・外国人労働者受け入れが日本人労働者にとってデメリットしかない理由(DIAMOND ONLINE 2018年11月16日)

塚崎公義:久留米大学商学部教授 

※政府は、出入国管理法を改正して、外国人労働者の受け入れ範囲を一部単純労働者にまで拡大するとともに、一定の条件を満たせば家族の帯同も認める方針だ。だがこれは、日本人労働者にとって大問題となりそうだ。(久留米大学商学部教授 塚崎公義)

労働力不足は労働者にとって素晴らしいこと

「労働力不足だから外国人労働力を受け入れる」という政府の説明は、「労働力不足は悪いことだ」という前提に立つものだ。確かに語感は悪いので、素直に納得してしまう人も多いようだが、労働力不足が困るのは経営者であって、労働者にとっては大変素晴らしいことといえる。
 
まず、労働力不足だと、失業する心配がない。仮に今の仕事を失ったとしても、容易に他の仕事を見つけられるからだ。若手男性だけではなく、高齢者や子育て中の女性などでも探せば仕事が見つかる。働きたい人が仕事を見つけられるというのは喜ぶべきことだ。
 
また、労働力不足だと、企業が労働力を確保しようと競争するため非正規労働者の時給が上がる。正社員については目立った上昇は見られていないが、非正規労働者の時給は既に上昇しており、今後も上昇を続けると期待されている。

ブラック企業が“ホワイト化”していくことも期待できる。ブラック企業の社員が容易に転職先を見つけられるようになると退職者が相次ぐため、ブラック企業がホワイト化しない限り存続できなくなるからだ。

外国人労働者の受け入れは日本人労働者に不都合
 
ところが、外国人労働者が大量に流入してくると、労働力不足が解消されてしまうため、労働者は失業のリスクにさらされ、非正規労働者の時給も上がらなくなり、消滅しかかっていたブラック企業も復活してしまうかもしれない。
 
ちなみに読者の中には、外国人労働者が日本人労働者より安い賃金で働くと考えている人もいるだろうが、本稿では日本人と同じ賃金で働くことを前提として考えている。それでもなお、外国人受け入れは日本人労働者を貧しくする。

例えば、労働者を募集している企業が100社あり、働きたい日本人労働者が50人いるとすると、100社が50人を争うから、時給は上昇していく。しかし、そこに50人の外国人労働者が加わると、労働力不足が解消してしまうので、労働者の賃金は今まで通りとなり、上がるはずだった賃金が上がらなくなってしまう。
 
企業経営者としては、「外国人労働者を受け入れないと、労働力不足が深刻化するので、日本人労働者の賃金を引き上げなければならない。それは嫌だから外国人労働者を受け入れてほしい」と政府に要請しているのだが、それは日本人労働者には受け入れられない話だろう。
 
労働者も労働組合も、労働者の味方を標榜している政党も、なぜ大声をあげて反対しないのであろうか。不思議でならない。

労働力不足は生産性も高まり日本経済にもいい影響
 
労働力不足になると、企業は「省力化投資」を始める。例えば、アルバイトに皿洗いをさせていた飲食店が自動食器洗い機を購入するようになるので、飲食店の生産性が向上するのだ。もちろん、他の業界でも同様だ。
 
こうして日本経済の労働生産性が高まれば、労働力不足でも経済の成長が可能となる。
 
また、財政にとってもいい影響を及ぼす。失業対策の公共投資は不要だし、失業手当や生活保護の申請も減るだろう。それ以上に重要なのは、増税が容易になることだ。

日本政府がなかなか増税できないのは、政治家の人気取りもさることながら、「増税して景気が悪化したら失業者が増えてしまう」という恐怖心があるからだ。今後は少子高齢化による労働力不足で、「景気がいいと超労働力不足、景気が悪くても少し労働力不足」という時代がくるので、“気楽”に増税できるようになるはずだ。
 
それなのに、外国人の単純労働者を大量に受け入れてしまったら、失業のリスクが増すため増税が難しくなってしまう。
 
さらに問題なのは、一定の要件を満たせば、外国人の単純労働者の日本での永住も可能で、家族の帯同も認められることだ。
 
労働力不足だから外国人を受け入れるのに、彼らが日本で医療や介護を受けることになり、それに対して日本人の労働力を使うなど、悪い冗談としか言いようがない。
 
家族を連れてきていいとなると、日本語の分からない家族に日本語を教える必要もあるだろう。小中学校に複数の外国語が分かる先生を配置し、保護者用の説明も複数言語で用意しなければならなくなる。
 
そうしたコストは、当然だが行政が負担することになる。企業が外国人の単純労働者を受け入れることで雇って利益を得る一方で、一般市民の支払った税金が使われることになるのだ。これは、「外部不経済」といえる。

企業が、「家族の教育のコストも負担するから外国人労働者を雇いたい」というなら認めるにやぶさかではない。しかし、「家族の教育コストを負担するなら雇わないが、負担しないなら雇いたい」というなら、雇わせるべきではない。雇うべきでない人を雇っているとことになるからだ。
 
したがって、外国人の単純労働者を雇った企業には、高額の税を課すべきである。それでも雇いたいと言われれば、妥協案として認めてもいいだろう。
 
上記した日本人労働者の失業問題があるので、本来はそれさえも認めたくないが、そこまでして雇う企業は少数だろうから、日本人の失業を心配するほどの影響はないと考えておこう。

「日本のGDPが減ってしまわないように、外国人労働者を受け入れる必要がある」という人もいるが、そういう人には100年単位で物を考えてもらいたい。100年後には日本人の人口が3分の1に減るとも言われている。したがって、日本のGDPを守るために日本の人口を保つとしたら、日本列島に住む人の過半は外国人になってしまう。
 
本当に、そんな日本の将来が望ましいのだろうか。守るべきなのは、GDPではなく、日本国民の豊かさ、つまり1人当たりGDPなのではなかろうか。

・外国人労働者を雇う企業に行政コストを負担させるべきと考える理由(DIAMOND ONLINE 2019年1月18日)

塚崎公義:久留米大学商学部教授

外国人労働者の受け入れは日本の労働者にも経済にもマイナス
 
政府は、新しい在留資格を設けるのみならず、外国人留学生の就労拡大に向けた新たな制度も検討しており、外国人労働者の受け入れを拡大する方向だ。
 
筆者は、外国人単純労働者の受け入れに反対だが、百歩譲って受け入れるとしても、それに伴って発生する行政コストなどは、外国人を雇用する企業に負担させるべきだと考えている。
 
外国人労働者の受け入れ拡大は、産業界の要請だ。だが、これは日本人労働者および日本経済にとって大問題であると同時に、外国人にとっても問題だ。
 
というのも日本人労働者は、労働力不足で賃金が上がると期待していたところにライバルの外国人が入国してしまえば、労働力不足が緩和されてしまい、上がるはずだった賃金が上がらなくなってしまうからだ。次の不況がやってきたときに、自分たちが失業するリスクまで高まってしまう。
 
さらに、日本企業が労働力不足への対応として省力化投資を積極化させ始め、ようやく日本経済の効率化が進み始めたというタイミングだ。労働力不足が緩めば、そうした企業のインセンティブも失わせかねない。

おまけに、行政コストも増大する。政府は「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」を策定し、外国人労働者生活相談などに応じる方針であるとされる。また、外国人労働者の子どもが通う学校においても、日本語教育のコストがかかるといった問題も指摘されている。
 
それ以外にも、外国人の単純労働者は、日本人と同様のさまざまな行政サービスを受けることになるが、一般的に彼らは(日本人の単純労働者並みの待遇だとすれば)所得が低く納税額も少ないだろうから、「行政の持ち出し」となる。これも外国人の単純労働者受け入れの行政コストと考えるべきだろう。

受益者負担が公平でかつ資源配分を適正化
 
外国人の単純労働者を受け入れることで利益を得るのは、当の外国人労働者と日本企業だ。「受益者負担」という公平の原則から考えれば、行政コストなどは企業に負担させるべきだ。

“被害者”ともいえる日本人労働者の支払った税金が、外国人の単純労働者のための行政コストに支出されるのは公平の観点から許し難い。
 
加えて、「資源配分の適正化」という観点からも、大いに問題がある。例えば企業が外国人を雇うことで利益が1円増える一方、行政コストは100円増えるとすると、日本国全体としては外国人を雇った方が損になるので、雇うべきではない。
 
しかし、現状では企業は利益が増えるので、外国人労働者を雇うという国益を損なう行動を取ってしまう可能性が高い。
 
そうした事態を防ぐためには、行政コストを企業に負担させるのが最も合理的なのだ。そうすれば、企業は外国人を雇わないだろう。

例えば企業が外国人の単純労働者を雇うことで利益が200円増えるならば、行政コストを100円負担させられても外国人を雇うだろう。筆者としては、それでも日本人労働者の受ける“被害”を考えると不満ではあるが、その程度は明らかに緩和される。
 後は、実際の行政コストのみならず、日本人労働者の“被害”を減らすために上乗せした金額を負担させるか否かだろう。
 もしも仮に、外国人を雇うことで巨額の利益を得られる企業があるのであれば、筆者としても禁止すべきとは考えない。巨額の利益の中から、十分な負担をしてもらえばいいからだ。

費用負担の適正化で資源配分を適切化しよう
 
費用負担が適切になされないと、不適切な資源配分がなされてしまうという典型例は「公害」だ。資源配分というのは経済学の用語で、労働力や原材料や資金などは有限だから、それを何の生産に用いると日本経済がよくなるかということだ。
 
汚水を垂れ流している企業が利益を1円稼いでいるとして、下流の住民に1万円の被害が生じているとすれば、あるいは汚水処理に1万円の費用が必要なのであれば、その企業の操業は日本の利益にならな。つまり適切な資源配分とはいえない。
 
しかし、その企業が2万円を稼いでいるならば、操業を止めさせるよりは、汚水処理費用の1万円を負担させる方がいい。それで被害が完全に止まるならではあるが。
 
同様のことは、例えば医療費に関してもいえる。
 
医者に診察して軽い病を治療してもらうとして、本人は1000円分の満足を得たとする。医療費は5000円かかっているが、自己負担が1割なので、本人は500円しか払わない。これは日本にとって損失だ。5000円のコストをかけて1000円分の満足しか生み出していないからでだ。

医療の場合には、「治癒したことで他人への伝染が予防できた」「軽い病だと思って受診したら実は重い病であることが判明した」といった可能性もあるので一概には言えないが、外国人労働者の場合にはそうした可能性はなさそうなので、適切な費用負担によって適切な資源配分を図ることが望まれよう。

外国人労働者の受け入れは外国人の幸せにつながるのか
 
日本の政策を考える上で、どこまで外国人の幸せについて考えるべきかは議論があるかもしれないし、本稿の本筋とも外れてしまうが、以下の点を指摘しておきたい。
 
例えば「日本の農業は労働力不足だから、外国人労働者を受け入れよう」という場合、筆者は「農産物を輸入すればいい」と考える。
 
最大の理由は、土地が広い国で農産物を効率的に作ることが「国際分業」として望ましいからだ。その方が外国人の幸せになるということもいえる。
 
外国人労働者を受け入れる場合、彼らは家族と離れて言語も習慣も異なる日本にやって来る。しかし、日本が農産物を輸入するなら日本に来る必要はなく、自国で家族と暮らしながら農業に従事すればいい。その方が外国人全体の幸せにつながるはずだ。
 
外国人に寄り添うあまり、「家族の帯同を認めればいい」と主張する人もいるが、2つの点で賛成できない。1つは、家族を連れてきて言葉の通じない国で苦労するより、自国で働く方がいいに決まっているからだ。
 
そしてもう1つは、日本語のできない家族を教育したり、莫大な行政コストが発生したりするからだ。「そういうコストは、喜んでわれわれ日本人納税者が負担するから、外国人労働者に家族の帯同を認めてほしい」という人は多くないように思う。
 
一般論として、「かわいそうな人がいるから行政が助けてやれ」という人は多いが、「かわいそうな人がいるから行政が助けてやれ。そのための費用は喜んでわれわれ納税者が負担するから」という人は少ないと思うが、いかがだろうか。
 
繰り返すが、筆者は外国人の単純労働者の受け入れには反対だ。だが、決まってしまった以上は、その弊害を少しでも緩和すべく、「外国人の単純労働者を雇う企業には課税して、さまざま『行政コスト+α』を負担させるべきだ」と改めて提案したい。