気道表面の細胞の膜を破って内側すなわち体内に入った状態のことだ。PCR検査は、気道表面のウイルスの存在を確認するだけで、そのウイルスが気道の細胞に感染したかどうかを確認できない。ほとんど誰も感染しない状況下で、会話中に出る飛沫を通じて人から人にウイルスが移っていく。新宿の歓楽街の従業員らが10万円をもらうため、これを意図的にやっている疑いすらある。

東京都やマスコミなど権威筋は、歌舞伎町など新宿の歓楽街をコロナの温床のように誹謗・攻撃している。以前から「街の浄化」を望んできた警察などの肝いりっぽい。「新宿の歓楽街はコロナで汚染されている」という印象が意図的に流布されている。だがその一方で権威筋は、来客が激減し休業になって金に困っている歓楽街の従業員らに対し、10万円を支給するからコロナ検査して陽性になってくれと誘い込み、統計上のコロナ感染者を増やし、米国など「世界政府」筋からやれと言われている「第2波」の演出を実現している。そして、この策略の結果として新宿区のコロナ陽性者が急増すると、それを新たなネタとして「新宿の歓楽街はコロナで汚染された極悪の無法地帯だ」と喧伝・攻撃を加速している。実のところ、「悪い」のは歌舞伎町の人々でなく、政府マスコミなど権威筋である。もっとも世界的に見ると、日本の権威筋は中間の「小役人」でしかなく、コロナ危機の構造全体を作り上げた真の巨悪は、覇権運営を握る「米中世界政府筋」なのだが。

新型コロナのウイルスは、感染が広がるにつれて病気としての重篤性が下がっている。日本でのコロナの重症患者数は減り続けてきた。病院の病床不足を補うため4月から全国のホテル群のうちの8棟をコロナの患者(軽症者と無症状者)専用の滞在施設にしてきたアパホテルは7月15日、8棟のうち5棟でのコロナ患者の滞在を7月中に終わり、8月から通常営業に戻ると発表した。英米など世界中で、軽症者用に新設ないし借り上げられた施設の多くがほとんど使われないままで、いくつかは閉鎖・終了に至っている。日本のアパホテルの例はその一つだ。

統計とイメージで演出された第2波の騒動と裏腹に、コロナの感染は縮小しつつある。感染者の増加やクラスターの発生が喧伝されているが、ほとんどの場合、新たに発生した感染者がどのような症状なのか、無症状者が何割なのか、まったく報道されていない。政府は、コロナが重篤な病気だという印象を国民に持たせ続けたいので、無発症や非感染(ウイルスが気道表面に乗っているだけの陽性者)がとても多いことを隠したいのだろう。米国でも、第2波は検査の増加によって演出されたものだといくつかの方面から指摘されている。

しかしコロナは、いくら病気としての大変さが減っても、政治的には「とても大変な病気だ」「自粛や経済停止がずっと必要だ」というプロパガンダは全く弱まらず、むしろ逆方向の第2波の騒動が扇動されている。日本だけでなく米国でも、第2波として喧伝される感染者の増加が、検査の増加や感染者の定義の改悪(検査しなくてもそれらしい症状が少しあるだけでコロナと診断されるなど)によるものだと指摘されている。米国が主導する国際社会が各国に圧力をかけ、大した病気でなくなっているのに、世界的にコロナ危機の長期化が画策されている。

コロナ危機が歪曲されたものであるとわかっても、歪曲をやめさせて世界を元に戻すことは難しい。大英帝国以来、世界を支配してきた米英の覇権勢力(諜報界)による戦略だからだ。コロナ危機の発展形として今後、米国などで暴動や内戦がひどくなり、いずれ草の根から米国の覇権勢力を倒そうとする動きが激しくなれば、コロナ危機の歪曲性が暴露されていくかもしれない。米国ではマスク着用の義務化が進んでいる。これは、コロナ危機が誇張されていると疑っている何割かの米国民たちを苛立たせ、コロナをめぐるインチキを暴露しようとする動き(主に共和党系)を扇動する。

だが、コロナの歪曲を暴露しようとする米国での動きは始まったばかりだ。世論調査によると、民主党支持者の多くはコロナ危機を軽信している。コロナ危機の歪曲が事実であるかのように喧伝したがるマスコミの多くが民主党寄りだからだ。共和党支持者と民主党支持者の対立が激しくなり、米国が南北戦争の再来のような内戦になっていきそうだ。コロナを軽信するかどうかは両派の対立点の一つになっており、コロナ危機がインチキであると全員が認識する結果にはなっていかない。最終的に、いずれコロナ危機のインチキさが暴露されるとしても、そのころには米国の覇権は失墜してもとに戻れない。歪曲は暴露されても、従来の米国中心の世界体制や、消費過多だった以前の経済の繁栄が再生することはない。コロナ危機が誘導していく覇権の転換は不可逆的だ。


・新型コロナのウイルスは存在する?

2020年7月8日

田中 宇

http://tanakanews.com/200708corona.htm

※徳島大学の大橋眞・名誉教授は、新型コロナウイルスをめぐるおかしな点を日本で最も大胆に指摘・公言している免疫生物学の専門家である。彼の指摘の最重要なものは「世界が新型コロナウイルスを特定しているやり方がおかしい」ということだ。

新型コロナの感染者を判定するために世界的に行われているPCR検査は、感染が疑われる人の気道の体液の中に「基準となる新型コロナウイルスの遺伝子配列」と同じ配列の遺伝子があるかどうかを測定する。この「基準となる遺伝子配列」として世界的に、中国の研究者たちが今年1月末に医学雑誌ネイチャーで発表した論文(A new coronavirus associated with human respiratory disease in China。以下「中国論文」)に載せた遺伝子配列が使われている。この論文に載った遺伝子配列が、新型コロナを判定する世界的な基準として使われている。

この論文は、昨年末に武漢で肺炎を発症した患者の肺から採取した体液に含まれる各種のウイルスや菌などが持つ膨大な数の遺伝子の中から、SARSやコウモリのコロナウイルスなど、既存の類似のコロナウイルスの遺伝子配列に似たものを取り出し、それを新型コロナウイルスの遺伝子配列だろうと結論づけている。(論文はこの結論を、断定でなく推定している)

大橋氏は、この論文に載っている遺伝子配列の決定手法が適切でないと主張・指摘し続けている。患者から採取した体液の中には無数の遺伝子がごたまぜで入っている。それをそのまま調べるのでなく、まず新型コロナであろうと思われるウイルスをごたまぜの中から分離(単離、クローン化)してから調べないと、何の遺伝子を調べているのかわからなくなる。分離したウイルスが本当に新型コロナであることを確認する同定作業(すでに発症して治癒した人の抗体が含まれている血清によって、分離したウイルスが中和・無力化されることを確認する作業)も必要だ。それらをせず、採取したままのごたまぜの体液からそれらしい遺伝子を取り出しても、それは新型コロナでなく、似たような、元から体内にある多くの種類の常在性のコロナウイルスの一つを取り出して「これが新型コロナの遺伝子だ」と決めつけてしまう間違いをおかしかねないと大橋氏は指摘している。

常在性ウイルスは多くの人の体内に生まれつき存在し、他人に感染する性質のものでない。何らかの理由で免疫が低下すると、体内の常在ウイルスが増殖して肺炎などを起こす「日和見感染」があり得るので、それが新型コロナの症状とされるものの本質でないかとも大橋氏は言っている。無数にある常在ウイルスや一般のコロナウイルスは、病原性がとても弱いのでほとんど研究されていない。

大橋氏はまた、ネイチャー掲載論文に書かれた、中国の専門家たちが患者の肺の体液から新型コロナウイルスを抽出した「ショットガン・シーケンシング」と呼ばれる、遺伝子配列の新しい決定手法について疑問を持っている。

従来の配列決定方法は、まずごたまぜの体液の中からウイルスや細菌などを分離し、それが探していた病原性のウイルスなどであると同定してから配列を決定するが、この分離と同定の作業はウイルスなどの培養・クローン化が必要で、何週間もかかる。しかも、多くのウイルスなどは分離同定が困難・不可能で、分離同定できるのは全体の一部だけだ(ウィキペディアによると細菌などの場合は1%)。これらの問題を乗り越えるために2000年ごろから出てきたのがショットガン・シーケンシングで、対象の液体の中にあるすべての遺伝子を抽出し、その全体像の中から対象のウイルスがどれであるかを推定し、その遺伝子配列を特定するやり方だ。

ショットガン・シーケンシング法は、対象のごたまぜ液体中のすべての遺伝子を抽出するために、まず遺伝子配列を一定の短さに細切れにして、両端に細工を施し、その細工を頼りに細切れのものをコンピューター上でつなげて元々の何本もの配列を再現する手法をとる。これは、ショットガン法の分析機械(米イルミナ社のMiniSeqなど)が採用している、分析作業の効率を上げるための仕様だ。大橋氏は、この仕様を指して、無数の種類のウイルスがごたまぜになっている体液のRNAを寸断した後に適当につなげ、実際には存在しない架空の遺伝子配列をコンピューター上で作り上げる(捏造する)作業だと指摘している。中国の専門家たちがネイチャーに掲載した新型コロナの遺伝子とされるものは、実のところ、何種類ものウイルスの断片を無理矢理につなげた「キメラ遺伝子」だとする指摘だ。

新型コロナというウイルスは実のところ存在しておらず、他人に感染せず、病原性もほとんどない常在ウイルスを新型コロナと見間違えたか、もしくは架空のキメラ遺伝子を新型コロナだと言っているかのどちらかであると、大橋氏は言っている。ネイチャーの中国論文が、新型コロナのものとして載せた遺伝子は、新型コロナのものでなく、常在ウイルスの一つであるか、もしくは架空のもの(キメラ)であるという話だ。中国論文が掲載した遺伝子配列は、世界のコロナ対策において最も重要な「基準配列」として使われている。日本など多くの国のPCR検査は、基準配列の遺伝子が存在しているかどうかで陽性陰性を判断している。基準配列が新型コロナのものでないとしたら、世界中のPCR検査はとんでもない間違い・茶番劇だということになる。これが、大橋氏の指摘の最重要な部分になっている。

大橋氏の指摘は、難解な専門分野をわかりやすく説明しているため、新型コロナをめぐる現状や政策に疑問を持つ多くの日本の人に受け入れられている。「新型コロナというウイルスは存在しない。それなのに、危険な新型コロナが猛威を振るっているというウソが流布され、都市閉鎖や経済停止や社会距離やマスク義務化が必要だとする巨大な愚策が行われている」と考える人の中には、大橋氏の指摘を考察の根拠にしている人が多そうだ。私自身、大橋氏の動画を何本も見ていくうちに、いったんは、それまでの新型コロナウイルスの存在を前提にしてきた自分の考え方を根本的に改め、「新型コロナは存在しない」という前提に転換した方が良いかもしれないと考えた。だがその後、さらに自分なりに考えていくと、やはり新型コロナのウイルスは実際に存在し、感染や発症を引き起こしてきた可能性の方が大きいという結論に達した。以下、その理由について書く。

一つは、中国論文で採られているショットガン・シーケンシングの手法によって特定された遺伝子配列が、大橋氏が言うような、ごたまぜの断片をつなぎあわせたキメラ遺伝子であるかどうか、という点だ。対象の体液中の無数の遺伝子のすべてを、相互に少しずつ重なる形でいったん断片に切り刻み、重複部を頼りに再度、元通りの遺伝子配列にしてコンピューター上に表出していくやり方は、ショットガン・シーケンシングの機械の仕様であり、捏造用に作られた仕掛けでない。断片を再度つなぎ合わせる際、別々の遺伝子の断片が接合しないよう、重複部分を作っている。中国の専門家たちが使った分析機械(Illumina MiniSeq)が正常に動いていたならば、中国論文の遺伝子配列は、患者の肺の体液の中に実際に存在していた一つのウイルスの遺伝子の配列であろう。意図的もしくは偶然の誤作動がない限り、架空のキメラにはならない。そういう理由で、私は大橋氏のキメラ遺伝子説を自分の考えとして採用しない。

中国論文で示され「世界基準」になったウイルスの遺伝子配列が、架空のキメラでないとしても、新型コロナでなく、病原性の少ない別の既存のコロナウイルスだった可能性はある。中国論文の執筆者たちはウイルスの分離・同定をしておらず、大橋氏が言うとおり、常在ウイルスを新型コロナと(意図的に?)誤認した可能性を排除できない。中国論文は拙速だ。医学界の世界的な権威(ネイチャーの編集権)を運用する米英側と、新型コロナの最初の現場である中国側の両方が、何らかの遺伝子配列を急いで発表する必要性(パンデミック騒動を起こしたい意志など)に迫られ、一か月以上かかるウイルスの分離同定の作業を省き、すぐに結果を出せるショットガン・シーケンシング法を使って「とりあえずの結論」を出したのだろう。中国論文は、掲載した遺伝子が新型コロナのものであると断定しておらず、多分これだろうという形で結論を出している。掲載した遺伝子が新型コロナのものでない可能性が残っており、中国論文だけを考察の対象にすると、常在ウイルス説を排除できない。

とはいえ、人間の体内には何種類ぐらいの常在性ウイルス、とくに、常在のコロナウイルスがいるのだろうか。大橋氏の説明からは、人間の体内に数千種類の常在性ウイルスがいる感じだ。種類が多いほど、常在ウイルスを取ってきて新型コロナだと決めつけてしまう間違いが起こりやすい。だが実のところ、東京大学の医科学研究所・感染症国際研究センターの佐藤佳准教授らが6月4日に発表した研究「ヒト組織ヴァイローム(ウイルス叢)の網羅的描出(A tissue level atlas of the healthy human virome)」から見る限り、ヒトの体内に常在しているウイルスの種類は意外に少ない。数千でなく、39種類しか検出されなかった。

佐藤氏らの研究は、米国で集められた健康な547人の51種類の人体組織から採取された合計8991の遺伝子配列のデータベースを借用し、人間や動物に感染するウイルス5561種類の遺伝子配列データベースと照合し、健康な人体組織がどんなウイルスに感染しているかを調べた。その結果、少なくとも1人の1つの組織に感染しているウイルスが39種類あった。そのうち比較的頻繁に見られたのは13種類だが、コロナウイルスはそのうちの一つだけで、それは普通の風邪のコロナウイルスとして知られる4種類のうちの一つであるHCOV-229Eだった。健康な人が感染しているウイルスなので、これらのウイルスは感染者を発症させないまま常在している状態だ。肺に常在するコロナウイルスはHCOV-229Eだけだった。それも全員でなく、一部の人にだけ常在していた。

人に感染しても発症しないウイルスは無数にあり、その多くは5561種類のデータベースに載っていないだろう。それらが佐藤氏らの研究に入らない形で一部の人の肺に常在している可能性はある。だが、発症しないウイルスなら、武漢で肺炎を発症した患者の肺から大量に抽出されたりしない。中国論文は、新型コロナウイルスだろうと結論づけたウイルスが、患者の肺の体液の中に大量に発生していたと書いている。そのウイルスがHCOV-229Eでないことは遺伝子配列から明らかだ。このように佐藤氏らの研究を加味して推測すると、長期的に人の体内にいる常在性ウイルスは意外と種類が少なく、中国論文が結論づけたウイルスが、常在性ウイルスである可能性は低い。

中国論文に出てくる患者は、何らかの新種のコロナウイルス、もしくは前からあったが知られていなかったコロナウイルスに感染した可能性が高い。前者なら「コウモリから中型哺乳類を経て人間に感染し、今回初めて人間のウイルスとして登場した」という主流の公式論になるし、後者なら「コロナはただの風邪」という、最近流布している裏読みの考え方になる。ふつうの風邪のウイルスは多数あり、ほとんど検証されていない。ふつうの風邪でも免疫が落ちている人がかかると、こじらせて肺炎を起こして死ぬ場合がある。それらの一つが大騒ぎされたのが今回の「新型コロナウイルス」かもしれない。

今年1月29日、オーストラリアのピーター・ドハーティ感染免疫研究所が、新型コロナのウイルスの分離に成功したと発表し、こちらも中国論文のものと配列が99.99%以上同じだったとされている。大橋氏は、この豪州の研究の論文を紹介し「ウイルスが分離され、クローン化、感染実験と進んでいけば、ウイルスの存在も解明できる。ノーベル賞ものだ」という趣旨を述べている。大橋氏は、論文内容の真贋性を疑いながらも、豪州の論文をある程度受け入れている。「まだ世界で誰も新型コロナのウイルスを分離できていないのだから、新型コロナは存在しないのでないか」という従来の見方から、ウイルス分離の実績を認めて新型コロナの存在を確認する方向へと転換しつつある感じを受ける。

大橋氏や私がやっていることは分析・考察なのだから、思考の転換は悪いことでない。私自身、大橋氏の動画を見て、いったんは「新型コロナウイルスは存在しない」という考え方に傾いたが、今回の記事で長々と展開した思考を経て、「やはり、新型コロナウイルスは存在していると考えた方が自然だ」という考え方に戻った。

コロナ危機の本質は、存在しないウイルスを存在すると言っていることでなく、重篤性が低いウイルスを大変なウイルスだと誇張し、都市閉鎖や社会距離などの効果がなく有害なだけの策を人類全体に延々と強要していることにある。

またPCR検査が、気道の細胞の表面に付着しているだけで細胞内に入り込んでいないウイルス、くっついているだけで感染していないウイルスにも陽性反応を出してしまう点も、大橋氏は指摘している。これは「ウイルスを体内(気道内)に吸い込んでも感染しない人が人類の6-8割いる」という、私が以前の記事に書いたこととも重なる。

大半の人は、新型コロナに感染しない。すでに持っている自然免疫の力で撃退(細胞への侵入を拒否)する。だが、撃退される前の、気道に付着しただけの新型コロナのウイルスをPCR検査が感知して陽性反応を出し、当局から感染者として扱われてしまう。

この検査対象者の気道にいる新型コロナウイルスは、細胞内に入れないまま数日内に死滅するので、しばらくして再検査すると陰性になっている。だがその後、またウイルスが気道に入ってくると、また陽性になる。これを繰り返しても対象者は一度も感染(ウイルスによる細胞内侵入)していない。それなのに「感染者が陰性になった後、再び陽性になっている。再感染する不可解な病気だ。とても危険だ。全人類が永久にマスク着用だ」という人類自滅の大騒ぎになっている。これは新型コロナの問題でなく、PCR検査の問題である。新型コロナでなく、他のふつうの風邪のウイルスの遺伝子をPCRで検出することを多数の人々に対してやっても、同様の、実は(笑)な「不可解さ」を発現できるのでないか。


・911とコロナは似ている

2020年5月29日   

田中 宇

https://tanakanews.com/200529corona911.htm

※今回の新型コロナの危機は、01年の911事件で始まった「テロ戦争」と本質的に似ていると思う。両者が似ている点はいくつかある。

ひとつは、両者とも「脅威」とされた対象が、よく見ると「闇夜の枯れすすき」であることだ。当局やマスコミが脅威を誇張し、人々が枯れすすきを化け物だと信じ込む状態を作った。

911テロ事件の犯人とされるアルカイダは、放置すると米欧の全体を破壊しかねない、とても恐ろしいテロ組織だと喧伝された。だが実のところアルカイダは弱く、米欧当局のスパイにたくさん入り込まれ、資金や武器まで当局からもらって「敵」を演じさせられていた。911は、アルカイダがやったかのように米当局が演出した自作自演的な事件だった。当局やマスコミは、自作自演性が指摘されることを事実上禁止し、アルカイダが世界的な大きな脅威であると誇張し続け、米国による軍事侵攻や政権転覆を正当化した。911事件は、犯罪捜査によって解決すべき問題だった(徹底捜査したら当局の自作自演性が露呈してしまうが)。それなのに米政府は、911を「恒久戦争」によって解決するという道に入ってしまった。

新型コロナウイルスは、感染力がものすごく強いが発症性が低く、感染者のほとんどは無発症か軽症だ。死者の98%はもともとの持病があり、真の死因がコロナでなく持病なのにコロナで死んだことにされている。多くの国の政府が、死因をごまかすことでコロナの死者数を水増ししている。無発症や軽症の感染者数の統計を実際より大幅に低く見積もることで当初、コロナの致死率は3%だと喧伝されたが、最近わかった本当の致死率は0.3%とか0.08%とか、そういった水準だ。コロナは、世界中で都市閉鎖や経済停止をやる必要がある病気でない。それなのに、各国の政府やマスコミはコロナの脅威を誇張しまくり、都市閉鎖や経済停止を長期化している。新型コロナは、集団免疫策で解決すべきだったのに、各国政府はとても愚策(一時しのぎでしかないのに悪影響が巨大)である都市閉鎖の道に入ってしまった。

911とコロナが似ている点の2つ目は、ほとんどの人々が政府マスコミの「闇夜の枯れすすき」的な誇張に見事に騙されて本気で恐怖のどん底に陥れられ、政府の大間違いな政策に反対するどころか積極的に賛成したことだ。

人々は、集団免疫を得る前に集団心理に陥らされている。911事件は数時間の出来事だったが、衝撃的なテレビ映像が奏功し、その後何年にもわたって人々、特に米国民のトラウマになった。当時、事件から2か月後に米国に行った私は、多くの市民が報道や当局発表を丸ごと信じて(騙されて)イスラムやテロに対する強い恐怖と不安感を植え付けられていることに驚いた記憶がある。恐怖心を植え付けられた人々は、米軍によるアフガニスタンやイラクへの侵攻を積極的に支持した。イラクの世俗派のサダムフセインと、サウジ系の宗教主義のアルカイダは敵どうしなのに、そんなのどうでも良いから早くサダムをやっつけろという話が勃興した。人々がテロ戦争の愚策性に気づいたのは、10年後のオバマのイラク撤兵のころだった。

コロナ危機でも、人々の多くは報道を丸ごと信じ、すでにコロナに無発症感染して免疫を持っていると期待される人々ですら、心底恐れている。身体は無発症で元気でも、頭は「コロナマスゴミ」にひどく感染して重症化している。恐怖心を植え付けられた人々は、外出禁止令や非常事態宣言が解除された後も外出したがらない。人々の多くは洗脳され、愚策の都市閉鎖を早くやめてくれと思わないどころか、もっと長く都市閉鎖をやってくれと政府に希望する人が多くなっている。都市閉鎖が政府にとって素晴らしい策である点は、閉鎖をやめると感染が少し再拡大し、それだけで人々の恐怖心がぶり返して政府の言いなりに戻るので、自動運転的に危機を長期化できることだ。人々は、政策の良し悪しなどどうでも良いから、都市閉鎖を続けろ、早くイラクに侵攻しろ、と思ってしまう。テロのトラウマが何年も続いたように、感染のトラウマもこれから何年も続く。

911とコロナが似ている点の3つ目は、911事件やコロナ感染による犠牲者の人数よりも、テロやコロナへの「対策」と称して行われた戦争や都市閉鎖による犠牲者の人数の方が、最終的にはるかに多くなることだ。

911事件で死んだのは約3000人だが、911への報復として行われた03年からのイラクへの侵攻と占領では、イラクの人口の3-5%にあたる50万-100万人が死んだ。アフガニスタンやシリアでも、米国が起こした長期の戦争で数十万人ずつの市民が死んでいる。コロナが主因で死ぬ人類の最終的な総数より、世界的な都市閉鎖で病気が悪化して死ぬ人類の総数、経済停止の大恐慌で中産階級から貧困層に突き落とされ困窮して死ぬ人の総数の方が、たぶん何十倍も多くなる。テロ戦争もコロナ対策も、愚策とわかっていることが意図的に何年も続けられる。

事件の真相が闇の中である点も、911とコロナで似ている。

911事件の真相は、事件から20年たった今でもほとんど露呈していない。新型コロナのウイルスが、武漢ラボ(ウイルス研究所)から間違って漏洩したものなのか、米諜報界のスパイが誘発した漏洩なのか、それともラボは無関係で武漢の野生動物市場で動物からヒトに感染したのか、ウイルス発祥の真相もたぶん永遠に闇の中だ。そして、テロやコロナへの対策として行われたとんでもない愚策が、テロやコロナの真相と直接関係ないので、真相がどうであるかは最重要でない、という点も911とコロナで似ている。911事件が自作自演でなくアルカイダが自立的に計画実行したテロだったとしても、その後の米政府のテロ戦争の壮大な失策に対する評価が変わるものではない。新型コロナの発祥ルートが何であれ、コロナ対策として行われている都市閉鎖が頓珍漢な愚策であることに変わりはない。コロナの発祥ルートをめぐる論争は、米中対立の火種の一つとして政治的に使われ続ける。政治化するので、真相はずっと確定しない。