最近、なぜか「名前」が気になっています。

 

先日、名前のアナグラムの記事も書いたけれど・・・。

 

 

なぜ気になるのかというと、私には名前がいっぱいあって・・・。

 

本名の「友音」

シンガーソングライターの「dakara」

演歌歌手の「喜多なお美」

そして、作詞家「白鳥万里」

 

前にミリアムって名前で活動していたので、ミリアムという名前も残ってたりして・・・。

 

本当は、1つに統一した方が、覚えてもらいやすくていいと思うんだけど。。。

 

それぞれの名前に、それぞれの役割があるみたいで、やっぱり別の名前が必要なんですよね。

 

ふと思ったけれど、生まれた時の名前というのは、結婚したり、何か他の名前を名乗ったとしても、生涯ずっと変わらないから、そういう意味では、その人の運命というか、宿命というか、使命というか・・・そういうものを背負っているのかもしれませんね。

 

「氏名」は「使命」なんて言葉も聞くし。

 

そんな名前について考えていたら、こんな本に出会いました。

 

 

ひすいこたろうさんと、山下弘司さんの共著です。

 

この本によると、可愛いけれどモテない女の子に共通しているのが、

「自分の父親が嫌い」というのと、

「自分の名前が嫌い」ということなんだそうです。

 

そして、仕事で成功している人や、幸せな人はたいてい、自分の名前が大好きなんだそうです。

 

 

自分の名前って、好きですか?

 

私は・・・う〜ん。。。

 

自分の名前を思うとき、なぜか気恥ずかしさを感じます。

 

それって、考えて見たら、自分の足の親指について思うことと、ちょっと似ているかも?

 

 

だから、歌の活動する時、本名でやるよりも、芸名の方が、動きやすいんですよね。

音の持っている働きに、守られている感じがして。

 

本名は、無防備な自分って感じ。

 

 

だれでも、自分の大好きな人に、心を込めて名前を呼ばれたら、嬉しい気持ちがしますよね〜。

でも名前を呼ぶって、案外照れ臭いのかも。

 

たとえば、夫婦で名前を呼びあっているカップルって、少ないですよね。

 

愛称で呼びあったり、「パパ」「ママ」だったりね。

 

もしかすると、大切な人ほど、名前で呼ぶのって、照れ臭いのかも・・・?

 

 

それは、裏を返せば、それだけ名前の音にはパワーがあるってことなのかもしれません。

魔法の呪文みたいに。

 

 

たまには、大好きな人の名前を、心を込めて呼んであげたら、それだけでいい関係になれそう。。。