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純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』のメモ

1757年のドイツ中西部の自由都市フランクフルトに創設されたものをはじめとして、
各地にスウェーデンボーリ風の降霊術を取り入れた「黄金薔薇十字団」が登場し、
インチキの亡霊でメイソンたちを騙していました。
これは、薔薇十字団とは名乗っていますが、アンドレーエの理想とはほとんど関係がありません。

ハンコックはボストンの反英論者アダムズを焚きつけ、
彼のロッジ「自由の息子たち」を反英運動の中心とする。
また、初の女性ロッジ「自由の娘たち」もできて、
「バイ=アメリカン(アメリカ製品購入)運動」
を展開しました。

バイエルン(バヴァリア)のインゴールシュタット大学もまた、
これまでイエズス会の強い支配下にあったが、
教皇によるイエズス会の解散命令とともに啓蒙主義者の学長がイエズス会士追放を行った。
しかし、学長の甥の法学教授ヴァイスハウプト(1748~1830年、25歳)がイエズス会の残党の攻撃にさらされることになってしまう。そこでヴァイスハウプトは、
翌1774年、自分の学生5人と秘密結社イルミナティ(啓蒙会、完全者同盟、幻想教団)
というインチキ団体を創設し、教会以上の歴史と組織を匂わせ、自分たちのみを守ろうとする。
とはいえ、この団体は実際はせいぜいバイエルンの首都ミュンヘン市周辺しか仲間がいませんでした。

フランクフルトのユダヤ人商人マイヤーアムシェル=ロートシルト
(ロスチャイルド、1744~1812、31歳)
がフリードリッヒ方伯に近づいてきました。
彼もまたたいへん古銭に詳しく、方伯家のコレクションにおおいに貢献しました。
とはいえ、フリードリッヒ方伯を支える多くの銀行家の中では、
彼はまだ、その末席に加わったという程度にすぎません。

(「多くの」銀行家に注目。ロスチャイルドの親分のヘッセン選帝侯はユダヤ人保護権
=ユダヤの銀行家支配権を持っていた)

フリードリッヒ方伯の次なる野望は、ヨーロッパメイソンの統一支配。
すでにオカルト色の強いメイソンは古式黄金薔薇十字団として組織されてしまったとはいえ、その他の啓蒙主義者たちは、むしろ反国王、反オカルト、反イエズス会、親アメリカに傾いていった。

(啓蒙主義者はヘッセンの古式黄金薔薇十字団と対立。
啓蒙主義者は反国王、反オカルト、反イエズス会、親アメリカ寄り。
カントも啓蒙主義者で『永遠平和のために』でイエズス会的詭弁を叩き、共和主義を主張)

加えて、ドイツ=メイソンリーは一応は、
聖堂騎士団を上位チャプターとするプロシア宮廷ロッジ「三つの地球」の下に
「ドイツ国民大ロッジ」としてまとまってはいるものの、
実体は国家や都市と同じく各地にバラバラです。
ましてフランス=メイソンリーは各地のロッジを統括する大ロッジそのものが、
親グレイトブリテンの「フランス大ロッジ」(1736~)、
国王翼賛の「フランス国民大ロッジ(グランロージェ=ナショナル)」(1756~)、
反政府の「フランス=グランドリアン(大東社)」(1773~)の三つに分裂していた。

フリードリッヒ方伯は「聖堂騎士団」団長フェルディナント公を通じて各地のロッジに
「国際メイソン大会」の開催を呼びかけたが、その実現は容易ではなかった。

(グランドリアンは啓蒙主義者シャルトル公(のちのオルレアン「平等(エガリテ)」公)を中心とするより過激な反政府・無神論系)

1778年、スイス国境の寒村から時事的な提言を発し続けてきた啓蒙主義の長老ヴォルテール(84歳)が、自身の悲劇『イレーヌ』の上演のためにパリに戻った。市民は彼を絶大な声援で迎えた。彼はアメリカ=メイソンリーの重鎮、老フランクリン(72歳)の仲介で百科全書派ロッジ「九姉妹神」に入会する。ところが旅の疲れか、長老ヴォルテールはその翌月に死んでしまった。

この機に、「選良司祭団・聖地善行騎士団」のウィレルモ(48歳)は、
ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(58歳)の支援の下、
78年、出身地リヨン市で「ガリア=メイソン大会」を
開き、フランス=メイソンリーにおける選良司祭団・聖地善行騎士団の優位を打ち立て、
老ヴォルテールに代わる中心人物に成り上がってしまった。

一方、ドイツにおいても、「古式黄金薔薇十字団」にすっかり洗脳されてしまった「聖堂騎士団・三つの地球」のフェルディナント公(57歳)を通じ、
ドイツ国民大ロッジ」傘下の各地のロッジもまた急速にオカルト色を強め、
再びオカルトメイソンと啓蒙主義メイソンの間で対立と混乱を増していった。
だが、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(59歳)は、「千年王国」の野望の実現に向け、
1779年、行き場を失っていたサンジェルマン男爵(約69歳)を拾い、メイソンのオカルト化を強力に進めていった。

(反政府「グランドリアン」や百科全書派ロッジ「九姉妹神」の啓蒙主義メイソンたちは、オカルト色の強いウィレルモの支配に頑強に抵抗したが、
オカルト系に改宗した人も当然いるし、オカルト系から啓蒙主義に改宗した人もいるから
ややこしい。
ウィレルモ(48歳)は、メスマーの治療法をあちこちに売り込んだりもしている。
動物磁気って要は東洋の気だよね?)

小物の放浪詐欺師バルサモが大物の霊能医師カリオストロ伯になった背景には、
じつはイルミナティの莫大な資金支援があった。
ウィレルモとメスマーがフランスの啓蒙主義者たちを取り込んでいったのに対し、
カリオストロ伯は、逆にフランスのオカルティストたちを切り崩していった。

黄金薔薇十字とイルミナティの決戦

1781年二月、メイソンリーのオカルト化を激しく批判するレッシンク(51歳)は、
レストランで食事をして帰宅するや、突然に激しく嘔吐して死んでしまった。(毒殺)
しかし、レッシンクの歴史的啓蒙主義はイルミナティの中心思想へと着実に受け継がれ、大きな影響力を持つことになる。
すなわちヴァイスハウプトによれば、
人類の歴史は自由の幸福を楽しむ幼年期の後に、
僧侶の圧政と君主の独裁の下、物質的欲求に縛られた少年期となっているが、
これらの抑圧的意見を打ち破って、真に神に救済される成人期に類として達しなければならない、とされる。

(ヴァイスハウプトのどこが無神論?
教会と王族側が彼に無神論だレッテルを貼って叩いただけでしょ)

ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ二世(六一歳)は、アメリカのためではなく、
みずからのために、
イエズス会残党を使って「黄金薔薇十字団」の下にメイソン支配を急いだ。

「国際メイソン大会」で「イルミナティ」に敗退し、
新大陸メイソンリーと対抗するという存在理由もなくなったため、
以後、オカルト色の強い黄金薔薇十字団系ロッジは、急速に衰退していく。

だが、勝利した「イルミナティ」もおかしくなっていた。
用済みになったストラスブールの霊能医師カリオストロ伯(40歳)夫妻は、資金支援を断ち切られ、あらぬ中傷を受け、再び放浪を強いられることになった。
啓蒙専制君主ヨーゼフ二世(43歳)は、
1784年4月、イルミナートのボルン(42歳)にオーストリア内のロッジを統一する「オーストリア国民大ロッジ」を創設させ、
いよいよ大ドイツ実現へ始動したが、
黄金薔薇十字団系ロッジで失敗したイェズス会残党は、
「イルミナティ」がバイエルンをオーストリアに売り渡そうとしている、と、
プファルツ=バイエルン選帝侯テォドールに告発したため、
バイエルン領内での活動ができなくなってしまった。
「イルミナティ」内部においても、バイエルンのヴァイスハゥプト(36歳)は、
ハノーヴァーのクニッゲ男爵(32歳)の真意を疑い始めた。
プロシアのケーニヒスベルクの哲学教授カント(60歳)もまた、
1784年、論文「啓蒙主義とは何か」を発表して、
他人の指導がなくては自分の理解力を用いえない未成年状態を人間が脱することこそ「啓蒙主義」である、と定義し、
レッシンク・ヴァイスハゥプトの根幹思想を援護した。
こうして、同1784年、「イルミナティ」からクニッゲ派が一掃され、メンバーは激減した。

ヴァイスハウプトとクニッゲのイルミナティは、黄金薔薇十字のヘッセンの計略を失敗させた。
ヴァイスハウプト叩きは、ヘッセンとその部下ロスチャイルド側の工作員もやっている理由の一つ。
黄金薔薇十字団系ロッジで失敗したイエズス会残党は、ヴァイスハウプトとクニッゲのイルミナティがバイエルンをオーストリアに売り渡そうとしていると、プファルツ=バイエルン選帝侯に告発し、イルミナティがバイエルン領内での活動をできなくした。

イルミナティ陰謀論の発明者はイエズス会士バリュエル神父と修道士ホーン。
当然カトリックもイルミナティを叩く。
タクシスはヘッセン側で、ホーンはタクシス側。
タクシスも、共和制と啓蒙主義のイルミナティを叩く側)

むしろ重要になるのは、その後のヘッセン=カッセル方伯とロートシルト家のネットワークの役割である。

というのも、反革命・反ナポレオン戦争において、各国にその兵員と資金を供給し続けたのは、グレイトブリテンでもプロシアでもオーストリアでもなく、
このネットワークにほかならないからである。

それゆえ、ナポレオンは、1806年のプロシア遠征においてまずカッセルを奪い、
そのヴィルヘルムスヘーエ宮にヴェストファーレン王として末弟ジェロームを置いた。

しかし、このころすでに反ナポレオン戦争は、軍隊の戦争から経済の戦争にシフトしており、ロートシルト家は、ロンドンのネイサン(1777~1836)を中心に貿易と金融を国際的に操作して、反ナポレオン諸国を支援し、ウィーン体制の確立にまで至らしめる。

しかし、このネットワークも、もはや多くの人々が参加する「メイソンリー」とはまったく異なるものである。”

引用以上

ヴァイスハウプトのイルミナティに関する情報で信憑性が高いのは以下の二つを満たすもの。

①ドイツ語を読んで研究している学者の書籍で、

②黄金薔薇十字団とヴァイスハウプトのイルミナティの対立が書かれているもの

例えば、

①貴族のヘッセン選帝侯(部下がロスチャイルド)の薔薇十字団は、
共和制=貴族否定のヴァイスハウプトのイルミナティを警察に弾圧させている。

②薔薇十字団が、ヴァイスハウプトが自分の結社のためにと注目していた人をが引き抜こうとしたために、彼の怒りを招いた。

③ヴァイスハウプト
「若い人々が黄金変成とか同じようなバカげたことに参加するなどということは、
私には耐えられない」(黄金錬成思想=薔薇十字思想の根幹の一つの否定)

以上は、()内以外はマッキントッシュ『薔薇十字団』に明記。

条件を満たすのが
マッキントッシュ『薔薇十字団』と、
純丘曜彰『近世ヨーロッパの思想と社会: 哲学とメイソンリーの時代』。
二人ともドイツ語を直接読んで研究している。

「オカルト百科」の人で、この人もマッキントッシュの『薔薇十字団』も参考文献にしている。
必読↓ バリュエル神父という単語がちゃんと登場。

イルミナティ(パヴァリア啓明結社)の興亡
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/iruminateli.htm …

”狂信的な反フリーメーソン論者として知られたバリュエル神父やロビンソン教授らが、
イルミナティを悪魔崇拝の政治的陰謀結社とする本やパンフを撒き散らした。”

現代の陰謀論の父はイエズス会士のバリュエル神父!

ロビンソン(ロビソン)教授に情報を渡したのはカトリック修道士ホーン。
ベネディクト会修道士でスパイで外交官でタクシス家とつながりありのホーンが、
ロビソンにメイソン・イルミナティ陰謀論のネタを提供。