・ライブドア事件の背景に何が 「錬金術」可能にした規制緩和 金融ビッグバン「貯蓄から投資へ」の流れの中で(しんぶん赤旗 2006年1月29日)







※堀江貴文前社長らが逮捕された、ライブドアグループによる証券取引法違反容疑事件が世間に衝撃を与えています。不正な手法で株価をつり上げ、企業買収を繰り返していた疑い。「錬金術」の実態やそれを許した背景は何か―。

■株価つり上げの道具

二〇〇三年、株価が最安値に落ち込み、低迷を続けていたライブドアが目を付けたのが「株式分割」でした。

「株式分割」は一株を複数の株に分けるもの。一時的な株の品薄状態をつくりだし、株価が上がりやすくなります。〇一年の商法「改正」で、「株式分割後の一株あたり純資産額が五万円以上」などとしていた規制が撤廃され、野放しになっていました。

ライブドアは、合計四回、〇四年二月には最大百分割を実施。そのたびに株価は跳ね上がりました。個人投資家を市場に呼び込むため、株を購入しやすくするという目的だったはずの「株式分割」を、ライブドアは株価を上昇させて時価総額を増やすための道具にしました。

この手法は、ライブドア関連会社も多用し、ほかの企業にも広がりました。

東京証券取引所によると、上場会社で一・五以上の大幅な分割をした企業は、一九九二年から九九年までは二十五社にとどまっていましたが、〇五年には百二十八社に急増。ライブドアが百分割した後には、百一分割をする新興企業も現れました。

■株高マジックで買収

株式百分割などによってライブドアの株価は高騰を続けました。〇四年一月に時価総額が九千億円を超えた同社は、これを元手に企業買収を進めていきました。

その一つが自社株と相手企業の株式を交換する株式交換という手法です。日本では一九九九年十月の商法「改正」で解禁されました。

買収の際の株の交換比率は、将来生み出す収益の予想などから判断して決めます。買収する側の株価が高いほど有利な比率で交換できます。現金を使った買収では資金を銀行から借り入れるという負担が伴いますが、株式交換では新株を発行するか、保有する自社株を提供するだけで済みます。

ライブドアは〇一年以降、株式交換による企業買収を十件以上実施しています。携帯電話販売会社など、〇四年三月に株式交換で買収した四社の買収価格相当額は合計で約五十億円とされます。経常利益(連結)が約十三億円(当時)の会社が、その四倍規模の買収を一気にやってのける―これはまさに「株高マジック」でした。



■不正見過ごした金融庁

ライブドア事件は、不正を見過ごした金融庁など行政の責任を浮かびあがらせました。

「最大の問題は、東京地検特捜部の強制捜査が入るまで、監督官庁の金融庁が何も手を打たなかったことだ」。東京証券取引所労働組合委員長の松井陽一さんは指摘します。

ライブドア事件をめぐって、金融庁が役割を発揮すべき場面はいくつかありました。

ライブドアが行った「株式百分割」や、ニッポン放送株を35%取得した際に使った「時間外取引」もその一例です。市場関係者からは、問題視されてきたにもかかわらず、金融庁・証券取引等監視委員会は動こうとしませんでした。警告するどころか、「(時間外取引は)規制の対象とはならない」(伊藤達也金融担当相=当時)と“お墨付き”を与える始末でした。

この発言が当時、調査を始めていた証券取引等監視委員会の動きを鈍らせたとする見方も出ています。

「市場の番人」の役割を果たさなかった金融庁。証券市場の監視体制の強化を求める声もあがっています。

前出の松井さんはいいます。「背景には規制緩和推進の張本人であり、そのトップでもあった竹中総務相(前金融相)が堀江容疑者を選挙で応援し持ち上げてきたという構造的な問題がある。改革をいうなら、政府・金融庁こそが真っ先にその対象になるべきだ」

■自民党政治の罪

「小泉内閣の規制緩和のおかげで、非常に商売がしやすくなっています」とは、堀江容疑者が自社の機関誌(『ライブドア』二〇〇五年冬号)で語ったことば。

安倍官房長官も正直にこういいました。「堀江さんが仕事で成功してきたというのは小泉さんの改革の成果、規制緩和の成果」と。

ライブドア事件の背景にあるのが自民党・小泉内閣が推進してきた「構造改革」=規制緩和万能路線であることは、当事者自身も認めるところです。

画期となったのは一九九六年十一月。当時の橋本内閣が打ちだした「日本版金融ビッグバン」です。「フリー(自由)、フェア(公正)、グローバル(地球規模)」を掲げ、金融分野の大幅な規制緩和と銀行を中心とした金融再編が進行しました。

国境を超えた資金の移動の自由化、証券会社を免許制から登録制に緩和、株式売買手数料の自由化…。

その流れは小泉「構造改革」にも引き継がれ、「貯蓄から投資へ」の号令のもとで、銀行による保険商品の販売対象の拡大などいっそうの規制緩和が進められました。

大阪証券労働組合委員長の田辺徹さんは、「規制緩和は、証券市場の拡大やインターネットによる個人投資家を増やす一方で、お金がお金を生む、いびつなシステムをつくり出していった」と振り返ります。

そうした流れに乗ってのし上がってきたのがライブドアです。

自著で「人の心はお金で買える」「人間を動かすのはお金」(『稼ぐが勝ち』)と拝金思想をあらわにしていた堀江容疑者。

彼らが駆使した、金が金を生む手口―株式分割や株式交換は、商法の「改正」によって与えられました。

日本共産党は、こうした規制緩和に一貫して反対しましたが、モラルとルール破壊の土壌をつくった自民党政治の罪は深いものがあります。

「日本版金融ビッグバン」は、千四百兆円にのぼる日本の個人金融資産を市場に誘導したいアメリカと日本の財界・金融業界の強い要望を背景にしたものでした。株式交換による企業合併や株式分割の規制撤廃などもアメリカと日本の財界の要望でした。

■金融分野の規制緩和関連の動き

 1996年11月 橋本内閣が「日本版金融ビッグバン」を発表

 1998年4月 新外為法により為替取引が自由化、海外での預金口座開設が自由化

    12月 銀行窓口での投資信託販売開始

       「金融システム改革法」施行 株式取引の抜本的規制緩和(証券業・投信委託業が免許制から登録制に移行、取引所集中義務の撤廃)

 1999年8月 株式交換の解禁など商法の一部「改正」成立

    10月 株式売買委託手数料が完全自由化

    11月 東京証券取引所に新市場「マザーズ」開設

 2001年4月 小泉内閣発足

       金融商品販売法施行

    6月 商法の一部「改正」により株式分割の規制撤廃

 2002年4月 定期性預金のペイオフ解禁(金融機関破たんの場合、元本1000万円と利子分しか保証されない措置)

    10月 銀行による保険商品の販売対象が拡大

 2004年12月 「金融改革プログラム」発表(「貯蓄から投資へ」の流れ加速うたう)

 2005年6月 会社法により合併会社への対価に外国株の利用も可能に

    10月 郵便局で投資信託の販売開始


・ライブドア急成長のカラクリ “錬金術”規制緩和で加速(しんぶん赤旗 2006年1月20日)

※■Q&A

 インターネット関連会社のライブドアは、設立から十年で株式時価総額が七千億円を超える規模に成長しました。急速な拡大のカギは、株式分割や株式交換など金融テクニックを活用した企業合併・買収(M&A)攻勢でした。そのカラクリをQ&A形式で見てみました。

 Q 資金の乏しい新興企業が、短期間にM&Aを繰り返すことができたのはどうしてなのか。

 A ライブドアも十年前に設立された当時の会社の資本金は六百万円だった。二〇〇〇年四月、東京証券取引所「マザーズ」市場への株式上場を機に、一般投資家からの資金調達が可能になったことで、資本を増やしてきた。

 そこでライブドアが多用したのが、株式交換や株式分割という手法だ。

 買収対象企業の株主に、現金の代わりに自社株式を渡す株式交換で、子会社化することも可能になった。

 Q 買収の代価は現金の方が確実ではないかと思うけれど。

 A 買収する側の株価に上昇する期待が強ければ、受け取る側にとっても魅力は増す。ライブドアは、株式分割などで自社株価が急騰したタイミングで、株式交換によるM&Aを実施。投資家がその買収攻勢を収益拡大の機会と受け止め、さらに株価が上がるというサイクルが繰り返された。

 Q 株式分割とはどういうこと。

 A 本来は株数を増やし、一投資当たりの単価を下げて投資家が株を買いやすくするための行為なんだ。一株を五株に分割すると、理論上は株価は五分の一になる。

 Q なぜ株価が上がったのか。

 A 分割を決定しても、実際に新株が交付されるまで株券の印刷などで五十日程度かかる。それまでは、分割後の新たな発行済み株式総数に対して流通する株式が品薄状態になり、株価が上昇する効果があった。ライブドアはこうした株式分割を繰り返し、株式の時価総額(発行済み株式数に株価を掛けた数字)を膨らませていった。

 Q ライブドアはどんな株式分割をしたの。

 A ライブドアは一株を百株にするなど大幅分割を行った。それまでは分割を行うにしても、一・五から二程度が一般的だったという。ライブドアの行為がいかに突出していたか分かる。だから「本来の目的から逸脱した不正常なやり方」(証券業界関係者)と疑問の目が向けられてきた。

 問題視した証券市場でも、今年から印刷前でも新株を売買できる新方式を導入。大幅な分割の事実上の規制も行われるようになった。

 Q 株式の交換や分割は違法なの。

 A それ自体は法律違反ではない。しかし、ライブドアでは自社で出資する投資事業組合(ファンド)がすでに相手企業を買収していたのに、その企業を株式交換で子会社化すると偽りの発表をした疑いが持たれている。ある証券市場関係者は「ライブドアはいつも不正ぎりぎりのところを進んできた」と指摘する。

 Q 投資事業組合とは。

 A 個人や企業が集まり、株式などに投資するための組織。登記は不要で、税制面でも投資目的の会社より有利とされる。ただ投資組合には情報開示義務がなく、多くの場合、出資者や運営実態が不透明といわれる。

 ライブドアはこうした組織も悪用し、株式交換を繰り返し不正な利益を得ていた疑いも浮上している。

 Q 今回のような事件を許した背景には何があるのか。

 A 自民党政権が推進してきた規制緩和が背景にある。ライブドアが多用してきた株式交換による企業買収は、一九九九年の商法「改正」(自民、公明、民主、社民など賛成、共産党は反対)で導入されたもの。株価を高くする“錬金術”とされる株式分割は、二〇〇一年にそれまであった規制が撤廃されている。

 「そうした規制緩和の流れのなかで、法の抜け穴にも目をつけ、のし上がってきたのがライブドアだった」(証券業界関係者)




・堀江側近マル暴交際疑惑、六本木で一晩50万円豪遊 堀江自家用ジェット同乗、女子アナと海外(ZAKZAK 2006年2月3日)

※ライブドア副社長の黒い交際疑惑が3日、発覚した。同日発売の写真週刊誌『フライデー』が《「暴力団組員と豪遊」親密写真》として、堀江貴文容疑者(33)の側近で、同社執行役員副社長の大塚哲也氏(34)と暴力団構成員の親しい関係を伝えたのだ。大塚氏は、ポスト堀江体制を支える「経営委員会」の委員も務めており、進退問題に波及するのは必至。組織刷新をめざす平松庚三社長(60)の対応が注目される。

【10年来の関係】

「第1次ITバブルで渋谷ビットバレーなんて持ち上げられていた時代から、いくつかの会社には、ベンチャーキャピタルの形で、黒い金が入っているのは常識でした」(ITジャーナリスト)

ライブドア周辺でも、暴力団の影が取りざたされてきただけに、フライデーの記事と写真は衝撃的だ。

同誌によると、ライブドア副社長でコマース事業本部長の大塚氏は昨年10月、六本木のサパークラブで、指定暴力団の構成員と一晩で50万円も散財する派手な飲み会を開催。この日は途中からキャバクラ嬢が何人も合流し、ドンペリを開け、カラオケを絶唱するなどし、朝5時ごろまで盛り上がったという。豪遊費は、構成員が支払ったとしている。

同誌には、大塚氏と構成員が肩を組んだり、ドンペリのグラスを掲げるなどした写真3枚も掲載されている。

構成員が同誌に語ったコメントによると、構成員は大塚氏を「哲ちゃん」と呼ぶ仲で、大塚氏が生保の営業マンをしていた頃(平成6年~10年)に知り合い、暴力団に所属していることを告白した後も親しい関係を続けているという。

ただ、「哲ちゃんと私が『ライブドア』と『組』の関係を取り持ったことはありません」としている。

【人生ゲーム】

大塚氏とは、どんな人物なのか。

「大塚氏は、生保連続破綻の先陣を切って破綻した日産生命に平成6年に入社しています。9年の破綻前後に退社したようで、翌10年には自ら代表取締役となって起業した。ただ、うまくいかなかったんでしょう。結局、別のIT会社を経て、15年9月にライブドア(当時はエッジ)に入社した」(前出のITジャーナリスト)

ライブドアに入社後は、水が合ったのか、トントン拍子の出世街道を歩み、わずか1年4カ月でソフトウェア事業部担当の執行役員に抜擢された。

現在は、平松社長の出身母体『弥生』と『ライブドアオート』の取締役も兼務している。

フライデーによると、大塚氏は大きなM&Aを成功させ、ナンバー2だった宮内亮治容疑者(38)に相当かわいがられたという。

現在、大塚氏が担当するコマース事業本部は、ライブドアデパートなどeコマースを運営。

「新春に放映されたTBS系『サンデージャポン』で、女子アナが堀江容疑者の自家用ジェットに“箱乗り”した取材企画でも、大塚氏は同乗していたそうです」(関係者)

昨年、話題になった「人生ゲームM&A」(ライブドアスペシャルエディション)の企画や販売も担当。同ゲームでは、自ら「五百億円札」の肖像に収まっている。ちなみに、ホリエモンは「一兆円札」だ。

【イケメン副社長】

前出のITジャーナリストは、「大塚氏は相当なイケメンなんです。長髪に日焼け顔で…」と話す。

実際、自らが担当するライブドアデパートのサイトには、《仕事も遊びも最先端! ヒルズ族が提案するジュエリーテクニック》《イケメンライブドアスタッフも愛用!!》といった宣伝文句で、大塚氏がドレスシャツの胸をはだけて登場している。ほかに、就職関係のサイトでは、《仕事もある意味ゲームだと考えています。そうじゃないと楽しくないでしょう》と軽いノリで仕事観を吐露していた。

「実は、フライデーと同じ出版社の講談社が出している女性月刊誌『グラマラス』の最新号(2月号)の袋とじ企画『スーツな男たち34人』に、大塚氏は写真入りで出演しているんです。編集部が、読者の気に入った出演者との仲を取り持つという企画ですが、自己紹介によると、タイプは“自分を持っている素直な女性”で、彼女は“有”とか。ニコール・キッドマンがお好みで、座右の銘は“頼まれごとは試されごと”とし、推定年収は2400万円と紹介されています」(前出のITジャーナリスト)

【黒い疑惑】

ライブドア事件では、先月16日の強制捜査から2日後に沖縄で自殺したとされる野口英昭エイチ・エス証券副社長の一件などから、暴力団関係者との関係が取りざたさている。

ライブドアが資金還流に利用した投資事業組合の仕組みが判明するにつれて、闇のルートのマネーロンダリングの疑いまでが憶測されている。

昨年12月にライブドアが、買収したマンション大手『ダイナシティ』をめぐっても、元社長が覚醒剤所持・使用で逮捕されている。

ライブドア側は、堀江容疑者の黒い交際疑惑には、「一切、聞いたことはない」と否定していたが、今回、発覚した大塚氏の疑惑については、どう答えるのか。

ライブドアは「現在、事実関係を調査中です。社会的・法的に問題があれば厳重に処分しますが、今はまだ仮定の段階で答えられない」(広報グループ)としている。

※2006年1月29日(日)にテレビ朝日で放送された朝まで生テレビの中で
田原総一郎はこう言っていた

「ライブドアにかかわっていたのは後藤組と旭琉会だったという情報がある 」

この発言によって脅迫が来たわけですハイ


・ホリエモンの悪辣商法、業界では知られていた!(J-CASTニュース 2006/1/27)

※ライブドアの評判はIT業界の中でもさんざんだった。「うさんくさい」どころか、「悪辣商法」というレッテルが貼られていた。「あそこと商売するな、騙されるから」。数年前から、そんなマル秘情報が業界を飛び回っていた。

エッジからライブドアに社名変更した2004年2月以前の話だ。渋谷に本社があるITベンチャー企業にエッジの営業マンがやってきた。主力製品の販売を代理店としてやりたい、という申し出だった。OKすると、システムの細部やノウハウまですべてを公開してほしい、というのだ。

ベンチャー企業の社長は、瞬間的におかしいと思った。代理店がそこまで必要か、という疑問だった。ただ、「製品のことをすべて分かっていないと、自信をもってお客に勧められない」。そんな言葉に負けてしまった。

その後、代理店としてエッジは製品をほとんど売ってくれなかった。それどころか、数ヶ月すると、そっくり真似した製品がエッジから発売されたのだ。

「あそこと商売はしないほうがいい」

ITベンチャーの若手経営者はお互い仲がよく、情報交換も頻繁にしている。そんな席で、この悪辣商法の件を明かすと、「おたくだけじゃないみたい。あそこはいろんなうわさがあるんだよ。商売はしないほうがいいよ」という返事が返ってきたという。
ライブドアはIT企業としての実態がない、とよく言われるが、当時から自前で開発するより、そっくり真似するほうが効率がよい、と考えていたようだ。M&Aで企業を買収するのと似た思考方法だ。

今から振り返ってみれば、真相はまったく違うのではないか。そんな「脅迫事件」がある。
 
「あ、もしもし、松尾です。あんまり遊んでると、おまえの会社ぶっ潰しちゃうよ。おれは本気になるぞ、お前。それじゃな」
 
ヤクザまがいの脅しの声が、ライブドアのホームページ上で公表された。「犯人」とされたのは、インターネット銀行「イーバンク」の松尾泰一社長。公開したのは、ライブドアの宮内亮治容疑者だった。当時、宮内容疑者は憤然とした面持ちで、「私の携帯電話の留守番電話に録音されていたものです。着信履歴には松尾社長が通常使っている携帯電話の番号が残っており、彼の声であるのは間違いありません」と話していた。

ヤクザまがいはどっちだ

ライブドアは2003年9月 、イーバンク銀行と資本提携。その後両社間に摩擦が生じ、紛争中の最中、2004年2月に起きた「事件」だった。
週刊誌を中心に、マスコミは当時、「泥仕合」と報じ、どちらかというとライブドア側にたった。しかし、本当にそうだったのだろうか。

松尾社長はこの留守番電話の音声について、 「私の声ではない」と強く否定していた。宮内容疑者の携帯に電話したことはあった。ライブドアが得意のIT技術を使って、録音された声を切り貼りして音声を捏造したのではないか。そんな疑いを強く持っていた。

イーバンク社員も、ライブドアから出向してきた社員のやり方に反感を募らせていた。 「ヒアリング」と称してイーバンク社員を呼び出し、バカだのアホだのと吊るし上げをしたからだった。イーバンク社員はこの「録音事件」についても、ライブドア側の「陰謀だ」と信じていた、という。

2004年10月、両社は和解契約を結び提携解消したため、真相は明らかではない。ただ、このときもIT業界では、「ライブドアなら偽造もやりかねない」との見方が大勢だった。

・事件の主導者は ホリエモンなのか、という疑問(J-CASTニュース 2006/10/ 5)

※「ホリエモンが本当に事件の主導者なのか!?」。そんな疑問を投げかける報道がどっと出てきた。ライブドア事件の裁判で、ライブドア株売却益を同社元取締役の宮内亮治被告、元ライブドアファイナンス社長の中村長也被告が勝手に動かしていたことが分かったのがきっかけだ。堀江被告の知らないところで事件が起きた、という事実を補強するものだ、というのが弁護側の言い分だ。

2006年10月5日の日本経済新聞は、同4日の公判で中村被告がライブドア株売却益のうち約1,300万円を私的に流用したことを認めた、と報道した。弁護側が「堀江被告が事件を主導」を否定する根拠として、株売却益の一部が香港の企業に送金され約2,000万円を中村被告が引き出したと追及していた。

宮内の「背任」を隠した?

日経新聞では「中村被告が、香港への送金について元副社長への報酬とした上で『堀江さんの了承のもと進められていると思っていた』と述べると、堀江被告が苦笑いを浮かべ『おーい』と口走る場面もあった」と書いている。

香港でのカネの流れについて詳しく書いているのが「週刊朝日」だ。06年10月13日号に「宮内の”背任”隠した東京地検の大失態」という見出しの記事を掲載した。同誌によると、ライブドアが04年3月に人材派遣会社「トライン」を株式交換で買収し、買収した際に新株を発行。この株は沖縄で死亡したライブドアグループ投資会社の野口英昭元社長らが香港に作った会社に移された。この株を売却した利益のうち、野口元社長に1億5,300万円を報酬として支払った。これについて同誌は、「宮内被告が、ライブドアの機関決定を経ないで、野口氏に追加の報酬を払った、という事実である。さらに、最終的には、売却益のうち1億5300万円が、宮内被告とライブドアファイナンス前社長の中村長也被告が香港で設立したペーパーカンパニーの口座に振り込まれていた」と書いた。

つまり、怪しいカネの流れを見ても、ホリエモンは何も知らなくて、側近が勝手にやっていた可能性が示された形なのだ。

検察側と、堀江被告は無罪とする弁護側との壮絶な戦い

「AERA」も06年10月2日号で宮内被告、中村被告にまつわる不透明なカネの問題を取り上げた。先の香港を舞台にした部分はこう書いている。「簿外に眠る海外資産の存在に気づいた堀江はこう言って驚いたという。『えっ、ライブドアのカネで買っていたんじゃなかったの?』。自分がリスクを負わされ、自分の保有資産をもとに錬金術めいたことが行われていたことに、まったく気づいていなかったという」。

となると、宮内被告などが「ホリエモンの指示で事件が進行した」といった発言も怪しくなってくる。検察と宮内被告が「共謀」してホリエモンを主犯にしようというストーリーができているという報道もあり、週刊朝日ではホリエモンの弁護人である高井康行弁護士の、こんなコメントを載せている。

「(宮内被告が)検察が望む供述をすれば、自分の犯罪が捜査・起訴の対象にならないのでは、と暗に考えさせて調書が作られ、無罪の堀江被告が起訴された。控訴棄却を申し立てます。同時に、大鶴基成特捜部長らの証人尋問を要求します」

「AERA」では、宮内被告が隠していた事実が今後、裁判で明るみになるだろうとし、「『(味方の宮内被告)守りの砦』がガラガラと音を立てて崩れるのは、東京地検特捜部が描いた『堀江主犯』という単純すぎる構図だろう」と結んでいる。

「ヒルズ黙示録」などの著書がある「AERA」の大鹿靖明記者は、これからの裁判の展開についてJ-CASTニュースにこう答えた。

「堀江被告が主犯とする検察側と、宮内、中村が事件を主導し堀江被告は無罪とする弁護側との壮絶な戦いだ。堀江被告は(先の)海外資産など自分が全く知らないところで進んでいたと言っているが、では、今回の事件全体について何も知らなかったということはないだろう。おそらく、事実は検察側と弁護側の真ん中にあるのではないか」


・今だから、あの「ライブドア事件後」の真実について話そうと思う(2018年1月16日 MAG2NEWS)

※あれからちょうど12年、2006年1月16日に起きた、あの「ライブドア事件」。当時すでに有名人だった元社長の堀江貴文氏をはじめ、経営陣が次々と逮捕されるという前代未聞の事件でしたが、その後、同社に残って会社を守った経営陣のことについてあまり多く報じられていません。騒動後からライブドアの再建に向けて尽力した一人である高岳史典さんは、自身のメルマガ『銀行とP&Gとライブドアとラムチョップ』の中で、事件当時の知られざる真実をすべて実名入りで数回に分けて赤裸々に綴っています。


ライブドア~あの事件のあとのホントの話(前編)

先日、出澤剛さん(現LINE CEO)と久しぶりに飲んでいるときのこと。

「このあいだ電通さんの社長さんが交代されたとき、わざわざご挨拶に来てくださったんですよ。なんだか不思議な感じがして」

出澤さんが感じた「不思議」が何を指すのかはすぐわかりました。

「10年前は呼びつけられて怒られましたもんねぇ」

いまは二人にとって共通の笑い話の1つ。

でも、10年前、2007年の僕らは、あらゆるところで怒られ、叩かれ、それでも生き延びるのに必死でした。

2006年1月16日、六本木ヒルズのライブドア社にいきなり東京地検の強制捜査が入ります。

世に言うライブドア事件の始まりであり、社長の堀江貴文さんをはじめ当時の経営陣がことごとく逮捕されるという前代未聞の事件に発展します。

その頃の僕は、アリックスパートナーズという事業再生コンサルティング会社で駆け出しのコンサルタントとして文字通り東奔西走の毎日を送っていました。そしてまさか、自分がライブドアに入ることになるとは夢にも思っていませんでした。
2006年10月、大手航空会社の再建事案に取り組んでいる時にいきなり「明日から六本木ヒルズへ行ってくれ」という指示が来ます。

「まさかライブドアですか?でも僕が行って何を…」

アリックスがライブドアの金融部門の査定に関わっているのは知っていました。事件で大幅に下落したライブドア株を買い占めたいわゆるハゲ鷹ファンドは、ライブドアを解体して資産を切り売りしようとしていました。アリックスはそのファンドに雇われて、資産査定をしていたわけです。

そしていよいよ本丸とも言えるポータルサイト「livedoor」 に手をつけることになり、多少なりともメディアの知見があった僕が呼ばれることになったわけです。

ただ、正直気は進みませんでした。だって企業の「再生」をお手伝いするためにアリックスに入ったのに、切り売りのための査定だなんて….

とは言え、仕事は仕事。

「中は荒れてるんだろうなぁ」

そんなことを考えながら六本木ヒルズの38階に降り立ったことを鮮明に覚えています。

しかし、ここから予想外のことが起こります。

いや、もっというと、このあと5年間、僕は全く予想外の、ホリエモン的に言えば「想定外」の日々を送ることになるのですが。。

ライブドアの受付で出迎えてくれたのは中野正機さん(現ダーウィンホールディングス社長)と安岡祥二さん(現LINE執行役員)のお二人。何に驚いたかってまず二人が若いこと!

当時お二人とも若干20代であり、てっきりこのあとベテランの経営企画の方が現状説明にいらっしゃるのだろうと思っていました。

ところが部屋に入るとそのまま二人が説明を始めて。

またその説明ぶりがあまりにも聡明で、綺麗に整理された資料とともに、なんというか、度肝を抜かれます。

実際、アリックスに入って以来、いわゆる大手企業のコンサルには幾つも入っていたのですが、最初のブリーフィングからこんなに的確な説明を聞いたのは初めてでした。

そして最後にまた驚かされることになります。

説明を終えた二人は一礼してこう言ったのです。

「アリックスさんが来てくれて本当に嬉しいです。ライブドアをよろしくお願いします」

(いや、あの、切り売りのための査定に来たのだけど…)

喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、部屋をあとにしました。

それが僕とライブドアの出会いです。

出澤さんと初めて会ったのはその数日後でした。

マネジメントインタビューということで、と言っても旧経営陣は逮捕などでほとんどいなくなっていたので、事業部長やマネージャーの方々に話を聞こうとなり。

事件前には3人いた事業部長のうち、2人は事件後に退職されていて、1人残って三つの事業部を統括する本部長になったのが当時の出澤さんでした。

一通りのインタビューが終わり席を立とうとすると

「僕の方からもいいですか?」

と出澤さんが持参した資料を拡げました。

そこにはライブドア事業の現状と今後の課題が記されており、また事業本部長としての自分の強みと弱み、アリックスにサポートしてもらいたい点について、淀みなく、しかしハッキリとした熱をもって「プレゼン」されたのです。

振り返ると僕はその時にはもう決めていたのだと思います。

ライブドアを「切り売り」するのではなく「再生」するのだと。

2ヶ月後、アリックスパートナーズとしてのレポートを雇い主であるファンドで構成される取締役会で報告。

「アリックスはライブドアに残った人たちがやろうとしていること全力で支援しライブドアの再生を目指す」

その内容を聞いたファンド側の人間は烈火のごとく怒り、アリックスはその場で解雇、取締役会から文字通り追い出されます。

もちろんこのレポートは当時のアリックスの日本代表であった西浦裕二さん(現 三井住友トラストクラブ会長)の了解を得たものでしたが、もしライブドアの査定に入ったのがアリックスでなく通常のコンサル会社だったなら、ひょっとしてライブドアは解体されていたのかもしれません。

いや違う。

もしあの時、出澤さんが事業本部長になっていなかったら、です。

その後、何が起こったかというと、アリックスを解雇したファンドの株を別のファンドが買い取って、僕らは再びライブドアに呼び戻されます。

そして僕らは晴れてライブドアに残った人たちとライブドアの再生を目指すことになったわけです。

ちなみにその時にアリックスから僕と共にメインで派遣されたのは、石坂弘紀さん(現 DeNA コンプライアンス・リスク管理本部長)、少し遅れて稲積憲さん(現 トランス・コスモス 専務執行役員)なのですが、実は3人とも後にライブドアに転籍しちゃいます。

アリックスにとっては痛手だったはずなのですが、そこは西浦代表の器量の大きさであり、いまでも感謝しています。

2007年4月1日、出澤さんを代表取締役社長とする新生ライブドアが誕生します。僕は出澤さんのもとで営業、マーケティング、広報全般を担うことになります。

そしてここからが本当の苦難の始まりでした。(つづく)