・朴正熙と蒋介石が握手を交わす1枚の写真 不思議な因縁がつむぐ韓国華僑の秘められた歴史は 藤本欣也の韓国探訪(産経ニュース 2016年8月7日)

※韓国の全羅北道群山(グンサン)市とソウル近郊の仁川(インチョン)広域市には共通点がある。ともに19世紀に開港し、戦前から華僑が居住するなど、中国との関係が深いことだ。今回は、韓国の中の「中国」を探訪する。

群山市内でタクシーに乗り、行く先の薬局名を伝えると、50代ぐらいの運転手は顔をほころばせた。

「知っていますよ。子供のころ、薬を買いに行ったものです。懐かしいなあ」

小さな商店街に「中国長壽堂薬局」はあった。店長で群山華僑協会会長の★(刑のつくりがおおざと)広義氏(70)が店の外で待っていてくれた。

1945年、中国山東省栄成市で生まれ、家族とともにソウル近郊の仁川に移住。5歳のとき、朝鮮戦争の戦火を逃れて群山にやってきた。大学の薬学部を出て71年から店を経営している。

「チャイナドレスを着るのも結婚式のときぐらい。普段の生活で自分が華僑だと意識することはないわ」

市内の老舗中華料理店「濱海園」。会長の隣に座った長女、★(刑のつくりがおおざと)礼容さん(45)は笑った。会長、礼容さんともに韓国語、中国語を不自由なく操る。

市内に41年開校の華僑小学校があり、中国語で授業が行われているらしい。会長も礼容さんも卒業生だ。

韓国と中国は最近、経済的な結びつきを強めている。中国人観光客の“爆買いツアー”で経済が潤っているのは日本だけでなく、韓国も同じ。しかも群山は山東省から近い。

-チャイナマネーは群山にどんな経済効果をもたらしているのでしょうか? 

意気込んで聞く私に、会長は静かにほほ笑みながら首を横に振る。

「ありませんな。華僑の社会にも特に影響はないですよ」

会長によると、戦前、1200人以上いた華僑も今では10分の1の120人余り。しかも大半は戸籍を残しているだけで、実際に住んでいるのは40人ほどだというではないか。

-だとすると、華僑小学校もやっていけないのではありませんか?

「ええ、経営難に陥っています。児童は18人しかいません。私もこれ以上、投資ができない状況です…」

学校運営を任されてきた会長は、こうも言った。

「韓国に帰化する華僑も増えています。その方がビジネスがしやすいから」

-中国のパスポートではまだまだ行けない国や、ビザを取るのが面倒な国が少なくないのでしょうね

会長は怪訝(けげん)な顔をした。

「私たちのパスポートは台湾の、ですよ」

韓国の華僑をめぐる取材が始まった。

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韓国最大のチャイナタウンは、会長の父親が群山に移る前、食堂を経営していた仁川にある。釜山に次ぐ国内第2の港湾都市だ。

鉄道の仁川駅前に、横浜の中華街のように大きな門がそびえ立っている。背後の高台に所狭しと中華料理店や雑貨店などが軒を並べ、韓国人観光客でにぎわっていた。中国人旅行者も多い。

かつての清国領事館跡に仁川華僑協会の事務所があった。応対してくれたのは劉昌隆副会長(59)と、チャイナタウンでレストランなどを経営する孫徳俊氏(60)の2人だ。

「仁川の華僑も減少傾向にあります。この10年で3800人から3300人に減りました」と劉副会長。

黄海に面した仁川は李朝末期の1883年に開港。翌84年、清国の領事館が開設されると、租界に中国の商人たちが住み着いた。特に99年秋に始まった義和団事件で山東省が大混乱に陥り、数多くの避難民が仁川やソウルに流れてきたという。

華僑に詳しい仁川大学中国学術院の宋承錫(ソン・スンソク)教授(49)によると、1992年の中韓国交樹立以前から居住する韓国華僑の最大の特徴は、90%以上が山東省出身者であること。劉、孫両氏とも山東省にルーツを持つ。

そしてもうひとつの特徴が、「それにもかかわらず、90%以上が『中華民国』籍、つまり台湾籍を持っている」点だという。

「故郷は中国、国籍は台湾、生まれた場所は韓国。それが私たち韓国の華僑というものです」。孫氏は苦笑いしながら語った。

清国を継承したのが孫文の中華民国だったから、戦後しばらくは華僑が「中華民国籍」だったのは理解できる。しかし、71年に毛沢東の中華人民共和国が国連の中国代表権を得た後も同じ状況が続いているとは思わなかった。

日本の華僑の場合、中国系と台湾系に分かれている。確かに日本と中国の国交正常化が72年、韓国と中国は冷戦終結後の92年で、日中と中韓には20年の開きがある。しかし、韓国華僑に台湾籍が多い理由は国交樹立が遅れたことばかりではなかった。

事務所の壁に飾られた1枚の写真に気づいた。

韓国大統領の朴正熙(パク・チョンヒ)と台湾の総統、蒋介石が握手を交わす写真だった。

興味深く眺めていると、劉副会長が言った。

「ともに“反共の砦(とりで)”という点で、韓国と台湾の結びつきは強かったのです」

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朴正煕大統領(当時)が台北の飛行場に降り立ったのは1966年2月15日。日本との国交正常化を果たした翌年のことである。48歳だった。

出迎えた蒋介石総統(同)は78歳。中国共産党との内戦に敗れ、台湾に渡ってから16年余りが経過していた。

親子ほどの年の差があった2人だが、共産中国や北朝鮮と対峙(たいじ)するという、指導者として直面している状況が似通っていた。日本で軍事教育を受けたという共通点もあった。蒋介石は陸軍士官学校の予備校で、朴正熙は陸軍士官学校で学んでいる。ともに砲兵を専門の1つとした。

当時、韓国外相を務めていた李東元(イ・ドンウォン)氏は「朴大統領が最も尊敬していた人物こそ蒋総統だった」と述懐している。

朴正熙に関する著書がある韓国のジャーナリスト、趙甲済(チョ・ガプジェ)氏によると、飛行場ではこんなやり取りがあった。

蒋総統は歓迎の辞で、「両国は共産主義との戦いで先頭に立つ役割を担っている」「運命共同体だ」などと強調。朴大統領は「貴国の中国本土収復とわが国の国土統一こそが両国民の念願である」とし、「たとえ今日、アジアの一部が共産主義に染まっているとしても、いつの日か、これを駆逐し、統一中国と統一韓国を取り戻さなければならない」と応じた。

宿泊先のホテルに至る沿道には20万人以上の市民らが動員され、太極旗と青天白日満地紅旗が打ち振られたという。

当時の国際情勢は-というと、1年前の65年2月に米軍が北爆を開始し、ベトナム戦争に本格介入。韓国も派兵していた。中国では毛沢東による文化大革命がまさに始まろうとしていた。

台湾はそのころ、米国の資金援助などを背景に経済成長を実現、「65年当時の1人当たりの国民所得は168ドルで、韓国(約100ドル)の一歩先を進んでいた」(趙氏)。

宋教授は韓国華僑に台湾籍が多い理由について、韓国政府が外国人の不動産所有・管理などを厳しく規制していた影響を指摘する。

「韓国で思うように投資できないため、台湾に移住したり、子供を台湾に留学させたりする華僑が少なくなかった。それは中国大陸出身ながら、台湾との結びつきが強い華僑が増えていく結果をもたらした」

このことは、92年の中韓国交樹立後も、韓国で台湾から中国へのパスポート切り替えが進まなかった理由にもなった。

また、華僑の指導層に「反共ムード」と「中国へのアレルギー」が根強く残ったことも、台湾に固執する一因になった-と宋教授はみている。

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群山市内に「敵産家屋」と称される日本式家屋が多数残っていることは、前回の「探訪」で触れた。

群山華僑小学校も、かつて遊郭だった木造の建物を校舎として利用していた。2002年に火事で焼失してから使用している現校舎は、台湾当局の援助などを基に建てられた。

正門には、韓国語で「中華民国政府指定」「中国文化教育センター」と記された看板も掲げられていた。各教科書は台湾から無償で送られてくるという。

午後5時半過ぎ。1階の教室では1人の児童が中国語の単語テストを受けていた。華僑の子弟ではなく、母親の教育方針でずっと通っているという6年生の韓国人児童だった。

「とにかく漢字を覚えるのがたいへんだよ」。テストでは「深」を書き間違えたと、顔をしかめた。

驚いたことに先生をしていたのは、群山華僑協会の★(刑のつくりがおおざと)会長の長女、礼容さんだった。この前、会ったときには、先生をしているとは言わなかった。

「先生は3人だけ。そのうちの1人が私…。隠すつもりはなかったのよ」

これも経費節減の一環なのだろう。

-3人でさまざまな科目を教えるのは大変でしょう?

気を取り直してこう聞くと、またまた意外な答えが返ってきた。

「実はね、18人の児童全員が韓国人なの。華僑の子供はいないわ。都会や外国の学校に通っている。だから、ここでは中国語の勉強が中心なのよ」

韓国人児童は地元の学校の授業が終わった放課後、華僑小学校で学んでいるらしい。塾のようなものだ。月曜から金曜まで週5日の授業料は1カ月10万ウォン(約9300円)。赤字経営は当然だった。

-最近の中国語ブームを受けて韓国人児童は増えているのではないですか?

「それがそうでもないのよ。台湾で使う中国語は繁体字でしょ。学校ではその繁体字を教えているの。でも、中国大陸では簡体字を使っているので、漢字の字体が違うわけね。だから、『華僑小学校で勉強しても中国大陸では通じないぞ』という変な噂が広まっていて…」

さらに、韓国人が華僑学校に入学するには、一定期間以上、「海外で生活していた」などの条件を原則、満たさなければならないという壁がある。

中国語や中国文化を学べる学校としては、中国政府の支援する教育機関「孔子学院」が知られている。04年に中国国外で初めて同学院が設立された先がソウルだった。現在、韓国には20校以上あり、中国語学習機関として華僑学校のライバルになっているともいえる。

宋教授らが編集した専門書『東南アジア華僑と北東アジア華僑の観察』によると、韓国には群山、仁川のほか、ソウル、釜山、大邱(テグ)、光州(クァンジュ)、大田(テジョン)などに合わせて54の華僑協会があり、華僑学校も27校ある。

いずれの学校も経営が苦しいのは同じで、台湾当局はもちろん、韓国の地元自治体の支援を仰いでいる学校もある。

同書によると、最近は、在韓中国大使館が支援を働きかけているらしい。実際、中国の支援を受けた学校もあるというのだ。

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今年4月末現在、韓国に居住する中国人は約100万人。外国人全体(約197万人)の半分以上を占める。韓国居住の中国人のうち、最も多いのが中国の朝鮮族出身者で約63万人。1992年の中韓国交樹立以前から韓国に居住していた華僑は約2万人にすぎない。

国交樹立後に韓国にやって来た“新華僑”の影響力は時間の経過とともに増している。

ソウルには中国政府系の華僑組織、「中国在韓僑民協会」も設立されており、ソウルの日本大使館前で反日デモなどを組織している。

仁川のチャイナタウンの一角に、韓国華僑の歴史を紹介する「韓中文化館」があった。さっそく展示物を見て回ると、おかしなことに気が付いた。

説明文は韓国語と中国語で書かれているのだが、その中国語の字体が、中国大陸で使う「簡体字」なのだ。チャイナタウンに押し寄せる中国大陸系の観光客向けなのだろう。

しかし、仁川華僑小学校で教えている台湾の「繁体字」ではなく、「簡体字」で書かなければならない現実に、韓国華僑を取り巻く厳しい状況が垣間見えた気がした。