・中国人住民が半数を占める埼玉の団地「ガラスの共生社会」のリアル(DIAMOND ONLINE 2018年9月25日)

室伏謙一:室伏政策研究室代表・政策コンサルタント+ 

※中国人の住民が半数以上を占め、かつては「チャイナ団地」と揶揄された埼玉県川口市のUR川口芝園団地。中国人住民が増え始めた当初はさまざまなトラブルも目立ったが、現在は外国人住民との「共生」に成功している。しかし、外国人住民との共生は微妙な均衡で成り立つものであり、容易なものではない。(取材・写真・文/室伏政策研究室代表、政策コンサルタント 室伏謙一)

外国人材受け入れと称し「移民政策ではない」と否定しているが…

中国人住民が半数以上を占める埼玉県川口市のUR芝園団地

政府は、「骨太の方針2018」で、「一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材に関し、就労を目的とする新たな在留資格を創設することとし、外国人材の受入れを更に進めていくこと」とし、数十万人規模で単純労働分野での外国人労働者の受け入れを進めていくとした。

これを受けて、7月24日、政府は「外国人の受入れ環境の整備に関する業務の基本方針について」を閣議決定し、関係府省が連携して受け入れ環境を整備していくとしている。

政府はこうした一連の政策を「外国人材受入れ」と称し、「外国人材受入れ」は「移民政策ではない」と否定しているが、こちらの都合で日本に呼んできて、用が済んだら帰ってくれるというものでもない。そもそも生産性向上の美名のもとでコストすなわち人件費の削減(もっと言えば生産性向上や成長率といった目先の数字作り)のために呼んできているというのが本音なのだから、これを継続させるためには、あれこれと口実を作って居させ続けなければならないことになる(実際関連する政府の公文書の中にはしっかりと「抜け道」が書かれている。この段階で既に「抜け道」というより「バイパス」と呼んだ方がいいかもしれない)。

そもそも、彼らは外国人材という名の労働者であると同時に、日本に暮らす生活者でもある。つまり、居住期間は数年なのかそれとも10年以上なのか、半永久的なのか、それぞれではあるが、生活の本拠を日本に置くわけだから、紛れもなく移民である。これが数十万人単位で日本に入ってきたらどうなるか、想像を絶するものがあろう。

安易に安直にグローバル社会を叫び、共生社会は実現可能、共生社会は時代の流れだと説く「専門家」やグローバリストやアイデアリストたちがいるようだが、それは設計主義者の描く机上の空論にすぎないと言い切ってしまって構わないだろう。

そうした中で外国人住人との共生が、現状では比較的上手くいっている地区がある。埼玉県川口市にあるUR川口芝園団地(以下、芝園団地)である。

2005年頃からさまざまな問題が発生

同団地の外国人住民との共生社会形成に向けた取り組みは、団地の自治会を中心に進められ、これを企画し、主導した自治会役員の岡崎広樹氏は、日本青年会議所が主催する第32回人間力大賞で総務大臣奨励賞を受賞された。

筆者は今回の人間力大賞選考委員を務めた経緯もあり、岡崎氏を訪ね、実際に現場を案内してもらうとともに、その実情や今後の展望についてお話を伺う等の現地調査を行った。本稿ではその結果に基づき、わが国における外国人との共生社会の在り方について検討してみたい。

芝園団地は、1978年(昭和53年)に日本住宅公団(現在の独立行政法人都市再生機構)が整備した大規模団地である。地上15階建ての、当時としては高層の集合住宅が屏風(びょうぶ)のように立ち並ぶ大規模団地で、竣工当時は庶民の憧れの住宅だった。都心まで30分程度という利便性も手伝って、入居募集の競争率も高かったようだ。

団地内には小中学校(現在はいずれも統合または廃校)も設置され、また、一部の建物の1階には中小規模の商店が入居し、ひとつの街を形成していた。小中学校が設置されていたことからも明らかなように、当初は幼い子育て世帯が多かったようで、小中学校のPTA活動等を通じて自然と住民間のつながりも生まれていったようだ。

これが、子どもたちが成長し、高校進学に伴って家族全体で他の地域へ引っ越したり、大学進学や就職で子どもたちが団地を出て行ったりしたことで、居住人口が減少。利便性と家賃の手頃さ、さらに保証人不要といった好条件も手伝って、そこを埋めるように中国人が居住するようになった。

芝園団地には、1997年の段階で既に200人程度の中国人が居住していたが、その属性は大学教員や中国系企業の役員等で、地位も収入もある中国人が中心で、居住可能人口約5000人に対して4%程度であった。

これが、2005年頃には1000人に増加、寮として活用する中国企業まで現れ、その頃から中国人住人に起因するさまざまな問題が発生するようになっていったようだ。

ゴミの投げ捨て踊り場での排泄が問題に

かつて中国人住民の一部が糞尿をしていた階段の踊り場

具体的には、ゴミを部屋の窓から投げ捨てる、階段の踊り場で大便や小便をする、ゴミ捨て場に分別を無視してゴミを捨てる、粗大ゴミを置いていく、団地内の広場で夜中に爆竹を鳴らし、注意に来た日本人住人に暴力を振るう等だ。

こうしたことはマスコミを通じて広く知られるところとなり、「チャイナ団地」と揶揄されたり、まるで中国人に占拠されているかのように面白おかしく紹介したりする記事まで登場するようになっていった。

そうした報道やネットの情報を受けてか、「汚い民族中国人帰れ」、「泥棒大国=中国」といった、団地内に勝手に入り込んだ部外者によるものと思われる落書きが、団地内の公共スペースのテーブル等に見られるまでになっていった(住民によるものとの憶測もあったようだが、そもそも住民が毎月支払う共益費で購入・整備し、維持管理をしている公共スペースのテーブルに落書きをするとは考えにくいのみならず、文句があれば直接行動に出るはずであり、筆者が写真で確認した落書きの筆跡等を考慮しても、外部の者が反中国住民感情に便乗して行ったものと考えるのが自然であろう)。

中国人住人に起因する問題は、当然のことながら日本人住人との軋轢(あつれき)を激化させ、2011年にはついにそのピークを迎える。

芝園団地の自治会、URおよび川口市の3者による協議が行われることとなり、中国語の通訳を常駐させることとなった。

中国人住民は既に半数の2500人超

現在、中国人住人の数は既に半数の2500人を超えている。彼らの属性は東京都内の企業に勤務するサラリーマンであり、ほとんどが大卒以上の学歴を持ち、収入も一定以上である。あえて“上から目線”の言い方をさせてもらえば、比較的に「質のいい中国人たち」である。

例えば、某大手コンサルティング会社の社員が、1年間の長期出張で来日し、芝園団地に住んでいるといった例もある。したがって決して、有象無象が居住し、昼間でも団地に近づくのは危険といったような極端な状況ではない。

実際、現地調査に際して筆者が訪れた団地内の中華料理店では、筆者以外は全員中国人客であったが、特段騒々しい感じもなく、雑然とした様子もなく、不衛生でもなく、家族連れや友人同士で食事を楽しんでいた。日本のどこでも見られるようなごく普通の光景と同じである。

窓からのゴミの投捨てをやめるよう呼びかける貼り紙

ただ、中国人が多く住み、日本人住民とのコミュニケーションは円滑にいっていないということだった。

そもそも住民同士のコミュニケーションは日本人住民同士であっても希薄になってきており、それが日本人と中国人住民となれば、なおさらコミュニケーションは成立しにくい。日中両住民によるコミュニティーができにくいのは、ある意味当然だろう。

一昔前であれば、先にも述べたとおり、団地内に小中学校があったので、親同士のつながりを通じて自然とコミュニティーが出来上がっていった。それが、現在の住人は子育てが終わった高齢の日本人と若い中国人というのでは、彼らの間にコミュニケーションが成立することはほぼ考えられない。たまたま同じ地区に住んでいるというだけで、地縁的なものの形成など、夢のまた夢。

しかも、中国人住人は転勤(本国へ帰還)や都内のより住環境のいい地区への引越しで2~3年で入れ替わってしまうことも多くなってきている。その数は数百人単位である。

また、中国人住人は若い夫婦だけで来日し、芝園団地で子どもを産み育てるという場合、子育てを手伝ってもらうために中国から両親や親戚を一時的に呼び寄せることが多い。そうした両親や親戚は日本の生活を全く理解しておらず、勝手がわからないので、中国(多くは吉林省等の旧満州出身とのこと)と同じように生活してしまい、それが先述のように問題化してきたというのが実情のようだ。

両者の「接点」を作っていくことが重要

中国人の子どもの中には流暢に日本語を話す子どもも少なくなく、むしろ中国語が話せないために中国語講座に通わされているほど、という話もある。そうした子どもの親たちは、高校進学に当たってはより良い教育環境を求めて都内へ引っ越していく。

そうなれば、残るのは日本語に不自由な中国人住民。そもそも中国人住民同士も横のつながりがあるわけではない。また、日本の生活習慣を知らず、日本語も全く話すことができない中国人も増え、そうした人がいる世帯は孤立する傾向にあるという。

生活習慣が異なり、コミュニケーションが成立しない人が近隣に、同じ地区に一緒に住めば、問題は起きやすい。 

かつてテーブルに書かれていた中国人住民を中傷する落書き
かつてテーブルに書かれていた中国人住民を中傷する落書き

なぜならば、両者の生活習慣、もっと言えば、「当たり前」が異なるし、それを知ることすら困難だからだ。日本人住民と中国人住民の違いが増えれば増えるほど、問題は顕在化する一方、両者の距離は離れていく。

 別の言い方をすれば、誰が悪いわけでもなく、意図的に問題とされる行為をしているわけでもない。普通に暮らしていたら違いが明らかになっていった、というだけのことだ。

 両者が共生できる環境を創出するためには、両者の「接点」を作っていくことが重要だ。しかし、「接点」は放っておいて自然にできるものではない(これまでに放っておいて自然発生的に出来上がったのは、嫌悪や対立だった)。加えて、日本人住民に高齢者が多くなれば、なおさら接点は作りにくくなる。

「接点」となる交流の場をどう作ったか

こうした状況を踏まえ、オランダで移民との共生の実態について調査をした経験を持ち、芝園団地の自治会役員も務める岡崎氏が、試行錯誤を繰り返しつつ徐々に「接点」を作り出していった。

学生が企画・主導し、日中両住民が共同して落書きされていた共用スペースのテーブルと椅子を塗り替えたもの
落書きされていた共用スペースのテーブルと椅子を、学生が企画・主導し、日中両住民が共同で塗り替えた

そして同氏の音頭で実施され、中国人住民の一部も参加した単発の行事に、同氏の呼びかけを受けて参加した東大生2人が、岡崎氏と連携しつつ「芝園かけはしプロジェクト」を開始。地道にさまざまな大学の学生に声をかけて部員を集め、現在は4年目に入り、代表を務める東大生のほか、慶應大、早稲田大、埼玉大等から30人程度の学生が参加している。岡崎氏いわく、こうした学生たちが来てくれたおかげで、「接点」となる交流の場作りができたそうである。

こうした場には、交流会等の近くで話をするような機会のみならず、一緒に何かを作る機会を通じて交流する「概念的交流」も含んでいるとのこと。

前者の例としては、自治会との数ヵ月にわたる議論の末に開催が決定された、持ち寄りの食事会がある。後者の例としては、落書きされた共用スペースのテーブルとベンチを日中両住民が共同で塗り直し、そこに日中両住民の子どもたちがさまざまな色の手形を押すというものがある。

一緒に作り上げ、協働の記憶を形にして残す、これがコミュニケーション、さらには関係構築の土台となっていく。

その後、自治会には中国人住民から一人が役員として参加するようになり、両住民の多様な交流の場を企画し、実施する「芝園多文化共生クラブ」も両住民の参加により発足した。

外国人との共生は極めて微妙な均衡で成り立つ

今回案内・説明してくださった芝園団地自治会役員の岡崎広樹氏

順風満帆にいっているように見えるが、芝園団地における外国人との共生はこれまでの苦労の積み重ねのみならず、極めて微妙な均衡の上に成り立っていると言っていい。その均衡を辛うじて成り立たせている要素の1つでもなくなれば、均衡はもろくも崩れてしまうだろう。

その要素とは、繰り返しになるが、芝園団地に住む中国人のほとんどが大卒以上で、都内の企業に勤めるサラリーマンであり、ある程度収入があること。

一言で言えば、中国人住人に一定以上の知的水準が担保されていることだ。これに加えて、中国人住民の数と日本人住民の数がほぼ均衡しており、周辺地域も含めれば、当然のことながらに日本人住民の数の方が多いことも重要な要素である。芝園団地のこれまでの経緯からも明らかなように、人が増えれば増えるほど問題が顕在化しやすくなり、場合によっては住民同士の衝突にまで発展する可能性も高くなる。

岡崎氏の案内で筆者が現地を調査した際には、団地内には、注意を喚起する中国語の張り紙は掲示されていたものの、敷地内でかつてあったようなゴミの投げ捨てや階段の踊り場等での糞尿といったものは見られなかった。

しかし、中国人住民の数が現状以上に増加し、住民の入れ替わりも頻繁になり、日本の生活習慣を全く解しない親族が多数住むようなことになれば、かつての問題が再発する可能性も否定できない。

また、団地のゴミ捨て場についても、以前と比べて分別等も整然と行われるようになったようだ。その一方で、家具や電化製品等の不法投棄が後を絶たないようで、筆者が訪れた日にも大型ソファから数台の洗濯機、外国製とみられる輸出入に使用される大きな木箱等が、堂々と投棄されていた。

もっとも、団地住民のゴミ捨て場での行動を見る限りでは、これらの不法投棄は団地に住む中国人住人によるものとは限らず、埼玉県内のみならず、東京都内も含めた周辺地域に居住する外国人や日本人が、ある種便乗して不法投棄したものも含まれているのかもしれない。

とはいえ、中国人住民のさらなる増加と質的変化により、この状況が悪化する可能性は十分ある。

中国人住人の数が一定数を超えたら
話ができなくなった

芝園団地のある住人は、「中国人住人の数が一定数を超えたら、話ができなくなった」と言っていたという。まさにトマス・エリオットが、「あるリージョナルコミュニティにある速度以上で急激に外国人が入ってくると、そのコミュニティーは崩壊する」としていたのを彷彿とさせる。

要するに、芝園団地の現状は、まれで“特異な例”であり、この事例をもって成功と持ち上げて他の地域に当てはめることは不可能だし、芝園団地で成功しているから、外国人材、もとえ移民が入ってきても、皆の努力で共生社会が実現できると考えるのは、明らかな間違いであるということだ。

国は受け入れ環境を整えるとしているが、芝園団地でのこれまでの試行錯誤を見れば、そんな単純で簡単なものではない、画一的にどうこうできるものではないことは明らかであろう。しかも、流入してくる移民が単純労働者ということになれば、芝園団地の共生社会の微妙な均衡の重要な要素である、外国人住民の知的水準の高さは担保されないことになる。

 外国人=悪であると言いたいのではない。

一定の規模以上で、生活習慣の異なる外国人が一気に入ってくれば、違いが明らかになり、そこには容易にコミュニケーションは成立しえず、共通の経験も意識も生まれえない。

そんなことを微塵も考えない、外国人材受け入れという「美名」の下で着々と進められる“移民政策”は、わが国に「百害あって一利なし」の愚策以外のなにものでもなく、即時やめるべきである。