・気象を操る。人類が天候をコントロールした10の歴史(カラパイア 2017年1月1日)

http://karapaia.com/archives/52231256.html

※人類は天候から様々な影響を受ける。天候と環境(これ自体が天候の影響を受けたものだ)は世界中の言語に影響を与えた。家屋や社会の作りもしかり。食べ物や服装もしかり。宗教もまた気象に対する一種の答えとして形成された。

人々が天候をコントロールしようと考えたのも無理はないだろう。この数十年の科学技術の進歩によって、我々はまさに神の領域へと踏み込んでいる。

もちろん今後解決しなければならない課題も山積している。そもそも天候だけをコントロールすれば済む話なのかどうかもよく分からないのだが、そうした話は置いておいて、ここでは持てる全ての力を使って天候のコントロールに挑んだ人々がいたことを記しておこう。


10. 霧の消散させる 霧消散装置

飛行機の登場により、離着陸が必要な現場では霧がやっかいな問題になり始めた。だが第二次世界大戦の真っ只中では、パイロットは霧が晴れるまで座って待つといった贅沢は許されなかった。1942年にウィンストン・チャーチルがこの問題の解決を命じたのは、こうした理由である。その結果が霧消散装置(Fog Investigation and Dispersal Operation)だ。

これは飛行場で毎時100,000ガロンものガソリンを燃やすことで、霧を上昇させる熱を発生させ、離陸や着陸の視界を確保した。イギリス空軍によると、イングランドの飛行場15か所のほか、アメリカの数か所でも使用されたという。1943~45年にかけて2,500機もの飛行機を安全に着陸させ、10,000名以上のパイロットの命を守った。

今日でさえ、世界中の数多くの飛行場で霧の消散が定期的に行われている。だが技術は大戦当時よりも進んでいる。気温が氷点下以下ならば二酸化炭素やプロパンガスを利用する。それより暖かい場合はヘリコプターやバーナーが使われる。


9. 雹(ひょう)の形成を防ぐ 雹キャノン

1890年代後半にM・アルバート・スティガーというオーストラリアのワイン醸造主が考案した。それは巨大なメガホンのような形状で、煙の輪を300メートルの上空に射出する代物だ。

雹キャノンの狙いは、空気と煙を撃ち出すことで、上空の雲の中での雹の形成を防ぐことだ。雹は作物に深刻な被害を与えるために、この発明は農家にとって科学からの贈り物であった。数度の実験を経て、ベネチア付近の県ではたった1年のうちにこの雹キャノンが466基から1,630基まで一気に導入された。

雹キャノンはヨーロッパ各地にどんどん普及したが、同時に苦情も寄せられるようになる。当初、そうした訴えは、不適切な射出、遅すぎる使用、設置位置の問題などが原因として棄却されていた。しかし1903年からイタリア政府は222基の雹キャノンを2年間に渡り調査することを決定。その結果、これが導入された地域では相変わらず雹被害に悩まされていることが明らかとなり、雹キャノンへの信頼は瞬く間に地に落ちた。
 
意外にも雹キャノンは現在でも使用されている。あるメーカー製のものは音速のショックウェーブによって雹や雨の形成を妨げるという。嵐が近づくと、レーダーで追跡しつつ4秒間隔で発砲する。2005年にアメリカのある自動車製造業者がこれを導入したが、あまりの騒音で住民が大迷惑したそうだ。


8. 雨を降らせる クラウドシーディング

雹以外にも、干ばつによる農作物の被害も甚大だ。そこで1946年、ヴィンセント・シェーファーという気象学者とノーベル賞を受賞したアーヴィング・ラングミュアがクラウドシーディングを考案した。

雨は、水滴が過冷却されると同時に、核生成という過程で氷の結晶が形成されるときにできる。空気中で結晶が保持できなくなると、これが落下。結晶は地上に届くまでに溶けて、雨に変わる。

クラウドシーディングはこの理論を応用したもので、ヨウ化銀やドライアイスなどの粒子でこの過程を促進し、雲の雨形成能力を強化する。これは飛行機で撒くことも、地上からスプレーで散布することも可能だ。だが雹キャノンのように、その効果を証明することは難しい。

今日においてさえも、雨がクラウドシーディングの効果によるものなのかどうか確実に知る方法はない。それでもオーストラリア、フランス、スペイン、アメリカ、UAE、中国からは成功しているという報告が寄せられている。

クラウドシーディングの専門家アーレン・ハギンズによると、これが最も効果的なのは干ばつの時期ではなく、通常よりも降雨量が多い時期であるという。そうした場合に10パーセントほど降雨や降雪が増えれば御の字で、増えた分を干ばつの備えとして蓄えておくのがいいらしい。


7. 台風の進路を変更 プロジェクト・シラス

早くも1946年に米軍はクラウドシーディングの試験に乗り出す。最初の1年半で37回の試験飛行を実施し、雷雲、スコールライン、竜巻の上空などを飛行した。

毎年大西洋で発生する台風は甚大な被害をもたらしているが、1947年10月のプロジェクト・シラスではその台風にクラウドシーディングを試みた。フロリダ、ジャクソンビルの海岸から560キロほど東にあった台風の中へおよそ36キロのドライアイスを投下。結果、台風は突如進路を変更し、アメリカ本土へと戻り始めた。

ジョージア州は時速136キロという記録破りの台風に襲われ、1,400名以上が家を失い、少なくとも2名の犠牲者が出ている。

関係者にはごうごうたる非難が浴びせられたが、ニューメキシコ州に場所を変え、プロジェクト・シラスは続行された。それからすぐに例年にないほどの雨が続いたことで、地元ツーリストから調査チームに対してまたもや批判の声が上がった。成果は上がっているように思えるが、1952年頃には資金難となり、研究は中止された。


6. プロジェクト・ストームフューリー

それまでの研究を無駄にしないため、1962年に新たな野心的プロジェクトが発足。目的はクラウドシーディングで台風の破壊力を弱めることができるかを調べることだ。ヨウ化銀を満たした缶を台風の目に投下し、銃のような装置で中身を散布。これによって台風の目の中の対流を平衡させ、範囲を広めることで、風速を弱めようとした。

8日間で四つの台風に対して実施し、半数で風速が10~30パーセント低下したが、半数では変化がなかった。変化がないケースでは、当初は実施手法に問題があったことが原因とされた。

しかし後の研究では、台風にはクラウドシーディングが効力を発揮するために必要な過冷却された水がほとんど含まれていなかったことが示唆された。

さらにこうした台風では、放っておいてもシーディングが実施されたときと同じようなプロセスが発生することも明らかとなる。こうして成功事例とされた半数も自然な現象であったと結論された。最後の実験は1971年のことで、1983年にプロジェクト・ストームフューリーは正式に中止された。成果が得られなかったとはいえ、台風の仕組みの理解や進路の予測には貢献した。


5. 雷の頻度を減らす プロジェクト・スカイファイア

地球上ではどの瞬間でも1,800もの雷雨が生じている。こうした雷雨によって20分毎に60,000回の落雷が生じる。そのどれかで火災が発生したとしても驚くにはあたらないだろう。

アメリカでは毎夏9,000回の森林火災や草原火災が起きている。1955年に米農森林局によって開始されたプロジェクト・スカイファイアは、雷雨の発生過程を理解し、雷の頻度を減らすことを目的としていた。

プロジェクトが始まってからの数年はデータの収集が行われ、落雷を減らすために高濃度のヨウ化銀の使用も始まった。コントロールされた実験ができないために、その結果の定量化は困難である。それでも初期実験は多少なりとも成功したように思われた。

1960年と1961年、ドライアイスやヨウ化銀の代わりに無数の小さな金属のピンを使用し雷抑制を実施。これは各先端に反対の電荷を帯びさせた金属箔であり、現在では敵ミサイルやレーダーを撹乱するために利用されるものだ。


4. オペレーション・ポパイ ― ベトナム戦争洪水大作戦

クラウド・シーディングはある時点から軍事利用も念頭に置かれるようになる。ベトナム戦争で実行されたオペレーション・ポパイの目的は、雨季に北ベトナムと南ベトナムの道路で洪水を起こし、分断することだった。特にベトコンの物流の要であったホーチミン・ルートが標的とされた。

1966~1972年にかけて2,600回の飛行が実施され、47,000ユニットのクラウドシーディング剤が投下された。実際に効いたのかどうかは議論されるところだが、雨季を30~45日伸ばすことに成功されたと言われている。

作戦ではジャングル上空を定期的に飛行し、枯葉剤とともにクラウドシーディグ剤が散布された。しかし1971年にジャック・アンダーソンという人物がワシントンポスト紙上で暴露したことで公にも知られるようになる。

1972年、米国防長官メルビン・レアードはかかる天候改変技術の使用はないと議会で証言。その2年後にレアードの私信がリークされ、証言が嘘であったことが明らかとなる。この一件が1976年の環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約の締結につながった。


3. ベラルーシの黒い雨

1986年4月、旧ソ連領、現在のウクライナで人の手で引き起こされた最悪の災害の一つが発生した。チェルノブイリ原子力発電所事故である。

これにより大勢の犠牲者が生まれ、プリピャチの住人は全員が避難を余儀なくされた。しかし、これは始まりに過ぎなかった。モスクワ、ヴォロネジ、ニジニ・ノヴゴロド、ヤロスラヴリなど、ソ連の様々な大都市を放射能を持つ雲が脅かしたのである。

最悪の事態を避けるために、ソ連政府はチェルノブイリを中心とする約100キロの範囲でクラウド・シーディングを実施した。

南ベラルーシの住民は当時、分厚く黒い雲が垂れ込めていたと証言している。そして悪夢の雨が降り始める少し前、数機の飛行機が街の上空を旋回し、何やら色のついた物体を射出していた。ソ連政府はクラウドシーディングを実施したことを正式には認めていないが、後に2名のパイロットが告白している。

チェルノブイリ周辺の放射能レベルと放射性降下物の量を調査からは、ベラルーシ人が通常の20~30倍もの被曝をしており、子供は酷い放射線中毒を起こしていることが判明。調査を行なった英国人科学者のアラン・フラワーズは、ソ連が1986年にクラウドシーディングを行なったと主張したことで、2004年に追放された。


2. 北京の天候改変局

今日、世界52か国が何らかの天候改変技術を利用している。だが特にそれが顕著なのが中国である。天候改変局(北京市人工影響天氣辦公室)は1980年代に設置され、37,000名もの職員が携わるこの分野における世界最大の組織となった。

中国国内のいたるところで活動するが、主な地域は干ばつに見舞われることが多い北部および北東部だ。

ロケットランチャー4,000基、対空砲7,000基、飛行機30機を備え、降雨量の増加や雹の抑制などを行う天候改変局は、祝日などでそれに相応しい天気を実現するという役割も担っている。

1997年の新年に雪を降らせたり、また2008年の北京オリンピックでも天候改変技術が使用されたことは有名だ。開会式では雨が降らないように1,100機のロケットが雲へ向かって発射された。また毎年10月1日の国慶節の前になると、クラウドシーディングで雨を降らせ、大気の汚染物質を洗い流しておく。さらに夏の気温を低下させ、電力の消費を抑えるといったことも行う。


1. 砂漠に雨を降らせましょう

天気は地球の自転、日光、海洋に由来する湿気によって作られ、影響を受ける。これらに比べれば、我々ができることは微々たるものである。だが世界の人口が増加し、大勢の人々が居住にはあまり適していない地域へと移住しつつある。そう、砂漠だ。

世界有数の砂漠地帯であるアラビア半島のUAEなど、砂漠で暮らす人々は増加しており、当然ながら雨の需要も大いに高まっている。

あるスイスの企業はこの状況から利益を生み出そうと、負の電荷を帯びたイオンを産み出す10メートルの塔の建設を開始した。これは嵐雲を形成させるという。

イオン化理論は1890年頃、ニコラ・テスラが初めて提唱した。しかし、その後実施されたいくつもの実験にもかかわらず、これが雨を作り出すという証拠は得られていない。さらにこのスイスの企業は、同社の技術に関する証拠や情報を公開していない。塔が建設されて以来、数度の暴風雨が発生しているが、当時中東で発生した異常気象の一部であると主張する専門家もいる。


・気象を操って敵国の経済を破壊する兵器:米国海軍が進めていた研究プロジェクト(WIRED 2008年3月5日)

https://wired.jp/2008/03/05/%e7%b1%b3%e8%bb%8d%e3%81%ae%e5%a4%a9%e5%80%99%e5%88%b6%e5%be%a1%e6%8a%80%e8%a1%93%ef%bc%9a%e3%80%8c%e6%95%b5%e5%9b%bd%e3%81%ae%e7%b5%8c%e6%b8%88%e3%82%92%e7%a0%b4%e5%a3%8a%e3%81%99%e3%82%8b%e6%b0%97/

※敵国の「経済を崩壊させる」ために、洪水や干ばつを人為的に発生させることを提案した米海軍の研究プロジェクトが最近明らかになった。米軍はベトナム戦争で、降雨量を増やして敵の活動を妨害する『Operation Popeye』に成功している。

2008年1月に情報自由法を通じて公開された、米国海軍の空中戦兵器部門『China Lake』の研究提案書(PDFファイル)には、次のように書かれている。

「気象の調節は、かつてベトナムで、特に北ベトナムから南ベトナムへの人員や物資の移動を妨害する目的で利用され、成功を収めた。(しかし)それ以来、気象調節の軍事研究は、米国では先細りになっている」

この提案書は、「実行可能な最先端の気象調節能力を再び米軍にもたらす」ために、最新の気象調節技術の研究を求めている。この技術を手にすることで、米軍は以下のことが可能になるという。

大雨による洪水や雪嵐などにより、人員や物資の移送を妨害する、または不可能にする。

洪水や干ばつなどの結果として、経済を崩壊させる。

提案書には日付が記されていないが、明らかに冷戦期のものだ。「ソビエト連邦(ロシア)」という言及があるだけでなく、現在の水準と比較するとプロジェクト費用が低めで、2年間でわずか50万ドル以下なのだ。

前述したChina Lake(米国海軍の空中戦兵器部門)が自主発行している新聞の記事によると、「気象調節はChina Lakeが秀でている分野の1つ」だという。

China Lakeは1949年から1978年にかけて、気象調節の立案と技術やハードウェアの開発に取り組み、これらはハリケーンの軽減、霧の制御、干ばつの解消に用いられて成功を収めた。

初の軍事利用となった1967年の極秘の気象調節作戦『Operation Popeye』では、降雨量を増やしてホーチミンルートを断つのに役立てる目的で使われた。

Operation Popeyeは1967年3月から1972年7月まで行なわれた。モンスーン・シーズンを延長させることに成功し、1971年に北ベトナム国土の1割を覆うほどの被害を出した大洪水の原因となったという意見もある。

1980年、米国は軍事目的の気象操作を禁止する条約を批准した。それでも時々、軍部からは気象操作を再開する提案が浮上してくる。

空軍が委託した1996年の調査には、「われわれの構想では、軍は2025年までに、作戦能力の達成のため、中規模(200平方キロメートル未満)または微小規模(局所)で気象に影響を及ぼすことが可能になっている」と書かれている。

米国外に目を向けると、中国当局は現在、夏季オリンピックの期間中に北京に雨が降らないよう努力している。


・台風をあやつる 夢ではない天気の制御(日経サイエンス 2004年11月号)

http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0411/typhoon.html

R.N. ホフマン(大気環境研究所)

※毎年,大きな被害をもたらす台風やハリケーン。その勢力を弱めたり,進路を変えたりすることができるだろうか?近年の研究から実現のシナリオが浮かび上がってきた。

高度な気象予報モデルに基づいて,ハリケーンの発達のカギとなる複雑な過程が精密に再現された。その結果,ハリケーンや台風などの巨大なカオス的システムは初期条件の微小な変化に非常に影響されやすいことがはっきりした。例えば周辺や中心部の気温や湿度がわずかに変わるだけで大きな影響が出る。

ハリケーンの何を変化させれば勢力を弱めたり進路を人口密集地域からそらせるか,複雑な数学的最適化手法を利用した研究が進んでいる。著者ら大気環境研究所(AER,全米規模の研究開発コンサルティング企業の1つ)のチームはハリケーンの精緻な数値モデルに基づいて過去のハリケーンの動きを模擬し,さまざまな介入が及ぼす変化を観察することで,その影響を評価している。

1992年に発生した2つのハリケーン「イニキ」と「アンドリュー」についてシミュレーション実験を行った。この結果,温度や風の初期値をわずかに変えることでハリケーンの進路を誘導したり,暴風の及ぶ範囲を縮小できることがわかった。

将来は,太陽光発電衛星から送り出すマイクロ波ビームによって大気を加熱し,ハリケーンの温度を変更できるだろう。ハリケーンの進路に当たる海洋上に生分解性の油をまき,海面からの蒸発を抑えてハリケーンの発達をコントロールすることも考えられる。このように,いずれはハリケーンの発達に人為的に介入する具体的な道が開かれ,人命や財産を守ることが可能になるだろう。

※著者 Ross N. Hoffman

マサチューセッツ州レキシントンにある大気環境研究所(AER)の首席研究員兼研究開発担当副社長。専門はデータ同化手法,大気力学,気候理論,大気放射。米航空宇宙局(NASA)の複数の科学チームのメンバーを務めており,米国学術研究会議の「気象変更研究の現状と将来性に関する委員会」に参加した。NASA先端構想研究所(NIAC)による支援や,ヘンダーソン(JohnHenderson)をはじめとするAERの同僚の協力に感謝している。