・小選挙区制のどこが問題なのか(毎日新聞 2015年1月5日)
※得票率48%で76%の議席を得る
2014年末の総選挙は、自民党の圧勝劇で幕を閉じた。「大義なき解散」「争点なき選挙」「熱狂なき大勝」……意味の見出しにくかった今回の選挙を評して、さまざまな形容がなされた。とりわけクローズアップされたのが、52.7%という戦後最低の投票率と、48%の得票率(295小選挙区の有効得票総数に占める自民党候補全員の総得票)で76%の議席を占有できる(自民党は295小選挙区で223の議席を獲得)という小選挙区制の“マジック”だった。いいかえると、自民党は、小選挙区に投票した人の、2人に1人弱の得票で、じつに衆議院の4分の3の議席を得たことになる。
この得票率と議席占有率の乖離は、すでに2005年9月、小泉首相のもとでおこなわれた「郵政選挙」で指摘されていた。郵政民営化に賛成した自民・公明の候補者が小選挙区で49%の得票率にとどまったのに対し、議席占有率はやはり75%。人気の追い風も受けて286議席を獲得する大勝だった。
小選挙区制は一選挙区から一人を選ぶ方式のため、自民党が優勢の選挙区では、野党に投票してもそれは「死に票」となってしまい、正確な民意が反映されにくいという特色がある。
小選挙区制はいつ、なぜ生まれたのか
戦後、中選挙区制に代わって小選挙区制(小選挙区比例代表並立制)が導入されたのは、1994年、細川首相のときである。
これをさかのぼる数年前、リクルート事件(1989年)をきっかけに、政財官の癒着が社会問題化し、政治改革が叫ばれていた。このとき、「政治腐敗の元凶は中選挙区制にある」として、日本の選挙制度を小選挙区制に変えるべきだと主張したのが、当時、自民党の実力者であり、竹下派に属していた小沢一郎氏(現・生活の党代表)である。小沢氏は、中選挙区制を守ろうとする議員を守旧派と呼び、党内を二分する議論を巻き起こした。しかし小沢氏が主導した政治改革法案が成立に至らなかったため、野党から提出された宮沢内閣不信任案に賛成。この結果、不信任案が可決され、1993年、解散総選挙に突入する。
※(ブログ主注:)中選挙区制は範囲が広く金がかかるから腐敗政治の温床になるから駄目だという建前は、インターネットの発達により、ぞの前提は完全に崩れた。もはや金をかけず選挙ができる時代がやってきたのである。ポスターも街宣車も街頭演説も選挙事務所も運動員も一切不要。候補者はネットサイトで演説すればよい。もっとも、貧乏人を排除し、自身が金持ちもしくはスポンサーがいる者しか政治家にしたくない連中は、そんな正論は無視するだろうが。
小沢氏は解散直後に自民党を離党、新生党を立ち上げた。自民党はこのときの選挙で下野、7党1会派が結集した非自民・細川政権が誕生する。政権の立役者であり、イギリスのような議会政治を定着させるには「政権交代可能な二大政党が必要」が持論の小沢氏の意をくみ、細川首相と、当時自民党総裁だった河野洋平氏が会談、小選挙区制の導入が決まった。当時、河野総裁、細川首相ともに、本音では「穏健な多党制」を志向していたという。
小選挙区制は二大政党制を生みやすいとされるが、そう指摘したのはフランスの政治学者モーリス・デュヴェルジェである。たとえば1議席を争う小選挙区では、第3党以下は淘汰されてしまい、第1党か第2党の候補者ばかりが当選する。有権者のほうも、当選可能性の低い候補者には投票しなくなるため、結果的に二大政党に収斂していくという(デュヴェルジェの法則)。
「一強多弱」は歪な1党優位
1994年の小選挙区制の導入以後、これまで7回(1996年、2000年、2003年、2005年、2009年、2012年、2014年)の総選挙を経験したが、2009年までは導入時の狙いどおり、ほぼ二大政党制が定着しつつあったといってよい。実際、2009年には政権交代が実現した。しかし、直近2回の総選挙(2012年、2014年)はまったく逆で、かつてと同じ自民党一党支配の構図だった。
この2回の選挙が二大政党制の瓦解を意味するとすれば、その責任は、ひとえに野党第一党である民主党にあるといって過言ではない。民主党は2012年の選挙の前から消費税増税をめぐって分裂、維新の会、未来の党(代表・小沢一郎)、減税日本を誕生させ、離党組は、みんなの党にも合流した。続く選挙に惨敗、小政党を生み出す引き金となった。「一強多弱」状況の出現である。
2014年の総選挙の1年近く前に、一橋大学の中北浩爾教授は、こうした状況について次のように指摘していた。〈「デュヴェルジェの法則」は、あらゆる条件の下で働くわけではない。野党の結集が難しく、現在のように「一強多弱」であれば、小選挙区制は、二大政党が切磋琢磨する二大政党制ではなく、最大政党に過剰な議席を与える歪な一党優位政党制をもたらす〉(「世界」2014年2月号)。はたして中北教授の推論どおりになった。
日本に二大政党がなじまない理由
小選挙区制が生み出すとされる二大政党制については、これまでも多くの識者から危惧する声があがっていた。2009年の政権交代(民主党政権誕生)を受けて、佐伯啓思・京都大学教授(当時)は、「二大政党政治がイギリスとアメリカで発展したのは、これらの国の歴史的な条件によるところが大きい。イギリスの保守党と自由党の対立は、貴族や郷紳(地方に住む紳士)らの上層階級と新興ブルジョア階級の対立を反映し、20世紀の保守党と労働党の対立も階級利害を反映したものであった。アメリカの場合には、建国の精神を、白人(とくにアングロ・サクソン系)かつプロテスタントのもつ自主独立の個人主義や自由主義と宗教精神に求める考えと、アメリカのアイデンティティを多様な民族や人種を包括した移民国家に求め、それを統合するリベラル・デモクラティックな共同体ととらえる考え方の二つがある。共和党は前者に傾き、民主党は後者に傾く。では、日本ではそのような条件があるのか。むろん、答えはノーであって、日本はイギリス的階級社会でもなければ、アメリカのように理念において二つのアイデンティティが対立する国家でもない」(『日本の論点2010』より)と述べた。日本のような対立構造をもたない同質的な社会には、そもそも二大政党制はなじまないというのである。
※(ブログ主注:)この言説も平等で対立構造がなかった80年代までの日本では有効だったかもしれないが、90年代からは、自民党が新自由主義を採用してわざと格差を広げることで階級間の対立構造を作り、二大政党制を導入し、弁証法的政治操作(正→反→合)を行いたいという意図と、もしくはそうでなくとも、自民党一強による(NWO政策推進)独裁政治を行えるという(別に面倒な弁証法でなくとも独裁で簡単に済ませられるならその方が理想。しかもその独裁が選挙制度による結果という合法の装いを着ている)意図があったものと、疑う。
選挙制度改革は進むか
小選挙区比例代表並立制を改め、中選挙区制に戻す、比例代表制を中心に据える、小選挙区と連用制の混合型にする、など、さまざまな選挙制度が議論されてきたが、いまだに民主党では、政権交代を容易にするとして小選挙区制を維持すべきという声が強い。与野党ともに、「国会議員自らが身を切る努力を」と、比例部分を縮小する定数削減には合意(民主党=80減、自民党=30減)こそしたものの(2012年12月の党首討論)、選挙制度自体の改革については、その後なんの動きも見せなかった。
・「特定枠」とは?(HUFFPOST 2019年07月22日)
※7月21日に投開票された参議院選挙で、れいわ新選組から比例代表で立候補していた舩後靖彦(ふなご・やすひこ)さんが当選確実とNHKや朝日新聞が報じた。
舩後さんは、今回の選挙から新たに導入された「特定枠」で出馬。
どんな制度なのか。以下に解説する。
特定枠は、比例代表で、政党が当選者の優先順位をあらかじめ決めることができる制度。特手枠の候補は、個人の得票に関係なく、名簿の順に当選が決まる。
この特定枠を使うかどうかや、使う場合に何人にするかは、各政党が決めることができる。
NHKによると、これまでの比例代表は、各党が獲得した議席の枠内で、名簿にある各候補者が得た個人票が多い人から当選する仕組みだった。この仕組みは「非拘束名簿式」と呼ばれている。
有権者は、比例制度で政党名か個人名のどちらを書いてもよい。政党名と候補者名それぞれの合計が各党の総得票数となり、その総得票数に応じて、ドント式で各党に議席が配分される仕組みだ。
選挙活動のできない「特定枠」 なぜ生まれた?
特定枠の候補者は、他の候補者とは違って大きな制限がある。個人としての選挙活動は認められていないのだ。選挙事務所や選挙カーを持てない上、ポスターの掲示も禁止されている。
特定枠の候補者名が書かれた票は、政党の得票として有効となる。
特定枠は、候補者の得票数に関わらず、当選させたい候補者の優先順位を政党側が決めることができる。
ある意味で、民意を無視しかねないこの制度は、なぜ導入されたのか。
背景にあるのは「合区」制度。「鳥取県と島根県」「徳島県と高知県」が合区となり、どちらかの県からしか候補を擁立できなくなった。「特定枠」を設けることで、もう片方の県からも確実に議員を出すという、自民党の狙いがあるという。
今回の選挙で、特定枠を利用したのは自民党、「れいわ新選組」、労働党。自民とれいわは2人、労働は1人を擁立した。
自民党は、合区となり、候補者を出せなかった徳島県と島根県から立候補者、三木亨さん、三浦靖さんを充て、当選確実と報じられた。
れいわ新選組は、当選確実となったALS患者の舩後靖彦さんと、脳性まひで障害の木村英子さん。障害を持つ人を国会に送ろうとする党の姿勢が伺える。
労働は、元介護ヘルパーの伊藤恵子さんを擁立した。
・「世界一高い供託金」のナゾ(週刊女性PRIME 2019年7月8日)
※世界一高額な日本の供託金
特に問題視されているのは、世界と比べてもずば抜けて高額な選挙供託金の存在だ。
「選挙に出ようと思ったら、都知事など首長選挙や衆参選挙区なら300万円、比例区なら600万円という高額の供託金を納めなければならず、かつ有効投票数の10分の1など一定の得票がなければ、没収されてしまいます。
非正規労働者など貧困に苦しんでいる人が政治家になって、そんな社会を変えたいと思っても、立候補すらできない。それではいつまでも当事者の声は政治に届かないでしょう」
総務省の労働力調査('18年)によれば、年収300万円以下の人が労働者全体の約50%、女性に限れば72%を占める。これでは立候補の自由を行使することは実質不可能に近い。結果、いまの日本では大政党に属した候補や、世襲議員など、環境的にも経済的にもあらかじめ恵まれた人間ばかりが議員になっている。
もともとの供託金制度の目的は、「当選の可能性が極めて低い“泡沫”候補や、選挙を利用した売名行為を防ぐため」にあると言われてきた。
しかし、この主張は、選挙供託金制度が導入された1925年の普通選挙法導入時に規定されたもの。それまであった納税額による制限がなくされ、満25歳以上の男子に選挙権が与えられたことで、有権者の割合が増え、労働者運動をはじめとする無産政党、無産者の議会への立候補を制限することが当時の目的だった。
民主主義らしからぬ金銭面での制約
ちなみに普通選挙法公布の直前に抱き合わせのように公布されたのは、悪名高い治安維持法だ。労働者運動や社会主義運動への弾圧がその後、一層強まったことは歴史が示すとおりだ。
「戦前の制度の“当時の目的”がいまも根拠にされていること自体、時代錯誤ですし、思想はどうあれ、候補者を判断するのは有権者です。ふさわしくない候補者は選挙で排除されるべきで、一定の金額を納付できるかどうかで候補者を制御するのは民主主義ではない。むしろ、真に当選を争う意志のある人たちの立候補の機会が奪われていることこそを問題にすべきです」
お金がない人が立候補できない現状は、国民の立候補の自由を保障する憲法15条(1項)、また《議員や選挙に出る人間を財産又は収入によって差別してはならない》とする憲法44条(但書)に反している。
OECDに加盟する35か国(調査当時/現在は36か国)のうち供託金制度があるのは日本を含む12か国。その内容を比べてみても日本の供託金は格段に高額だ。
〈OECD加盟国の供託金比較〉
●日本 300万円 ●韓国 145・5万円 ●トルコ 32・1万円
●オーストラリア 16・6万円 ●チェコ 8・8万円
●ニュージーランド 7・7万円 ●イギリス 6・9万円
また、カナダでは'17年に地方裁判所が供託金制度を違憲と判断、その判決を受けて政府が供託金制度を廃止しているし、韓国やアイルランドでも違憲判決を受けて金額の引き下げや没収要件が緩和されている。
東京地裁は、高額な供託金を「立候補をしようとする者に対して無視できない萎縮効果をもたらすもの」で「立候補の自由に対する事実上の制約になっている」と認めているにもかかわらず、選挙制度については「国会に裁量権がある」と判断を避ける。
有権者の多様な意見を反映できない現在の選挙制度には多くの問題がある。
「議会制民主主義(間接民主主義)の日本では、有権者は選挙で自分たちの意見を反映してくれる候補を選んで国政を委託する形になります。しかし実際に選ぼうと思っても、候補者の選択肢は非常に限られているのが現状です。
例えば有権者の多くは会社など、なんらかの組織に属して働いている人ですが、彼らが議員に立候補しようと思うと高い供託金を払うだけではなく、休職や退職をしなくてはならないため、リスクはとても高くなる。
結果的に、選挙に出てくるのは、代々政治家をやっている二世三世候補や、会社を退職した人、弁護士などの自営業者や資金が潤沢にある企業の経営者などに限られてしまいます」
※得票率48%で76%の議席を得る
2014年末の総選挙は、自民党の圧勝劇で幕を閉じた。「大義なき解散」「争点なき選挙」「熱狂なき大勝」……意味の見出しにくかった今回の選挙を評して、さまざまな形容がなされた。とりわけクローズアップされたのが、52.7%という戦後最低の投票率と、48%の得票率(295小選挙区の有効得票総数に占める自民党候補全員の総得票)で76%の議席を占有できる(自民党は295小選挙区で223の議席を獲得)という小選挙区制の“マジック”だった。いいかえると、自民党は、小選挙区に投票した人の、2人に1人弱の得票で、じつに衆議院の4分の3の議席を得たことになる。
この得票率と議席占有率の乖離は、すでに2005年9月、小泉首相のもとでおこなわれた「郵政選挙」で指摘されていた。郵政民営化に賛成した自民・公明の候補者が小選挙区で49%の得票率にとどまったのに対し、議席占有率はやはり75%。人気の追い風も受けて286議席を獲得する大勝だった。
小選挙区制は一選挙区から一人を選ぶ方式のため、自民党が優勢の選挙区では、野党に投票してもそれは「死に票」となってしまい、正確な民意が反映されにくいという特色がある。
小選挙区制はいつ、なぜ生まれたのか
戦後、中選挙区制に代わって小選挙区制(小選挙区比例代表並立制)が導入されたのは、1994年、細川首相のときである。
これをさかのぼる数年前、リクルート事件(1989年)をきっかけに、政財官の癒着が社会問題化し、政治改革が叫ばれていた。このとき、「政治腐敗の元凶は中選挙区制にある」として、日本の選挙制度を小選挙区制に変えるべきだと主張したのが、当時、自民党の実力者であり、竹下派に属していた小沢一郎氏(現・生活の党代表)である。小沢氏は、中選挙区制を守ろうとする議員を守旧派と呼び、党内を二分する議論を巻き起こした。しかし小沢氏が主導した政治改革法案が成立に至らなかったため、野党から提出された宮沢内閣不信任案に賛成。この結果、不信任案が可決され、1993年、解散総選挙に突入する。
※(ブログ主注:)中選挙区制は範囲が広く金がかかるから腐敗政治の温床になるから駄目だという建前は、インターネットの発達により、ぞの前提は完全に崩れた。もはや金をかけず選挙ができる時代がやってきたのである。ポスターも街宣車も街頭演説も選挙事務所も運動員も一切不要。候補者はネットサイトで演説すればよい。もっとも、貧乏人を排除し、自身が金持ちもしくはスポンサーがいる者しか政治家にしたくない連中は、そんな正論は無視するだろうが。
小沢氏は解散直後に自民党を離党、新生党を立ち上げた。自民党はこのときの選挙で下野、7党1会派が結集した非自民・細川政権が誕生する。政権の立役者であり、イギリスのような議会政治を定着させるには「政権交代可能な二大政党が必要」が持論の小沢氏の意をくみ、細川首相と、当時自民党総裁だった河野洋平氏が会談、小選挙区制の導入が決まった。当時、河野総裁、細川首相ともに、本音では「穏健な多党制」を志向していたという。
小選挙区制は二大政党制を生みやすいとされるが、そう指摘したのはフランスの政治学者モーリス・デュヴェルジェである。たとえば1議席を争う小選挙区では、第3党以下は淘汰されてしまい、第1党か第2党の候補者ばかりが当選する。有権者のほうも、当選可能性の低い候補者には投票しなくなるため、結果的に二大政党に収斂していくという(デュヴェルジェの法則)。
「一強多弱」は歪な1党優位
1994年の小選挙区制の導入以後、これまで7回(1996年、2000年、2003年、2005年、2009年、2012年、2014年)の総選挙を経験したが、2009年までは導入時の狙いどおり、ほぼ二大政党制が定着しつつあったといってよい。実際、2009年には政権交代が実現した。しかし、直近2回の総選挙(2012年、2014年)はまったく逆で、かつてと同じ自民党一党支配の構図だった。
この2回の選挙が二大政党制の瓦解を意味するとすれば、その責任は、ひとえに野党第一党である民主党にあるといって過言ではない。民主党は2012年の選挙の前から消費税増税をめぐって分裂、維新の会、未来の党(代表・小沢一郎)、減税日本を誕生させ、離党組は、みんなの党にも合流した。続く選挙に惨敗、小政党を生み出す引き金となった。「一強多弱」状況の出現である。
2014年の総選挙の1年近く前に、一橋大学の中北浩爾教授は、こうした状況について次のように指摘していた。〈「デュヴェルジェの法則」は、あらゆる条件の下で働くわけではない。野党の結集が難しく、現在のように「一強多弱」であれば、小選挙区制は、二大政党が切磋琢磨する二大政党制ではなく、最大政党に過剰な議席を与える歪な一党優位政党制をもたらす〉(「世界」2014年2月号)。はたして中北教授の推論どおりになった。
日本に二大政党がなじまない理由
小選挙区制が生み出すとされる二大政党制については、これまでも多くの識者から危惧する声があがっていた。2009年の政権交代(民主党政権誕生)を受けて、佐伯啓思・京都大学教授(当時)は、「二大政党政治がイギリスとアメリカで発展したのは、これらの国の歴史的な条件によるところが大きい。イギリスの保守党と自由党の対立は、貴族や郷紳(地方に住む紳士)らの上層階級と新興ブルジョア階級の対立を反映し、20世紀の保守党と労働党の対立も階級利害を反映したものであった。アメリカの場合には、建国の精神を、白人(とくにアングロ・サクソン系)かつプロテスタントのもつ自主独立の個人主義や自由主義と宗教精神に求める考えと、アメリカのアイデンティティを多様な民族や人種を包括した移民国家に求め、それを統合するリベラル・デモクラティックな共同体ととらえる考え方の二つがある。共和党は前者に傾き、民主党は後者に傾く。では、日本ではそのような条件があるのか。むろん、答えはノーであって、日本はイギリス的階級社会でもなければ、アメリカのように理念において二つのアイデンティティが対立する国家でもない」(『日本の論点2010』より)と述べた。日本のような対立構造をもたない同質的な社会には、そもそも二大政党制はなじまないというのである。
※(ブログ主注:)この言説も平等で対立構造がなかった80年代までの日本では有効だったかもしれないが、90年代からは、自民党が新自由主義を採用してわざと格差を広げることで階級間の対立構造を作り、二大政党制を導入し、弁証法的政治操作(正→反→合)を行いたいという意図と、もしくはそうでなくとも、自民党一強による(NWO政策推進)独裁政治を行えるという(別に面倒な弁証法でなくとも独裁で簡単に済ませられるならその方が理想。しかもその独裁が選挙制度による結果という合法の装いを着ている)意図があったものと、疑う。
選挙制度改革は進むか
小選挙区比例代表並立制を改め、中選挙区制に戻す、比例代表制を中心に据える、小選挙区と連用制の混合型にする、など、さまざまな選挙制度が議論されてきたが、いまだに民主党では、政権交代を容易にするとして小選挙区制を維持すべきという声が強い。与野党ともに、「国会議員自らが身を切る努力を」と、比例部分を縮小する定数削減には合意(民主党=80減、自民党=30減)こそしたものの(2012年12月の党首討論)、選挙制度自体の改革については、その後なんの動きも見せなかった。
・「特定枠」とは?(HUFFPOST 2019年07月22日)
※7月21日に投開票された参議院選挙で、れいわ新選組から比例代表で立候補していた舩後靖彦(ふなご・やすひこ)さんが当選確実とNHKや朝日新聞が報じた。
舩後さんは、今回の選挙から新たに導入された「特定枠」で出馬。
どんな制度なのか。以下に解説する。
特定枠は、比例代表で、政党が当選者の優先順位をあらかじめ決めることができる制度。特手枠の候補は、個人の得票に関係なく、名簿の順に当選が決まる。
この特定枠を使うかどうかや、使う場合に何人にするかは、各政党が決めることができる。
NHKによると、これまでの比例代表は、各党が獲得した議席の枠内で、名簿にある各候補者が得た個人票が多い人から当選する仕組みだった。この仕組みは「非拘束名簿式」と呼ばれている。
有権者は、比例制度で政党名か個人名のどちらを書いてもよい。政党名と候補者名それぞれの合計が各党の総得票数となり、その総得票数に応じて、ドント式で各党に議席が配分される仕組みだ。
選挙活動のできない「特定枠」 なぜ生まれた?
特定枠の候補者は、他の候補者とは違って大きな制限がある。個人としての選挙活動は認められていないのだ。選挙事務所や選挙カーを持てない上、ポスターの掲示も禁止されている。
特定枠の候補者名が書かれた票は、政党の得票として有効となる。
特定枠は、候補者の得票数に関わらず、当選させたい候補者の優先順位を政党側が決めることができる。
ある意味で、民意を無視しかねないこの制度は、なぜ導入されたのか。
背景にあるのは「合区」制度。「鳥取県と島根県」「徳島県と高知県」が合区となり、どちらかの県からしか候補を擁立できなくなった。「特定枠」を設けることで、もう片方の県からも確実に議員を出すという、自民党の狙いがあるという。
今回の選挙で、特定枠を利用したのは自民党、「れいわ新選組」、労働党。自民とれいわは2人、労働は1人を擁立した。
自民党は、合区となり、候補者を出せなかった徳島県と島根県から立候補者、三木亨さん、三浦靖さんを充て、当選確実と報じられた。
れいわ新選組は、当選確実となったALS患者の舩後靖彦さんと、脳性まひで障害の木村英子さん。障害を持つ人を国会に送ろうとする党の姿勢が伺える。
労働は、元介護ヘルパーの伊藤恵子さんを擁立した。
・「世界一高い供託金」のナゾ(週刊女性PRIME 2019年7月8日)
※世界一高額な日本の供託金
特に問題視されているのは、世界と比べてもずば抜けて高額な選挙供託金の存在だ。
「選挙に出ようと思ったら、都知事など首長選挙や衆参選挙区なら300万円、比例区なら600万円という高額の供託金を納めなければならず、かつ有効投票数の10分の1など一定の得票がなければ、没収されてしまいます。
非正規労働者など貧困に苦しんでいる人が政治家になって、そんな社会を変えたいと思っても、立候補すらできない。それではいつまでも当事者の声は政治に届かないでしょう」
総務省の労働力調査('18年)によれば、年収300万円以下の人が労働者全体の約50%、女性に限れば72%を占める。これでは立候補の自由を行使することは実質不可能に近い。結果、いまの日本では大政党に属した候補や、世襲議員など、環境的にも経済的にもあらかじめ恵まれた人間ばかりが議員になっている。
もともとの供託金制度の目的は、「当選の可能性が極めて低い“泡沫”候補や、選挙を利用した売名行為を防ぐため」にあると言われてきた。
しかし、この主張は、選挙供託金制度が導入された1925年の普通選挙法導入時に規定されたもの。それまであった納税額による制限がなくされ、満25歳以上の男子に選挙権が与えられたことで、有権者の割合が増え、労働者運動をはじめとする無産政党、無産者の議会への立候補を制限することが当時の目的だった。
民主主義らしからぬ金銭面での制約
ちなみに普通選挙法公布の直前に抱き合わせのように公布されたのは、悪名高い治安維持法だ。労働者運動や社会主義運動への弾圧がその後、一層強まったことは歴史が示すとおりだ。
「戦前の制度の“当時の目的”がいまも根拠にされていること自体、時代錯誤ですし、思想はどうあれ、候補者を判断するのは有権者です。ふさわしくない候補者は選挙で排除されるべきで、一定の金額を納付できるかどうかで候補者を制御するのは民主主義ではない。むしろ、真に当選を争う意志のある人たちの立候補の機会が奪われていることこそを問題にすべきです」
お金がない人が立候補できない現状は、国民の立候補の自由を保障する憲法15条(1項)、また《議員や選挙に出る人間を財産又は収入によって差別してはならない》とする憲法44条(但書)に反している。
OECDに加盟する35か国(調査当時/現在は36か国)のうち供託金制度があるのは日本を含む12か国。その内容を比べてみても日本の供託金は格段に高額だ。
〈OECD加盟国の供託金比較〉
●日本 300万円 ●韓国 145・5万円 ●トルコ 32・1万円
●オーストラリア 16・6万円 ●チェコ 8・8万円
●ニュージーランド 7・7万円 ●イギリス 6・9万円
また、カナダでは'17年に地方裁判所が供託金制度を違憲と判断、その判決を受けて政府が供託金制度を廃止しているし、韓国やアイルランドでも違憲判決を受けて金額の引き下げや没収要件が緩和されている。
東京地裁は、高額な供託金を「立候補をしようとする者に対して無視できない萎縮効果をもたらすもの」で「立候補の自由に対する事実上の制約になっている」と認めているにもかかわらず、選挙制度については「国会に裁量権がある」と判断を避ける。
有権者の多様な意見を反映できない現在の選挙制度には多くの問題がある。
「議会制民主主義(間接民主主義)の日本では、有権者は選挙で自分たちの意見を反映してくれる候補を選んで国政を委託する形になります。しかし実際に選ぼうと思っても、候補者の選択肢は非常に限られているのが現状です。
例えば有権者の多くは会社など、なんらかの組織に属して働いている人ですが、彼らが議員に立候補しようと思うと高い供託金を払うだけではなく、休職や退職をしなくてはならないため、リスクはとても高くなる。
結果的に、選挙に出てくるのは、代々政治家をやっている二世三世候補や、会社を退職した人、弁護士などの自営業者や資金が潤沢にある企業の経営者などに限られてしまいます」