・ 奇怪な地下水脈 真言立川流・南朝正統論・大本一味
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〇真言立川流は日本史の闇に蠢く秘密結社のようなものだろう。仁寛という伊豆に流された真言僧が武蔵国立川出身の民間陰陽師に密教を伝授して形成された陰陽道色の強い奇怪なオカルト宗教である。
〇真言立川流は弾圧した伝統仏教側から過剰に貶められており邪教ではないと言う人もいるが、多様な宗派や学派が並び立ち驚異の文化保存力で法相宗や華厳宗のような古代仏教が今に伝わっている日本では、弾圧はあっても通常は完全に消し去るまでは行かない。
〇比叡山から弾圧された道元禅も奈良仏教から糾弾された念仏も今に残っている。そんな中で跡形もなく消し去られたというのは尋常ではない。このような例は他にはキリシタン攘夷くらいではないか。やはり真言立川流は相当当時の倫理道徳に抵触する内容を持つ邪教だったと考えるのが妥当と判断する。
〇真言立川流は一時相当な勢力を張ったそうで南北朝時代には南朝と関係が深かった。後醍醐帝の護持僧で立川流の中興の祖とされるのが文観である。北朝と結び付きが強い高野山の宥快はのちに文観と立川流を徹底批判。この宥快がその後の高野山真言宗の教学を確立したそうだ。
〇弘法大師空海が招来した唐代の真言密教はインドの中期密教でありチベットにあるような後期密教=タントラ密教ではない。見たところ華厳をベースとした硬質な理論性を持った仏教哲学を持ちタントラのような怪しげな要素は見られない。しかし真言立川流はタントラ密教的である。
〇実際チベット密教を評価する者の中に真言立川流にシンパシーを持つものがいるようだ。現代でも南朝正統論とチベットのタントラ密教を同時にかたる奇怪な一派がいたりする。南朝正統論者で大本教が大江山の霊媒修験一派から発祥したと唱える大本系インサイダー筋らしき論者たちもいる。
〇修験は歴史的に天台宗系の本山派と真言宗系の当山派の二系統に組み込まれているが、その枠に組み込まれなかった異形の一派がいたということなのかどうか。このあたりは山のネットワーク、サンカとも関わってきそうだが。
〇異形の修験一派と大本教が連続しているというインサイダー筋の主張は何故か南朝正統論や古代猶太の渡来説とセットである。所謂「南朝正統論」についてだが、神器が南朝にあられた南北朝時代に限っての話ならば分かる。しかし後小松帝以後は男系の御血統と神器の継承が一つの皇統に帰している。
〇南北朝合一につきどのような経緯があったにしろ後小松帝以後は御皇室は御一つであらせられ南朝も北朝もない。南北朝時代史を巡る学術的な議論ならともかく、御小松帝以後の現代に至る時代に於いて南北朝を云々すること自体がナンセンスなのである。
〇それなのに敢えて現代に於いて南朝正統論を言うのは腹に一物ありと思われても仕方ないのではないか。実際の話、南朝正統論の周辺は大日本皇道立教会といい奇怪千万、怪しさ満点である。創価の初代会長はここの出身であり、児玉誉士夫も所属していた。有名な「熊沢天皇」の背後にはGHQがいた。
〇スサノオの末裔「キミヒト」を自称した宗教ペテン師出口王仁三郎は現世の統治者は自分であるべきだと夢想し皇位を伺ったと聞くが、その出口は南朝正統論者だった。確かにいろいろ見ていくと南朝正統論は大本一味周辺からよく出ているのである。
〇大室寅之助が写っているとされた「フルベッキ写真」(実際は佐賀藩士の集合写真らしい)も大本一味が広めた形跡がある。出口家や堀川辰吉郎を中心に近現代史を描 く「堀川史観」の落合完爾氏もフルベッキ写真を幕末の英雄の集合写真だと信じているようだ。
〇大本一味の周辺に蠢くこういった奇怪な話の数々。南朝正統論と異形の修験とくればどうしても真言立川流が連想される。チベット密教に食い込もうとする連中は南朝団体や日猶同祖論周辺に多い。例の緑龍会は大本系の秘密結社という説があり、その説が正しいとしたら、大本とチベット密教が繋がる。
〇奇怪な人脈が蠢いている。とくに陰謀論界周辺に。真言立川流の奇怪な地下水脈いわば日本史上の闇の秘密結社人脈が現代にも存在しているような気がしてならない。が、これはまだまた直感のレベルである。これは今後の探求課題である。
・南朝団体「大日本皇道立教会」は自公政権のルーツ、現代のネット言論の状況と似る戦前の陰謀追及界の実態、「国粋」のつもりが「洋夷」の手先となった平田派以下の陥穽等々。
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〇南朝団体「大日本皇道立教会」の会員には創価学会創設者の牧口常三郎(出口王仁三郎と親戚という説も)や児玉誉士夫らがいた。自民党の前身である自由党の結党資金を出したのが児玉なので、ある意味「大日本皇道立教会」は自公政権のルーツと言えるかもしれない。統一・創価・大本の根は同じだと見る。
〇「堀川政略」など、「南朝」は大本系派閥の思想ツールでよく使われるトピックの一つである。南朝側には真言立川流の中興の祖とされる文観という妖僧がいた。真言立川流はクロウリー一派みたいな印度のタントラに影響を受けた西欧のオカルト魔術に通じる面があるので、その辺も多用される原因だと見る。
〇大日本皇道立教会には大本教と組んだ頭山満や内田良平もいた。このように大日本皇道立教会は自公政権の人脈的ルーツの一つであると同時に大本系人脈とも繋がる、今に至る日本国内の裏権力人脈の縮図の観がある。戦後はここに朝鮮半島系の統一が加わった。これが「統一・創価・大本の根は同じ」の意味。
〇日本国内の裏権力人脈は「親米派(グローバリズム派。ロックフェラー系)の統一協会系人脈VS親欧州派(世界連邦派。ロスチャイルド系)」という両建構造だと分析する(※両建でありロス・ロック対立論ではない)。創価は前者と組んでいるが、南朝団体や教祖同士の親戚説など後者との関係もあり得る。
〇TPP、種子法廃止、水道私営化など、数々の壊国政策を推進してきた自公政権は目下日本の最大のガンである。野党側も両建の一角ではあるが、現に与党として壊国を進めている「現行犯」と、これから壊国をやるかもしれない「犯罪者予備軍」なら「現行犯」への対処を優先させるのは当然の事。自公は退場!
〇児玉らに言及したついでに所謂「右翼」について。日本の右翼は戦前から大体において親猶太的だった。大川周明は上海の猶太財閥と関係があったという話もあるし、満川亀太郎は「猶太禍の迷妄」という猶太擁護本まで出した。石原莞爾は猶太利用論者。戦後に台頭する笹川良一もしかりで、児玉はその子分。
〇戦時中にはナチスの影響を受けてにわかに猶太批判者が増えたようだが、右翼は概ね親猶太的傾向だった。なので以前は「親猶太か排猶太か」を見極めのポイントと考えたが、最近はにわかに猶太批判者?が増えてきたので基督教や西洋神秘主義(オカルト)との関係如何も重視な見極めポイントにしている。
〇戦前の猶太批判は一部の本格的な研究を除きナチスの影響による時局便乗か、基督教シンパ、日猶同祖論系(批判と見せて擁護)、オカルトや偽史とのセット売りが多かった。国際政経学会も殆どがそれ。今のネットの猶太批判ブームもその焼き増しに見える。今も昔も基督教やオカルトの同時批判が判断基準。
〇戦後の猶太批判は旧約聖書批判を抜かしたタルムード批判特化型が多い。これは聖書批判ができない西欧の基督教徒の理論の移植の可能性が高いと見ている。この流派では宇野正美氏が代表的論者である。戦前にも「世界攪乱の律法タルムード」という本が紹介されていたが、旧約聖書の批判もなされていた。
〇宮廷猶太人の時代から猶太資本家と基督教貴族や石屋、教会組織は一体である。基督教貴族で石屋のクーデンホーフ=カレルギーの妻は猶太人。「基督教は猶太に乗っ取られた」という主張があるが、猶太教のトーラーを旧約聖書の基幹部分として聖典の一部にしているので「元から」と考えるべきであろう。
〇「右翼」で思い出したので色々書いた。戦前の右翼は概ね親猶太的傾向が強かったので、ツイッターを始めたくらいの頃は「親猶太か否か」で走狗か否かが大体判断できると思っていたが、これ程猶太批判がポピュラーになってくるとそう単純でも無くなった。基督教やオカルトとの関係も考慮すべきである。
〇ポピュラーという事はそれだけ人為的なテコ入れの可能性もあるという事。オカルト被れが急に「ゆだや」言い始めるのはどう考えても「変」。昭和戦前期には猶太批判がある意味で隆盛したが、大体は同祖論やオカルトとセットものが多かった。今はそれの再来の観。当時と同様に本物の鑑識眼が必要な時代。
〇昭和戦前・戦中期はそれなりに猶太やフリーメイソンへの批判が盛んだった。だが、オカルトや基督教、偽史(日猶同祖論、神代史など)とのセットが多かった。今のネット言論の状況はそれに酷似している。陰謀について盛んに語られているが、様々な思想ツールが混入して思考誘導も行われているのである。
〇過去の思想状況を把握しておく事は誘導言説の類に惑わされるのを防止するのに有効である。例えば「日本は白村江の戦の後に唐に占領された」説は八切止夫氏の説と知っておけば別に驚きはしない訳である。偽史をトンデモと馬鹿にしてろくに調べもしない人ほど初めて聞く珍説奇説に引き込まれる恐れあり。
〇出口王仁三郎の猶太論は「ユダヤは神の選民で、艮の金神が道具に使っていられる。ユダヤは悪に見せて善をやるのや。」みたいな擁護論であるし、基督教牧師の酒井勝軍は猶太批判に見せて終いには「天孫民族日本人と神撰民族猶太人の神聖共同統治」などという日猶同祖論的誇大妄想を唱える始末であった。
〇犬塚惟重は親猶太的で戦後は「日猶懇話会」という団体の会長になり日猶同祖論を広めた。山本英輔海軍大将に至っては四国の剣山で「アーク」探しを行っている。こんなのばっかりなのである。二番煎じの現代のネット言論はそれをさらに劣化コピーさせたような代物である。陰謀研究の鑑識眼が必要である。
〇思想工作員が使う思想ツールの原型は戦前戦中戦後を含めた昭和期に大体出揃っている。現代の思想工作員はそれらのネタ元を隠して使い回しているに過ぎない。戦前派の右派カルトは出口王仁三郎や酒井勝軍らのオカルト言説を使うし、戦後派の左派カルトは赤軍派が利用した八切止夫説を使う傾向がある。
〇八切止夫の「白村江の戦の後に日本は唐に占領された」説は氏の「神の徒である日本原住民と仏教徒との戦い」という反仏教史観から考え出されたと思われる。神道系カルトの源流である平田派の世界観に近い。「日本は世界の中心」という自尊史観と「日本は大昔に滅びた」という自虐史観の距離は実は近い。
〇「日本は超古代から世界の中心」という史観と「日本は古代に滅亡した又は占領された」という史観は偽史界の左右両建構造だと言える。前者は戦前派で、後者が戦後派である。極端な自尊と極端な自虐は同根で容易に反転する。仏教を敵視するあまりかえって西洋舶来の基督教に近づくという点も似ている。
〇八切氏によると「源平藤橘」の内、藤原は「藤(とう)」なので「唐」、橘は「橘(きつ)」なので契丹、源氏は「源(げん)」なので「元」、平氏は「平(へい)」なのでペルシャ、らしい。語呂合わせである。日猶同祖論と同じ。八切氏は自説を開陳しただけだが、ネタ元を隠す思想工作員のやり方は悪質。
〇八切止夫氏の説が陰謀追及界隈に広まったのは太田龍氏の影響だと思われる。太田龍氏は時期によって言説が目まぐるしく変わり、その時々で色々な論者を絶賛するので、それを鵜呑みにして影響を受ける人が多かったと思われる。例えば晩年の太田氏の愛読者はデイビッド・アイクの信奉者が多いと推測する。
〇孟子曰く「悉く書を信ずれば則ち書無きに如かず」。何かを読んでも鵜呑みにしてはダメ。陰謀系書籍なら尚更だ。太田龍氏は岡潔や胡蘭成を絶賛した。両氏の著作は文庫で刊行されており内容はまとも。一方で太田氏は法輪功を絶賛した。これは明らかにおかしい。中共と法輪功は両建と捉えるべきであろう。
〇大陸は大東社系の中国共産党に支配され、台湾には英米系石屋で基督教に改宗した蒋介石が率いる国民党がなだれ込んできた。中国文化圏も我が国と同じで真の意味で伝統的な思想家が希少だと思われる。章炳麟が伝統的思想家だったが、国民党幹部出身ながら大陸も台湾も追われた胡蘭成もそうだったのかも。
〇純粋な国風を求めるあまり仏教を過剰に敵視し、かえってキリスト教的世界観に接近し、しまいには西洋の手先になる、という通弊が平田派の昔から存在する。その具体的な表れが廃仏毀釈であり、これは戦国時代の切支丹の所業と同じものであった。国粋のつもりが逆に日本文化を破壊する結果になったのだ。
〇仏教は元から日本人にマッチする思想だと考える。釈迦の父の名「浄飯王(スッドーダナ王)」で分かるように釈迦族は農耕民であり、釈迦の生誕時には「お宮参り」をしたという話が伝わっている(中村元氏の本で読んだ記憶あり)。日本人と似た習俗の中で育った釈迦の思想が日本人に合うのも道理である。
〇既成の文化や異なる考え方を頭ごなしに否定したりはせず、巧みな比喩や方便を用いつつ、やんわりと穏便に、しかも論理的に道理を説いて相手を説得しようとした釈迦の姿勢は日本人の気質に合う。だから神仏習合も円滑に進んだ。日本人の気質に合わない基督教と組んで仏教を破壊するのは本末転倒である。
〇釈迦の直接の教えに忠実な形となると南方の上座部仏教を第一とするが、鴨長明の「仏の教へ給ふ趣は、事にふれて執心なかれとなり」という文に表れているように「認識した対象に執着するなかれ」という仏教のエッセンスは日本に伝わっている。また印度仏教の唯識が生きた伝統なのは今や日本だけである。
〇儒学はどうか。孔子が理想とした周王朝は秦以後の中央集権的王朝と異なり諸侯の自立性が強い封建制である。日本は律令制崩壊後明治まで多元性が強く強力な中央集権制は明治まで成立しなかった。江戸時代も各藩の自治性が強かった。孔子が想定した社会システムに近いのは中国より日本だと思うのである。
〇スッタニパータ506「祀りを行え。祀り実行者はあらゆる場合に心を清らしめよ。祀り実行者の専心することは祀りである。かれはここに安立して邪悪を捨てる。」 507 「かれは貪欲を離れ、憎悪を制し、無量の慈しみの心を起して、日夜つねに怠らず、無量の(慈しみの)心をあらゆる方角にみなぎらせる。」
〇スッタニパータの506と507は神道の考えとしてそのまま通用するような教えである。「貪欲を離れ、憎悪を制し、無量の慈しみの心を起して」つまり「心を清く正しく保ち暖かい気持ちを持つ」という生き方は日本人の気質に適合する哲学である。元から合うので神仏共存・神仏習合が円滑に進んだのも道理。
〇このように釈迦や孔子の教えは日本人の気質に適合するからこそ日本文化の形成に大きく寄与した訳である。合わないモノを無理やり移植した訳ではない。取捨選択しながら主体的に消化したのである。純粋な国風を求めるあまり、仏教や儒学を完全に排除しようとすると逆に日本文化を弱体化させてしまう。
〇永禄8年(1565年)に正親町天皇の綸旨として朝廷から出された日本最初の伴天連追放令は「大うすはらい」と言った。即ち「でうす払い」である。「デウス」なる造物主概念を信仰する徒=キリシタン。明治以後もそのまま「デウス」と表現していれば思想的混乱は生じなかったはず。憑依型戦術にやられた。
〇自尊史観も自虐史観も偏っている。我が国の現状を批判せずしてなす盲目的な日本賛美は逆に壊国に手を貸す事になる。だが、一方で、それに反発するあまり「日本の悪口を言うのが正義」みたいになるのも偏っている。自尊も自虐も避け、悪い所は正し良い所は守るという中道の精神を持って取り組みたい。
〇以前も言ったようにこの「中道」は「中道主義」「どっちつかず」「中間」「ニュートラル」ではない。「道に中る」と書いて「中道」。具体的な状況の中で、道理と事実に適合する適正・中正な判断をし対応する事である。中道の為には良識やバランス感覚を養う必要であると思う。
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〇伴天連追放文に表れた江戸初期の理論家の思想的センスは基督教の影響を受けつつ基督教に対抗するという矛盾を犯した明治以後の多くの思想家と雲泥の差がある。鈴木正三の破吉利支丹も優れた論文である。正三は切支丹は「実有の見」今の哲学用語で「実体観」を起こして妄想分別を増長させると批判した。
〇徳富蘇峰の「近世日本国民史」に伴天連追放文が全文引用されているが、蘇峰は「禁令としては、如何にも陳奮漢だ。而して禁令の理由として、何等さしたる条理もない。」と散々な論評をしている。これが伝統思想を捨てた明治の思想家の感覚である。蘇峰は後に棄教したが、プロテスタントに入信していた。
〇鈴木正三は「キリシタン教ゆるところは、実有の見を専らとして、念慮識情を増長し、天地の作者を造り立て、輪廻の業を重ねて、 是を成仏道とおもへり。」と書いた。実体観を立て観念に執着すると形而上学的な思考が空転し、執着や欲や怒りが増長し悪行為が生じる、という実体思想の核心を突いた批判。
〇「実体を立てる→思考が紛糾する→対象への執着が生じる→欲や怒りが生じる→不当な行為が生じる」という実体観の陥穽を的確に批判するなど江戸時代の思想家のレベルは非常に高い。明治以後は退化したとしか思えない。正三のキリシタン批判は基督教だけでなく、西洋の実体思想全般に通じるものである。
〇鈴木正三は「破吉利支丹」で「近年来るバテレンども更に天道の恐れもなく、私に天地の作者を作り立て、神社仏閣を滅却し、この国を南蛮へ取るべき謀を以て様々虚言して、人をたぶらかす」と伴天連の正体を看破している。「天地の作者」とは基督教の造物主概念である。神仏と全く異なる概念だと分かる。
〇基督教原理主義者と自称グノーシス主義者の性質が似すぎていて笑ってしまう(笑)〇異なる考えに対して怒りが抑えられず執拗に絡む。〇独善的で上から目線な態度等々。不可解なのは彼らは相互に敵視しているはずなのに何故か直接相互に攻撃し合わない事。両方批判する者ばかりを狙ってくる。やはり両建。
〇何故「実有の見(実体観)」を専らにすると執着が増幅するのか。思考と執着は相互因果関係があるからである。思考は言葉・概念を使って行われる。「実体」とは言葉・概念を自存視したもの。したがって「実有の見」に固執し続けるという事は言葉及び言葉を使う思考に執着し続ける事を意味するのである。
〇思考は感覚と同じく対象を持つ(感覚も思考も認識作用)。認識対象には「快・不快・どちらもない」という感情価がある。快・不快の対象を認識すれば欲や怒りが生じる。快・不快の対象を思考し続けると欲や怒りが増幅する。これが正三が「実有の見を専らとして、念慮識情を増長し」と言った意味である。
〇感覚は一瞬のものだが、感覚を受け取り消えた後でも概念を用いて思考しイメージする事でその感覚に対する執着が維持される。また感覚と関係ない思考も必ず対象を持っており、思考すればする程その対象への執着が増幅する。例えば憎い相手が目の前にいなくてもその相手について考えると憎しみが生じる。
〇また執着するから思考するとも言える。自分に都合がいい世界観を作るのは執着があるから。逆に、その世界観について思考する程執着が増す。このように執着が思考を生み思考が執着を生む。過剰な執着を制し道理と事実(理と事)にのみ基づく執着で歪められていない思考だけが真っ当。これも中道である。
〇正三は切支丹が奇跡などの奇特を有り難がるのを「奇特なる事貴きならば、魔王を尊敬すべし。 この国の狐狸も奇特をなす」と批判。そして「仏の六通」とは「眼耳鼻舌身意で何を認識してもその対象に執着しない事」だと言う。原始仏教と同じ考えだ。「正法に奇特なし」と。まことに合理的な考えである。
〇原始仏典に「見たら見たまま、聞いたら聞いたまま、嗅いだら嗅いだまま、味わったら味わったまま、触れたら触れたまま、考えたら考えたままで、客観的な認識で止めて、そこに渇愛と執著を起こさなければそれが解脱だ」という趣旨の文言が繰り返し出てくるが、正三の言う「六通」はまさにこれである。
〇また阿含経典に凡夫と阿羅漢の違いを「二本の矢に刺されるか、一本の矢に刺されるか」という喩えも出てくる。「二本の矢に刺される」とは何かを感受し、その上渇愛・執著を生じて精神的に苦しむ事である。「一本の矢に刺される」とは感受したら感受したままでそこに渇愛・執著→苦を生じない事である。
〇このように鈴木正三の「仏の六通と云ふは、眼に色を見て碍(さは)らず、耳に声を聞いて碍らず、鼻に香をかぎて碍らず、舌に味をなめて碍らず、身に触れてさはらず、法界に在りて万法にさはらずして、鏡に影の移るがごとし」という考えは原始仏教の趣旨と一致する。奇特を否定する合理的な教えである。
〇「切支丹の奇跡崇拝は魔王崇拝と同じ」「狐や狸の化かし合いと同じ」とは本質を突く鋭い批判である。ここで言う「魔王」とは「仏道修行を邪魔する第六天魔王」(織田信長が名乗った事で有名)の事だと思われるが、西欧の「魔王」でも同じである。基督教と悪魔教は表裏一体のもの(両建)だからである。
〇「第六天魔王」とは「仏道を妨げる存在」とされる。仏道修行とは「眼耳鼻舌身意と色声香味触法への渇愛・執著を断ち切る事」。あるいは「色受想行識=五蘊への渇愛・執著を断ち切る事」。即ち認識対象への執着を断つ事。逆に言うと魔王とは「対象に執着を起こさせる者」。謂わば洗脳者。結社員と同じ。
〇自分の頭で考えない事を「思考停止」と言うが実は「思考停止」するのは非常に難しい事である。人間は起きている間は常に思考している(大半はどうでもいい思考)。だから上座部仏教の僧侶は「思考停止したら悟れます」と言う。本当に思考を停止すると執着もなくなるのでそれが「解脱」という訳である。
〇独立的思考をしない事を「思考停止」と言うのはあくまで比喩表現であり、実際は「隷属的思考」「思考誘導」である。本当に思考が停止すると感覚が機能しているだけで余計な欲や怒りが生じないはずである。それに対して洗脳されたりして思考誘導されている状態だとろくでもない思考が空転するのである。
〇好きなもの、嫌いなものを知覚しなければ欲や怒りは生じず心は平穏である。それと同じで好きな対象、嫌いな対象を思考しなければ欲や怒りが増長せず心は平穏である。五感と表象・思考を同じ認識作用として同列に考えている点が仏教の認識論の優れた点だと考える。西洋哲学では感性と知性は峻別される。
〇猶太教徒は「モーセの奇跡」は「神の力によるもの」で同時代のエジプト魔術は「悪魔の力によるもの」とする。基督教徒は「イエスが水上を歩いた」のは「神の奇跡」で、シモン・マグスの術は邪悪な魔術だとする。「同じである」というのが猶太・基督教文化圏外にいる日本人・鈴木正三の客観的な観察だ。
〇スシーマ(須尸摩)という阿含経の相応部経典がある。スシーマという行者が比丘達に仏陀の教えで「過去や未来が見えたり、他人の心が見えたりする神通力が得られるのか?」という趣旨の質問をする。比丘達は「そうではない」と答える。仏陀はスシーマに「五蘊の無常を観じ離貪・解脱する事」を教える。
〇スシーマの比丘達への質問項目の中にに「水上を歩く事」があった。つまり「イエスの奇跡」は印度では只の魔術であった。だから鈴木正三は「奇特を有り難がるのは魔王を尊敬するのと同じ」と言った。モーセやイエスの「奇跡」を有り難がる猶太教徒・基督教徒は客観的には魔王崇拝と全く区別がつかない。
〇「奇特なる事貴きならば、魔王を尊敬すべし」とは「基督教=悪魔教」という言明と捉えてよいであろう。猶太教も同断である。同じ文化文明圏から出てきた同一パラダイムの思想である。所謂悪魔教・悪魔崇拝・サタニズムは猶太・基督教文化圏からしか出てこない代物である。表裏一体、両建の関係である。
〇基督教原理主義者が当方の見解より「自由主義や無神論の方がまだマシ」みたいな事を言っていたが、猶太・基督教圏外からの批判の方が厄介だと思っているのであろう。だからか、基督教原理主義者と西洋神秘主義者は何故か相互に直接対決せず両建批判者を挟撃してくる。これぞ両建の分進合撃だと言える。
(了)
・思想ツールとしての「偽史」、歴史の捏造・隠蔽(切支丹史観など)をまとめて斬る
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〇タイムラインで「平家がペルシャ人」という説をちらと見たが、日猶同祖論レベルの話だと思う。平家がペルシャ人ならゾロアスター教徒で、平家の氏神社である厳島神社はゾロアスター教の寺院という事になるが。秦氏が猶太教徒なら秦河勝を祭る大避神社はあり得ない。基本事項のみでおかしいと分かる。
〇陰謀追及界隈では他の事ではまともな事を言う人が、突然日猶同祖論など偽史めいたおかしな事を言い出す場合が多い。元からセットになっている場合もある。「陰謀追及」と言っても何も特別な事ではない。基本的事実をきちんと調べて、仮説が論理的におかしいかそうでないかをチェックするだけである。
〇「偽史」の類は史実の細かい考証をしなくても宗教や思想のほんの基礎知識で反駁されてしまうものが多い。日猶同祖論が典型である。秦氏が猶太教徒なら「人を神として祭る」大避神社はあり得ない。当時のそれらの民族がいかなる宗教を信仰していたかを調べ、その影響が我が国に存在するのかを検討する。
〇ゾロアスター教の影響がない事は無い。阿修羅像がそれである。阿修羅=アスラとはゾロアスター教の主神アフラマズダを印度人側から悪神として見た呼称である。それが仏教に取り入れられて日本に渡来してきたのである。阿修羅はあくまで印度人の視点なので、阿修羅信仰はペルシャ人の信仰とは言えない。
〇また、毘盧遮那仏にアフラマズダの観念の影響があるという説もあるが、ペルシャに特有の光と闇の二元論の影響が見られないので、仮に影響があるとしても釈迦の時代から大分時代が下って仏教徒がダルマ(ダンマ・法)の観念を擬人的に表現しようとした際に単なる名称として借りた程度の事だと思われる。
〇ちょっとした類似点からこじつけて針小棒大に言い立てるのは日猶同祖論の常套手段だが、猶太絡み以外でもよく行われている。確実に言える事を積み重ねていくとその真偽は大体見えてくる。歴史も基本的な知識を軽視すると物凄い表象の世界に飛んで行ってしまう場合がある。宗教や形而上学と同じである。
〇インド人とイラン人は元は同じ民族だったが、分かれて対立したらしい。それぞれの神話が真逆になっているのが興味深い。イラン人のゾロアスター教の光の神とされるアフラマズダがインド人からするとアスラという悪神扱いなのが典型である。仏教ではさらに格下げで仏の護衛扱いとなった。それが阿修羅。
〇平家がペルシャ人ならば、その氏神である厳島神社はゾロアスター教の神を祭っていないとおかしい。ところが、厳島神社の祭神は「宗像三女神」という海に関係する神である。光の神、火を拝む「拝火教徒」の神と「水」に関係する海の神とでは性質が相反するので、平家=ペルシャ人説はやはり変である。
〇ペルシャ人の宗教と言えばゾロアスター教とイスラム教シーア派が想定できるが、イスラム教の影響があるなら堂々としたものだろうから、この可能性は最初から除外して可。モスクがなかった我が国に「回教徒がいた」という想定はあまりに突飛である。ゾロアスター教の影響も前述したような程度であろう。
〇説自体は色々あってよいと思うが、基本的な事項の確認だけでどう考えても成り立ちがたい事がすぐに分かってしまうものばかりである。説自体にロマンを感じ面白いと思う人もいると思うが、吾人はどちらかというとそういう説が次々に出現する現象自体に興味を持っている。戦前から数多くあった事である。
〇「国際縄文学協会」という団体にロスチャイルド家の者が関わっているので、縄文ばかり強調する言説も怪しいと思っている。縄文人の感覚が日本人のアニミズム的感性の根にあるとは思うが、縄文「だけ」強調するのはそれ以後の歴史や文化を全否定する事で遠回しに壊国を側面擁護せんという意図を感じる。
〇「国際縄文学協会」はワールドメイト系の団体である。「名誉顧問」に「エミリー・ロスチャイルド・アトウッド」の名が。『陰謀』業界に「縄文」強調論(縄文以外の日本全否定論)が多いのはロスや新興宗教の影響では?思想ツールの一つと見るべきだろう。
【国際縄文学協会】https://ja.wikipedia.org/wiki/国際縄文学協会
〇縄文強調論にも通じる「日本原住民論」は新左翼の革命理論の一つでもある。太田竜氏も嵌っていたが、これは八切止夫氏のサンカ史観を利用して赤軍派の梅内恒夫という人物がマルクス・レーニン主義に代わる革命理論に仕立てたものである。「復古主義」に見せて日本を丸ごと否定できる思想ツールである。
〇縄文強調論からはかつての日本原住民論と同じ「臭い」がするのである。何よりロスチャイルドが「縄文研究団体」に関わっている事実。「日本原住民を滅ぼした偽物日本など守る価値が無い。縄文の復興を意図するロスチャイルドを筆頭とする国際金融資本に渡すのが真に日本の為」という誘導も可能だろう。
〇八切止夫氏自体は新左翼とは無関係で梅内恒夫が勝手に利用しただけである。とはいえ、八切氏が描く「サンカ」は非常に大陸的な感じがする。一神教的な信仰と秘密結社性が基本で、とても縄文時代以来の自然信仰とは思えないものである。サンカ系と言われる大本一味ら新興宗教勢力に通じる外来臭である。
〇次々に製造される「歴史観」は歴史的事実を明らかにする事より何らかの政治的目的を達成する為の道具である場合が多い。赤軍派の梅内恒夫が作った日本原住民論が典型である。日猶同祖論は戦前以来のロングセラー。偽史は戦前は右寄りのものが多く戦後は左寄りのものが多いが、所詮左右両建同根である。
〇安倍晋太郎は「東日流外三郡誌」という文書に傾倒していた由(渤海の末裔を自認し、「俺は朝鮮人」という発言も)。東日流外三郡誌は一部分しか見てないが、平安時代の武将である安倍貞任がキリスト教的な信仰を述べていて、それだけで非常に胡散臭い文書である事が分かった。
「東日流外三郡誌「安倍次郎貞任遺文」は明治以後の人間が書いたとしか思えない。宗教観がキリスト教的過ぎる。平安時代にありえた世界観ではなかろうし縄文的でもない。明治以後に流入した西洋の知識や宗教観の影響を感じる。
【安倍次郎貞任遺文原漢文】http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tenhito/tenhito2.html」
https://twitter.com/kikuchi_8/status/804090317896986624
〇東日流外三郡誌には明らかにキリスト教的な思想が見えるが、これは八切止夫が描いたサンカ像もしかりであった。この辺は平田派や大本一味にも通じる。これらの思想ツールに一般的に見られる傾向は仏教を敵視する姿勢である。日本の仏教文化は大体全否定される。一方、神道はキリスト教的に改釈する。
〇このように様々に流布される「偽史」の類は思想ツールだと見ている。親子で歴史観が継承されているかは分からないが、安倍一味が日本破壊に全くためらいが無いのは妙な「歴史観」の力が預かっている面もあるのでは?とも想像する。まあ、これは単なる想像。とは言え安倍一味の所業は明確に反日である。
〇公式歴史観「正史」も勝者に都合が良く作られたものなので、政治的な目的を帯びている事は言うまでもない。だからこそ「正史」でないなら「真実だ」と短絡して様々な思想的トラップに引っ掛かったりもする。マスコミ報道が嘘としても、ネットにも嘘が多いのと同じである。大事なのは事実か否かのみ。
〇他ではまともな事を言っている人が思想や歴史に関して明らかに変な事を言っているのを見るとガッカリする。陰謀追及界隈では珍しい事でないとはいえ、残念な事である。しかも、そういう変な説は一般教養レベルで反駁できるものばかりである。陰謀追及上も一般教養レベルの基礎知識はやはり大切である。
〇一応通説とか教科書レベルの知識は押えた上でないとそれらのどこがおかしいかが分からない。いきなり思想トラップ丸出しの変な説に飛びつくのは戦前からある陰謀追及界隈の通弊である。国際政経学会も神代史派やオカルト論者、日猶同祖論者が多かったようだ。実態を知れば知る程ガッカリする事が多い。
〇アイヌの長老がテレビに出ていたのを見たが、アイヌ文化は自然崇拝が基本であれはまさに縄文的な感じがした。ああいう感覚はアイヌ以外の日本人も根底で維持しているものである。だから山とか木、岩を祭る信仰が残っている。だが、大本系など「サンカ」を強調する勢力の思考は非常に大陸的だと感じる。
〇話は戻るが、拝火教について。古い仏典に釈迦が火を祭るバラモンの三兄弟を説得して帰依させた話が出ているが、バラモン教にはゾロアスター教と同じく火を祭る信仰があった事が分かる。この辺にもインドとイランの民族的近さが窺われる。密教の所謂「護摩(ホーマ)」はバラモン教からの影響であろう。
〇思想分野と歴史分野は両方ある程度勉強しておくと陰謀追及上役に立つ事が多い。その道を専一に研究する専門家みたいになる必要はない。日猶同祖論みたいなものでも歴史学的に細かく考証して反証するのは大変だが、「猶太教」という宗教の性質から分析すると一般教養レベルで簡単に反駁できたりする。
〇「日本スゴイ」と「日本シネ」がワンセットという分析は非常に慧眼。空虚な「日本スゴイ」路線と悪意に満ちた「日本シネ」路線の左右両建構造である。前者は「日本スゴイ」と日本を褒めあげる事でTPPや水道私営化を誤魔化して壊国を推進する。後者はストレートに壊国を叫ぶ。左右両建で壊国に誘導。
〇石屋の分類でいうと「日本スゴイ」路線は英国系フリーメイソン、「日本シネ」路線は仏蘭西系フリーメイソンである。褒め上げていい気分にさせる裏で改竄したり乗っ取る手口と、嫌悪と憎悪を掻き立ててストレートに破壊に向わせる手口である。「良い所は守り、悪い所は正していこう」とは絶対言わない。
〇陰謀追及界隈でもたまに見かける「白村江の戦で敗れて以後日本は唐に占領された」というのも元は八切止夫氏の説である。先述のように一部の新左翼が八切史観を革命理論に組み込んだ。オウムのオカルト『陰謀論』も実はこの辺の流れに出自がある。説の由来と来歴を知り相対化しておく方が安全であろう。
〇「平家=ペルシャ人」説もどうやら八切止夫説のようだ。陰謀追及界隈で言われる説のネタ元は八切史観に由来するものが多い。太田龍氏が新左翼時代から傾倒していた模様。平家がペルシャ人なら平家一門が厚く崇敬した厳島神社に何故光や火の神ではなく海に関係する神が祭られているのか説明がつかない。
〇先行する民間史家が唱えた説をあたかも自分の説みたいに言う者達が多くて困る。先人の説ならその由来をきちんと説明するのが言論者としての誠実さではないだろうか。オカルト系論者の唱える「説」は大体戦前からのネタ元があったりする。猶太関係が特に多い。秦氏関係も佐伯好郎のパクリでしかない。
〇各種思想ツールの類は「ネタ元ロンダリング」が施されている場合が多い。これをやるのは、あまり知られていない説なのをいい事に初めて唱えられた奇抜な説のような印象を与える事で通説に疑問を持つ人士を一気に引きつける事が出来るからだと思われる。「きちんと調べる」事が如何に大切かを痛感する。
〇ちなみに伴天連追放之文を起草するなど江戸初期の対キリシタン政策の担当者だった金地院崇伝や南光坊天海は歴史書やフィクションではあまりいいイメージでは描かれない傾向がある。奴隷貿易や神社仏閣の破壊などキリシタン禁教の理由の隠蔽とセットの現象だと見ている。切支丹史観の裏返しであろう。
〇五山の禅僧だった崇伝が起草した伴天連追放文は神道・仏教・儒学の教養を盛り込んだ中々の名文である。これは当時の一流の知識人にしか書けない文章である。一方、天台僧の天海は天台学をはじめ、倶舎論・三論・法相や禅学を修得、足利学校に学ぶなど和漢の学を修めた当時の最高の知識人の一人である。
〇天海が学んだ倶舎論・三論・法相は日本の哲学的思考を培った伝統的な学問である。三論は印度で言うと中観派、法相は唯識である。法相は論理学が併修される。中観の祖・龍樹は帰謬論証法を駆使する最強の闘論家。当時の科学を利用するも根が反知性主義の伴天連が三論と法相を極めた者に敵う道理はない。
〇直接軍隊を送り込んで侵略するのではない場合は現地の有力者を思想的に洗脳して手先にするという手法がとられる。戦国時代にイエズス会が行った方法だが、今も同じである。日本の所謂「上流階級」には基督教徒や石屋が多く、政治屋や人々への影響力があるオピニオンリーダーの類はカルト傘下が多い。
〇先人が言った「伴天連の妖術」とは要するに詭弁術や洗脳術の事。伴天連追放令に「伴天連其智恵之法を以、心さし次第二檀那を持候」とある通りである。これは今も裏権力傘下の思想工作員がやっている。CSISは比喩ではなく文字通り伴天連が創設した。エドマンド・ウォルシュというイエズス会士である。
〇伴天連追放令にある「伴天連其智恵之法を以、心さし次第二檀那を持候」とは詭弁術や洗脳術を用いて思うままに信者を増やした伴天連を描写した記述と解釈できる。思想工作員は詭弁術やレトリックばかり使ってくるが、400年前の伴天連も同じだったと思われる。その伴天連が創設したCSISの手先ばかりだ。
〇長崎で最古の仏寺は「悟真寺」というお寺で創建は慶長3年(1598年)だそうである。これが何を意味するか。それ以前にあった仏寺は悉くキリシタンによって破壊されたという事である。一地域の文化を根こそぎ破壊するという蛮行。豊臣秀吉が伴天連追放令で「前代未聞」「邪法」と言ったのも当然だった。
〇切支丹史観は「信仰を守り抜いた潜伏キリシタン」と美化するが、潜伏以前にキリシタンが何をしたかは言わない。神社仏閣は悉く破壊され、僧侶は迫害された。僧侶達は山や洞窟に隠れて仏像を安置し仏教を守ったそうだ。長崎に於いては「隠れキリシタン」時代の前に「隠れ仏教徒」時代があったのである。
〇イエズス会の伴天連が行った所業は「一地域の伝統文化を完全に破壊し更地にして、その上に『新秩序』を強制する」というワンワールド征略そのままのやり方である。「伴天連其智恵之法を以、心さし次第二檀那を持候」即ち伴天連の妖術=詭弁術や洗脳術を駆使して有力者を洗脳し現地の文化を破壊させた。
〇歴史は現代を映す鏡にもなる。伴天連が行った思想工作は現代ではより巧妙化した形で行われている。露骨な破壊行為だけではなく、巧みに憑依して乗っ取り改竄する工作も行われている。明治以後はむしろ後者の方が主流かもしれない。「伴天連其智恵之法」はハイテク化し、悪い意味で進化し続けている。
〇切支丹史観を作ったのは姉崎正治という宗教学者である。姉崎は神道・仏教・基督教の三教会同や「帰一協会」という露骨な名称の宗教統一運動に関与した。そして何故か仏蘭西政府から「レジオンドヌール勲章」という勲章を授与されている。切支丹史観の製造や宗教ワンワールド運動への褒美だと見ている。
〇一地域の文化の抹殺という前代未聞の破壊行為を行ったキリシタン勢力中心の不公正な歴史観が流布されているのは自然の成り行きとは思えない。「帰一協会」という露骨なワンワールド運動に主導的な立場で関与した姉崎への仏蘭西最高勲章授与で透けて見えるように意図的に広められてきたと考えるべき。
〇「伴天連の妖術使い」と言えば「金鍔次兵衛」という日本人宣教師がいた。金鍔次兵衛は山に潜んだり幕府の役人に化けて潜入したりなど、まるで忍びのような活動をした。切支丹の諜報員として訓練されたのかもしれない。謂わば南蛮流忍者。日本人でありながら裏権力側についた工作員の走りと言えるかも。
〇古人が言った「キリシタン・バテレンの妖術」「伴天連の妖術」とは要するに①言葉巧みに信者を増やす洗脳術②論敵を煙に巻く詭弁術・レトリック③潜入して情報収集や工作を行う諜報術④科学技術の利用等だと考える事ができる。全部現代も行われている事である。金鍔次兵衛は①と③を得意としたようだ。
〇現代はネット空間にも無数の「金鍔次兵衛」がいると言えるだろう。金鍔次兵衛は謂わば対日工作員業界の先祖である。「聖アウグスチノ修道会」という組織の司祭だったらしいが、元々はイエズス会のセミナリヨで学び、マニラにもいたらしいのでイエズス会の諜報訓練を受けたとしても不思議はないと思う。
〇イエズス会は宗教組織という以上に世界中に情報網を張り巡らせた諜報組織でもある。特に近代以降の陰謀の組織や技術はイエズス会に原型があるものが多いと見ている。近代イルミナティはイエズス会士のヴァイスハウプトがイエズス会を真似て作ったし、有力者を思想的に洗脳する手口は今も行われている。
〇切支丹史観を作った姉崎正治が関与した帰一協会(パトロンは渋沢栄一)というワンワールド推進団体の創設者は成瀬仁蔵というプロテスタント牧師である。プロは石屋に近い。成瀬仁蔵は広岡浅子の仲介で三井財閥とも繋がり、大学の敷地の提供を受けたようだ。全体的に石屋・ロス系に近い人脈だと言える。
・明治以降の保守右翼勢力とカルトの関係の素描
http://kokuhiken.exblog.jp/18809720/
※日本の保守右翼について新興宗教との関わりから分析してみたい。
日本の保守右翼勢力は新興宗教との関わりで分類すると、戦後的親米保守は戦後右翼の巨頭笹川良一、児玉誉士夫らが引き入れた統一協会の影響が強く、戦前的反米右翼は玄洋社との繋がり以来大本教の影響が強いと見える。雑誌でいうと「正論」派と「月刊日本」派というところか。
戦後右翼と統一協会・勝共連合の関係はもはやかなり暴露されているが、戦前右翼が大本との絡みで語られることはそれほど多くない。しかし玄洋社黒龍会が大本と友好関係にあったのは事実であるし(「国士内田良平」という戦前的民族派の人々が書いた書籍の中の一章で内田らと大本の出口との関わりが肯定的に取り上げられていことでもわか る。)、それより新しい世代いわゆる革新右翼の北、大川、満川の猶存社「三尊」が雁首揃えて出口を綾部に訪問したり、北の著書の出版費用について北と出口が話し合ったという逸話もある(渡部悌治先生の「ユダヤは日本に何をしたか」参照)。また戦前右翼の一方の大立者にしてフリーメイソン運動家であり大本系世界救世教顧問などもしていた堀川辰吉郎の娘を名乗る女性がアセンションの呼号者であるのも興味深い事実であるがそれは今は置いておく。(しかし戦前右翼の大物がフリーメイソンに協賛していたことは重要である)
戦前的右翼としては大本と並んで国柱会的日蓮主義の影響も強いようである。国柱会の教祖である田中智学の息子の里見岸雄の「国体論」はいまだに一部で読まれているようだ。国柱会信者の日蓮主義者の石原完爾の信奉者は今も多い。愛宕先生が書かれていた「狂信日蓮宗の徒」はこのあたりを指すのではな いかと見ている。また戦後の反米の新右翼は大本系の生長の家の青年政治運動から出てきたことも興味深い。さらにその新右翼誕生に影響を与えた三島由起夫は大本幹部をやめて一派を成した友清天行の著書を読んでいたという。生長の家から出た新右翼の指導者鈴木邦男氏(といっても今は左翼と仲がよく老壮会的カオス状態のようであるが)は著書を読む限り里見岸雄の影響もあるようだ。
以上のように国の伝統のエッセンスすなわち国粋を自認する人たちに伝統とは違う極めて西洋的な一神教性と終末観が強い(つまり西洋の援兵でしかない)「統一協会」だの「大本教」だの「生長の家」だの「国柱会」だのの「新興」宗教の 影が見え隠れする現象は大きな謎である。救国を志した揚げ句新興宗教に救いを見出だす軍人も多かった。大本の浅野和三郎の実兄は高級軍人であった。それどころが国際政経学会理事の赤池濃氏までが大本派生団体の矢野祐太郎の神聖龍神会会員であったことは仰天な事実である。戦前愛国勢力の闇も深い。
その全てを直に見聞体験されてきた渡部悌治先生が記されていた「純正愛国陣営と右翼は違う」というお言葉は重い。結局、右翼と左翼はジロンド派とジャコバン派よろしく対の存在でしかないのだろう。いみじくもそのことは他ならぬ右翼の巨頭児玉誉士夫がGHQに提出した供述書で述べている。いわく「右翼とは本質的に左翼に対抗してできたもの」。「だから反米になる事は無いのだ」という米当局へのこび へつらいの言辞である。媚であるとはいえ、右翼は左翼と対であるとわかってやっているなら児玉はCIAエージェントとして確信犯であった。
https://kokuhiken.exblog.jp/24696280/
〇真言立川流は日本史の闇に蠢く秘密結社のようなものだろう。仁寛という伊豆に流された真言僧が武蔵国立川出身の民間陰陽師に密教を伝授して形成された陰陽道色の強い奇怪なオカルト宗教である。
〇真言立川流は弾圧した伝統仏教側から過剰に貶められており邪教ではないと言う人もいるが、多様な宗派や学派が並び立ち驚異の文化保存力で法相宗や華厳宗のような古代仏教が今に伝わっている日本では、弾圧はあっても通常は完全に消し去るまでは行かない。
〇比叡山から弾圧された道元禅も奈良仏教から糾弾された念仏も今に残っている。そんな中で跡形もなく消し去られたというのは尋常ではない。このような例は他にはキリシタン攘夷くらいではないか。やはり真言立川流は相当当時の倫理道徳に抵触する内容を持つ邪教だったと考えるのが妥当と判断する。
〇真言立川流は一時相当な勢力を張ったそうで南北朝時代には南朝と関係が深かった。後醍醐帝の護持僧で立川流の中興の祖とされるのが文観である。北朝と結び付きが強い高野山の宥快はのちに文観と立川流を徹底批判。この宥快がその後の高野山真言宗の教学を確立したそうだ。
〇弘法大師空海が招来した唐代の真言密教はインドの中期密教でありチベットにあるような後期密教=タントラ密教ではない。見たところ華厳をベースとした硬質な理論性を持った仏教哲学を持ちタントラのような怪しげな要素は見られない。しかし真言立川流はタントラ密教的である。
〇実際チベット密教を評価する者の中に真言立川流にシンパシーを持つものがいるようだ。現代でも南朝正統論とチベットのタントラ密教を同時にかたる奇怪な一派がいたりする。南朝正統論者で大本教が大江山の霊媒修験一派から発祥したと唱える大本系インサイダー筋らしき論者たちもいる。
〇修験は歴史的に天台宗系の本山派と真言宗系の当山派の二系統に組み込まれているが、その枠に組み込まれなかった異形の一派がいたということなのかどうか。このあたりは山のネットワーク、サンカとも関わってきそうだが。
〇異形の修験一派と大本教が連続しているというインサイダー筋の主張は何故か南朝正統論や古代猶太の渡来説とセットである。所謂「南朝正統論」についてだが、神器が南朝にあられた南北朝時代に限っての話ならば分かる。しかし後小松帝以後は男系の御血統と神器の継承が一つの皇統に帰している。
〇南北朝合一につきどのような経緯があったにしろ後小松帝以後は御皇室は御一つであらせられ南朝も北朝もない。南北朝時代史を巡る学術的な議論ならともかく、御小松帝以後の現代に至る時代に於いて南北朝を云々すること自体がナンセンスなのである。
〇それなのに敢えて現代に於いて南朝正統論を言うのは腹に一物ありと思われても仕方ないのではないか。実際の話、南朝正統論の周辺は大日本皇道立教会といい奇怪千万、怪しさ満点である。創価の初代会長はここの出身であり、児玉誉士夫も所属していた。有名な「熊沢天皇」の背後にはGHQがいた。
〇スサノオの末裔「キミヒト」を自称した宗教ペテン師出口王仁三郎は現世の統治者は自分であるべきだと夢想し皇位を伺ったと聞くが、その出口は南朝正統論者だった。確かにいろいろ見ていくと南朝正統論は大本一味周辺からよく出ているのである。
〇大室寅之助が写っているとされた「フルベッキ写真」(実際は佐賀藩士の集合写真らしい)も大本一味が広めた形跡がある。出口家や堀川辰吉郎を中心に近現代史を描 く「堀川史観」の落合完爾氏もフルベッキ写真を幕末の英雄の集合写真だと信じているようだ。
〇大本一味の周辺に蠢くこういった奇怪な話の数々。南朝正統論と異形の修験とくればどうしても真言立川流が連想される。チベット密教に食い込もうとする連中は南朝団体や日猶同祖論周辺に多い。例の緑龍会は大本系の秘密結社という説があり、その説が正しいとしたら、大本とチベット密教が繋がる。
〇奇怪な人脈が蠢いている。とくに陰謀論界周辺に。真言立川流の奇怪な地下水脈いわば日本史上の闇の秘密結社人脈が現代にも存在しているような気がしてならない。が、これはまだまた直感のレベルである。これは今後の探求課題である。
・南朝団体「大日本皇道立教会」は自公政権のルーツ、現代のネット言論の状況と似る戦前の陰謀追及界の実態、「国粋」のつもりが「洋夷」の手先となった平田派以下の陥穽等々。
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1030476839909609472
〇南朝団体「大日本皇道立教会」の会員には創価学会創設者の牧口常三郎(出口王仁三郎と親戚という説も)や児玉誉士夫らがいた。自民党の前身である自由党の結党資金を出したのが児玉なので、ある意味「大日本皇道立教会」は自公政権のルーツと言えるかもしれない。統一・創価・大本の根は同じだと見る。
〇「堀川政略」など、「南朝」は大本系派閥の思想ツールでよく使われるトピックの一つである。南朝側には真言立川流の中興の祖とされる文観という妖僧がいた。真言立川流はクロウリー一派みたいな印度のタントラに影響を受けた西欧のオカルト魔術に通じる面があるので、その辺も多用される原因だと見る。
〇大日本皇道立教会には大本教と組んだ頭山満や内田良平もいた。このように大日本皇道立教会は自公政権の人脈的ルーツの一つであると同時に大本系人脈とも繋がる、今に至る日本国内の裏権力人脈の縮図の観がある。戦後はここに朝鮮半島系の統一が加わった。これが「統一・創価・大本の根は同じ」の意味。
〇日本国内の裏権力人脈は「親米派(グローバリズム派。ロックフェラー系)の統一協会系人脈VS親欧州派(世界連邦派。ロスチャイルド系)」という両建構造だと分析する(※両建でありロス・ロック対立論ではない)。創価は前者と組んでいるが、南朝団体や教祖同士の親戚説など後者との関係もあり得る。
〇TPP、種子法廃止、水道私営化など、数々の壊国政策を推進してきた自公政権は目下日本の最大のガンである。野党側も両建の一角ではあるが、現に与党として壊国を進めている「現行犯」と、これから壊国をやるかもしれない「犯罪者予備軍」なら「現行犯」への対処を優先させるのは当然の事。自公は退場!
〇児玉らに言及したついでに所謂「右翼」について。日本の右翼は戦前から大体において親猶太的だった。大川周明は上海の猶太財閥と関係があったという話もあるし、満川亀太郎は「猶太禍の迷妄」という猶太擁護本まで出した。石原莞爾は猶太利用論者。戦後に台頭する笹川良一もしかりで、児玉はその子分。
〇戦時中にはナチスの影響を受けてにわかに猶太批判者が増えたようだが、右翼は概ね親猶太的傾向だった。なので以前は「親猶太か排猶太か」を見極めのポイントと考えたが、最近はにわかに猶太批判者?が増えてきたので基督教や西洋神秘主義(オカルト)との関係如何も重視な見極めポイントにしている。
〇戦前の猶太批判は一部の本格的な研究を除きナチスの影響による時局便乗か、基督教シンパ、日猶同祖論系(批判と見せて擁護)、オカルトや偽史とのセット売りが多かった。国際政経学会も殆どがそれ。今のネットの猶太批判ブームもその焼き増しに見える。今も昔も基督教やオカルトの同時批判が判断基準。
〇戦後の猶太批判は旧約聖書批判を抜かしたタルムード批判特化型が多い。これは聖書批判ができない西欧の基督教徒の理論の移植の可能性が高いと見ている。この流派では宇野正美氏が代表的論者である。戦前にも「世界攪乱の律法タルムード」という本が紹介されていたが、旧約聖書の批判もなされていた。
〇宮廷猶太人の時代から猶太資本家と基督教貴族や石屋、教会組織は一体である。基督教貴族で石屋のクーデンホーフ=カレルギーの妻は猶太人。「基督教は猶太に乗っ取られた」という主張があるが、猶太教のトーラーを旧約聖書の基幹部分として聖典の一部にしているので「元から」と考えるべきであろう。
〇「右翼」で思い出したので色々書いた。戦前の右翼は概ね親猶太的傾向が強かったので、ツイッターを始めたくらいの頃は「親猶太か否か」で走狗か否かが大体判断できると思っていたが、これ程猶太批判がポピュラーになってくるとそう単純でも無くなった。基督教やオカルトとの関係も考慮すべきである。
〇ポピュラーという事はそれだけ人為的なテコ入れの可能性もあるという事。オカルト被れが急に「ゆだや」言い始めるのはどう考えても「変」。昭和戦前期には猶太批判がある意味で隆盛したが、大体は同祖論やオカルトとセットものが多かった。今はそれの再来の観。当時と同様に本物の鑑識眼が必要な時代。
〇昭和戦前・戦中期はそれなりに猶太やフリーメイソンへの批判が盛んだった。だが、オカルトや基督教、偽史(日猶同祖論、神代史など)とのセットが多かった。今のネット言論の状況はそれに酷似している。陰謀について盛んに語られているが、様々な思想ツールが混入して思考誘導も行われているのである。
〇過去の思想状況を把握しておく事は誘導言説の類に惑わされるのを防止するのに有効である。例えば「日本は白村江の戦の後に唐に占領された」説は八切止夫氏の説と知っておけば別に驚きはしない訳である。偽史をトンデモと馬鹿にしてろくに調べもしない人ほど初めて聞く珍説奇説に引き込まれる恐れあり。
〇出口王仁三郎の猶太論は「ユダヤは神の選民で、艮の金神が道具に使っていられる。ユダヤは悪に見せて善をやるのや。」みたいな擁護論であるし、基督教牧師の酒井勝軍は猶太批判に見せて終いには「天孫民族日本人と神撰民族猶太人の神聖共同統治」などという日猶同祖論的誇大妄想を唱える始末であった。
〇犬塚惟重は親猶太的で戦後は「日猶懇話会」という団体の会長になり日猶同祖論を広めた。山本英輔海軍大将に至っては四国の剣山で「アーク」探しを行っている。こんなのばっかりなのである。二番煎じの現代のネット言論はそれをさらに劣化コピーさせたような代物である。陰謀研究の鑑識眼が必要である。
〇思想工作員が使う思想ツールの原型は戦前戦中戦後を含めた昭和期に大体出揃っている。現代の思想工作員はそれらのネタ元を隠して使い回しているに過ぎない。戦前派の右派カルトは出口王仁三郎や酒井勝軍らのオカルト言説を使うし、戦後派の左派カルトは赤軍派が利用した八切止夫説を使う傾向がある。
〇八切止夫の「白村江の戦の後に日本は唐に占領された」説は氏の「神の徒である日本原住民と仏教徒との戦い」という反仏教史観から考え出されたと思われる。神道系カルトの源流である平田派の世界観に近い。「日本は世界の中心」という自尊史観と「日本は大昔に滅びた」という自虐史観の距離は実は近い。
〇「日本は超古代から世界の中心」という史観と「日本は古代に滅亡した又は占領された」という史観は偽史界の左右両建構造だと言える。前者は戦前派で、後者が戦後派である。極端な自尊と極端な自虐は同根で容易に反転する。仏教を敵視するあまりかえって西洋舶来の基督教に近づくという点も似ている。
〇八切氏によると「源平藤橘」の内、藤原は「藤(とう)」なので「唐」、橘は「橘(きつ)」なので契丹、源氏は「源(げん)」なので「元」、平氏は「平(へい)」なのでペルシャ、らしい。語呂合わせである。日猶同祖論と同じ。八切氏は自説を開陳しただけだが、ネタ元を隠す思想工作員のやり方は悪質。
〇八切止夫氏の説が陰謀追及界隈に広まったのは太田龍氏の影響だと思われる。太田龍氏は時期によって言説が目まぐるしく変わり、その時々で色々な論者を絶賛するので、それを鵜呑みにして影響を受ける人が多かったと思われる。例えば晩年の太田氏の愛読者はデイビッド・アイクの信奉者が多いと推測する。
〇孟子曰く「悉く書を信ずれば則ち書無きに如かず」。何かを読んでも鵜呑みにしてはダメ。陰謀系書籍なら尚更だ。太田龍氏は岡潔や胡蘭成を絶賛した。両氏の著作は文庫で刊行されており内容はまとも。一方で太田氏は法輪功を絶賛した。これは明らかにおかしい。中共と法輪功は両建と捉えるべきであろう。
〇大陸は大東社系の中国共産党に支配され、台湾には英米系石屋で基督教に改宗した蒋介石が率いる国民党がなだれ込んできた。中国文化圏も我が国と同じで真の意味で伝統的な思想家が希少だと思われる。章炳麟が伝統的思想家だったが、国民党幹部出身ながら大陸も台湾も追われた胡蘭成もそうだったのかも。
〇純粋な国風を求めるあまり仏教を過剰に敵視し、かえってキリスト教的世界観に接近し、しまいには西洋の手先になる、という通弊が平田派の昔から存在する。その具体的な表れが廃仏毀釈であり、これは戦国時代の切支丹の所業と同じものであった。国粋のつもりが逆に日本文化を破壊する結果になったのだ。
〇仏教は元から日本人にマッチする思想だと考える。釈迦の父の名「浄飯王(スッドーダナ王)」で分かるように釈迦族は農耕民であり、釈迦の生誕時には「お宮参り」をしたという話が伝わっている(中村元氏の本で読んだ記憶あり)。日本人と似た習俗の中で育った釈迦の思想が日本人に合うのも道理である。
〇既成の文化や異なる考え方を頭ごなしに否定したりはせず、巧みな比喩や方便を用いつつ、やんわりと穏便に、しかも論理的に道理を説いて相手を説得しようとした釈迦の姿勢は日本人の気質に合う。だから神仏習合も円滑に進んだ。日本人の気質に合わない基督教と組んで仏教を破壊するのは本末転倒である。
〇釈迦の直接の教えに忠実な形となると南方の上座部仏教を第一とするが、鴨長明の「仏の教へ給ふ趣は、事にふれて執心なかれとなり」という文に表れているように「認識した対象に執着するなかれ」という仏教のエッセンスは日本に伝わっている。また印度仏教の唯識が生きた伝統なのは今や日本だけである。
〇儒学はどうか。孔子が理想とした周王朝は秦以後の中央集権的王朝と異なり諸侯の自立性が強い封建制である。日本は律令制崩壊後明治まで多元性が強く強力な中央集権制は明治まで成立しなかった。江戸時代も各藩の自治性が強かった。孔子が想定した社会システムに近いのは中国より日本だと思うのである。
〇スッタニパータ506「祀りを行え。祀り実行者はあらゆる場合に心を清らしめよ。祀り実行者の専心することは祀りである。かれはここに安立して邪悪を捨てる。」 507 「かれは貪欲を離れ、憎悪を制し、無量の慈しみの心を起して、日夜つねに怠らず、無量の(慈しみの)心をあらゆる方角にみなぎらせる。」
〇スッタニパータの506と507は神道の考えとしてそのまま通用するような教えである。「貪欲を離れ、憎悪を制し、無量の慈しみの心を起して」つまり「心を清く正しく保ち暖かい気持ちを持つ」という生き方は日本人の気質に適合する哲学である。元から合うので神仏共存・神仏習合が円滑に進んだのも道理。
〇このように釈迦や孔子の教えは日本人の気質に適合するからこそ日本文化の形成に大きく寄与した訳である。合わないモノを無理やり移植した訳ではない。取捨選択しながら主体的に消化したのである。純粋な国風を求めるあまり、仏教や儒学を完全に排除しようとすると逆に日本文化を弱体化させてしまう。
〇永禄8年(1565年)に正親町天皇の綸旨として朝廷から出された日本最初の伴天連追放令は「大うすはらい」と言った。即ち「でうす払い」である。「デウス」なる造物主概念を信仰する徒=キリシタン。明治以後もそのまま「デウス」と表現していれば思想的混乱は生じなかったはず。憑依型戦術にやられた。
〇自尊史観も自虐史観も偏っている。我が国の現状を批判せずしてなす盲目的な日本賛美は逆に壊国に手を貸す事になる。だが、一方で、それに反発するあまり「日本の悪口を言うのが正義」みたいになるのも偏っている。自尊も自虐も避け、悪い所は正し良い所は守るという中道の精神を持って取り組みたい。
〇以前も言ったようにこの「中道」は「中道主義」「どっちつかず」「中間」「ニュートラル」ではない。「道に中る」と書いて「中道」。具体的な状況の中で、道理と事実に適合する適正・中正な判断をし対応する事である。中道の為には良識やバランス感覚を養う必要であると思う。
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〇伴天連追放文に表れた江戸初期の理論家の思想的センスは基督教の影響を受けつつ基督教に対抗するという矛盾を犯した明治以後の多くの思想家と雲泥の差がある。鈴木正三の破吉利支丹も優れた論文である。正三は切支丹は「実有の見」今の哲学用語で「実体観」を起こして妄想分別を増長させると批判した。
〇徳富蘇峰の「近世日本国民史」に伴天連追放文が全文引用されているが、蘇峰は「禁令としては、如何にも陳奮漢だ。而して禁令の理由として、何等さしたる条理もない。」と散々な論評をしている。これが伝統思想を捨てた明治の思想家の感覚である。蘇峰は後に棄教したが、プロテスタントに入信していた。
〇鈴木正三は「キリシタン教ゆるところは、実有の見を専らとして、念慮識情を増長し、天地の作者を造り立て、輪廻の業を重ねて、 是を成仏道とおもへり。」と書いた。実体観を立て観念に執着すると形而上学的な思考が空転し、執着や欲や怒りが増長し悪行為が生じる、という実体思想の核心を突いた批判。
〇「実体を立てる→思考が紛糾する→対象への執着が生じる→欲や怒りが生じる→不当な行為が生じる」という実体観の陥穽を的確に批判するなど江戸時代の思想家のレベルは非常に高い。明治以後は退化したとしか思えない。正三のキリシタン批判は基督教だけでなく、西洋の実体思想全般に通じるものである。
〇鈴木正三は「破吉利支丹」で「近年来るバテレンども更に天道の恐れもなく、私に天地の作者を作り立て、神社仏閣を滅却し、この国を南蛮へ取るべき謀を以て様々虚言して、人をたぶらかす」と伴天連の正体を看破している。「天地の作者」とは基督教の造物主概念である。神仏と全く異なる概念だと分かる。
〇基督教原理主義者と自称グノーシス主義者の性質が似すぎていて笑ってしまう(笑)〇異なる考えに対して怒りが抑えられず執拗に絡む。〇独善的で上から目線な態度等々。不可解なのは彼らは相互に敵視しているはずなのに何故か直接相互に攻撃し合わない事。両方批判する者ばかりを狙ってくる。やはり両建。
〇何故「実有の見(実体観)」を専らにすると執着が増幅するのか。思考と執着は相互因果関係があるからである。思考は言葉・概念を使って行われる。「実体」とは言葉・概念を自存視したもの。したがって「実有の見」に固執し続けるという事は言葉及び言葉を使う思考に執着し続ける事を意味するのである。
〇思考は感覚と同じく対象を持つ(感覚も思考も認識作用)。認識対象には「快・不快・どちらもない」という感情価がある。快・不快の対象を認識すれば欲や怒りが生じる。快・不快の対象を思考し続けると欲や怒りが増幅する。これが正三が「実有の見を専らとして、念慮識情を増長し」と言った意味である。
〇感覚は一瞬のものだが、感覚を受け取り消えた後でも概念を用いて思考しイメージする事でその感覚に対する執着が維持される。また感覚と関係ない思考も必ず対象を持っており、思考すればする程その対象への執着が増幅する。例えば憎い相手が目の前にいなくてもその相手について考えると憎しみが生じる。
〇また執着するから思考するとも言える。自分に都合がいい世界観を作るのは執着があるから。逆に、その世界観について思考する程執着が増す。このように執着が思考を生み思考が執着を生む。過剰な執着を制し道理と事実(理と事)にのみ基づく執着で歪められていない思考だけが真っ当。これも中道である。
〇正三は切支丹が奇跡などの奇特を有り難がるのを「奇特なる事貴きならば、魔王を尊敬すべし。 この国の狐狸も奇特をなす」と批判。そして「仏の六通」とは「眼耳鼻舌身意で何を認識してもその対象に執着しない事」だと言う。原始仏教と同じ考えだ。「正法に奇特なし」と。まことに合理的な考えである。
〇原始仏典に「見たら見たまま、聞いたら聞いたまま、嗅いだら嗅いだまま、味わったら味わったまま、触れたら触れたまま、考えたら考えたままで、客観的な認識で止めて、そこに渇愛と執著を起こさなければそれが解脱だ」という趣旨の文言が繰り返し出てくるが、正三の言う「六通」はまさにこれである。
〇また阿含経典に凡夫と阿羅漢の違いを「二本の矢に刺されるか、一本の矢に刺されるか」という喩えも出てくる。「二本の矢に刺される」とは何かを感受し、その上渇愛・執著を生じて精神的に苦しむ事である。「一本の矢に刺される」とは感受したら感受したままでそこに渇愛・執著→苦を生じない事である。
〇このように鈴木正三の「仏の六通と云ふは、眼に色を見て碍(さは)らず、耳に声を聞いて碍らず、鼻に香をかぎて碍らず、舌に味をなめて碍らず、身に触れてさはらず、法界に在りて万法にさはらずして、鏡に影の移るがごとし」という考えは原始仏教の趣旨と一致する。奇特を否定する合理的な教えである。
〇「切支丹の奇跡崇拝は魔王崇拝と同じ」「狐や狸の化かし合いと同じ」とは本質を突く鋭い批判である。ここで言う「魔王」とは「仏道修行を邪魔する第六天魔王」(織田信長が名乗った事で有名)の事だと思われるが、西欧の「魔王」でも同じである。基督教と悪魔教は表裏一体のもの(両建)だからである。
〇「第六天魔王」とは「仏道を妨げる存在」とされる。仏道修行とは「眼耳鼻舌身意と色声香味触法への渇愛・執著を断ち切る事」。あるいは「色受想行識=五蘊への渇愛・執著を断ち切る事」。即ち認識対象への執着を断つ事。逆に言うと魔王とは「対象に執着を起こさせる者」。謂わば洗脳者。結社員と同じ。
〇自分の頭で考えない事を「思考停止」と言うが実は「思考停止」するのは非常に難しい事である。人間は起きている間は常に思考している(大半はどうでもいい思考)。だから上座部仏教の僧侶は「思考停止したら悟れます」と言う。本当に思考を停止すると執着もなくなるのでそれが「解脱」という訳である。
〇独立的思考をしない事を「思考停止」と言うのはあくまで比喩表現であり、実際は「隷属的思考」「思考誘導」である。本当に思考が停止すると感覚が機能しているだけで余計な欲や怒りが生じないはずである。それに対して洗脳されたりして思考誘導されている状態だとろくでもない思考が空転するのである。
〇好きなもの、嫌いなものを知覚しなければ欲や怒りは生じず心は平穏である。それと同じで好きな対象、嫌いな対象を思考しなければ欲や怒りが増長せず心は平穏である。五感と表象・思考を同じ認識作用として同列に考えている点が仏教の認識論の優れた点だと考える。西洋哲学では感性と知性は峻別される。
〇猶太教徒は「モーセの奇跡」は「神の力によるもの」で同時代のエジプト魔術は「悪魔の力によるもの」とする。基督教徒は「イエスが水上を歩いた」のは「神の奇跡」で、シモン・マグスの術は邪悪な魔術だとする。「同じである」というのが猶太・基督教文化圏外にいる日本人・鈴木正三の客観的な観察だ。
〇スシーマ(須尸摩)という阿含経の相応部経典がある。スシーマという行者が比丘達に仏陀の教えで「過去や未来が見えたり、他人の心が見えたりする神通力が得られるのか?」という趣旨の質問をする。比丘達は「そうではない」と答える。仏陀はスシーマに「五蘊の無常を観じ離貪・解脱する事」を教える。
〇スシーマの比丘達への質問項目の中にに「水上を歩く事」があった。つまり「イエスの奇跡」は印度では只の魔術であった。だから鈴木正三は「奇特を有り難がるのは魔王を尊敬するのと同じ」と言った。モーセやイエスの「奇跡」を有り難がる猶太教徒・基督教徒は客観的には魔王崇拝と全く区別がつかない。
〇「奇特なる事貴きならば、魔王を尊敬すべし」とは「基督教=悪魔教」という言明と捉えてよいであろう。猶太教も同断である。同じ文化文明圏から出てきた同一パラダイムの思想である。所謂悪魔教・悪魔崇拝・サタニズムは猶太・基督教文化圏からしか出てこない代物である。表裏一体、両建の関係である。
〇基督教原理主義者が当方の見解より「自由主義や無神論の方がまだマシ」みたいな事を言っていたが、猶太・基督教圏外からの批判の方が厄介だと思っているのであろう。だからか、基督教原理主義者と西洋神秘主義者は何故か相互に直接対決せず両建批判者を挟撃してくる。これぞ両建の分進合撃だと言える。
(了)
・思想ツールとしての「偽史」、歴史の捏造・隠蔽(切支丹史観など)をまとめて斬る
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1025960789750894594
〇タイムラインで「平家がペルシャ人」という説をちらと見たが、日猶同祖論レベルの話だと思う。平家がペルシャ人ならゾロアスター教徒で、平家の氏神社である厳島神社はゾロアスター教の寺院という事になるが。秦氏が猶太教徒なら秦河勝を祭る大避神社はあり得ない。基本事項のみでおかしいと分かる。
〇陰謀追及界隈では他の事ではまともな事を言う人が、突然日猶同祖論など偽史めいたおかしな事を言い出す場合が多い。元からセットになっている場合もある。「陰謀追及」と言っても何も特別な事ではない。基本的事実をきちんと調べて、仮説が論理的におかしいかそうでないかをチェックするだけである。
〇「偽史」の類は史実の細かい考証をしなくても宗教や思想のほんの基礎知識で反駁されてしまうものが多い。日猶同祖論が典型である。秦氏が猶太教徒なら「人を神として祭る」大避神社はあり得ない。当時のそれらの民族がいかなる宗教を信仰していたかを調べ、その影響が我が国に存在するのかを検討する。
〇ゾロアスター教の影響がない事は無い。阿修羅像がそれである。阿修羅=アスラとはゾロアスター教の主神アフラマズダを印度人側から悪神として見た呼称である。それが仏教に取り入れられて日本に渡来してきたのである。阿修羅はあくまで印度人の視点なので、阿修羅信仰はペルシャ人の信仰とは言えない。
〇また、毘盧遮那仏にアフラマズダの観念の影響があるという説もあるが、ペルシャに特有の光と闇の二元論の影響が見られないので、仮に影響があるとしても釈迦の時代から大分時代が下って仏教徒がダルマ(ダンマ・法)の観念を擬人的に表現しようとした際に単なる名称として借りた程度の事だと思われる。
〇ちょっとした類似点からこじつけて針小棒大に言い立てるのは日猶同祖論の常套手段だが、猶太絡み以外でもよく行われている。確実に言える事を積み重ねていくとその真偽は大体見えてくる。歴史も基本的な知識を軽視すると物凄い表象の世界に飛んで行ってしまう場合がある。宗教や形而上学と同じである。
〇インド人とイラン人は元は同じ民族だったが、分かれて対立したらしい。それぞれの神話が真逆になっているのが興味深い。イラン人のゾロアスター教の光の神とされるアフラマズダがインド人からするとアスラという悪神扱いなのが典型である。仏教ではさらに格下げで仏の護衛扱いとなった。それが阿修羅。
〇平家がペルシャ人ならば、その氏神である厳島神社はゾロアスター教の神を祭っていないとおかしい。ところが、厳島神社の祭神は「宗像三女神」という海に関係する神である。光の神、火を拝む「拝火教徒」の神と「水」に関係する海の神とでは性質が相反するので、平家=ペルシャ人説はやはり変である。
〇ペルシャ人の宗教と言えばゾロアスター教とイスラム教シーア派が想定できるが、イスラム教の影響があるなら堂々としたものだろうから、この可能性は最初から除外して可。モスクがなかった我が国に「回教徒がいた」という想定はあまりに突飛である。ゾロアスター教の影響も前述したような程度であろう。
〇説自体は色々あってよいと思うが、基本的な事項の確認だけでどう考えても成り立ちがたい事がすぐに分かってしまうものばかりである。説自体にロマンを感じ面白いと思う人もいると思うが、吾人はどちらかというとそういう説が次々に出現する現象自体に興味を持っている。戦前から数多くあった事である。
〇「国際縄文学協会」という団体にロスチャイルド家の者が関わっているので、縄文ばかり強調する言説も怪しいと思っている。縄文人の感覚が日本人のアニミズム的感性の根にあるとは思うが、縄文「だけ」強調するのはそれ以後の歴史や文化を全否定する事で遠回しに壊国を側面擁護せんという意図を感じる。
〇「国際縄文学協会」はワールドメイト系の団体である。「名誉顧問」に「エミリー・ロスチャイルド・アトウッド」の名が。『陰謀』業界に「縄文」強調論(縄文以外の日本全否定論)が多いのはロスや新興宗教の影響では?思想ツールの一つと見るべきだろう。
【国際縄文学協会】https://ja.wikipedia.org/wiki/国際縄文学協会
〇縄文強調論にも通じる「日本原住民論」は新左翼の革命理論の一つでもある。太田竜氏も嵌っていたが、これは八切止夫氏のサンカ史観を利用して赤軍派の梅内恒夫という人物がマルクス・レーニン主義に代わる革命理論に仕立てたものである。「復古主義」に見せて日本を丸ごと否定できる思想ツールである。
〇縄文強調論からはかつての日本原住民論と同じ「臭い」がするのである。何よりロスチャイルドが「縄文研究団体」に関わっている事実。「日本原住民を滅ぼした偽物日本など守る価値が無い。縄文の復興を意図するロスチャイルドを筆頭とする国際金融資本に渡すのが真に日本の為」という誘導も可能だろう。
〇八切止夫氏自体は新左翼とは無関係で梅内恒夫が勝手に利用しただけである。とはいえ、八切氏が描く「サンカ」は非常に大陸的な感じがする。一神教的な信仰と秘密結社性が基本で、とても縄文時代以来の自然信仰とは思えないものである。サンカ系と言われる大本一味ら新興宗教勢力に通じる外来臭である。
〇次々に製造される「歴史観」は歴史的事実を明らかにする事より何らかの政治的目的を達成する為の道具である場合が多い。赤軍派の梅内恒夫が作った日本原住民論が典型である。日猶同祖論は戦前以来のロングセラー。偽史は戦前は右寄りのものが多く戦後は左寄りのものが多いが、所詮左右両建同根である。
〇安倍晋太郎は「東日流外三郡誌」という文書に傾倒していた由(渤海の末裔を自認し、「俺は朝鮮人」という発言も)。東日流外三郡誌は一部分しか見てないが、平安時代の武将である安倍貞任がキリスト教的な信仰を述べていて、それだけで非常に胡散臭い文書である事が分かった。
「東日流外三郡誌「安倍次郎貞任遺文」は明治以後の人間が書いたとしか思えない。宗教観がキリスト教的過ぎる。平安時代にありえた世界観ではなかろうし縄文的でもない。明治以後に流入した西洋の知識や宗教観の影響を感じる。
【安倍次郎貞任遺文原漢文】http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tenhito/tenhito2.html」
https://twitter.com/kikuchi_8/status/804090317896986624
〇東日流外三郡誌には明らかにキリスト教的な思想が見えるが、これは八切止夫が描いたサンカ像もしかりであった。この辺は平田派や大本一味にも通じる。これらの思想ツールに一般的に見られる傾向は仏教を敵視する姿勢である。日本の仏教文化は大体全否定される。一方、神道はキリスト教的に改釈する。
〇このように様々に流布される「偽史」の類は思想ツールだと見ている。親子で歴史観が継承されているかは分からないが、安倍一味が日本破壊に全くためらいが無いのは妙な「歴史観」の力が預かっている面もあるのでは?とも想像する。まあ、これは単なる想像。とは言え安倍一味の所業は明確に反日である。
〇公式歴史観「正史」も勝者に都合が良く作られたものなので、政治的な目的を帯びている事は言うまでもない。だからこそ「正史」でないなら「真実だ」と短絡して様々な思想的トラップに引っ掛かったりもする。マスコミ報道が嘘としても、ネットにも嘘が多いのと同じである。大事なのは事実か否かのみ。
〇他ではまともな事を言っている人が思想や歴史に関して明らかに変な事を言っているのを見るとガッカリする。陰謀追及界隈では珍しい事でないとはいえ、残念な事である。しかも、そういう変な説は一般教養レベルで反駁できるものばかりである。陰謀追及上も一般教養レベルの基礎知識はやはり大切である。
〇一応通説とか教科書レベルの知識は押えた上でないとそれらのどこがおかしいかが分からない。いきなり思想トラップ丸出しの変な説に飛びつくのは戦前からある陰謀追及界隈の通弊である。国際政経学会も神代史派やオカルト論者、日猶同祖論者が多かったようだ。実態を知れば知る程ガッカリする事が多い。
〇アイヌの長老がテレビに出ていたのを見たが、アイヌ文化は自然崇拝が基本であれはまさに縄文的な感じがした。ああいう感覚はアイヌ以外の日本人も根底で維持しているものである。だから山とか木、岩を祭る信仰が残っている。だが、大本系など「サンカ」を強調する勢力の思考は非常に大陸的だと感じる。
〇話は戻るが、拝火教について。古い仏典に釈迦が火を祭るバラモンの三兄弟を説得して帰依させた話が出ているが、バラモン教にはゾロアスター教と同じく火を祭る信仰があった事が分かる。この辺にもインドとイランの民族的近さが窺われる。密教の所謂「護摩(ホーマ)」はバラモン教からの影響であろう。
〇思想分野と歴史分野は両方ある程度勉強しておくと陰謀追及上役に立つ事が多い。その道を専一に研究する専門家みたいになる必要はない。日猶同祖論みたいなものでも歴史学的に細かく考証して反証するのは大変だが、「猶太教」という宗教の性質から分析すると一般教養レベルで簡単に反駁できたりする。
〇「日本スゴイ」と「日本シネ」がワンセットという分析は非常に慧眼。空虚な「日本スゴイ」路線と悪意に満ちた「日本シネ」路線の左右両建構造である。前者は「日本スゴイ」と日本を褒めあげる事でTPPや水道私営化を誤魔化して壊国を推進する。後者はストレートに壊国を叫ぶ。左右両建で壊国に誘導。
〇石屋の分類でいうと「日本スゴイ」路線は英国系フリーメイソン、「日本シネ」路線は仏蘭西系フリーメイソンである。褒め上げていい気分にさせる裏で改竄したり乗っ取る手口と、嫌悪と憎悪を掻き立ててストレートに破壊に向わせる手口である。「良い所は守り、悪い所は正していこう」とは絶対言わない。
〇陰謀追及界隈でもたまに見かける「白村江の戦で敗れて以後日本は唐に占領された」というのも元は八切止夫氏の説である。先述のように一部の新左翼が八切史観を革命理論に組み込んだ。オウムのオカルト『陰謀論』も実はこの辺の流れに出自がある。説の由来と来歴を知り相対化しておく方が安全であろう。
〇「平家=ペルシャ人」説もどうやら八切止夫説のようだ。陰謀追及界隈で言われる説のネタ元は八切史観に由来するものが多い。太田龍氏が新左翼時代から傾倒していた模様。平家がペルシャ人なら平家一門が厚く崇敬した厳島神社に何故光や火の神ではなく海に関係する神が祭られているのか説明がつかない。
〇先行する民間史家が唱えた説をあたかも自分の説みたいに言う者達が多くて困る。先人の説ならその由来をきちんと説明するのが言論者としての誠実さではないだろうか。オカルト系論者の唱える「説」は大体戦前からのネタ元があったりする。猶太関係が特に多い。秦氏関係も佐伯好郎のパクリでしかない。
〇各種思想ツールの類は「ネタ元ロンダリング」が施されている場合が多い。これをやるのは、あまり知られていない説なのをいい事に初めて唱えられた奇抜な説のような印象を与える事で通説に疑問を持つ人士を一気に引きつける事が出来るからだと思われる。「きちんと調べる」事が如何に大切かを痛感する。
〇ちなみに伴天連追放之文を起草するなど江戸初期の対キリシタン政策の担当者だった金地院崇伝や南光坊天海は歴史書やフィクションではあまりいいイメージでは描かれない傾向がある。奴隷貿易や神社仏閣の破壊などキリシタン禁教の理由の隠蔽とセットの現象だと見ている。切支丹史観の裏返しであろう。
〇五山の禅僧だった崇伝が起草した伴天連追放文は神道・仏教・儒学の教養を盛り込んだ中々の名文である。これは当時の一流の知識人にしか書けない文章である。一方、天台僧の天海は天台学をはじめ、倶舎論・三論・法相や禅学を修得、足利学校に学ぶなど和漢の学を修めた当時の最高の知識人の一人である。
〇天海が学んだ倶舎論・三論・法相は日本の哲学的思考を培った伝統的な学問である。三論は印度で言うと中観派、法相は唯識である。法相は論理学が併修される。中観の祖・龍樹は帰謬論証法を駆使する最強の闘論家。当時の科学を利用するも根が反知性主義の伴天連が三論と法相を極めた者に敵う道理はない。
〇直接軍隊を送り込んで侵略するのではない場合は現地の有力者を思想的に洗脳して手先にするという手法がとられる。戦国時代にイエズス会が行った方法だが、今も同じである。日本の所謂「上流階級」には基督教徒や石屋が多く、政治屋や人々への影響力があるオピニオンリーダーの類はカルト傘下が多い。
〇先人が言った「伴天連の妖術」とは要するに詭弁術や洗脳術の事。伴天連追放令に「伴天連其智恵之法を以、心さし次第二檀那を持候」とある通りである。これは今も裏権力傘下の思想工作員がやっている。CSISは比喩ではなく文字通り伴天連が創設した。エドマンド・ウォルシュというイエズス会士である。
〇伴天連追放令にある「伴天連其智恵之法を以、心さし次第二檀那を持候」とは詭弁術や洗脳術を用いて思うままに信者を増やした伴天連を描写した記述と解釈できる。思想工作員は詭弁術やレトリックばかり使ってくるが、400年前の伴天連も同じだったと思われる。その伴天連が創設したCSISの手先ばかりだ。
〇長崎で最古の仏寺は「悟真寺」というお寺で創建は慶長3年(1598年)だそうである。これが何を意味するか。それ以前にあった仏寺は悉くキリシタンによって破壊されたという事である。一地域の文化を根こそぎ破壊するという蛮行。豊臣秀吉が伴天連追放令で「前代未聞」「邪法」と言ったのも当然だった。
〇切支丹史観は「信仰を守り抜いた潜伏キリシタン」と美化するが、潜伏以前にキリシタンが何をしたかは言わない。神社仏閣は悉く破壊され、僧侶は迫害された。僧侶達は山や洞窟に隠れて仏像を安置し仏教を守ったそうだ。長崎に於いては「隠れキリシタン」時代の前に「隠れ仏教徒」時代があったのである。
〇イエズス会の伴天連が行った所業は「一地域の伝統文化を完全に破壊し更地にして、その上に『新秩序』を強制する」というワンワールド征略そのままのやり方である。「伴天連其智恵之法を以、心さし次第二檀那を持候」即ち伴天連の妖術=詭弁術や洗脳術を駆使して有力者を洗脳し現地の文化を破壊させた。
〇歴史は現代を映す鏡にもなる。伴天連が行った思想工作は現代ではより巧妙化した形で行われている。露骨な破壊行為だけではなく、巧みに憑依して乗っ取り改竄する工作も行われている。明治以後はむしろ後者の方が主流かもしれない。「伴天連其智恵之法」はハイテク化し、悪い意味で進化し続けている。
〇切支丹史観を作ったのは姉崎正治という宗教学者である。姉崎は神道・仏教・基督教の三教会同や「帰一協会」という露骨な名称の宗教統一運動に関与した。そして何故か仏蘭西政府から「レジオンドヌール勲章」という勲章を授与されている。切支丹史観の製造や宗教ワンワールド運動への褒美だと見ている。
〇一地域の文化の抹殺という前代未聞の破壊行為を行ったキリシタン勢力中心の不公正な歴史観が流布されているのは自然の成り行きとは思えない。「帰一協会」という露骨なワンワールド運動に主導的な立場で関与した姉崎への仏蘭西最高勲章授与で透けて見えるように意図的に広められてきたと考えるべき。
〇「伴天連の妖術使い」と言えば「金鍔次兵衛」という日本人宣教師がいた。金鍔次兵衛は山に潜んだり幕府の役人に化けて潜入したりなど、まるで忍びのような活動をした。切支丹の諜報員として訓練されたのかもしれない。謂わば南蛮流忍者。日本人でありながら裏権力側についた工作員の走りと言えるかも。
〇古人が言った「キリシタン・バテレンの妖術」「伴天連の妖術」とは要するに①言葉巧みに信者を増やす洗脳術②論敵を煙に巻く詭弁術・レトリック③潜入して情報収集や工作を行う諜報術④科学技術の利用等だと考える事ができる。全部現代も行われている事である。金鍔次兵衛は①と③を得意としたようだ。
〇現代はネット空間にも無数の「金鍔次兵衛」がいると言えるだろう。金鍔次兵衛は謂わば対日工作員業界の先祖である。「聖アウグスチノ修道会」という組織の司祭だったらしいが、元々はイエズス会のセミナリヨで学び、マニラにもいたらしいのでイエズス会の諜報訓練を受けたとしても不思議はないと思う。
〇イエズス会は宗教組織という以上に世界中に情報網を張り巡らせた諜報組織でもある。特に近代以降の陰謀の組織や技術はイエズス会に原型があるものが多いと見ている。近代イルミナティはイエズス会士のヴァイスハウプトがイエズス会を真似て作ったし、有力者を思想的に洗脳する手口は今も行われている。
〇切支丹史観を作った姉崎正治が関与した帰一協会(パトロンは渋沢栄一)というワンワールド推進団体の創設者は成瀬仁蔵というプロテスタント牧師である。プロは石屋に近い。成瀬仁蔵は広岡浅子の仲介で三井財閥とも繋がり、大学の敷地の提供を受けたようだ。全体的に石屋・ロス系に近い人脈だと言える。
・明治以降の保守右翼勢力とカルトの関係の素描
http://kokuhiken.exblog.jp/18809720/
※日本の保守右翼について新興宗教との関わりから分析してみたい。
日本の保守右翼勢力は新興宗教との関わりで分類すると、戦後的親米保守は戦後右翼の巨頭笹川良一、児玉誉士夫らが引き入れた統一協会の影響が強く、戦前的反米右翼は玄洋社との繋がり以来大本教の影響が強いと見える。雑誌でいうと「正論」派と「月刊日本」派というところか。
戦後右翼と統一協会・勝共連合の関係はもはやかなり暴露されているが、戦前右翼が大本との絡みで語られることはそれほど多くない。しかし玄洋社黒龍会が大本と友好関係にあったのは事実であるし(「国士内田良平」という戦前的民族派の人々が書いた書籍の中の一章で内田らと大本の出口との関わりが肯定的に取り上げられていことでもわか る。)、それより新しい世代いわゆる革新右翼の北、大川、満川の猶存社「三尊」が雁首揃えて出口を綾部に訪問したり、北の著書の出版費用について北と出口が話し合ったという逸話もある(渡部悌治先生の「ユダヤは日本に何をしたか」参照)。また戦前右翼の一方の大立者にしてフリーメイソン運動家であり大本系世界救世教顧問などもしていた堀川辰吉郎の娘を名乗る女性がアセンションの呼号者であるのも興味深い事実であるがそれは今は置いておく。(しかし戦前右翼の大物がフリーメイソンに協賛していたことは重要である)
戦前的右翼としては大本と並んで国柱会的日蓮主義の影響も強いようである。国柱会の教祖である田中智学の息子の里見岸雄の「国体論」はいまだに一部で読まれているようだ。国柱会信者の日蓮主義者の石原完爾の信奉者は今も多い。愛宕先生が書かれていた「狂信日蓮宗の徒」はこのあたりを指すのではな いかと見ている。また戦後の反米の新右翼は大本系の生長の家の青年政治運動から出てきたことも興味深い。さらにその新右翼誕生に影響を与えた三島由起夫は大本幹部をやめて一派を成した友清天行の著書を読んでいたという。生長の家から出た新右翼の指導者鈴木邦男氏(といっても今は左翼と仲がよく老壮会的カオス状態のようであるが)は著書を読む限り里見岸雄の影響もあるようだ。
以上のように国の伝統のエッセンスすなわち国粋を自認する人たちに伝統とは違う極めて西洋的な一神教性と終末観が強い(つまり西洋の援兵でしかない)「統一協会」だの「大本教」だの「生長の家」だの「国柱会」だのの「新興」宗教の 影が見え隠れする現象は大きな謎である。救国を志した揚げ句新興宗教に救いを見出だす軍人も多かった。大本の浅野和三郎の実兄は高級軍人であった。それどころが国際政経学会理事の赤池濃氏までが大本派生団体の矢野祐太郎の神聖龍神会会員であったことは仰天な事実である。戦前愛国勢力の闇も深い。
その全てを直に見聞体験されてきた渡部悌治先生が記されていた「純正愛国陣営と右翼は違う」というお言葉は重い。結局、右翼と左翼はジロンド派とジャコバン派よろしく対の存在でしかないのだろう。いみじくもそのことは他ならぬ右翼の巨頭児玉誉士夫がGHQに提出した供述書で述べている。いわく「右翼とは本質的に左翼に対抗してできたもの」。「だから反米になる事は無いのだ」という米当局へのこび へつらいの言辞である。媚であるとはいえ、右翼は左翼と対であるとわかってやっているなら児玉はCIAエージェントとして確信犯であった。