・英語圏の諜報ネットワーク「ファイブ・アイズ」が予言していた「日本」(Forbes JAPAN 2020年4月8日)
牧野 愛博
※「ファイブ・アイズ」をご存知だろうか。アメリカを中心とした英語圏5カ国の機密情報ネットワークだ。
豪州の首都・キャンベラ。国会議事堂から見える位置にオーストラリア戦争記念館がある。そこには、豪州が過去参加した戦争に関する資料や遺品などが収められている。記念館の目的は3つある。戦死者への鎮魂、若者への教育、そして戦争に関する記録の保存だ。
日豪関係筋の一人は、この記念館に眠っているひとつの興味深い外交文書の存在を私に教えてくれた。1971年6月に作成された「Anti-submarine warfare in the 1980s(1980年代の対潜水艦戦)」と題した文書で、冷戦終結という時間の経過によって秘密指定が解除されたものだ。題名の通り、1980年代に主要国が保有する潜水艦の戦力がどうなっていくのかを展望し、対潜水艦戦がどのように展開されていくのかを報告したものだ。
では、いったいこの文書は、誰が書いて、誰のために作ったものなのか。オーストラリア軍がオーストラリア政府のために作ったのか?確かに、文書の宛先は豪国防相になっていたがが、文書には、いたるところに「secret covering US/UK/AUS/CAN/N.Z. eyes only」「joint intelligence organization(JIO)」などのスタンプが押してあった。
関係筋は「私も詳細はわからないが、おそらくファイブ・アイズの合同情報組織がメンバー国に向けて提供した文書なのだろう」と語った。ファイブ・アイズ。同じ英語圏の米、英、豪、カナダ、ニュージーランドの5カ国が参加する秘密情報ネットワークのことだ。
日米両政府の関係者らによれば、ファイブ・アイズは主に通信傍受システム「エシュロン」を共同運用し、電波やメール、インターネットなどの「電子情報収集(signal intelligence=シギント)」を行っているとされる。5カ国は自国や在外公館などに通信傍受施設を設け、電波情報を収集・交換しているとされる。情報の95%は企業や金融機関などの経済情報といわれているが、もちろん、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発や中国海軍の動向など、軍事情報も含まれている。
私がキャンベラで取材した豪シンクタンク、オーストラリア国際問題研究所(AIIA)のアラン・ギンジェル所長は「ファイブ・アイズは第2次世界大戦の頃から続く非常に古い関係だ。第2次大戦当時、5カ国はシギントを共有していた。それは必然だった。世界中でシギント情報を収集し、共有する必要があったからだ」と語った。ギンジェル氏は豪情報評価機関ONAの長官を務めたことでも知られる安全保障やインテリジェンスの第1人者だ。
そして、戦争記念館に所蔵されていたこの文書には、日本に関する記述があった。それは、1980年代にどのような国家が原子力潜水艦を保有するに至るのかという文脈での一節だった。そこには「JIO(合同情報組織)の分析によれば、日本がおそらく1980年までに少なくとも1隻の原子力潜水艦の運用を始めるだろう」と書かれていた。
海上自衛隊は現在に至るまで原潜を保有してはいない。すべて通常動力による潜水艦だ。過去、世間で「海自も原潜を持つべきだ」という声が一部に出たこともあったが、政治的なハードルに加えて「原潜の場合、原子炉の定期的な交換などで維持費用が莫大になる。バックアップする施設の建設も難しい」(海自関係者)などの声が出て、今まで本格的な検討には至っていない。
ただ、私が非常に興味をひかれたのは、冷戦時代の1970年代に、米国などが日本をこのように見ていたという現実だった。この時代、日本は1976年に初めての「防衛計画の大綱」(51大綱)を策定し、78年には「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」も作り上げていた。いわば、ソ連の脅威に対して日米同盟の強化に突き進んでいた時代だった。
それにも関わらず、日本が唯一の同盟国と頼んでいた米国をはじめ、親しい関係にあった5カ国がこうした評価を下していた。文書にはこういう一節もあった。
「日本は豪州の潜在的脅威になるはずで、その脅威の一部として潜水艦を使うことになるだろう」
欧州の安全保障に詳しい日本の大学教授は「日本にとって米国は唯一の同盟国かもしれないが、米国には世界中に同盟国がいる。米国はどの国にも、君たちとの関係が一番重要だと言って回るが、それを鵜呑みにしてはいけない」と語る。実際、米国にはファイブ・アイズがあるし、イスラエルのような特別な関係を持つ国もある。
最近、一部のメディアで、ファイブ・アイズが日仏独などと、特定の分野で情報共有の仕組みを作ることになったと報じた。ギンジェル氏は「ファイブ・アイズは英語を話す点で、より共通点が多いし、セキュリティーでも信頼している。だが、米豪両国が、お互いに相手と全ての情報を共有するわけではない。いくつかの技術的な交流はあるが、異なる点も多い。私が政府にいたときも、米国の情報すべてにアクセスできたわけではない。逆に、我々オーストラリアは、北東アジアでの運用に必要なインテリジェンスを日本と共有する必要はないが、米国は日本と共有していると確信するよ」と述べた。
ただ、ファイブ・アイズの文書が教えてくれているように、同盟関係に絶対という文字はない。オーストラリアも抜け目もない。豪州は今、中国の脅威にさらされ、米国との同盟維持を懸念する声も出始めている。
そこで、豪州の専門家や研究者たちが注目しているのが、「プランB」、いわゆる米豪同盟以外の生き残り策の検討だ。もちろん、本当に米豪同盟を破壊して、中国と同盟関係を結ぼうと言うことではないだろう。必死になって米国をこの地域に関与させるためには、脅しも必要だ。常に冷静に冷酷に現実を直視し、あらゆるチャレンジを試みようとしている。
翻って、今の日本はどうだろうか。安倍政権はトランプ米大統領との仲の良さを強調する発言が目立つ。日本外務省で「日米同盟以外の道」に言及すれば、それが同盟を維持するための方途であっても、たちまち昇進コースから外されてしまうだろう。日本の研究機関でも現時点で「プランB」を研究しようという動きはない。
日米同盟は日本の安全保障のための手段であって目的ではない。中国の台頭という地政学的な変化に加え、最近では新型コロナウイルスという世界を席巻する大問題も浮上している。私の知人の大学教授は「コロナはゲームチェンジャーになりうる。コロナのせいで、どこかの国の独裁者が死亡すれば、それが安保の空白を生むことだってありうるからだ」と警告する。
牧野 愛博
※「ファイブ・アイズ」をご存知だろうか。アメリカを中心とした英語圏5カ国の機密情報ネットワークだ。
豪州の首都・キャンベラ。国会議事堂から見える位置にオーストラリア戦争記念館がある。そこには、豪州が過去参加した戦争に関する資料や遺品などが収められている。記念館の目的は3つある。戦死者への鎮魂、若者への教育、そして戦争に関する記録の保存だ。
日豪関係筋の一人は、この記念館に眠っているひとつの興味深い外交文書の存在を私に教えてくれた。1971年6月に作成された「Anti-submarine warfare in the 1980s(1980年代の対潜水艦戦)」と題した文書で、冷戦終結という時間の経過によって秘密指定が解除されたものだ。題名の通り、1980年代に主要国が保有する潜水艦の戦力がどうなっていくのかを展望し、対潜水艦戦がどのように展開されていくのかを報告したものだ。
では、いったいこの文書は、誰が書いて、誰のために作ったものなのか。オーストラリア軍がオーストラリア政府のために作ったのか?確かに、文書の宛先は豪国防相になっていたがが、文書には、いたるところに「secret covering US/UK/AUS/CAN/N.Z. eyes only」「joint intelligence organization(JIO)」などのスタンプが押してあった。
関係筋は「私も詳細はわからないが、おそらくファイブ・アイズの合同情報組織がメンバー国に向けて提供した文書なのだろう」と語った。ファイブ・アイズ。同じ英語圏の米、英、豪、カナダ、ニュージーランドの5カ国が参加する秘密情報ネットワークのことだ。
日米両政府の関係者らによれば、ファイブ・アイズは主に通信傍受システム「エシュロン」を共同運用し、電波やメール、インターネットなどの「電子情報収集(signal intelligence=シギント)」を行っているとされる。5カ国は自国や在外公館などに通信傍受施設を設け、電波情報を収集・交換しているとされる。情報の95%は企業や金融機関などの経済情報といわれているが、もちろん、北朝鮮の核・弾道ミサイル開発や中国海軍の動向など、軍事情報も含まれている。
私がキャンベラで取材した豪シンクタンク、オーストラリア国際問題研究所(AIIA)のアラン・ギンジェル所長は「ファイブ・アイズは第2次世界大戦の頃から続く非常に古い関係だ。第2次大戦当時、5カ国はシギントを共有していた。それは必然だった。世界中でシギント情報を収集し、共有する必要があったからだ」と語った。ギンジェル氏は豪情報評価機関ONAの長官を務めたことでも知られる安全保障やインテリジェンスの第1人者だ。
そして、戦争記念館に所蔵されていたこの文書には、日本に関する記述があった。それは、1980年代にどのような国家が原子力潜水艦を保有するに至るのかという文脈での一節だった。そこには「JIO(合同情報組織)の分析によれば、日本がおそらく1980年までに少なくとも1隻の原子力潜水艦の運用を始めるだろう」と書かれていた。
海上自衛隊は現在に至るまで原潜を保有してはいない。すべて通常動力による潜水艦だ。過去、世間で「海自も原潜を持つべきだ」という声が一部に出たこともあったが、政治的なハードルに加えて「原潜の場合、原子炉の定期的な交換などで維持費用が莫大になる。バックアップする施設の建設も難しい」(海自関係者)などの声が出て、今まで本格的な検討には至っていない。
ただ、私が非常に興味をひかれたのは、冷戦時代の1970年代に、米国などが日本をこのように見ていたという現実だった。この時代、日本は1976年に初めての「防衛計画の大綱」(51大綱)を策定し、78年には「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」も作り上げていた。いわば、ソ連の脅威に対して日米同盟の強化に突き進んでいた時代だった。
それにも関わらず、日本が唯一の同盟国と頼んでいた米国をはじめ、親しい関係にあった5カ国がこうした評価を下していた。文書にはこういう一節もあった。
「日本は豪州の潜在的脅威になるはずで、その脅威の一部として潜水艦を使うことになるだろう」
欧州の安全保障に詳しい日本の大学教授は「日本にとって米国は唯一の同盟国かもしれないが、米国には世界中に同盟国がいる。米国はどの国にも、君たちとの関係が一番重要だと言って回るが、それを鵜呑みにしてはいけない」と語る。実際、米国にはファイブ・アイズがあるし、イスラエルのような特別な関係を持つ国もある。
最近、一部のメディアで、ファイブ・アイズが日仏独などと、特定の分野で情報共有の仕組みを作ることになったと報じた。ギンジェル氏は「ファイブ・アイズは英語を話す点で、より共通点が多いし、セキュリティーでも信頼している。だが、米豪両国が、お互いに相手と全ての情報を共有するわけではない。いくつかの技術的な交流はあるが、異なる点も多い。私が政府にいたときも、米国の情報すべてにアクセスできたわけではない。逆に、我々オーストラリアは、北東アジアでの運用に必要なインテリジェンスを日本と共有する必要はないが、米国は日本と共有していると確信するよ」と述べた。
ただ、ファイブ・アイズの文書が教えてくれているように、同盟関係に絶対という文字はない。オーストラリアも抜け目もない。豪州は今、中国の脅威にさらされ、米国との同盟維持を懸念する声も出始めている。
そこで、豪州の専門家や研究者たちが注目しているのが、「プランB」、いわゆる米豪同盟以外の生き残り策の検討だ。もちろん、本当に米豪同盟を破壊して、中国と同盟関係を結ぼうと言うことではないだろう。必死になって米国をこの地域に関与させるためには、脅しも必要だ。常に冷静に冷酷に現実を直視し、あらゆるチャレンジを試みようとしている。
翻って、今の日本はどうだろうか。安倍政権はトランプ米大統領との仲の良さを強調する発言が目立つ。日本外務省で「日米同盟以外の道」に言及すれば、それが同盟を維持するための方途であっても、たちまち昇進コースから外されてしまうだろう。日本の研究機関でも現時点で「プランB」を研究しようという動きはない。
日米同盟は日本の安全保障のための手段であって目的ではない。中国の台頭という地政学的な変化に加え、最近では新型コロナウイルスという世界を席巻する大問題も浮上している。私の知人の大学教授は「コロナはゲームチェンジャーになりうる。コロナのせいで、どこかの国の独裁者が死亡すれば、それが安保の空白を生むことだってありうるからだ」と警告する。