最近沖縄タイムスという地方新聞に、子供の貧困をテーマにした連載がある。






昨今多くの子供が、未成熟な親によって虐げられ、その多くが、命を奪われる痛ましい事件が乱発している。




奪うのは、親だ。






自分は大人になるまで生きているくせに




なぜ、子供の命を奪うのか。




正直理解に苦しむ。






出来ぬなら生むな






それに何も、命を奪われた子供より、生き地獄を味わう子供の悲痛は、計り知れない






連載は、ある小学校の養護教諭、つまり保健室の先生にスポットを当てていた。






この小学校では、朝早く、数人の児童が、保健室の前に座って待っている。




養護教員が出勤すると、子供たちは


「早く開けて」


とせがむのだと。




理由はこうだ。




「朝ご飯を食べさせてもらえない」




飽食とまで言われた時代に逆行した、深刻な問題だ。




数年前から、そういう訴えに気付いたこの先生は、給食の残りのパンと牛乳を取り置き、朝、子供たちに与えるのだという。






中には、体操服すら満足に用意できない親がいる。


子供を風呂に入れず、何日も同じ服を着せてる親がいる。




だから保健室には、たくさんの着替えがストックされ、子供たちに着せたり、シャワーを浴びさせりすという。






忌々しき話だ。




ある姉妹は、ボロボロになった靴で、雨の日はそうせ濡れてしまうからと、サンダルで登校してきた。




靴は入学してから買ってもらえず、4年生になる姉は、もうきつくて履けない上履きを、踵を折って履いている。






みんなは水筒の日でも、安売りされているペットボトルで我慢する子供。






子供の命を、子供の未来を、子供の心を






守るものを間違えている今の日本は、




もう俺が知っている国では、ないのかもしれない。