どうもこんにちは。
2回目の予定が3回目の投稿となります。
たこ研究員です。
現状は手続き云々より、この爆安の円相場で田中スーザンふ美子になりかけています。
わかる人にはわかる年代の人間ということだけオープンにしておこうと思います。
さて、今回から渡米関係のことを書きつけていこうと思います。
まずはその1として、転職活動について下記の点に着目して書いていこうと思いますが、スタイルとして要旨を箇条書きで提示して、その後各論的に書いていきたいと思います。
Bullet point
- 学生であってもお金は貯めておこう
- 学生時代、ポスドク時代の人脈・繋がりは大事に
- 体にガタが来る前に『逃げよう、何も恥じゃない』
- 英語はやはりscienceにおける公用語だから、聴く・話すことができるよう日頃から訓練する。
- 自分の思ったこと・要望などはちゃんと主張する。
今回の内容
・研究のきっかけ
・人脈
・留学を意識
・現実
・妥協、就職、病み、からの学び
・打開
・Interview
・Interview後
- 研究のきっかけ
早くから研究者志望だったのですが、高校(現役)の頃は医学部に行って、若くして天才外科医、研究者としても世界トップの人間になったるんじゃ
と、妄想するだけの痛いやつでした。
当時は今でいえばiPSのような再生医学に特に興味を持っていました。
当然医学部は無理でしたが、研究者として生きようと路線変更し、とあるFラン私大の生物学科→他大の博士前期→他大の博士後期→学歴ロンダ&ストレートで学位取得 という流れで来ています。
- 留学を意識
留学について意識するようになったのはD1の頃、ボスから『アメリカに行ってみたいと思わんか?』と言われた時でした。
そのこころは『国際学会』でしたが、不勉強な学生だったせいか、海外の連中がどういった感じで研究をしてるのかを知らなかった。
そのため、いずれ国外に出て外国での研究というものを自分の目で見て、肌で感じてみたいなとは思っていました。
学会は準備段階で色々とヤバいトラブルがありましたが、いざ参加してみると英語という点以外は案外手応えがありました。
これは一発海外でサクセスしたろかと調子に乗った挙句、海外に渡ろうと思い続けていました。
- 現実
学位取得が確定したのが年始だったため、慌てて就職活動を始めました。
御多分に洩れず、NATURE JOBSで探し始め、スウェーデンやら英国の大学にとてつもなく惹かれるところがあったものの、通帳を開いたら残高が数万円・・・OTL
- 妥協、就職、病み、からの学び
そんなこんなで国内のラボにアプライし、なんとかポスドクとして活動を始めることができました。
しかし数年間全く結果を出せず、御涙頂戴で1年間契約延長になったものの、戦力外通告となりました。
このポスドクの間に一度病んでしまい、サインバルタ60 mgまでいき、自立支援なんとかも申し込んでいましたが、1年程度でoff成功となりました。
そして現所属になんとか移動することができました。
ただ、現所属では自分が持ち込んだテーマもできたといえば確かにできましたが、結局は雑用ばかりになり、不満も高まっていき、またもメンタルを病みました。
現在は休職しながらイフェクサーを漸減中で、37.5 mgの隔日服用まで来ています。
この2度の病みから学んだのが、自分をダメだと自分で追い込まないこと、『逃げる』のは恥でも卑怯でも何でもないという2つのことです(当社調べ)。
昨今パワハラ、アカハラが取り沙汰されていますが、自分の身にそういったことが降りかかるとは思ってもみませんでした。
完全に主観ですが、研究(仕事)なんていうものは、病んでまで、体を壊してまでやる価値は全くありません。
そこにあなたのScienceはなかっただけです。
まず大事なのは心であり、身体であり、人生です。
そんなもんはガタが来る前にさっさと辞めてやりましょう。
そしてあなたのScienceをやりましょう。
私が動いたのはガタがきてからだったので、再帰に時間がかかっています。
未だにピペットをまともに持てません。
しかし私の場合は妻がいてくれたお陰で何とか逃げられたのだと思います。
そうでなければ今頃はさらにデプっていたか、冗談抜きで職場で人生ごと退職していたかも知れません。
この部分は特に妻に感謝している所です。
- 人脈
学位取得よりそれなりの時間が経過したが、私が今もつながりを持っているのは修士・博士課程の5年間で関わった方々です。
ボスと副ボス、M1当時の直属の上司Oさん、ポスドクのYさん、D3のTさんの5人ほど。
副ボスを筆頭に以下3名の方は私の中では勝手に『四天王』と呼んでおります。
私が学部生だった頃にはすでに博士後期進学は敬遠されていました。
しかしながら修士の院試前の研究室訪問時には既に『自分はD進します!』と声高に宣言していました。
また入学してからも変わらずD進1本ですと宣言しており、久々にfunkyなアホが入ってきたぞということで、四天王のみなさんは特に気にかけてくれていたようです。
- 打開
そんなこんなで現所属での愚痴メールをボスをはじめ上記方々に出していたところ、Tさんから『とりあえずそんなとこはすぐに辞めろ、それとCV送れ』という旨の連絡がありました。
そして転職エージェントの如くそのCVをもとに、とある研究者のDr. Mを紹介してくれました。
実はTさんも最近まで留学しており、当時の繋がりで紹介してくれたという経緯です。
実際にlineでグループトークして、Dr. MがCVを移籍先のPIに見せたところ、『ああ、まあInterviewしてみっぺか?』と、晴れて書類選考通過となりました。
- Interview
ここからが本格的なJob Huntingになるわけですが、PIは米国人であり、当然のことながら英語でトークする必要があります。
これが何ともストレスではありますが、米国公用語は英語なので仕方がありません。
そんなこんなで、去る6月にPIとのインタビューが実施されました。
しかしながら、このとき聞かれたことは細かく覚えていません。
本来共有すべき事項を細かく覚えていないのは痛恨の極みですが、若干曖昧ながら覚えているのは
- 分野が大きく変わることになるが大丈夫か
- いつごろに米国に来れるか
- Titleはどういうものを希望するか
1についてはYES!高須クリニック!以外の答えは多分あり得ないと思います。
もしくは異分野融合の具体的プランがすでにあって、プレリミナリーなデータがある場合などはその限りではないかも知れませんが、まずそんなことはあまりないでしょう。
2については年内、秋には行ければという回答をしました。
正直現所属には未練などハナクソほどもなく、最短で移りたいためこう答えました。
明日からでもいけるぜ的なジョークも言えればよかったかも知れませんが、
- 残務処理
- 引継
- 引越準備
- VISA申請のやりとりに必要な期間
以上4点について現実的な日数+αのレベルで計算して伝えることが良いかも知れません。
3については場合によると思います。
一般的には『ポスドク募集』などのように特定のtitleで募集されている思います。
そのため、どういったtitleを望むかという事はあまり聞かれないかもしれません。
私の場合はそういった募集形態ではなかった(実はとくに募集をしていたわけでもなかった)ため聞かれたのかと思います。
回答としては『(guest) research scientistを望みます。事務手続を含めそれは難しい事の情等があればPostdocでも構わない。ただ、年齢的な面でもPostdocより(guest) research scientistのような肩書きがpreferableと伝えました。
あまりこのような主張をしない性格なのですが、自分の考えなどはちゃんと主張することが肝要とDr. Mに指摘されていたので、するべき主張をしたまでです。
また、『何でもかまへんで』というstyleは好まれないようです。
ちなみに私がpostdocでなくresearch scientistを望んだ理由は
- 年齢
- 帰国して職探しをする際にtraineeとしての postdocより響きが良い
と思われたからです。
まあ2についてはナイスな仕事をしてればさほど関係ないのかもしれないでしょうが・・・
- Interview後
たこの望む条件と合えば採用するという趣旨のことをPIが言ってinterviewを終えました。聞きたいことがあれば何なりと連絡をくれと言っていたので、双方の実家に相談し、雇用条件等を聞いた上で最終判断することにしました。
実はたこ家、妻家の顔合わせがInterviewの翌週にあったため、その際に話をしました。
両家とも母子家庭なのですが、両母親は即テンパったものの、両祖母からはやりたいようにすればええんちゃう?と言われました。
流石は第二次大戦を生き抜いた世代です。
肝の据わり方が違います。
結論として『行きたきゃ行きゃええわ』となりました。
その上で先方にサラリーなどについて質問しました。
そして返ってきた雇用条件を基に妻とも相談し、熟慮の結果、accept することとしました。
かくしてへっぽこ研究者たこ研究員は渡米することと相なったわけであります。
しかしながらこの後の手続き現在進行中で、たいへん曲者ですがそれは次に。
義実家の犬 『し〜坊』です。
たまに登場します。
