※2016年1月、植松聖は親友に首相宛の手紙の代筆を持ちかけた。

代筆を断られた植松聖は手紙の代筆を別の友人たちに次々に依頼し、そのつど断られ、仕方なく自分で手紙を書くことにし、1月末には書き上げられたよう。電話越しに音読を聞かされたという友人の証言がある。

※2016年2月13日に首相に手紙を渡すために自民党本部を訪れるも、門前払いを食らう。帰り道に衆議院議長公邸を見つけ、ターゲットを変更。植松聖が書いた手紙は、1月末までに書き上げていた首相宛のそれと、門前払いされて帰って来てから書いた衆議院議長宛のそれと、少なくとも二通りあった。議長宛は首相宛てを改変して再利用した物と考えられる。

※2016年2月15日に植松聖が東京都千代田区の議長公邸を訪ね、職員に土下座して渡すよう頼み込んだ。

※手紙には本文3枚(「衆議院議長 大島理森様」、「植松 聖の実態」、「作戦内容」)の他、7枚の紙(不可思議なカード(イルミナティカード)が印刷されているものが5枚、イラストが2枚)が同封されていた(計10枚)。

※共同通信が伝えた手紙の全文。全文と言いながら実際には検閲削除が行われていた。



衆議院議長大島理森様

この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。

私は障害者総勢470名を抹殺することができます。

常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。

重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。

世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。

私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。

衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。

文責 植松 聖


作戦内容

職員の少ない夜勤に決行致します。

重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。

見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。

職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。

2つの園260名を抹殺した後は自首します。

作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。

逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。

新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。

美容整形による一般社会への擬態。

金銭的支援5億円。

これらを確約して頂ければと考えております。

ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。

日本国と世界平和の為に、何卒(なにとぞ)よろしくお願い致します。

想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。

植松 聖

(住所、電話番号=略)

かながわ共同会職員


※以下は複数のメディアの報道を継ぎはぎして可能な限り再現した原文。

http://wwwave.net/blog/arok/ishihara/sagamihara-2016.html


衆議院議長 大島理森様

この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。

私は障害者総勢470名を抹殺することができます。

常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。

私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。

重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

フリーメイソンからなるイルミナティが作られたイルミナティカードを勉強させて頂きました。戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。

今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可決である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。

世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。

私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。

衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。

文責:植松 聖  


植松 聖の実態

私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を、提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました。

今までの人生設計では、大学で取得した小学校教諭免許と現在勤務している障害者施設での経験を生かし、特別支援学校の教員を目指していました。それまでは運送業で働きながら■ ■ ■ ■ ■が叔父である立派な先生の元で3年間修行させて頂きました。

9月車で事故に遭い目に後遺障害が残り、300万円程頂ける予定です。そのお金で■ ■ ■ ■ ■の株を購入する予定でした。■ ■ ■ ■ ■はフリーメイソンだと考え(■ ■ ■ ■ ■にも記載)今後も更なる発展を信んじております。

外見はとても大切なことに気づき、容姿に自信が無い為、美容整形を行います。進化の先にある大きい瞳、小さい顔、宇宙人が代表するイメージそれらを実現しております。私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも知れません。

本当は後2つお願いがございます。今回の話とは別件ですが、耳を傾けて頂ければ幸いです。何卒宜しくお願い致します。

医療大麻の導入

精神薬を服用する人は確実に頭がマイナス思考になり、人生に絶望しております。心を壊す毒に頼らずに、地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可決だと考えます。何卒宜しくお願い致します。私は信頼できる仲間と 過すことを目的として歩いています。

カジノの建設

日本には既に多くの賭事が存在しています。パチンコは人生を蝕みます。街を歩けば違法な賭事も数多くあります。裏の事情が有り、脅されているのかも知れません。それらは皆様の熱意で決行することができます。恐い人達には国が新しいシノギの模索、提供することで協調できればと考えました。日本軍の設立。刺青を認め、簡単な筆記試験にする。

出過ぎた発言をしてしまい、本当に申し訳ありません。今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えております。


作戦内容

職員の少ない夜勤に決行致します。

重複障害者が多く在籍している2つの園(津久井やまゆり、別の園=原文は実名)を標的とします。

見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。

職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。

2つの園260名を抹殺した後は自首します。

作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。

逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。

新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。

美容整形による一般社会への擬態。

金銭的支援5億円。

これらを確約して頂ければと考えております。

ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。

日本国と世界平和の為に、何卒よろしくお願い致します。

想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。

上松 聖

住所■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■
電話番号■■■■■■■

かながわ共同会職員


※共同通信から配信された各メディアは、「原文のまま」と明記して手紙を掲載しました。しかし、それは「全文」ではありませんでした。「植松聖の実態」という一枚は丸ごと欠けています。また、「原文のまま」とされているのに、誤字は修正され、次の3ヶ所が抜け落ちています。

① 障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。

② フリーメイソンからなるイルミナティが作られたイルミナティカードを勉強させて頂きました。戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。

③ (津久井やまゆり、別の園=原文は実名)


・植松容疑者の犯行予告代筆断った友「本当に実行するとは…」(NEWSポストセブン 2016年8月1日)



植松聖容疑者の素顔とは(Twitterより)

※7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」を襲った植松聖容疑者(26)は、たった1人で死者19人、重軽傷者26人(7月28日現在)を数える大量殺戮事件を起こした。

「明るくて挨拶もしっかりする好青年」(近隣住民)といった声もある植松が最初に刺青をいれたのは大学3年生の時、左胸に彫った「金魚」だったという。当の彫り師の述懐だ。

「店にやって来るなり“将来が不安で、何かを変えるきっかけにしたい”と話し始めた。その日のうちにいれられる図柄の中から、彼が選んだのが『金魚』だった。事件後の報道を見て、金魚のワンポイントから本格的な和彫りが加わっていたので驚いた」

その刺青が、男を変えた。植松の「殺人思想」に大きな影響を及ぼしたと見られるのが、勤務していた「やまゆり園」を退職するまでの「空白の4か月」だ。

2014年末から月に数回の頻度で更新されていた植松のツイッターを見ると、友人との食事などを楽し気に紹介するものが大半だった。しかし、昨年10月29日の〈心技体の充実。これを目標に生きよう〉というツイートを最後に一時中断。

今年2月12日、〈正しいかどうか分からないが、行動あるのみ〉という意味深な発言でツイートが約4か月ぶりに再開された。

2月14日に植松は衆議院議長公邸に〈私の目標は重度障害者が安楽死できる世界〉、〈私は障害者総勢470名を抹殺することができます〉などと記した手紙を持参している。その中には〈職員の少ない夜勤に決行致します(中略)職員は絶対に傷つけず、速やかに作戦を実行します〉と犯行予告と取れる内容も含まれていた。

この手紙の代筆を頼まれた人物がいる。植松の親友である。彼は植松を「サト君」と呼ぶ。

「今年1月、サト君から“お前にしか頼めないことだ。字が下手な俺の代わりに書いてくれ”と電話で依頼されました。“障害者の大量殺戮計画だ”というので、最初は冗談だと思いました。でもサト君は“本気だ”という。

“本当にやったら、お前、人生終わるぞ”と諭したのですが、“俺の人生だからいいだろ?”と全く動じなかった。昔はそんな危ない奴じゃなく、刺青をいれた当初も“ファッションだよ”って笑ってたくらい。もちろん代筆は断わりましたが、まさか本当に実行するなんて……」

手紙を届けた5日後には〈会社は自主退職、このまま逮捕されるかも…〉と投稿。4か月前とは明らかに雰囲気の異なる文面は、植松の変化を物語っていた。

東京・日野市の団地で一人っ子として生まれた植松は、生後すぐに神奈川県相模原市にある現在の実家に移り住んだ。小学校の図工の教師をしていた父親の影響か、「幼少の頃から父親と同じ小学校の先生を目指していた」(近隣住民)という。

地元の公立中学を出た後、八王子市内にある私立高校の調理科に進学。部活のバスケットボールに熱心に打ち込む姿が近隣や学内で目撃されている。

卒業後は都内の私立大学に現役で入学。小学校の教職課程を履修し、母校で教育実習も経験した。私生活では“普通の学生”らしく青春を謳歌していたという。

・「自分は救世主」「日本のため」容疑者供述 相模原殺傷(朝日新聞DIGITAL 2016年8月17日)

※相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が死亡した事件で、うち9人の殺人容疑で再逮捕された元職員の植松聖(さとし)容疑者(26)が「殺害した自分は救世主だ」と供述していることが捜査関係者への取材でわかった。「(犯行は)日本のため」などとも説明しており、神奈川県警は植松容疑者が身勝手な考えを膨らませて事件を起こしたとみている。

・殺害計画の代筆依頼、勧誘も 被告の友人ら調書―相模原事件公判(時事ドットコム 2020年1月20日)

※相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年、入所者の男女ら45人が殺傷された事件で、殺人罪などに問われた元職員植松聖被告(30)の裁判員裁判の第6回公判が20日、横浜地裁であり、弁護側立証が始まった。友人らの調書が朗読され、被告が事件の約半年前、障害者を殺害する計画をしたためた安倍晋三首相宛ての手紙の代筆を頼んだり、一緒に実行しようと誘ったりしていたことが明らかにされた。

調書によると、植松被告は園で働き始めて2年目ごろ、意思疎通ができない重度障害者を「かわいそう。食事もひどい。人間として扱われていない」と言うようになった。15年末以降、「面会に来ない家族もいる。無駄に税金が使われている。殺したほうがいい」と語ったため、友人らは「どこまで本気なのか」「別人のよう」と驚いた。
 
事件約5カ月前に措置入院となった後も考えは変わらず、「(殺害は)神のお告げ。俺は救世主」などと主張した。また、植松被告は21歳ごろ脱法ハーブ、次いで大麻の使用を始めたとみられ、友人の一人は「ほぼ毎日ハーブを吸っていると言っていた」とした。
 
公判は、植松被告の刑事責任能力が争点。弁護側は、事件時は大麻に起因する精神障害の影響で、心神喪失か耗弱状態だったと訴えている。

・相模原障害者殺傷事件・植松聖被告に接見していて最近気になること(Yahoo!ニュース 2019年5月12日)

篠田博之 | 月刊『創』編集長



(上)植松聖被告が描いた観音像のイラスト(筆者撮影)

※相模原障害者殺傷事件の植松聖被告にほぼ毎月接見するようになって間もなく2年になる。主張していることは変わらないのだが、半年ほど前から植松被告の変化で気になっていることがあるので書いておきたい。

5月の連休明けに届いた最近の手紙には「裁判は1月8日の11時に決まりました」と書いてあった。公判日程が2020年1月8日から3月までと決まったことは、この4月からマスコミで一斉に報じられている。4月上旬より裁判での被害者参加制度を利用するかなど被害関係者への説明が始まったことで、マスコミ各社が一斉に知るところとなったのだ。

秋葉原事件の加藤智大死刑囚の公判では被害者の特別傍聴席が設けられ、加藤死刑囚は入退廷時に毎回、そこへ向かって謝罪のお辞儀をしていた。相模原事件でも特別傍聴席が設けられるだろうが、大きく異なるのは19人の犠牲者遺族がいまだに実名を公表しておらず、その席には座らないと思われることだ。但し傷害を負った被害者の家族は実名で発言している人もおり、既に傍聴を希望している人もいるようだ。

障害者への差別という深刻な問題を抱えたこの事件は、証人出廷をどうするかなど、裁判のあり方にも様々な問題が大きく影を落とすことになる。

月刊『創』(つくる)に掲載しているが、植松被告はこの間、獄中で描いたイラストや書画、小説などを頻繁に送ってきている。記事の冒頭に掲載した観音像もそのひとつだし、記事中に掲げたやかんの素描など、獄中で彼がイラストの技術力をかなりあげていることを窺わせる(ちなみに母親はプロの漫画家だ)。

さて、植松被告と接見していて気になったことというのは、それとも関係がある。彼の関心が最初に接見した頃と違ってきている印象を受けるのだ。

裁判では「訊かれたことに答えるだけ」

例えば3月20日に接見した時にこういうやりとりがあった。

筆者 裁判では被告人質問や君が証言する機会があるけれど、どういう主張をするかは考えているの?

植松被告 特に考えていません。

筆者 でも君にとっては、いつも言っていることを社会に向けて訴える機会でしょ。

植松被告 訊かれたことに答えるだけです。

筆者 え、そうなの?

植松被告 はい。

2年前、接見を始めた頃の植松被告との変わりように驚いた。2017年夏頃は、彼は接見でも事件の動機となった自分の主張を語り、その主張をマスコミ各社へたくさんの手紙を書いてはせっせと訴えていた。「君の主張を書き送っても、新聞・テレビはその内容を報道しないから無駄だよ」と言っても、植松被告はあきらめずに何度も新聞・テレビに自分の訴えを書き送っていた。

また接見で私が、彼の成育環境などについて訊こうとすると、「そんなことはどうでもいい。とにかく時間がないんです」と焦ったように口にしていた。

当時、「時間がないんです」と植松被告は何度も口にしていた。自分の主張を実践したのがあの津久井やまゆり園での凄惨な犯行だったわけだが、事件後も、残された限られた時間を、その主張を訴えるために使いたいと考えていたのだった。

その前のめりの態度が、拘置所で1年2年と過ごすうちにだんだん希薄になっているように思えるのである。話し方も当初の雰囲気と変わってきたし、声も小さくなってきているように思える。

いったい彼の内面に何が起きているのか。何かが影響を及ぼしているとすれば、それは何なのか。

考えられることは2つある。

ひとつは植松被告も拘置所でいろいろな人と会って議論を重ねており、少しずつ自分の考えを客観的に見られるようになってきたのではないかということだ。

世間から見ると意外に思えるかもしれないが、実は相当いろいろな人が接見に訪れている。例えば障害者支援運動を続けてきたような人にも会っているし、『創』でも経緯を紹介した最首(さいしゅ)悟さんのような障害者の家族とも会っている。さらに言えば、19人の犠牲者家族で接見に何度も訪れている人もいる。

恐らく植松被告の人生の中で、それまではなかったほどの「立場や意見の違う人」との議論をこの間、やってきているのだ。それによっていろいろなことを考えさせられたと本人も言っている。ただ事件を起こした自分の基本的な考えは変えていない。

執行を待つ死刑囚の内面について思うこと

私がこれまで関わった死刑囚で言うと、2008年の土浦無差別殺傷事件の金川真大死刑囚(既に執行)が似たような状況だった。彼も拘置所で多くの人に会って、いろいろな議論を重ねていた。まだ20代だったが、それまで引きこもりで思いつめ、自殺にも踏み切れず、殺人を犯せば死刑になるからという短絡的な動機で無差別殺傷事件を起こしたのだった。 

しかし、もともと哲学書を読んだり、自分の人生について考察しようという姿勢を持っている青年で、拘置所でもいろいろな人と会って議論していた。私は、もし彼が事件を起こす前にそんなふうにいろいろな人との議論を重ねていれば凄惨な事件を起こさずにすんだのではないかと今でも思っている。

ただそんなふうに議論を重ねながらも、金川死刑囚は、自分の信念を変えようとしなかった。死ぬために無差別殺人を犯した彼にとっては、自分の考えを撤回することは、自分の行ったことが無意味だったということになるわけだ。覚悟して事件を起こした以上、他人の意見は聞くが受け入れることはできなかった。

あるいは冒頭に秋葉原事件の加藤智大死刑囚に触れたが、加藤死刑囚の場合は、法廷で自分のやったことは間違っていたとして謝罪を行った。そして死刑判決を受け入れたのだが、その結果どうなったかというと、2審以降、法廷に出廷しなくなってしまった。罪を認めて死刑を受け入れるという気持ちになった時点で、法廷で何かを述べる意味も、社会に向かって何かを言う意味もなくなってしまったのかもしれない。彼はマスコミの取材も第三者の接見依頼もいっさい拒否し、ただ死刑執行を待っているという状態だ(死刑囚表現展には毎年、作品を出品して発表を行っているが)。

凶悪事件を犯した被告とて、自分の犯したことを含めていろいろなことを考える。ただ、例えば社会に復讐しようと有名小学校の児童を無差別殺傷した池田小事件の宅間守死刑囚(既に執行)などは、一刻も早く死刑が執行されることを望んでいた。彼の魂を救い、死ぬ前に謝罪をさせようと獄中結婚にまで踏み切ったクリスチャンの女性がいて、宅間死刑囚もその女性には心を動かされたように思えるのだが、事件を決行した自分の思いは決して撤回しようとはしなかった。

宅間死刑囚は、死刑が確定した後も、ガソリンを使えばもっと多くの子どもを殺せたなどとうそぶき、人間がそこまで非人道的になれるものかと社会を戦慄させたのだが、彼は自分を鼓舞するという意味もあって敢えて偽悪的にふるまっていた面もあるのではないかという気もする(関係者もそう感じていた節もある)。つまり死ぬと決めて非人間的な犯行を敢えて行った以上、それを貫いて死んでいくしか自分の選択肢はないという判断が彼の頭の中にあったのではないかということだ。

その時点でいまさら自分の行為は果たして正しかったのかどうかなどと悩みだすと、精神的に混乱を起こす恐れがあるからだろう。

例えば連合赤軍事件の森恒夫元被告だ。彼は革命運動に命をかけていたのだが、同志殺しという過ちを犯し、逮捕された後に自分が誤っていたことを獄中で認め、自己批判する。その結果どうしたかというと、公判前に獄中で自殺したのだった。自分のやったことが全面的に間違っていたと認めれば、精神的な拠り所がなくなってしまい、独房で生き続ける意味さえなくなってしまうわけだ。

土浦事件の金川死刑囚は、死刑を望みながらも、多くの人の面会を受けいれていた。でも恐らく自分のやったことは本当に正しかったのかなどと考え出すと自分が崩壊しかねないことに気づいていたように思う。1審の死刑判決で弁護士が控訴したのを自ら取り下げて、死刑を確定させてしまった。何度か接してみてわかったが、もともといろいろなことを考えていた、頭は悪くない青年だ。生育環境が違っていたら、凄惨な無差別殺傷など犯さなくてよかったと、今も思う。

植松被告の内面に何が起きつつあるのか

さて話を戻す。そんなふうにいろいろな死刑囚と接してきたうえで、今、植松被告に接していて、この2年間で彼の内面にいったい何が起きているのか、その変わりようが気にならざるをえない。

犯行は、誤ったものとはいえ自分なりの信念に基づいて行ったものだ。主観的には世直しのつもりでとんでもない事件を起こしたという点では、相模原事件はオウム事件に似た性格を持っている。

そして植松被告は、この2年間、たぶんそれまでの人生になかったようないろいろな人との議論を行ってきた。そのことが、彼の精神にどんな心理的影響を与えているのだろうか。そもそも植松被告自身、それを自分の内面で整理できているのだろうか。

植松被告は、自分が犯した犯行やそれを支えた自分の主観的信念については撤回しないだろう。ただ、その彼の主観的信念に関わる事柄については、いろいろなことを2年間、考えてきたように思えてならない。

例えば優生思想ということで通底している「強制不妊」については、植松被告は「反対です」と明確に言っている。ナチスの優生思想についても「反対だ」と言っている。

実は前述した3月20日の接見は、ニュージーランドで人種差別主義者による無差別殺傷事件があった直後だった。そういう事件があるたびに私は植松被告に意見を求め、議論してきたのだが、そのニュージーランドの事件について、かれは明確に反対を表明した。

「同じ人間なのに、人種差別は良くないと思います」

そう語ったのだ。

強制不妊にせよ、人種差別による殺傷にせよ、世間の人から見れば、津久井やまゆり園で植松被告がやったことと通底しているじゃないか、と思うだろう。恐らく彼自身も、そのどこが違うのか、自分なりに心の中で整理をつけようとしているのだと思う。

それが自分の考えを問い直す行為なら良いことではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、問題はそう簡単ではないように思う。

先に、考えられることが2つあると書いた。

植松被告の変化を考えるうえでもうひとつ気になるのは、彼の置かれた物理的環境が拘禁反応につながらないかということだ。

昨年、彼はふと接見時に「1日、誰とも口を聞かないことがあるんです」と不安げに漏らしたことがあった。長い独房生活で精神的に変調をきたす人は少なくないのだが、「君も気をつけたほうがいいよ」と本人にも何度かアドバイスしている。誰とも口を聞かず、単調な生活を続けることに、彼自身も不安を漏らすことがある。

そのこととの関係で気になるのが、植松被告がこのところ、イラストや書画、さらには小説を書いたりという活動を増やしていることだ。自分の行った犯行の正当性を「時間がないんです」と、何かにとらわれたように語っていたころから見ると、何やら「現実」から抽象の世界に遠ざかっているような印象が拭えないのだ。

2020年1月から始まる裁判では、当然ながら事件を解明することも大きな課題で、そのために被告人の証言は極めて重要だ。でも「訊かれたことに答えるだけですから」と彼が面会室で語った時に、私は何やら言い知れぬ不安にとらわれた。法廷で、彼は自分が事件を起こした時の考えをきちんと表明することができるのだろうかという懸念だ。

例えば秋葉原事件の法廷で、加藤死刑囚は前述したように事件を起こしたことについては全面的に謝罪していたから、例えば検事から「逮捕直後の供述であなたは『復讐』という言葉を使っていましたね」と問われると、それを撤回してしまった。謝罪している遺族の前で、「復讐」などという表現は自分の気持ちにそぐわないというわけだ。

検事は続けて、逮捕直後の彼の動機の供述を次々と紹介していったのだが、傍聴していて、逮捕直後の供述のほうが動機解明にはわかりやすいと思った。

法廷で被害者や遺族に非難されて謝罪を繰りかえすことによって、犯行直後に語っていた「復讐」などという表現は撤回される。加藤死刑囚の語る犯行動機はむしろわかりにくくなってしまったような印象があるのだ。

では、犯行直後に語った動機と、裁判を通じて謝罪し考え直した時点での動機と、いったいどちらが真実なのか。

その問いの答えは、実はなかなか難しい。

2020年1月から始まる裁判で、植松被告が自分の犯行についてどう語るのか。それが3年前の犯行時に彼が考えていたことと全く同じなのか。多くの人と議論し、いろいろなことを考えたことで何か上書きがなされることになるのか。

そもそも相模原事件については、精神科医もいまだに病気の疑いも捨てきれないと言うように、裁判で果たして解明がきちんとなされるのか、もともと心許ない面もある。

植松被告は、超高齢化した日本社会で、今のようなままの福祉政策で社会が破綻しないでやっていけるのかといった疑問を、接見した相手に語る。しかも、何度も説明を繰り返しているうちに、自説に具体的な数字が入ったり、補強されているようにも見える。ただ、根本的な問題として、その彼の主張と、ではあの大量殺傷という行為がどう結びつくのかと考えると、両者には大きな飛躍を感じざるをえないのだ。そこを明らかにしない限り、この事件は解明されたことにならないと思う。

相模原事件は裁判でどこまで解明されるのか

最終的に法廷期日が決まっていく段階の一歩手前で、弁護団は植松被告の精神鑑定を改めて申し出て裁判所に却下されたらしい。彼の犯行は、刑事責任能力なしとならないのは明らかだが、では合理的に説明がつくかというと、そう単純ではない。弁護団としては法廷で心神耗弱の可能性を主張するのかもしれない。

相模原事件については、二重三重に深刻な事件だと再三書いてきた。そのことがきちんと解明されないと、障害のある人たちの恐怖心はずっと残ったままになる。あの衝撃的な事件を、果たしてこの社会はどこまで解明でき、予防策を講じることができるのか。それは極めて重要なことだ。

恐ろしいのは、何も社会的対策が講じられないままこの事件が風化していくことだ。あの事件は何だったのか、いろいろな場で議論を続けることが必要だ。

マスコミはもうほとんど報道しなくなったけれど、相模原事件については、まだ多くの人が納得がいかないまま関心を持ち続けている。

篠田博之
月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

・テレビが大きく取り上げた相模原事件・植松聖被告が描いたマンガについて考える(Yahoo!ニュース 2020年3月15日)

篠田博之 | 月刊『創』編集長

※事件の本質はほとんど解明されていない 

2020年3月16日に相模原障害者殺傷事件の判決がくだされる。結審後に、裁判員が2人も辞任するという、最後まで波乱の裁判だった。植松被告は、死刑判決でも控訴しないと言明しているから、これで刑が確定し、相模原事件は幕を降ろされてしまう可能性もある。

ただ、被告の責任能力の議論に終始し、事件の本質はほとんど解明されていないという声も多い。背景にある障害者差別の問題や、障害者施設のあり方、植松被告が現場で何を見てあのような考えに至ったのかといった問題は、審理の俎上にも上がらなかったような気がしてならない。

この事件を植松被告という特定の人間の問題として個人を処罰するだけで終わらせてしまってはいけない。事件が投げかけた問題を、これからもっと掘り下げ、社会的議論を深めなくてはいけない。

でも現実は、この事件はかなりの勢いで風化しつつある。裁判の間は新聞やテレビが報道したので一定の関心を呼んだが、刑が確定して報道がなくなると、もう事件は過去の出来事として片付けられてしまう怖れがある。

さて裁判が続いている間に、「ミヤネ屋」「グッディ!」「ノンストップ!」などいろいろな番組の取材を受けたが、いずれも私が植松被告から受け取り、単行本『開けられたパンドラの箱』に収録した、彼のマンガを大きく取り上げていた。テレビなので絵がほしい、ということも、もちろんあるだろう。ただこの「ヒューマンウォッチ」と題されたマンガは、植松被告の考えを集大成したものでもあり、改めて考えてみる必要はあるように思う。

植松被告は約半年かけてマンガを描きあげた 

上記書籍で30ページにもわたるストーリーマンガだが、もともと獄中ノートに描かれたものはもう少し長い。最初に植松被告から『創』にマンガを掲載したいという申し出があったのは、2017年秋のことだった。彼は相当力を入れて描いており、何度も描きなおしがなされ、完成までに約半年を費やしている。

私が植松被告に接見をするようになったのは2017年8月だから、マンガを受け取った時点で彼の話は相当聞いていたが、それを読んで事件に対する印象がいささか変わった。それまで彼との議論は、障害者差別に関わることや、彼の言う安楽死について交わされてきたのだが、

マンガに描かれていたのは、もう少し引いた立ち位置から見た彼の考えの背景にあるようなものだったからだ。

例えば、植松被告は2016年7月の犯行直後にツイッターに自撮りした写真をアップしているのだが、そこには「世界が平和になりますように」と書かれていた。あれだけ凄惨な事件を起こして「世界が平和に」というのは悪い冗談だ。多くの人がそう感じたに違いない。
 


(上)植松被告が犯行直後にアップしたツイッター

ただその後、少しずつわかってきたのは、植松被告にとってはそれはブラックジョークではなく、彼の頭の中では犯行とそれがつながっているらしいということだった。

植松被告は2017年8月に『新日本秩序』と題する獄中ノートを送ってきていた。今回の裁判でそれが、事件前から彼が少しずつまとめていった植松被告の考えの集大成であることが明らかになったのだが、そこでも「戦争反対」が唱えられていた。



それらをつなぐ表現は、マンガでは例えばここに示すコマで描かれている。怪物のようなものが人間を見て、「内戦や紛争」「自殺と殺人」「人口増加と環境破壊」などと口にし、「人間に生まれなくてよかったー」とつぶやく。



それに対して人間の格好をしたものが、暴力的に襲いかかるという展開だ。



人類の滅亡に対して自分が救世主に

今回の裁判でわかったのは、植松被告は、このままでは人類社会は滅びるといった終末思想のようなものに捉われ、最終的に自分が救世主となって革命を起こすという想念に捉われていたということだ。その主観的な「世直し」の中心にあったのが、心失者と彼が呼んだ存在を安楽死させるという考えだった。

その社会改造を2016年2月に、植松被告は安倍首相に訴えようとして厳しい警備に阻まれ、3日通って衆院議長公邸に届けることになる。しかし、それに対する国からの回答は、植松被告を精神病院に措置入院させるということだった。彼はそこで「自分一人で決行する」と具体的に犯行を決意するに至る。

当時の彼を勇気づけたのは、テレビで映されているトランプ大統領候補だった。最初は差別主義でとんでもないと社会の大多数から拒否されたように見えながら、それを突破して大統領にのぼりつめたトランプを植松被告は、今回の裁判でもおおいに称揚した。

ざっとまとめると、裁判で浮き彫りになった植松被告の犯行に至る内心的プロセスはそういうことだが、マンガはどうやら自分のそういう思いをまとめようとしたものらしい。



(上)獄中ノートに書かれた「新日本秩序」(筆者撮影)

獄中ノートにまとめられた『新日本秩序』と、ここで紹介したマンガは、事件を解明する資料としてさらに分析を続けようと思う。

・植松聖の母親は「血まみれホラー漫画家」だった!!作品が怖すぎる・・・。(MISERU 2016年8月3日)

※相模原で19人の障害者を殺害した植松聖。

彼の母親は漫画家で、ホラー漫画を書いていたことがわかった。

その内容が怖すぎる。



植松聖の母親のホラー作品

母親が作品として発表していたホラー漫画は、1990年代のもので、「月刊ホラー漫画雑誌」に掲載されていたものである。

植松聖の母親は、結婚する前から漫画家として活動しており、その漫画の作品であるホラー漫画が怖すぎると話題になっている。

漫画の内容はこうである。

ある少女が母親の実家に泊まると、枕元に女性が現われる。

「真っ赤なワンピースを着た血まみれの女の人が……」

というフレーズとともに、肩や額から血を流している女性が、

ニヤッと笑いながら少女を見つめ、次の瞬間フッと消え去ってしまう

この漫画では、血まみれの女性が描かれている。

そして、この漫画が書かれたのは1990年のため、植松聖が感受性豊かな幼少期のころ。

もしかしたら、植松聖もこの漫画を幼少期に読んでいた可能性もある。

通常、このようなホラー漫画であったり、血まみれの女性というような絵を幼いころから見て育つということは少ないだろう。

しかし、植松聖の母親は漫画家であり、他の人よりもこのような残酷な絵やストーリーを見る機会が多かったのではないかと考えられる。

同級生から母親についてのコメント

上記のホラー漫画の情報は、植松聖の母親の同級生から入った情報である。

母親は依然としてカメラの前には現れていない。

しかし、親族のコメントが植松聖の母親像を少しではあるが明らかにした。

「2人は大学を出てまもなく結婚しました。

すぐ子供ができて、若くして一軒家を建てました。

僕らの間では、うらやましい存在。事件を知って、まさかあの2人の子供じゃないか、違ってほしいと思っていたんですけど……」

どうやら植松聖の両親は同級生だったらしい。

母親は漫画家で、父親は教師だそうで、大学を卒業してからまもなく結婚。

順風満帆な夫婦生活をしていたとのこと。

そして、植松聖を含めた3人家族の幸せそうな様子も、同級生のコメントから分かっている。

「お母さんは少女向けの作品をおもに描いていて、自宅に仕事部屋があり、編集者が来ていたようです。

また、お父さんが乗る車は、ナンバーがさとくん(植松容疑者の愛称)にちなんだ番号になっていました。両親に溺愛されているんだなと思いました」

となると、問題は母親のグロいホラー漫画だったのだろうか。