・GLA教祖・高橋佳子の『真創世記』の真の作者はSF作家・平井和正氏

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※1977年に祥伝社から発行された『真創世記』(地獄編・天上編・黙示編)は、
発刊以来大ベストセラーになって、今でも書店にならんでいます。著者の高橋佳子も
当時は、父親・信次からGLA教団を受け継いだばかりでした。
 
多くの読者が、『真創世記』は19歳の佳子が書いたと信じて購入したにちがい
ありません。中には同書の内容に感激してGLAの門をくぐった人々も、かなりいた
と推測できます。よもやそれが虚偽であるとは思いもよらないことだったでしょう。
 
なぜなら、「地獄編」のあとがきには、こう書かれているからです。

『真創世記(地獄編)』あとがき(P234)

「それは、忘れもしません。昨年、一九七六年九月十日のこと、大天使ミカエル、
その他の多くの天使たちから、十月になったならば、早急に、それも十日間以内で
私(高橋佳子)がこれまで見聞きしたすべての事象を書き表して欲しい、とメッセ
ージがあったのです。私はむろん、いままで文章などろくに書いたこともありま
せんでしたし、どのように書き表してゆけばいいのか、見当もつきませんでした。
しかし、私にとってよき友人であり、よき指導をしてくださっている、天上界の
人々が、この愚鈍な私にさえも、信じられないような奇跡を起こしてくださったの
です。ただ、ペンを持って、原稿に向かえば、何も考えなくても、ペンは生き物の
ように、手はあやつられているように、猛烈なスピードで文字が生じてくるのです
(後略) 」

若干19歳のチャーミングな少女が、同書の中でよどみなく、とうとうと「天国と
地獄」「天使と悪霊」「神と人類」の実相を描き、立派な人生論をぶつのです。その
文章力、構成、内容、どれをとっても「すばらしい」「天才だ」と、読者は信じたで
しょう。上のあとがきのとおりなら、佳子が単独で天上霊界の指導により、自動書記
・いわゆる「お筆先」で書いたことになります。
 
それは読者に、高橋佳子の「宗教的天才」「卓越した霊能」を相当に強く印象づけ
るものだったはずです。

同時に、同書のカバー裏に書いてあった作家・平井和正氏の次のような推薦文もまた、
読者に強い印象を与えたはずです。平井氏は、1976年から77年にかけて、GLA
の高橋佳子を信じて協力し、(9ヶ月で離れたものの、当時は)幹部会議にも出席する
熱烈な信者でした。

「私が、ただ一人の師と仰ぐ人    作家 平井和正

 高橋佳子さんは、私がめぐりあったただ一人の師と仰ぐ人である。
 佳子さんと逢った瞬間、世界はみるみる鮮やかな変貌を遂げた。
 過去の私は、本当の生を生きていなかったのである。
 彼女の放つすばらしい黄金色の光を、私はまざまざと見た。
 彼女の愛と慈悲の光は人々の心に満ちて行き、
 いずれは世界の隅々まで照らしだすだろう。
 彼女の巨大な光は今、暁光の矢のように、この最初の本を通じて射し始めている。
 そしてあなたは、七色の翼を持つ天使のもたらす、真の奇跡を知るのだ。
 永遠の生命がなんであるかを悟るのだ。ミカエルが立った時、その愛の翼の波動は、
 あなたの眠れる心を揺り覚ますのである」

『真創世記』と同氏の作品『幻魔大戦』には、類似・共通する概念や内容があります
から、両方の書籍を読んでGLAに入会した人々も少なくはなかったと思います。
 
また、当時すでに平井和正作品はウルフガイはじめ、ベストセラーだったために、
この推薦文によってGLAに興味をもって、入会した平井ファンも(数の多少はわかり
ませんが)いたことでしょう。
 
この平井和正氏の「推薦文」は1977年から、1992年まで『真創世記』地獄編
の裏表紙にありました。1992年中に、この推薦文は取り下げられて掲載されなく
なりました。(15年間、載せられ続けた平井氏のこの推薦文が、結果的にGLAへの
「広告塔」の働きをしてしまわなかったかと、危惧する声もあります)
 
推薦文の削除と並行して、平井氏は自著のあとがきで、「『真創世記』を書いたのは
自分だ」と驚愕の事実を公表します。


『幻魔大戦5』(平井和正全集42/リム出版)
全集巻末企画:「平井和正『幻魔』を考えるPARTⅠ」 

「救世主はどこにいる

目の中に鱗が飛び込んだのか、それともそれまであった鱗が落ちたのか、いずれ
にしても新しい視野を獲得すると、人間は時として、思い切り愚かなことをしてい
ても、それに気づかないことがあります。理屈としては、判ってはいますが、現実
においてありのままの自己を悟ることはなかなか困難です。
 
1978年の夏、それまで九ヶ月間関わり合っていた新宗教から離脱しました。
苦い幻滅と失望が私を捉えていました。私は、さながら宇宙船から放り出されて、
巨大な虚空に漂流しているアストロノートの根源的不安を味わうことになりました。
 
新宗教の指導者も組織も、私が信じたいと願っていた理想とは、およそ程遠い
実態をさらけだして、宗教法人という法制度によって過保護にされる人間と組織が、
どれほど堕落できるか、私に教えたのでした。
 
全力を傾けて書きあげるのにまる九ヶ月間を費やした、三冊の指導者名義の大ベ
ストセラー本を残して、私の理想は空しくなりました。私はその間、まったく己の
小説が書けず、新宗教が教理として掲げる架空の神―――人間の顔を持った神に本
気で仕えようとした己の愚かしさを思い知らされたのでした。
 
私は、生活を立て直すためにも、大急ぎで新作の執筆に取り掛からねばなりませ
んでした。宗教とはまことに貪欲な大怪魚そのものです。人間の身も心も魂も食ら
いつくし、排泄物に変えて吐き出す。作家にとって、宗教とは致命的な毒物だと早
めに悟らされたことは、真の神の慈悲でした」(後略)


『真創世記』や「GLA」の名前こそ出てこないものの、あきらかにそれとわかる
ことが書いてあります。この「あとがき」を起点として、『真創世記』の書かれた
実態について、情報を集め、元信者や現役信者から聞いた話などをまとめると、
次のようになります。


☆『真創世記』成立の真相

1.『真創世記』は、その初期段階から、平井和正氏なしでは出版できなかった。
 佳子がいきなり天上界からの命令で、10日間でスラスラと自動書記状態で書いた
 ものではない。
 事実は、佳子が講演や会話で語ったことや、教団内で同氏や幹部や会員と対談した
 録音テープを、平井氏が大量にテープ起こししたものが原版。
 それを、さらに同氏が9ヶ月かけてリライト・編集・加筆修正した上、知り合いの
 出版社にとりついで出版にこぎつけた。 企画・編集・原稿の受け渡し・取次ぎと、
 平井氏の本職をなげうった労力による所が大きい。
 地獄編に限っても、佳子が本文の原稿を書いたという話はきかない。

2.当時の佳子は、「日本大学・文理学部哲学科」の女子大生で、アルバイトをした事
 もないお嬢さま。
 出版についても、まったく無知だった。『真創世記』にしても、テープ起こしした
 段階の大量の「原型」をそのまま出版社に持ち込んで「本」にしようとした。
(しゃべり言葉のままのテープ起こし原稿を、なんの編集もせずに、書店に出せる様
 な「出版物」にすることは、通常、不可能。出版社に持ち込んでも受けとってもら
 えない)

3.佳子が原稿を書いたと判明しているのは「あとがき」と、GLA誌1977年8月号
 の「天上編の直筆原稿写真」用の200字詰め用紙1枚。

4.「地獄編」のあとがきについて、「ここには、せめて平井和正の協力があったと
 いうことを書いた方がよい。それが出版界の常識です」と事前に進言があったのに
 もかかわらず、佳子はくだんの「あとがき」のまま出版。

5.平井氏は、『真創世記』の印税を辞退し、受けとっていない。

6.1977年から1990年まで、同書は「地獄編」だけで「140刷」を越えて
 いる。これは、「あとがき」を書きなおす機会が、140回はあったことを意味
 する。しかし、訂正はなされなかった。

7.1977年当時、GLA機関誌の表紙やイラスト、カットなどを書き、また「地獄編」
のイラストも手がけたマンガ家「みやわき心太郎」氏が、『真創世記』のもとネタと
なった「40巻のテープ」を所有していると語った。
 
その証言は、2002年1月・2月に行われた「まんだらけTV・精神世界ch」の、
「高橋信次特集」の番組の中で、みやわき氏がインタビューに答える中で語られた。
 
それによれば『真創世記』は、平井氏・みやわき氏・佳子の対談テープからできた
本。「天上界と天使の指導を受けた高橋佳子の自動書記」でもなければ「10日間」
で書かれた本でもない。「地獄編」の「あとがき」は事実無根の「虚偽」と判明。
 
また、同番組の司会者によれば、番組スタッフが「高橋信次特集」を組むにあたり、
GLA総合本部に取材申しこみをしたところ、ことわられてしまった。

☆「リライト」とは?

平井氏がおこなった「リライト・編集・加筆修正」という作業は下記。

まず、佳子の講演や、平井氏や幹部数名などが、本部や支部やイベントなどで発言・
対談したことなどを録音し、手当たり次第にテープに起こします。長時間にわたる講
演会、パネルディスカッション、対談、「霊的現象」など、かなりの分量のテープを、
いちいち聞き取りながら、すべて文字にしてゆく。もちろん、伝聞の情報でも、佳子
に関係ある発言なら、それも文字に起こす。

こうしてできたものが「原版」の「大量のテープ起こし原稿」です。これらの全部に、
何度も目を通し、佳子の言葉や佳子の意志を語っていると思う発言だけをぬきだし、
項目別にえりわけ、ならびかえます。佳子の個性をそこなわないように修正加筆し、
しかも読者が興味を持てるよう、わかりやすく神秘的に品格をもたせつつ一冊の本に
する。この一連の作業が「リライト」です。

「リライト」は具体的には、最初にまず「目次」をたてます。本にするための編集方針で
す。それを細かく項目だてる作業が、まず大変。これには、テープ起こし原稿のすべてを
把握しなければなりません。

その上で、今度は原稿にある内容の種類を選別します。たとえば、高橋信次について、
佳子について 霊的現象について、と「大項目」をたてます。そして「中項目」として、
おいたち・ 霊能・神・天使・悪魔・悪霊・天国・地獄・子供時代の体験・霊界探訪・人
生論などと項目だてます。それらをさらに内容にしたがって、時間順に並べ替え、読みや
すい配置とします。

そして、それらの項目にあう内容の書き込みを、それぞれ分類しながらピック アップ
します。その上で、文章や語句を本にしたときの統一感をそこなわない範囲で、修正加筆
並べ替えを行うのです。 これが「構成」です。
 
さらに、「構成」がおわった時点で、何度もチェックし、まだ使える素材が残ってい
ないかを調べます。とりこぼしや、ひろった文章があったら、すでに書き終えた部分の
どこにはめこむかで、また構成しなおします。

いってみれば、試行錯誤しながら城壁をつくるのに似ています。作っては崩し、崩して
は 積み上げ、調整する作業を、幾度もくりかえす重労働です。真剣にやれば 新作小説を
書くのと同じ労力が必要。ですから9ヶ月間、本業ができなかったと書いた平井氏の話
は事実でしょう。

これらが、「ただ、ペンを持って、原稿に向かえば、何も考えなくても、ペンは生き物
のように、手はあやつられているように、猛烈なスピードで文字が生じてくるのです」と
「地獄編」の「あとがき」に、佳子が書いたことの「真相」です。これで、佳子の「あとが
き」が、まったくの虚偽であることがはっきりしました。

(追記:高橋信次の著書もまた、新聞記者の前歴のある堀田和成氏<当時・三宝出版の
社長>が信次の原稿を書きなおして本にしていたことが判明しています)


・むかし「生長の家」で「幸福科学研究所」を作って活動していた橋本健氏

http://0w.blog.jp/archives/78415133.html

※超心理学関係で、多くの著書があった橋本健氏は、東京大学を卒業後に「生長の家」に入信。そこで「幸福科学研究所」を作った。終戦後のことなので昭和20年代ではないかと思う。

大川隆法氏の父親、善川三郎氏も生長の家を信仰していたそうなので、この「幸福科学研究所」については知っていたと思われる。彼ら親子の最初の本「日蓮聖人の霊言」で、日蓮の言葉として、学習団体名についてアイデアが出されていた。その一つが「幸福科学」だったと思うが、おぼろな記憶なので正確ではない。

最初に「幸福科学研究所」を作った橋本健氏について、宝島社の本に記載があった。下記はそれをメモしたもの。【 】内が本文から引用したもの。


宝島「隣のサイコさん」より

橋本健氏
 
大正13年生まれ。昭和20年に東京大学電気工学科に入学。敗戦後、肺を患って療養中に、谷口雅春著〈生命の実相〉に出会う。それを読むと心に喜びが湧いてきて、病気が三日で治ってしまったという。
 
キリストが病気を治して歩いたとかいう話はみんなウソだと思っていたが、実際に宗教的な奇跡はあるのだと信じた。その後、様々な面で人生が円滑にすすむようになった。どうしてこういう事が起きるのかと思い、超心理学の研究を始めるようになった。

【大学を出てから、生長の家に入信。そこで「幸福科学研究所」を作り、「宗教と科学の関係」を研究した。「サイメーター」という装置を発明し、信者らの協力によって超心理学実験を行った。・・中略・・
 
「彼ら(信者)は信じているから、ものすごくいい成績が出る。実験環境が非常に影響するんです。(疑いの意識が強い)大学ではなかなかいい成績が出ない。】p173 


橋本 健(はしもと けん、1924年 - 2007年2月22日)は、日本の電気技術者、著作家。日本超科学会を主宰し、超常現象に関する多数の著書を残した。アルファ波発生装置「アルファコイル」などの発明者としても知られた。

経歴
仙台市生まれ。1943年に旧制姫路高等学校、次いで1945年に東京帝国大学に入学した。同年秋、第二次世界大戦終結後に『生命の實相』に触れ、大いに感化される。1948年、東京大学工学部電気工学科を卒業した後、生長の家の活動に入る。

その後、1955年に富士電工に入社して、諸々の発明に従事し、1982年には黄綬褒章を受章した。

1963年に『超心理学入門』を出版したのを皮切りに、超常現象などについての著書を多数刊行し、1973年に日本超科学会を創設した。サボテンなどの植物と意思疎通する器械とされる4Dメーター、さらに、1982年には、頭部に装着し、「アルファ波の脳波が出るようにする器械」とされるアルファ波発生装置「アルファコイル」を発明している。