夢を見ること自体は何も珍しいことではない。深い眠りの中で記憶の整理をしているのだとか、浅い眠りの中で外界から受ける情報を夢として認識するのだとか、そういう風に夢は語られている。

 悪夢もまた夢である。

 憂鬱な朝日を遮るために深く布団をかぶりなおす。しばらくたって目覚ましの耳障りな機械音が聞こえてくる。
 仕方なしに半目になりながら敷布団のぬくもりをはがす男、風車幸は今日の夢についてうまく働かない頭を振りながら考え込んでいた。が、しかし起きた瞬間には胸のわずかな痛みとともに夢の記憶なんてものは消えてしまっていた。

 いくばくかの残念さを感じながら顔を洗うために洗面台へと歩いていく。カーテンの隙間から除く朝日に照らされた室内は汚く、よく言えば生活感にあふれ、足元には昨日脱ぎ散らかしたのだろう衣服がそのまま転がっているような状態だった。
 足元に気を使いながらも目的地へと足早に向かう。洗面台の扉を開け、鏡下の電気をつけ、洗顔しようと顔を鏡越しに見る。
 いつの間に泣いたのだろうか、赤く腫れた目元と涙が目じりから流れたような跡が映し出される。
 朝の夢といい、今日の顔といい何かが怖いものでも見たような気がしてくる。きっとそれはどうしようもないくらいの悪夢であったのだろう、今も何か胸にこみあげるものがある。

 顔を洗い、もう一度顔をまじまじと見つめる。何かを思い出せそうな、そうでないこのような微妙な心地悪さが残るが、歯ブラシを手に取り気にせずに歯を磨いていた。

 朝の喧騒の中、通学の時間になり何度と見た道を歩いた。人混みが濁流のようになる地下鉄に乗られ、その隙間で制服の温かさに気持ち悪さを感じた。

 ふと声が聞こえた。凛とした鈴のような小さくとも響くような声だ。
 「魂の所在はココのはずなんだけどなぁ」

 誰かがそう呟いていた。
 「君かい?声聞こえてるんでしょ、上向いてみなよ」
 また声が話しかけてくる。どこから聞こえてくるのか分からない。気味が悪い。

 「無視はひどいね、良くないよ少年」
 声はまた響いてくる。鈴のような声はわずかに怒気を感じさせる雰囲気をまとっていた。

 「上を向いてってば、上だよ?上。君になんか誰も注目していないんだから上向いちゃいなよ」
 声がひたすらに構ってくる。その憂さ苦しさから今回だけでなく、次も声は話してくる打あろうことは容易に理解できた。
 しぶしぶと首を上に向け、顔を上げる。しかし、そこに移るのは地下鉄のつり革とクーラーのある溝のみ。
 しばらく上を見ていても声は語りかけてこなかった。

 誰かのいたずらか、とあきれ果てて頭を手元のスマホに移そうとした瞬間。異常に気付いた。
 周りの雰囲気が先ほどまでとガラリと変わっているのだ。

 乗客のほとんどがスマホやら何かに目を落としていたはずであったのに、皆目を爛々と見開いてこちらを見ている。目の前の座る幼い子供ですらその目を見開き、こちらを見つめている。
 瞬きすらせず、虚空を除くように瞳孔を開ききったまま、見つめてくるその悍ましさに強烈な吐き気と気味の悪さを感じ、元凶たるあの声に対して話しかける。

 「上を向いただけでコレか?どちら様か知らないが、ドッキリとかなら時代遅れだしこんな……」
 言えたはずの言葉が途切れる、目に前の子供がニタリと笑いかけ、声をかけてくる。
 「降りななくていいの?」
 言葉の真偽を疑い出口のドアを見ると、すでに開いていた。気味の悪いこの空間よりは降りて次の電車にしたほうが良さそうだと判断し、降りるために人混みをかき分け出口にたどりつく。
 かき分けている間も全ての目が見ているが、そんなことよりもこの空間から逃げ出すことに夢中になっていた。
 駆け足のようになりながら、一度も降りたことも、見たことのないホームへと足を踏み出した。