・オーラは科学か? オカルトか? 19世紀末の「科学的」オーラ研究

※人間の体の周りを取りまく光のエネルギー。そんな「オーラ」の存在については、ご存知の方も多いかと思います。

今回は、改めてオーラとはなんなのかを、その研究の歴史を辿りながら、振りかえってみたいと思います。
 
今日、オーラ・リーディングを実践するサイキックな人々たちの一般的な見解では、オーラとは物体から発散され、それ自体を取り囲むエネルギー場であると考えられているようです。

オーラ・リーディングを行う人たちによれば、特に人間の周りを取り囲んでいるオーラの場合、その色や形状はその人のパーソナリティー、思考、感情などの状態を反映しているものだとされています。したがって、オーラ・リーダーは、オーラを見ることで、その人の様々なコンディションを見抜くことができるとされています。

また、しばしばオーラは、なんらかの光の形態の一種であるとも考えられています。ただし、オーラは通常の物理学によって計測可能な光とは明らかに別物でしょう。なぜなら、現代の光学が理解している意味での光の全スペクトラムの中にオーラと呼ばれているものは含まれていません。したがって、オーラが光の形態の一種であったとしても、現代のオーソドックスな光学装置によって計測されるものではなく、なんらかのサイキックな能力の持ち主のみがそれを見ることができると考えられています。

ただし、そのオーラを見るための特殊な能力は、本来誰にでも備わっているもので、それは訓練によってさらに発達させることができると考えている人もいます。そればかりか、多くの人は子供のときに、実はオーラを見ることができていたとも言われています。けれども、その能力は大人になるに連れ、失われていくそうです。

一般的なオーラ・リーダーによれば、人間の肉体を取り巻くオーラは、たいがい大きな卵のような形のエネルギー場として見えるそうです。また、スピリチュアルにより成長している人のオーラは、普通の人よりも非常に大きな形となっていると言う人もいます。あくまで「伝説」ですが、たとえば仏陀のオーラは数マイルにも及んでいたとも言われています。

さらに今日のオーラ・リーダーたちの一般的な考えでは、オーラはいくつかの層によって構成されているとされています。この層が何層からなるかというのは、いくつかの異論が存在しますが。今日、広く知られている層の分け方は、肉体のすぐ近くから始まって、次のように区別されています。

エーテリック・ダブル(etheric double)
アストラル・オーラ(asrtal aura)
メンタル・オーラ(mental aura)
コーザル・オーラ(causal aura)

ところで、歴史的に見てみると、現代のわたしたちが「オーラ」と呼んでいるものと類似したコンセプトは、非常に古い時代へと遡ることができることが分かります。そうした例として、しばしば引き合いに出されるのは『聖書』の中の記述です。

たとえば、「出エジプト記 」(34章 29節) にある「モーセがシナイ山を下ったとき、その手には2枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった」や、「マタイによる福音書 」(17章 2節)の「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」など。こうした宗教的コンテクストの中では、宗教家や神秘家などが光を放っていたというエピソードは、『聖書』に限らず、他の様々なところからも見つけることができます。

ただし、現代的な意味での「オーラ」というコンセプトのルーツは、19世紀後半の「科学的」言説の中からやってきたものだと言えます。

★「神経オーラ」と「オド」

まずその1つは、「サイコメトリー」の「発見」でも知られる医師ジョセフ・ローデス・ブキャナン(Joseph Rhodes Buchanan)が、1852年提唱した「神経オーラ(nerve-aura)」です。

以前、ブキャナンについては紹介していますが、彼は人間の神経系から発出している微細な流体を「神経オーラ」と名付け、感受性の強い人間はそれを見ることができると考えました。

ブキャナンの神経オーラとは別に、もう1つの「科学的」ルーツは、ドイツの科学者カール・フォン・ライヘンバッハ(Baron Karl von Reichenbach)の提唱した「オド(od)」にあります。

ライヘンバッハによれば、オドとは、宇宙に存在するすべてのもの――特に星々や惑星、クリスタル、磁石、人間などから発出している物質であり、重さも延長も持たないけれども、計測可能であり、観察可能な物理的効果を及ぼすことができる新たな力です。それをライヘンバッハは、北欧の神オーディンにちなんで「オド」と名付けました。

★「オド」は人間や動植物だけでなく太陽や月も発している!?

ライヘンバッハの理論が最初に世に登場したのは1845年。ユストゥス・フォン・リービッヒとフリードリヒ・ヴェーラーによって創刊されたドイツの一流の学術誌の1つ『薬学及び化学の年報(Annalen der Chimie und Pharmacie)』で発表されました。

ライヘンバッハによると、オドとはもともと様々な結晶構造を持つ物体から発散されているいまだ知られざる自然の力ですが、それは以前に本コラムでも紹介したメスメリズムにおける動物磁気のように、磁石などを通して伝導することができます。

また、オドには極性があり、オドを発散している物体を敏感な被験者の肌に近づけると、マイナスの極は冷たく、プラスの極は暖かく感じられます。そればかりか、もし敏感な被験者が、1時間以上、暗闇のなかにいたならば、その両極から放出されるオドの光輝を見ることができるとも言います。

さらにライヘンバッハは、オドが動物、植物、そして人間の体からも発散されていることも発見しました(人の右手はマイナスで左手はプラス、脳の右半球はマイナスで左半球はプラス)。そればかりかオドは地球上だけに存在するものではなく、太陽、月、星々もそれらを発散させているともライヘンバッハは主張しています(ちなみに、こうした星々から発するオドは人間の脳の働きへと作用し、それこそが本当の占星術の基礎になるものかもしれないとすらライヘンバッハは考えました)。

★「オド」理論が科学界に与えた大きなインパクト

こうしたライヘンバッハの理論は、イギリスへとすぐに到着します。『薬学及び化学の年報』でのライヘンバッハによる発表の翌年の1846年、エディンバラ大学の化学教授ウィリアム・グレゴリーによって英訳されたその論文の抜粋が、医学雑誌『ゾイスト』に掲載されます(グレゴリーはこの英訳の際にodをOdyleと訳しています)。

そして、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの医学教授でメスメリズムの先導者だったジョン・エリオットソンをはじめ、当時のイギリスのメスメリストたちの間において、このライヘンバッハの「未知の媒体」の発見はすぐに重要なものだとみなされることとなります。というのも、メスメリストにとってオドの実験結果は、動物磁気の研究に対する「最も成功した調査を提供するもの」だと考えられたからです。

ついでに言っておくと、当初オドへと注目したのはメスメリストだけではありませんでした。メスメリズムに敵対する科学者によっても、その発見は話題となりました。

ちょうど、かのマイケル・ファラデーが光と磁気の相互関係に関して、いわゆる「光の電磁波説」の着想を発表したのがライヘンバッハの論の6ヶ月後のこと。すなわち、かつて別々のものと考えられていた光と磁気、さらには電気や熱、その他の化学作用を引き起こす自然の諸力の間にある相互関係について熱心に研究を進めていた科学者の何人かにとっては、オドがそれらに対する手がかりを与える発見、あるいはそれらを統一する「未知の媒体」であるかのように映ったようです。

★人間のオーラを可視化する装置が開発される!?

こうしたライヘンバッハのイギリスでのインパクトは、さらにロンドンの開業医師ウァルター・J・キルナー(Walter J. Kilner)を、医学的な観点からの「オーラ」研究へと向かわせるきっかけとなりました。1911年、キルナーはオーラに関する医学的研究を『人間の雰囲気』と題して出版します。キルナーはその中で、人間のオーラを可視化する次のような簡単な装置と方法を発表しました。

密閉された2枚のガラスの板の間にコールタールから作られる青い染料のジシアニン(dicyanin)を流し込む。こうして作られたフィルターを通して見ることによって、特別な能力を持たない普通の人でもオーラを目にすることができるとキルナーは考えました。

まずフィルターを通して昼の光を見る。次に暗闇の背景の前で薄暗い光の中にいる裸の人間へと目を向ける。そうすると可視光線の通常のスペクトラムの外部にある電磁気、すなわち「オーラ」がその人間から放射されているのを見ることができる。そうキルナーは主張しています。

またキルナーの発見によれば、人間の体から放射されているオーラは、次のような3層から構成されています。1層目はキルナーが「エーテリック・ダブル(Etheric Double)」と呼ぶ肉体から半インチから4分の1インチほどの空間を取り巻いている暗く色のないオーラ。さらにキルナーは、3インチを超えて広がる2層目のオーラを「インナー・オーラ(Inner Aura)」と呼び、1フィートほどの広がりを持つ3層目のオーラを「アウター・オーラ(Outer Aura)」と呼びました。

★オーラの医学的応用を主張するものの......

さらにキルナーは、実験の結果から、オーラに関する様々な性質を発見したと主張しました。たとえば、オーラの広がりが磁石によって影響されること。そして電気の流れに対して反応し、ウィムズハースト起電機(イギリスのジェイムズ・ウィムズハーストによって1880年から1883年にかけて開発された静電気を発生させる装置)による負荷の帯電で完全にオーラが消えてしまうこと。また、病気や精神力の減退がオーラのサイズと色に影響を与えること。死に近づくとオーラは次第に小さくなり、死体の周りではオーラはまったく見られないこと。

これらのことからキルナーは、オーラの医学的診断などへの応用の可能性を強く主張しました。

こうしたキルナーによるオーラの研究は、医学や科学の領域へとアピールしたはずのものでした。けれども、キルナーのオーラの研究は、正統的な科学の領域ではほとんど省みられることもなく、その成果を受け入れていったのは、主に神智学者などをはじめとするオカルティストたちのみでした。ちなみに、今日のスタンダードな科学の領域の中では、ブキャナンの神経オーラ、ライヘンバッハのオド、キルナーのオーラのいずれも、実証的に認められることはなく、彼らの主張は典型的な疑似科学の例としてみなされています。

オカルティズムとの関係を離れた科学的装いの下で、再びオーラが研究されるようになるのは、1970年代に入り、オーラの撮影を可能にすると考えられた「キルリアン写真」が登場するまで、待たなければなりません。


・現代の「チャネリング」と呼ばれる現象は一体何なのか?

※これまで本コラムでは、「スピリチュアル史」という観点から、主に19世紀後半のアメリカとイギリスのスピリチュアリズム・ムーヴメントの中で起こった出来事を中心に紹介してきました。

今回はいったん趣向を変えて、以前にも本コラムで少し述べた現代の「チャネリング」と呼ばれる現象について改めて目を向けてみたいと思います。

とりあえず今回は、客観的な立場からのものではなく、チャネリングの実践者側から語られている、そこで起こっているとされる現象を紹介します。それによって、しばしば訊かれる「チャネリングっていったいなんなの?」という疑問に対して、その本質的な部分を少し明らかにしてみたいと思います。
 
チャネリングとは何か? その厳密な定義を行うとなると、少々ややこしい話になるのですが、ひとまずここでそれを簡潔に定義しておくならば、通常の5感とは異なる方法で、人間を超えた超越的ななんらかの存在者(これをエンティティと呼ぶ)とコンタクトを取り、なんらかの情報を受け取ることだと言えるでしょう。

ではいかにしてチャネリングは行われるのでしょうか? まずその情報を受け取る方法ですが、大きく分類すると以下のような3つの形があるようです。

1. オートマティズム(オートマティック・ライティングやオートマティック・スピーキングなど)
2. 声のチャネル
3. ヴィジョンのチャネル

1.の「オートマティズム」というのは、チャネル(チャネリングをする人のこと)の体が、本人の意志とは関係なく、なんらかの力によって自動的に動かされる状態のことです。なかでも一般的なのは、チャネルの手が勝手に動き出し、エンティティからのメッセージを紙などに書き記すオートマティック・ライティングか、もしくはチャネルの口が勝手に動き出し、エンティティからのメッセージを言葉として語り出すという状態です。

次に2.の「声のチャネル」と呼ばれる現象は、実際に物理的な声が聞こえていないにも関わらず、チャネルの精神の中にエンティティの声が語りかけて来ることで、なんらかの情報を受け取るといった状態です。

最後に3.の「ヴィジョンのチャネル」と呼ばれる現象は、なんらかの映像が精神の内に浮かんで来て、なんらかの情報を得るといった状態のことです。

さらにこれらの方法で情報を受け取る際のチャネラーの意識状態には、通常の意識とほとんど変わらない状態から深いトランス状態まで、いくつかのレベルがあるようです。

たとえば、現代のチャネル、マイケル・ウェデルを通して語る霊的存在エゼキア(Ezekiah)が言うことに従うなら、エンティティの介入の状態がどのようなものであるかという観点で、チャネリングは次のようにも分類されます。

A. 非介入チャネリング(Non-intrusive Channeling)
B. 一体化チャネリング(Integrated Channeling)
  a. シェア・ボディ・チャネリング(shared body Channeling)
  b. フル・ボディ・チャネリング(full body Channeling)

A. の非介入チャネリングでは、エンティティがチャネルの内部に入り込むことはなく、あくまで外部の離れた場所から、メッセージを送ってくる場合のことを言います。

また、この非介入チャネリングの場合、一般的にチャネルは深いトランス状態になることはなく、たいがい通常の意識とあまり変わらない状態のままのようです。チャネルとエンティティのコンタクトは、あくまで外的な状態で行われるため、これを「アウトサイド・コンタクト・チャネリング(outside contact Channeling)」、あるいは「リレー・チャネリング(relay Channeling)」と呼ぶこともあります。

一方でB.の一体化チャネリングは、A.の非介入チャネリングとは異なり、存在者は外部からメッセージを送ってくるのではなく、チャネルの内部へと入りこんできます。すなわちチャネルはエンティティによって、いわば「ポゼッション(憑依)」される状態となります。

また、この一体化チャネリングは、エンティティの侵入の程度によって、a. シェア・ボディ・チャネリング(shared body Channeling)とb. フル・ボディ・チャネリングへと分けられます。

前者のシェア・ボディ・チャネリングでは、チャネルの体をチャネル自身とエンティティ存在者が共有する状態ですが、後者のフル・ボディ・チャネリングでは、チャネルの体を完全に存在者が占有することになります。トランスのレベルという観点からすると、後者のフル・ボディ・チャネリングの方が、シェア・ボディ・チャネリングよりも深い状態だと一般的に言われています。

また、前述の1. オートマティズム、2. 声のチャネル、3. ヴィジョンのチャネルのいずれの方法も、A. の非介入チャネリング、B. の一体化チャネリング、どちらの状態においても可能です。

ただし、チャネリングのスキルとしての「難易度」、そして受け取る「情報の精度」は、非介入チャネリングよりも一体化チャネリングの方が高いとも言われています。今まで述べてきたことを図としてまとめると次のようになります。

今回は、チャネリング実践者が行っているチャネリングの分類についてまとめてみました。もちろん、チャネリング実践者ではなく、客観的な立場からの研究者からは、また違った見方も当然あり得ますが、それについてはまた別の機会に見ていきたいと思います。
ひとことで「チャネリング」と言っても、様々な形がありうることが、少なくともお分かりいただけたかと思います。さらに実際にチャネリングは、どのようにすれば行うことができるのかというメソッドについても、いくつか知られているものがありますので、それについても改めて別の機会に紹介したいと思います。


・現代チャネリングの原点にして頂点、ジェーン・ロバーツとセス

※前回のコラムでは、チャネリングの実践的な面をクローズアップしましたが、今回は現代のチャネリングの流れの原点に位置するチャネラー、ジェーン・ロバーツについて簡単に紹介してみたいと思います。

現代のチャネリングの流行の原点は、「セス(Seth)」という名のエンティティとコンタクトを取ったジェーン・ロバーツ(Jane Roberts, 1929-1984)の活動からはじまります。

■ロバート・バッツとの出会い、そしてチャネルのはじまり

1929年5月8日、ニューヨーク州サラトガ・スプリングス生まれ。両親は3歳の時に離婚。ひどい関節炎で苦しむ母と共に、ジェーンは生活保護下の恵まれない幼少期を過ごします。

幼い頃の彼女に最も大きな影響を与えたのは、インディアンの子孫でありカナダ人の祖父でした。ジェーン自身の回想によると、彼女は祖父と一緒にしばしば森の中を散歩しながら、滝の音や木々を通して語りかける風の囁きに耳を澄まし、古のインディアンの伝説などに想いを馳せていたそうです。

10歳になったジェーンは、ニューヨーク州のトロイにあるローマ・カトリックの児童養護施設に入ります。そこでの宗教的教えが、神秘的なものに対する彼女の感受性を高めたようです。さらに1947年、奨学金を受けスキッドモア大学に入学。そこでボーイフレンドをつくり、1950年に結婚。結婚は3年間続きますが、その間の彼女は教師、編集者、アートギャラリーのアシスタントディレクター、セールスパーソン、ラジオ工場の一部門のスーパーバイザーといった様々な職業につきます。

1954年、ロバート・バッツ(Robert Butts)と2度目の結婚。この新しい夫とともに、ジェーンはサイキック、あるいはスピリチュアルな領域への本格的な探究を開始します。その結果、1963年9月のある日、ジェーンはついにエンティティとのチャネルがはじまります。

最初のチャネリングは、ジェーンが詩を書いている最中にはじまりました。彼女は突然、自分の意識が肉体から離れていくのを感じました。そして外部からやってきた観念に彼女の精神は満たされ、オートマティック・ライティングがはじまりました。

■自動筆記とセスとのコンタクト

彼女自身が言うには、それは「あたかも誰かがこっそりとLSDをわたしに差し出したかのよう」であり、「ラディカルで新しいアイデアのファンタスティックな雪崩が、おそるべき力とともにわたしの頭のなかで爆発した。まるでわたしの頭蓋骨がある種の受信ステーションとなり、耐えられないボリュームにまで上げられたかのようだった」。そして「わたしの手は、頭の中に閃く言葉と観念を猛烈な勢いで書きなぐった」。

彼女は気が付くと、100頁を超す長さの「観念の構造としての物理的宇宙」と題された文章を書き記していました。

その後、ジェーンは夫のロバート・バッツとともに、「ウイジャー・ボード(Ouija borard)」を使った実験をはじめます(ウィジャー・ボードについては別の機会に改めて紹介します)。数回のセッションの試みの後、彼らは自らを「セス」と名乗るエンティティからメッセージを受け取りました。

その後、彼女は自らトランス状態に入る能力があることを発見し、その状態のなかで、セスとコンタクトを取ることができるようになります。

水曜日と金曜日の9時以降の夜に、ジェーンとセスの間で定期的にチャネルが行われるようになりました。その時間になると、トランス状態となったジェーンの口を使ってセスがメッセージを語りはじめます。そして夫のロバートがそれを逐語的に書きとめていきました。そのときの彼女の声と口調は、普段のそれとはまったく異なるものだったそうです。

■セスが語る形而上学的な世界観

チャネリングの間、彼女は完全に意識を失っていたわけではありません。彼女いわく、自分が肉体の外部にいることを感じ、セッションが終わると同時に肉体の中に戻ります。しばしば彼女は、セスからのメッセージの断片を思い出すこともできました。また、チャネリングでのトランス状態は、彼女を消耗させるものではなく、むしろリフレッシュさせるものだったと言います。

セスがジェーンを通して語ったマテリアルは、1970 年に『セス・マテリアル(The Seth Material)』、さらに1972年にその続編として『セスは語る(Seth Speaks: The Eternal Validity of the Soul)』として出版されました。その後、セスとのセッションに関する著作は、彼女がこの世を去る1984年9月5日まで、ほぼ毎年のように出版されていきます。

セスの語ったマテリアルは、意識の変容に関する心理学、リアリティの複数の次元、リーインカーネーションなど多岐に渡る内容を包括する首尾一貫した形而上学的な世界観からなります。出版当時の多くの人々は、セスのマテリアルが持つその深遠さを、人間を超えた知性からのメッセージであると考えました。

今日でさえ、その後に登場してくる他のチャネラーたちのメッセージをナンセンスだと切り捨ててしまう人々の間ですら、セスのマテリアルに関してはその内容には興味深いものがある、としばしば評されています。

また、ジェーン・ロバーツは、セスのような高次のエンティティ以外に、死後の画家ポール・セザンヌの霊や心理学者ウィリアム・ジェームズの霊ともチャネルしています。

■80年代チャネリング・ブームのさきがけ

1980年代には、ジェーンの後を追う形で、まるで堰を切ったかのように無数のチャネラーたちが続々と登場することになります。そして、チャネリングはその10年の間に、ごく普通の一般の人々の間でも知られる非常に大きなブームとなっていきます。

その後のチャネリングのブームに対しては、宗教社会学者や社会心理学者などからの多くの批判的な見解も見受けられます。それらについては、その後の社会現象ともなるチャネリングの流行も含めて、また改めて取りあげてみたいと思います。