AKIRA見たかった。
プロジェクションマッピング使ってまでルームランナーよりも専用のバイク1台とスタントマンで登場した方がかっこよかった。

東京リボーンという東京再開発に的を絞ったNHKの番組もあったし少なくとも2019年生辺りまではその路線で行っていた事は間違いないと思う。
1964年のオリンピックから意思を引き継いで2020は復興のオリンピックだということをちゃんと分かりやすく伝える事も出来たのかもしれない。



 今回のオリンピックは取ってつけたような『多様性』と『日本らしさ』が目立った。
最初のプロジェクションマッピングは選手の願いで作られたとか言っていたが『どの選手?』『いつそんな事を話題にした?』という疑問がある。
本当に組織委員会にそんな陳情が届いているとしたら真っ先にメディアが取り上げて盛り上げる一因とするだろう。
しかし、開幕式の話題はmikikoさんが降板して以降小山田さんが話題になるまでちっともなかった。
どうせ言い訳の為に少数の選手がやって欲しいって動画を上げています、って言うのだろうけれど何故それを大きな話題にしなかったの?
疑問に思います。

 多様性といえば謎のタップダンスです。
タップダンスもなんか粉まみれのダンスも悪くはありません。
正直小さなイベントホールとかで間近でダンスを見たら手放しで称賛して自分もはしゃぐでしょう。
ですが、そういったものをロクに繋げもせずに『多様性』というのはおこがましいのではないかと思います。
当時の自分。
『台出てきたなー何か作るのかな?』→『なんで踊ってるの?火消しの声?』→『衣装バラバラじゃん色くらい統一しなよ』→『低い提灯…ねぶた祭りくらいはやって欲しかった』
タップダンス辺りで凄く恥ずかしくなって一回テレビを消して4Kに変えました。
復興祭りの名目で全国から神輿やお囃子を集めて大規模な和風パレードになるなら良かった、というかそれを望んでた。

 今回コロナ禍中の中で『多様性』よりも重視すべきだと思う『協調性』が足りていなかったのではないかと思います。
組織委員会のゴタゴタ、スタジアムの中抜き、会場選びの際に北海道の侮蔑とも取れる発言(これは未だに怒っています)等々がありそういったことまで頭が回らなかった可能性がありますが、一年延期を貰って七年の準備があってこれです。
『多様性』は何でも追加するようなものではなくて『協調性』を持って皆で手を取り合おうとする考えです。
よく言われる男女に関係なく社会進出へ、というのもあくまで社会という基盤の中で『協調性』を持って作られたレールを歩む事です。
正直制度自体も国によって作られたレールでしかありませんし、アメリカや人権先進国の北欧などでもまだレールから脱却していないです。
話が逸れたので戻します。
『協調性』がなぜ大事かですが、コロナ禍なんですから遠くにいても繋がっていましょうよ。
それくらい考えたら分かるでしょうし、メディアの方たちも最初の頃は一人で頑張っている選手たちを応援していたじゃないですか。
服装に同じ色を使ってみたり、法被を着せてみたり、鉢巻程度でもある程度の統一感は出たと思います。
しかし、何もなかった。
バラバラの音が纏まりもせずに踊る光景は一種の創作ダンスのようでこれはこれで良かったのですが、世界的な祭典で創作ダンスはちょっと……どころかかなり恥ずかしかったです。
因みに最後の木の五輪は好きでした。


 『日本らしさ』って何でしょうね?
普通の方なら伝統芸能が真っ先に上がってくると思います。
前回大会のブラジルではリオのカーニバル、あそこまで大々的にやることはコロナの関係上難しかったのかもしれません。
しかし、何故日本のアーティストの曲を流さず海外のアーティストの曲を流したのか意味不明です。
クイーンは聞けて満足ですが、それオリンピックで日本らしさに繋がるかな?と思いました。
ゲームの音楽は利権がチラついていましたし、そのままの曲をリピートするくらいなら交響楽団の生演奏でやれば良いでしょ、時間はあったでしょってなりました。
最初すぎやまこういちさんの書いた日本っぽい曲が流れるのかなって楽しみにしていたあの時の自分を返して下さい。
安倍前総理がマリオの扮装をして出てきたのに任天堂関係は一切登場しませんでしたし何がなんだか訳も分かりません。

文句は続きますがプラカードがちゃっちいのです。ペラッペラのプラスチックに両面書いてるタイプです。
そこに書かれているのはカタカナの国名とフキダシでさらに安っぽさが目立ちました。
せめて甲子園入場のプラカードみたく一つ一つ書体が違ったりすれば良かったのですがそれもなかったです。
大きな旗に不釣り合いな白のポールは甲子園優勝旗のポール程度には装飾すべきでしょうし、後ろで踊っていた謎の両面ポンチョ鍋被りドット絵クソダサ服装の方たちは恐らくボランティアの方なのでしょう、最後の方は踊りませずに手を降っているだけの方もいました。
ポンチョは色々種類があったらしいですが、着物でいいじゃん、既存の作ったものがあるって報道してたのはどこいったの?ってそれも『予算削減の為』無くなったそうです。作った既存の物が無くなったそうです。
それは削減ではないのでは?



 オリンピック開会式は好きなものではなかったです。

時間が十分あったでしょうし、予算も過去最大に潤沢だった事。

震災復興、コロナ、という分かりやすい2つのテーマに添えばそれで良かったという事。

この二点の時点で成功する事自体はかなりやりやすくなっているのです。
しかし、
組織委員会等々のゴタゴタが大きすぎて余波でぐちゃぐちゃになってしまった事。

たった一点のこのゴタゴタのせいで全てが壊れてしまったような気がします。

凄い残念でした。
以上愚痴です。