・いつの間にか日本政治の中枢に浸透した「宗教右派」の源流(現代ismedia 2017年4月28日)

島田 裕巳







※教団は衰退、しかし思想は拡散…

持続する心

生長の家は、戦前から続く新宗教の教団の一つで、創立者は谷口雅春という人物である。谷口は、戦前は日本の軍国主義の体制を支持し、戦後も、右派の宗教家として活躍し、共産主義の脅威を訴え続けた。

ところが、生長の家の方向性は、谷口が亡くなった後に大きく変わり、現在では、谷口の主張を全面的に否定し、エコロジーの実践を中心に据えた教団に変貌している。本部も東京の原宿から山梨県北杜市の山の中に移転した。

生長の家は、方向性を大きく変えただけではなく、近年になって信者数を大きく減らしている。

各教団は毎年、宗教団体を所轄する文化庁の宗務課に信者数を報告しているが、生長の家の場合、1990年に82万1998人だったのが、2015年では52万1100人に減少している。

これは公称の数字で、はたしてそれがどの程度正確なのかは分からないが、その数字だけでも、生長の家は平成の時代になってからの四半世紀で30万人以上もの信者を失ったことになる。

新宗教としては特殊

日本には多くの宗教団体が存在している。とくにキリスト教やイスラム教のような支配的な宗教が存在しないので、その分、数多くの新宗教が生まれている。

主な新宗教としては、生長の家のほかに、天理教、大本、天照皇大神宮教、璽宇、立正佼成会、霊友会、創価学会、世界救世教、神慈秀明会、真光系教団、PL教団、真如苑、GLA(ジー・エル・エー総合本部)がある。

ほかに最近話題になったところでも、幸福の科学や統一教会(現在では世界平和統一家庭連合)などがある。

ただし、数ある新宗教の中で、生長の家はかなり特殊な教団である。

新宗教に人が集まるのは「貧病争」が原因であると言われる。貧困、病気、家庭内の争い事から救われたいと入信するわけである。

とくに病気が直るということは、どの教団も主張することで、生長の家の場合にも、かつては機関誌である『生長の家』を読みさえすれば病気が直ると宣伝していた。

その点では、生長の家も一般の新宗教と変わらないことになるが、明確な「思想」があるという点ではかなり特徴的である。

思想があるということは、その思想を実現するために行動するということであり、政治への関心は自ずと強くなる。

実際、谷口雅春は、太平洋戦争がはじまるとそれを「聖戦」として位置づけ、アメリカやイギリスとの和解を断固退けろと主張した。

戦後になっても谷口は、「日本は戦争に負けたのではない」と、敗戦を合理化した。

そして、東西冷戦の時代が訪れ、保守と革新、右翼と左翼の対立が激しいものになると、戦前の天皇崇拝や国家主義、家制度の復活などを主張するようになり、保守勢力に支持された。

1964年には、「生長の家政治連盟」を組織して国会に議員を送り込んだ(所属は自由民主党だった)。

1966年には、「生長の家学生会全国総連合(生学連)」が組織され、これは左翼の学生運動と激しく対立した。当時、谷口は、左翼の学生運動を生んだ原因として戦後の憲法体制を激しく攻撃した。谷口の主張は、明治憲法の復活であった。

政治思想を持つ教団

新宗教が政治にかかわる例はある。

戦後すぐの時期には、天理教なども国会に議員を送り込んでいる。その後は創価学会が公明党を組織し、その公明党は現在自由民主党と政権を組んでいる。国会にはまだ議員を送り込んでいないが、幸福の科学も幸福実現党を組織し、数人の地方議員を抱えている。

その点では、生長の家は特殊ではないし、政治的な影響力では、創価学会の方がはるかに大きい。

創価学会の会員が関心を持っているのは、政治ではなく選挙なのである。選挙で公明党の議員に勝たせる。それも候補者全員を当選させることが第一の目標であり、それだけを求めているとも言えるのだ。そのため、創価学会の会員は公明党の政策についてもさほど関心を持っていない。

これに対して、生長の家の会員たちは、谷口の政治的な主張に共感し、生長の家政治連盟がそれを国会の場で具体化することを求めていた。生長の家の会員であるということは、生長の家の政治思想に共感し、それを支持するということを意味した。

最近になって宗教右派として注目を集めている「日本会議」の事務局には、生長の家の会員で、生学連のメンバーであった人間たちが入っているとされるが、彼らは、生長の家から離れても、会員であった時代と同じ政治思想を持ち続けているわけである。

衰退が思想拡散の契機

あるいはこうも考えられるかもしれない。

生長の家の教団が谷口時代のような主張を展開していたとしたら、時代に取り残されていくことは避けられない。

過激な天皇信仰は、現在の天皇の姿を考えれば成り立たないし、支持を得られない。

冷戦構造が崩れた以上、共産主義の勢力や左翼を徹底して攻撃しようとしても、相手がいなくなってしまったわけだから、社会的に意味をなさない。

その点で、生長の家の教団が衰退していくのは必然である。社会的な存在価値を失ってしまっているからで、路線の転換も、それが深く関連する。

ところが、谷口時代に入会した生長の家の会員は、たとえ組織に残っていようと、そこから出てしまっていたとしても、依然として、谷口の政治思想を内心では支持し続けている。だからこそ、日本会議を動かすような人物が生まれてくるわけである。

その点では、谷口の右派的な政治思想を持つ人間たちが、たんぽぽの種が風に乗って飛散していくように、教団の衰退を機に日本社会に散らばったとも言える。

逆に、生長の家がかつてのような形を取り、会員たちを組織につなぎ止めておいたならば、そうした飛散は起こらなかったかもしれない。

政治的な場面では当然だが、明確な主張をもっている人間は、曖昧な主張しかもっていない人間よりも強い。

明確な主張を持つためには、思想的なバックボーンが必要である。冷戦が続いている時代には、自由主義と共産主義が対立し、それは、国家同士の争いにとどまらず、国内の組織同士、あるいは個人間の対立を生むことになった。

生長の家の政治思想は、共産主義の政治思想に対立するもので、谷口が生きていた時代には、それぞれの側の思想が、その陣営に属している人間の考え方を規定していた。

ところが、冷戦構造が崩れてから、共産主義の思想は力を失い、それと同時に、リベラルな思想をも弱体化させた。

現実の政治の世界を見ても、確固とした思想を持つ政治家はほとんど消えてしまった。野党が成り立たないのもそれが関係する。

その中で、生長の家の思想は依然として力をもっている。

戦後、この思想が復活し、力を持ったのは、冷戦の深化という事態が背景にあったからだ。

今や、アメリカ、ロシア、中国という大国同士の対立が日本の政治状況にも強く影響しつつある。そのなかで、ナショナリズムの傾向が強い生長の家の主張、宗教を背景とした右派的な政治思想は力をもち得るようになってきた。

こうした状況は、今後も長期にわたって続く可能性がある。私たちは、飛散した種がどこでどういう形で芽を吹くかに注目しておかなければならないのである。

※ブログ主コメント・・・イルミナティやイルミニズムの存在に触れていない点で全くの的外れ。重要なパーツが足りないと世界解釈もでたらめになる例。一番上の画像はブログ主による添付。一般人が左目の意味もコルナサインの意味も知らないと思ってなめやがって・・・。日本の政治経済文化は、右も左も、こういう頭のおかしい連中によって動かされているのだ。


・菅新内閣20人中14人が「日本会議」のメンバー…右翼色は依然と(中央日報/中央日報日本語版 2020年9月16日)

※16日に発足する菅義偉新内閣でも日本右翼の本流である「日本会議」の影響力がそのまま維持されることが明らかになった。

16日、菅内閣の閣僚20人を「日本会議」の国会組織である「日本会議国会議員懇談会」(以下、日本会議懇談会)の名簿と突き合わせてみた結果、14人が同組織の所属であることが分かった。菅首相本人を含めると21人中15人に増える。

直前の安倍第4次内閣(2019年9月発足)が閣僚20人のうち15人が日本会議の所属だったことと比較すると、菅内閣でも日本会議の影響力がほぼそのまま維持されるとみることができる。

これは菅内閣が安倍政権継承を前面に出していて、実際に安倍内閣の閣僚の半分をそのまま起用したためだ。

新たに入閣した10人のうち7人が日本会議懇談会の所属だ。安倍氏の実弟である岸信夫防衛相をはじめ、田村憲久厚労相、武田良太総務相、平沢勝栄復興相、野上浩太郎農水相、井上信治万博担当相、坂本哲志一億総活躍担当相らが所属であることが確認された。

この他に麻生太郎財務相は日本会議の特別顧問であり、加藤勝信官房副長官、萩生田光一文科相、茂木敏充外相らも日本会議懇談会のメンバーだ。

日本会議懇談会に入っていない閣僚は上川陽子法務相、小泉進次郎環境相、赤羽一嘉国土交通相、平井卓也デジタル担当相、河野太郎行政改革相、小此木八郎国家公安委員長ら5人だけだ。

ただし、日本会議の比重がそのまま維持されているというものの菅義偉氏は右翼指向が強くないことが伝えられた。したがって安倍政権の時ほどは日本会議の影響力が強く維持されないだろうと見る向きもある。

恵泉女学園大学の李泳采(イ・ヨンチェ)教授は「日本会議比率が最も高かったのは2014年安倍第3次内閣のいとき」としながら「菅内閣では約70%が日本会議所属と把握されるが、安倍中心の日本会議と菅中心の日本会議は重さが違う」と分析した。

日本会議は憲法改正や日本の核武装などを主張する「日本を守る国民会議」と神道系宗教団体の集まり「日本を守る会」が1997年5月に統合して発足した。全国47都道府県にそれぞれ本部を設置し、3000を超える地方自治体に支部を置いた点組織で、政財界や学界などを総網羅した「地下極右指令塔」「極右大本営」と呼ばれる。

安倍晋三氏が団体の特別顧問を務めており、安倍政権の強力な支持基盤として知られており、国会議員懇談会には自民党を中心に200人を超える議員が所属している。