※「決裁文書を改ざんするとは驚きだ」という声をよく聞く。しかし、30年以上官僚をやっていた私から見ると、決裁文書の改ざんは、確かに稀ではあると思うが、決して驚くことではない。特に、今回の改ざんについては、官僚たちが置かれた環境とその心理から見ると、むしろ、さもありなんという印象だ。
このコラムが配信される翌日には、佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問が行われるので、そこで、佐川氏が正直に真実を話せばかなりいろいろなことがわかるが、その場合であっても、それをそのまま鵜呑みにすることはできない。嘘をついていなくても、一つの事実を立場が違う人間が見ると、違って見えることはよくあるからだ。
ましてや、刑事訴追の恐れを理由に、佐川氏がほとんど喋らなければ、真相解明はほとんど進まないという可能性も十分にある。
そこで、今回のコラムでは、いずれの場合でも役に立ちそうな役所の文化と掟に関する情報を皆さんに提供することにしたい。
■改ざんに走らせる役所と「掟」
官僚の世界には、独特の文化としきたりがある。役所特有のものもあれば、他の組織にもあるが役所において特にその傾向が強く出るというものもある。これらのうち、今回の改ざんとその原因となった国有地不当値引きに関連すると思われるものをごく一部ではあるが、いくつか紹介してみよう。
まず、役所には、問題が起きた時に上に責任を押し付ける者は「無能」の烙印が押される文化がある。逆に上の責任をうまく回避させつつ自分も何とか生き延びるのが最も賢い部下である。
ただし、実際には、部下が上司に責任を「それとなく」押し付けようとすることはよくある。責任のなすりつけ合いだ。現場によって、その時々で、様々な上司と部下の駆け引きがなされている。今回の改ざんでもそういうことがあったはずだ。そのため、誰に本当に責任があるのかを見極めるのは、非常に難しくなる。
次に、役所では、責任逃れのための“知恵”、つまり悪知恵を働かせるのが頼もしい部下だという文化がある。部下が、上司に「君も“悪”だなあ」と言わせれば上出来だ。その意味では、上司の責任が問われるような事態が生じたときは、出世を望む官僚にとっては腕の見せ所になる。
今回の文書改ざんでも、部下からいろいろな悪知恵が出された可能性がある。ただし、それらは、全てがうまく行ったときにだけ、褒められることであって、失敗に終われば、ただの「猿知恵」で終わるだけでなく、その責任を問われることになる。
また、これは役所に限らないことだが、組織防衛と個人の責任に関する厳然とした掟がある。仮にある時点で、その組織の誰もが避けられない選択であると認めた行為であっても、一つ悪事を働けば、その後は、それを行った現場の人間が第一の責任者にされることだ。ひとたび「組織のために」悪事を働けば、その後は、「自分の身を守るために」悪事を重ねる「負のスパイラル」に陥ることが不可避だ。その行為は組織のためという大義名分をかざしながら、同時に自己保身目的で行われるという二重の性格を持つ。
そして、組織は、都合が悪くなれば、「自己保身のために行った」という名目で、現場の人間を切りに来る。しかし、多くの場合、現場の人間はそれに気づくのが遅れる。気づいたときは、自分だけが悪者になっているのだ。
さらに、役所独特の上下関係のしきたりがある。それは、キャリア(国家公務員1種試験合格者)とノンキャリア(2種と3種試験合格者)、本省採用と地方採用、年次・役職の順位という階層社会の存在だ。
上に対して忠誠を尽くせば、それは必ず人事上の待遇で見返りが与えられるのは、他の組織と同じだが、役所では、特に本省のキャリアに対して命がけの忠誠を尽くすこと、いわゆる泥をかぶる覚悟を示せば、財務局採用(財務省本省で採用されるのではなく、地方支部である地方財務局独自で採用され、基本的にその財務局の中で昇進していく役人)のノンキャリ職員でも退職後の天下りを含めてかなりの厚遇を受けられる。本省採用のノンキャリア職員も同様だ。
なお、地方の財務局のトップには本省からキャリア官僚が派遣されるが、特に、近畿財務局は地方財務局の中では最高ランクにあり、悪くても局長確実と言われる人が来る。近畿財務局の職員としては、下にも置かぬ扱いをしなければならないし、逆にその局長にうまく取り入ることができれば、人事上の厚遇が期待できる。
また、上下関係と言えば、年功序列の意識が他の民間企業などよりもはるかに強いのも役所の特色だ。「1年違えば虫けら同然」という言葉がそれを物語っている。管理職と課長補佐以下では雲泥の差だ。
最後に、霞が関の中で、財務省は他の役所に比べて一格上の存在だという暗黙の了解がある。他の役所同士はライバルとして競争しているが、財務官僚は、無条件でその上に立つという意識が今でも残っている。彼らから見ると、他省庁の役人は、財務省に入れなかった落伍者という意識だ。
今回、財務省が国会に提出した決裁文書と異なる文書を発見した国土交通省が、財務省にそれを連絡してコピーを渡した後、財務省が元の文書がないと国会に言い続けるのを黙って見ていたのは、安倍官邸への忖度もあるが、財務省に逆らうことをためらう空気もあった可能性がある。
■勲章をもらえる行為がトカゲのしっぽ切りで終わる悲劇
今回の森友のケースでは、森友学園に破格の安値で土地を売却する時点で、近畿財務局は本省の指揮下で動いていた。さらに言えば、本省の指示で「嫌々ながら」無理をした可能性も高い。
また、本省の判断には、昭恵夫人の関与が大きな影響を与えていたことは、明らかだ。
それを端的に物語るのが、「財務省より格下の経産省」の「ノンキャリ」の「課長補佐」級に過ぎない下っ端官僚である谷査恵子氏(当時、昭恵夫人秘書)が「格上の財務省」の「キャリア」の「管理職」である田村嘉啓氏(当時、財務省理財局国有財産審理室長)に対等に問い合わせをしていたことだ。このように省の格差、キャリア・ノンキャリアの格差、年次・役職の格差三つを乗り越えて対等に話をするということは通常ではありえない。そんなことをしようとしただけで、「お前はバカか?!」ということになる。
その問い合わせに田村氏が丁寧に回答したのだとしたら、二重、三重の驚きである。この事実を見れば、非常に大きな力が背後で働いたと考えざるを得ない。官僚100人に聞けば、ほぼ100人全員がそう言うだろう。
昭恵夫人が関わっているとなれば、準総理案件だから、ことの顛末は詳細に次官まで報告されていたと考えるのが自然だろう。もちろん、官邸にも総理秘書官を通じて逐一報告して了解を求めたはずだ。
そう考えると、最初の安値販売は、その時点では、それはあくまで、安倍総理、あるいは昭恵夫人のためであり、しかも、それは組織としてもやむを得ない選択として事務方トップの了承ないし指示があって行われたと見るのが最も自然だ。つまり、その責任は財務事務次官や官邸にある可能性が高いと言える。
しかし、これらの報告・了承・指示についての文書はないか、あっても開示される可能性は極めて低い。官僚の上層部は簡単にリークしたりしないし、極めて慎重に動くから、そもそもメモを作っていなかったり、作っても本当に破棄していたりする。したがって、この点はうやむやになる可能性が高い。
問題を複雑にするのは、役所では、1年、2年で頻繁に人事異動があり、一つの案件が多くの人の手によって行われることである。例えば、佐川氏が批判の対象となるのは当然であるが、一方で、佐川氏を悪の権化のようにとらえるのは的外れだ。それは、麻生大臣や安倍総理の責任を問えということではない。事務方でも、もっと責任が重い人間がいるという意味だ。
なぜなら、問題の核心は、森友学園に不当に割安の価格で土地を売却したことであり、この売却を決めた時、佐川氏はまだ理財局長ではなかった。決めたのは、その前任者である迫田英典氏である。佐川氏は、その後に理財局長に就任し、在任中にこの問題が発覚して、前任者の尻ぬぐいをするという気の毒な立場に置かれたのだ。
この問題に最初に気づいたとき、佐川氏には二つの選択肢があった。前任者の過ちを公に認めて、自分の手を汚すことを避けるか、前任者を庇って自ら共犯者となり不正を隠ぺいするかである。佐川氏は後者を選んだ。これは、どんな組織でもありがちなことだ。自分だけいい子になって責任を逃れるのは簡単だが、それをやると、組織に対する忠誠心を疑われ、上司の評価が下がる可能性があるからだ。
特に、森友のケースでは、不正を明らかにすれば、次官に睨まれるだけでは済まない。安倍総理の恨みを買い、次の人事でクビ(勇退)になると佐川氏は考えただろう。しかも、そのリスクはほぼ100%確実と言っても良い。逆らった者は徹底的に潰す。それが安倍政権の特色だからだ。
一方、隠ぺいした場合、野党に追及され、マスコミの批判を受けるかもしれないが、国会では安倍1強の状況だし、メディアも親安倍と反安倍が拮抗している。安倍政権下では、国会で黒を白と言っても通るのをたびたび目にしてきた佐川氏から見れば、隠ぺいで逃げ切りという選択にかけた方が、まだ自分の出世の可能性が残ると考えたとしても、不思議ではない。現に、彼は、安倍政権を守ろうとした功績もあって、その後無事国税庁長官に昇格できた。ここまでは、佐川氏の狙った展開だった。
■佐川氏は本当に極悪人か?
私の経験から言えば、佐川氏が隠ぺい路線を採ることを決めた時、前任の迫田氏に事実関係の確認と今後の方針についての相談を行った可能性が極めて高い。迫田氏はもちろん隠ぺい路線に賛成しただろうし、彼がそれを勧めた可能性も十分にある。
また、佐川氏は、官房長や次官にも当然相談していると思う。なぜなら、安値販売について、佐川氏は全く責任がないので、次官などに相談するのにためらう必要はないからだ。さらに、次官に相談しておけば、いざというときに庇ってもらうことができるという計算もしたはずだ。
その際、上に責任を押し付ける態度を取れば「無能」の烙印が押される文化があるということは前に述べたとおりだ。局長くらいの幹部クラスが次官に相談する時は、「次官、どうしましょうか」という白紙の相談はしない。それでは、責任を次官に丸々押し付けることになる。次官がのみやすい対応策を自分の側から提案するのが常識だ。おそらく、「すでに不当な安値販売をしてしまったので、それを認めれば財務省の責任を問われます。安倍総理夫妻のことを考えれば、どう考えても隠ぺいするしかありません」という提案を佐川氏側からしたと考えるのが自然だ。そして、「これは、私限りの判断で行います」と言えば最高の模範解答になる。次官は、「知らなかった」ことにできるからだ。
ただし、それは表向きの話で、裏では、次官は極力佐川氏を守る義理があるということになる。やくざの世界と同じ構造だ。
次官が仮にこれを知ったとして、この時麻生財務相に話をしたかどうかだが、これは微妙だ。次官と麻生氏との個人的関係や、次官から見たその時点における安倍・麻生の距離感などによって、どちらの可能性もあるとは思う。
ただし、安値販売の顛末の詳細はともかく、文書の中に国会議員や昭恵夫人の名前が入っていて、これが削除されたということは、次官が大臣に報告した可能性は高い。後に政局にもなりかねない問題だから、これを自民党第2派閥を率いる麻生大臣に報告しておかないと、後でわかった時に、「役所の問題だと考えました」という言い訳が通用しないからだ。
こうして佐川理財局長が隠ぺいの方針を固め、確信犯として「知らぬ存ぜぬ」路線を貫くことになると、困るのは現場の近畿財務局である。国会における自分たちのトップの言動と自分たちが記録した内容が異なり、板挟み状態に陥る。ただし、本省の指示で行ったとはいえ、近畿財務局自身が安値販売に手を染めた実行犯だという負い目もあるから、改ざんに強く反対できない。悪いとはわかっているが、もはや後戻りできないということでやってしまったのだろう。
財務省は、今、「全て佐川が悪い」という新たな路線での意思統一を図り、それで何とか切り抜ける作戦だ。しかし、省内や近畿財務局の関係者には、安値販売に手を染めた者、そこにはかんでいないが改ざんに携わった者、何の責任もない者など様々な立場の役人がいる。こういうときは、亀裂が生じてリークが出やすい。
おそらく、本省幹部は、夏の人事に向けたアメとムチの作戦で何とか組織に対する忠誠心を維持できると読んでいるだろうが、果たしてそれが功を奏するのかどうか。
失敗すれば、財務省崩壊につながる大惨事になる。
国民から見れば、財務省崩壊で真相解明につながるのであれば、望むところなのだが…。