・「ヒラ社員も残業代ゼロ」構想の全内幕

官製ベア・残業代ゼロ・解雇解禁の「点と線」(東洋経済ONLINE 2014年5月26日)

 

記者 「Aタイプの労働者は、労働基準法の労働時間規制の適用除外になるのか」

大臣 「民間議員の提案で、検討はこれから。詳細を民間議員から伺ったわけではない」

記者 「労働時間と報酬は峻別するとある。でも適用除外でないのか」

大臣 「法改正が必要か否かは、厚生労働省で詰めていただきたい」

 

4月22日の19時前。東京・霞が関の中央合同庁舎8号館の講堂で、予定より30分遅れで始まった記者会見の壇上。経済再生担当相の甘利明の顔には、ちぐはぐな答弁を余儀なくされたことへの困惑の色が、ありありと浮かんでいた。

質問が集中したのは、この日の経済財政諮問会議・産業競争力会議合同会議で、産業競争力会議雇用・人材分科会主査である長谷川閑史(経済同友会代表幹事)の名前で提出された、説明資料についてだった。

この「長谷川ペーパー」に、6月に改定される成長戦略への反映に向け1年間議論が重ねられてきた、官邸の雇用戦略の全貌が示されるとみられていた。この日のペーパーでは、労働時間と報酬のリンクを外す「新たな労働時間制度」を創設するとして、Aタイプ(労働時間上限要件型)とBタイプ(高収入・ハイパフォーマー型)が提示された。

詰めかけた記者たちが一様にその内容をつかみかねて、首をひねっていたのが、Aタイプだ。

労働基準法では1日8時間、週40時間の法定労働時間を超える残業や休日・深夜労働をした労働者に、企業は割増賃金を払う必要がある。甘利は言を濁したが、字面を素直に追えば、本人の希望と労使合意があれば、対象者はこの労働時間規制の適用が除外され、「残業代ゼロ」になると読み取れる。

問題は、その対象者は誰なのか、そして労働時間規制に代わる最低労働条件はどう法で定められるのかという、肝心要の点について、まるで触れられていないことにある。

「子育てや親の介護などを余儀なくされる労働者に向くのでは」

長谷川は会議で対象者のイメージをこう語ったが、それが特に要件とされているわけではない。ペーパーの冒頭では、働きすぎや過労死、「ブラック企業」の問題から労働基準監督の重要性まで五月雨式に触れられているが、いかにもバランスを取るための後付け感が強い。

 

「岩盤規制」の雇用に目を付けた経産省

成長戦略に盛り込むには、具体的な制度設計が必要となる時期にもかかわらず、この日のペーパーが甘利が答弁に苦しむような曖昧模糊としたものになったのには理由がある。

そのおよそ2週間前、4月9日に開催された産業競争力会議雇用・人材分科会。会議では「多様な正社員(限定正社員)」と「解雇の金銭解決制度」について議論されたが、実は分科会の開催前、内閣府副大臣の西村康稔、厚生労働副大臣の佐藤茂樹を中心に関係者が集まり、西村の部屋で非公式な会合を持った。議題となったのは、22日の合同会議で初めて議論されたことになっている「新たな労働時間制度」である。

この場で関係者に示された長谷川ペーパーの「原案」には、あいまいさのかけらもなかった。現在の労働時間制度は工場労働者を想定した仕組みであり、ホワイトカラーには適さない、それに代わる新たな労働時間制度として「スマートワーク」なるものを創設するというものだ。

このスマートワークでは、対象者の範囲に業務や地位の限定を設けず、本人の同意と労使の合意に委ねることで、幅広い労働者の利用を可能にするとしている。実際そこで図示された対象者のゾーンには、「ヒラ社員」の最末端、つまり新入社員まで含まれている。本人の同意と労使合意さえあれば、どんな業務内容の新入社員でも労働時間規制が及ばず、残業代なし、深夜・休日割り増しなしで働かせることができる。

現状でも経営者と一体的な立場にある「管理監督者」、専門職や企画職で適用される「裁量労働制」では、労働時間規制は原則適用されない。また第1次安倍政権の2006~07年当時議論された「ホワイトカラー・エグゼンプション」のように、管理職など一定の層の労働者を労働時間規制の適用除外とする構想が、議論の俎上に載ったことはある。

だがこのスマートワークのような、およそすべての労働者をその対象とする提案は初めてだ。昨年12月に出された産業競争力会議雇用・人材分科会の提言でも、労働時間規制の緩和に関しては、まずは年収1000万円以上の専門職を対象に導入を検討するとされており、原案はそこから大きく逸脱するものだ。ただ、非公式会合の出席者からは、原案を問題視する声は上がらなかった。

会合では原案の読み上げこそ長谷川が行ったが、その後の出席者からの質疑への対応を一手に引き受けたのは、経済産業省経済産業政策局長の菅原郁郎、このスマートワーク構想の発案者である。

民主党政権時の財務省に取って代わり、安倍政権下の主要会議の事務局を取り仕切る経産省だが、こと雇用問題に関してはこれまであからさまに乗り出してはこなかった。

昨年3月、競争力会議がやはり長谷川の名で出し、「再就職支援金の支払いとセットでの解雇(解雇の事前型金銭解決)」などの内容で波紋が広がったペーパーも、経産省OBの原英史(政策工房社長)と経済同友会政策調査第1部長の菅原晶子(現・日本経済再生総合事務局参事官)の合作であり、経産省本体はタッチしていない。

それが今回は一転、経産省の筆頭局長の菅原自らがこの「原案ペーパー」を片手に、起案した産業人材政策担当参事官の奈須野太と連れ立って、3月半ばすぎから官邸関係のほか、経済団体など各界上層部への根回しに奔走している。

昨年末に念願の産業競争力強化法が成立し、今後のアベノミクスの浮沈は株価動向に懸かっていることを痛感する経産省。「とにかく外国人投資家受けする政策を」と探し回った結果、農業、医療など「岩盤規制」がある分野の中でも、最も出遅れている雇用に目をつけた。

菅原が動く最初のきっかけとなったのは、経団連からの陳情だ。前任の製造産業局長時から、規制色の強い民主党政権の雇用政策への不満を経済界から吸い上げていた菅原に対し、経団連幹部は分科会が提示した年収1000万円以上が要件となると、会員企業のほとんどが利用できず、これでは意味がないと訴えた。

後のBタイプにつながる、「外資の為替ディーラー」をイメージした「年収1000万円要件」は、官邸内でも財務省筋からの提案だ。

昨年9月、競争力会議課題別会合の国家戦略特区ワーキンググループで、大阪大学招聘教授で座長の八田達夫は、特区内の一定の事業所で、解雇規制の緩和や労働時間規制の適用除外を認めるべきと提言したが、「解雇特区」「残業代ゼロ特区」と批判され、撤回を余儀なくされた。このことが教訓となり、制度実現に持ち込むにはまずはハイレベルキャリアモデルに絞り込もうとなったのだ。

これならば、かつてホワイトカラー・エグゼンプションを労働政策審議会が答申したという建て前上、厚生労働省や連合も説得できると踏んでのことだ。財務省らしい収束プロセスをにらんだ手堅い手法だが、収まりがつかないのが経産省だ。

経産省としては経団連からの陳情をもっけの幸いと、投資家受けするインパクトのある案を模索し、スマートワークをブチ上げた。だが実現に向けネックとなったのが、郵政改革を進めた元首相の小泉純一郎のような、強烈な推進役の不在である。

官製ベアを受け入れた経団連も及び腰

首相の安倍晋三と周囲は、ホワイトカラー・エグゼンプションの挫折が第1次政権のつまずきのきっかけとなっただけに、慎重な物言いを崩さない。行政改革担当相の稲田朋美は存在感が皆無。菅原を引き上げた甘利も、労働相経験もあってか雇用規制の緩和には積極的ではない。

陳情した経団連も、自ら矢面に立つつもりは決してない。

 

昨年10月、経済界、労働界の代表を集めた政労使会議の場で、安倍は居並ぶ企業経営者に賃上げを強く要請した。この日以来、各経済団体や企業経営者による賃金のベースアップへの言及が相次ぎ、3月の春闘一斉回答日でも大手企業が軒並み6年ぶりのベースアップを回答した。

この「官製ベア」の実績を引っ提げて、安倍は自民党の首相としては13年ぶりに連合主催のメーデーに出席。「企業収益が賃金につながっていくことが大切」と、引き続き賃上げを要請していくとアピールした。

官邸に十二分に花を持たせたのだから、次こそ念願の「残業代ゼロ」をと、手ぐすねを引く経団連だが“安全運転”の方針は徹底している。

3月に規制改革会議が実施した「公開ディスカッション」で、労働時間規制の緩和が議論された折も、経団連常務理事・労働法制本部長の川本裕康は独自の説明資料を用意せず口数も少なかった。あくまで緩和を主張する規制改革会議案に対する賛意表明にとどまった。

「首相指示」が下され規制緩和は不可避に

強烈な推進役が不在では、スマートワークをこのまま公表することは得策ではない、と判断した菅原が着目したキャッチフレーズが、「女性の活用」である。

経済界から、より使い勝手のよい「残業代ゼロ」制度を求められたというより、柔軟な働き方を望む子育て世代や親介護世代の女性の活用のため、という建前のほうが、世間体はもちろん、女性の活用推進に深くコミットする安倍以下、官邸の受けもはるかによい。そこで2週間の突貫工事でスマートワークから作り替えたのが、冒頭のAタイプというわけだ。

聞こえのよさを獲得した一方、失われたのがわかりやすさと、これを積極的に導入する意義である。

「育児・介護の事情がある世帯のニーズは、労働者の方々にも非常に満足度が高いフレックスタイム制の活用で実現できる」

そもそも無理筋の建前である女性の活用推進という点を、強調すればするほど、厚労相・田村憲久のこのある種至極まっとうな批判に、対応できなくなってしまう。

経済界側にしても、経産省の手法に完全に賛同しているわけではない。くしくもAタイプが発表されたのと同じ4月22日、経済同友会はJFEホールディングス社長の馬田一が委員長を務める雇用・労働市場委員会の提言の発表を予定していた。

事前の案内によれば、労使双方にメリットのある「労使自治型裁量労働制」の創設を提言するとあり、少なくとも新入社員まで残業代ゼロになるスマートワークとは一線を画するものであったことは間違いない。

ところがその5日前に急きょ延期が発表された。関係者によれば、長谷川の意を受けた同友会事務局が馬田にスマートワークについて提言に入れるよう求めたところ、到底同意できないと馬田が激怒。長谷川と馬田の間も険悪になり、やむなく延期になったとされる。

 

「時間ではなく成果で評価される働き方にふさわしい、新たな労働時間制度の仕組みを検討していただきたい」

それでも22日の会議の最後に、安倍が発したこの一言は大きい。この「首相指示」により、厚労省が主張する現行制度の見直しだけでは済まなくなった。さらに安倍は5月1日、英国ロンドンの金融街シティでの演説後の質疑応答でも、労働時間規制の緩和に強い意欲を示した。

「もっと柔軟な働き方ができるように労働法制を変えていく。やり遂げなければ日本は成長できない」

経産省の振り付けで、本格的に走り出した労働時間規制の緩和。Aタイプ、そしてその本音であるスマートワークまで近づくかは世論の動向次第だが、規制緩和に向け一定のレールが敷かれたことは間違いない。

解雇解禁とセットで萎縮効果は甚大

一方、日本の労働環境の実態はどうなのか。7年前にホワイトカラー・エグゼンプションを導入断念に追い込んだのは、過労死助長につながりかねないとの批判だった。

当時はいざなぎ景気を超えたとされる空前の好景気に沸いていたが、08年のリーマンショックを受け、雇用の劣化は加速した。就職難を逆手に取り、新卒の若者に長時間労働を強い、残業代も支払わない「ブラック企業」が社会問題化している。

厚労省が昨年、若者の「使い捨て」が疑われる企業への重点監督を実施したところ、調査した5000超の事業所のうち約8割で法令違反があった。違法な時間外労働と賃金不払い残業が主だったものだった。

長時間労働が背景にある脳・心臓疾患の労災認定は12年度で338件、2年連続で増加している。また精神障害の労災認定件数も3年連続で過去最多を更新している。

こうした現実に対して、冒頭の長谷川ペーパーは、「長時間労働を強要するような企業が淘汰されるよう、労働基準監督署による監督指導を徹底する」ことで対応できるとしている。だが、こと労働時間規制の適用除外に関してはそうはいかない。

労働基準監督官は、企業が法定労働時間を超えて働かせることができる「三六協定」を結んでいるか、割増賃金を払っているかを調査し、されていなければ監督指導する。

「もし労働時間規制が適用除外され、それに代わる最低労働条件が法で定められなければ、監督官は取り締まりようがない」と、監督官などを組織する全労働省労働組合委員長の森崎巌は警鐘を鳴らす。Aタイプやスマートワークに最低労働条件の法定がないのは冒頭触れたとおりだ。

  

ブラック企業の狡猾さは一層進んでいる。「厚労省の『若者応援企業』に指定されており、働きやすい職場だとPRしていたのを信じてしまった」。あるIT企業を休職中の高口玲子(仮名、24)は悔やむ。

昨年12月から働き始めた高口の職種はSE。終業の定時は17時半だったが、実際は23時を過ぎることもザラだった。月給は18万円で、そこに40時間分の固定残業代が含まれる。ただし超過分について支払われることはなかった。「社長はそもそも残業代というシステムがおかしいと公言していた」(高口)。

結局高口は過労で適応障害となり休職に追い込まれたが、こうした会社が社員定着率の開示を求められる若者応援企業と公表できるのは、「最初の研修でどんなに苦しくても周りに相談してはならない、親も他人と思えと“洗脳”されるため、倒れるまで頑張ってしまう」(高口)ためだ。労働時間規制の適用除外、中でも新人までその対象にできるスマートワークが導入されたら、こうしたブラック企業の手法にお墨付きを与えることになりかねない。

「過労死等防止対策推進法案」を超党派の議員連盟で今国会に提出する動きとも方向感が異なっている。

競争力会議では労働時間規制の緩和と併せて、解雇の金銭解決制度が議論されているが、もしその狙いが「裁判所で不当解雇とされても、原職復帰ではなく補償金で終わらせたい」という点にあるなら、労働者への萎縮効果は計り知れない。

労働者に突然解雇を通告し、直ちに職場から締め出す「ロックアウト型普通解雇」を年1回のペースで実施している日本IBM。「査定で低評価を受けるとロックアウト解雇されかねない、との恐怖感が社内に蔓延している」と同社社員は語る。「上司は残業や休日出勤はきちんと申告するようにと言うが、それで低評価を受けてはたまらない。皆当たり前のようにサービス残業をしている。まったく物を言えぬ職場になった」とため息をつく。

生活者の日々の営みそのものである雇用の制度改革に当たっては、ひときわ慎重な制度設計が欠かせない。それを株価浮揚のための一手段として弄ぶようなことがあれば、この国のありようそのものをゆがめることになりかねない。

 

「働き方改革」に騙されるな! 安倍政権の狙いは年収400万円でも「残業代ゼロ」、過労自殺の電通社員と同じ目に(LITERA 2016年10月19日

※電通の高橋まつりさん(当時24歳)が長時間労働の末、過労自殺した問題はいまだ大きな波紋を呼んでいる。今月18日、東京労働局は電通に抜き打ちの立ち入り検査を実施し、塩崎恭久厚生労働相も会見で「極めて遺憾なケースだ。実態を徹底的に究明したい」と言及したほどだ。

 

しかし現在の国会では、こうした長時間労働是正とは真逆の法案が審議され、可決されようとしているのをご存知だろうか。それが労働基準法改正案だ。

 

安倍政権は発足以来、「1億総活躍」「女性活躍」などの労働改革をスローガンとして掲げてきた。今年夏に発足した第三次安倍内閣でも「最大のチャレンジは“働き方改革”」として、今国会でその成立を目指す方針としている。9月2日には杉田官房副長官を室長に「働き方改革実現推進室」をもうけ、また有識会議「働き方実現会議」をスタートさせた。

 

しかしその内実はといえば、安倍首相がいう言葉とは真逆で、タダ働きを可能にする「残業代ゼロ」制度であり、「過労死促進」法案なのだ。

 

この問題について追及した『あなたを狙う「残業代ゼロ」制度』(昆弘見/新日本出版社)には、長時間労働や過労死などが全て労働者の自己責任となってしまうこの法案の危険性、そして安倍政権と財界の思惑が指摘されている。

「働いた時間ではなく、成果で賃金を払う」

 

安倍首相が長時間労働是正のためとしてぶち上げたのが「高度プロフェッショナル制度」だ。これは管理職の手前の年収1075万円を超える高度な専門知識が必要な労働者について、労働時間規定を「適用除外」するというもの。しかし、そこには大きな落とし穴が存在する。

 

〈特別の立場の人に限って適用除外としてきたこれまでの(労働基準法の)判断を変えて、管理監督者ではない、その一歩手前の労働者、安倍首相の表現をかりれば「専門性の高い仕事」の人に広げようとしているのが今回の改正案です。管理監督者になる手前の労働者は、どこの会社でも労働時間が長く、一番の働き手、働き盛りの層。その労働者たちを労働基準規制の対象外にする。そして、どんなに長時間働いても残業代を出さなくていい仕組みをつくろうということです〉

 

長時間労働是正と言いながら、残業代を支払わない。しかも何時間働くのか明確な取り決め規定もないため、経営者の思いのままに長時間働かされることになる。しかもそれは深夜や休日の割増賃金など全てが含まれるものだ。現行では労働時間規制が除外されている監督管理者でも、深夜などの割増賃金は支払われる。ところが、この法案では監督管理者でもない労働者が労働時間規制除外だけでなく、割増賃金も支払われなくなる。

 

また、現行の労働基準法は、長時間労働を規制し、企業が休日を確保することを義務付けている。これに違反した経営者には罰則規定もある。しかし、その罰則規定も今回の法案ではなくなっている。

 

〈労働者は、長時間労働から自分の身を守るよりどころを失ってしまいます。一方、経営者は、労働時間を管理する責任がなくなります。労働者が働きすぎて体をこわして働けなくなったり、「過労死」することがあっても、労働者の自己管理が悪かった、自己責任だと言い抜けることができるようになってしまいます〉

 

本書では改正法案を「過労死促進法案」と断じているが、その通りだろう。

 

もっとも、この改正法案は、「年収1075万円」「高度専門職」という条件がついているため、多くの国民は高収入の労働者だけの問題で、自分たちは関係ないと思うかもしれない。

 

だが、そこにも罠がある。もし今回の法案が通れば、それを突破口として将来、中堅サラリーマンや低賃金の労働者にも対象を押し広げていく可能性がきわめて高いのだ。

 

実際、労働者派遣法の場合、1986年の施行当初は、派遣可能業務が13に制限されたが、たった3カ月後に16業務に、そして96年には26業務に拡大、ついに現在では業務の分類さえなくなった。

 

そして今回の法案に関してもすでにその動きは現実化している、と同書はいう。

 

〈安倍首相は、(年収規定を)下げる可能性を否定していません。2014年6月16日衆議院決算行政監視委員会で民主党の山井和則議員が「5年後も10年後も1000万円から下がらないということでよろしいですか」と質問したことに、次のように答えています。

 

「経済というのは生き物ですから、将来の全体の賃金水準、そして物価水準というのは、これはなかなかわからないわけですよ。

そこで例えば年金においても、安定的な制度とするために、年金額も物価が下がっていけば、物価スライドでこれは下がっていくじゃないですか」(略)
 

導入するときはきびしい要件をつけて法律を通し、その後、要件が簡単に見直されて悪くなり、国民に大被害をもたらしている例はいっぱいあります〉

 

また「残業ゼロ」法案導入に積極的かつ重要な役割を果たした経団連の榊原 定征会長は「制度が適用される範囲をできるだけ広げてほしい。年収要件を緩和して、対象職種も広げていけない」と語り、経団連としてもすでに10年以上前の05年から「年収400万円以上」という適用範囲を要求しているほどだ。

 

さらに「高度専門職」の範囲や年収要件は、国会の議決が不要な省令で決定されるため、法案が一旦成立してしまえば、その要件が下がっていくであろうことは容易に想像できる。

 

年収400万円以上の労働者に、残業代も支払わず24時間働かせる──。ようするに、これこそがこの法案の本質なのだ。そして、その背後にはもちろん、財界の意向がある。

 

〈企業にとっていま何が問題かといえば、成果で評価する賃金制度をつくったとしても、現在の労働基準法のもとでは労働時間規制条項から逃れることはできないということです。労働時間を把握して健康管理に責任をもち、1日8時間を超えて働かせるために労使の協定(サブロク協定)を結んで労働基準監督署に届け出て、そして残業したら割増賃金を払わなければなりません。企業にとっては、わずらわしくてたまらないわけです〉

 

そこで、財界は安倍政権下の産業競争力会議で、議員をつとめる長谷川閑史経済同友会代表幹事(武田薬品工業社長)と榊原定征経団連会長(当時は東レ会長)、2つの経済団体トップが、残業代ゼロ法案をはたらきかけ始めた。 

 

安倍政権はこうした財界の強い要望を受け、それを実現するため「働き方改革」「一億総活躍」などという耳障りキャッチフレーズをひねり出し、前述の有識者会議「働き方改革実現会議」を設立し、法案づくりにと歩みはじめた。

 

実際、同会議のメンバーを見ても、先の榊原経団連会長を筆頭に、りそなホールディングス人材サービス、イトーヨーカ堂、日本総研理事長、全国中小企業団体中央会会長、日本商工会議所会頭など、財界の幹部ばかりがずらりと顔を揃えている。

 

安倍首相は今月13日行われた第1回「働き方改革に関する総理と現場との意見交換会」で電通女性社員の過労自殺についてこう発言している。

 

「先般、電通の社員の方の過労死では、働き過ぎによって、貴い命を落とされたわけでございます。こうしたことは二度と起こってはならない、このように思っているわけでありますが、働く人の立場に立った働き方改革をしっかりと進めていきたいと、こう思います」

 

こうした詐欺師のような安倍首相の発言に決して騙されてはいけない。その行き着く先は、労働者が残業代ゼロという奴隷労働に駆り立てられ、過労死が続発する世界なのだから。