イスラエル:暗黒の源流  ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム 

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第1部 序論:イスラエルの真の開祖


[ニュルンベルグ・トーキョー裁判史観の呪縛]

第二次世界大戦が終わると、「御主人様のご意向」に対して極度に敏感な日本のアカデミズムの、「御主人様」は大日本帝国からGHQに、その「ご意向」は皇国史観からニュルンベルグ・トーキョー裁判史観、端的にはホロコースト史観へと変わった。そして現在に至る。

この公式歴史観を極めて簡単にまとめると次のように言えるだろう。

《第2次世界大戦は『全体主義(ファシズム)と民主主義との戦い』であり、ドイツ、イタリア、日本の敗北と、民主主義勢力の勝利によって、全体主義(ファシズム)が跳梁した時代は1945年に終了した。》
 
《ナチス・ドイツのホロコーストによって600万人を殺されこの大戦で最大の被害者となったユダヤ人は、中近東地域で唯一の民主主義国家イスラエルを建国した。》

日本では、イスラエルとシオニストに対する批判的な研究をする人でさえ、多くの場合、それとナチスやファシストとの関係に至ると歯切れが悪くなる。ましてユダヤ系資本を含む英米勢力がナチスを支援していたことには触れようとすらしない。この公式歴史観に抵触する可能性を敏感に察知して懸命に自主規制に努めている様子がうかがえる。この体質はまたマスコミと出版界のほとんどすべてに共通である。

もちろん欧米でもこの歴史観に対する反逆はタブーなのだが、ホロコーストを否定してアカデミズムから追放されている研究者でなくても、レニ・ブレンナーやトニー・クリフなど左翼ユダヤ人を中心に、シオニストとナチスやファシストとの関係についての調査と研究が、シオニズム批判の一環として行われている。

一般にシオニストに対する批判的な研究は多くの困難を伴う。ホロコースト否定論でなくても、「ホロコースト産業」の著者ノーマン・フィンケルシュタインのように、ADLなどのシオニスト団体による数々の妨害を被る。しかし学会の中には、執拗に出版妨害や脅迫を繰り返すシオニストに対する反発はユダヤ人・非ユダヤ人に関わらず強い。

そしてシオニストの中でも特にそのあり方を決定付けたと断じてよい人物、ウラジミール・ジャボチンスキー、この男が基礎を置いたユダヤ・ファシズムに対する告発は決して無視できるほど小さなものではないのだ。


[ジャボチンスキーとユダヤ・ファシズム]

ウラジミール(ゼエヴ)・ジャボチンスキー は1880年に、ウクライナのオデッサで伝統的なユダヤ人の家庭に生まれた。新聞記者として過ごした後、20世紀初頭からシオニスト運動に身を投じる。第1次世界大戦中は英国軍の一部にユダヤ人部隊を作り、当時パレスチナを領有していたオスマン・トルコと戦った。なお、一部に彼が最初から英国のスパイであったとする主張があることを記しておく。

1921年に彼は世界シオニスト機構(WZO)委員に選出されるが、ハイム・ワイツマンら主流派とは最初から意見が対立した。主流派はパレスチナの土地をアラブ人から上手に買い取ることで平和裏にイスラエルを建国させようとしていたが、ジャボチンスキーは、アラブ人との衝突は避けられずアラブ人と戦って屈服させる以外に建国の方法は無い、と主張したのである。

彼は強調した。『彼らは、自分が「鉄の壁」に相対していると悟った場合にのみ、シオニズムを受け入れるだろう。そのときに彼らは、ユダヤ人国家を受け入れる以外に選択の余地が無いことに気付くのだ。』これは彼の政治方針「鉄の壁the Iron Wall」として有名である。彼の夢はヨルダン川をまたぐ「ユダヤ帝国」の創設であったと言われ、またその民族排外主義は際立っていた。ワイツマンは彼を「ユダヤ・ファシスト」と呼んだ。

1923年にジャボチンスキーはWZOを離れてリヴィジョニスト・シオニスト同盟を形成、続いてラトビアのリガで青年団体ベタール を組織した。ベタールは各国に支部が作られ多数のユダヤ人青年からなる過激な民族主義組織となり、彼の運動の推進軸となっていった。ここからメナヘム・ベギンやイツァーク・シャミール など、後のイスラエルを支える重要人物が輩出することとなる。

1930年代になって彼はイタリア・ファシストに接近し、彼をファシストとして高く評価したムッソリーニは喜んでベタールを迎え入れた。このイタリアの独裁者は彼の黒シャツ隊に命じて海軍基地で彼らに軍事訓練を施し、これを本格的な戦闘組織として確立させたのである。さらに1936年にスペイン内戦が始まるとパレスチナのベタールはフランコ支持を明確にした 。彼は自他共に認める本物のファシストだった。

当然ながらジャボチンスキーとベタールはヒトラーの民族排外主義を賞賛し、ドイツのベタール組織はナチ親衛隊に倣い茶色の制服で身を包んだ。また彼らのドイツでの運動に加わった者の中に、後に米国に渡ってネオコンの種を蒔いたレオ・シュトラウスがいた。シュトラウスはしばしばジャボチンスキーと会い、ナチ関係者とも親しく付き合っていたのである。

ジャボチンスキーは1920年代から何度か米国に渡り彼のユダヤ・ファシズムを根付かせたが、その流れはやがて、イスラエルを支える米国のシオニスト団体、ユダヤ系ロビーとシンクタンクの中心として成長する。またこのことは米国内で彼のファシズム運動を支援・推進した勢力があったことを示す。シュトラウスをその源泉の一つとし今日のブッシュ政権を支えるネオコンがこの流れの先端に位置している事実に注目すべきだろう。 G.W.ブッシュの祖父プレスコットは、ロックフェラーやフォード、ハリマンなどと共に、ヒトラーを支えた米国の大資本家群の一人 だったのだ。

1938年にイタリアで反ユダヤ法が制定され1939年に第2次世界大戦が開始された後に、ジャボチンスキーは1940年にニューヨークで生涯を終えた。しかし事実として、彼の作った流れはそれ以降より強化され拡大されていくのである。

彼が創設に力を尽したユダヤ軍事組織ハガナー、そこから出てベギンが指導するテロ組織イルグン、その分派でシャミールが所属したテロ集団レヒ(アブラハム・スターンに指揮されスターン・ギャングとも呼ばれる)は、ジャボチンスキーの武闘路線を実現させていった。レヒは大戦中にナチスとの接触に努めたことでも有名である。そしてベギンとシャミールに率いられるベタールは1948年のイスラエル建国時にヘルート(自由)党を創設、これが現在のリクード党の元となる。

またジャボチンスキーの当初からの政治方針である「鉄の壁」は、指導部の「左派」「右派」という表面上の区別に関わらず、パレスチナにおけるシオニストの不動の方針として第2次大戦前から現在に至るまで貫かれている。イスラエル初代首相ダヴィッド・ベン・グリオン の実際の所業は、自らが「ウラジミール・ヒトラー」と罵ったこの人物が主張していたものと異なることはなかった。いやそれ以上であったかもしれない。そしてその口実となったのが《ホロコースト》であったことは言うまでも無い。

シオニストの牽引車はベタール直系の集団であった。ベギン率いるイルグンは1946年のキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件(英国人、アラブ人、ユダヤ人など91名が死亡)を実行し、1948年にはレヒやハガナーと共同してデイル・ヤシン大虐殺を主導した。またレヒはアラブ人のほかにパレスチナ問題の解決に努めるシオニストに都合の悪い欧州の要人たちを暗殺していったのだ。

しかし彼らユダヤ・ファシストの行為は実質的に何一つ咎めを受けることもブレーキをかけられることもなかった。国際連合(正しくは連合国群、つまり《第2次大戦勝ち組連合》)は彼らのテロと虐殺を黙認したうえで、アラブ人が到底のめない「パレスチナ分割案」を示し、結果としてイスラエル建国を承認した。《ホロコースト》は実に核兵器にも勝る戦略兵器であった。

その後4次の中東戦争を経て、1978年にエジプト大統領サダトは米国キャンプ・デイヴィッドで「鉄の壁」と相対していることを悟った。彼の目の前にはベギンが立っていたのである。

その後ベギン政権の命を受けたリクードのアリエル・シャロンは、1982年にイスラエル軍を率いてレバノンにあるパレスチナ難民キャンプを砲撃し、一説に犠牲者3500人とも言われるサブラとシャティーラの大虐殺を行った。

このジャボチンスキー直系に属するベギン、シャミール、シャロン、そしてベンジャミン・ネタニヤフはイスラエルの首相となっている《注記:このリストにはエフッド・オルメルトも加えるべきだが》 。2005年にシャロンはリクードから離れたが、しょせんは国際的な圧力をかわすための擬態に過ぎず、ユダヤ・ファシストがその国の支配者である実態に何らの変化も無い。

現実のイスラエルは、ユダヤ選民主義とゴイ(異民族)に対する蔑視に固まり、パレスチナ人へのアパルトヘイトを強行し、200以上と言われる核兵器で身を包み、常に近隣諸国に対して戦争の脅迫と謀略的な攻撃を繰り返す「鉄の壁」国家である。

イスラエルに尽した人物には「ジャボチンスキー賞」が授与されてきた。イスラエルにはジャボチンスキー財団、ジャボチンスキー研究所などもあり、ベタールはシオニズムを支える組織として現在もその力を誇る。ちなみに、第1次ブッシュ政権で高官を務めたネオコン、ダグラス・ファイスの父親はベタールの闘士だった。

もちろんイスラエルの一般国民にはジャボチンスキー集団のヒトラーやムッソリーニとの関係は一切伏せられ、彼は「偉大な愛国者」として祭られる。

現在のシオニストたちは、彼の運動とヒトラーやムッソリーニとの歴史的な関係を問われると、当時の状況ではやむを得ぬ「擬態」だった、という論法を使い、それ以上の突っ込みを受けると「反ユダヤ主義」を持ち出して相手を脅し黙らせる。

一方、ジャボチンスキーとナチスの取り巻きだったレオ・シュトラウスは、「ナチの再現を阻止するためにリベラルなアメリカを変革する必要がある」という詭弁を弄した。そのネオコンの弟子たちの所業についてはここで改めて申し上げるまでもあるまい。現在、この者たちの敷いた路線に従って、米国と欧州は「ビッグ・ブラザー」によるファシズム体制へと向かいつつある。

これが真相なのだ。イスラエルはその誕生前から現在に至るまで一貫して「ユダヤ・ファシズム国家」である。《シオニスト=ネオコン》は、ドイツ・ナチスとイタリア・ファシズムを受け継ぎ発展・深化させた純正ファシスト集団に他ならない。


[ファシズムによって仕掛けられた戦争は継続中である!]

米国では人々は極右シオニストを指して「ジャボ」と呼ぶ。もちろんジャボチンスキーから採った呼称である。この「ウラジミール・ヒトラー」がイスラエルの開祖であり、現在のイスラエルと米国がこの男の末裔、つまり「ジャボ」たちによって動かされていることは、シオニストに反対するユダヤ人なら誰でも知っていることだ。

にもかかわらず、アカデミズムに首を突っ込む者たちは、ユダヤ人・非ユダヤ人とに関わらず、この事実をあるがままに語りたがらない。ニュルンベルグ・トーキョー裁判史観に抵触しそうな地層を発掘してはならないのである。

この歴史観によれば、

《1945年以降は、「復活をたくらむ勢力」はあるものの、「実体としてのファシズムは存在しないはず」である。現に「シオニストやネオコンはナチスを批判している」ではないか。そもそも「ホロコーストを疑う者やイスラエルに反対する者」こそが「復活をたくらむ反ユダヤ主義のファシスト、ネオ・ナチである」からして、「米国やイスラエルの指導部がファシストであるはずはない」のだ!

ところで昔ジャボチンスキーなるファシストがいて、どうやら今日の米国とイスラエルにも縁が深そうだが・・・・、実際のイスラエルの所業を見ると・・・・「過去のユダヤ・ファシストの悪影響への反省が足りない」ということで、ちょっと苦しいけど何とかごまかせるが・・・・、米国シオニスト=ネオコンは・・・・まあ、これには触れないで、とやかく言う奴は陰謀論者かネオ・ナチにでもしておこう!》

実際の歴史は次のように言えるのだろう。

《ファシズムによって仕掛けられた戦争は、1945年以降も途切れること無く現在まで継続している!》 と。

戦闘が欧州や日本などから離れて中近東や中南米などの世界各地で継続され、同時にマスコミや出版などの非軍事的手段を武器とする「情報・心理戦争」が全世界で展開される、というように、戦争の局面が変わっていただけではないのか。ニュルンベルグ=トーキョー裁判史観ではそれを《戦後》と呼ぶ。その中で、あのユダヤ・ファシストが夢見た「イスラエル帝国」が、実現に向けてその歩を進めてきたのである。


・第2部 現代に直結する「イスラエルの源流」


[歴史に皮肉は無い]

現在、「反テロ戦争」の名のもとに欧米各国社会で急速な全体主義化が強行されつつある。その流れを特に先鋭化させている米国と英国が、公式の歴史では、第2次世界大戦で「自由主義・民主主義陣営」の旗頭を勤め「ファシズムと戦った」とされる国々である点は実に興味深い。さらにその動きを主導するのがイスラエルに忠誠を誓い「ファシズム被害者」を標榜するユダヤ人集団なのである。

「歴史の皮肉」と言うべきだろうか。しかし、今現在目の前にある事実はこの通りなのだ。現在を歴史と照らし合わせてみてそれが「皮肉」と映るのなら、逆にその歴史の方を疑うべきだろう。歴史に皮肉などない。現在の事実の原因は過去にしか存在しえないのだ。単純な話である。

欧米および日本では、ユダヤ資本の道具であるマスメディアがゲッベルス流人心支配の仕組みをほぼ完成しており、対外戦争の緊張と宗教的迷妄によって人民を隷属化させるレオ・シュトラウスの理想社会が、実現に向けて着々とその歩を進めている。

「ナチ第4帝国」は「アングロサクソン・ユダヤ帝国」としてその姿を現すのだろうか。

これは決して表面的な現象による隠喩ではない。この動きはドイツ・ナチズム、イタリア・ファシズムとの明らかな連続性を持って、「ファシズムと戦った」側および「ファシズムの被害者」側から打ち出されているのだ。彼らこそが、過去も現在も、ファシズムの真の担い手なのである。


[ベタールからネオコンへ]

9.11事件後の軍事政策を担い2003年に米国をイラクに引きずり出した主役の一人に、当時の国防次官ダグラス・ファイスがいる。彼は第1期ブッシュ政権の国防副長官ポール・ウォルフォヴィッツ、国防政策委員会委員長リチャード・パールらと並ぶネオコンのユダヤ人である。

サダム・フセインを取り除きイラクをコントロールしようとする彼らの異常なまでの執念が、米国・共和党ではなく、イスラエル・リクード党に対する忠誠心によることは今さら疑念の余地も無い。

ファイスはレーガンの時代に、米国の国家機密文書をイスラエル大使館に流した嫌疑で国防省から外されていたがじきにパールの力で返り咲いた。そしてネタニヤフ政権の時には、パールやチャールズ・フェアバンクらとともに、イスラエルの外交政策決定のための大きな情報源の一つであった。

さらに2005年5月にイスラエル・ロビーAIPACを通して米国の国家機密をイスラエルに渡していた容疑でローレンス・フランクリンがFBIに逮捕された事件では、彼を動かしていた人物として「ユニバーサル・ファシスト」マイケル・レディーンとこのファイスの名前が噂に上っている。彼らは一貫して「イスラエルのエージェント」である。

イラク人に対する拷問を正当化しブッシュ政権にジュネーブ協定の拘束を拒否させたこの男の飽くなき残忍さと攻撃性はどこから来ているのだろうか。

1997年に彼は父親のダルック・ファイスと共に、米国シオニスト機構(ZOA)から年次昼食会招待の栄誉を受けた。「特筆すべきユダヤ人の慈善家であり親イスラエル活動家である」というのがその理由だった。そしてダグラスのリクード党に対する忠誠心は当然といえる。彼の父ダルックはベタール の「戦士」だったのである。

現在、世界各地に支部を持ち文化・教育団体を装う民間団体ベタールは余りにも非ユダヤ人の意識に上らない集団なのだが、このベタールこそ、ユダヤ・ファシストの元祖ウラジミール・"ゼエヴ"・ジャボチンスキー自らが作り上げ、そして今もなおリクードと「ジャボチンスキー国家」イスラエルを陰で支える組織なのだ。

1923年に、「リヴィジョニスト」として世界シオニスト機構から飛び出したジャボチンスキーは、ラトヴィアのリガでユダヤ人青年組織ベタールを結成した。彼はその以前にはパレスチナでユダヤ武装自衛組織ハガナー(イスラエル国防軍の前身)の創設にも力を尽していたのである。

ベタールの名は1920年にパレスチナで死亡した彼の元同志のジョセフ・ツルンペルドルにちなんで付けられ、2世紀にローマ帝国に対する独立戦争を指導したバアル・コクバを思い出させるものでもあるという。結成後数年のうちにこの団体は過激なユダヤ戦闘組織として欧州各国に支部を広げ、総勢で数万人規模の勢力となった。

シオニズム研究家レニ・ブレンナーによると、

ベタールはナチ党やファシスト党と遜色の無い狂信ファシスト集団であり、ドイツではナチと同様の茶色の制服、イタリアではファシストの青色の制服を着用し、所作もそっくり彼らに倣っていた。

ジャボチンスキーは、ワイツマンから『ユダヤ・ファシスト』、ベン・グリオンから『ウラジミール・ヒトラー』と呼ばれたほどの人物なのだが、ベタールの青年たちは時としてそのジャボチンスキーに対してすら「ファシストではない!」「親英・親アラブ的だ!」と非難の声をあげるほどであったという。

その最大勢力であるポーランド支部の中にいたのが、後にイスラエルの首相となるメナヘム・ベギン、イツァーク・シャミール、そしてダグラス・ファイスの父親ダルック・ファイスであった。

ドイツ支部の周辺には後年ネオコンの「師匠」となるレオ・シュトラウスがいたのだが、この支部は当然のことながらナチ党に接近し、イタリアの支部はムッソリーニからの援助を受けた。

ムッソリーニは彼の黒シャツ隊に命じて、1934年以後チビタベッキアの海軍基地で正式な軍事訓練を施すまでにこのユダヤ・ファシスト集団に入れ込んでいたのである。彼はジャボチンスキーを絶賛して次のように言った。

《シオニズムを成功させるためには、あなた方はユダヤの旗とユダヤの言語を備えたユダヤ人国家を持たなければならない。このことを本当に理解する人物はあなた方のファシスト、ジャボチンスキーである。》

同時にジャボチンスキーもユダヤ人社会の中でムッソリーニの代弁者であった。彼は自他共に認めるファシストだった。1936年にスペインで人民戦線政府に対してフランシスコ・フランコがクーデターを起こした際に、パレスチナのベタール組織は断固としてフランコ支持を訴えたのである。

パレスチナのメンバーはハガナーから分離したテロ組織イルグンと重なり、後にこの地に移ったベギンとシャミールもその中に身を投じた。彼らはポーランド脱出後、ソ連からイランを経由してパレスチナに渡ったのである。そのイルグンからはナチスと手を結ぼうとする過激テロ組織レヒ(スターン・ギャング)が誕生し、シャミールはここに移る。

だが知っての通りヒトラーは反ユダヤ政策を明確にし、1938年にはムッソリーニがこれに倣ってユダヤ人に対する弾圧を開始、1940年にジャボチンスキーが死亡した。

通常の感覚を持った人ならば、ベタールの組織とその運動もまた自壊していったのではないか、と考えるであろう。ヒトラーやムッソリーニが世界の指弾を受けた以上は彼らと密接に関わったこの集団がユダヤ人に容認されるはずはなかろう、と。

しかし現実に起こったことは、まさしくその逆だったのである。


[現代に直結するファシスト集団]

時間はやや飛ぶが、1948年、イスラエル「建国」の年、12月2日付の米国ニューヨーク・タイムズ紙は、同紙編集部に寄せられた米国のユダヤ人有志からの手紙を掲載した。その中にはアルバート・アインシュタインの名もあった。その手紙には次のように書かれてある。

《我々の時代で最も困惑する現象の中に、新たに創設されたイスラエル国家の中での「自由党(ヘルート党)」の出現がある。これは、その組織において、方法論において、政治方針において、そして社会的なあり方において、ナチ党およびファシスト党に極めて近い政党である。これは元イルグン、つまりパレスチナにおけるテロリストで右翼の狂信的排他主義集団のメンバーと支持者によって形作られた。この党の指導者であるメナヘム・ベギンの米国に対する最近の態度は、明らかに、来るイスラエル選挙で彼の党に対する米国の支持を印象付けるように、また合衆国内のシオニスト右派分子との政治的な連携を固めるように、計算されているのだ。数多くの米国の著名人士たちが彼の訪問を歓迎するためにその名前を貸している。》

この手紙の後半には、ベギンとイルグンの最大の犯罪、デイル・ヤシン村でのパレスチナ人集団虐殺に対する激しい告発がなされている。

ここにあるヘルート党は後に他の右派政党を糾合して現在のリクード党に直結するものだが、代表者はベギン、もちろんシャミールも幹部であった。このユダヤ人有志は『ナチおよびファシスト党に極めて近い』と慎重な表現をしているが、まだ以前の記憶が生々しい時期である。彼らは、この集団が「ウラジミール・ヒトラー」が作り欧州ファシズムの流れを受け継ぐ「ユダヤ・ファシスト党」に他ならないことを知っていたはずだ。

さらに注目すべき点は、米国の中ですでにこのヘルート党支持の体制が整っており『数多くの著名人士たち』がベギンの訪米を歓迎していたことだ。ヒトラーとナチを産み育ててきた米国支配層が同時にこのユダヤ・ファシスト集団のパトロンである事実を、これもまた現代に直結するのだが、この手紙は明確に指摘している。

ジャボチンスキーが死亡したのは1940年、ニューヨークにおいてである。ベタールの米国支部が作られそのキャンプを視察中のことであった。心臓病の発作が死因とされる。この時期に米国でジャボチンスキーの運動を支援した者の中にユダヤ教のラビであるチャールズ・カハネがいた。その息子メイア・カハネは後にユダヤ極右テロ組織JDLを結成する。

しかし不思議なことがある。1938年から後およそ30年間以上のベタールの活動に関する記録が見当たらないのだ。パレスチナではそのメンバーの少なくとも一部がイルグンと重なりその活動を支援したものと想像はできるが、この時期の米国や英国の支部を含めて、ほとんど何のデータも無い。各国ベタールのインターネットHPを見ても、奇妙なことに、その多くで自らの歴史に対する記述が掲載されていない。あっても1940年以前の「歴史」のみである。どこの組織でもその「輝かしい歴史」を誇示したがるものだが、ここだけは別だ。ポーランドで1938年に開かれジャボチンスキーもベギンも参加した第3回ベタール世界会議から、いきなり現在にやってくるのである。

1945年初頭にスペインの独裁者フランコは、ユダヤ機関が欧州のユダヤ人を密かにパレスチナに運び込むのを手伝った。フランコはその後もモロッコ経由でセファラディ・ユダヤたちを移送し続けたのである。そしてパレスチナにフランコ政権と親しく連絡が取れる組織があったとすればこのジャボチンスキー集団以外ではあるまい。またイスラエル「建国」と同時にヘルート党が結成された裏にパレスチナでのユダヤ人社会でベタールによる支援と根回しがあったと考えなければ筋が通るまい。しかしこれらの実体については闇の中に閉ざされている。

現在ベタールはイスラエル本部の他に南北アメリカ大陸、英国とフランス、ロシアとリトアニア、南アフリカ、オーストラリアにその支部を持ち、主に学生をターゲットとして、ジャボチンスキーを賞賛しイスラエルへの忠誠心と排外主義シオニズムをユダヤ人青年に植え付けている。この中から次々と「ウラジミール・ヒトラーの戦士」が再生産されていく。イスラエルはジャボチンスキーを「国祖」として祀る紛れも無いユダヤ・ファシスト国家であり、ベタールは常にその中心部に存在する『ブラックホール』なのだ。