・スヴェトラーナ・セミューノヴァ『ロシアの宇宙精神』序論より

https://indeep.jp/japanese-scientists-made-human-egg-cells-from-human-blood/

※キリスト教の神秘主義的伝統においては、将来の神化のためには魂や知だけではなく、肉体をも変容させ、肉体に光を与えることが必要とされる。

重要なことは、意識を肉体から引き離し、意識によって人間の肉体のすべての器官と力を霊化し、統御することなのである。

人類は低次元の自由にひたりきって自己満足しているが、この自由とは、右往左往し、もがき回る自由である。

そのままでは決して最良の選択として精神圏という理想を選び取るような、高度の自由を手に入れることはできない。

そのために人類は、現在の自分の肉体の自然そのものを変革する活動をはじめて、自然の肉体が少しずつこの精神圏というキリスト教的な高度の理想を実現することができるようにしていかなければならない。

人間の道徳的完成を安定したものにするためには、その前に、それと並行して、人間の肉体を変革し、他の生物を食べ、押し退け、殺し、そして自分でも死ぬという自然的な性質から人間を解放しなければならない。



・テイヤール・ド・シャルダンの進化論

https://ameblo.jp/eliot-akira/entry-10263712071.html

※フランス人の古生物学者、イエズス会の司祭、そして異端思想家であったピエール・テイヤール・ド・シャルダン (Pierre Teilhard de Chardin) は、その著書「現象としての人間」において、独創的なヴィジョンを持った進化論を唱えました。宇宙の始まりから終わりまでを総括した彼の理論体系が、この本のなかで視覚的な図として表されていたので、日本語に訳してみました。分かりやすいように再解釈した部分もあるので、あくまで僕自身の見解としての図です。






この図はまず左下のアルファ(α)を始まりとしています。単一体としての存在、時間の始まりと見ていいと思います。ここから始まった進化の過程が、右上のオメガ・ポイント(Ω)へ向かって進んでいきます。また、下から上の方向へ多様性(または差異性)のベクトルがあります。

テイヤールによると、進化の前進と飛躍は「意識」と「多様性」を特徴とします。無機物質から生物の誕生、無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、そして人間・・・。自然の多様性は約40億年の生物進化を通して、地球上の生態圏(バイオ・スフェア)として体現されました。

人類が成長するにおいて、惑星上の進化はさらなる次元へと移ります。それは彼が「ノウア・スフェア」 (noosphere) と呼ぶもので、人間の脳が複雑化・高度化するにおいて形成される、知識の集積としての「思考の圏域」を指す概念です。1940年代、この本を執筆していた当時に彼が構想したのは、現在のインターネットを比喩的に表現したものだとも言われています。

この思考の圏域において人類の知的進化は展開していきます。情報の複雑化、意識の高度化、グローバリゼーションなどを通して、地球上の生命と人間社会の活動は密接な関連に結び付けられていきます。この過程はとくに近代において加速的に急発達してきており、世界大戦争やテロ攻撃の勃発、資本主義社会・高度技術産業の発展、環境汚染の問題なども、この成長期の段階だと言えます。

ここでテイヤールが力説するのは、現代の我々は進化の危機に面しているということです。上の図に見られる二つの選択肢に分かれる部分が、臨界点としての現在を示しています。我々人類は無知と内的葛藤、社会の不調和と戦争によって自らを滅ぼすのか。それとも愛の力で和解を見出し、惑星規模で目覚めることができるのか。

彼が言うことに、知性を持った我々は自らの未来を選択できる能力を持っています。地球の生態圏の相互依存関係、そして社会における人間関係を尊重し、愛を選ぶことによって人類は輝かしい未来へと歩むことができるのだと。

その遥か先に彼が認めたのは、空間に散りばめられた惑星と星々、銀河系などを含んだ宇宙全体が進化していき、時空間と存在が収束される究極の終点として、神が誕生することでした。


※ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin,1881年5月1日 - 1955年4月10日)は、フランス人のカトリック司祭(イエズス会士)で、古生物学者・地質学者、カトリック思想家である。



(上)ピエール・テイヤール・ド・シャルダン

生誕
1881年5月1日
フランス共和国、オーヴェルニュ地域圏オルシーヌ
死没
1955年4月10日(73歳)
アメリカ合衆国、ニューヨーク州 ニューヨーク市
国籍
フランス
職業
イエズス会士

主著『現象としての人間』で、キリスト教的進化論を提唱し、20世紀の思想界に大きな影響を与える。彼は創世記の伝統的な創造論の立場を破棄した。当時、ローマはこれがアウグスティヌスの原罪の教理の否定になると考えた。

北京原人の発見と研究でも知られる。

テイヤールは、1881年、フランスのオーヴェルニュ地方に11人兄弟の4人目として生まれた。彼の家はルイ18世時代に叙爵された貴族の家柄である。

この地方は火山性地質で、父エマニュエル・テイヤールがアマチュアの自然学者だったこともあり、テイヤールの地質学や古生物学への関心は少年時代に育まれた。

1899年、イエズス会の修練院に入り、修練士として学ぶが、修道会がフランスより追放されたことで、ジャージー島へと移動し哲学を学ぶ。その後、物理学・化学の教師として、エジプト・カイロのイエズス会高等学校に派遣され、エジプトで教師として勤務しつつ、発掘調査などを個人で行う。

1911年、イギリスにおいて司祭に叙階される。パリ自然歴史博物館(Muséum national d'histoire naturelle)で、古生物学者マルブリン・ブルの弟子となる。

1922年、パリ博物館で博士号を取得し、パリのカトリック学院の教授となる。同じイエズス会士リセント神父と出会ったテイヤールは中国に招かれ、地質学と考古学を学び、モンゴル、オルドス等への科学的研究旅行を行う。

1924年、パリに一時帰国したテイヤールは、上長より彼の思想に問題があることを指摘され、中国へと再び戻る。

1929年10月、テイヤールとカナダ人研究者ブラックは、パリ博物館に電報を打ち、北京原人の発見を報告する。周口店で発見された旧石器時代の石器を鑑定して、北京原人がこれらの石器を使用していたと判断した。この後、テイヤールは、ゴビ砂漠、中央アジア、インド、ビルマ、ジャワへと研究旅行に出かける。

1939年、日本軍の進出により、北京在住の外国人は軟禁状態となるが、テイヤールは、進化についての思索に没頭し、『現象としての人間 (Le Phénomène Humain)』を執筆する。

1945年の第二次世界大戦終了後、テイヤールは考古学者としての名声のなかでヨーロッパに戻るが、カトリック教会及びイエズス会はテイヤールの思想を危険なものと見做し、彼をニューヨークへと移転させる。ニューヨークで過ごす日々のあいま、彼はアフリカへと旅し、当時、発見されて間もなかった、アウストラロピテクスの研究にも携わった。

1955年、ニューヨークにてテイヤールは逝去する。


『現象としての人間』に代表されるテイヤールのキリスト教的進化論は、当時、進化論を承認していなかったローマ教皇庁によって否定され、危険思想、異端的との理由で、その著作は禁書とされた(テイヤールの死後になって、禁書処置は解かれた)。

しかし『現象としての人間』は、草稿版の複写が作成され、回覧されて、多数の人の読むところとなった。テイヤールは、古生物学上での人類の進化過程を研究し、人類の進化に関する壮大な仮説を提示した。

宇宙は、生命を生み出し、生物世界を誕生させることで、進化の第一の段階である「ビオスフェア(生物圏、Biosphère)」を確立した。ビオスフェアは、四十億年の歴史のなかで、より複雑で精緻な高等生物を進化させ、神経系の高度化は、結果として「知性」を持つ存在「人間」を生み出した。

人間は、意志と知性を持つことより、ビオスフェアを越えて、生物進化の新しいステージへと上昇した。それが「ヌースフェア(叡智圏、Noosphère)」であり、未だ人間は、叡智存在として未熟な段階にあるが、宇宙の進化の流れは、叡智世界の確立へと向かっており、人間は、叡智の究極点である「オメガ点(Ω点、Point Oméga )」へと進化の道を進みつつある。

「オメガ」は未来に達成され出現するキリスト(Christ Cosmique)であり、人間とすべての生物、宇宙全体は、オメガの実現において、完成され救済される。これがテイヤールのキリスト教的進化論であった。

テイヤールは、古生物学と生物進化に関する学識と洞察によって、壮大な科学的進化の仮説を提示した。しかし、テイヤールの進化論は、実証科学の立場より批判を受けた。

テイヤールの主張は、進化に関する科学的事実に基づいた記述を行いつつ、科学では実証されていないし、確認もできない想像領域で臆断的な命題を導入し、論理的誤謬の上に、その進化論を築いていると言うものである。

実証科学においては、テイヤールの誤謬は明確である。しかし、哲学的ヴィジョンとしては、オメガすなわちキリスト、全知全能の神が、進化の目的であり、進化の極致にあって神が生まれるとの思想は、20世紀にあって独自な思想であった。