【マイナ保険証と防空法】大日本帝国の系譜に連なる自民党政府の精神性 | 疑うがゆえに知り、知るがゆえに疑う

【マイナ保険証と防空法】大日本帝国の系譜に連なる自民党政府の精神性

大日本帝国及び自民党政府の優先順位は、自分たち>国体(笑)>皇室>国民なので、国民を死に追いやり、消せもしないやり方(防空法で定められたやり方では米軍の焼夷弾を消せないのは自分たちがその目で確認していたのにだ)を、法律で強要し、威嚇し脅迫するのが大好き。当時の日本国民が戦うべきは、米軍よりも、日本政府のクソ共と大日本帝国軍だったという結論にしかならない。





《しかし、トラブルは実際に起きているなかでなぜ来年11月の一体化にこだわる?

先ほども述べたが、厚労省の幹部は「政府全体で大きく方向性を変えていこうということには少なくとも今はなっていない」と話している。法改正もして来年の秋と決めたので「やるしかない」ということではないか。

(ABEMA/倍速ニュース)》


>やるしかない

大日本帝国の玉砕特攻精神に毒された脳筋の屑。それがカルト自民党政府。防空法で国民をコロしていた頃から、全く変わらない。狂気の防空法について。


《1941年11月26日に改正された防空法は、空襲時における退去禁止と消火義務を定め、違反者を懲役6ヶ月または罰金五百円(当時の教員の初任給の9ヶ月分)に処すると定めた。このとき陸軍の軍務課長であった佐藤賢了は、「空襲の実害は大したものではない。国民が混乱に陥り、戦争継続の意志が破綻するのが最も恐ろしい」と衆議院で演説した。国民に戦争協力をさせることが防空法の主眼であるというのだ。

さらに政府は、空襲時に地下鉄への避難を禁止する、空襲被害を話すことは国防保安法の処罰対象とする、空襲の報道は特高警察の検閲対象とする、と定めた。空襲被害に関する発言や疑問を封じ込めたのである。

■「命を投げ出して御国を守る」
という悲壮な空気
 
政府が1941年に全国へ配布した冊子「時局防空必携」は、全国民が国土防衛の戦士である、命を投げ出して御国を守れという「防空精神」の標語を掲げた。物資窮乏ゆえ消火設備は不足し、有り合わせのバケツ、防火用水、砂袋、火叩き(ハタキ)による防空訓練が繰り返された。町内会(隣組)は空襲時に逃げ出す者がいないよう日常的に監視した。

新聞紙は「焼夷弾は恐れず消せ」、「すぐに消せた」、「焼夷弾は手袋をはめて掴めば熱くない」といった安全神話や怪しい武勇伝を掲載した。実際に空襲が起きても被害実態は隠された。政府は、敵国のスパイに対してではなく、国民に対して真実を隠したのである。

■原子爆弾に対しても「初期消火せよ」

この方針は、空襲が激化した後も変更されなかった。
1945年3月10日の東京大空襲では10万人が死亡したが、その翌日に小磯國昭首相は「空襲はますます激化する。敢然と空襲に耐えることこそ勝利の近道」と演説した。翌月(4月20日)の閣議決定は、学童以外の疎開は認めないと決定した。

広島と長崎への原爆投下後、1945年8月11日に政府の防空総本部は「新型爆弾に対する心得」として、初期防火に注意せよ、火傷の防止には白い衣服が有効である、と呼びかけた。「原子爆弾は怖い、逃げよう」と思わせない情報操作である。

空襲被害を生み出した直接原因は、アメリカによる国際法違反の空襲である。非武装の民間人を狙った無差別大量虐殺は絶対に許されない。それと同時に、日本政府による「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」という国策が被害を拡大したことが忘れられてはならない。》


自分たちの面子と、『戦争に対し一丸となる』という空気(笑)が最優先なため、消せないとわかりきっている焼夷弾にたいし、国民を死に追いやることに全く躊躇などない。庭に防空壕つくるな、逃げたら懲役、逃げたら非国民として配給もなしと脅して、死に向かって無策で突撃させる。それが大日本帝国政府及び軍であり、その系譜に連なるのが、統一カルト自民党政府。


《「空襲に耐えることこそ勝利の道」
 東京大空襲(1945年3月10日)の日、小磯首相は「敵の空襲に耐えることこそ勝利の近道である」とラジオ演説をした。東京大空襲に続いて、大阪、名古屋へと空襲は拡大した。
 
当時、国民に示されていた「時局防空必携」は「焼夷爆弾が落ちたら」と題して次のようにいう。(「逃げるな、火を消せ!」戦時下トンデモ防空法)から。
 「筵(むしろ)類を水で濡らしてその上に水をかけるか、砂袋を投げつけて焼夷弾の火を抑える。焼夷弾の火勢の弱いものは速やかにシャベル等で屋外に運び出す」
 「焼夷弾が屋根裏に止まったら、鳶口(とびくち)か長棒で突き落とす」
 「小火焔や火の子は火叩きで叩き消す」》


上空から高速で降り注ぐ焼夷弾は、あっという間に周囲に炎を撒き散らしながら炎上し、家屋は次々に延焼するため、民間の消防団程度が消すなどほぼ不可能。大日本帝国政府や軍は、回収した米軍の焼夷弾の使用実験から、このことを知っていたのに、それを隠して消せもしない焼夷弾に突撃させ、庭に防空壕をつくることもゆるさず、国民を死に追いやっていた。米軍の無差別爆撃?。笑わせる。お前らは米軍以上の殺人集団のくせにな。









精神論と根性論にあふれるプロパガンダの数々。そしてそれは、原子爆弾を落とされ、何十万もの死傷者が出ても変わらなかった。




原子爆弾の深刻な被害を知っていてなお、まだ、火を消せ、熱線は恐れるに足らず、防空壕に入っていれば平気、などと8月15日の戦闘停止まで抜かしていた。どうだろう?。“やるしかない”などとほざいている、カルト自民党政府と、大日本帝国の見分けがつくだろうか?。

東京大空襲の直後でも、こんなことをほざいていた内務大臣。戦犯と言うしかない。まさに売国の屑。


《大河内議員は、3月14日にも貴族院本会議で登壇した。大達茂雄内務大臣が3月10日の東京大空襲の被害状況を淡々と報告したのに対し、「簡単に質問をいたします」と立ち上がり、次のように迫った。

私の質問は、「人貴きか、物貴きか」と、こういう質問なんであります。防空施設を整えるという話もあるが、私はこうなっては間に合わないと思う。大都会が焦土化するのは時間の問題だと思います。次は東京が全部やられるかも知れない。その場合に、人を助けるか物を助けるか、どっちを助けるかを伺いたい。私は、人を助ける方がよいと思う。消防などは二の次でよいから、身をもって逃げるということが一番よいと思う。内務大臣から隣組長などに、「火は消さなくてもよいから逃げろ」と言っていただきたい。

避難を禁止して消火義務を負わせる防空体制を根本から否定している。この大河内議員は、東条英機首相による選挙干渉を議会で批判するなど、時流に流されない立ち位置を維持してきた稀有な議員であった。

これに対し、内務大臣は「焼夷弾に対して市民が果敢に健闘いたしております」「初めから逃げてしまうということは、これはどうかと思うのであります」と答弁。

東京大空襲の惨状をみても、国民を守るための軌道修正をしようという姿勢は皆無であった。》


>これはどうかと思うのであります

“皆がその気になっているのだから、その空気(笑)に水を差すのはよくない”という、無能な味方の典型例のような台詞を平気で吐いている。『無能な働き者は射殺するしかない』とは、まさにその通り。米軍以上の脅威。それが大日本帝国であり、旧軍だった。