第3部 『鉄の壁』:イスラエルの建国哲学
[国祖ジャボチンスキー]
2005年3月、イスラエル議会(クネセット)は『ゼエヴ・ジャボチンスキー法案』を可決し、「シオニズムの偉大な始祖を記念するジャボチンスキーの日」の設定を決めた。
同種の法案は今までに、シオニズムの開祖テオドル・ヘルツル、および2001年にPFLPによって暗殺されたレハヴァム・ゼエヴィに対して作られたものがあるのみであるが、このゼエヴィにしてもリクード党の大物幹部、ジャボチンスキー直系である。
このウラジミール・(ゼエヴ・)ジャボチンスキーは、ヘルツル、ゴルダ・メイアなどと共にエルサレムのヘルツルの丘に埋葬されているイスラエルの「国祖」の一人である。さらにこの国にはジャボチンスキー研究所やその博物館、図書館などが設けられている。
そればかりではない。イスラエル政府は、ユダヤ人・非ユダヤ人を問わず、イスラエルとシオニズムに貢献した人物に「ジャボチンスキー賞」を授与するのである。
ベギン首相当時の1981年に米国のクリスチャン・シオニスト指導者であるジェリー・フォールウェル、1985年に元米国国連大使でオプス・デイ関係者との噂もあるジーン・カーパトリックが、外国籍の人物としてこれを受賞している。
ところが米国ではブナイブリスの代表的機関であるADLが独自の「ジャボチンスキー賞」を設定しているのだ。この賞は1988年にあの「ナチ・ハンター」サイモン・ヴィゼンタールに授与された。それ以前にはメナヘム・ベギン、およびニューヨーク市長(1978-89)を務めたエド・コッチに授与されただけという、特別な意味を持つ賞である。しかし、イスラエル首相でジャボチンスキー自身の「直弟子」であるベギンが、ADLから「ジャボチンスキー賞」を授与されるとは?
このADLの委員長エイブラハム・フォックスマンは、ムッソリーニの熱烈な賛美者であるシルヴィオ・ベルルスコーニとは無二の親友であり、そのムッソリーニとジャボチンスキーの深い関係は前回までに申し上げた通りである。こういった事実はユダヤ・ファシズムの本流が実際には米国にあることを示しているのかもしれない。
また米国の隣国カナダといえば「新世界のロスチャイルド」ブロンフマン家のお膝元、世界ユダヤ人会議議長エドガー・ブロンフマンが君臨する国なのだが、ここでもまた、ブナイブリスやベタールなどが主催する「ゼエヴ・ジャボチンスキー記念行事」が毎年華々しく開催されている。そしてそのブロンフマン家は、元々は米国でメイア・ランスキーと並んでユダヤ・マフィアを取り仕切っていた。
これほどにシオニストの間で別格の地位にあるジャボチンスキーなのだが、日本での扱いは「不当」としか言いようのないほど小さい。シオニズムをファシズムの一種、イスラエルをファシズム国家として、認識させまいとする圧力が働いているのか?
[鉄の壁]
ここでジャボチンスキー自身の声を聞こう。1923年に書かれた「鉄の壁:我々とアラブ人たち」の一部を抜粋して翻訳する。これは、パレスチナの土地をアラブ人との交渉によって手に入れようとする当時のシオニスト主流派に対する反論として書かれたものである。
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【前略】
読者の方々はみな、他の植民地化が行われてきた国々の初期の歴史に関するいくらかの認識をお持ちである。私はあなた方にあらゆる有名な実例を思い起こすことをお勧めする。もしあなたが、現地人との合意を得て為された植民地化の例を一つでも探そうとするなら、それは失敗に終わるだろう。住民たちは(文明化されていようが野蛮なままであろうが)常に頑強な戦いを続けてきた。さらにいえば、植民者たちがどのように行動するかは結局何の影響も与えなかった。ペルーやメキシコを征服したスペイン人たちは、あるいはヨシュア・ベン・ヌンの時代に我々自身の先祖もそうだったと言う人もいるだろうが、あたかも山賊のようにふるまった。しかし北アメリカでは、初めて真の開拓を行ったあの「偉大な開拓者」、イングランド人、スコットランド人、オランダ人たちは高い道徳性を有する人々であった。彼らは赤い人々との平和を維持したいと願ったばかりではなく蝿一匹にさえ憐みをかけることが出来た人々だった。あの処女林と広大な原野の大きな空間は白人と赤い人々が共に使うことが出来ると、あらゆる誠実さと純真さをもって信じる人々だったのだ。しかしながら原住民たちは、野蛮な植民者たちに対しても文明化された植民者たちに対しても、共通して、同じレベルの残虐さで抵抗したのである。
もう一つの全く役に立たなかった視点は、植民者がその土地から自分たちを追い出したいと考えていると原住民たちが疑っているかどうかを問題にすることだった。米国の広大な土地には決して百万人あるいは二百万人を超えるインディアンたちが住んでいるわけではなかった。住民たちは、自分たちが追い出されるのではないかという恐れから白人の植民者と戦ったのではない。その理由は単純だ。どこであろうがいつであろうが、自分の国の中で他の植民者を受け入れるような原住民がいたためしがない、ということである。どのような原住民たちも、文明化されているか野蛮であるかに関わらず、自分の住む地域を自分たちの祖国と見なすものである。新しい主人ばかりでなく、たとえそれが新しいパートナーであったとしても、彼らが自主的にそれを受け入れるようなことは決して無いだろう。
【中略】
シオニストの植民は、その最も控えめなものであっても、やめてしまうかあるいは原住民たち意思を無視して実行されるかのどちらかでなければならない。それゆえに、この植民は地元の住民とは無関係の権力による保護のもとにのみ続けられ発展させることが出来る。つまり原住民たちが打ち破ることの出来ない鉄の壁である。これがアラブ人に対する我々の方針の全てなのだ。他の方法でこれを成し遂げることは偽善に過ぎまい。
【中略】
現実に生きている人間というものは、もはや何の希望も残されていないときにのみ、そのような決定的となる問題に対して大幅な譲歩を行うのである。その鉄の壁に何一つ傷を付けることが出来ない事実と向き合うときにだけ、そのような場合にのみ、過激グループがその支配力を失い主導権が穏健グループの方に移るのだ。そのような場合にのみ、これらの穏健グループが我々のところにやって来てお互いの譲歩を提案することだろう。そしてそのような場合にのみ、穏健派が、立ち退きをしないで済む保証や平等や自治権といった実践的な問題に関する約束の提案を行うことだろう。
【中略】
しかしそのような合意に向かう唯一の道はこの鉄の壁である。それは言ってみればパレスチナでアラブ人によるあらゆる種類の影響を排除した一つの政府を強力に作り上げることであり、そしてアラブ人たちが必ずそれに対して戦うであろうものだといえる。言い換えると、我々にとって将来の合意に向けての唯一の道は、今現在において合意へ向けてのいかなる試みをも完全に拒否することである。
【中略】
我々は、シオニズムが道徳であり正義であると主張する。そしてそれが道徳であり正義であるがゆえに、正義は果されなければならないのだ。ジョセフが、シモンが、イヴァンが、あるいはアクメットがこれを認めようとそうでなかろうと、問題ではない。 それ以外の道徳性など存在しないのだ。
【後略】
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私はこの「鉄の壁」を読むたびに心底から吐き気を覚える。これほどに厚かましい強盗の論理があるだろうか。虚構の北米「開拓」史を捏造し、初めから他人の権利を無視しあらゆる理性的な合意を無視して、抵抗不可能な圧倒的な暴力と強権を駆使して財産を奪い取り、相手が抵抗の意思を失うまで隔離し差別し叩きのめす・・・。20世紀以降のパレスチナ史を知っている人ならば、この「鉄の壁」こそが『シオニストの道徳』『シオニストの正義』であること、つまりイスラエルが現在も堅持し続ける『建国哲学』の中心であることをご納得いただけるだろう。
[「土地なき民に民なき土地を」の嘘デタラメ]
私のイスラエルに対する吐き気を一層かき立てる事実がある。
イスラエル首相(1969~74)ゴルダ・メイアは1969年に英国紙サンデー・タイムズに対してこう語った。《パレスチナ人などというものは存在しません。・・・。それ(イスラエル建国)は我々がやってきて彼らを自分たちの国から放り出した、などというようなものではないのです。彼らは存在しませんでした。》
ジャボチンスキーは、シオニストが進める植民が『原住民たちから彼らの祖国を奪うこと』であると知っていたからこそ、「鉄の壁」を提唱したのである。彼はまだしもシオニズムの本性を正直に認めてそれを表明した。
そのジャボチンスキーを「ウラジミール・ヒトラー」と呼んで非難したのは社会主義シオニストであるダヴィッド・ベン・グリオンであった。そしてメイアは彼とともにこの国の成立に全力を傾けたのだが、その社会主義者たちが行ったことは「鉄の壁」路線の完遂以外の何物でもない。彼らの暴力と侵略性は「ユダヤ・ファシスト」「ウラジミール・ヒトラー」と何一つ変わるものではなかった。のみならず・・・。
ジャボチンスキーは残忍ではあるが少なくともパレスチナの状況に関して嘘は付かなかった。ベン・グリオンやメイアは残忍な上に大嘘つきである。そしてその残虐さと嘘は、ことごとく米国の庇護と「ホロコースト」、シオニストが支配する世界中のメディアによって覆い隠され正当化されたのである。
ここでパレスチナの人口構成の変遷を見てみよう。1880年に人口は50万人でうちユダヤ人は2万5千人であり、そのほとんどはパレスチナ人と血のつながりの濃い本来の意味のユダヤ人たちだった。
その後ロシアでのポグロムが本格化したためユダヤ人の大量流入が起こり、1882年から1917年までに約5万人がパレスチナに移住した。第1次大戦後の1922年では、委任統治を開始した英国による調査で、パレスチナ人67万人、ベドウィン7万人、そしてユダヤ人は6万人とされる。
その後、ドイツでヒトラー政権が誕生するとユダヤ人の移入は急激に増え、1933年に3万人、34年に4万2千人、35年には6万1千人の入植者が新たにやってくることとなり、1939年にはユダヤ人人口は44万5千に膨らんだ。そして英国がパレスチナの委任統治を国際連合に委ねた1947年4月には、パレスチナ人130万人に対してユダヤ人は60万人と推定された。このように、欧州で「反ユダヤ主義」が高まるごとにユダヤ人移民が増え「建国」へと近付いていったことにも注目しておこう。
そのうえで同年11月に国連は、米国の圧力により、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ人のものとする、パレスチナ人には到底納得できない分割案を可決したのである。その後、集団的暴力と大量虐殺、組織的な破壊活動によって「鉄の壁」が建設され、そして、メイアは涼しい顔で言った。《パレスチナ人などというものは存在しません》。
付け加えなければならないことがある。
イスラエルをユダヤ教の国というのは大間違いであり、この国の政府の統計でもユダヤ教を信仰している人は人口の15%に過ぎない。ところが、国民の90%がこの国を「神が与えたものである」と主張する。信じてもいない「神」が・・・。
ヘルツル、ジャボチンスキー、ベギン、ベン・グリオン、メイア、・・・、彼らはことごとく無神論者だ。ユダヤ教への信仰心など全く無い。そのメイアがこう言う。《この国は神自身によって為された約束の実現として存在する》。ベギンも言う。《この土地は我々に約束されたものであり、我々はそれを受け取る権利を持っている》。
嘘付きもここまでくれば立派なものだ。ジャボチンスキーが言った「シオニストの道徳」「シオニストの正義」の要件としてもう一つの項目を加える必要があろう。『平然と嘘をつくこと』。
だかしかし、「鉄の壁」はパレスチナ人に対してだけ作られたものではない。これは何重にも強調されなければならない。第2次世界大戦以降、シオニストとイスラエルは、アラブ人に対しては実弾を使い、世界に対しては虚構を用いて、それぞれに対する「鉄の壁」を築きあげてきたのだ。
このイスラエル建国、すなわち『土地なき民に民なき土地を』という人類史上まれに見る大掛かりであからさまな政治・言論詐欺は、世界中の人間に向けて作られた「鉄の壁」によって始めて実現しえたものである。この「鉄の壁」はシオニスト・プロパガンダの道具である各国メディアと出版・映画など文化機関、各国教育機関、および各国政治党派、特に左翼勢力を使っての、総がかりの心理・情報戦争による戦果であり、欧米・日本などの社会で巨大な「ユダヤのタブー」としてそそり立っている。その最大の支柱が「ホロコースト」であることは言うまでもない。
ただ、少しは相手の言い分も聞いてやらねばなるまい。2006年6月にガザ地区の子供や婦人を含む一般市民に対する虐殺を国際的に非難された際にイスラエル当局者はこう言った。「我々は戦時中なのだ」と。その通り。正しい。イスラエル国家はイスラム世界を相手に、そしてシオニストは世界を相手に、戦争の継続中なのである。19世紀末から100年以上もの間、世界は常に「戦時中」なのだ 。世界各地でその「熱い局面」と「冷たい局面」が作られてきてはいるが、世界に対するシオニストの戦争が一瞬たりともその歩行を止めたことはない。
戦争にはプロパガンダが必要でありプロパガンダは何よりも強力な武器である。嘘を作り、嘘を広め、嘘を信じ込ませることは、敵に対する最も有効な攻撃なのだ。要は「だまされるヤツ」が馬鹿なのである。それにしても、この無神論者どもが口にする「神」とは一体何物であろうか?誰がパレスチナの土地を「約束した」というのだろうか?
[イスラエルは植民地?]
イスラエルが石油地帯である中東を支配するために作られた米国(あるいは英国)の「植民地国家」ではないか、という議論は以前から存在する。特にジェフ・ハルパーやノーム・チョムスキーなどの左翼系のユダヤ人たちを中心にして、このような見方を採用し、あるいはそれに影響を受ける知識人が数多く存在する。
イスラエルでパレスチナ人の家屋を破壊する政府の方針に対しての反対運動を指導しているベン・グリオン大学教授ジェフ・ハルパーは次のように語る。
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【前略】
もちろんだが、イスラエルは米国のユダヤ人社会を支える中心人物たちにとって最大の関心事であり続けている。彼らは今や、ネオ・コンの方針に、つまりそれゆえに、米国の外交政策と軍事戦略を作り上げることの中にイスラエルの問題を切れ目無く統合させるために、政治的影響力を発揮しているのである。それは、ユダヤ人たちがいかにアメリカの生活に同化してきているのか、いかに彼らがアメリカと完全に自己同一化して「中東唯一の民主国家」イスラエルをその延長と見なしているのか、を示すものである。ネオ・コンの方針を定義する「文明の衝突」のパラダイムの中で、アメリカ合衆国は十字軍の先制攻撃に着手している。それは、アメリカの価値観により即応し、そうしてアメリカの(およびその協力による)教化の下にアメリカの利益によりよく沿うように各国政府を導いていくための、「世界民主主義革命」による政権転覆を引き起こすことが目的である。真のアメリカ新世紀におけるアメリカ帝国なのだ。イスラエルは、こうして、三つの等式にピッタリと当てはまるのだ。第一に、イスラエルはアメリカが見本として掲げるこの種の強調すべき(そしてアメリカの気前よさが与えるイスラエルの利益がいかに他の政権を説得することに役に立つか、という)事を代表している。次に、イスラエルは更なるアメリカの利益のために軍事的能力と政治的行動力を持っている点である。そして第三には、イスラエルが十字軍最大の「戦場」である中東に位置している点である。そこでイスラエルはアメリカが最悪の敵と呼ぶ「イスラム過激派」と対峙しているのだ。強いイスラエルは、すなわち強いアメリカを意味するのである。
【後略】
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もちろんハルパーは現在のイスラエルと米国の中東戦略を強く批判している。しかしそのイスラエルに対する視点は、ご覧になって分かる通り「アメリカ帝国の延長としてのイスラエル」なのだ。ネオ・コンのユダヤ人たちはあくまでも「アメリカ人」であり、アメリカに同化し切りアメリカを代表する人間たちになっている。この観点からすると、イスラエルの建国は「中東におけるアメリカ帝国の植民地建設」となる。
たしかに先ほどのジャボチンスキーの文章からも明らかな植民地主義が見て取れる。とりわけ200万人、資料によってはもっと多かったと言われるアメリカ先住民の大虐殺と土地・資源の略奪を平然と行ってきた者達のことを、《初めて真の開拓を行った》、《偉大な開拓者》、《高い道徳性を有する人々》、《赤い人々との平和を維持したいと願ったばかりではなく蝿一匹にさえ憐みをかけることが出来た人々》などという明白な虚構によるレトリックを用いて褒め称えるところなど、このユダヤ・ファシストとアングロサクソンとの深い関係を疑わせるものである。
そしてアメリカ合衆国は先住民大虐殺の生き残りを、不毛な狭い土地を「居住区」として閉じ込め、徹底した差別の元に置いた。先住民たちは《打ち破ることの出来ない鉄の壁》を目の前にしてあらゆる抵抗の意思を失い、《立ち退きをしないで済む保証や平等や自治権といった実践的な問題》で譲歩せざるを得なかったのである。ジャボチンスキーの「鉄の壁」のお手本がアメリカ合衆国にあったことは明白 である。
ジャボチンスキーは言及していないが、アングロサクソンたちの姿勢はオーストラリア先住民に対しても全く同様であったし、最良の土地と豊富な資源を奪い取り先住民を隔離した「アパルトヘイト国家」南アフリカもその同類に他ならない。これがまさしく彼らの「道徳」であり「正義」である。《それ以外の道徳性など存在しない》のだ。ジャボチンスキーの論理、すなわちイスラエルの国是はこのアングロサクソン帝国主義の直接の延長と言えないこともない。
ただ一つ、十分に注意しなければならない点がある。我々は普段から国境線と国民国家の概念に慣らされているため、「イギリス」「フランス」「スペイン」といった宗主国の名を語る。ではイスラエルが「植民地」だとしてその宗主国はどこか。やはり米国だろうか。あるいは英国か。しかし奇妙なことがある。
英国は確かにあのロスチャイルドに宛てたバルフォアの手紙によってイスラエル建国のきっかけを作り建国後も常にイスラエルに肩入れしてきたのだが、委任統治時代には「ユダヤ人国家」の建設を渋り、ジャボチンスキー集団のイルグンやレヒによって多数の政治家や外交官を殺害されている。
またイスラエルが米国の総力をあげた支援がなかったならばとうに消滅していたはずの国であるにも関わらず、その米国は1967年の「6日戦争」の最中にイスラエルから調査船USSリバティーを攻撃されて 多数の死傷者を出した。さらに83年のイスラエルによるレバノン侵攻の際にも(ほぼ間違いなく)イスラエルが仕組んだ爆弾テロによって250名もの兵士を失っている。その上に、現在までイスラエルによる数多くのスパイ活動に苦しんでいるのだ。2001年の9・11事件にしてもイスラエルによる犯行を叫ぶ人もいる。
そして両国とも、米国がジョナサン・ポランドをスパイ容疑で懲役刑に処した以外、一度たりともイスラエルに対して強い態度を表明できないでいる。そればかりか21世紀に入っても、まるでイスラエルが米国や英国の鼻面を引きずり回すようにイラク・中東戦争の泥沼に引きずり込んだような印象さえ受ける。
まさに「主客転倒」であり、これを、宗主国である英国に対して独立を宣言したアメリカ合衆国のような「植民地の反乱」の類であるとは、到底考えることができない。もはや国家を基準にした発想ではまるで理解が不可能 となってしまうのだ。
先ほどの疑問に戻ろう。歴代イスラエル指導者の無神論者どもが口にする「神」とは一体何物か? 誰によってパレスチナの土地が《約束された》のだろうか? さらに言えば、あのやせこけた近東の土地の小片を奪う目的だけであれほどに大掛かりなキャンペーンを用いるのだろうか? この「神」の目的は一体何なのか? ここが現在の中東と世界の問題の鍵を握るポイントであろうが、しかし結論を急ぐことは敢えて避けよう。
第4部 メナヘム・ベギンとスターリン
[ソヴィエト連邦とイスラエル]
共産主義の「教祖」カール・マルクスはユダヤ教ラビの息子であり、ロシア革命は「ユダヤ革命」といっても過言ではないほど数多くのユダヤ人によって指揮された政権転覆運動だった。その最高指導者は自らユダヤの血を受け継ぎユダヤ人を妻に持つレーニンであり、革命当初の共産党の政治局員はトロツキー、カーネメフ、ジノヴィエフ、スヴェルドロフ、ヴォロダルスキーなど、大半がユダヤ人であった。ブハーリンはロシア人だったが妻はユダヤ人であり、ユダヤ人と無関係なロシア人はルイコフやカリーニンくらいであろう。またトロツキーを通して米国のユダヤ人資本家ヤコブ・シフがロシア革命を支援していたのは有名な話である。
また、第1次世界大戦終了直後(1919年)にあえなく挫折したドイツ革命の指導者ローザ・ルクセンブルグもユダヤ人である。そしてドイツ革命とほぼ同時期に発足したアメリカ共産党では約7割の党員がユダヤ人だったと言われ、その後の米国での左翼運動の中心もやはりユダヤ人たちであった。
共産主義を「ユダヤの陰謀」ととらえる見方は根強い。以上のことはよく知られた事実であり、共産主義の敷衍と共産圏の成立に果したユダヤ人の役割の大きさを否定することは不可能である。しかしソ連とイスラエルの関係については意外に知られていないのではないか。イスラエルというとどうしても米国との関係が注目されがちなのだが、その「建国」に関してはむしろソ連の果した役割の方が大きかったのだ。
パレスチナでのシオニスト運動に中心的な役割を果したダヴィッド・ベン・グリオン、およびゴルダ・メイアは共にロシア生まれであった。初代首相となるベン・グリオンは親ソ共産主義のマパム党を率い、その思想を体現する集団農場キブツの普及を推し進め自らその中に住んだ。後にイスラエル首相となるメイアはスターリン時代のソ連の中に太い人脈を持ち初代の駐モスクワ・イスラエル大使となった。メイアがスターリンや影の実力者であるカガノヴィッチと「イスラエルのソ連化」について秘密協定を交わしたという未確認情報もある。その他、ロシア革命の前後からイスラエル建国時期にかけてロシア・東欧諸国からパレスチナに移住したユダヤ人たちにはマルクス主義者が多かったと言われ、その後の米国からの移住者の中にも大勢の米国共産党関係者がいた。
さらに1947年に、アラブ人たちが受け入れるはずもない「パレスチナ分割案」を国連での多数派工作によって押し通したのがトルーマンの米国であると同時にスターリンのソ連であった。「建国」前後のイスラエルにチェコスロバキアを通して武器を送り続けたのもスターリンである。
教科書的にはイスラエルとソ連は冷戦の進行に連れて距離を置いていったことになっており、特に1978年に誕生したベギン・リクード政権は全面的に米国を味方につけ反共の立場を明確にした。しかし少なくとも1950年代まではイスラエルの「庇護者」はソ連であったし、その後も延々と、世界の左翼陣営はイスラエルを支持、あるいは少なくとも同情的な態度を取り続けているのだ。
[スターリンは反シオニストだったのか?]
興味深い写真がある。スターリンが死去した1953年にイスラエルのガアシ・キブツで撮影されたもので、この「赤いツァー」の死を悼んで遺影を飾るキブツ住民の姿が写っている。このガアシ・キブツはベン・グリオン政権与党マパムの系統であった。「建国」当初のイスラエルで、マパムが支配するキブツではしばしばスターリンの誕生日を盛大に祝っていたのである。
さらに、後のイスラエル国防軍の主体となる軍事組織ハガナーの参謀長イツァーク・サデは常に宿営のテントにスターリンの写真を飾り、その部下である士官たちも親ソ的姿勢を公然とさせていた。
もちろん当時の共産主義者の多くがスターリンに忠誠を誓っていたのだが、しかしそれにしても不可思議な風景である。
現在の歴史学者はまず間違いなく「スターリンは反ユダヤ主義者、反シオニストだった」という論に固執する。確かにスターリン時代に投獄・処刑された反対派には数多くのユダヤ人が含まれていたし、第2次大戦後にもユダヤ人芸術家や作家に対する弾圧は続いた。シオニストはもちろんだが、反シオニストの立場をとるユダヤ人学者でもこのような見解を崩さない。
しかしスターリン最大の側近であるラーザリ・カガノヴィッチは紛れもないユダヤ人である。大粛清の実行者であった内務人民委員会(NKVD)の中心でソ連秘密警察に他ならぬ国家保安主局(GUGB)はユダヤ人脈で固められていたといわれ、それを牛耳るラヴレンティ・ベリヤもグルジア出身のユダヤ系の人物だった。中には、真の実力者はカガノヴィッチとベリヤであってスターリンは操り人形に過ぎなかった、さらにはスターリン自身もユダヤ系であったと主張する人もいる。その真偽はともかくも、スターリンが彼の政府から決してユダヤ人を排除しなかったことは明白である。私生活でも彼は3人のユダヤ人女性と結婚しており、特に3番目の妻であるローザはカガノヴィッチの妹であった。このようなスターリンを「反ユダヤ主義者」とするのなら、その「ユダヤ」の定義に疑問を挟まざるを得まい。
そして彼は本当に「反シオニスト」だったのか?もしそうなら、シオニストの国で支配的な立場にある人々がその「反シオニスト」を深く信奉していた、というまことに珍妙な話になる。「援助」や「人脈」だけなら冷戦が始まっていた時期のソ連が採った「現実的な中東政策」ということで落ち着くだろうが、スターリニストがイスラエル自体を設立・運営したという事実と巷の「正史」とがどのような整合性を持つというのか?
[ベギンの不可思議な足取りとソ連]
しかしイスラエルとソ連との不思議な関係はいわゆる「労働左派」に関してばかりではない。最も不可解なものに、ナチスの民族主義に同調した反共主義者であるメナヘム・ベギンとスターリン・ソ連との関係がある。
ベギンの「師匠」であったウクライナ生まれのウラジミール・ジャボチンスキーは心底からの反共主義者であり、ロシア革命の最中にウクライナで反革命勢力の中心であったシモン・ペティルラと同盟を結ぶ工作をしたほどであった。このペティルラが9百回に近いポグロムを指導しおよそ3千名のユダヤ人を虐殺した張本人であったにも関わらずである。彼がその後ヒトラーやムッソリーニに共鳴しその民族排外主義と反共主義を褒め称えたことは前回までに書いた。
ベギン自身も、自らが指導的地位にあったポーランドのベタール支部でナチ同様の制服を身にまとい所作もナチに倣っていた。NKVDが彼に関する情報を手に入れていなかったことはありえない。
ベギンは大戦前夜の1939年5月にワルシャワで、パレスチナへのユダヤ人移民を制限する英国に反対してデモを行い、英国の要請を受けたポーランド当局によって逮捕され数ヶ月の刑務所生活を送った。釈放されたときにはドイツ軍がすでにワルシャワに迫っており、ベギンはパレスチナに行く道を求めてリトアニアに逃げる。しかし翌40年にはリトアニアがソ連に占領され今度はソ連当局によって逮捕されシベリアに送られた。その理由は「政治的なもの」であるといわれるが明らかではない。だが1941年の冬に思いがけなくも釈放される。
その少し前にドイツがソ連に対する侵攻を開始しており、ソ連当局はナチス・ドイツと闘わせるという名目で緊急に国内にいた(拘留者を含む)ポーランド人を集め、ウラジスラフ・アンドレス将軍率いる「新ポーランド軍」を結成させた。ベギンはそこに加えられたのである。彼が強度の近視であるにも関わらず健康診断をした医者が「銃を撃つのに支障は無いと判断した」という。そして彼の所属する部隊は1942年にイランを経てパレスチナに到着し、彼はやがてその部隊から抜けて「イスラエル建国運動」に専念することとなることになるのだが・・・、なぜ「新ポーランド軍」がパレスチナに?
様々に不可解な要素がある。ベギンがソ連に逮捕された理由には「英国のスパイであると見なされた」という説があるが、一方で近年公開された英国MI5の資料によれば、英国諜報機関は彼を「ソ連のエージェント」と見なしてマークしていたのである。ベリヤが実質的に牛耳るNKVDが彼をパレスチナへの工作員として抜擢したのであろうか。真相は闇の中なのだが、いずれにせよ、ソ連当局は一方で共産主義者による「ユダヤ人の祖国」建設を支援しながら、もう一方で最も恐るべき反共主義者をもこの「聖なる地」に送り込んだことになる。
今まで知られていなかったソ連とイスラエルの関係を示すMI5資料によれば、その中には二重スパイとして名高いキム・フィルビーによるものも混じるが、ベギンがパレスチナに到着して以降、NKVDは彼の足取りを常に密接に追跡していた。ベギンは英国の「賞金首のお尋ね者」として変装や整形を繰り返して地下活動を続けていたのである。また彼がソ連諜報員からの資金提供を受けていた可能性は高く、1947年に起こったベギン最大の反英テロであるキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件にソ連が関わっていることが示唆されている。
当然のことだが、ソ連は共産主義者が主導するユダヤ軍事組織ハガナーにも資金を提供し軍事顧問を派遣していた。このスターリニストが中心のシオニスト「労働左派」はベギンらジャボチンスキー系統の「修正主義者」を常に敵視していたと言われ、実際にその末端では殺し合いまで起こっている。しかし不思議なことにその「修正主義者」の主要メンバーが「粛清」されることはなかった。彼らは「共産主義イスラエル」の内部で生き延びたばかりか、徐々にこの国の主導的な勢力にまで成長するのだ。
ソ連が中東地域にスパイ網を確立させたのはそれよりもはるか以前のことであり、1923年にはすでにパレスチナに「常駐員」を置いてハガナーの中で活動していたといわれる。彼らは旧ロシア帝国内に住んでいたユダヤ人たちであり、中東~中央アジアの諜報システムを統括し1937年に殺害されたゲオルギィ・アガベコフによると、その時期に「シオニスト党の3人のメンバーがパレスチナからモスクワにやってきてOGPU(後のKGB)とのコネクションを確立させた」。しかし同時にソ連は1937年以来、ハガナーと袂を分かったジャボチンスキー系の武装組織であるETZEL(一般にはイルグンと呼ばれる)にもエージェントを送り込んでいた。そして、当然のごとくだが、そのイルグンは後にベギンによって指導されるようになる。
現在のイスラエル国防軍は、ハガナーを主体として、イルグン、および同じくジャボチンスキー系のイツァーク・シャミールが所属した親ナチ・テロ組織レヒが合体して誕生した。このイルグンとレヒが行った数々のテロ行為について、彼らの殺人と破壊工作はもっぱら「イスラエル建国」に反感を示す欧州の人士に対するものであり、「建国」への障害を力づくで排除したものである。
「反シオニスト、反ユダヤ主義者」スターリンのソ連が行使した、パレスチナへの「右」も「左」も無い影響力に関しては冷戦の「方便」として合理化する人が多いだろうが、このような事実を見る限りではむしろ「イスラエル建国」自体が最大の目的であったように思える。
なおジャボチンスキーはイスラエルでは「ハガナー創設者の一人」として尊ばれている。ここでもやはり「右」も「左」も存在しない。そこにあるのは「ユダヤ人の祖国イスラエル」のみである。
20世紀は「イデオロギーの時代」と言われ、それを最も強く意識させたのが「冷戦」なのだが、このイスラエルという地に視点を移しそこから「冷戦構造」を見つめなおしてみるならば、それが単なる虚構に過ぎなかったのではないのか、という疑問が沸き起こってこざるを得ない 。
[イデオロギーという名の虚構]
1938年にポーランドでベタール国際会議が開かれたのだが、その席で、あくまで英国の影響力を排除して欧州のユダヤ人を早急にパレスチナに移住させることを主張した若きメナヘム・ベギンに対し、ウラジミール・"ゼエヴ"・ジャボチンスキーは次のようにたしなめたと言う。
《ベギンさん、もし世界に良心が残っているということを信じないのなら、あなたにはヴィスツラ川の深みに身を投げる以外の選択はありません。あるいは共産主義者になるか、でしょう。》
『あるいは共産主義者になるか・・・』、歴史家はこのジャボチンスキーの発言を血気にはやるベギンに対する皮肉を込めた戒め、と受け取るかもしれない。しかしこれを、皮肉ではなく実質的な「指示」だったと解釈したならば、どうだろうか。現にその後のベギンの足取りは、彼が共産主義者の方針に沿って動き、その陰ながらの支援と庇護を受け続けたことを傍証しているのである。彼らの極右反共民族主義は、ソ連の共産主義と何らの齟齬をももたらさなかったのであろう。
こうしてみると「イデオロギー」こそ「方便=聖なる虚構」に過ぎぬ、という別の観点が可能となる。「イデオロギーの時代」は20世紀を特徴付けるものとして歴史の教科書で語られるが、要するにそれは『大嘘が支配する時代』 を指すに過ぎないのではないか。そのことは現在のネオコンが主張する「民主主義革命」の内実を見ても明らかになろう。
思想、哲学などは要するに言葉による観念操作(マインド・コントロール)の基本コードであり、それが何らかの集団による何らかの実質的な利益を伴う行動に向けられる際に様々な幻術的色彩を施したプロパガンダが産み出されていく。
いったんその基本コードによって観念操作を受けた人間の脳はそのプロパガンダを疑うことなく受け入れ条件反射的に行動してしまう。ナチズムと共産主義はその壮大な実験として実行された側面がある。そしてそれらが共同で成し遂げたことは何か。
すべてがイスラエルに集中している。どうやらこの国が近代史の鍵穴のようである。ここから次々と隠されていた扉が開かれていくのだろう。
[国祖ジャボチンスキー]
2005年3月、イスラエル議会(クネセット)は『ゼエヴ・ジャボチンスキー法案』を可決し、「シオニズムの偉大な始祖を記念するジャボチンスキーの日」の設定を決めた。
同種の法案は今までに、シオニズムの開祖テオドル・ヘルツル、および2001年にPFLPによって暗殺されたレハヴァム・ゼエヴィに対して作られたものがあるのみであるが、このゼエヴィにしてもリクード党の大物幹部、ジャボチンスキー直系である。
このウラジミール・(ゼエヴ・)ジャボチンスキーは、ヘルツル、ゴルダ・メイアなどと共にエルサレムのヘルツルの丘に埋葬されているイスラエルの「国祖」の一人である。さらにこの国にはジャボチンスキー研究所やその博物館、図書館などが設けられている。
そればかりではない。イスラエル政府は、ユダヤ人・非ユダヤ人を問わず、イスラエルとシオニズムに貢献した人物に「ジャボチンスキー賞」を授与するのである。
ベギン首相当時の1981年に米国のクリスチャン・シオニスト指導者であるジェリー・フォールウェル、1985年に元米国国連大使でオプス・デイ関係者との噂もあるジーン・カーパトリックが、外国籍の人物としてこれを受賞している。
ところが米国ではブナイブリスの代表的機関であるADLが独自の「ジャボチンスキー賞」を設定しているのだ。この賞は1988年にあの「ナチ・ハンター」サイモン・ヴィゼンタールに授与された。それ以前にはメナヘム・ベギン、およびニューヨーク市長(1978-89)を務めたエド・コッチに授与されただけという、特別な意味を持つ賞である。しかし、イスラエル首相でジャボチンスキー自身の「直弟子」であるベギンが、ADLから「ジャボチンスキー賞」を授与されるとは?
このADLの委員長エイブラハム・フォックスマンは、ムッソリーニの熱烈な賛美者であるシルヴィオ・ベルルスコーニとは無二の親友であり、そのムッソリーニとジャボチンスキーの深い関係は前回までに申し上げた通りである。こういった事実はユダヤ・ファシズムの本流が実際には米国にあることを示しているのかもしれない。
また米国の隣国カナダといえば「新世界のロスチャイルド」ブロンフマン家のお膝元、世界ユダヤ人会議議長エドガー・ブロンフマンが君臨する国なのだが、ここでもまた、ブナイブリスやベタールなどが主催する「ゼエヴ・ジャボチンスキー記念行事」が毎年華々しく開催されている。そしてそのブロンフマン家は、元々は米国でメイア・ランスキーと並んでユダヤ・マフィアを取り仕切っていた。
これほどにシオニストの間で別格の地位にあるジャボチンスキーなのだが、日本での扱いは「不当」としか言いようのないほど小さい。シオニズムをファシズムの一種、イスラエルをファシズム国家として、認識させまいとする圧力が働いているのか?
[鉄の壁]
ここでジャボチンスキー自身の声を聞こう。1923年に書かれた「鉄の壁:我々とアラブ人たち」の一部を抜粋して翻訳する。これは、パレスチナの土地をアラブ人との交渉によって手に入れようとする当時のシオニスト主流派に対する反論として書かれたものである。
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【前略】
読者の方々はみな、他の植民地化が行われてきた国々の初期の歴史に関するいくらかの認識をお持ちである。私はあなた方にあらゆる有名な実例を思い起こすことをお勧めする。もしあなたが、現地人との合意を得て為された植民地化の例を一つでも探そうとするなら、それは失敗に終わるだろう。住民たちは(文明化されていようが野蛮なままであろうが)常に頑強な戦いを続けてきた。さらにいえば、植民者たちがどのように行動するかは結局何の影響も与えなかった。ペルーやメキシコを征服したスペイン人たちは、あるいはヨシュア・ベン・ヌンの時代に我々自身の先祖もそうだったと言う人もいるだろうが、あたかも山賊のようにふるまった。しかし北アメリカでは、初めて真の開拓を行ったあの「偉大な開拓者」、イングランド人、スコットランド人、オランダ人たちは高い道徳性を有する人々であった。彼らは赤い人々との平和を維持したいと願ったばかりではなく蝿一匹にさえ憐みをかけることが出来た人々だった。あの処女林と広大な原野の大きな空間は白人と赤い人々が共に使うことが出来ると、あらゆる誠実さと純真さをもって信じる人々だったのだ。しかしながら原住民たちは、野蛮な植民者たちに対しても文明化された植民者たちに対しても、共通して、同じレベルの残虐さで抵抗したのである。
もう一つの全く役に立たなかった視点は、植民者がその土地から自分たちを追い出したいと考えていると原住民たちが疑っているかどうかを問題にすることだった。米国の広大な土地には決して百万人あるいは二百万人を超えるインディアンたちが住んでいるわけではなかった。住民たちは、自分たちが追い出されるのではないかという恐れから白人の植民者と戦ったのではない。その理由は単純だ。どこであろうがいつであろうが、自分の国の中で他の植民者を受け入れるような原住民がいたためしがない、ということである。どのような原住民たちも、文明化されているか野蛮であるかに関わらず、自分の住む地域を自分たちの祖国と見なすものである。新しい主人ばかりでなく、たとえそれが新しいパートナーであったとしても、彼らが自主的にそれを受け入れるようなことは決して無いだろう。
【中略】
シオニストの植民は、その最も控えめなものであっても、やめてしまうかあるいは原住民たち意思を無視して実行されるかのどちらかでなければならない。それゆえに、この植民は地元の住民とは無関係の権力による保護のもとにのみ続けられ発展させることが出来る。つまり原住民たちが打ち破ることの出来ない鉄の壁である。これがアラブ人に対する我々の方針の全てなのだ。他の方法でこれを成し遂げることは偽善に過ぎまい。
【中略】
現実に生きている人間というものは、もはや何の希望も残されていないときにのみ、そのような決定的となる問題に対して大幅な譲歩を行うのである。その鉄の壁に何一つ傷を付けることが出来ない事実と向き合うときにだけ、そのような場合にのみ、過激グループがその支配力を失い主導権が穏健グループの方に移るのだ。そのような場合にのみ、これらの穏健グループが我々のところにやって来てお互いの譲歩を提案することだろう。そしてそのような場合にのみ、穏健派が、立ち退きをしないで済む保証や平等や自治権といった実践的な問題に関する約束の提案を行うことだろう。
【中略】
しかしそのような合意に向かう唯一の道はこの鉄の壁である。それは言ってみればパレスチナでアラブ人によるあらゆる種類の影響を排除した一つの政府を強力に作り上げることであり、そしてアラブ人たちが必ずそれに対して戦うであろうものだといえる。言い換えると、我々にとって将来の合意に向けての唯一の道は、今現在において合意へ向けてのいかなる試みをも完全に拒否することである。
【中略】
我々は、シオニズムが道徳であり正義であると主張する。そしてそれが道徳であり正義であるがゆえに、正義は果されなければならないのだ。ジョセフが、シモンが、イヴァンが、あるいはアクメットがこれを認めようとそうでなかろうと、問題ではない。 それ以外の道徳性など存在しないのだ。
【後略】
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私はこの「鉄の壁」を読むたびに心底から吐き気を覚える。これほどに厚かましい強盗の論理があるだろうか。虚構の北米「開拓」史を捏造し、初めから他人の権利を無視しあらゆる理性的な合意を無視して、抵抗不可能な圧倒的な暴力と強権を駆使して財産を奪い取り、相手が抵抗の意思を失うまで隔離し差別し叩きのめす・・・。20世紀以降のパレスチナ史を知っている人ならば、この「鉄の壁」こそが『シオニストの道徳』『シオニストの正義』であること、つまりイスラエルが現在も堅持し続ける『建国哲学』の中心であることをご納得いただけるだろう。
[「土地なき民に民なき土地を」の嘘デタラメ]
私のイスラエルに対する吐き気を一層かき立てる事実がある。
イスラエル首相(1969~74)ゴルダ・メイアは1969年に英国紙サンデー・タイムズに対してこう語った。《パレスチナ人などというものは存在しません。・・・。それ(イスラエル建国)は我々がやってきて彼らを自分たちの国から放り出した、などというようなものではないのです。彼らは存在しませんでした。》
ジャボチンスキーは、シオニストが進める植民が『原住民たちから彼らの祖国を奪うこと』であると知っていたからこそ、「鉄の壁」を提唱したのである。彼はまだしもシオニズムの本性を正直に認めてそれを表明した。
そのジャボチンスキーを「ウラジミール・ヒトラー」と呼んで非難したのは社会主義シオニストであるダヴィッド・ベン・グリオンであった。そしてメイアは彼とともにこの国の成立に全力を傾けたのだが、その社会主義者たちが行ったことは「鉄の壁」路線の完遂以外の何物でもない。彼らの暴力と侵略性は「ユダヤ・ファシスト」「ウラジミール・ヒトラー」と何一つ変わるものではなかった。のみならず・・・。
ジャボチンスキーは残忍ではあるが少なくともパレスチナの状況に関して嘘は付かなかった。ベン・グリオンやメイアは残忍な上に大嘘つきである。そしてその残虐さと嘘は、ことごとく米国の庇護と「ホロコースト」、シオニストが支配する世界中のメディアによって覆い隠され正当化されたのである。
ここでパレスチナの人口構成の変遷を見てみよう。1880年に人口は50万人でうちユダヤ人は2万5千人であり、そのほとんどはパレスチナ人と血のつながりの濃い本来の意味のユダヤ人たちだった。
その後ロシアでのポグロムが本格化したためユダヤ人の大量流入が起こり、1882年から1917年までに約5万人がパレスチナに移住した。第1次大戦後の1922年では、委任統治を開始した英国による調査で、パレスチナ人67万人、ベドウィン7万人、そしてユダヤ人は6万人とされる。
その後、ドイツでヒトラー政権が誕生するとユダヤ人の移入は急激に増え、1933年に3万人、34年に4万2千人、35年には6万1千人の入植者が新たにやってくることとなり、1939年にはユダヤ人人口は44万5千に膨らんだ。そして英国がパレスチナの委任統治を国際連合に委ねた1947年4月には、パレスチナ人130万人に対してユダヤ人は60万人と推定された。このように、欧州で「反ユダヤ主義」が高まるごとにユダヤ人移民が増え「建国」へと近付いていったことにも注目しておこう。
そのうえで同年11月に国連は、米国の圧力により、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ人のものとする、パレスチナ人には到底納得できない分割案を可決したのである。その後、集団的暴力と大量虐殺、組織的な破壊活動によって「鉄の壁」が建設され、そして、メイアは涼しい顔で言った。《パレスチナ人などというものは存在しません》。
付け加えなければならないことがある。
イスラエルをユダヤ教の国というのは大間違いであり、この国の政府の統計でもユダヤ教を信仰している人は人口の15%に過ぎない。ところが、国民の90%がこの国を「神が与えたものである」と主張する。信じてもいない「神」が・・・。
ヘルツル、ジャボチンスキー、ベギン、ベン・グリオン、メイア、・・・、彼らはことごとく無神論者だ。ユダヤ教への信仰心など全く無い。そのメイアがこう言う。《この国は神自身によって為された約束の実現として存在する》。ベギンも言う。《この土地は我々に約束されたものであり、我々はそれを受け取る権利を持っている》。
嘘付きもここまでくれば立派なものだ。ジャボチンスキーが言った「シオニストの道徳」「シオニストの正義」の要件としてもう一つの項目を加える必要があろう。『平然と嘘をつくこと』。
だかしかし、「鉄の壁」はパレスチナ人に対してだけ作られたものではない。これは何重にも強調されなければならない。第2次世界大戦以降、シオニストとイスラエルは、アラブ人に対しては実弾を使い、世界に対しては虚構を用いて、それぞれに対する「鉄の壁」を築きあげてきたのだ。
このイスラエル建国、すなわち『土地なき民に民なき土地を』という人類史上まれに見る大掛かりであからさまな政治・言論詐欺は、世界中の人間に向けて作られた「鉄の壁」によって始めて実現しえたものである。この「鉄の壁」はシオニスト・プロパガンダの道具である各国メディアと出版・映画など文化機関、各国教育機関、および各国政治党派、特に左翼勢力を使っての、総がかりの心理・情報戦争による戦果であり、欧米・日本などの社会で巨大な「ユダヤのタブー」としてそそり立っている。その最大の支柱が「ホロコースト」であることは言うまでもない。
ただ、少しは相手の言い分も聞いてやらねばなるまい。2006年6月にガザ地区の子供や婦人を含む一般市民に対する虐殺を国際的に非難された際にイスラエル当局者はこう言った。「我々は戦時中なのだ」と。その通り。正しい。イスラエル国家はイスラム世界を相手に、そしてシオニストは世界を相手に、戦争の継続中なのである。19世紀末から100年以上もの間、世界は常に「戦時中」なのだ 。世界各地でその「熱い局面」と「冷たい局面」が作られてきてはいるが、世界に対するシオニストの戦争が一瞬たりともその歩行を止めたことはない。
戦争にはプロパガンダが必要でありプロパガンダは何よりも強力な武器である。嘘を作り、嘘を広め、嘘を信じ込ませることは、敵に対する最も有効な攻撃なのだ。要は「だまされるヤツ」が馬鹿なのである。それにしても、この無神論者どもが口にする「神」とは一体何物であろうか?誰がパレスチナの土地を「約束した」というのだろうか?
[イスラエルは植民地?]
イスラエルが石油地帯である中東を支配するために作られた米国(あるいは英国)の「植民地国家」ではないか、という議論は以前から存在する。特にジェフ・ハルパーやノーム・チョムスキーなどの左翼系のユダヤ人たちを中心にして、このような見方を採用し、あるいはそれに影響を受ける知識人が数多く存在する。
イスラエルでパレスチナ人の家屋を破壊する政府の方針に対しての反対運動を指導しているベン・グリオン大学教授ジェフ・ハルパーは次のように語る。
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【前略】
もちろんだが、イスラエルは米国のユダヤ人社会を支える中心人物たちにとって最大の関心事であり続けている。彼らは今や、ネオ・コンの方針に、つまりそれゆえに、米国の外交政策と軍事戦略を作り上げることの中にイスラエルの問題を切れ目無く統合させるために、政治的影響力を発揮しているのである。それは、ユダヤ人たちがいかにアメリカの生活に同化してきているのか、いかに彼らがアメリカと完全に自己同一化して「中東唯一の民主国家」イスラエルをその延長と見なしているのか、を示すものである。ネオ・コンの方針を定義する「文明の衝突」のパラダイムの中で、アメリカ合衆国は十字軍の先制攻撃に着手している。それは、アメリカの価値観により即応し、そうしてアメリカの(およびその協力による)教化の下にアメリカの利益によりよく沿うように各国政府を導いていくための、「世界民主主義革命」による政権転覆を引き起こすことが目的である。真のアメリカ新世紀におけるアメリカ帝国なのだ。イスラエルは、こうして、三つの等式にピッタリと当てはまるのだ。第一に、イスラエルはアメリカが見本として掲げるこの種の強調すべき(そしてアメリカの気前よさが与えるイスラエルの利益がいかに他の政権を説得することに役に立つか、という)事を代表している。次に、イスラエルは更なるアメリカの利益のために軍事的能力と政治的行動力を持っている点である。そして第三には、イスラエルが十字軍最大の「戦場」である中東に位置している点である。そこでイスラエルはアメリカが最悪の敵と呼ぶ「イスラム過激派」と対峙しているのだ。強いイスラエルは、すなわち強いアメリカを意味するのである。
【後略】
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もちろんハルパーは現在のイスラエルと米国の中東戦略を強く批判している。しかしそのイスラエルに対する視点は、ご覧になって分かる通り「アメリカ帝国の延長としてのイスラエル」なのだ。ネオ・コンのユダヤ人たちはあくまでも「アメリカ人」であり、アメリカに同化し切りアメリカを代表する人間たちになっている。この観点からすると、イスラエルの建国は「中東におけるアメリカ帝国の植民地建設」となる。
たしかに先ほどのジャボチンスキーの文章からも明らかな植民地主義が見て取れる。とりわけ200万人、資料によってはもっと多かったと言われるアメリカ先住民の大虐殺と土地・資源の略奪を平然と行ってきた者達のことを、《初めて真の開拓を行った》、《偉大な開拓者》、《高い道徳性を有する人々》、《赤い人々との平和を維持したいと願ったばかりではなく蝿一匹にさえ憐みをかけることが出来た人々》などという明白な虚構によるレトリックを用いて褒め称えるところなど、このユダヤ・ファシストとアングロサクソンとの深い関係を疑わせるものである。
そしてアメリカ合衆国は先住民大虐殺の生き残りを、不毛な狭い土地を「居住区」として閉じ込め、徹底した差別の元に置いた。先住民たちは《打ち破ることの出来ない鉄の壁》を目の前にしてあらゆる抵抗の意思を失い、《立ち退きをしないで済む保証や平等や自治権といった実践的な問題》で譲歩せざるを得なかったのである。ジャボチンスキーの「鉄の壁」のお手本がアメリカ合衆国にあったことは明白 である。
ジャボチンスキーは言及していないが、アングロサクソンたちの姿勢はオーストラリア先住民に対しても全く同様であったし、最良の土地と豊富な資源を奪い取り先住民を隔離した「アパルトヘイト国家」南アフリカもその同類に他ならない。これがまさしく彼らの「道徳」であり「正義」である。《それ以外の道徳性など存在しない》のだ。ジャボチンスキーの論理、すなわちイスラエルの国是はこのアングロサクソン帝国主義の直接の延長と言えないこともない。
ただ一つ、十分に注意しなければならない点がある。我々は普段から国境線と国民国家の概念に慣らされているため、「イギリス」「フランス」「スペイン」といった宗主国の名を語る。ではイスラエルが「植民地」だとしてその宗主国はどこか。やはり米国だろうか。あるいは英国か。しかし奇妙なことがある。
英国は確かにあのロスチャイルドに宛てたバルフォアの手紙によってイスラエル建国のきっかけを作り建国後も常にイスラエルに肩入れしてきたのだが、委任統治時代には「ユダヤ人国家」の建設を渋り、ジャボチンスキー集団のイルグンやレヒによって多数の政治家や外交官を殺害されている。
またイスラエルが米国の総力をあげた支援がなかったならばとうに消滅していたはずの国であるにも関わらず、その米国は1967年の「6日戦争」の最中にイスラエルから調査船USSリバティーを攻撃されて 多数の死傷者を出した。さらに83年のイスラエルによるレバノン侵攻の際にも(ほぼ間違いなく)イスラエルが仕組んだ爆弾テロによって250名もの兵士を失っている。その上に、現在までイスラエルによる数多くのスパイ活動に苦しんでいるのだ。2001年の9・11事件にしてもイスラエルによる犯行を叫ぶ人もいる。
そして両国とも、米国がジョナサン・ポランドをスパイ容疑で懲役刑に処した以外、一度たりともイスラエルに対して強い態度を表明できないでいる。そればかりか21世紀に入っても、まるでイスラエルが米国や英国の鼻面を引きずり回すようにイラク・中東戦争の泥沼に引きずり込んだような印象さえ受ける。
まさに「主客転倒」であり、これを、宗主国である英国に対して独立を宣言したアメリカ合衆国のような「植民地の反乱」の類であるとは、到底考えることができない。もはや国家を基準にした発想ではまるで理解が不可能 となってしまうのだ。
先ほどの疑問に戻ろう。歴代イスラエル指導者の無神論者どもが口にする「神」とは一体何物か? 誰によってパレスチナの土地が《約束された》のだろうか? さらに言えば、あのやせこけた近東の土地の小片を奪う目的だけであれほどに大掛かりなキャンペーンを用いるのだろうか? この「神」の目的は一体何なのか? ここが現在の中東と世界の問題の鍵を握るポイントであろうが、しかし結論を急ぐことは敢えて避けよう。
第4部 メナヘム・ベギンとスターリン
[ソヴィエト連邦とイスラエル]
共産主義の「教祖」カール・マルクスはユダヤ教ラビの息子であり、ロシア革命は「ユダヤ革命」といっても過言ではないほど数多くのユダヤ人によって指揮された政権転覆運動だった。その最高指導者は自らユダヤの血を受け継ぎユダヤ人を妻に持つレーニンであり、革命当初の共産党の政治局員はトロツキー、カーネメフ、ジノヴィエフ、スヴェルドロフ、ヴォロダルスキーなど、大半がユダヤ人であった。ブハーリンはロシア人だったが妻はユダヤ人であり、ユダヤ人と無関係なロシア人はルイコフやカリーニンくらいであろう。またトロツキーを通して米国のユダヤ人資本家ヤコブ・シフがロシア革命を支援していたのは有名な話である。
また、第1次世界大戦終了直後(1919年)にあえなく挫折したドイツ革命の指導者ローザ・ルクセンブルグもユダヤ人である。そしてドイツ革命とほぼ同時期に発足したアメリカ共産党では約7割の党員がユダヤ人だったと言われ、その後の米国での左翼運動の中心もやはりユダヤ人たちであった。
共産主義を「ユダヤの陰謀」ととらえる見方は根強い。以上のことはよく知られた事実であり、共産主義の敷衍と共産圏の成立に果したユダヤ人の役割の大きさを否定することは不可能である。しかしソ連とイスラエルの関係については意外に知られていないのではないか。イスラエルというとどうしても米国との関係が注目されがちなのだが、その「建国」に関してはむしろソ連の果した役割の方が大きかったのだ。
パレスチナでのシオニスト運動に中心的な役割を果したダヴィッド・ベン・グリオン、およびゴルダ・メイアは共にロシア生まれであった。初代首相となるベン・グリオンは親ソ共産主義のマパム党を率い、その思想を体現する集団農場キブツの普及を推し進め自らその中に住んだ。後にイスラエル首相となるメイアはスターリン時代のソ連の中に太い人脈を持ち初代の駐モスクワ・イスラエル大使となった。メイアがスターリンや影の実力者であるカガノヴィッチと「イスラエルのソ連化」について秘密協定を交わしたという未確認情報もある。その他、ロシア革命の前後からイスラエル建国時期にかけてロシア・東欧諸国からパレスチナに移住したユダヤ人たちにはマルクス主義者が多かったと言われ、その後の米国からの移住者の中にも大勢の米国共産党関係者がいた。
さらに1947年に、アラブ人たちが受け入れるはずもない「パレスチナ分割案」を国連での多数派工作によって押し通したのがトルーマンの米国であると同時にスターリンのソ連であった。「建国」前後のイスラエルにチェコスロバキアを通して武器を送り続けたのもスターリンである。
教科書的にはイスラエルとソ連は冷戦の進行に連れて距離を置いていったことになっており、特に1978年に誕生したベギン・リクード政権は全面的に米国を味方につけ反共の立場を明確にした。しかし少なくとも1950年代まではイスラエルの「庇護者」はソ連であったし、その後も延々と、世界の左翼陣営はイスラエルを支持、あるいは少なくとも同情的な態度を取り続けているのだ。
[スターリンは反シオニストだったのか?]
興味深い写真がある。スターリンが死去した1953年にイスラエルのガアシ・キブツで撮影されたもので、この「赤いツァー」の死を悼んで遺影を飾るキブツ住民の姿が写っている。このガアシ・キブツはベン・グリオン政権与党マパムの系統であった。「建国」当初のイスラエルで、マパムが支配するキブツではしばしばスターリンの誕生日を盛大に祝っていたのである。
さらに、後のイスラエル国防軍の主体となる軍事組織ハガナーの参謀長イツァーク・サデは常に宿営のテントにスターリンの写真を飾り、その部下である士官たちも親ソ的姿勢を公然とさせていた。
もちろん当時の共産主義者の多くがスターリンに忠誠を誓っていたのだが、しかしそれにしても不可思議な風景である。
現在の歴史学者はまず間違いなく「スターリンは反ユダヤ主義者、反シオニストだった」という論に固執する。確かにスターリン時代に投獄・処刑された反対派には数多くのユダヤ人が含まれていたし、第2次大戦後にもユダヤ人芸術家や作家に対する弾圧は続いた。シオニストはもちろんだが、反シオニストの立場をとるユダヤ人学者でもこのような見解を崩さない。
しかしスターリン最大の側近であるラーザリ・カガノヴィッチは紛れもないユダヤ人である。大粛清の実行者であった内務人民委員会(NKVD)の中心でソ連秘密警察に他ならぬ国家保安主局(GUGB)はユダヤ人脈で固められていたといわれ、それを牛耳るラヴレンティ・ベリヤもグルジア出身のユダヤ系の人物だった。中には、真の実力者はカガノヴィッチとベリヤであってスターリンは操り人形に過ぎなかった、さらにはスターリン自身もユダヤ系であったと主張する人もいる。その真偽はともかくも、スターリンが彼の政府から決してユダヤ人を排除しなかったことは明白である。私生活でも彼は3人のユダヤ人女性と結婚しており、特に3番目の妻であるローザはカガノヴィッチの妹であった。このようなスターリンを「反ユダヤ主義者」とするのなら、その「ユダヤ」の定義に疑問を挟まざるを得まい。
そして彼は本当に「反シオニスト」だったのか?もしそうなら、シオニストの国で支配的な立場にある人々がその「反シオニスト」を深く信奉していた、というまことに珍妙な話になる。「援助」や「人脈」だけなら冷戦が始まっていた時期のソ連が採った「現実的な中東政策」ということで落ち着くだろうが、スターリニストがイスラエル自体を設立・運営したという事実と巷の「正史」とがどのような整合性を持つというのか?
[ベギンの不可思議な足取りとソ連]
しかしイスラエルとソ連との不思議な関係はいわゆる「労働左派」に関してばかりではない。最も不可解なものに、ナチスの民族主義に同調した反共主義者であるメナヘム・ベギンとスターリン・ソ連との関係がある。
ベギンの「師匠」であったウクライナ生まれのウラジミール・ジャボチンスキーは心底からの反共主義者であり、ロシア革命の最中にウクライナで反革命勢力の中心であったシモン・ペティルラと同盟を結ぶ工作をしたほどであった。このペティルラが9百回に近いポグロムを指導しおよそ3千名のユダヤ人を虐殺した張本人であったにも関わらずである。彼がその後ヒトラーやムッソリーニに共鳴しその民族排外主義と反共主義を褒め称えたことは前回までに書いた。
ベギン自身も、自らが指導的地位にあったポーランドのベタール支部でナチ同様の制服を身にまとい所作もナチに倣っていた。NKVDが彼に関する情報を手に入れていなかったことはありえない。
ベギンは大戦前夜の1939年5月にワルシャワで、パレスチナへのユダヤ人移民を制限する英国に反対してデモを行い、英国の要請を受けたポーランド当局によって逮捕され数ヶ月の刑務所生活を送った。釈放されたときにはドイツ軍がすでにワルシャワに迫っており、ベギンはパレスチナに行く道を求めてリトアニアに逃げる。しかし翌40年にはリトアニアがソ連に占領され今度はソ連当局によって逮捕されシベリアに送られた。その理由は「政治的なもの」であるといわれるが明らかではない。だが1941年の冬に思いがけなくも釈放される。
その少し前にドイツがソ連に対する侵攻を開始しており、ソ連当局はナチス・ドイツと闘わせるという名目で緊急に国内にいた(拘留者を含む)ポーランド人を集め、ウラジスラフ・アンドレス将軍率いる「新ポーランド軍」を結成させた。ベギンはそこに加えられたのである。彼が強度の近視であるにも関わらず健康診断をした医者が「銃を撃つのに支障は無いと判断した」という。そして彼の所属する部隊は1942年にイランを経てパレスチナに到着し、彼はやがてその部隊から抜けて「イスラエル建国運動」に専念することとなることになるのだが・・・、なぜ「新ポーランド軍」がパレスチナに?
様々に不可解な要素がある。ベギンがソ連に逮捕された理由には「英国のスパイであると見なされた」という説があるが、一方で近年公開された英国MI5の資料によれば、英国諜報機関は彼を「ソ連のエージェント」と見なしてマークしていたのである。ベリヤが実質的に牛耳るNKVDが彼をパレスチナへの工作員として抜擢したのであろうか。真相は闇の中なのだが、いずれにせよ、ソ連当局は一方で共産主義者による「ユダヤ人の祖国」建設を支援しながら、もう一方で最も恐るべき反共主義者をもこの「聖なる地」に送り込んだことになる。
今まで知られていなかったソ連とイスラエルの関係を示すMI5資料によれば、その中には二重スパイとして名高いキム・フィルビーによるものも混じるが、ベギンがパレスチナに到着して以降、NKVDは彼の足取りを常に密接に追跡していた。ベギンは英国の「賞金首のお尋ね者」として変装や整形を繰り返して地下活動を続けていたのである。また彼がソ連諜報員からの資金提供を受けていた可能性は高く、1947年に起こったベギン最大の反英テロであるキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件にソ連が関わっていることが示唆されている。
当然のことだが、ソ連は共産主義者が主導するユダヤ軍事組織ハガナーにも資金を提供し軍事顧問を派遣していた。このスターリニストが中心のシオニスト「労働左派」はベギンらジャボチンスキー系統の「修正主義者」を常に敵視していたと言われ、実際にその末端では殺し合いまで起こっている。しかし不思議なことにその「修正主義者」の主要メンバーが「粛清」されることはなかった。彼らは「共産主義イスラエル」の内部で生き延びたばかりか、徐々にこの国の主導的な勢力にまで成長するのだ。
ソ連が中東地域にスパイ網を確立させたのはそれよりもはるか以前のことであり、1923年にはすでにパレスチナに「常駐員」を置いてハガナーの中で活動していたといわれる。彼らは旧ロシア帝国内に住んでいたユダヤ人たちであり、中東~中央アジアの諜報システムを統括し1937年に殺害されたゲオルギィ・アガベコフによると、その時期に「シオニスト党の3人のメンバーがパレスチナからモスクワにやってきてOGPU(後のKGB)とのコネクションを確立させた」。しかし同時にソ連は1937年以来、ハガナーと袂を分かったジャボチンスキー系の武装組織であるETZEL(一般にはイルグンと呼ばれる)にもエージェントを送り込んでいた。そして、当然のごとくだが、そのイルグンは後にベギンによって指導されるようになる。
現在のイスラエル国防軍は、ハガナーを主体として、イルグン、および同じくジャボチンスキー系のイツァーク・シャミールが所属した親ナチ・テロ組織レヒが合体して誕生した。このイルグンとレヒが行った数々のテロ行為について、彼らの殺人と破壊工作はもっぱら「イスラエル建国」に反感を示す欧州の人士に対するものであり、「建国」への障害を力づくで排除したものである。
「反シオニスト、反ユダヤ主義者」スターリンのソ連が行使した、パレスチナへの「右」も「左」も無い影響力に関しては冷戦の「方便」として合理化する人が多いだろうが、このような事実を見る限りではむしろ「イスラエル建国」自体が最大の目的であったように思える。
なおジャボチンスキーはイスラエルでは「ハガナー創設者の一人」として尊ばれている。ここでもやはり「右」も「左」も存在しない。そこにあるのは「ユダヤ人の祖国イスラエル」のみである。
20世紀は「イデオロギーの時代」と言われ、それを最も強く意識させたのが「冷戦」なのだが、このイスラエルという地に視点を移しそこから「冷戦構造」を見つめなおしてみるならば、それが単なる虚構に過ぎなかったのではないのか、という疑問が沸き起こってこざるを得ない 。
[イデオロギーという名の虚構]
1938年にポーランドでベタール国際会議が開かれたのだが、その席で、あくまで英国の影響力を排除して欧州のユダヤ人を早急にパレスチナに移住させることを主張した若きメナヘム・ベギンに対し、ウラジミール・"ゼエヴ"・ジャボチンスキーは次のようにたしなめたと言う。
《ベギンさん、もし世界に良心が残っているということを信じないのなら、あなたにはヴィスツラ川の深みに身を投げる以外の選択はありません。あるいは共産主義者になるか、でしょう。》
『あるいは共産主義者になるか・・・』、歴史家はこのジャボチンスキーの発言を血気にはやるベギンに対する皮肉を込めた戒め、と受け取るかもしれない。しかしこれを、皮肉ではなく実質的な「指示」だったと解釈したならば、どうだろうか。現にその後のベギンの足取りは、彼が共産主義者の方針に沿って動き、その陰ながらの支援と庇護を受け続けたことを傍証しているのである。彼らの極右反共民族主義は、ソ連の共産主義と何らの齟齬をももたらさなかったのであろう。
こうしてみると「イデオロギー」こそ「方便=聖なる虚構」に過ぎぬ、という別の観点が可能となる。「イデオロギーの時代」は20世紀を特徴付けるものとして歴史の教科書で語られるが、要するにそれは『大嘘が支配する時代』 を指すに過ぎないのではないか。そのことは現在のネオコンが主張する「民主主義革命」の内実を見ても明らかになろう。
思想、哲学などは要するに言葉による観念操作(マインド・コントロール)の基本コードであり、それが何らかの集団による何らかの実質的な利益を伴う行動に向けられる際に様々な幻術的色彩を施したプロパガンダが産み出されていく。
いったんその基本コードによって観念操作を受けた人間の脳はそのプロパガンダを疑うことなく受け入れ条件反射的に行動してしまう。ナチズムと共産主義はその壮大な実験として実行された側面がある。そしてそれらが共同で成し遂げたことは何か。
すべてがイスラエルに集中している。どうやらこの国が近代史の鍵穴のようである。ここから次々と隠されていた扉が開かれていくのだろう。