・「国体化」した対米従属が日本を蝕んでいる 米国は日本を愛しているという妄想(東洋経済オンライン 2018年5月6日)
※自発的な対米従属を続ける、世界に類のない不思議の国・日本。この呪縛を解くカギは国体にあるという。『国体論』を書いた京都精華大学人文学部専任講師の白井聡氏に詳しく聞いた。
日本の行き詰まった状況を説明
──なぜ今、国体論なのですか。
今の日本の行き詰まった状況を首尾一貫して説明しうる、最有力の概念が国体なのだと考えている。
失われた20年あるいは30年といわれるように、日本が長い停滞から抜け出せないのは、なぜなのか。「国体化」した対米従属が社会をむしばんでいるからだ。世界に類を見ない歪(いびつ)な形で、つまりその支配の事実を否認しつつ対米従属をしていることが、社会を腐らせた。
──米国に妄想を抱きつつですか。
米国は日本を愛しているとの妄想に戦後日本の体制は依存している。それは、言葉遣いに端的に表れる。代表的なのがトモダチ作戦や思いやり予算。情緒的な言葉遣いが日米関係の公的な場でも多用される。日米関係は特別であり、打算的な関係で仲よくしているのではなく、真の友情に基づいているとのイメージをまき散らす。
──「米国崇拝」と「天皇崇敬」に相似性があると。
「戦前の国体」における天皇と臣民の関係に、日米関係が似てきた。大日本帝国においては、神の子孫である天皇が国民を赤子として慈しみ、愛してくれている、何とありがたいことか、だから天皇陛下のために死ぬのは当然であり、日本人の幸福だ、という「世界観」が国民に強制されていた。
──それが「戦前の国体=天皇」から「戦後の国体=米国」へ移行したのですか。
「戦前の国体」は1945年の敗戦で壊されながらも、米国を頂点にする「戦後の国体」として再建された。日本は米国の懐に抱かれているというイメージが形作られ、世界に類を見ない日本の対米従属の特殊性が生まれた。愛されているという妄想に基づいて米国に従属している国は日本以外にない。
──好んで従属?
ほかの国は遺憾なことだと感じ、少しでも自由になりたいという意思を持っている。ところが、平均的な日本人にはそういう認識も意思も皆無だ。
一昨年末に訪日したプーチン大統領にもズバリ言われている。独立国でありたいという意思ぐらいは持っているのかと。意思さえもないのではないか。そういう国とは領土問題などまじめに交渉できない、と彼は示唆した。
結果、ロシアは返還する意向だった歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)にまで開発の手を伸ばすと最近言い出した。敬意を払うに値しない属国だと見切られている。こんな無残な状態を作り出しているのが、対米従属を中核にした統治システム「戦後の国体」だ。
──本書を今上天皇の「お言葉」から始めています。
「戦後の国体」は、事実上、ワシントンをピラミッドの頂点に置くシステムだ。今日、米国が日本人にとって精神的な権威にもなっている。そのとき日本の天皇の存在には何の意味があるか。もういらないということになる。日本人は気づかないままに、そういう精神状況を作ってしまった。そんな状況下で「お言葉」は発せられた。
対米従属問題は天皇制に行き着く
「お言葉」の中で、天皇とは単に日本国の象徴ではなく、国民統合の象徴だと何度も強調された。それは現に統合が崩れているからだ。仮に日本国民が統合を維持ないし再建する意思をもはや持たないのならば、統合の象徴もありえない。もう一度現在の統合の状態を見つめてほしいという呼びかけでもあったと考えられる。
──統合が壊れているとの認識が前提なのですね。
「失われた時代」によって社会が疲弊し、統合は壊れた。そこから再起できないのは、社会構造の歪みのためであり、その歪みは「戦後の国体」によってもたらされている。だから、「お言葉」は天皇自身による天皇制批判でもあった。
日本の対米従属の特殊性の問題は天皇制の問題に行き着くと『永続敗戦論』以来考えてきた。米国が“天皇化”すれば、日本の天皇の居場所はどこにあるのかが、必然的に問題になる。そんな状況が表面化してきた中で、「お言葉」は出てきた。思い切った行動には驚きもしたが、同時に、起こるべくして起こったとも思っている。
──驚きとは。
内容は考え抜かれたものだった。戦後の天皇制、あるいは民主主義社会における君主制一般が、今後の社会の中でどのような形でポジティブな意味で存続できるのか。そこまでを射程に入れた思い切った発言だった。言葉は穏やかなのだが、にじみ出る雰囲気から何か非常に激しいものを感じた。その激しさはたぶん現状への憤りではなかったか。天皇の言葉が特別な重みを持ってしまうのは、今が歴史的に見て国難の時代だからだ。
日本には独立する意思が足りない
──「戦後の国体」は日米安全保障体制が裏打ちしている?
「戦後の国体」の物理的基礎は日米安保体制にある。だが、軍事的属国化が奇形的な対米従属を必然化するわけではない。たとえば同じく敗戦国のドイツは、主体性を保っている。日本の対米従属の本質は、独立国たらんとする意思がないことだ。意思がないのは、従属していると思っていないからだ。
従属を無意識下に追いやったのは、あの戦争の死者に対するやましさゆえかもしれない。鬼畜米英、一億火の玉と言っていたのに、スムーズに米国の占領を受け入れた。その変節を正当化する物語が必要とされた。
米国と対立して殺し合いをしたのは「不幸な誤解」だった。マッカーサーはじめ米国人は私たちに敬愛の念を持っている。戦争は一部の頭のおかしい軍人がしたことだから、私たちは変節していない──そういうストーリーが無意識的に形成された。
──日本人には今や国家観も乏しいのですか。
国家も人間組織の一つだが、ほかの組織との決定的違いは、暴力行使の権限を持っていることだ。言い換えれば、国家から「暴力」、つまり警察と軍隊を引き去ると国家ではなくなる。
ところが、日本人で国家の本質は暴力だと理解している人は少ない。国家とは本来恐ろしいものなのだ。だが日本人は、国家は優しく包み込んでくれるものだと思っている。国体というと、何かおどろおどろしいイメージを想起させ、戦前の怖い国家体制を連想させるかもしれないが、むしろだからこそ、思い出さなければならない。
※自発的な対米従属を続ける、世界に類のない不思議の国・日本。この呪縛を解くカギは国体にあるという。『国体論』を書いた京都精華大学人文学部専任講師の白井聡氏に詳しく聞いた。
日本の行き詰まった状況を説明
──なぜ今、国体論なのですか。
今の日本の行き詰まった状況を首尾一貫して説明しうる、最有力の概念が国体なのだと考えている。
失われた20年あるいは30年といわれるように、日本が長い停滞から抜け出せないのは、なぜなのか。「国体化」した対米従属が社会をむしばんでいるからだ。世界に類を見ない歪(いびつ)な形で、つまりその支配の事実を否認しつつ対米従属をしていることが、社会を腐らせた。
──米国に妄想を抱きつつですか。
米国は日本を愛しているとの妄想に戦後日本の体制は依存している。それは、言葉遣いに端的に表れる。代表的なのがトモダチ作戦や思いやり予算。情緒的な言葉遣いが日米関係の公的な場でも多用される。日米関係は特別であり、打算的な関係で仲よくしているのではなく、真の友情に基づいているとのイメージをまき散らす。
──「米国崇拝」と「天皇崇敬」に相似性があると。
「戦前の国体」における天皇と臣民の関係に、日米関係が似てきた。大日本帝国においては、神の子孫である天皇が国民を赤子として慈しみ、愛してくれている、何とありがたいことか、だから天皇陛下のために死ぬのは当然であり、日本人の幸福だ、という「世界観」が国民に強制されていた。
──それが「戦前の国体=天皇」から「戦後の国体=米国」へ移行したのですか。
「戦前の国体」は1945年の敗戦で壊されながらも、米国を頂点にする「戦後の国体」として再建された。日本は米国の懐に抱かれているというイメージが形作られ、世界に類を見ない日本の対米従属の特殊性が生まれた。愛されているという妄想に基づいて米国に従属している国は日本以外にない。
──好んで従属?
ほかの国は遺憾なことだと感じ、少しでも自由になりたいという意思を持っている。ところが、平均的な日本人にはそういう認識も意思も皆無だ。
一昨年末に訪日したプーチン大統領にもズバリ言われている。独立国でありたいという意思ぐらいは持っているのかと。意思さえもないのではないか。そういう国とは領土問題などまじめに交渉できない、と彼は示唆した。
結果、ロシアは返還する意向だった歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)にまで開発の手を伸ばすと最近言い出した。敬意を払うに値しない属国だと見切られている。こんな無残な状態を作り出しているのが、対米従属を中核にした統治システム「戦後の国体」だ。
──本書を今上天皇の「お言葉」から始めています。
「戦後の国体」は、事実上、ワシントンをピラミッドの頂点に置くシステムだ。今日、米国が日本人にとって精神的な権威にもなっている。そのとき日本の天皇の存在には何の意味があるか。もういらないということになる。日本人は気づかないままに、そういう精神状況を作ってしまった。そんな状況下で「お言葉」は発せられた。
対米従属問題は天皇制に行き着く
「お言葉」の中で、天皇とは単に日本国の象徴ではなく、国民統合の象徴だと何度も強調された。それは現に統合が崩れているからだ。仮に日本国民が統合を維持ないし再建する意思をもはや持たないのならば、統合の象徴もありえない。もう一度現在の統合の状態を見つめてほしいという呼びかけでもあったと考えられる。
──統合が壊れているとの認識が前提なのですね。
「失われた時代」によって社会が疲弊し、統合は壊れた。そこから再起できないのは、社会構造の歪みのためであり、その歪みは「戦後の国体」によってもたらされている。だから、「お言葉」は天皇自身による天皇制批判でもあった。
日本の対米従属の特殊性の問題は天皇制の問題に行き着くと『永続敗戦論』以来考えてきた。米国が“天皇化”すれば、日本の天皇の居場所はどこにあるのかが、必然的に問題になる。そんな状況が表面化してきた中で、「お言葉」は出てきた。思い切った行動には驚きもしたが、同時に、起こるべくして起こったとも思っている。
──驚きとは。
内容は考え抜かれたものだった。戦後の天皇制、あるいは民主主義社会における君主制一般が、今後の社会の中でどのような形でポジティブな意味で存続できるのか。そこまでを射程に入れた思い切った発言だった。言葉は穏やかなのだが、にじみ出る雰囲気から何か非常に激しいものを感じた。その激しさはたぶん現状への憤りではなかったか。天皇の言葉が特別な重みを持ってしまうのは、今が歴史的に見て国難の時代だからだ。
日本には独立する意思が足りない
──「戦後の国体」は日米安全保障体制が裏打ちしている?
「戦後の国体」の物理的基礎は日米安保体制にある。だが、軍事的属国化が奇形的な対米従属を必然化するわけではない。たとえば同じく敗戦国のドイツは、主体性を保っている。日本の対米従属の本質は、独立国たらんとする意思がないことだ。意思がないのは、従属していると思っていないからだ。
従属を無意識下に追いやったのは、あの戦争の死者に対するやましさゆえかもしれない。鬼畜米英、一億火の玉と言っていたのに、スムーズに米国の占領を受け入れた。その変節を正当化する物語が必要とされた。
米国と対立して殺し合いをしたのは「不幸な誤解」だった。マッカーサーはじめ米国人は私たちに敬愛の念を持っている。戦争は一部の頭のおかしい軍人がしたことだから、私たちは変節していない──そういうストーリーが無意識的に形成された。
──日本人には今や国家観も乏しいのですか。
国家も人間組織の一つだが、ほかの組織との決定的違いは、暴力行使の権限を持っていることだ。言い換えれば、国家から「暴力」、つまり警察と軍隊を引き去ると国家ではなくなる。
ところが、日本人で国家の本質は暴力だと理解している人は少ない。国家とは本来恐ろしいものなのだ。だが日本人は、国家は優しく包み込んでくれるものだと思っている。国体というと、何かおどろおどろしいイメージを想起させ、戦前の怖い国家体制を連想させるかもしれないが、むしろだからこそ、思い出さなければならない。