・歴史が教えてくれる新型コロナの意外な"終わり方" (PRESIDENT Online 2020年6月1日)

三浦 愛美

※パンデミックはいつ「収束」するのか

いったいいつまで「with コロナ」の生活を送らねばならないのか、それが世界中の人々の正直な実感だろう。今回のようなパンデミックは、何をもって「収束」といえるのか。特効薬や予防ワクチンができるのを待つのか、それとも新型コロナウイルスが地球上から消え去るまで待つのか。そんな思いから、過去の人類と感染症との関わり方を振り返ってみた。

ウイルスと人類の長い共存の歴史

そもそも、「感染」とは、細菌やウイルスなどが、人や動物などの〈宿主〉に寄生し、体内で増殖することを指す。仮に感染しても宿主が無症状なら、そのまま平和に共存することもできる。だが、宿主の体調が悪化する場合、それは「感染症」ということになる。

これまでも実に多くの感染症が人類の行く手を阻んできた。ペスト、コレラ、天然痘、梅毒、結核、ハンセン病、マラリア、デング熱、エボラ出血熱、エイズなどなど。今日でも、麻疹、風疹、水ぼうそう、破傷風、インフルエンザ、マイコプラズマ肺炎などは私たちの身の回りに常にある。こうしてみると世の中は「感染症」だらけだ。

歴史的なパンデミックとしては、13世紀のハンセン病、14世紀のペスト、16世紀の梅毒、17~18世紀の天然痘、19世紀のコレラと結核、20世紀に入ってからはスペイン風邪やエイズなどがあった。だが、このなかで人類が完全に撲滅できたのは、実に天然痘ただひとつ。紀元前から存在し、感染力、罹患率、致死率ともに高く、顔に瘢痕が残るこの感染症は、1977年にソマリアで発症した人を最後に感染が確認されず、WHO(世界保健機構)は1980年に世界根絶宣言を行った。逆にいえば、それ以外の感染症は、今もこの世界のどこかに存在し、忘れた頃に流行を繰り返しているということだ。

病原体との闘いは、未来永劫につづく宿命

2014年に発刊され、コロナ禍において話題になった『感染症の世界史』で、著者の石弘之氏はこう述べている。「人と病原体との闘いは、未来永劫につづく宿命」だと。

石氏の視点では、私たち人類がさまざまな苦難を乗り越えて進化してきたのと同様、ウイルスや細菌もまた、自らの進化のため、〈宿主〉として私たち生物を選び、あるときは壮絶な闘いをしかけ、あるときは共存関係を保つことで、共に長い歴史を歩んできたからだ。人類の歴史はたかだか20万年、微生物の歴史は40億年にも及ぶ。彼らの生命力(?)を打ち滅ぼす方法は、簡単には見つからないということだ。

そもそも人類が栄えたのはウイルスのおかげ

この本のなかで特に目からウロコだったのは、そもそも人類の誕生にはウイルスの助けが欠かせないという事実だ。

私たち哺乳類は新しい生命を母親の胎内で育てる。だが、そもそも胎児の遺伝形質の半分は父親由来である。いわば「移植された臓器のように母親の免疫系にとっては異質な存在」であり、「通常なら母体の免疫反応によって胎児は生きてはいけないはず」なのだ。その謎を解いたのが「1970年代に入って、哺乳動物の胎盤から大量のウイルスが発見された」ことだったという。ウイルスの作用により、母親の免疫反応が抑制され、本来「異物」として排除されるべき胎児も母親の胎内にとどまることができているというのだ。

それだけではない。2003年の「ヒトゲノム計画」で、人間のゲノム解読が完了したが、その結果、私たちの体を設計する役割を持つゲノムの約半数はウイルス由来であることもわかったという。これらウイルス由来の遺伝子は、「進化の途上で人の遺伝子にもぐりこんだもの」であり、「過去に大暴れしたウイルスの残骸かもしれない」。

細菌なくして生態系の存続なし

細菌もそうだ。ペストやコレラなど、細菌が引き起こす恐ろしい病もあるが、そもそも私たちの手や腸内、口腔内などには無数の常在菌が棲息し、人体と平和に共存することで私たちの健康は維持されている。特に100兆個もの細菌がすみつく腸内は、多様な植物が咲き誇る様を模して「腸内フローラ」とも呼ばれている。細菌なくして生態系の存続なし。

つまり、ウイルスも細菌も、人類とは互いの進化を支え合う、切っても切れない不思議な共存関係でもあるのだ。

ウイルスと人類のつきあい、4パターン

そんな微生物と哺乳動物たる人類との関わり方は、大きく次の4つに分類されるという。

ケース1:「宿主が微生物の攻撃で敗北して死滅する」

致死率の高いアフリカのラッサ熱や、エボラ出血熱がこのタイプだ。恐ろしい感染症だが、一方の微生物もほかの宿主に移らない限り、宿主と運命を共にして死滅するので、リスクは大きい。結果的に、局地的、短期的な感染にとどまることも多い。

ケース2:「宿主側の攻撃が功を奏して、微生物が敗北して絶滅する」

すでに根絶した天然痘のほか、ハンセン病やポリオ、黄熱などがこのタイプだ。ワクチンや治療薬が存在し、予防や治療が可能な感染症といえる。

ケース3:「宿主と微生物が和平関係を築く」

大腸菌や乳酸菌、酪酸菌など人にとって欠かせないパートナーとなった常在菌も多い。普段はおとなしいが、宿主の免疫が低下した場合などに牙をむく「日和見菌」も存在する。

ケース4:「宿主と微生物がそれぞれに防御を固めて、果てしない闘いを繰り返す」

代表的なのはヘルペスウイルスだ。幼少期には「水痘(水ぼうそう)」に、成長後は「口唇ヘルペス」や「性器ヘルペス」、「帯状疱疹」に苦しめられた人もいるだろう。症状が治まっても、ストレスや疲労、妊娠や免疫力低下などをきっかけに再び暴れだすのが特徴だ。

今回の新型コロナウイルスは、当初ケース1が恐れられたが、そこまでの致死率ではなく、人類の滅亡は免れそうだというところだろう。

今後の理想は、ケース2「宿主側の攻撃が功を奏して、微生物が敗北して絶滅する」だ。完全なる根絶は難しいとしても、なんとか予防ワクチンや治療薬を開発するか、自然感染によって集団免疫が獲得されることが望ましい。

しかし、予防ワクチンや治療薬の開発には2~3年は要すると専門家からは試算されている。薬の開発と承認には一定の時間がかかるうえ、ウイルスは極めて短期間に遺伝子変異を繰り返す。ワクチンが出来上がる頃には、すでに十分に効かないタイプに変異している可能性もあるのだ。

スペイン風邪も流行開始から3年後に「うそのように去っていった」

ただ、ウイルスの脅威が数年後に弱まる可能性もある。約100年前に世界を混乱に陥れたインフルエンザ、通称「スペイン風邪」は、1918年から約3年間続き、世界人口のおよそ18億人のうち約6億人が感染した。折しも世界は第1次世界大戦中で、各国が感染情報を秘密にしたことや、軍隊生活の3密状態+栄養不足+医療不足も加わり、膨大な死者を出し、結果的に大戦終結が早まったともいわれている。

日本でも「国内感染者は2300万人を超え、死者の合計は38万6000人に達した」と記録されているが、専門家の試算によるとそれよりも多く、実際は「死亡数は45万人にのぼる」ともされている。

だが、それほどまで人々を恐怖に突き落としたスペイン風邪も、流行開始から3年後の1921年には「うそのように去っていった」という。その後も10年ほどは目立たない程度に流行を繰り返してはいたが、かつてのような脅威ではなくなったというのだ。

ウイルスとの平和共存が両者にとって有利

このようにウイルスや細菌は、弱体化・無害化の道をたどることもある。過去の梅毒や細菌性赤痢も、毒性の弱いタイプに入れ替わっている。この現象について石氏はこう解説している。

「これは生物進化からも説明ができる。病原体が宿主の動物に感染してから長い時間かけて共進化すると、ついには宿主に重大な病気を引き起こすことなく共存状態になる。病原性が強いままだと宿主を殺して共倒れになる危険性があり、平和共存は両者にとって有利だ。(中略)リチャード・ドーキンスが提唱した『利己的な遺伝子』の考えに従えば、ウイルスにとってもっとも有利な寄生方法は、宿主(遺伝子の乗り物)を殺さずにいつまでも自己の複製をさせることだ」(『感染症の世界史』)

今後も、ウイルスや細菌と私たち人類は、つかず離れずの距離を保ち共存していくことが余儀なくされるということだ。

「with ウイルス」が人類の宿命

過去のパンデミックはいずれも、人類の文明発展に伴い発生してきた。かつてシルクロードを行き来した行商人たちが、絹や紙、火薬やガラス製品などの品々を運ぶと同時に、東から西にはペストを運び、西から東へは天然痘や麻疹を運んだように、いやそれよりもはるかに大規模に、私たちはグローバル化した世界で経済活動を行っている。ラクダや馬、船や鉄道に代わり、大型旅客機やクルーズ船で人間を大量に素早く長距離運べるということは、ウイルスや細菌も速やかに世界中を移動できるということだ。

過密化した都市では、ウイルスや細菌が繁殖するのにふさわしい条件が整い、加速する森林伐採によって人里に押し出された野生動物は、人がまだ免疫を持たないウイルスや細菌をも運んできた。発展途上国の低賃金労働者は衛生環境が劣悪ななか、野生動物を食べることで、新たな感染リスクにさらされている。人体、農作物、家畜への抗生物質の乱用は、微生物の抗生物質への耐性も高めている。

人類にとって「都合のよい」環境は、微生物にとっても「生存に有利な」環境であり、そのことを視野に入れて、私たちはこれからの地球環境、経済環境を見直していくべきなのだろう。


・歴史が示唆する新型コロナの意外な「終わり方」 過去のパンデミックはどう終息したのか(東洋経済ONLINE 2020年5月19日)

※新型コロナウイルスのパンデミックは、いつ、どのようにして終わるのだろうか。

歴史学者によると、パンデミックの終わり方には2通りあるという。1つは医学的な終息で、罹患率と死亡率が大きく減少して終わる。もう1つは社会的な終息で、病気に対する恐怖心が薄れてきて終わる。

「感染症の終息はとても混沌としている」

「『いつ終わるんだろう』と人々が言う場合、それは社会的な終息を指している」と、ジョンズ・ホプキンス大学の医学史学者、ジェレミー・グリーンは言う。

つまり、病気を抑え込むことによって終わりが訪れるのではなく、人々がパニック状態に疲れて、病気とともに生きるようになることによっても、パンデミックは終わるということだ。ハーバード大学の歴史学者、アラン・ブラントは、新型コロナウイルスでも同様のことが起こっているという。「経済再開の議論を見る中で、いわゆる『終わり』は医学的なデータによって決まるのではなく、社会政治的なプロセスによって決まるのではないかと、多くの人が思っている」。

エクセター大学の歴史学者、ドラ・バーガは言う。「(感染症の終息は)とても混沌としている。過去の例でも、終息の理由がなかなか明確には説明できない。流行の終息は誰のためなのか、誰が終わりを宣言できるのか、なかなか見えてこない」。

マリーは次のように述べる。「もし、私たちが恐怖や無知と積極的に、かつ慎重に戦おうとしなければ、その恐怖によって、弱い立場にいる人をひどく傷つける可能性がある。たとえ感染者が1人も出なかった場所でも、そんな状況が起こりうる。そして、恐怖の蔓延は、人種や階級や言語などの問題によって複雑化すると、さらに悪い結果をもたらす」。

黒死病――2000年間で3度の大流行

過去2000年の間に、何度かペストが流行し、何百万人もが死亡して、歴史の流れが変わった。ペストが流行する度に、恐怖が増幅されていった。ペストは「黒死病」としても知られている。

ペストは、ネズミに寄生したノミが持つ「ペスト菌」に感染することで引き起こされる。しかし、感染した人の飛沫を通じてほかの人にもうつるため、単にネズミを駆除するだけでは病気を撲滅することはできない。

ペストがどう終息したのかは不透明

ジョンズ・ホプキンス大学の歴史学者、マリー・フィセルによると、歴史学的にはペストの大流行は3回起こったという。6世紀の「ユスティニアヌスのペスト」、14世紀の「中世の大流行」、そして19世紀末から20世紀はじめにかけてのパンデミックだ。

中世の大流行は1331年に中国で始まった。当時は内戦も激しく、戦争とペストで中国の全人口の半分が死亡した。ペストは中国から貿易ルートを伝って、ヨーロッパ、北アメリカ、中東に広がった。1347年から1351年までの間に、少なくともヨーロッパの人口の3分の1がペストで亡くなり、イタリアのシエナでは人口の半数が死亡した。

この時のパンデミックは終わったが、ペストの流行は繰り返された。なかでも、1855年に中国で始まって世界中に広がった流行は大きなもので、インドだけで1200万人以上が死亡した。ボンベイ(現ムンバイ)の保健当局は、ペストを撲滅しようと、地域を丸ごと焼き払うことまでした。「それが効果をもたらしたのかは誰もわからない」と、イェール大学の歴史学者、フランク・スノーデンは言う。

ペストがどのようにして終息したのかは明らかではない。寒さのために病気を媒介するノミが死滅したと考える学者もいるが、それでも飛沫感染による感染経路は残るはずだとスノーデンは指摘する。

エボラ出血熱――恐怖だけが続いた

病気の流行がなくても、恐怖の流行は起こる。2014年、アイルランド王立外科学院のスーザン・マリーは、アイルランド農村部の病院のフェローだったときに、その状況を目の当たりにした。

その頃までに、西アフリカでは1万1000人以上がエボラ出血熱で死亡していた。エボラ出血熱は感染力が強く、致死率も高いおそろしい病気だ。流行は収まりつつあり、アイルランドで患者は確認されていなかった。しかし、人々の恐怖は明らかだった。

「街中でも病院でも、みな不安に駆られていた」と、マリーは近ごろ『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』誌に発表した論文で述べた。「肌の色がそういう色であるだけで、バスや電車のほかの乗客から、怪しまれるような視線を向けられた。咳を1度でもしようものなら、周りから人が遠ざかっていった」。アイルランドで恐怖だけが続く中、WHO(世界保健機関)はエボラ出血熱の流行は終わったと宣言した。

ペストを媒介するネズミが変わったことが原因とも考えられる。19世紀までに、ペスト菌はクマネズミではなくドブネズミを宿主とするようになった。ドブネズミのほうが強く、獰猛(どうもう)で、人間から離れて暮らす傾向がある。

別の仮説としては、細菌の力が弱くなったというものがある。あるいは、人間の行動、たとえば村を焼き払うなどの行為が、効果を発揮したのかもしれない。

今では抗生物質により治療できるのに

ただし、ペストは完全に消え去ってはいない。アメリカでは、南西部のプレーリードッグが保菌しており、人間にうつる可能性もある。スノーデンによると、彼の友人の1人が、ニューメキシコ州のホテルに滞在したあとペスト菌に感染したという。その友人の前にホテルの同じ部屋に滞在していた人が犬を連れており、その犬についていたノミがペスト菌を持っていた。

このようなケースはまれであり、いまでは抗生物質により治療することができる。しかし、ペストの感染が報じられると、人々はいつも恐怖を感じる。

天然痘――例外的に医学的に終息

医学的に根絶された病気としては、天然痘が挙げられる。だが、天然痘の根絶は、次のような条件が揃った例外的なものだ。まず、天然痘にはワクチンがあり、その効果は一生続く。また、天然痘ウイルスの小痘瘡(しょうとうそう)は動物を宿主としないので、人間のあいだで病気がなくなれば完全に根絶されたことになる。さらには、症状がかなり明確なので、感染したことがわかりやすく、隔離や接触者の追跡がしやすい。

天然痘に自然に感染した最後の患者は、ソマリアの病院の調理師だったアリ・マオ・マーランだ。1977年に罹患したが回復し、2013年にマラリアで亡くなった。

インフルエンザ――人々が忘れ去って終息

1918年のインフルエンザ(俗に「スペインかぜ」と呼ばれる)は、パンデミックによる大きな被害と、隔離やソーシャル・ディスタンスの有効性を示す事例として、今日でも引き合いに出される。このインフルエンザでは、世界で5000万人から1億人が死亡した。若者や中年に犠牲者が多く、子どもたちは親を失い、家族は稼ぎ手を失い、第1次世界大戦のさなかに、兵士たちも失われた。

世界を席巻したあと、このインフルエンザは徐々に消えていき、毎年あらわれるような、弱いインフルエンザに変わっていった。

「このインフルエンザはたとえば火事のようなもので、燃やせるものや近くにある木々などを燃やし尽くして、鎮火したのかもしれない」とスノーデンは言う。

社会的にも終息した。第1次世界大戦が終わったあと、人々は再出発や新たな時代に意識を向けており、病気や戦争の悪夢を忘れ去ろうとしていた。最近まで、1918年のインフルエンザはほとんど忘れられていた。

しかしその後も、ほかのインフルエンザによるパンデミックが起こった。「スペインかぜ」ほどひどくはなかったが、どれも衝撃的だった。1968年の香港インフルエンザでは、世界で100万人が死亡し、アメリカでの死者は10万人で、大半が65歳以上だった。香港インフルエンザのウイルスは、現在も季節性のインフルエンザを発生させているが、その最初の被害や、香港インフルエンザが引き起こした恐怖は、ほとんど思い出されることがない。

ワクチンがなくても終息する可能性

新型コロナウイルス感染症の場合はどうなるだろうか。

歴史学者が1つの可能性として挙げるのは、医学的に終息する前に、社会的に終わりを迎えるのではないかということだ。人々がさまざまな制約に嫌気がさし、まだウイルスがくすぶっていても、ワクチンや効果的な治療方法が開発されていなくても、もうパンデミックは終わったと宣言する。

イェール大学の歴史学者、ナオミ・ロジャースは言う。「極度の疲労やフラストレーションといった、社会心理学的な問題があると思う。人々が『いい加減うんざりだ。もう普通の生活に戻っていいはずだ』と言うようになる可能性がある」。

それはすでに起こっている。アメリカのいくつかの州では、公衆衛生の当局者が時期尚早だと警告しているにもかかわらず、州知事が規制を解除し、ヘアサロンやネイルサロン、ジムなどの営業再開を認めた。ロックダウンによって経済状況が壊滅的になっていくにつれ、さらに多くの人たちが「もううんざりだ」と言うようになるかもしれない。

「こうした葛藤が現在生じている」とロジャースは言う。公衆衛生の当局者は医学的な終息を考えているが、一般の人たちの中には社会的な終わりをイメージしている人たちもいる。

「誰が終わりを宣言できるのか」とロジャースは言う。「もし終わったという考え方に反対するのであれば、どこの部分に反対しているのか。『まだ終わっていない』と言う場合、どういう主張なのか」。

難しいのは、きっぱりと勝利宣言が出せないことだとブラントは言う。パンデミックの終わりを定義するのは「長くて困難なプロセスになる」。