・憲法改正論議の呼びかけは、憲法違反ではない」異例の政府答弁書を読む

2017年2月15日

http://www.magazine9.jp/article/rikken/32208/

※憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。

「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」

そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、現在進行形のさまざまな具体的事例を、
「憲法」の観点から検証していきます。

例年繰り返される、憲法改正論議の呼びかけ

内閣総理大臣は、国会の慣例によって毎年1月に召集される通常国会の冒頭、その1年の取り組み方針を政策項目ごとに述べます。これを施政方針演説といいます。施政方針演説は、召集の日に行われることが多く、衆議院、参議院それぞれの本会議場で、同一の演説内容で行われます。
 
安倍総理はこれまで6回、施政方針演説を行っています。過去の演説を改めて検証してみると、2013年を除く計5回、憲法改正に関して言及しています。



※国会会議録検索システムより、発言をそのまま抜粋。

2013年、「言及なし」が一度だけあります。この年は、7月に参議院議員選挙が控えていたため、いわゆる「安倍(的保守)色」を封印して、安全運転の政権運営を以て、選挙の勝利を導こうとした思惑があったと言われています(⇒選挙の結果、自由民主党は31議席増となり、歴史的大勝を収めました)。しかし、翌2014年以降になると態度が一変し、その後一貫して、憲法改正論議を堂々と呼びかけているのです。
 
何より着目すべきは、ことし(2017年)の発言です。「憲法審査会」という衆議院、参議院の常設機関を直接、名指ししているからです。内閣総理大臣は憲法上、行政権を司る内閣の首長であることは間違いありませんが(66条1項)、立法権を司る国会、つまり衆議院、参議院の運営等に関して、内閣、内閣総理大臣には何の権限も認めていません(権力分立の原則)。「憲法審査会」をどのように運営していくかは専ら、各議院の裁量に属する事項です。
 
憲法改正に対する安倍総理の執着心は、すべての議員が知るところであり、特段珍しくもないというのが率直な受け止めかも知れません。しかし、憲法改正論議の呼びかけは、年々自制が利かなくなり、露骨さを増してきています。今や、一人の政治家としての意見の表明を超えた「悪しき容喙(ようかい)=口出し」であり、国会の権限を侵害する(憲法違反)に至っているというのが私の認識です。

ようやく出た「質問主意書」

そんな中、逢坂誠二衆議院議員(民進党・無所属クラブ)が先月23日、「内閣総理大臣が国会に対して憲法改正の議論を促すことのできる根拠に関する質問主意書」と題する、興味深い質問主意書を内閣に提出しました。以下1~5のとおり、安倍総理の演説の問題点を的確に指摘しています。少し長いですが、目を通してみてください。


(質問1)内閣総理大臣が、国会に対してどのような根拠によって憲法改正に関する議論を促す権限を有しているのか。根拠法とともに、その権限を持つ理由について具体的に示されたい。

(質問2)内閣総理大臣は、行政府の長であり、何らかの国会の議論のあり方を促すのは、三権分立の観点から適切ではないと思われるが、政府はどのような見解を持っているのか。具体的に示されたい。

(質問3)本発言は、内閣総理大臣としての安倍晋三氏の立場で行われたのか。あるいは、平成28年10月5日の参議院予算委員会でいうところの「自民党の総裁の立場としては、既にこの憲法改正草案が、これは谷垣総裁当時に自民党で議論を重ねた末取りまとめられたわけでございますが、自民党に対しましては総裁として、この草案の下にまとまってしっかりと憲法審査会において議論してもらいたいということは話をしております」と表明しているところの、自民党総裁である安倍晋三氏の立場で行われたのか。政府の見解を示されたい。

(質問4)安倍総理は、平成28年10月5日の参議院予算委員会で、「憲法審査会はなぜつくられたかということでございますが、まさに憲法を審議する場において、これはつくられたわけでございます。私は、ここに立っておりますのは、行政府の長として、今回政府として提出をした補正予算、そして、あるいはまたこの補正予算に関わる法案等々についてここで答弁をする義務を果たしていくわけでございまして、憲法につきましてはまさに国会において議論をしていく、衆議院、参議院で発議をする、責任と誇りを持って発議をされる」と答弁しているが、行政府の長である内閣総理大臣が本発言で「憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と促すことは、「衆議院、参議院で発議をする、責任と誇り」を傷つけ、「行政府の長として」「答弁をする義務を果たすこと」に反しないか。政府の見解を示されたい。

(質問5)憲法は、国家権力の監視と抑制を行う規範であり、改正発議は議会がその自由意思で「責任と誇りをもって発議」するべきものであり、行政府の長である内閣総理大臣が議論を促すべきものではない。憲法は国家権力の濫用を縛るものであり、縛られる対象である行政府の長が自らその内閣総理大臣としての施政方針演説の中で規範の改変を促すことは、明らかに則を越え、三権分立に反するものであると考えるが、政府の見解を示されたい。

 
逢坂議員は、質問主意書の提出を通じて、安倍総理の権力分立原則違反を厳しく指弾しようとしています。(質問4)で指摘していることは、平成28年10月5日の参議院予算委員会に出席した安倍総理が、「予算に関しては自分(内閣)に責任があるが、憲法改正に関することは国会が決めることで、自分にはその権限がない」と、逃げの答弁を行ったことが、ことし1月の施政方針演説における憲法改正論議の呼びかけと、矛盾した態度とみられることです。そもそも、権限がない者による呼びかけは、法的には無効であると評価されるはずです。
 
逢坂議員の質問に対し、安倍内閣は先月31日、以下のような「答弁書」を決定しました。


〈質問1及び質問2について〉
 
御指摘の「憲法改正に関する議論を促す権限」及び「何らかの国会の議論のあり方を促す」の意味するところが必ずしも明らかではないが、内閣総理大臣は、憲法第63条の規定に基づき議院に出席することができ、また、国会法(昭和22年法律第79号)第70条の規定に基づき、内閣総理大臣が議院の会議又は委員会において発言しようとするときは、議長又は委員長に通告した上で行うものとされている。
 
議院の会議又は委員会において、憲法第67条の規定に基づき国会議員の中から指名された内閣総理大臣が、憲法に関する事柄を含め、政治上の見解、行政上の事項等について説明を行い、国会に対して議論を呼び掛けることは禁じられているものではなく、三権分立の趣旨に反するものではないと考えている。

〈質問3から質問5までについて〉
 
御指摘の「内閣総理大臣が本発言で「憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と促すことは、「衆議院、参議院で発議をする、責任と誇り」を傷つけ、「行政府の長として」「答弁する義務を果たすこと」に反しないか」及び「規範の改変を促す」の意味するところが必ずしも明らかではないが、御指摘の施政方針演説は安倍内閣総理大臣が行ったものであり、1及び2についてでお答えしたとおり、議院の会議又は委員会において、憲法第67条の規定に基づき国会議員の中から指名された内閣総理大臣が、憲法に関する事柄を含め、政治上の見解、行政上の事項等について説明を行い、国会に対して議論を呼び掛けることは禁じられているものではなく、三権分立の趣旨に反するものではないと考えている。

 
いかがでしょうか。この内容に頷けますか?
 
国会議員の中から指名された内閣総理大臣が(憲法67条1項)、衆議院、参議院の要求に応じて委員会等に出席し、答弁している限りでの話であるから(同63条)、憲法上問題はない。これが、答弁書に示された、内閣の言い分です。
 
しかし、逢坂議員の質問とは、論点がズレてしまっていて、きわめて不明瞭です。そもそも、63条、67条1項は、権力分立に関する総括的な規定ではありません。それぞれ、国務大臣等の議院出席・答弁義務、内閣総理大臣の指名議決の件を定めているにすぎず、国会と内閣の関係性を解くための一般法理を導くことはできないのです。どう寝転んでも、63条、67条1項の解釈から、内閣総理大臣が衆議院、参議院の委員会、本会議で憲法改正論議の呼びかけを行うことの「合憲性」は引き出せません。
 
仮に、この「論理」を用いるならば、「各地の高等裁判所は、一票の較差問題に関して、違憲無効判決を下すべきではない」「沖縄県が辺野古の埋め立て承認を取り消した件につき、処分を撤回するよう、裁判所は毅然と判断すべきである」といった意見を、裁判所に対して呼びかけることも憲法上問題ないということになってしまうでしょう。
 
逆の言い方をすれば、内閣総理大臣による憲法改正論議の呼びかけ等、どの程度、どのレベルに達すれば権力分立の趣旨に反することになるのか、その限界事例のようなものを、内閣(法制局)はぜひ、統一見解として示してもらいたいものです。
 
逢坂議員は早速、質問書を再提出したようです(今月1日)。安倍内閣は次に、どのような言い訳を重ねてくるのでしょうか。

権力分立原則を一気に瓦解させた、安倍内閣

安倍内閣は間違いなく、権力分立の原則を瓦解させています。

政治の日常で起きている憲法問題を見逃しそうになってしまいます。メディアが垂れ流すニュースの洪水に、つい呑まれそうになってしまいます。しかし、憲法施行70年という節目にあたる今年、主権者である私たちがしっかりと目を光らせ、立憲政治の軌道を守っていかなければなりません。