自己を研鑽する。 | 免疫力・自然治癒力の向上

免疫力・自然治癒力の向上

「坐っているとき・寝ているとき」の姿勢が大切だと知ることです。

今の社会を救う法話を

250年前の禅僧・臨済宗・白隠禅師が説いている。

「内観の秘法」とは、健康法です。

 これは簡単!!「寝ながら健康法」のつづき

白隠禅師は、500年に一度の名僧と言われている禅僧の書、夜船閑話の中に「内観の秘法」が記されている。白隠禅師は、坐禅修業するものにとっては、必要不可欠だと言っている。

現在の禅の指導の中で、「内観の秘法」を、坐禅修行の中に取り入れないのは。何故なのかとお尋ねしたい。

 せめて、下記の抜粋文を読んでいただき、禅とは、何かを考えていただきたい。

 「内観の秘法」の内観は、知解では無理である。実際に「内観の秘法」の要領で寝ていただかないと内観を得ることができない。

 「内観の秘法」を、大衆向きに、日常生活で実現可能である健康法として解き明かした。


 禅を知らなくても、内観を体得することができる。

 坐禅をするものは、内観を体感し得ることで、より、

修行が向上するでしょう。



白隠禅師の著書より

夜船閑話の中から抜粋

徐々(ぢょぢょ)として(かへ)(らい)りて、時々(じじ)()内観(ないくわん)潜修(せんしう)するに、(わず)かに三年(さんねん)()たざるに、従前(じうぜん)衆病(しゅびゃう)薬餌(やくじ)(もち)ひず、鍼灸(しんきゅう)()らず、(にん)(うん)(じょ)(けん)す。(ひと)(やまひ)()するのみにあらず、従前(じうぜん)(しゅ)(きゃく)(はさ)むことを()ず、歯牙(しげ)(くだ)すことを()ざる(てい)(なん)(しん)(なん)(とう)(なん)()(なん)(にふ)(てい)の一着子(ちゃくす)(こん)透り(とほ)(てい)(てつ)して、(とう)得過(とくくわ)して、大歓喜(だいくわんき)()るもの大凡(おほよ)六七(くわい)、その()小悟怡(せうごい)(えつ)(たう)()(わす)るゝもの、(すう)をしらず。玅喜(みやうき)()はゆる大悟(たいご)十八()小悟数(せうごすう)()らずと、(はじ)めて()る。

内観の秘法」を用いたことで、

       大悟六七回、小悟数知らずといっている。

 禅のするものにとっては、すごい修業法だと思わないですか。

遠羅天釜の中から抜粋

 

総じて、修行の心掛けがまちがっているならば、座禅中でも、日常生活の中でも思うままにならず、心が沈んだり気が散ったりして、いたずらに心気を費やし、その結果、肺を痛めて元気なくなり、難病にかかることが多いのです。だから、内観の法を正しく修めますならば、養生の秘訣に契い、心身ともに健康になり、気力も旺盛になって、何をしても軽快であり、やがて仏道を成熟することもできるのです。

 真の修行方法を知らずに、むやみに知解によって悟りを得ようとして、坐禅工夫によってこれを求め、節度をこえて思念するならば、胸がふさがり心気は高ぶり、その結果、両脚は雪につけたように冷え、いつも耳鳴りがし、肺が衰え水分が不足し、ついには難治の病となって命を失うことにもなります。すべて真修行方法を知らないためです。実に断念です。「摩訶止観」に仮縁止・体真止ということが説かれていますが、内観の法は、この方法の大略を言ったものです。

正念工夫・不断坐禅

「内観と参禅とを同時に修めて本志を成熟して欲しいと思うのである。」

「黄帝素問」で、名医岐伯が、黄帝の問いに答えて、(恬剡虚無であるならば、真気が充実し、こうして精・神が内にたくわえられるならば、病の要因は入り込みようはない)と言っているが、今の人は逆であって、生まれてから死ぬまで、片時も、主心が定まっていないのである。主心とは、何であるかも知らず、日々足にまかせて走りまわっている犬畜生のように無知である。


[250年前、現在を見通したように、説いている]



は、宗教ではありません。

自己を研鑽することです。

嵩式まくらを使用して、寝ることで、健康になります。

健康になれば、自然と自己を研鑽することにつながります。


いかがですか。