・天地創造とかいうガバガバストーリー

https://fknews-2ch.net/archives/20160920.html

※そもそも「旧約聖書」は一体どういう書物なのか。どのようなプロセスで書かれたものなのか。



構成

旧約聖書は、1冊の本ではありません。

ユダヤ教とキリスト教で並び順は微妙に異なりますが、基本的には39の独立した文書をひとまとめにしたものが、旧約聖書なのであります。

いちおうユダヤ教の場合の構成を書き出してみると、

※律法

創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記

※預言者

・前預言者・・・ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記

・後預言者・・・イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書

※諸書

・真理・・・詩篇、箴言、ヨブ記

・巻物・・・雅歌、ルツ記、哀歌、伝道者の書、エステル記

・その他・・・ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記、歴代誌

という感じ。

このうち、「律法」と呼ばれる最初の5冊はモーゼが書いたと言い伝えられており、特に重要な書物とされています。この5冊は、イスラム教でも聖典扱いです。

とはいえ、もちろん残りの書物も大事。

それぞれ、各時代の預言者たちや、ダビデ王、ソロモン王などの著作とされています。

内容

そんな旧約聖書ですが、そのボリュームはかなりのもの。

日本語訳版だと全部で400万文字を軽く超えます(日本語訳の場合)。吉川英治の『三国志』シリーズと同じくらいの文量。

興味の無い人なら途中で心が折れるレベルのボリュームなのであります。

書かれている内容は、大きく分けて3つ。

※教典

「十戒」に代表される、ユダヤ教の教義。
「偶像崇拝はNG」や「豚肉は食べるな」「同胞から金利を取るな」などなど、今でもユダヤ人が守るべき規範が記されています。

※知恵文学

詩や歌、そして成功のための教訓など。
「ユダヤ人は教育に力を入れる」みたいな話は、この知恵文学の教えによるものです。
また、禁欲的な新約聖書と違い、普通にエッチな歌なんかも含まれています。

「気高いおとめよ、サンダルをはいたあなたの足は美しい。ふっくらとしたももは、たくみの手に磨かれた彫り物。秘められたところは丸い杯、かぐわしい酒に満ちている。腹はゆりに囲まれた小麦の山。乳房は二匹の子鹿、双子のかもしか。」雅歌7章1〜3節

「あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実の房。なつめやしの木に登り、甘い実の房をつかんでみたい。わたしの願いは、ぶどうの房のようなあなたの乳房、りんごの香りのようなあなたの息。」雅歌7章8節

何かの間違いかと思うくらいの内容ですが、「神とユダヤ人はこうあるべき」という比喩らしいですよ。

※歴史書

始祖アブラハムから始まり、出エジプト、イスラエル王国の建国と分裂、そしてバビロン捕囚までの歴史。貴重な記録です。

聖書に誤りはない?

このように、古代イスラエル人の思想活動や歴史は、ほとんどが旧約聖書に網羅されています。

そして、その中身に誤りは無いというのが、ユダヤ教、キリスト教のスタンスです。

旧約聖書には今の我々の価値観からしたら、「あり得ない現象」がたくさん登場します。

例えば、「モーゼが海を割った」なんていうのは、我々の知る物理法則に則れば、まさにあり得ない現象なわけです。

ただ、「あり得ない現象」だからこそ、それは奇跡であり、神の御業とも言えます。

ここに合理的な理由や科学的な根拠を求めること自体がナンセンス。全てを超越した全能の存在に、人知が及ぶはずがありません。

しかしその一方で、旧約聖書には「辻褄の合わない部分」もたくさんあります。

こちらは、「あり得ない現象」とは違ってけっこう厄介。

話の辻褄が合わないというのは、普通に受け止めるならば、ミスでしかないからです。

従って、これにうまい説明をつけることは神学の重要なテーマであり続け、多くの聖職者、神学者が腐心してきたのであります。

2つの創造物語

旧約聖書に含まれる矛盾として最も有名なものに、「天地創造の順番がおかしい」というのがあります。



(上)システィーナ礼拝堂の天井画「天地創造」。太陽と月と植物を造ってるとこ。

一つ目の天地創造

まずは、創世記の冒頭の内容を見てみましょう。

創世記 1章1〜5節

1日目。
神は天と地を創造した。
神が「光あれ。」と言うと、光が作られた。
神は光と闇を分け、 光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。

創世記 1章6〜8節

2日目。
神は「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」 と言った。
大空の下と大空の上に水が分かれ、空が造られた。
神は大空を天と名付けた。

創世記 1章9〜13節

3日目。
神は「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」と言った。
乾いた所は地、水の集まった所は海と名付けられた。
神は「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」と言った。
すると、地には草や木が芽生えた。

創世記 1章14〜19節

4日目。
神は「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。 天の大空に光る物があって、地を照らせ。」と言った。
こうして二つの大きな光る物と星が造られ、大きな方(太陽)に昼を治めさせ、小さな方(月)に夜を治めさせた。

創世記 1章20〜23節

5日目。
神は「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」 と言った。
こうして水の生き物と鳥が造られた。

創世記 1章24〜31節

6日目。
神は「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」と言った。
そして、地上の生き物や家畜が造られた。
神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 といった。
こうして、神は御自分にかたどって人間の男と女を創造した。

創世記 2章1〜4節前半

7日目。
こうして天地万物は完成された。
第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。
これが、天地創造の由来である。

まとめると、

1日目:天と地を造る。光を造る。
2日目:空を造る。
3日目:地と海を造る。植物を造る。
4日目:太陽と月と星を造る。
5日目:水中生物と鳥を造る。
6日目:地上の生物を造る。人間(男女)を造る。
7日目:休む。

という流れです。

二つ目の天地創造

しかし、続く2章4節の後半から、再び天地創造が始まります。

創世記 2章4節(後半)〜5節

ヤハウェ神が地と天を造られたとき、 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。
また土を耕す人もいなかった。

ここまでは一回目の天地創造のおさらいのようです。

確かに、3日目の中盤に地と天が作られた時点では、草木も生えておらず、人間もいません。

しかし…。

創世記 2章7〜23節

ヤハウェ神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れた。アダムはこうして生きる者となった。

ヤハウェ神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置いた。

ヤハウェ神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらす木を地に生えさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生やせた。

(中略)

ヤハウェ神は「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」 と言った。

ヤハウェ神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、アダムのところへ持って来た。

(中略)

アダムはあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

そこで、ヤハウェ神は人を深い眠りに落とした。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさいだ。

そして、抜き取ったあばらで女を造り上げた。

ヤハウェ神が彼女をアダムのところへ連れて来ると、 アダムは「ついに、これこそわたしの骨の骨わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼうまさに、男(イシュ)から取られたものだから。」 と言った

お分かりいただけただろうか…。

天地創造の矛盾

1回目の天地創造では、人間が造られたのは最後の最後。

3日目に植物、5日目に魚と鳥、6日目に地上の生き物が造られた後、人間が男女同時に造られたことになっています。

しかし、2回目では、最初に人間の男が造られ、続いて植物、動物、鳥、最後に人間の女が造られています。

まとめると、

天地創造(1回目)

天地→植物→魚・鳥→動物→人間(男女)

天地創造(2回目)

天地→人間(男)→植物→生き物→人間(女)

科学的にどうとかいう話をしているのではありません。

宗教であるからして、この世や人間が創造された経緯を神の御業と捉えるのはごく自然なことです。

そうではなく、その創造の順番が思いっきり食い違っていることが問題なのです。

矛盾の解釈

この矛盾の原因は何なのか。

単に設定がガバガバだったという可能性もありますが、それだと「神の言葉」たる聖書の威厳が損なわれてしまいます。

聖書に誤りはないと考える人がこの矛盾を説明すると、こうなります。



つまり、6日目の「人が造られた」の部分を詳しく語っているのが2回目の部分なんだよ、というわけです。

もう少し詳しく説明すると、

2回目の天地創造の部分は、もう天地創造があらかた済んだ時点の話。

ここで語られているのはエデンの園の中だけの話。

最初、エデンの園にはアダムしかいなかった。なので、神様が外から動物や植物や人間の女を連れてきたんだよ。

と解釈すべきだというわけです。

まあ、そう受け取れないこともないですが。うーむ…。

すんなり納得できるかというと、うーむ…。

つぎはぎ説

この創造の順番の矛盾をもっとスッキリ説明するならば、一言で済みます。

天地創造は、2つの元ネタのコピペである。

1回目と2回目の天地創造は、元々別の物語だった。それを、聖書記者が1つの物語として合体させた。

しかし、創世記が書かれた当時は、今ほどストーリーの整合性には厳密ではなかった。

だから、こうした矛盾が発生してしまったというわけです。

2種類の神様

2つの元ネタがある根拠は、ストーリーの矛盾だけではありません。

神の御名

例えば、1回目の天地創造では、神は一貫して『エロヒム』と書かれています。日本語訳では「神」と訳される

一方、2回目の天地創造では、神は常に『ヤハウェ・エロヒム』と書かれています。日本語訳では「主なる神」

翻訳版の聖書ではどちらも神なので気付きにくいのですが、ストーリーの切り替わりと同時に、神の呼び方も綺麗に切り替わっています。

この事もまた、2つの元ネタの存在を示唆しています。

神のキャラ

さらに、この「エロヒム」と「ヤハウェ」は、そのキャラクター設定も異なっています。

めんどくさいとは思いますが、もう一度、上の天地創造を読んでみてください。

1回目の天地創造を行ったエロヒムは、ただ言葉を発するだけで奇跡を起こす存在。超然とした風格があります。

一方、2回目の天地創造を行ったヤハウェは、若干人間っぽさがあります。

アダムに息を吹きかけたり、イブをアダムのところに連れてきたり、肉体があるような振る舞いをします。また、あばらを抜き取った跡を肉で埋めるとか、行動もいちいち具体的。

このヤハウェは、時にはエデンの園を普通に散歩したりもします。

創世記 3章8節

その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。

こうした人間っぽいヤハウェの行動と、ただ言葉を発するだけのエロヒムは、まるで対照的なのであります。

文書仮説

天地創造に関しては2つの元ネタですが、旧約聖書全体を同じように「辻褄が合わない」とか「表記が揺れている」部分で分けてみると、少なくとも4つの元ネタがありそうだ、というのが定説となっています。

こうした、聖書には複数の元ネタがあるという考え方を「文書仮説Documentary hypothesis」と呼びます。


・「ノアの箱舟」コピペ説

https://fknews-2ch.net/archives/20160924.html

※どうやら旧約聖書にはいくつかの元ネタがあって、それを繋ぎ合わせた形跡があるっぽいことが分かりました。

天地創造は繋げ方がわりとシンプルで、2つの元ネタが前半後半と綺麗に分かれていましたが、他のエピソードではもっと複雑にコピペされています。

今回は、有名な「ノアの箱船」を事例として見て頂きます。

旧約聖書が巧妙に切り貼りされた書物であることを実感してもらえればと思います。

ノアの箱船の場合

それでは早速、大洪水の部分を読んで見ましょう!

・各段落頭の数字は、○章○節の意味。
・違和感のある箇所に補足を入れています。

創世記第6章5節〜8章20節

06:05
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、

06:06
地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
↪︎後悔するあたりの人間っぽさ

06:07
主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」

06:08
しかし、ノアは主の好意を得た。
↪︎いきなり登場するノア氏

06:09
これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。
↪︎変なところで突然始まる導入部
↪︎神様の呼び方が「主」から「神」に変わる

06:10
ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。

06:11
この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。
↪︎06:05と内容がカブる

06:12
神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。
↪︎06:05と内容がカブる

06:13
神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。

06:14
あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。

06:15
次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、

06:16
箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。

06:17
見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。

06:18
わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。
↪︎箱舟に入るよう命令(1回目)

06:19
また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。

06:20
それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。

06:21
更に、食べられる物はすべてあなたのところに集め、あなたと彼らの食糧としなさい。」

06:22
ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。

07:01
主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。
↪︎神様の呼び方が「神」から「主」に戻る
↪︎箱舟に入るよう命令(2回目)

07:02
あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。
↪︎06:19で「二つずつ」と言ってますが。

07:03
空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。

07:04
七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」
↪︎洪水の期間:40日

07:05
ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。

07:06
ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。

07:07
ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。
ノアたちは箱舟に入った(1回目)

07:08
清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、

07:09
二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。
↪︎ここでは「7つがい」ではなく、「1つがい」

07:10
七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。

07:11
ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。
洪水スタートは、2月17日

07:12
雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、
↪︎洪水の期間:40日

07:13
まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。
↪︎ノアたちは箱舟に入った(2回目)

07:14
彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、

07:15
命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。
↪︎ここも「7つがい」ではなく、「1つがい」

07:16a
神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。

07:16b
主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。
↪︎まるで一緒に箱舟に乗っているかのような神様

07:17
洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。
↪︎洪水の期間:40日

07:18
水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。

07:19
水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。

07:20
水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。

07:21
地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。

07:22
乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。

07:23
地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。
↪︎07:21〜22と内容がカブる

07:24
水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。
↪︎洪水の期間:150日

08:01
神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。

08:02a
また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、

08:02b
天からの雨は降りやみ、

08:03a
水は地上からひいて行った。

08:03b
百五十日の後には水が減って、
↪︎洪水の期間:150日

08:04
第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。
↪︎洪水の期間:2/17〜7/17(150日)

08:05
水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。

08:06
四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、
↪︎洪水の期間:40日?

08:07
烏を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。

08:08
ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。
↪︎08:07と同じ内容だが、烏から鳩に変わる

08:09
しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。

08:10
更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。

08:11
鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。

08:12
彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。

08:13a
ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日に、地上の水は乾いた。

08:13b
ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。

08:14
第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。

08:15
神はノアに仰せになった。

08:16
「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。

08:17
すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」

08:18
そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。

08:19
獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。

08:20
ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。
↪︎「1つがい」しかいないなら絶滅
↪︎「7つがい」ならセーフ

お疲れ様でした!

補足にちょいちょい書いてますが、この物語を読むと、神様の呼び方が変わっていたり、洪水の期間や集まった動物の数に食い違いがあったり、というのが分かります。

で、文章をピンクと水色に色分けしておりますが、これは
「重複している部分」
「神の呼び方が違う部分」
「矛盾がある部分」
なんかを基準に分けています。

洪水(エロヒムver)

それではもう一度、今度は水色の部分だけを抜き出したストーリーを読んでみてください。

創世記第6章5節〜8章20節

06:09
これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。

06:10
ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。

06:11
この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。

06:12
神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。

06:13
神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。

06:14
あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。

06:15
次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、

06:16
箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。

06:17
見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。

06:18
わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。

06:19
また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。

06:20
それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。

06:21
更に、食べられる物はすべてあなたのところに集め、あなたと彼らの食糧としなさい。」

06:22
ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。

07:06
ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。

07:08
清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、

07:09
二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。

07:11
ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。

07:13
まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。

07:14
彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、

07:15
命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。

07:16a
神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。

07:21
地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。

07:22
乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。

07:24
水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。

08:01
神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。

08:02a
また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、

08:03b
百五十日の後には水が減って、

08:04
第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。

08:05
水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。

08:07
烏を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。

08:13a
ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日に、地上の水は乾いた。

08:14
第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。

08:15
神はノアに仰せになった。

08:16
「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。

08:17
すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」

08:18
そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。

08:19
獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。

こうして文章を抜粋してみると、青の方の洪水物語にはこんな特徴があることが分かります。

・神の呼び方:「エロヒム」日本語訳では「神」
・神のキャラ:話すだけ。
・動物の数:全て平等に「1つがい」ずつ。
・洪水の期間:150日+α(地が乾くまで1年)
・飛ばす鳥:烏
・神への生贄:なし(「1つがい」しかいないから無理)

洪水(ヤハウェver)

同じように、今度はピンクの方だけを見てみましょう。

創世記第6章5節〜8章20節

06:05
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、

06:06
地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。

06:07
主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」

06:08
しかし、ノアは主の好意を得た。

07:01
主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。

07:02
あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。

07:03
空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。

07:04
七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」

07:05
ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。

07:07
ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。

07:10
七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。

07:12
雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、

07:16b
主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。

07:17
洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。

07:18
水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。

07:19
水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。

07:20
水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。

07:23
地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。

08:02b
天からの雨は降りやみ、

08:03a
水は地上からひいて行った。

08:06
四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、

08:08
ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。

08:09
しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。

08:10
更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。

08:11
鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。

08:12
彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。

08:13b
ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。

08:20
ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。
↪︎七つがいいるから絶滅しない

こちらをまとめると、次の通り。

・神の呼び方:「ヤハウェ」日本語訳では「主」
・神のキャラ:後悔したり、直々に後ろの戸を閉めたり、人間ぽい。
・動物の数:清いものは「7つがい」。
・洪水の期間:40日+α(地が乾くまで1年)
・飛ばす鳥:鳩
・神への生贄:あり(「7つがい」いるからセーフ)

「数瞬を詳しく」では説明できない

いかがでしょうか。

最初の原文より、赤と青に分けた文章の方がはるかに読みやすかったのではないでしょうか。

聖書はそもそもの文体なんかも馴染みにくいのですが、それ以上に、重複表現が読みにくさに拍車をかけています。

そして、その原因は、コピペの結果であろうというのが、文書仮説の考え方なのです。

創世記の場合だと、天地創造(1回目)、天地創造(2回目)という具合に分かれ方シンプルでしたので、「1回目の天地創造を詳しく説明したのが2回目だよ」と言う説明が可能でした。

しかし、このノアの箱舟の例から分かるように、旧約聖書には一つづきの物語の中に複数の話が入り乱れているケースがちょくちょく見られます。

この全ての表記ゆれや矛盾に合理的な説明をつけるのは、ほとんど不可能なのであります。

天地創造やノアの箱舟の場合は、2つの元ネタが混在しているようですが、他の部分では3つないし4つの元ネタが混在しているケースもあります。


・旧約聖書を書いたのは誰??

https://fknews-2ch.net/archives/20161105.html

※長い間、旧約聖書という書物は「神から預言者へ直接伝えられた啓示」をそのまま書き留めたものという位置付けでした。



であるからして、そこに書かれた内容に間違いなどないはず。

となると自動的に、旧約聖書に描かれたイスラエルの民の壮大な歴史もまた「真実であるはず」でした。

しかし。

前回までに見てきたとおり、旧約聖書はどうもコピペという線が濃厚です。

そこで今回は、旧約聖書が成立するまでの過程について眺めて見たいと思います。

旧約聖書とモーセ

旧約聖書は、39の文書の集まりでしたね。

このうち、最初の5つ(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は、預言者モーセが直々に書いたものと言い伝えられ、特別に「モーセ五書」と呼ばれます。

モーセはB.C.紀元前13世紀頃の人物とされていますので、「モーセ五書」もまた、その頃に書かれた書物ということになります。



(上)預言者モーセ。B.C.1391〜B.C.1271。長生き過ぎ。

その内容は、天地創造からモーセの死までの歴史。そして、いくつもの教義や規定集。

内容的にも著者的にも、「モーセ五書」はユダヤ教の中心であり、他とは段違いに重要な聖典なのであります。

本当の著者は?

「モーセ五書」はモーセが書いた。

これは、少なくとも中世までは「疑いようのない常識」でした。疑ったら教会にぶっ殺されるという意味で。

しかし、よく読み込んでみると、わりとすぐにおかしな記述に気づきます。

最初の違和感

「モーセ五書」の5番目の書物『申命記』には、モーセの死の様子が書かれています。



該当部分を軽く引用してみます。

申命記 34章5節
こうして主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。

申命記 34章6節
主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、誰も彼が葬られた場所を知らない

(中略)

申命記 34章10節
イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。

だが待ってほしい。いくら偉大な預言者だからって、さすがに「自分が死んだこと」まで自分で書くのは無理ではないだろうか。

さらに、「今日に至るまで」や「再びモーセのような預言者は現れなかった」の部分なんて、まるで遥か未来から自分が死んだ時のことを振り返ったかのような表現です。

時代錯誤

同じような時系列の矛盾は、他にもあります。

例えば、『創世記』の次のような記述。

創世記 36章31節
イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代に、エドム地方を治めていた王たちは次のとおりである。

「王がまだいなかった時代」という表現の裏には、「今は王がいる」という前提が隠れています。

しかし、「イスラエルの人々を治める王」が初めて登場したとされるのは、B.C.1050年くらいのこと。

モーセが死んでから200年以上も後のことであり、モーセがこの文章を書けるはずがありません。

こうしたテキスト上の時代錯誤が示唆しているのは、「モーセ五書」の著者はモーセではないという可能性なのであります。

文書仮説

実際、この「モーセとモーセ五書って関係なくね?」という疑問は、ローマ時代くらいからコソコソと指摘はされてきました。

おおっぴらに指摘すると牢屋にぶち込まれるので、あくまでコソコソとね。

しかし、時代が進んで近世に突入すると、わりと自由に聖書を研究できる雰囲気が広がっていきました。

そうすると、それまでくすぶっていた疑問点に、どうにか合理的な説明をつけようという機運が高まるわけです。

二人の神様

旧約聖書の中身についての疑問は山ほどありました。

著者の問題だけでなく、話の辻褄が合わなかったり、2重記述や3重記述がある部分などなど。

何故、ひと続きの文書のはずなのに、こうした矛盾や重複表現があるのか、多くの神学者や研究者が頭を悩ませますが、なかなかうまい説明がつかない。

そんな中で提唱された画期的な仮説が、文書仮説だったのであります。

その骨子は、「旧約聖書は幾つかの元ネタを切り貼りして構築されている」というもの。

この仮説に至った最初の手がかりは、旧約聖書において神が2種類の呼ばれ方をしている点でした。

旧約聖書のある箇所では「ヤハウェ」、また別の箇所では「エロヒム」という風に、神の呼称にはブレがあるのです。

従来は、ヤハウェは固有名詞、エロヒムは「神」を表す普通名詞、という風に解釈されてきました。

しかし、試しに旧約聖書のテキストを「ヤハウェ部分」と「エロヒム部分」に分けてみたところ、ディテールの異なる2つの物語が姿を現したのです。

単に二つの物語になったというだけではなく、ヤハウェとエロヒムは明らかにそのキャラクター設定も異なっており、もともと別々の神話だったという線が濃厚になったのです。

ヤハウィスト

例えばヤハウェの方は、

・肉体を持っていて、散歩とか肉弾戦とかする。
・自ら奇跡を起こす。
・感情豊か(怒りっぽい、嫉妬深い)

といった特徴があります。

また、こちらの物語では、登場する地名の多くがユダ王国(※イスラエル分裂後の片方)に属するものでした。

従って、ヤハウェ系の物語はユダ王国で成立したものである可能性が非常に高い。

そこで研究者たちは、ヤハウェ系の物語を書いた人々を「ヤハウィストJahwist」、その文書を「J資料」と名付けました。

エロヒスト

一方のエロヒムは、

・肉体なし。
・奇跡は預言者に指示して起こさせる。
・感情は表に出さない。

みたいな感じ。

また、まるでJ資料と対比するように、こちらの物語には北イスラエル王国(※イスラエル分裂後のもう片方)に属する地名が多く登場し、扱うエピソードも北イスラエル王国のものばっかり。

となると、こちらは北イスラエル王国で成立したものである可能性が高くなります。

このエロヒム系の物語の作者を「エロヒストElohist」、その文書を「E資料」と呼びます。

祭司資料

旧約聖書を用語や文体を元に、もっともっと分類していくと、どうも元ネタは2つだけじゃなさそうだと分かってきます。

その一つが、「祭司資料」と呼ばれる部分。

これに分類される部分では、祭壇の寸法や材料を細かく指定したり、日付にこだわったりと、とにかく祭儀のルールに深い関心を持って書かれています。

また、「イスラエルの民の統一には祭司が欠かせないよ」というメッセージが繰り返し登場するのも特徴です。

祭儀のルールに強い関心があり、祭司の重要性を主張するのは誰か。聖職者に決まっていますね。

なので、この部分を「祭司資料」と呼ぶわけです。

これは、祭司(Priesterschrift)の頭文字をとって「P資料」と言います。

P資料の成立

P資料が編集されたのは、B.C.576年のバビロン捕囚以後のこと。

アッシリアによって、故郷イスラエルから無理やりバビロンに移住させられたイスラエル人達。

彼らは、大都会バビロンにもうすっかり染まってしまい、イスラエル人としてのアイデンティティーは風前の灯火。

そんな彼らをもう一度ユダヤ人としてまとめ上げたのが、この祭司たちでした。

彼らは、ユダヤ教の教義やしきたりを整理し直し、さらに既にあったJ資料とE資料を切り貼りし、一つの壮大な聖典と歴史書を作り上げたのです。



(上)創世記から民数記までを元ネタで色分けした図

祭司たちは、100年以上もかけて編集を続け、B.C.450年くらいになってようやく、現在に伝わる旧約聖書の原型に近いものが出来上がったのであります。

申命記資料

4つ目の元ネタは、「申命記資料」というもの。

その名の通り、『申命記』のことです。

もう少し具体的に言うと、『申命記』はモーセが語るという体で、数々の掟が書かれています。

曰く、「ヤハウェ以外の崇拝はNG」「エルサレム以外での礼拝はNG」などなど。

で、実はこれと全く同じ内容で、ヨシヤという王様がB.C.622年に異教徒弾圧宗教改革を行っています。



(上)ヨシヤ王。

したがって、『申命記』は、実際にはこのヨシヤ王による宗教改革のためのプロパガンダ文書であると見なされています。

この部分は申命記(Deuteronomist)の頭文字をとって「D資料」と言います。

いつ書かれたか

というわけで、旧約聖書には大まかにはJ・E・P・Dの4種類の元ネタがあることが明らかとなりました。

で問題は、「いつ書かれたか」であります。

基準

D資料で語られる「エルサレム以外での礼拝はNG」という掟。

この掟は、J資料とE資料には全く登場しません。逆に、P資料では当たり前のこととして捉えられています。

となると、D資料を基準として、J資料とE資料はそれより古く、P資料は新しいということになります。

年表

ここまでをまとめると、次のような流れになります。

B.C.922

イスラエル王国が南北に分裂。
南のユダ王国でJ資料が成立。

B.C.850

北イスラエル王国でE資料が成立。

B.C.722

北イスラエル王国滅亡。

B.C.700頃

北王国から逃げてきた人々により、JとEが統合されてJE資料になる

B.C.622

ヨシヤ王の改革が行われる。
この時にマニュアルが作成される。これがD資料。

B.C.586以降

バビロン捕囚で心が折れたイスラエル人を、祭司たちが宗教でまとめる。
その時にP資料も作る。

JEとPが統合される。

B.C.400頃

JEPにDも合体して、全体をもう一度編集。

旧約聖書が完成!

本当の歴史なのか

いちおう、上の年表を図にしてみたのでこちらもどうぞ。



この図から分かることは、「モーセ五書をモーセが書いたというのは全くの嘘」ということだけではありません。

イスラエルの壮大な歴史におけるターニングポイントは幾つもあります。

B.C.2000年頃

父祖アブラハムが神の啓示を受けてパレスチナへ移住。

B.C.1700年頃

アブラハムの子孫ヤコブ一族がエジプトに移住、奴隷化。

B.C.1290〜1250年頃

・イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトから脱出。
・エジプト脱出後、40年間荒野をさまよった。
・モーセ死亡。

B.C.1250〜1200年頃

モーセの後継者ヨシュアがパレスチナを征服。

B.C.1020年

サウル王が統一イスラエル王国を建国。

文書仮説に則るのならば、これらの出来事は、旧約聖書はおろか、その元ネタの成立よりも遥かに昔のことになってしまいます。

なんだかんだ言って、旧約聖書に書かれた歴史はまあまあ本当だろう、と多くの人は考えています。

元になる出来事は実際に起きたもので、多少の誇張や歪曲はありつつも、ユダヤ人なりの解釈で記録をしたものであると。

しかし、実際のところ、古代世界に生きる人々が、何百年も昔のことをどこまで正確に記録できるのでしょうか。

しかも、旧約聖書の元ネタのうちP資料とD資料は純粋な記録ではなく、プロパガンダ文書であるという現実。下手すると大半がフィクションなんじゃないかという疑いすら浮上してきます。

聖書考古学

そこで、「本当の歴史」を知るために役立つのが、考古学であります。

考古学は、文献だけの一方的な歴史解釈とは違って、第三者が見ても納得出来る「証拠」を提示することができます。

したがって、旧約聖書のテキストとパレスチナ近郊の発掘状況を照らし合わせてみれば、イスラエルの民の歴史はかなり正確に確認ができるはずなのです。