【朝鮮人虐殺】“日本女性の会そよ風”なるいわゆるヘイト団体
流言飛語を信じて虐殺に及んだ連中がいたのは否定しようがない。にもかからず【正当防衛】と主張するのは、“慰安婦はたんなる高級売春婦”とほざく連中と同類。
売春の対価の支払いが軍票に限定されていたことを考えたら、それは搾取。(日本は占領地で軍票を使用する方針を昭和17年に閣議で決定している。戦後日本は、この軍票の償還を拒否。大日本帝国は、占領地で軍票を通貨として強制通用させ、占領地から資源を経済的に略奪していた。当然、現地では高いインフレが起こっていたが、本土での軍票の流通は禁止していた。)慰安婦を強制連行こそしなかったが、経済通貨システムを理解していたとも思えない女性達を、高給を条件にし、軍ではなく民間業者を使って集めさせ、運営を外注していたのは、性搾取を覆い隠すための偽装というしかない。そもそも、大日本帝国軍が慰安婦制度を作らなければならなくなった理由は、強姦やら虐殺が横行したから。ろくに取り締まりもしなかったし、その大日本帝国軍のひどい現実を直視したくないから、こうしたいわゆるヘイト団体は、朝鮮人虐殺を正当化するんだろう。女性にたいする性犯罪にたいし、「許してやれ」とほざく、強姦神話論者達と同類だよ。
【ヘイト団体があえて朝鮮人虐殺追悼碑の前で「慰霊」集会を開く構え 政府、東京都は見て見ぬふりのナゾ
1923年の関東大震災時のデマにより殺害された朝鮮人犠牲者の追悼碑がある横網町公園(東京都墨田区)で、3年前に都にヘイトスピーチ発言を認定された団体が、きょう9月1日にこの碑の前で集会を行うと公表した。
ヘイトが起きる恐れがあるとして、公園の利用制限を求める抗議声明も相次ぐが、都の対応は鈍い。国や行政が虐殺の史実と向き合わないことが、足元の差別をあおる状況を招いている。(安藤恭子)
◆「この歴史 永遠に忘れず」都議会全会派が賛同した石碑
横網町公園の都慰霊堂に向かって右手、黒く光る小さな追悼碑がたたずむ。碑には「あやまった策動と流言蜚(ひ)語のために六千余名の朝鮮人が尊い生命を奪われました」と刻まれ「この歴史 永遠に忘れず 在日朝鮮人と固く手を握り 日朝親善 アジア平和を打ちたてん」とうたう。1973年に都議会全会派の賛同で建てられた。
この碑の前で毎年9月1日、在日コリアンとの友好を願う日本の人たちでつくる日朝協会などの実行委員会が、追悼式典を半世紀にわたり開いてきた。宮川泰彦委員長は「今もヘイトスピーチは続く。歴史を忘れてしまえば、再び悪夢は起きるかもしれない。社会を構成する朝鮮の人たちと共に歩んでいきたいという願いがある」と語る。
大震災の後、被害が大きかった東京や神奈川を中心に「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」とデマが拡散。それを信じた民衆がつくった「自警団」や軍、警察が朝鮮人を暴行、殺害した。政府の中央防災会議の2009年の報告書は、震災の死者・行方不明者約10万5000人のうち「1〜数%」が虐殺犠牲者と推計し、これは千〜数千人の規模にあたる。
◆「日本女性の会 そよ風」
一方で17年から式典と同時刻の朝、追悼碑からわずか20メートルほどの園内で「真実の慰霊祭」と称する集会を開いてきたのが「日本女性の会 そよ風」だ。今年は追悼碑前に場所を移し集会を行うと8月、インターネットのブログで告知した。
しかしこのそよ風の集会は、19年に「犯人は不逞(ふてい)朝鮮人、朝鮮人コリアンだったのです」「不逞在日朝鮮人たちによって身内を殺され、家を焼かれ(略)」という参加者の発言があり、翌20年に都人権尊重条例に基づき、ヘイト認定された経緯がある。
「不逞朝鮮人」は大震災の流言飛語としても広がった差別語だ。都は、実行委の式典への「挑発的意図をもって発せられた」とし、ヘイト解消法の3類型にあたる侮蔑や排除をあおり、朝鮮人をおとしめ、傷つける差別的表現と公表した。
◆「自警団による殺害事件は正当防衛」と主張
その後も毎年、そよ風の集会は続き「朝鮮人をたたき出せ」などと訴えるヘイトデモへの参加者らが出席。「自警団による殺害事件は正当防衛」と事件を正当化している。そよ風のブログでは「当日は混乱が予想される」とも記す。今回、あえて場所を朝鮮人犠牲者追悼碑前に変更した理由について「こちら特報部」はそよ風に聞こうとしたが、「取材は一切お断りしている」と答えなかった。
都人権尊重条例は、ヘイトスピーチが行われる蓋然(がいぜん)性が高く、かつ起因して起きる紛争等により、施設の安全な管理に支障が生じる事態が予測される場合、利用制限ができるとする基準を設けている。ただ、これまで適用されたことはなく、都公園緑地部の担当者は取材に「個々の事案の状況は答えられない」とする。
東京弁護士会は31日、国や都に対し「大震災100年の節目にあたり、人種差別を根絶するための施策等を求める声明」を公表。そよ風の集会について「撤去を求める追悼碑の面前での集会となれば、自(おの)ずからヘイトスピーチが展開される蓋然性が懸念され、誠に遺憾」と指摘。集会の容認は、ヘイト解消法や都条例の趣旨に反するとした。式典の実行委も「死者を冒涜(ぼうとく)する集会は『慰霊の公園』の機能を破壊する」と声明を出し、利用制限を求めた。
◆差別解消に消極的な東京都…その背景は
差別解消に消極的な都の姿勢は、都の人権プラザ(港区)で昨年、関東大震災時の朝鮮人虐殺に触れた映像作品《In-Mates(インメイツ)》の上映が、都人権部の介入で中止された問題にも表れている。制作者の飯山由貴さんは中止理由の説明などを求め、今年6月から毎週都庁を訪れてきたが、担当者から「話すことはない」と拒まれてきた。
8月22日は約20人が都庁入り口で押し問答の末、都の担当者が路上で要請を受ける異例の事態に。飯山さんは、小池百合子都知事が実行委の追悼式典に追悼文を送るのをやめた影響を指摘する。申し入れに参加する在日コリアン男性のネット動画も誹謗(ひぼう)中傷を受けているといい「都知事の歴史否定の姿勢が職員に伝わり、さらに新たな差別をあおっている」と話す。
◆「祖父は品川で自警団に殺されかけました」
作家の深沢潮さんも飯山さんの申し入れに同行し、都庁に向かい「関東大震災で、朝鮮人が流言によって虐殺に至ったことは紛れもない事実です。祖父は品川で自警団に殺されかけました。なかったことにしないでください」と訴えた。
深沢さんが在日韓国人の母から聞いた話によると、半島南部で小学校教員をしていた祖父は大正期に親族を頼って日本に渡った。25歳で大震災に遭遇し、他の朝鮮人たちとともに警察署の留置場に隔離されたことで命拾いした。
深沢さんは都内で晩年、ひっそりと暮らしていた祖父の姿を思い起こす。祖母が買い物をはばかったのか、晩酌にトウガラシやニンニクを使った朝鮮料理が出ることはなく、楽しんでいたのは、マグロの刺し身と日本酒の熱かん。「お酒が進むと、やかんに鉄のはしを打ち付け、近所に聞こえないようにと、小さな声でアリランを歌っていた」
◆「差別の意図は明確で、慰霊に名を借りたあざけりだ」
東京で生まれ育った深沢さん自身も「100年前に殺した人たちと殺された人たちがいて、その子孫が共に暮らしていると想像すると、怖くなることがある」と明かす。そよ風の集会については「言葉が出ない」とし、「鎮魂の場である追悼碑の前で行われれば、死者は再び踏みにじられる」と受け止める。
朝鮮人虐殺の現場を調査してきたノンフィクション作家の加藤直樹さんは「そよ風の集会は、虐殺された朝鮮人の被害を加害に転換し、正当防衛であると主張してきた。差別の意図は明確で、これは慰霊に名を借りたあざけりであり、嘲笑だ」と批判する。
松野博一官房長官は8月30日の記者会見で朝鮮人虐殺について問われ「政府内において事実関係を把握する記録が見当たらない」とこれまでの見解を繰り返したが、大震災から2年後に警視庁が発行した「大正大震火災誌」、震災直後の内務省警保局の電信文には、朝鮮人殺害や日本人の誤殺、流言の拡散が記されている。多数の証言があり、前出の中央防災会議の報告書は公文書を引用し、軍隊や警察の加担を示している。
加藤さんは言う。「大震災から100年がたち、歴史を教訓とし日朝関係につなげるべき時期に、政府も都知事も歴史と向き合わず、追悼碑前で死者を冒涜する集会が行われようとしている。その態度は不誠実で言語道断。慰霊の公園を追悼に訪れる、今を生きる人たちをも傷つけるものだ」
◆デスクメモ
なぜデマが広がるか。人は事実かどうかではなく、信じたいものを信じる性質があるからだという。となると、どうしても「自分は悪くなくて誰かが悪い」という説を信じたい、となりがちだ。かくして100年前デマが広がり、今また「虐殺はなかった」というデマが繰り返される。(歩)】
暴力の応酬に負けたがゆえに、戦争に勝利出来なかった敗戦国の戦争犯罪だけがクローズアップされるのは理不尽極まりないが、こいつ等、いわゆる極右の自称愛国者共は、大日本帝国を美化したいだけの屑にしかみえない。故に擁護も支持も出来ないんだよ。